蒸気がもうもうと立ちこめる浴室。
ざぷんと音をたてて浴槽から抜け出たアタシは、
髪の水気を軽くきってから、ぶるぶるっと体を震わせて水飛沫をとばした。
一日のスケジュールを終えた体から、
積もり溜まった疲れがふわふわと浮き上がってくるのが分かった。

そろそろ出ようかと浴室の出口に足を向けたとき、ふと、お風呂場の鏡に目がいった。
小さい、恐らく洗顔用に取り付けられた鏡。
かけ湯にくもりを拭き取られたその小さな四角いスペースに、
膝から腰までの体のラインが映し出されていた。
熱い蒸気の向こう側。
そこに浮かぶ雫を滴らせた自分の肌を見つめていると、
胸中でナニモノかがざわざわと不吉にうごめくのを感じた。
濡れそぼる、うっすらと生え揃った赤毛。
ここ一年の間に随分と丸みを帯びた腰つき。
そして、かつては中性的だった太股さえ、今では紛うことない女性らしさを湛えているように思えた。
 

自分がいわゆる美しい少女であることなどよく解っていた。
物心ついた時から、容姿を褒めそやされ、将来の美貌をもっともらしく予見されて、
そんな中、いつのまにか、それをまるで当たり前のモノのように感じるようになっていたから。
甘い果実にも似た羨望と賞賛。
美味に舌が慣れるのは早いものだ。

そして今、日毎に女らしくなっていく体。
その白い肌の下で萌芽しつつある何かが、アタシの精神の安定を揺るがしていた。
ほんの数年前まで、アタシは自分の肉体の隅々にまで殆ど満足しきっていたのだ。
なめらかな柔肌にも、均整の取れた肢体にも、自信に満ちあふれた素顔にも。

_けれども、、、、、、

「、、、、、、う、、っあ、、、」

唐突に、目眩を感じて、おぼつかなくなった足下がもつれた。
慌てて壁に手をつき、体を支える。

_のぼせたかな、、、、これは、、、、、、

意識の片隅では生理の周期を計算しつつ、
アタシは浴槽に腰掛け、シャワーの蛇口を捻って、足先に冷たい水をかけた。
しばらくそうして水に足を打たせておいてから、風呂場の窓を全開にした。
タイル張りの浴室を満たしていた蒸気が静まっていくのを眺めながら、自分の二の腕をそっとさすった。
柔らかく引き締まった、弾力のある、半分少女の、半分女の二の腕。
こりこりとした半熟果実。

その後しばらくして、顔を冷水で濯いだ。

_けど、、、、

けれども、果たして自分は魅力的な女なんてモノに本当になりたかったのだろうかと、
浴室の窓の向こうの夜空を眺めながら、アタシはぼんやりと思いを巡らせた。

ぱちぱちと瞬く夜空の灯。
散りばめられたつぶつぶ果実。

自分の体に触れる指先。

不思議な触感。
微かに漂うアタシの匂い。
そっと押すように触れると、押し返し、『ココニイルヨ』と自己主張する性のさなぎ。
この白い薄皮の下に、ぷちぷちと熟れた果肉が満ちているイメージ。

生きているアタシはどうしたところでひとところに留まることなんてできないのだと、
ふとそんなことを思った。
 

やがて、冷水にうたれつづけた足がしびれてきたので、アタシは浴室を後にした。
 
 

丹念に髪を乾かしながら、アタシは自分と目を合わせた。
洗面台の鏡は、今度はバストアップの構図にアタシを切り取って、
恐ろしいほどの冷たい正確性でもって、気怠げな、見慣れた表情を映し出していた。

乾ききった喉が音をたてた。
アタシは一杯の冷えたミルクを思い描いた。

なんとなしに、唇を引き結んでから口元に目を移した。
不機嫌な一文字。
それでも、つやつやとした唇は化粧をほどこさなくても十分に潤い、
うっすらと血の赤みをたたえて、少女らしい定まらない色気をふりまいていた。

ドライヤーのあげる唸り声が、ひどくうるさく感じられた。

もう一度、乾いた喉が抗議の声をあげた。
我慢した後で飲むミルクのおいしさを思って、アタシはその抗議を退けた。
 

少し視線を下げると、今度は、赤色のTシャツが目に入った。
サンディエゴ動物園の文字の下に、パンダの絵のプリント。
ジャイアントパンダ来園記念Tシャツ。
熊猫の文字とともに記された、1987という年号。
そして、描かれた動物の顔をユニークなものにしている自分の胸の膨らみ。

漠然とした脅威。

掴み所のない不安を感じて、アタシは切なげに眉を下げた。
 
 
 



しずく

:裸足で散歩



 
 
 

リビングに溢れる光。
ぱちぱちと瞬くテレビが賑やかな音を振りまいていた。

音は満ちているというのに、どことなく静かな居間。
その晩も、ミサトは泊まり込みだった。

だけどまあ、シンジと二人っきりになったからといって、
今更、騒ぐほどの何かがあるわけでもない。
敢えてそのようなコトには触れないでいるのが、
血のつらがらない同居人同士の不文律というものだ。
その辺の呼吸はわきまえていた。
お互いが内心で何を考えていたにせよ。
 

「お風呂、空いたわよ」

テレビの前に置かれたソファ。
そこに座るシンジの背中に、アタシは声をかけた。

返事も待たずに、キッチンへと入っていった。

冷蔵庫を開けて、牛乳パックを取り出した。
アタシ専用の500ミリリットルのヤツだ。
蓋を広げて、そのまま口を付けて飲んだ。
こーやって飲まないと、どうも感じが出ない。
ごくごくと喉が鳴った。
乾ききった喉に、甘く冷たい牛乳が染み渡っていった。

とりあえず半分だけ飲んで、
残りはテレビでも見ながらなどと思いつつ、アタシはリビングへと戻った。

シンジは先程と同じ体勢で、まだソファに座っていた。
アタシはダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。
辺りに漂う沈黙を埋めようとするかのように、せっせと音を吐き出すテレビ。
映っているのは車のコマーシャル。
月曜九時、、、、、、、、、、特に見るべき番組は思いつかなかったので、
チャンネル権を主張する気にもなれず、黙ってCMが終わるのを待った。

もう一口、牛乳を飲んだ。

CMが明けた。
画面に映ったのは、、、、どうやらホラー映画のよう。

_、、、なに考えてんだか、、、、

違和感を感じた。
確か、いつだったか、シンジがホラー映画は苦手だとかなんとか言っていたのを思い出す。
それを聞いたアタシは、「アンタらしいわね」とかなんとか答えたのだ。
アタシは別に苦手ではなかったけど、かといって好きというわけでもなかった。
こういうのを見てきゃーきゃ喚くのは大っ嫌いだけど。

「なにアンタ、、、いつからこーいうの平気になったの?」

アタシがそう言って声をかけると、唐突に場面が変わって、画面にはヌードシーンが流れた。
『脱いじゃった女は殺される(いちゃついてるカップルも)!』
太古の昔から受け継がれた、もはや退屈でしかないセオリー。

それにしても、お茶の間でお色気シーンが映ると、どうしてこうも気まずくなるのだろう。
そのせいなのだろうか、シンジは返事をしなかった。

「ちょっと、、、なに真剣に見てんのよ、ヤラシイわね、、、、」

またまた返事がない。

いい加減不審に思ったアタシは、少年の顔を覗き込もうと、ソファの前に回り込んだ。
案の定、シンジはうつらうつらと船をこいでいた。
何かに耐えているかのような険しい表情。
その表情から察するに、それほど楽しい夢を見ているというわけでもなさそうだった。
寝ているすぐ横でスプラッタな光景が展開されているのだから、まあ、無理もない。

「、、、、、まったく、、、、、」

そう呟いてから、少年の左手に握られたリモコンを奪った。
まるで女のように、なよなよとした白っちい手。
ぶよぶよと定まらない果実が詰まった、未だに不安定な腕。
それでも、生意気にも、幾らかは熟れ始めているのだろう。
アタシよりかは、幾分かがっちりとした造り。
こんな映画も観れないくせして本当に生意気だと、アタシは思った。

リモコンを持って、テレビの方に向き直り、
幾つかのチャンネルを試してから、害のないニュース番組を選んだ。

「ちょっと、こんなとこで寝ないでよね、、、、、」

再び椅子に腰掛けてから、大きな声でシンジを呼んだ。
直ぐ傍であまり楽しくない夢を見られているというのも、それほど居心地良いものでもないのだ。

「ちょっと、起きなさいってば」

アタシの声を受けて、ううんと唸った彼は、更に深くソファの中に沈み込んでしまった。

やれやれ。
 
 
 



 
 
 

「ねえ、風邪ひくよ、、、、、」

_、、、、ん?

「ほら、寝るなら部屋に帰った方がいいって、、、、、」

なんだろう。
これは夢だろうか、何故か、シンジに起こされているアタシ。
本当なら、アタシがシンジを起こしていたはずなのに。

「、、、もう、、、、体おかしくするよ、、、、」

そう言われると、確かに体がちょっと痛いような気がして、アタシは目をうっすらと開いた。
普通に話しかけるようなシンジの声。
こういうのって、大声で起こされるのより効いたりするから不思議だ。

「、、ちょっと、ほら起きて、、、」

「起きた、起きたってば、、、、」

しっかりと目を開けると、目の前には、汗をかいた牛乳パック。
静まり返ったリビング。
テレビは、、、きっとシンジが消したのだろう。
あまり深く寝入っていなかったのか、意識はそれほどぼんやりとしていなかった。

どうやら、ニュースを見ている内に眠ってしまったようだった。

「、、、、んん、今、何時?」

「ん、、、まだ十時前だよ、、、、」

シンジはそう言うと、アタシが飲み残した牛乳パックを持って、台所へと入っていった。
どうやらお風呂上がりらしく、少年が歩いた後をシャンプーの香りが付いていくのが分かった。

ぐっと背伸びをして、体をほぐした。
少しだけ、体に力が戻っているような気分。
ほんの三十分あまり寝ただけで、随分と体の疲れが抜けた気がした。
ついでにとばかり、座ってでも出来るストレッチをすることにする。
ぎしぎしと筋を伸ばしている内に、覚醒していく意識と体。

背中で手を握りながら身を捩っていると、シンジがキッチンから出てきた。
何故か、買い物袋を肩から下げて。

「何アンタ、こんな時間に買い物?」

「あ、うん、、、、。
明日の朝ご飯のパンを買い忘れちゃったみたいでさ。他に何も無いし、ちょっと買いに行ってこないと」

斜めに傾いだ世界にいる少年が答えた。

「あっそ、、、、ああ、そうだ、アタシ玉子パン希望」

「はいはい、分かったよ」

そう言うと、シンジは自分の部屋へと入っていった。
さすがに寝間着用のシャツと短パンでは外に出るのが憚られるのだろうか。
着替えたところで、さほど変わりはしないだろうに。

背中の手を放したアタシは、今度は立ち上がってストレッチし始めた。
なんだか段々ノッてきてしまったようだ。
腿やら、ふくらはぎやらの筋を中心に伸ばす。
複雑なポーズもなんのその。

少しずつ温まっていく体。
すると、
いきなりお腹が鳴って、足りなかった晩ご飯に対する抗議の声をあげた。
 

「じゃあちょっと行ってくるけど、他に欲しいものある?」

部屋から出てきたシンジが言った。
やっぱり、着替える前と全然変わってない。
あえて言うなら、Tシャツの文字が違っているような気がしないでもないけど、、、、。

「あー、待って。やっぱりアタシも行くわ」

「え、でも、、、買ってくるよ、何が欲しいか言ってくれれば」

「というか、お腹空いた。ファミレス行こう」

断定的に、アタシは言った。

「えー、、、ファミレスって、、、、おにぎりかサンドイッチじゃ我慢できないの?」

困窮した顔つきで、シンジは不満をあらわした。
彼にしてはめずらしく大袈裟な表情だった。

「いいじゃん別に。まだ十時前なんだしさ、ちょっと付き合いなさいよ。
、、、、、それともなに?、、アンタ、こんな夜遅くに、かよわい女の子を一人で歩かせようってーの」

気の利かない、情けない連れでも、この際、居ないよりマシというものだ。
夜も遅いし、贅沢は言えない。

「、、、そーいうわけじゃないけどさ、、、、、」

昼にも同じような台詞を聞かされたんだけど、
などとぶつくさ言うシンジを無視して、アタシは部屋へ向かおうと歩き出した。

「、、、ちょ、ちょっと、どこ行くの?、、出かけるんじゃないの?」

「着替えんのよバカ。、、、、いいからそこで待ってなさいよ」

「着替えるったって、ついソコまでじゃないか、、、、大体、たいして変わんないだろ」

どこかで聞いたようなコトを言うシンジに、
「うっさいわね、女の子は色々準備があんのよ、デリカシー無いわね」、
と返してから、バシンと大きな音をたてて襖を閉じた。
 

ああ言ってしまった手前、一体どんな格好をしたものか悩む。
「さて」と言って、アタシは頭を捻った。
 
 
 
 
 

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