昼顔  
 
 

昼前の静寂に満ちた更衣室。
着替えもせずにベンチにぐったりと腰掛けていたアタシは、
目の前の壁をじっと見つめているフリをしていた。
何らかの制約を自分に科さないことには、ナニをしだすか分からない。
そんな思いに囚われていたから、
ただじっと人形のように動かずにいることで、
自分という器の中から大事な何かが零れ出てしまわないようにしていた。

、、、、、そうじゃない。

本当はただ動けなかっただけなのかもしれない。
自分を見失ってしまいそうな恐怖感の真ん中で、
彫像のように固まってしまったアタシは、、、、、ただ動けなかったのだ。

_、、、、、人形、、、、か、、、、、、、

じっとりと汗をかきつつ、
ぐわんぐわんと唸り声をあげる頭を抱えながらも、必死に呼吸を整えようとあがき続けていた。
 

その時、ゆらりと揺れる空気の変化によって、アタシは誰かが更衣室に入って来たのを知った。
音は聞こえず、首を動かすことさえ出来ない。
ただ、それでも、その誰かがベンチに腰掛けたというコトを肌が教えてくれた。
そのヒトは、アタシから微妙な距離をとっているようだった。

知ろうとする気持が、まず、アタシに聴覚を返してくれた。
じっと耳をすませると、決してこの部屋が静けさに満たされていたわけではないことが分かった。
蝉の声。
開け放たれた窓の外から、大合唱が聞こえていた。
荒い呼吸音。
乱れきった息が不自然なリズムで吐き出されていた。
後は、、、、、、、、ぐるぐると回転を続ける意識の排気音が聞こえるだけだ。
、、、いや、、聞こえる気がする、、、、、だけだった。
 

「、、、、、アスカ、、、、大丈夫?」

聞き慣れたその声。
心配げにアタシを気づかう相手は、勿論、ヒカリだった。
彼女以外の人が追ってくるわけもない。

アタシには唯の一人しか友人はいなかったから。

_、、、、へー、本当に友達なの?、、、、
 、、、この少女趣味の、想像力の欠片もないような、お堅い委員長がね、、、、
 、、、、お友達?、、へー、、、、、

「、、、、ちょ、、、と、、、、、、まって、、、、、」

傷つけてしまえと、アタシの中で誰かが言った。

_衰弱したアンタをあざ笑いに来た、この偽善者を血祭りにあげるのよ、、、、、

「、、、うん、分かった、、、、」

ヒカリの声はとても優しげで、アタシの心に幾つもの波紋を生んだ。
ぶつかり合う波の様子がとても恐ろしげ。
見たくないモノを見てしまいそうで、お腹がきゅうっと締まるような感覚を覚えた。

_大丈夫、大丈夫、大丈夫、、、、、

もごもごと呪文を唱える。

ふつふつと汗が浮かぶのを感じた。
空調の利かない更衣室に、アタシの体臭が漂うのが分かった。
夏の空にちぎり浮かぶ雲のように、くっきりと密度の濃い女の匂い。
口を閉じているせいか、妙に匂いに敏感になっていた。

_大丈夫、大丈夫、、、、、、、

 大丈夫、大丈夫、大丈夫、、、、、、、、、
 

どれくらいの時間が経ったのだろう。

時間の感覚がふやけてしまっていた。
でも、相も変わらず蝉がわーわーと泣き叫んでいたから、
別にこの世の終わりが来てしまったというわけでもなさそうだった。
そう簡単に世界が壊れるわけもないのだ。
そう簡単には、、、、、、。

ヒカリが傍に来て、腰掛けるのが分かった。

「、、、、、、保健室行く?、、、、、、具合悪いみたいだけど、、、、」

「いい」

平板な声がアタシの口から発せられた。

「うん、わかった」

変わらぬ調子でヒカリが言った。
それ以上なにも言わずに、彼女はじっとしているようだった。

空調の利いていない室内。
微かに、肌をくすぐるかのように届けられる温度。
ヒカリの仄かな体温を感じ取ることができて、アタシは少し安心した。
すぐそこに誰かいるということが分かって、その事実を心が受け止めると、
ゆっくりと潮が引くかのように、動機やら、ぐわんぐわんする意識のうねりやらが治まっていった。
 

念のため、しばらくの間、面白くもない蝉のリサイタルを拝聴した後で、アタシが言った。

「、、、、、、、、もう平気みたい、、、、」

「うん」

「、、、、うん、、、、、」

「、、、、、良かった、、、、、、」

「、、、、うん、、、、、」
 
 

「今日は外で食べよっか? ほら、天気もいいじゃない」

しばらくしてから、ヒカリが言った。

「どうせ直ぐにベルが鳴るだろうし、ちょっと早めに場所取りに行こっか?」

無理してるなと、アタシは思った。
でも、彼女の好意の申し出を無下に断る気なんてサラサラなくて、
アタシは一回肯くと、こわばった体をほぐすようにして立ち上がった。
 
 
 



しずく

:昼顔



 
 
 

「アスカ、、、、」

「、、、ん、なに?」

お弁当の蓋を取ったヒカリが(相変わらず素晴らしいお弁当だ)躊躇いがちにアタシを呼んだ。
飲みかけのウーロン茶のパックを置いて、ヒカリの横顔に目をやった。
彼女がこういう声で話すとき、アタシは出来るだけシンプルな返事をするように心がけていた。

「、、、、、、鈴原やっぱり大変なのかな、、、、、、、
あんなにバスケット上手なのに、、、部に入らないのって、、、、」

「、、、、、、どうかな?」

「ほら、、、なんだか妹さんのお世話とかあるんだろうし、、、、、、
、、、、、忙しかったりするんだろうな、、、、きっと、、、、、、、、」

ちょっと俯き加減で話す彼女の肩の辺りで、お下げに結った髪が揺れていた。
頬がちょっと赤く染まっている。

「、、、ん〜、、、、そうなのかも、、、、」

「、、、それでね、、、、だったら、、、、もしかして、、、、、、、」

「もしかして?」

「、、、、、お、、お弁当とか、、、作ってあげたら、、、、喜ぶかな、、、、、」

この一連の会話は、ここ最近のアタシ達にとって、すっかり定番のものだった。
その日のアタシの答えも、お馴染みの返事だった。

「あったり前じゃない、、、、、
びしーっと、ヒカリ特製のお弁当を差し出してやれば一撃だってーの」

「い、一撃って、、、私、、そんなつもりじゃ、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、やっぱり、そんなつもりなのかもしれないけど、、、、それは、つまり、、」

「、、、ふっふっふ、、、その時は、ちゃあんとアタシの見てる近くで渡しなさいよね。
ここまで聞かせといて、『あれっいつのまに!』、なんてナシだからね」

アタシがそう言って、軽く肩を小突くと、ヒカリはおかしそうにくすくす笑った。

恥ずかしがり屋のヒカリにこのような気の使わせ方をさせてしまって、
(毎度のこととはいえ)アタシの胸はちょっと痛んだ。
随分と不器用で、あからさまな思いやり。
逆毛のアタシをやさしく撫でつける、そんな不思議な手を持ったヒト。
 

ヒカリが照れている隙をうかがって、アタシは鞄からお弁当を取り出した。
なんとはなしにヒカリに何か言われるのを恐れつつ、
ぐずぐずと心が強ばるような違和感を感じながらお弁当の蓋を取った。

_まったく、本当に「きょうの料理」でも見てんじゃないの、アイツ

きちんと綺麗に並べられたおかずとおにぎり。
俵型のおむすびが仕切の片側に三つ(なんとゴマが混ぜてあるものまであった!)。
おかずは、くるくる巻いた卵料理、ほうれん草の和え物、ポテトサラダとこんにゃくの煮付け、
そして、メインにコロッケが二つ(魚型の容器にソースまで入ってた!)納まっていた。
呆れ顔を浮かべつつ、アタシは卵料理に箸をつけた。

ヒカリと二人っきりで良かったと、心底思った。
 

「出汁巻き卵?」

「え?な、なに?」

ちょっと上擦った声で、アタシは戸惑いをこぼしてしまった。

「アスカが食べてるソレ、玉子焼きでしょ?」

「、、、そ、そう、、、そうなのよ、、、、うん、、、、ちょっと焦げてるんだけどね」

「そっか、でもおいしそう」

なんて答えていいか分からなくて、アタシは複雑な表情で玉子焼き(へー、そう言うのか)を頬張った。
ヒカリはたったそれだけの反応を見て、
それから一言もアタシのお弁当のコトは口にしなかった。
束の間の沈黙の後で、何気なく、たわいもないいつもの会話に戻っていった。

_ねえヒカリ、そういう感覚って、どうやって身に付けるの?

どこか懐の深いヒカリに、アタシは甘えてたんだろうなと、今ではそう思う。
ホント、アタシはそういった母性を感じさせるものに弱い。
不器用で、あけすけで、類型的で、退屈で、鼻につく、、、、、、、。
時折、彼女はちょっと眩しすぎるような、そんな存在でもあった。
 

「なんだかね、、、青木さんって、碇君のこと気になってるらしいよ、、、、」

「、、、、、、は?」

「だから、青木さん。
なんでも、碇君が音楽室でチェロを弾く姿を目撃して、、、、、
それからちょっと気になりだしたとかなんとか、そんなこと言ってたみたいよ、、、、、。
でも、ほら、彼女ってちょっと惚れっぽいトコロあるし、あんまり信憑性はないんだけどね、、、、、」

「、、、、、へー、酔狂な女もいたもんね」

青木は、先程バスケの班組で一緒だった三人組の一人で、
三人の中では最も控えめな、典型的なイエスマン(というかイエスガール)だった。
『はい』しか言えない従順な(フリをした)腑抜け同士、案外お似合いのカップルになるかもしれない。

「す、酔狂って、、、、、
碇君って家ではそんなにヒドイの?、、、学校だと別に普通の男の子に見えるんだけど、、、、」

「普通すぎるのよ、アイツの場合。
まあ、言ってみれば、キングオブ普通を目指してるっていうか、、、、ホント、ちょっとおかしいのよ」

「そうなの?、、、私にはよく分からないけど」

「分からない方が良いわよ、そんなの」

そっけなくそう言ってから、アタシはコロッケに手を伸ばした。
魚型の容器に入ったソースをかける。
ちょっと手が震えた。

箸をつけて、コロッケを一口サイズに切る。
アタシの好きなカニクリームコロッケだった。

「、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、アスカ、、、、、、やっぱり何かあった?」

アタシが答えるまで、ちょっとした間があった。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、これね、シンジが作ったの、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、うん」

「、、、、、まったく、ちょっと腹立つでしょ、、、、、こういうのって、、、、、」

「そう?」

「、、、、うん、、、、、、、、なんていうのかな、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、」

「、、、あれっ?あ、でも別に、ヒカリがお弁当渡そうとしてるコトとは関係ないわよ。
コレはほら、それとは全然別なんだから、、、、、、、」

「うんうん」

「うん、そうなの、、、、、でも、なんだかちょっと腹立つのよ、、、、、、こういうの、、、、、、」

「そっか」
 

_そうなの
 

ようやくその時、お昼休みの開始を告げるチャイムが鳴った。
 
 
 
 
 

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