_ちょっと失敗したかな、、、、、、、

両手に持った買い物袋が手に食い込む。
さんさんと降り注ぐ午後の日差しが眩しかった。
額にびっしりと汗を浮かび上がらせたアタシは、
しつこいほどの暑さにうんざりしながら、ずるずると足をひきずって歩いていた。

少しばかし調子にのって本を買い過ぎてしまったことを悔やみつつ行く、放課後の路。
 

仕事までの小一時間。
浮いた時間を潰そうとぶらり寄った本屋で、
あれやこれやと随分と沢山の本を買い込んでしまった。
学術書、ドイツ語のペーパーバック、文庫に雑誌にマンガ。
本当なら郵送してもらえば良かったのだけど、
このあと暇つぶしに寄るつもりでいた喫茶店で読むモノが欲しかったから、
店員の申し出は断って、自分で持つことにした。
体力には少々自信があったし、
ちょっと持ってみた感じでは、それほど重くもなさそうだったのだ。
それに、久しぶりに何冊かの掘り出し物に出会えたのが嬉しかったというのも、
持って帰る事に決めた理由の一つだったかもしれない。
(就寝前の枕元にお気に入りの読み物をうずたかく積み上げる幸せ)
なんというか、まったく、その場の勢いというものは恐ろしい。

日本の夏。
それまでの人生の大半をドイツで過ごしてきたアタシは、
どうも感覚的なところで、日本の気候風土に今ひとつ順応仕切れていなかった。
更に言うと、ちょっとナメてさえいた。
きりきりとした午後の光線。
じっとりとまとわりつく南国の霧雨のような湿気。
午後の気怠く重い暑さの中で、
両手一杯に荷物を抱え込んだアタシは、侮っていた相手に手痛いしっぺ返しをくらっていた。
 

_それにしても、あっついわね、、、、、

「暑い」、「暑い」では芸がないので、
それ以外の言葉を思い浮かべようとするのだけど、どうも上手くいかない。
暑いものは、暑いのだから、どうにもしようがなかった。

_、、、、、

段々とモウロウとしてくるのが分かった。

今から書店にもどろうかとか、
いや、ここから戻るのはちょっとしんどいなとか、
どこかに宅配屋ってないのだろかとか、
こうなったら職場までがんばってみようかとか、
ぐるぐるとアイデアが浮かんでは消えて、それでも、足だけは惰性で前に進めていた。
その惰性がイケナイのだと分かってはいたのだけれども、
何故だか引っ込みがつかなくなってしまっていたのだ。
このまま次の目的地(よく行く喫茶店)まで辿り着けそうな気もするし、
いい加減、代替案を捻り出すべきのような気もする、、、、。
でも、、、、

_うーん、なんか足が止まんない、、、、、

本当はもっと臨機応変に融通を利かせられるはずなのになと、誰に聞かすでもない言い訳を思い浮かべた。

あまり建設的なコトを考えることもできないままに、
アタシはビル影からビル影へと渡り歩きつつ、商店街を進んでいった。
 

いいかげん手がひりひりと痛みだしたので、
右手と左手の荷物をそれぞれ持ち替えた。

それにしても、たかだかちょっと厚いだけのビニール袋なのに、
よくもまあこれだけの重さに耐えられるものだ。
いっそのこと本の入った袋が破れてしまえば、
思い切って全部投げ出せちゃうんだけどなと、アタシはちょっとやけくそ気味に考えた。

荷物を持ち直したせいか、鞄の中で空になったお弁当箱がからからと音をたてた。
くすぐったい音。
その音が聞きたくなくて、そっと静かに歩くことにした。
それでも、微かに鳴るかたかたという音は、しっかりとアタシの耳に入ってきた。

しつこいヤツだと、アタシは苦々しく思った。
 
 
 



しずく

:one hour between trains



 
 
 

ぐだぐだとどれくらい歩いたのだろうか、
商店街の中程まで来た辺りで、楽器店から出てくるシンジを目撃した。
どうやら、仕事までの合間、暇つぶしをしていたのはアタシだけではないようだった。
向こうではアタシに気付かなかったようすで、彼はそのままスタスタと歩き始める。
これは荷物持ちさせるチャンスかもと内心では思いながら、
自分から声をかける気にもなれずに、少年の白い背中の十歩ばかり後ろを黙ってついていった。
というより、忌々しいことに進行方向が同じだったので、ついていく格好で歩いていただけだ。

なんだか具合が悪かった。
なにしろ、傍から見たら、ツケて歩いているようにも見えるのだ。
どうも釈然としない。
第一、人の後ろを歩くのはアタシの性に合わなかった。
そんなアタシの気も知らずに、
シンジはこっちに気付くこともなく、黙っててくてくと足を進めていった。

ちかちかと眩しい光がビルの隙間から降り注いでくる。

_眩しいのは嫌い、、、、

ぱちぱちと明滅する光が、するするとアタマの中に入り込んできて、
本当なら目を背けていたい色々なモノが照らし出されていって、
そして、なんだかアタシはとても不安定になってしまうから、
だから、眩しいのは嫌いだ。

相変わらず、お弁当箱の中では仕切板が跳ね回っていた。
かたかたという憎らしい音。
その音を聞きながら歩いていると、
少年の華奢な後ろ姿が普段より小憎らしげなものに見えてくるから不思議だ。

全てアンタが悪いんだと言わんばかりに、アタシはじろりとシンジの背中に視線を刺した。

その時、不意に、彼が足をとめた。

いきなりの事にアタシは一瞬驚いてしまったけど、
なんのことはない、シンジはビデオ・CDレンタル店のウインドーを眺めているだけの事だった。
 

しかめっ面をしつつ、シンジに接近する。
どうやら窓に貼られていたポスターを見ているようで、
迫り行くアタシの気配が感じ取られるようなことはなかった。

ちょっと勢いをつけて、肩で少年の背中を押した。

「ちょっと、ナニぼんやり突っ立ってんのよ!」

白々しい声でアタシが言った。

「あ、すいません」

こっちの顔も見ずに、シンジが言った。

彼は此方には目もくれずに、ポスターをじっと見つめているのだった。
またまたしゃくに障ったけど、
取り敢えず文句を言うのは後回しにして(ただの言いがかりなのだけど)、
彼の肩越しにポスターをのぞき見た。

「、、、、ん〜、なになに、、、、、、。
第二新東京フィルか、、、、、なにアンタ、これ聞きに行きたいの?」

アタシがそう言うと、
彼はひどく驚いた様子で、珍しく機敏な動作で振り返った。

「、、、、、、、、、、、、、ア、アスカ?、、、、、ど、どうしたの?こんなトコで」

「どうしたも、こうしたも、アンタがボーッと突っ立ってるから、ぶつかっちゃったのよ」

不機嫌な声でアタシがそう言うと、
辺りにいた通行人が何事かとじろじろアタシ達を睨めまわしてきた。
ちょっと赤面してしまう。

「そ、そうだったんだ、、、ゴメン」

「、、、、ふん、別にいいけど、、、、、、、
アンタ、、、ゴメンはともかく、もっと他に言うべきことがあるでしょ」

「は?」

「ほら」と言って、アタシは両手に持った買い物袋をちょっと持ち上げてみせた。

「、、、ああ、そっか、、、で、何買ったの?」

「え?本だけど、、、、って、そうじゃなくて」

「、、、ん、何の本?」

「あー、まあ、雑誌とか、文庫本とかイロイロ、、、、って、そうじゃないって言ってんでしょ」

「え?じゃあ、、、、、何の雑誌?」

「、、、、あのね、アンタ、おちょくってんの?
この炎天下に、いたいけな美少女が大荷物持って難儀している。
これだけのシチュエーションが揃ってて、なんで『荷物持つよ』の一言くらいサラッと言えないのよ?」

「なんだ、そーいう意味か、、、、、、
そっちこそ、それくらいのことサラッと言えよな」

それから、「なんで僕が、、」などとぶつくさ言いつつも、シンジはアタシの方に手を伸ばした。
本当ならちょっとくらいはアタシも持ってやろうと思っていたけど、
あまりのぼけっぷりに腹が立ったものだから、鞄以外は全部手渡してやった。

「な、何冊買ったの一体。、、、これ、すごく重いんだけど」

そう言う割に、それほど重そうにしているようには見えなかった。
ますますしゃくに障ったので、アタシは黙って先に歩き始めた。
 
 
 



 
 
 

店内は異様に冷えすぎていた。

あまりの肌寒さに鳥肌を浮かべながら、
真夏に熱い紅茶を注文することの馬鹿さ加減を罵りつつ、
アタシは雑誌をパラパラとめくっていた。
各国から取りそろえた、色とりどりの衣服に雑貨。
トレンド情報、ブランド情報、新発売情報。
まったく日本の雑誌ってやつは、物欲を刺激することにだけは長けている。
 

低い、地鳴りのような音をたててながら、空調機が冷えた息を吐き出していた。

外は嫌になるほど暑く、
中はバカみたいに寒い。

_、、、ホント、バカみたい、、、、、、、

顔を上げて、ちらりと外に目をやった。
窓ガラスの向こう。
見ているだけで熱気が伝わってくるかのような、
じりじりと照らし出された陰影の濃い街並がひろがっている。

_、、、、やれやれ、、、、、

もう一度、あのじっとりとした暑さに舞い戻っていくのを億劫に思いながら、
アタシは向かい側に腰掛ける少年の様子を見やった。
 

「、、、、ちょっと、楽譜見ながらニヤニヤしないでよね、恥ずかしい、、、、」

先程から、シンジは恐らく楽器店で購入したのであろう楽譜を読み耽っていた。

「、、、、なんだよ、別にニヤニヤなんてしてないだろ」

「どことなくニヤニヤして見えるのよ、まったく」

そう言ってから、アタシは紅茶に口をつけて、雑誌を閉じた。
表紙には、不機嫌顔の女の子のモデル。
こんなブーたれを持ち帰ったところで、にらめっこの相手くらいにしかならない。
彼女はこのままココに置いて帰ることに決めた。
まあ、少なくともコレでちょっとは荷物が減ったわけだ。

「で、行くの?、、、あのコンサート」

「ん?、、、ああ、、、、ん〜、どうかな、、、、
時間取れそうもないし、、、チケットだって取れるか分からないし、、、、」

「そんなのミサトに聞いてみればいいじゃん」

「聞かなくても大体分かるよ、、、、、、」

「まったく、アンタんちのチャレンジ精神は一体どこに出かけてんのよ」

「別にどこにも出かけてないよ」

「じゃあ、寝たきりなのね、きっと」

アタシがそう言うと、シンジは楽譜から目を離して、顔を上げて言った。

「なんだよそれ、、、、、、、
どうしたの?、、、、ひょっとしてアスカも行きたかったの?」

「行きたいわけないでしょ、、、、ベルリンフィルならともかく。
大体アンタ、『アスカも』って、やっぱり行きたいんじゃない」

「、、、、、、、まあ、、、うん、ちょっとね。
あそこって、チェロのパートリーダーの人が凄いらしいんだ。
やっぱり生で聞いたら違うんだろうし、一度くらいは聞いてみたいかなって、、、、、」

いつもは色褪せた少年の口調。
その時だけはちょっと微熱を帯びていた。

「、、、、、ふーん、、、、ま、寝たきりってわけでもないのか、、、、、」

「だから、なんだよそれ」

「べっつにー」

よく分からないな、という顔をしてから、シンジは音符世界へと戻っていった。
 

雑誌をもう一度開く気にもなれず、
かといって新しい本を読み始めるのも違う気がしたので、
アタシは仕方なく窓の外に目をやった。

相変わらず、外は眩しそうだった。
それでも、街を行く人影の身長は随分と伸びてきている。
そろそろ、のんびりとした日常の時間は終わりなのだ。

暮れゆく夏の日は、いつだって少し哀しげ。

_まったく、、、、バカみたい、、、、、、
 

「まだ暑そうだね」

不意に、シンジが言った。

「そうね」

と、アタシが答えた。
 
 
 
 
 

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