作成者 | BON |
更新日 | 2002/11/06 |
Warnning !! このページで紹介するのはプライベートな旅行です。一応水道関係も注目はしておりますが,水道技術に関連する部位はちょっとしかありません。あしからず。m(_ _)m
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11月01日 出発の日,デトロイト経由でシンシナティまで。 |
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11月02日 米空軍博物館訪問。 |
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11月03日 ワシントン観光。航空宇宙博物館見学。 |
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11月04日 帰国の日。 |
2002年11月1日〜5日までの期間,遅い夏休み(遅すぎるので夏休みの有効期間はとっくに過ぎているのですが)でアメリカはオハイオ州シンシナティ,およびワシントンDCを訪問してまいりました。友人が現地で研究を行っているので,そこに乱入してアメリカンキャンパスライフが日本とどれくらい違うかを見物してみようという趣旨です。
水道関係施設などもいけたら見に行って見たいと思ってましたが,例のテロ以降,一般人が水道関係施設に入ることはできなくなってしまったので,この辺はどうしようもありません。目に付いたぶんだけでも写真とってきました。
今回の旅行は結果として飛行機漬けの旅になりました。このページも,飛行機好きの方であれば相当楽しんでいただけると思いますが,そうでない方もお時間が許すようであれば駄文のコーナーにお付き合いくださいませ。
【参考】
フライトは14時10分,ノースウェスト航空ですので,12時過ぎに成田に到着,なると,家を出るのはおおよそ10時ごろになります。成田遠いっス...一人で海外に行くのは韓国行きを除くと今回が初めてなのですが,先だってのACT視察でずいぶん度胸がついたのか,特段の準備や緊張はなし。例によってデジカメと暇つぶし用ノートパソコンを持ち込み,旅行記を作成することにしました。(狸の水呑み場に絡む記事が書けるかどうかは出たとこ次第)。なお,チケット等は同僚のHさんに紹介してもらったところで航空券+1泊(2泊は友人宅に居候)頼んだので,3泊5日で約10万円程度でした。(ここまで機中にて記述)
飛行機はデトロイトに現地時間の昼ごろ到着。ここを出発するのは午後3時過ぎの飛行機なので,ここで時間をつぶす必要があります。まずは運動不足解消をかねて空港内を怪しくうろうろ歩きまわり,搭乗口を確認。小腹がすいたのでサンドイッチを買ってみたのですが,5ドル弱とられて出てきたのは貧相なハンバーガーみたいなのがひとつ。後で聞いたのですが,空港内は基本的にめちゃ高いそうです。また,1時間前に搭乗口に行ったのに,人っ子一人いないので不安に...30分前にいったらスタッフがいたので聞いてみると,20分前になったら,もう一度こいとのことで,なかなか飛行機にのれませんで不安になりましたが,次に行ったら列ができてました。
小型飛行機に搭乗して約1時間弱,やっとシンシナティに到着。既に成田を出て17時間近くが経過しております。結構疲れましたが,ここで迎えに来てくれた学生時代からの友人,ぶんぶん氏と久しぶりに会うことができました。彼は大学で先生をしていまして,ここシンシナティで1ヵ年の予定で研究に来ています。今回の旅行は彼のところに行って,アメリカン・キャンパスライフを直にみてみよう,というのが実は趣旨であります。
さて,ぶんぶん氏に運転してもらって(免許の都合,および左レーンなので私運転は一切せず。(-_-)ゞ)約20分ほどのドライブでシンシナティへ。彼が研究をしている大学や街の雰囲気などを見せてもらいます。面白いところでは,USEPAの研究所がここにあるとかで,前を通ってもらいました(写真は翌日撮影)。
その後,スーパーに行って食料品を購入,彼のうちでホームパーティとしゃれ込むことになりました。スーパーの食材を見た印象では,日本と比べて過剰な包装がないこと,野菜の値段はあんまり変わんないこと,肉類がめちゃ安(牛肉が一番安く,300g以上の国内産以上にやわらかいおいしいステーキ肉で1ドル強程度),ケーキみたいなのが当たり前のように売られていること,などでありました。
彼の家はアパートですが,全館冷暖房で光熱費は基本的に込み込みで約7万円程度,この街ではかなり高い部類に入るそうです。ここでさっき買い込んだ食材を適当に料理して乾杯,久しぶりのバカバナシに花が咲いたのでありました。
【参考】
時差の影響もあり,この日はかなり朝早く目がさめました。この日はシンシナティ周辺で観光できるところということで紹介してもらった,米空軍博物館に行くことになっております。私はもともと結構飛行機などのメカは好きなんですが,ここでは第2次世界大戦当時や最新の米空軍機などが実際に展示されているとのことで,ぜひ行ってみたいとお願いしていたところであります。
ということで,身支度を整えてシンシナティを出発。少し市内を流して昨日見れなかったところなどを見物した後,ハイウェイで目的地に向かいます。ハイウェイは基本的にただ,片側3〜4車線あり,変な塀とかがなくてあたりが見渡せます。ドライブは本来こうじゃないと楽しくないですよねぇ。
途中,配水池らしきものを多数発見。このへんは基本的には地震はないそうで,かなりでっかい配水池が高架水槽としてデンと据えられています。このへんのやり方はイタリアやドイツでは見なかった光景ですね。なかなか面白いですが,日本ではここまででっかいのをそのまま上に載せるのは,地震を考えるとちょっと金がかかりそうで。少し怖くてできませんか。
車は1時間ちょっとで博物館に着きました。敷地にはF104スターファイターが刺さっていたりして,雰囲気を出しています。屋外に置かれている飛行機群がみえたりして,いやが応にも雰囲気が高まります。基本的にこの手の施設は無料のようで,子供とかが山ほど(午前中は少なかったのですが午後はすごく増えました)きています。空軍のPRを目的としているので,こういうのを子供のころから見てれば,そういうのが好きになるんでしょうね。
ちなみに,英語の勉強ということで,この室内ではぶんぶん氏と日本語禁止で怪しい会話をしてみました。結構楽しいですが,思ったことの70%くらいまでしか伝わりませんね。もっとも,ネイティブの英語と違って何をいっておるのかがよく聞き取れるので,会話自体にはぜんぜん問題ありません。
最初の部屋は,ライト兄弟の時代です。この博物館がここにあるのは,そもそもライト兄弟の本拠地がここだったためとか。世界初の動力飛行機として名高いフライヤー号のレプリカなど黎明期の飛行機がならべられています。時代に沿って並べられているので,第1室はここから第1次世界大戦ごろまでの飛行機が多数実物や実物大のレプリカとしておいてあるのですが,飛行機の発展が軍事利用と切っても切り離せないのがよくわかります。この部屋の最後の方は第2次世界大戦時期の展示スペースだったようなのですが,現在第3展示ハンガーを建設中で,そちらに移設するために改装中らしく,このブースは入れませんでした。本来ここに置かれるものであろう零戦もなしです。(ホーカーハリケーンのみ,寂しく置かれてました)
が,その反対側のハンガーはすごいの一言。第2次大戦当時の名機が所狭しとならんでいて,少しでもこの分野に興味のある人なら感動モノの展示物が多数あります。この部屋は米空軍に偏っている印象はなく,技術的,歴史的に特徴のある飛行機が多数。米軍関係では米軍を勝利に導いたP51マスタング(1)や双胴機P38ライトニング(2),サンダーボルト,B17,スカイトレインなど。英空軍ではスピットファイア(3)や木製爆撃機で有名なモスキート(4)など。対する独軍では,BF109(5),FW190D9,Ju88(6)などの名機,ロケット戦闘機Me163(7),ジェット戦闘機Me262(8),V1ロケットなど。ちなみに端の方には8.8cm対空砲までおいてました。(写真は番号順です)
さて,この部屋をレポートするにあたり,どうしても触れなければならない機体が順路の最後の方においてあります。そして,ここに足を止める一番見学者が多いのも紛れもない事実でした。その機体とはB29型重爆撃機の1機,BOCHSCAR号。長崎に原爆を落とした機体で,原爆の実物模型などと併せて展示されています。説明では,この爆撃によって戦争の終結に貢献した旨の記述がされており,クルーの写真などと併せて英雄的な解説となっています。真珠湾攻撃やホロコーストのコーナーを設けるなどして,米軍側の正当性を説明する展示の仕方は,当然と理解しつつも釈然としないのも素直なところです。
さて,ここでおなかもすいたのでお昼を食べることに。空軍博物館のCAFEで食べものを買い込んで喰いますが,バーガー,フライドポテト,サラダ,ジュースなど,置いているメニューが前提としてジャンクフードです。ま,それなりにおいしいのですが,この食事は食べれば食べるほどカロリーが心配。友人や上司のなかには今回の訪米の報告をした際「アメリカ娘と仲良くなってこい」と言う人が複数いましたが,若い人はおおむね美人なのにその後は膨らむかしぼむかどちらか極端で...(以下自主規制)
さて,午後は現代機のハンガーです。いきなり,無人偵察/攻撃機としてアフガンで名をはせた,プレデター(1)が天井から吊り下げられていてびっくり。正面には次期主力戦闘機のF22ラプター(2)(プロトタイプのYF22ですが)が展示されていて,最新鋭機もどんどん公開していく姿勢には感心させられました。海軍機であるF14やFA18などは置いてませんでしたが,F86セイバー,F104スターファイター,F4ファントム,F5フリーダムファイター,A7コルセア,A10サンダーボルトU(3),F15イーグル,F16Fファルコンなどが所狭しと並んでいます。基本的にはどの機体も初期型やプロトタイプや初期型です。圧巻はB52フライングフォートレスがハンガーいっぱいにどっかり置いてあること。また,ここの売りとしてF117ナイトホーク(4)やSR71ブラックバードなど,開発当時はトップシークレットだった機体も置かれていることが特徴でしょうか。間に並べるようにして,友好国から提供された旧ソ連製の戦闘機,MiG15,MiG17などが置かれていました。
また,屋外には大型機を中心に展示されています。米軍の電子戦機や輸送機などが中心で,その奇妙な形態は子供の興味の的になってました。目に付くところでは,MiG23フロッガー,C130ハーキュリーズ,古いところではJu52などが有名どころです。
とまあ,飛行機,特に軍用機に興味がない人にとってはふーん,といったところですが,少しでもミリの入っている人なら,非常に興奮する場所ですので,お勧めします。日本からでは行く手段が限られるのが大きなネックではありますけどね(日本人いませんでしたし)。
この後,車にてぶんぶん氏宅に戻り,昨日と同様自炊パーティ。も,時差の関係か,夕方ごろからものすごく眠くなってしまい,帰りの車のなかや夕食の準備中ずっと寝てました。いやはや,自分の趣味で行きたいところに連れて行ってもらって,用が済んだら寝てしまうなんて,まったくもって失礼な客であります。要反省...
【備考】
本日はシンシナティを発ってワシントンに向かいます。朝3:45起床(^_^);なれど時差の関係でぜんぜん眠くありません(そりゃ昨日は夕方から爆睡してたもんね)。シャワーを浴びたりして身支度を整え,4時すぎにはぶんぶん氏宅を出発。彼に運転してもらって空港へ。2日間世話になったフォードトーラスセダンともここでお別れであります。
アメリカのレンタカーシステムはさすがというか洗練されていて,返却ブースみたいなところに自分で車を止め,時刻,燃料,トリップメータなどを記録してカウンタに提出する方法のようです。ちなみに,駐車場の出口には,勝手に出られないように出る方向にスパイクが設置してあり,ここを無理に通ろうとするとパンクするようで。うーむ,合理的といえば合理的。お国が違えばなんとやらです。
シンシナティの空港のボディチェックはかなり厳しかったです。例の靴を脱ぐやつのほか,パソコンにろ紙みたいのを近づけてなにやら調べてますが,はっきりいってなにやってるのかはわかりません。多分朝が早かったので,係員も暇だったんでしょう。お客少ないし。
飛行機はいままで乗ったうちで一番小さい機体でした。全部あわせて3列しかないプロペラ機(多分ターボファンではありますが)で,かなり低空を飛ぶために遊覧飛行の趣です。日本の短距離路線もこういうやつにすれば観光用にはいいのに,と思いますね。
ピッツバーグは今回シンシナティ=ワシントン間で利用したUS AIRWAYSのハブ空港のようで,同じ塗装の機体が山ほどとまっているほか,軍用の輸送機も数機駐機していました。
さて,ここからワシントンDCまではエアバスA320(?)約1時間です。搭乗は8時でしたから9時過ぎにはロナルドレーガンナショナル空港に到着(名前長すぎ),メトロ(地下鉄)に乗ってまずは市内にあるホテルに直行。メトロの駅は基本的に同じデザインになっております。設計費や施工費を節約する工夫かも。チェックインを済ませて荷物を部屋において身軽になってから,ワシントン市内に繰り出すことにしました。移動手段は基本的に徒歩ですが,街のサイズとしては自転車が丁度いいくらいです。
ワシントン記念塔を中心に,北側にホワイトハウス,西側にリンカーン記念堂,東側に連邦議会が配置されています。はじめに向かったのがホワイトハウス。でもあとでわかったのですが裏側でした。ここで消火栓を入れてホワイトハウスの写真を一枚。また,あちこちにリスがうろうろしていますのでその写真もとってみました。
次に徒歩にて公園内をあるきつつ,ベトナム戦争戦没者慰霊碑を通り抜けてリンカンーン記念堂へ。とにかくでかい宮殿様の建物に,これも巨大なリンカーンが鎮座ましましている姿は,まさに米国版奈良の大仏,といった風情でありました。大きな像を作りたがるのは人類の性なんだろうか...
朝鮮戦争戦没者慰霊碑に立ち寄り,通り抜けできなかったので引き返し,これも巨大なワシントン記念塔(高さ150m?)を経由して博物館街へ。途中には観光客や健康的にスポーツをする市民がたくさん。シンシナティや空軍博物館ではほとんど見なかった日本人らしき人も多数います。ふりかえるとホワイトハウスの正面玄関はこちらから見えます。また先に見えるのは議会議事堂とか。こういう遠いサイトを撮るとき,デジカメのオプティカル10倍ズームがフルに能力を発揮します。
さて,実はこの時点でかなり空腹が激しくなってきました。スミソニアン博物館に行くつもりでしたが,ここには通常の食事はない(ブランチ体験コース一名様40ドル弱はありましたが)そうなので,先に食事のできる航空宇宙博物館へ。展示物を無視してまずは食事であります。チキンのディッシュとシーザーサラダを注文,全般においしかったですが量を考慮しなかったのは失敗,マフィンの類は全部残しましたが腹はパンパンになりました。
航空宇宙博物館は,子供や大人が航空や宇宙開発の歴史を学べるように作られていて,宇宙開発の歴史や原理を模型や実験道具などを使ってわかりやすく説明しています。また,日本ではどこにも展示されていない(知らないだけかもしれませんが)太平洋戦争の経緯や戦闘記録なども事細かに記されていました。また,実物がふんだんに展示されているのがさすが米国国立てなもんで,宇宙コーナーでは月の石やアポロの着陸船,V2ミサイルなどが,航空機コーナーでは有名な戦闘機などの実物が展示されています。ここには零戦(三菱艦上零式戦闘機)もありました。戦闘機の写真ばっかとってますが(^_^);いくつか紹介。
歩き詰だったこともあって,途中食事をしたり休憩したり居眠りしたりしながら見学していたため,すぐに閉館時間の午後5時半になってしまい,他の博物館には行けませんでした。ワシントンを満喫したいなら,少なくとも3日〜1週間程度は必要なようです。
さて,さすがに夜までジャンクフードはごめんなので,中華街に行ってみることにしました。街によっては夜うろうろするには危険なこともあるようですが,比較的治安はいいのかな?家族連れなんかも結構いました。ここで注文したBEEF&VEGETABLEのDISHはこんな感じです。やっぱ盛り付けがジャンク風なのはどうしようもないところですが,味はなかなかおいしかったです。なんたってBEEFがふんだんなのがいいさね。
食後は徒歩にてホテルまで帰着,時差の影響もあってすぐに寝てしまいました。目がさめると夜の8時,もう一度寝直して朝3時。日本に帰った時の時差を考え,ここで起きてホテルのビジネスセンターに出てきてこの記録を書いてます。
【備考】
いよいよ帰国の日になりました。本日は(本日も)基本的に移動日です。ホテルを出てメトロ(地下鉄)の駅へ。切符を買っていると,現地の人がなにか言って切符を差し込んで行きました。どうも,ここの切符のシステムは再チャージができるようになっていて,数10セントのこっていた分をプレゼントしてくれたようで。あわててTHANK
U!
ロナルドレーガン空港でチェックインしたあと,ぶんぶん氏とスタバで軽い朝食。このあとゲートまで移動(結構遠い)してここでぶんぶん氏に別れを告げました。3日間,なにからなにまで世話になりっぱなしで,本当にありがとうってとこです。特に英語の聞き取りができない私としては,彼の助けがなければ一人旅はまだまだ不可能ってことがよくわかりました。ちょっとヒアリングだけは鍛えておかないといけなさそうです。
あとはノースウェスト航空のDC−9型旅客機で,ハブ空港のデトロイトへ。基本的に荷物は自分で運ぶため,お土産などはここまで買えなかったので,空港で手に入る範囲で少しジャムとか本とかを購入。マクドで軽い昼食をと思い,ナゲットとチーズバーガーを買ったんですが,どちらもポテトがセットだったみたいで,ポテトが二つ付いてきました。出発後出される機内食を考えると食べきれる量じゃないです...出国手続きはほぼなくここで搭乗,一路成田へ。
ここでハタと気が付きましたが,日付変更線を越えた関係上,本日はすでに11月5日,ということは,明日から早速出勤です...私,一日時差ぼけ解消日を見込んでいたつもりになっていて,結構ショックでした...火曜日の夕方5時頃に成田に到着,京成線にて帰宅。デトロイトのマクドナルドで買ったバーガーなどはこの日の晩飯になりました。
まったくの個人的旅行でしたが,通常の観光ツアーよりはナマの米国に少しでも触れることができたかなと考えてます。最後に,一般論になるかどうかはわかりませんが,米国旅行の印象として,以下の3点を記録して終わりにしたいと思います。
1 思ったより不便
食い物,飲み物は基本的にすべてジャンクフード。すべての食堂類がマクド(関西人なので)やケンタになったところをイメージすると大体正解。公共施設の食事スペースも全部ですよ。さすがにレパートリがすぐ尽きるので,ぶんぶん氏宅で自炊することでアメリカンスタイルを食することができました。コンビニ類もまったくなし。基本的に店によって値段はまったく違い,量販店はめちゃ安なのに市内の一般グローサーは日本より少し高いくらいのようです。空港はめちゃ高でした。カフェも地方都市では探さないとないし...(ワシントンでも日曜日はほとんど休み。でも月曜日に見るとそこらじゅうに店があってびっくり)
2 英語が通じず
相手が英語圏の人間ではないことについての配慮はまったくなし。早口ですのでなにを言っているのかはわからないです。テレビ番組なんかでも,字幕は出るもののキャスターがずっとしゃべりっぱなし。単語さえ判別できれば意味は難しくないのですが,空港やホテルなどではかなり困ります。べつにしゃべれなくてもいいけど,ヒアリングの能力だけは高めないと,と感じた次第であります。
3 気配り
事前のイメージはもっと個人主義なのかと思っていましたが,一般市民は,写真をとってたら視野に入らないように気を配ってくれるし,ちょっとぶつかりそうになっても自然と口をついて”EXCUSE ME”が出る人ばかりでした。社会生活を行ううえでの相互の配慮は教育のせいか行き届いていて,この点は日本に帰ってすぐに強く差を感じる体験を複数しました。ホントにその日の帰りの電車の中で...
ただし,逆に空港の店員とかのサービス提供者のマナーははっきりいってほめられたものではないようです。今回訪問した地方都市シンシナティ,首都ワシントンDCで,その傾向に違いはまったくありませんでした。最近の日本,特に都市部で忘れられてしまった互い配慮しあって遠慮する文化が,こちらではまだまだ息づいている感じでした。ま,そうでない地域とかもあるのかもしれませんが。