「独学のすすめ 自分なりに生きよう

 

 <はじめに>
  新しい時代の要請に答える独学の精神

 大学紛争で何が問われているか

 昭和四十二年十月の羽田事件をきっかけとして、今日、大学紛争は百余の大学でおこっている。自民党政府は、それを解決するために、大学管理法を制定して、紛争を法律的に抑制しようとしている。法律的に規制することで、紛争をおこらないようにしようとしている。大学管理法案が議会で通過するかどうかということとは別に、大学紛争を法律的に規制しうると考えている所に、自民党政府やそれに連なる人々の甘さがある。
 もっと厳密にいうと、甘いというよりも、大学紛争に対する考え方が全く間違っている。大学紛争が何故おこったかという観察が全く狂っているといわなくてはならない。
 では、大学紛争はなぜおこったのであろうか。一言でいえば、今日の大学紛争は、学生達が大学教授達の学問の姿勢、学問の内容に疑問と不信を意識的、無意識的に感じとったところから起ったものである。いいかえれば、大学の学問そのものに拒否をしめすところからおこったのである。
 もう少しくわしくいえば、今日、私達をふくめて、人類は、人間が月にいくほどに自然科学を発達させているにもかかわらず、その科学のために人間は奴隷になり、科学の被害のために悲惨な状況におかれている。しかも、自然科学の発展に対して、人文科学、社会科学のおくれは甚しく、更にその荒廃と停滞はひどく、そのために、人類は終末への道を一挙にかけおりている感さえする。
 こういう事実の前に、殆んど、何等なすこともなく手を拱いている大学教授とその学問に対して学生達がナンセンスの言葉をなげかけたとしても不思議ではない。世界中の学生達が期せずして、同時に、立ちあがったことが、何よりもそのことを証明している。
 しかし、大学教授の学問の姿勢と学問の内容に疑問と不信をなげかけたのは、必ずしも、大学の学生達ばかりではない。長年、大学教授に指導され、大学教授の学問に依存してきた高校教育の段階でも、高校生達は、その教育内容に疑問をなげかけ始めた。この傾向が中学生達に波及するのも、時間の問題であろう。
 それこそ、人類文明の危機の前に、人間疎外を前にして、世界中の学生達がたちあがったのである。世界中の働く若ものと一緒にたちあがったのである。それも、高校生や中学生をもまきこんで立ちあがったのである。
 しかし、学生達がたちあがったといっても、これまでの学問を批判して、新しい学問の創造とそれに導かれた新しい道を歩み始めようとしたといっても、それは、まだ、第一歩をふみだしたばかりである。その道は、不可能に近いといってよいほどに至難の道である。学生達の歩みが成功するともかぎらない。しかし、現代文明の危機を前にし、人間存在の崩壊を直視した学生達は、何が何でも、大勇猛心をふるいおこして、その道を進む以外にはなかった。
 かつて、学生達は、抑圧されている労働者、農民のために活動するというのを、合言葉にしていた時代もあったが、今日では、自分自身のため、自分達のために、戦い、行動する以外になくなっている。現代文明の危機を感じとった者は、大人といわず、子供といわず、高校生、中学生といわず、学生達の行動に参加しなくてはならない。とくに、学生達の行動が実り豊かになることを念ずる人達は、その行動を導く思想、その行動を支える理論の前進と発展のために、可能なかぎりの努力を注入しなくてならない。それが、現代における学生運動が私達現代人にもっている意味である。
 今こそ、人類の終末を予感させる現実を前にして、私もあなたも行動をおこすときである。古きものの絶滅にむかって、戦いをおこすときである。

 既成の学問と思想はなぜ無力であったか

 今日、大学の学問は鋭く、その存在意義を問われている。教授の学問の姿勢と学問の内容は厳しく批判されている。それは、いうまでもなく、現代文明の危機を前にして、殆んど、その危機を克服できないほどに無力であるからである。しかも、学者達の多くは、そういう事実を前にして、殆んど痛みを感じていない。痛みを感じないことが、学者として、思想家としては失格であるということも自覚していない。自覚できないほどに荒廃しているということを知ろうとしない。知ろうとしないばかりか、現実の危機、人間疎外の悲惨をよそめにみながら、いわゆる学界での地位確立や出世に汲々としている。
 そんな学問は、学問の名に価しないということも考えようとしないのである。そういう学者に指導され、そういう学問に依存している一般民衆の悲劇はいうまでもない。学生達がそういう学者の現状に、全身で怒るのも当然である。たとえ、学生達に行きすぎた行動があったとしても、その行動を導きだしたのは、学者達とそれをふくめての大人達の現状であり、大学の現状であった。
 では、何故に学者達の多くは、学者達の学問は、現代文明の危機の前に無力なのであろうか。現代の危機を感じとり、その危機に積極的にとりくむ姿勢に欠けているのであろうか。現代の危機とは無関係のところに、彼等の学問を成立させ、そのような学問に没入するようになったのであろうか。
 誤解されることを恐れずに、その理由をズバリと言えば、学者達に、独学の姿勢がなかったということである。自学、自習の精神がなく、学問と勉強を混同し、理解力と暗記力があれば、学問はできると考えたところからきている。独学の姿勢、自学の精神がなくとも、学問はできると考えたところにある。考えたから、学問のにない手を、学校秀才に一任した。世間には、学校秀才でなければ、学問は出来ないという常識が支配した。
 たしかに、学校秀才は、理解力と暗記力に秀でている。しかし、独学の姿勢、自学の精神を学校秀才が必ずしももっているとはかぎらない。むしろ、彼等の中には、そういうものをもたない者の方が多い。学校秀才の中に、わずかにいる独学の姿勢、自学の精神をもった者が、日本の学問を支え、創造してきたといっても過言ではない。
 しかし、彼等よりも独学の姿勢、自学の精神をもたない、また、それを重要視しない学者達がずっと多く。そういう学者達が学問をゆがめ、学問を無力化した。しかも、その彼等が、圧倒的多数の故に、学問とは独学の姿勢なしにできるものであるという常識を確立さえしたのである。今なお、その常識を疑おうともしない学者達、それに同調する大人達が圧倒的に多い。
 ここにこそ、現代の絶望的なまでの悲劇が出現した。それはさておいて、独学の姿勢、自学の精神とは、自分自身を中心にして、自分自身の問題意識を出発点にして、学んでいくということである。それはいいかえれば、現実と対決する自分自身があり、現実の問題を解決するためにこそ、学問と思想が不可欠であるから学ぶという姿勢である。自分自身の課題を離れて、学問と思想は存在しない。自分自身の行動の延長にのみ、学問と思想は存在するという考えと立場である。
 だから、独学の姿勢、自学の精神それ自身の中に、批判力、思考力、創造力、意志力、行動力などが重要な位置をしめてくる。独学の姿勢、自学の精神は批判力、思考力、創造力、意志力、行動力があって始めて、成立するともいえる。ということは、現実の課題にむきあい、それを解決するための学問であるということである。今日、人類文明の危機の前に、最も強く求められているものも、人間が一人一人、そういう姿勢をもつことであり、更には、そういう姿勢のもとに行動をおこす以外にはない。独学の精神と姿勢のない大学院大学をつくるということは、いよいよ、大学紛争をエスカレートさせることである。

 独学の姿勢をもつとはどういうことか

 今日、最も必要な認識は、真の学問は独学の姿勢と自学の精神を持つ者のみがになうものであり、さらには、創造できるということである。このことは、従来の学問は、いわゆる学校秀才のみがやれることであり、それ以外のものは、彼等の学問を享受することでしかないという常識をうちやぶることを意味している。
 それこそ、学問は一人一人にとって必要なものである、一人一人誰でもが創造できるものだということである。誰でもが創造できないような学問、誰でもがその創造に参加できないような学問はどこかが狂っている。これまでは、一人一人が学問を創造できるように、その能力を開発しなかっただけである。
 人間一人一人が自立し、自らの幸福を自らの手ににぎるには、一人一人が独学の精神と姿勢をもって、学問を創造する以外にない。それは困難な道かもしれないが、それをやるしかない。しかもやってみれば、やり始めてみれば、これほど愉快なこと、楽しいことはない。容易なことはない。これまでの苦痛にみちた勉強が一度に消えていく。生き生きしたものになる。学問や勉強の奴隷でしかなかった者に苦痛が伴うのは当然だし、それから解放されれば、伸び伸びしてくるのも無理はない。
 この本は、皆さんの中にそういう革命をおこそうとして、書いたものである。もちろん、既に革命をおこしている者、おこそうとしている者も読むかもしれない。しかし、なんといっても、革命を念じながら、それにふみだす勇気と自信のない者の一助になればと思って書いたものである。既に、革命をおこしている諸君は、この本を積極的に、革命を念じながら、ふみだす勇気と自信のない諸君にすすめていただきたい。
 それが、今日の危機を克服する道に通じている。独学の姿勢と自学の精神に支えられない学問を人々の中から放逐することが私とあなたの仕事であり、義務でもある。そのためにも、自分自身の中に、独学の姿勢、自学の精神が深く定着するように、まず、自分の学ぶ姿勢を批判することから行動をおこそう。おこして貰いたいと思う。

   昭和四十四年九月

 

 序 独学時代がやってきた(1963年初版の序文)

 やりがいある独学・生きがいある人生(1965年版の序文)

 

 

     <目 次>

はじめに
新しい時代の要請に答える独学の精神
     大学紛争で何が問われているか
     既成の学問と思想はなぜ無力であったか
     独学の姿勢をもつとはどういうことか

第一部 ゆがんだ教育像・学校像
 第一章 若者をとりまく困難な環境のなかで
     欲求不満の親の願いをはねかえせ
     デモシカ教師を無視しろ
     貴方は教科書の被害者である
     いいかげんな文部行政が教育を蝕んでいる
     学校は何を教えてくれたか

 第二章 学校がつくりだす無気力な人間
     失なわれた生命力
     育てられなかった自発性
     能力がないということ
     作られる平均的人間
     放っておかれた感覚教育

 第三章 大学への幻影をうちくだけ
     没落した大学の栄光
     社会に巣食う大学の姿
     読書調査・意識調査にみる大学生
     劣等感を愛すべし

第二部 独学時代の思想と行動
 第一章 欲望と感覚と知識について
     欲望に根ざした問題意識
     欲望が支える行動力
     性感覚から生れる社会性
     行動と思想の統一

 第二章 独学は創造への道
     過渡期を生きぬく実力
     自分の学習プログラムをもつ
     知識から知恵へ
     創造的生活を送る

第三部 独学の心構えと独学の楽しみ
 第一章 独学を成功させる八つの条件
     独学の出発点は身近な所に
     土台づくりをさぼるな
     自分にあった方法をつかめ
     前進には試行錯誤が必要
     自分を生かした共同学習
     意志と闘志と根気と
     苦難に打ち克つ知的ヴァイタリティ
     遊ぶことの哲学

 第二章 すてきな独学
     自分の手でつかむ独学の味わい
     永遠の旅行者としての道
     自主性のある生き方を選びとる
     底力のある個性的人間
     欠点を武器にする学習法

第四部 生きた独学の人生応用
 第一章 職業人としての自覚された学習
     月給の奴隷からの脱皮
     仕事のなかに生きる情熱を
     開かれた企業意識
     妥協のない転職の姿勢
     実力がチャンスを左右する
     能力が生かしやすい小企業
     自立する農民の未来像

 第二章 女性が一人立ちするとき
     固定的なBGの職業意識
     職場の生活がつくる社会感覚
     趣味を生活のなかに活かす

 第三章 愛の絆が築く独学の巣
     恋人という名の勉強相手
     協同体としての夫婦像

 第四章 新しい生命とともに独学する
     妊娠から出産への不安を契機として
     赤ん坊を育てる感動と驚き
     幼児を通じて社会を知る
     わが子は未来へのかけ橋

 第五章 家庭を足場にした独学の実用
     雑多な主婦業をやり抜くために
     家庭経済から政治経済へ向ける眼
     井戸端会議の積極的な意味

あとがき  <1963年版では「第六章」と「あとがき」>
独学へ歩み出そうとするあなたに
     おのれの世界を征服する
     独学が破滅への道を救う

独学する人にすすめたい本 

 

 

                 <目 次>

 

 

   第一部 ゆがんだ教育像・学校像

 

第一章 若者をとりまく困難な環境のなかで

 欲求不満の親の願いをはねかえせ

 サラリーマン一年生になったばかりのP君が、晴々とした表情の中に一抹の不安をチョッピリのぞかせて、
「今の僕にとって一番うれしいのは、親達の“勉強しろ”“有名校にぜひ入ってね”という言葉をきかなくてもよくなったことです。中学生のなかばごろまでは、ただ、漠然といやだなと思う程度でした。おやじが“一流校を出ないとえらくなれんぞ”といっていた間はよかったのですが、“一流校をでていないとお父さんみたいになりますよ”といいながら、おやじにチラリと眼を走らせるおふくろと、それを情なさそうに聞いているおやじをみるようになってからは、なんともいえないいやな気持になりました。“勉強しなさい”という言葉をきくだけで、ゾッとしました。そんな言葉をきくたぴに、僕と親との間はどんどん離れていく感じでした。それに、僕は親達の期待に反して一流校にはいれなかったし、学校の成績もよくなかった。僕はいつか、親達になじまない、面白くなさそうな顔をして生活する人間になっていたが、それも入試に失敗したためとしか親達には理解できなかったようです。せめて、一流会社に入社してほしいという親達の願いはその後いよいよ盛んになるばかりでした。それが、私の顔を明るくする唯一の道であるかのように考えている風でした。それがだめと知った時には、僕以上におふくろががっかりしていました。おやじの方は、大変がっかりしているようでもあり、ホッとしているようでもありました。エリートからはずれた仲間意識が働いたのかもしれません。“あまり、気をおとすことはない”とすぐに力づけてはくれましたが、その声には、人生をあきらめて生きることにならされた人間の弱々しさというか、人生を力一杯に生きてみたことのない人間の空ろさが感じられました。僕はおやじの生き方をくりかえしてはならんぞと自分にいいきかせたものの、おやじのようにならない保証はどこにもないんだと思わないではいられませんでした。そう思うと、おやじとのこれまでの距離は一挙にうずまる思いでした。」と語った言葉は、今もそのまま印象深い。
 P君にかぎらず、親との間に、多かれ少なかれ、誰もが一様にこういういやなことを経験していよう。おそらく、貴方もその例外ではあるまい。
 P君や貴方を悩ませ、親達との間に不信感をつくることになった、「大学へゆかなければ」「一流大学にゆかなければ」「一流大学から一流会社に入らなくては」将来の生活安定から脱落してしまう、出世コースのバスに乗ることができないという頑固なまでの一般の執念は、新聞、雑誌の誌上で、いわゆる有識者達がどんなに口を酸っぱくするほど批判し、反対しようともどうにもならない。ゆるぐどころか、ますます強まり、受験戦争という言葉まで生まれている。
 どうしてそんな等と問うのは愚問といわねばならない。無智・無思慮という批難は受けるに価するとしても、親達にとっては、それもまた、必死な願いであるのだ。ほかに何の生き甲斐も見失ってしまった彼等としては、同情するに十分な、しかしだから、一層みじめな状態におちこんでいるのだ。
 出世と繁栄から見離され、もうすっかり先の見えてしまった親達は、その満たされ得なかった欲求の達成を子供に求めようとする。また、自分の満たされなかった悔しさを、今日のみじめな思いを、再び子供達に繰返させまいと、異常なまでの執心を示すのである。
「自分は学校を出なかったばかりに、係長どまりで定年を迎えねばならない」と思っている者は、能力においては自分とちっとも変わらぬと信じている(?)同僚達が、課長となり部長となるのを横目でにらみながら、「子供だけは大学を出してやらなくては」と決心する。自分が名もない私大出なばかりに、国立出の後輩に追い越されたと信じている親も同じこと、「息子は国立へ」の思いを堅くする。夫に望みを失った妻達の存在は、これに拍車をかける。彼等には、自分の育ってきた時代と現在の社会の相違がわからない。さらに未来に来るべき社会の構図も全くわからない。また、わかろうともしない。今日の次に明日があるように、子供の成人したころの社会も、今日の社会とさして変わりはしないような幻想を持っている。
 学校秀才という空虚な名を、大学出という愚かなレッテルを青春時代の代価とし、有名会社員という世間態のよい名の下に、五十才前後に訪れるかもしれない僅かな栄光を待ち望んで暮している親達。よそめには順調で幸せなとうらやまれるようなコースを歩んでいながら、実はやりたいこともせず、思う存分自分を生きるという、人間にとって何にも換え難い喜びを味わぬ人生。そこには全心身をゆさぶるような感動など、一かけらもない。創造的に生きる喜びを知り得なかった人間は、単に何かを所有する喜びしか見出せない。家庭の平和、会社のポストに執着するのも、家を持つこと、道具を持つことに一生懸命になるのもそのためである。しかも、こうした生き方に、何の疑惑を懐くことさえできない親達は、この貧しい幻影を子供達にも追わせようとする。その過程で、子供達の中にある、さまざまなよいもの、よい可能性が、一流校、一流会社という狭き門をくぐりぬけるための単一な能力を持つために放置され、人間性はゆがめられて、萎縮した人間にしたてられていく。人間として生きる喜びも感動も失わせられた人間群、それは欲求不満の親達の再生でしかない。
 P君は幸にして、親達のとりこにならず、そこをのりこえようとしているが、多くの場合、親達の口癖のようにもらす不満や愚痴、希望をそれなりに受けとり、知らず知らずのうちに胸のうちに育てていき、それが自分自身の希望であり、考えであるかのようになっていく。P君にしたって、彼自身が不安がっているように、父親の生き方に同じていく可能性は多分にある。欲求不満の親達のゆがんだ願いをはねかえしていくこと、そこに、多かれ少なかれ、そういう親達の子として生まれた貴方の第一歩があるといってよかろう。

 デモ・シカ教師を無視しろ

 欲求不満の親達に輪をかけたように、貴方に襲いかかったものは、デモ・シカ先生といわれる教師群であったろう。先生にデモなるか、先生にシカなれないというわけで、教師という職業につく人達の多いのを嘆いて、ひところ盛んに囁かれた言葉だが、現に貴方は、この恐るべき教師群に悩まされている真最中であるかもしれない。
 私もまた、このデモ・シカ教師達にひどく苦しめられた一人として、二十数年も昔の、中学時代のいまいましい事件を今もまざまざと思いだすことができる。私をはじめて、人間不信につきおとし、私をのたうちまわらせたのも、人間の愚劣さをとことんまでみせてくれたのも教師であった。試験の成績がいいというだけで、人間としての信頼をうけ、試験の結果がわるくなると、とたんに、人間としての評価まで下落するという、今日では一寸考えられそうにない人間観察が通用していた。私のまわりのデモ・シカ教師達には、青春期特有の感情の激しさ、起伏を、その内側にはいって理解できる能力と姿勢すらなかった。自らの青春時代を果たしてもちあわせたかどうか頭をかしげさせる人達であった。私の友人達はそのため、何人か学校を追われた。
 私が教師になったのも、不毛であった自分の青春時代をいたむ気持からであったが、十分に若い世代の力になれないまま、三年余りで私自身が教職を追われた。その後は、雑誌記者の立場から、学校教育を観察してきたが、デモ・シカ教師達にいじめぬかれ、ゆがめられているのは昔も今も変わらないという感想をつよめている。
 デモ・シカ先生の考え方や感覚は、欲求不満の親達のそれと同じものである。願って得られなかった思いが、学校秀才や一流校への評価を異常なものにしていく。試験の結果を病的なまでに偏重する。その結果は、教え子達への評価と理解を単一なものにして、彼等の中にある、さまざまなよきものを理解できないばかりか、ゆがめていくことにも平気である。もっとわるいことには、このデモ・シカ教師達には、一般社会人がもっている現代感覚や現代認識すら持ちあわせていない者が多い。教師はツブシがきかないとは、戦前からの古い言葉だが、批判力も十分でない子供達相手の生活を長くしていると、いつか井戸の中の蛙になってしまう。親達は子供達が可愛いいといって批判をてびかえる。批判しても、これまた、世間知らずの奥さん達が多い。教師達に、現代社会を生きていく上に一番必要なもの、最も重要な能力が何であるかを見究められないのは当然である。その結果、いよいよ、試験の結果を重視するようになる。こういう教師達に何が提供できるか甚だ疑問になってくる。
 たとえ、一人のすぐれた教師によって、何人かのすぐれた個性をさぐりだし、開発していくことができたとしても、数多くの無能な教師達によって、埋れさせられていく多くの個性たちの悲惨さは比べようがない。教師が直接に相対している一人一人が、決して再び生まれることのない一人一人の人間であり、しかも彼等めいめいが、最も大切な成長の過程を歩んでいるのだ。やり直しも、つくり直しも絶対にきかない、一生のうちの最も大事な一こまを握っているのが教師という職業だ。世間一般の大人達、個々の子供の親達は、子供全体に対して、当然それ相応の責任は持つべきだし、国家もまた、大きな責任を持つべきだが、だからといって、教師の持つ責任の重さや質はそれによって減じられることはない。ことに教師としての価値は、決して教師一個の持つ学問的能力や人間性とイコールではない。たしかに教師には教師としての特性が要求されるし、その職業に対する熱意と研究は、他の職業以上に厳しく求められなければならない。デモ・シカ教師達が不適格者であることはいうまでもない。
 荒木前文相が、道徳教科書を作らないという、道徳時間設置の際の松永元文相の約束をひるがえして、道徳教科書を作ると言明し、世論をわきたたせたことは記憶に新しいが、世論を抑えて、文部省は、道徳教育の手引書を昭和38年中に配布し、さらに、児童用として文部省の認可する副読本を全児童に使用させることにきめた。これの背景には、道徳の時間を設置したものの、どうやってよいかわからない、どう教えたらよいかわからない、是非よりどころとなるものをつくって欲しいという、現場教師の強い要望にもとづいたものだということである。それもほんの一部の声というわけでなく、五割をこえる比率をしめていたということは、どう割引きして考えたとしても、今の教師の実情をしめしているというしかない。これほどに非道徳的なことはない。
 第二次世界大戦直後、昨日まで、神国日本、日本必勝を説いていた教師達の困惑、苦悩は想像にあまるものがあった。“教え子を戦場に送るな”という言葉には、切実な教師の叫びがあった。しかし、それをすんなりとやりすごして、今日、その反対をケロリといっている連中がどんなに多いことか。こんな教師達にかぎって、教え子達の心の中に、土足でづかづかとふみこみ、その心を平気でふみにじっていくものである。
 この暴行と格闘するところに、不十分ながらも、私の人生は開けていったが、貴方の場合についても同じことがいえるのではあるまいか。
 以上のことは、小、中、高の教師についてのべたのであるが、大学教師の場合はどうであろうか。
 大学という所が学問の研究発展を目指すものとしてある以上、その研究、発展にふさわしい人間を大学に残すというシステム(現実の運営上には疑問もあるが)が建て前となっている。だが、現在、大学という場が当初の目標から甚しくへだたった地点にあり、極端にいえば、特殊な部科を除けば、それは就職の機会、条件をよくするための場を提供する機関となり下っている実情を思えば、(事実学問をしようなどと思って大学に入る人間の数はしれたものである。大半は、大学を出て何処に就職するかが問題であり、また、もっと勉強したいと口ではいっていても、大学に行けば、もっと色々なことを教えてもらえるといった気分でしかないようだ)そういう学生に接する教職者は、やはり、中、高の教師のような能力が必要である。旧制の高校、専門校のなかには、人間の生き方、学問の姿勢について説く、すぐれた教師達がかなりいたように思われるが、そのような教師達は、現在の大学には、逆に少なくなっているようにみえる。歴史と人間への厳しい愛情もないままに、時代とともにゆれ動き、学生の評判や人気に気をつかっている大学教師が多すぎる。その学問的立場というものも、自分と現実との対決のなかからとらえた問題意識に支えられ、貫ぬかれたものをもっている者が少ない。これでは妙ちきりんな学生や、デモ・シカ教師達ができるのもむりはない。こういう大学教師が貴方を堕落させるのである。

 貴方は教科書の被害者である

 我が国に学校教育の制度が出現した当時は、自由に選択され使用されていた教科書が文部省の認定した本に限られることとなり、さらに検定を受けることになったあげく、明治三十五年の教科書疑獄事件をきっかけとして、明治三十七年からは国定教科書が使用されるようになった。以後、第2次世界大戦後の昭和二十四年に、新しい検定制度による検定教科書が使われるまで、四十七年の間は、国定教科書時代であった。この期間があまり長いため、一般には、戦前は一貫して国定教科書制の下にあったと思っている者も多いようだが、そうではないのである。その国定教科書から検定教科書への移行のかげには、教科書採択をめぐっての、現在まで語り草となるような、汚職の黒い手が動いていたのである。
 戦後、占領軍の検定を受けた一時期を経て、文部省の検定による教科書が使用されることとなったが、この大きな利権の前に再び教科書汚職のいまわしい手が伸びてきた。そのため、公正取引委員会による過当な売込み競争を抑制する手は打たれてきたものの、一向におさまるわけもなく、先年も二、三の教科書会社が摘発された。しかし、これとても氷山の一角にすぎず、結局はウヤムヤのうちに終ってしまった。何といっても、現場の教師達が多数関係する汚職であってみれば、教育面への影響も考えねばならないが、つつけばつつくほど逮捕者がふえ、教育活動が一時中止にまで追いこまれそうになって、取締まり当局をあわてさせる一幕さえあったのである。
 私はここで、教科書売り込みにまつわる汚職を書こうというのではない。教科書を貴重なものとして、そこから多くのものを学びとろうとしてきた貴方を裏切って、教科書という商品には昔も今も常に汚職の匂いがするということをいいたいのである。私などにとって、教科書は畳の上におくことをいましめられた程に神聖な存在であった。その教科書がいまわしい存在であることを知ったときの私の驚きは大きかった。
 敗戦の時、占領軍に好ましくないとされて、教科書の文字をスミでぬりつぶしたT君は、当時小学校五年生だったそうであるが、「自分の心を真黒にぬりつぶしているような思いになった」と告白している。T君は、途中でとうとう、がまんできなくなり、教科書一面にスミをぬりたくったということである。教科書を深く信じて疑わないのは、何もT君にかぎったことではない。ある時期までの私もそうだったし、貴方もそうだったに違いない。こういう意味をもっている教科書の内容を、売るという目的に密着して、いとも簡単に書きかえることをやってのけるのが教科書会社である。かつて、(昭和三十年)日本民主党教科書問題特別委員会によって出された「憂うべき教科書」というパンフレットが世論をわきたたせたことがあった。このパンフレットは、当時発行されている社会科の教科書数種を槍玉にあげて、強引に批難したものであり、これと前後して、文部省の検定という名による教科書内容に対する干渉は、ますますその度を加えた。この時、パンフレットにあげられた教科書の著者達は、実情を訴えて、この横車と闘おうとしたが、その動きにそっぽを向いたのは、ほかならぬ、該当教科書を出版している会社自体であった。というのも、文部省からはあまり歓迎されなくても、検定を通ってしまえば売れる、という見込みがあったからこそ、抵抗のある教科書を作ることに反対しなかったものの、公けに、与党の手で指弾されることとなっては、さっさと手を引くという、会社側の態度が露骨に現われただけのことだったのである。もっとも激しく批難された教科書は、それを惜しむ現場の声をよそに、自然廃刊の道をたどらせられた。ここにはっきり見られるのは商業主義に引きずられての無定見である。教科書を作るのは教科書会社である。しかし教科書会社には教育上の実質的な主張も主義も皆無である。一般の出版社の中には、まだ、一定の主義・主張の下に企画を立てて、その出版によって主義・主張を表現しようとする貴重な存在があるが、逆にあるべきはずの教科書会社にはそれがない。あるのは売りたい欲だけである。教科書を著作する著者、編者には、それぞれに主張もあり、それなりの見識もあるのだが、彼等を選択し、依嘱するのは教科書会社である。売り込みの上に、また文部省の検定に合格する上に、都合悪しとなれば、彼等を断り、もっと都合のよい著者を据える。教科書編集の最中でも、平気でそれをやる。そして、ひたすら文部省の検定官、調査官の御意見ごもっともとばかり、仰合していく。教科書内容の主導権を握っているのは、僅か数人の調査官であり、この任免は文部省が行なっている。つまり一つかみの役人と儲けんかなの教科書会社経営陣の手で、教科書の内容は形づくられ、きめられているのである。試みに、戦後二十年間の教科書を並べてみると、このことはよくわかる。日本の社会も随分変わってきたとは思うが、教科書の内容の変貌には到底及びもつかないであろう。そこには、歴史の進展とは無関係に、単に時の権力者の権力のままに揺れ続けてきた醜い姿しかない。教育というものが、未来を背負う子供達の創造にあるという、忘れてはならない事に背を向けた態度だけが一貫している。
 教職を去った私は、一年に満たないみじかい月日であったが、歴史教科書の編集者として、これらのことを内側からいやになるほどみてきた。
 大分古い話だが、粉ミルクに少量の砒素が混入されていた事故が発見されて、重大な社会問題として新聞紙上を賑わし、話題に上ったことがあった。また小児マヒのワクチンが政府の手で用意されるまで、不安におののく母親達の政府に対する要求、追求は激しく続けられた。最近では、サリドマイド禍の子ども達、さらに身体障害者の身の上が、しきりに問題にされている。こういう、表面に形となって現われる問題について、人々はすぐに盛りあがり、大きく働きかけて解決をせまる。しかし、粉ミルク以上に恐しい害毒を与えるかもしれないことについては、私達はあまりにも無関心でありすぎる。現に、T君をはじめ、私も貴方もその被害をうけている。
 私達はこの被害を直視することをおそれてはならない。

 いいかげんな文部行政が教育を蝕んでいる

 現在、日本の義務教育は九年とされている。日本の国民の一人として、一人立ちにする最低の能力を身につけるには、どうしても九年間の学校教育が必要だと考え、その実施と普及にとりくんでいるのが文部省である。このことに関するかぎり、どんな外国にも劣らない、なかなか立派なことに見える。この九年間、じっくりと腰を落ちつけて、一つの目標の下に、まっすぐな道を歩みつづけるなら、さぞ収獲も多いことだろう。勿論、教育は一本道をつっぱしることができるほど単純ではないし、時には横道にそれるのも、わき見をするのも、実際上は悪いことではないが、基本線だけは、まっすぐでなくては、何をやっているのかわからなくなる。その、肝じんの文部省の方針がいつもグラグラと大ゆれにゆれたり、時には廻れ右をしかねない有様だから、道はジグザグどころか、トンボがえりも打たさせられかねない。そんな道を歩かせられている者は大迷惑である。
 たとえば、昭和二十三年、地方教育委員会の制度ができた。この制度によれば、地方の教育は、民主的に選ばれた地方の教育委員会によって指導され、リードされるはずであった。この当時は、教科書が民間出版社による検定教科書の制度になったころでもあった。それから八年目、教育二法と世間で呼ばれた法案の一つによって、地方教育委員の公選制は取りやめられ、任命制となったのである。一人の人間の義務教育期間にも満たない年月のなかで、勿論、はじめて行なわれた地方教育委員選挙が、比較的不適格な人を選んだ地域もあったろうし、地方教育委員会がはかばかしく活動できなかったこともあったろうが、とにかく、文部省は、この民主的な希望ある制度を、育成しようという熱意を見せるどころか、さっさと廃止してしまったのである。
 義務教育は九年だと、さきに述べたが、この九年間に文部省は、学習指導要領、つまり学校で教えることの内容を、しばしば変更するのである。時には、従来は小学四年生で習うはずだったものが、ある年から三年で習うことになったりする。切りかえの時期にあたる生徒達は、それまでの学習ペースを狂わせて、急きょ、その部分を補習しなくてはならなくなったりする。やらない筈だった道徳教育の時間が設置され、使わない筈だった道徳教科書を作るなどとケロリと演説する文部大臣さえ現われる。文部省には教育に対する定見も識見もないようにみえる。
 それに、時の政府、政党、あるいは政党内の派閥と文部行政とのおかしな間柄がある。戦後二十年のうち、占領期間の文人、学者文相時代を経て、講和条約が結ばれてからは、与党の代議士が文部大臣のポストにつくようになった。だが、この人選にあたって、教育に対する知識や識見どころか、何ほどかの関心の持主が選ばれたためしは少ない。大蔵・通産・農林・外務などの、いわゆる主要大臣のポストに坐る人間は、必ず何等かの経験・職歴を持っているのに対し、文相となる者は、文部政務次官の経験はおろか、衆議院の文教委員であった人すら少ないのは、雄弁にこのことを物語っている。文相のポストは、各派閥の勢力均衡の為のコマの一つに過ぎないのである。
 そこで、ある時期には、党の番頭を自ら名乗る男が文相の席を占め、ひたすら党のスポークスマンを勤める。ある時期は、グレン隊そこのけの発言をして、政府当局をあわてさせるような男が、三年間も居すわるようなことにもなる。
 道徳教育にもっとも意欲的だった荒木前文相などは、道徳ということを一体どのように考えていたのか見当もつかない。一般人としてさえ、その常識を疑われるようなことを、一国の教育をあずかる文部大臣という名の下に、平気でいってのけている。
「劣等民族は、先祖の努力がなかったからで、われわれはよくぞ、朝鮮人やアフリカ土人に生まれなくてよかった」にはじまって、ひろいあげたらきりがない。こんな人物が道徳教育をやっきになって進めようとしているということは、悲惨をとおりこして滑稽でさえある。だが、滑稽だといって、笑ってすまされないのが、貴方であり、私でもあるのだ。長い間、こんなにもいいかげんな文部行政の金しばりの中で生活することをよぎなくされ、いつか、そのいいかげんさが、貴方の生きる姿勢までおかしているのを否定することはできない。しかも、その鎖は一層強められようとしている。その結果、貴方の後輩はもっと蝕ばれようとさえしているのである。

 学校は何を教えてくれたか

 学校に行きさえすれば、学校で真面目に勉強さえすれば、何でも教えて貰えそうな錯覚を、長い間、貴方は持っていたのではあるまいか。もしかすると、今もなお持っているかもしれない。しかし、貴方をとりまく親達・教師達・教科書・文部省が以上のようなものであるということがはっきりしてくれば、学校教育に期待できるものも、自然にわかろうというものだ。
 これを証明するかのように、多くの人達が学生生活が不毛であったことをなげいている。Hさんなどは、自分の学校時代を語るときはきまって、現在の自分の未熱さは、すべて教師の責任だといわんばかりの憎々しい表情を顔一杯にみなぎらせる。彼女にはどうしても許せないことのようである。学校を出たばかりの人達をうけいれた職場が、学校を出ただけでは役にたたないとばかり、新入社員教育に躍起になるのも、その意図の半分は他にあるにしてもむりもないことだ。
 たとえ、すぐれた教師達が一生懸命になったとしても、今日の教育は中途半端にならざるを得ないという面がある。それは、学校教育という制度がもつ、宿命的な性格だともいえる。いわゆる穏健中立な国民を育てるという、国の教育目標の下に組みたてられた学校教育は、必然的に既成の価値に忠実を強いる。しかし、既成の価値がゆれ動きはじめている時に、その価値に対して忠実を強いる教育が、歴史に対して、どんなに不忠実であるか、現在から未来に向かって生きていこうとしている貴方にとって、どんなに不親切極まりないものであるかは、改めていう必要もあるまい。教育は中立でなければならないと、世の人々はいうし、むしろそれは常識とされている。だが現実に、教育の中立ということはあり得ない。今日のように二つの思想的、政治的立場が鋭く対立している時代においては、沈黙すら、一つの立場を表明することになり、結果的には、一つの立場にくみすることになる。だから、たとえば、小学校の低学年生に文字を教え、文章の組立ての基礎を教える際にでも、その素材として、どんな文章を選ぶかによって、その依って立つ立場の相違は現われてくるのである。それらのことに、すっかり蓋をしようとすれば、そこには、教育するのではなく、教育しないという立場しかなくなる。それを教育の中立ということにしたとしても、それすらも消極的ながら、一つの立場を現わすことになっているのである。
 戦時中、私をふくめて、戦中派の人々は、一つの思想を絶対無二のものとして教えこまれ、他の思想を否定はしても批判してみる姿勢すら教えられなかった。常に一つのものだけを強調し、他は悪いもの、劣ったものとする立場からは、何も生まれはしない。そこには、一人よがりの自信屋、コチコチの教条主義にこりかたまった人間しか生まれない。しかも、他の世界に関しては全く無智であり、同時に自らの依って立つ根拠も薄弱だから、一たん、駄目となるとさっさと今迄の立場を捨てて、相反する立場に移ってしまう。駄目だというのが、自分の考える能力の限界であって、自分の依ってたつ思想的立場の限界ではないことがわからないような、そういう人間を育てる。このことをはっきり掴むまでは、そういう男はどこまでも地すベりをつづける。戦後、奇妙な共産主義者、社会主義者が沢山生まれ、いつか消えていったのも、戦中、戦後を通じての、一つの思想を絶対唯一と教えられてきたその結果である。そういう思想的立場がどんなに不毛であるかも、今日の状況がよく説明している。
 戦後、私が教職についたことはすでにのべたが、当時の状況は、戦中の皇国思想にかわって、民主主義だけを教える立場と、社会主義だけを教える立場しかなくて、相対立する思想を同時に教えようとするものは、私の周囲には見当たらなかった。だからといって、一つの既にある結論だけを学ぶ愚劣さを思い知らされていた私としては、当然、可能な限り、教え子達の能力の許す限りで、民主主義、社会主義は勿論、日本の固有の思想を知らせようとした。それらの思想をできるかぎり学ばせようとした。
 このような学び方は、つまり、自ら学び、自ら選択するほかはないということを意味している。自分の運命と幸福を自らの手で切り開こうとする者は、この学習の選択を避けては一歩も進むことはできない。そう考えれば、自ら学び究めなければならないことが、如何に多くあるか、知らねばならぬことがどんなに沢山あるかを知るはずである。生きている限りは学び続け、究め続けなければならないということも教えられるであろう。時代が激しく動き続け、かつてない速さで発展し展開しているなかで、自分が愚かであれば、尚一層、学ばねばならないことを教えられるであろう。
 現存する学校教育が、中立という名にしばられて、こうしたことを殆んど教えてくれないとすれば、自分で学ぶしかないはずである。たとえ、学校の教師達が、その可能なかぎりの力をもって、正しい理解力、洞察力、判断力を示してみせてくれたところで、所詮、それは本に書かれた範囲の中で、教材の研究過程の上で見せてくれるにすぎない。ごく例外的な教師が、学校や学級経営で、学生会や生徒会の実際的運営で、すぐれた能力を示したり、学生会や生徒会で実地に訓練することができたとしても、それは特殊な状況の枠内でのことであって、一般社会の、複雑で予想しがたい状況の変化には、到底、比べようもないのである。利害のからみあい、人間心理のからみあいの複雑さ微妙さに対しては、ちょっとぐらいの理解力や分析力、洞察力では歯も立たない。これらの力は、現実の場と取り組んで、とぎすまし、肥やしていく以外には、身につきようもなく、発展させようもないものだし、これでよいということもない。どれほど尨大な知識を持っていようとも、正確無比な知識を貯えていようとも、それだけでは有効な力を発揮することはできない。これらのことは、教師をやめて後に私自身思い知らされた。私が自分の教育活動に本当の反省を加えることができたのも、やめてからであった。果たして、教え子達に何を提供できたであろうかという反省から、今なお解放されないのが現在の私である。
 学校教育を受けた者、その期間の長い者ほど、本や教師にもたれかかる傾向が強いのは、学校教育の大きな欠陥を暴露していることになろう。教えてくれるものに限度があることに気づかず、そこに何でもあるような、それで十分なような錯覚を持ち、そこにおんぶする。自分自身で考えてみようとせずに、知らず知らずに教師にまきこまれてしまう。自然、理解や批判を抜きにして暗記にかかる。暗記して、それで終りである。学ぶ対象がすぐれたものであればある程、教師がすぐれた場合にも一層、そういう傾向になり勝ちなのも皮肉であるが、結局、対象にすっぽりはまりこんでしまうからである。
 貴方も、こういう経験を何度か体験したと思うが、学校で教えてくれること、教えてくれないことをはっきり見究めることが必要である。

 

             <独学のすすめ 目次> 

 

第二章 学校がつくりだす無気力な人間

 失なわれた生命力

 歴史についての貴方の知識は、どんな時代にあっても、世の中を前進させ、多くの人々の暮しを導き、発展させてきたのは、強じんな生命力と、その生命力に支えられた激しく粘り強い行動力、その行動力を導いたたしかな知力であること、まして、今日のような過渡期にあっては、混乱と分裂をうけとめうる、さらにたくましい生命力を必要としていることを貴方に教えてくれた筈である。その知識がどんなに貴方の血をたぎらせたかも容易に想像できる。
 しかし、現実の学校教育は、現代が要求するものとは甚だかけ離れた、いや、むしろ、それと反対の方向の人間を育てる機関であるかのように貴方に臨まなかったであろうか。集団生活という秩序を守るという名目の下に、貴方に与えられたのは、ガンジガラメの規則の網に弊われた生活ではなかったろうか。貴方は学校時代、思う存分生き、思いきりやりたいことをやって、その全身をたぎらせ、燃えあがらすことができたろうか。スポーツで体験した者もあるかもしれないが、そうでないときには縮こまっていたのではあるまいか。中学、高校生という若い世代において、自然の生き生きとした息吹きの上に、花開こうとしている、生ある者に与えられた当然の生命力も、現存の秩序に忠実に仕えさせられ、現存のルールの中に強引にはめこまれてしまっては弱められ、いしゅくするしかあるまい。文字通り、ちっそくさせられている。
 現実の生活にはめこまれた枠を枠とも感じないほどに弱められた生命力からは、ほどほどに規則を守り、ほどほどの成績をとり、ほどほどに自分を傷つけぬように立ち廻って自分を守る姿勢しか生まれない。自分に厳しく立ち向かうことも、自分の中にあるものを直視し、解放する気力すら失なったみじめな自分を、貴方は意識したことがなかっただろうか。悲しみと憤りをもって考えた経験はないだろうか。何時も何かに追いまわされている、何時も縮こまって、体裁を整えようとしている自分を感じたことはないだろうか。素裸の自分と向かい合ったと思える時、生命力にあふれた若々しい本当の自分の姿を自分の前に引きすえたと言い切れる時があっただろうか。
 長い圧しつぶされた学校生活の結果、貴方の知力は、貴方自身の欲望や感覚から、ほぼ完全に切り離され、単なる頭脳活動に終わらされていたのである。そして、この期間に、若い奔放なまでの生命力は牙をぬかれ、大人の現存する社会に適合する小大人に造り変えられていくのである。
 こうしてできた小大人達が、それは貴方達の姿でもあろうが、大学生となると、一度は従来のルールに対し反動的に反発を試みようとする。その中の何パーセントかの学生は、新しい思想と新しい倫理を求めて、飢えた者のように動き廻る。だが、残念なことに、彼等には、多くの価値の中から自ら選択し、それをじっくりと学び究める姿勢ができていない。やみくもに、せっかちに、ただ、今在るものを探し求め、先輩の造ったムードの中に浸りこみ、機械的に反体制の思想らしきものと倫理らしきものに盲従し、あるいは盲信して突進する。大学とは、まずなによりも、新しい思想と新しい倫理を創造する場であり、それへの意欲と姿勢を育てるところであるという認識が十分になされていないからだ。そのため、突進した行く手に大きな壁が見えてくると、全くあっさりと、そこから足を抜き、次の枠の中に自らをはめこんでいく。
 高校時代に、現実の社会の矛盾には全く関心のなかった秀才たちが、いともたやすく全学連の指導者の位置につき、次にはケロリとして忠実なサラリーマンとして、会社の下僕となっていく事実を見て、貴方は不思議に思ったことがあるかもしれないが、それは決して怪しむに足りないのである。彼等の生命力や知力が、既に中学、高校時代に狂わされてしまっていることを考えなければ、それは当然である。
 現在の機構では、せめて、大学時代にこそ、自分をとりかえし、ゆがみにゆがんだ中、高校時代を再検討して、いしゅくした生命力とそれに支えられた行動力を批判して、本当にそれらを導くに足る知力を自らのものにしていく機会なのであるが、多くの学生は、そういう地味で忍耐を必要とする努力をやろうとしない。それより、学校教育によってゆがめられたままの欲望や感覚を、栄養不良、呼吸困難のままにしておいて、卑少な、万人の最少公倍数的ないじましい欲望をみたすことに向かおうとする。従来のガンジガラメの規制からの解放感に酔って、勝手気ままな遊びの生活にのめりこみ、それで若さや生命力を取り返しでもしたような錯覚に陥る学生が多いのである。
 貴方が大学に行かないで社会に出るならば、職場生活の中で、仕事を通じて、失なったものを回復していかなくてはならない。ともすると、職場の現状は、それをますます失なわせていくという常識が支配しているが、これもまた、学校教育の中で、身につけた、ゆがめられた常識ということができよう。
 貴方がもし、これまでに、狂わされ、失なわされたままの生命力をそのままにしていたとすれば、当然それを取返すべきである。そして、その生命力と貴方の知力を直結させることである。そうすれば、貴方の知力は一新する筈である。幸いにして、人間の生命力というものは、一度は必ず、奔流するものらしい。その奔流を本当に自分のものにするために、自らの内側に蓄えるべきである。衝動的、反動的な反発を支える程度の生命力は、何も生みだしはしないことを、貴方自身もよく知っているだろうから。

 育てられなかった自発性

「そら試験だ。受験だ。内申書の成績だ」と騒ぐ親達に監督され、教師と参考書とテストペーパーに追いまわされて、機械的にやらねばならない勉強が、どんなにやりきれない、ゆううつなものか、貴方もよく知っていよう。灰色の壁にとりかこまれたような空ろなもの、それが勉強というものか。お尻をたたかれて追い上げられる所が学校というものなのか。
 そこの所をグッと我まんしてやっていれば、次第に馴れてくるし、そこを我まんする態度がどうしても必要だ、また大切なことでもあるのだと、世の教師達や親達は、さかんに強調する。その我まんもできないような気ままな人間、忍耐力のない人間は成功できない。何故なら、世の中には、じっと我まんをしてやり通さねばならないことが、あまりにも多いと大人達は説明する。
「世の中は、常に我まん、忍耐が必要だ。どうも、近頃の若い者は我まんが足らない」と、きこえよがしにいう大人の声を耳にしたことが、貴方にもあるかもしれない。要求することを悪と教えこまれ、忍耐を美徳とうえつけられて生きてきた大人達がそういうのは無理はないとしても、その過剰な忍耐のために、一人立ちして生きていく人間に必要な自発性、自主性がどれほど多く失なわれていったかを直視することを忘れてはならない。試験にうかるまで、学校を出るまで、いい会社に入るまで、会社でいいポストにつくまでと続けてきたはずの辛抱であっても、それが仕事や学習の機械的なくりかえしを日常化する結果を招き、個性的な人間を凡ような大人に仕あげてしまう。
 親や教師や学校に飼いならされ、会社の枠の中にしばりつけられて、はては自分のやりたい事、好きな事さえはっきりしなくなってしまう。自分から進んで何かをしようという態度とは縁遠くなる。試験や入学のための勉強、ここから、いつか、彼等の中に奴隷根性がめばえることになる。勉強そのものを目的にできなかった人間は、自らの仕事をまた目的にすることができない。その仕事は、生活費をかせぐための、つかの間の遊びやスポーツのための費用をつくりだすものに転化する。仕事の奴隷になるしかない。
 本当は、勉強したいという気持がおこるまで、何かについて興味と関心がわくまで、放っておけはよいのだ。そんなことをしていたら、何時まで経っても学ぶ気持など、おこらないのではないかと心配するのは、人間というものについて、よほど無智な人達であろう。人間、ことに子ども達ときたら、興味と関心の固まりみたいなものである。じっとしてはいられないで、何時もウズウズしている。それを、やれ、「危ないことをしてはいけない」だとか、「それは子どもの考えることではない」とか、「学校の勉強も放ったらかして」などと言ってぶちこわし、子ども達が追求しようとし、観察しようとしている対象を取り上げたり、問題の扉を閉ざしてしまったりするのが、教師や、親達なのだ。子ども達が自ら発した疑問や関心に、自分達で取り組もうとする自発的な学習の姿勢の芽を、はじめから摘み取っているのである。そうして、子どもは勉強をしない、黙っているわけにはいかないなどといって、強制することが教育というものであるかのように思っている。だが、子ども達の姿を見るまでもなく、自分の興味と関心に結びついた勉強は、他から強制される、されないに関係なく、どうしたって、やらずにはいられないものであり、途中でやめようもないものであることを、誰でも、自分の僅かな体験から推察できるはずである。
 長く、何もしないでブラブラしていると、退屈してしまって、何かしたくなったという経験を貴方ももっていよう。好きな勉強の喜びを味わった者は、長く勉強を遠ざかっているとつまらなくなる。貴方もきっとそんな経験をもっているに違いない。
 逆に、試験のため、入学のために、がまんにがまんを重ねて勉強してきた者は、学校を出て、本当に勉強をはじめなくてはならなくなった時に、例外的な人を除いて、勉強しなくなるということは、学校教育にゆがめられた病痕の深さをしめしているということがいえる。もっとのびのびと成長していたら、やりたい事、したい事に思いきりぶつかって、それに取りくみなしとげたに違いない人達がだめにされているのである。
 自発性が育たない学校の教育環境の中で、自発性を育てるためには、そのための特別な環境が必要であると考えた私は、高校教師のかたわら、中学、高校生を対象にした塾教育をはじめた。この塾は、この教育に理解をしめしてくれた数十人の後援会費で維持され、起居をともにする塾生からは、その食費の実費だけを徴収した。勿論、彼等だけの完全な自治制度であり、これに参加することそのことが彼等の自主的判断と希望によるものであった。私の仕事の中心は彼等のための環境づくりであり、その環境とは、彼等の心を多角的に鋭角的に刺激し、彼等の感情や感覚をその最も深い所でゆさぶり、つき動かせるような条件をつくりだすことであった。「協力者、助言者」のところでものべるが、私はまず塾生と古今東西のあらゆる分野の人物との対話を可能にするように志し、できるかぎりの伝記類を用意した。大いなる生き方、すぐれた思想とむきあわせることによって、彼等の共感と感動をひきだそうとした。感動した人物から、さらに進んでその思想にまでおよべるように努力した。また私が最もおそれたのは、塾生が一つの思想でこじんまりとかたまり、その思想だけで武装してしまうことだった。現代を支配する主な思想は、平均して彼等が接しられるように、また接するようにもしむけていった。
 例えば、コミュニズムを本当に理解し、徹底的に自分のものにしようとすれば、現在はともかく、将来大学にいったときは必ず、フォイエルバッハから、ヘーゲルまでさかのぼって追求するようにいったものだが、当時一塾生はある有名なプロレタリア作家(現在故人)に私のいったことについて批判を求めたところ、私の意見をあっさりと迂遠なものとしてかたづけられ、迷っているのが明かに見られた。こういうとまどいの中から生まれ、育ち、自分のものになっていったものこそ、はじめて彼のものだし、長い時間をかけて、私が作りだそうとしたものである。勿論私が塾教育で意図したものは自発性や内発性だけでなく、中心はやはり、現代に生きる生活者として、行動人として、真に自分に密着し、自分をつき動かし、社会をつき動かしていけるような知識と姿勢を彼等のものにしていくことであった。
 この教育はまがりなりにも、彼等一人一人の中に一つの核のようなものを育てつつあったが、二年あまりで、政治的圧力が塾生の父兄におよんで閉鎖をよぎなくされ、結局中途半端に終ったものであるが。

 能力がないということ

 学校時代の教科の好き嫌い、得手不得手ということは、教科の内容とは無関係のところで、偶然にできた気分以上のものでないことはあとでのべるが、悪いことには、いつかこの気分を固定化してしまい、そこから生まれた個々の成績がその能力であるかのような錯覚に陥っている。それというのも、中学時代に、こうして得た評価が高校から大学へ進学にすすむにつれて、いよいよ重みを加えて、その人の人生コースを決定するほどの作用をなすからである。進学しないで、すぐに就職する者にとっても、このことは変わらない。
 試験の結果がその人の能力をあらわし、その能力の差が人間の差でもあるかのような考えが世の中の人々を支配している。「僕には、そんな能力はない」「私には自信がありません」という言葉が日常いくらでもきけるのはそのためである。それほどに自分の能力に自信を失なっている者が多い。その不信は大抵学校時代に芽生えたものである。平均的人間に作られていく過程で、よい芽を育てることができなかったばかりか、自分の能力に対する自信まで喪失させていっているとしたら、学校とは一体なんだということになろう。
 読み書きの能力が何かの都合で遅れたために、算数や理解の能力がないと断定され、自分もそう思いこむ例はいくらでもある。一、二割がせいぜい学校秀才といわれ、一流校が一割もないとすれば、わざわざ学校にいって、自分がだめだということを教えられにいくようなものである。しかも、学校で評価される能力は、記憶力、理解力どまりの単一な知的能力であることが多い。そんなもので、自分の生活をちぢこまらせているとしたら、あわれとしかいいようがない。
 貴方がそんなものに邪魔されていなければ幸いだが、果たしてないといいきれるだろうか。もしも、貴方がその一人であると考えるなら、それがどこから生まれ、いつごろからそれにとりつかれたかを考えてみなくてはならない。
 人間の能力は学校時代に考えたり、ちぢこまった大人達が考えたりするほど単一なものではないし、固定したものではない。社会人として必要な能力には、学校で考えられる知力・学力とは別に、それと同じ程度に重要な役割を果たす能力がいろいろとある。正確に他人を評価してその人の能力をひきだせる能力、人をひっぱる力、人を動かす力にはじまって、行動力、意志力、ものごとにとらわれない能力と、あげていけばきりがない。知力・学力にしても、行動力や意志力に支えられないかぎり、十分に社会的な力にはならない。人間的魅力とか、責任感とか、好ましい人柄などは、それ自身能力とはいえないが、人間関係においてはすぐれた能力として作用するものである。体力もその一つである。これらの諸力が統一された時にこそすばらしい力になることはいうまでもない。
 知力・学力が人間能力の中心的位置をしめるにしても、それはあくまで、人間諸能力の中の一つでしかないことを知らなくてならない。まして人間の頭脳活動などは、使えば使うだけ、育てれば育てるだけ盛んになっていくものである。能力の有無は仕事にとりくんでみて治めて、わかるものだ。好きな仕事、面白い仕事にとりくんだ時、頭脳は本当に活動するものである。
 私は中学二年生のとき、教師の授業に忠実でないということで「貴様のような奴は、まともに世の中をわたれん」と、さもにくにくしげにいわれ、ついで、四年生の時は、教師のニックネームをいった友人の代わりにその責任を問われて、乱打されたあげく「お前は人間の屑だ」とまでいわれた。見ようによっては、彼等のいうことはあたっていたともいえる。中学校はやっと卒業したし、今なお社会の邪魔者のような生活をしている。
 しかし、現在の私はその当時の生き方の延長にあって、現に生き、思う存分とはいかないまでも好きなように生きている。結構愉快に生きている。かえって、まともに生きている誇りと自覚さえもっている。やりたい仕事にだけ情熱をもやしつづけて生きてきた。彼等がいったよりも、世の中はずっとのびのびしていて、いろいろに生きられ、魅力もあり、窮屈でもない。

 作られる平均的人間

 学校なんて、一つの事に全力を傾け、他の事は顧みないというタイプの人間には、甚だ都合が悪くできている。反対に、満遍なく、どの学科にも一応の関心をしめし、平均してよい点数をかせぐことのできる人間にはおあつらえむきになっている。つまり、好悪の感情が比較的薄く、もしあったとしても、それを抑え、さまざまな欲望についても平均的な人間が高く評価されるところだ。
 こんなことを一度は貴方も考えたことがあると思う。そして、にがにがしく感じたことであろう。
 もともと、小学校や中学校での学科の好き嫌い、得手不得手など、実は大変いいかげんなものである。特に小学生の場合は、時間割で、次は何の時間だとか、明日は何の時間があるなどといっているが、国語の時間では何を学びとるべきか、算数では何を学ぶのかについて、あまり明確な知識はもちあわせていない。そのころに既に、あの時間は好き、この時間は嫌いという気分だけは持ちあわせている。その時間によそ見をしていて叱られたとか、発表の時誰かに笑われたとか、教科の内容とは全く別なところで、その時間がいやになったり、嫌いになったりしている。好きという場合も、同じような理由でしかない。音楽の授業や美術の授業に特別熱心な先生の担任するクラスでは、ほとんどクラス全員が音楽や美術の時間が好きだったりする。子ども達を音楽の世界、美術の世界に解放してやれる教師の能力があるからである。しかも、学校では、この偶然好きになった時間の教科そのものを本当に好きにさせてくれる配慮もないし、偶然嫌いになった時間の教科といえども、一応の点数をとることだけ強制して、ますます嫌いにする。そこに、なんとなく、得手・不得手も生まれてくる。本当の意味での教科の好き嫌いでなく、ほんの気分的な好き嫌いの気持を固定化させてしまうのである。これでは、何か一つの教科に熱中し、何も彼も忘れて取り組むという態度は、生まれようも育ちようもない。
 中学から高校にかけて、たまたま、好きになり、面白くもなって、一つの教科に夢中になって他の教科を省みないでいると、きまって注意される。甚しい時には、その教科の先生から「僕の教科だけでなく、もっと他の教科もやらなくてはだめだ」と水をさされる。その教科と他の教科との関連をあきらかにして、関連教科をやっていないと、その教科もあまりのびないことを教えてくれないで、機械的な訓誡しかしない。教師の頭の中にあるのは、どれもよくできる平均的能力だけである。
 そして、平均点のよい生徒が、優等生となり、いわゆる均衡のとれた人間として、好ましい人間として、才能のある人間として、社会的にも評価をうけるのである。
 たしかに、こういう人間は、一応ソツのない、何でも一定はこなせる人間として評価はできる。しかし、考え方によっては、これほど平凡でつまらぬ人間はないともいえる。AでもBでもCでもよい、いくらでも差しかえのきく人間である。こういうタイプの男が秀才として、ことにハバをきかせているのが役所という所だ。課長、局長のポストに誰が坐ろうと一向に変りばえしない。彼はやり手だ、腕ききだといわれたところで五十歩百歩だ。あの仕事は誰でなくてならないということがない。課長や局長の椅子が仕事をしているようなものだ。それほど、彼等は学校秀才として平均化されているのだ。
 この平均化された学校秀才達が構想する学校教育であれば、平均的人間をつくることになったとしても不思議はないが、そのために、好悪の感情の強い、激しい個性の持主たちが、それ成績だ、進学だという手カセ足カセの中で、折角のよい芽をだめにしていることは悲劇といえる。
 ことに、中学から高校時代にかけて、その感受性は鋭く開花する。開花した感受性は、到底じっと、がまんして入試のための無味乾燥な勉強をつづけうるような状況ではない。まして、“デモ・シカ先生”たちに、彼等を指導する力はない。彼等の多くは、はじきだされる。はじきだされないまでも、不毛な高校生活を送るようになる。そして、中、高時代、鋭い感受性を開花させることもなかった平凡な者達が、受験勉強に没入し、秀才となり、奇妙な栄光をになうとしたら、滑稽としかいいようがない。
 貴方はここでもう一度、自分が平均的人間に作られなかったか、そのために、良い芽を育てないままに終っていないか、じっくり考えてみる必要があるのではないか。

 放っておかれた感覚教育

 生命力を阻まれ、自発性を奪われ、感受性をゆがめられてきた貴方も、試験試験に追いまわされた結果、知的教育だけは、そこから生まれた自己の能力不信とは別に、それなりに成果をあげたように思っているかもしれない。しかし方向を失なった知的教育の当然の帰結として、感覚教育の分野まで侵害し、貴方の感覚を放っておくことになった結果については十分知っているだろうか。
 音楽・美術・文学などの芸術教育の第一のねらいは、感覚教育だといっていいものだが、一部の学校を除いては、大抵、芸術を知識としてしか教えようとしない。教え子達の感覚に直接うけとめさせ、感覚を刺激し、開発しようとする教育を行なっているところは少ない。そこには、音楽や美術・文学についての解説や説明しかないため、教え子達の感覚は鋭くもならないし、みがかれることがない。かえって知識偏重の結果、その試験の影響の下に、感覚の発展を阻害している場合が多い。
 芸術は本来、よどんで、未分明な、動物的といっていい状態にある欲望と感覚を刺激することによって、その状態から解放して、人間としての欲望や感覚に、さらには、人類としての欲望や感覚にまでみがき、たかめていってくれるものである。
 文学を通じて、すばらしい人間群と其の世界に共感し、感動した時、そこにどんな欲望がおこり、どんな感覚が働くか、説明をまつまでもなく、貴方にもよくわかっていよう。
 また、音楽を通じてとぎすまされた感覚は、その共感と感動をもっと強烈にするであろうことも、美術を通じてきたえられた美感は、その共感と感動を脳裏にはっきりときざみこむことも知っていよう。反対に、試験のための音楽鑑賞がいかに心を暗くするものかも知っていよう。そして音楽そのもの、美術そのものまでが嫌いになったりするのである。
 この三者が相互にどうかかりあうかについては、はっきりこうだと断定はできないにしても、つねに人間の感覚を育てる役割りを果たすであろうことは断言できる。
 ただその場合、音楽や美術がどんな内容の感覚を開発し育てていくかはきまっていない。それをきめていくのは音楽や美術の内容である。楽しい感覚といっても、人によって異なる。何を楽しいと感じ、何をさびしいと感ずるかは、その人の感覚をそれまでに共感させながら開発してきたものの内容による。私達がどんな内容のものに接するかということの意味の重大さをこのことはしめしているし、芸術教育が、その素材に何を択ぶか、慎重さを求められる点でもある。そのいい例は、権力感覚と奴隷感覚をもっとも多分につぎこむことに成功した戦前の教育である。
 社会科教育にしても、本来自由、平等の感覚や人権感覚を育成することが第一義的ねらいである筈だが、それらが知識としてあたえられる傾向にある。義務や責任の感覚、人間の社会的感覚を育てるはずの社会科教育になっていない。
 芸術や社会科を知識としてしかうけとめていないデモ・シカ先生達に感覚教育をのぞむこと自体、ないものねだりかもしれないが、いいかげんな感覚教育に終っているから、動物的欲望や感覚しかもちあわせないような、それに自分をゆだねてなんとも感じない半人間を育てる結果になるのである。デモ・シカ先生といえば、デモという感覚、シカという感覚はもっとも貧弱な感覚の持主ということになる。知識の場合、その不足はかえって知識欲をおこすものだが、お粗末な感覚は、そのお粗末さを感じとることもないし、それから脱したいという気持をおこさせることもないから、全く始末にこまるといっていい。こういう貧弱な感覚の持主に接していて、感覚がなんとかなるわけがない。だめにされなければ幸いだ。しかも、こういう先生が、折角の良き教師達の教育活動にケチをつけ、阻んでさえいるのである。
 戦後の音楽教育なども、戦前の教育にくらべて、格段の前進はあるにしても、器楽・鑑賞・創作・理論などと発展することによって、ますます知的教育の面をつよめることにもなっている。まだまだというしかない。専門家教育でない一般教育の場合、百の知識よりも、十の技術よりも、人間の内部にある一つの感覚を深くゆさぶることができるなら、音楽教育は大成功だといいきれる。
 貴方のうけた芸術教育をふりかえり、自分の芸術観を整理してみることもむだであるまい。私はかつて教師時代、芸術教育を柱にした教育課程を全学年にわたってつくろうと二年間主張しつづけたが成功しなかった。芸術教育を重んじるということには賛成しても、全教科の中心に芸術教科を置くことには私の周囲の教師達には到底がまんがならなかったらしい。

 

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第三章 大学への幻影をうちくだけ

 没落した大学の栄光

 大学という言葉のもつ意味は、時代と共にだんだん変わってきている。明治年間の大学生は数からいっても極めて少数だった。大学にはいるためには、すでに、よほどの金、財産がなければならなかったし、学力の質がどうだったにせよ、それは一般よりはるかにぬきんでていなくてはならなかった。
 だから、大学を出た人間のコースも一応安定していたばかりか、卒業と同時に彼等は支配階級にくみこまれていたから、一般庶民にとっては高嶺の花的存在でもあった。生活環境も違い、それだけの収入も得ていたし、まがりなりにも、自分で考える姿勢とそれに必要な最低の基礎知識も得、訓練も経ていた。
 しかも明治時代は、日本近代の抬頭期として、その価値観が決定的に対立し、相いれることがないほどに分裂している時代ではなかった。彼等は、意見の違いはあったとしても、同じレールの上をつっぱしっていたといっていい。
 大学生は将来の国を背負う者として、世の中から優遇されていたし、彼等自身もまた、それだけの自覚をもち、それだけの学問をしようと少なくとも努力していた。大学生はまさにエリートであった。
 だが、大正末期から、昭和初期の不景気時代には、「大学は出たけれど」という言葉もはやるほどで、大学を出て就職のできぬ人々が多数でた。大学生の位置は徐々に低下していたが、此の頃から歴史の転換期にはいり、価値観をめぐる対立は徐々に現われはじめた。当然、大学人と大学生はその渦中にはいり、新しい価値の創造にとりくむものと、時代の流れに無批判的に流されるものとの対立相剋時代を生みだした。彼等のエリート意識は変質を迫られていた。即ち、時代に流されている者達は、歴史の転換期を指導できない人間として、新しい価値を創造しようとしている者達は、未だそれを創造していない人間として、ともにエリートの位置をあけわたさなくてはならなかった筈である。だが、そういうこともないままに、彼等のエリート意識は一様に依然として強く、世の中もそれ相応に遇していた。そして、このエリート意識が、すべてを書物から観念的に学ぶ態度と相俟って、彼等を国民大衆から断絶させ、現実から断絶させ、新しい価値を求める彼等の動きさえも空廻りさせ、不毛なものにしてしまったということがいえる。
 第二次世界大戦を導いた戦争勢力の前に、どういう理由があろうとも、完全に敗れ去った時、彼等のエリート意識もエリート的位置もすっかり没落したのである。大学人と大学生の権威はなくなり、あとには、わずかに、その栄光を横目でにらみつづけてきた庶民の見果てぬ夢が、マボロシのように大学の栄光を支えたにすぎない。それに拍車をかけたのが、戦後の教育制度の改革によっておこった大学の拡充による拡散である。
 戦後、大学人の最大の課題は、没落した大学の権威というか、学力、知力をその無力、弱さから解放することであったが、逆に、彼等は、その無力、弱さを助長する方向に働いた。大衆社会状況は大学人の間に最も深く浸透しているといったらよいかもしれない。卒業論文のテーマは指導教授の好悪に影響され、そのイデオロギー的立場によって、テーマを拒否されることがいくらでもおきている。学生達もそれを深くあやしもうとしない。大学人の中には、学問の自由の基本的姿勢すら喪失しているものが多い。そして大学の自由をひたすら法的根拠に求め、自由は創らるべきものであるという基本線すら確立していない者があまりに多い。それでいて、奇妙に、純粋、純潔ということが好きな人達である。
 今では、同年令四人のうち、一人は大学生となり、金さえあれば、誰でも入学できる。中学生程度の学力の大学生はいくらでもみられるようになった。
 もはや、大学生は完全に特別な存在ではなくなった。にもかかわらず、未だに大学生を特別視し、大学生を特別待遇する風潮は、決して無くなってはいない。遇する方も、遇される方もそれを当然のことのように思っている。それが正当であるかないかについては、不思議なほど吟味せずに。
 大学が一部の人達の独占物でなくなったことはよい。だが、大学が大学として、本来の学問する機能を喪失することほど、国と国民にとって不幸なことはない。既に公民館的地位にまでなりさがった大学でありながら、その幻影を追い求め、あるいは、その幻影におびえているとしたら、どちらもどちらだといえる。
 貴方が大学生であろうとなかろうと、この事実を見究めることが大切である。大学生であれば、大学が学問をする機能をとりもどすように学問すべきだし、大学生でないならば、思いきり自由な学問を求めて飛躍すればよい。必要なのは、大学生という身分でなく、学問する姿勢である。大学に行ったために、いいかげんな勉強で満足するより、大学に行かなかったことから、勉強しなくてはならないという意欲をもつ方が、ずっとましだともいえる。

 社会に巣食う大学の姿

 大学生を親のすねかじりと考えるのは一般的だが、今では、親のすねを直接かじらない学生もかなりいる。親のすねをかじるのは、子どもとしてあたりまえのことで、気にすることもないことだが、大学生が中高卒生に養われているとしたらどういうことになるか。
 一人の大学生を四年間教育するために、国が補助している金額は、国立校の場合、相当な額にのぼる。なかでも、東大生の場合は一番多く、年間三十六万円が一人当たりに出されている。四年間で実に150万円の金額である。これが国民の税金でまかなわれていることはいうまでもない。私立大学にも、それほどの額ではないにしろ、補助金は出されている。
 この税金には、中学・高校を卒業してすぐに社会に出て働いている人達の中から、たとえ、わずかにしろ支払われた金も、当然ふくまれている。つまり、同じ年令、いや、もっと年少の人達によって、大学卒業後は多少とも有利な職業につき、高給も得る予想の下に大学生活を送っている者が援助されているということになる。これは何とも奇妙な現象といわねばならない。
 大学生のなかには、それ以外に、奨学金制度によって、在学中に育英資金の貸付けを受けている者が相当数ある。この金も国家資金でまかなわれており、これを受けた者は、大学卒業後は返還する義務を負っているのだが、積極的にこの金を返そうとしない者がかなり多い。既にその数は四十万人を越え、三百億円にものぼる金額が、こげついているといわれている。恩恵は受けるが義務は果たそうとしない、それですませられる感覚を育てたのが大学というところになる。
 既に早くから社会で働くことによって、社会に寄与し、税金を払うことによって国家に寄与し、それを通じて大学生を援助している、中高校卒の就職者達の中に、ただ大学生であるという理由だけで、大学生に対してコンプレックスを抱く者が多いのは納得できない。大学生としてのエリート的位置を、すっかり放棄してしまった大学生、しかも被援助者である大学生に、援助者がコンプレックスを持ついわれは見当たらない。しかも、大学に行かない者に対して、意識的、無意識的に差別感を持ち続けている大学生は、大学生としてのエリート的地位が失墜してしまっていることすら認識できない、お粗末な頭の持主なのだから、それに反発することも、反応を示す必要もないはずなのだ。
 自分の援助者に対して、いわれのない優越感、差別感をもつのは、国民の公僕であるはずの公務員がのさばっているのに似ている。のさばる方にも、のさばらせる側にも、共に責任があると考えなくてはなるまい。
 大学生が帰郷運動といって、町や村の人達のめざめにお手伝いする運動にしたって、彼等の援助で学生生活を送っている大学生としては、当然のおかえしである。それを特別なこと、すぐれたことなどと考えるのは、何かが狂っているしるしである。町や村の人達はうけるべき権利をうけているにすぎない。
 学生が学生としての学校生活をさぼっていることは、国民の血税を不当に消費しているということにもなるし、学生達が警官たちにむかってなげつける税金泥棒という言葉は、まず、自分達にむかってこそ吐くべき言葉であるかもしれない。意外にそういう学生は多いのではあるまいか。学生達とわたりあう警官達の多くは、学生が受ける補助額程度の月給しかもらっていないとなると、これは一体どう考えたらいいのであろうか。
 私も学生時代にはいろいろのアルバイトをやったが、学生服は決してきなかった。それは今の学生達が学生服よりも、背広に魅力を持つのとは違っていた。勿論私が着たのは、背広でなくて労働服だったが、労働に徹したいためだった。アルバイトの気持で自分をあまやかしたくなかったためである。そのことから、私は偶然にも、働く人達の本音をきくことができた。現実には、指導階級になることは、殆んど鎖されているに近いところにおかれている人達の心の底にあるものにふれることもできた。許されることではないが大学生におそいかかる時の平警察官達の気持がわかるのである。わかったといってもいい。大学生はもっともっと謙虚に自分の立場をみつめるべきではあるまいか。

 読書調査、意識調査にみる大学生

 ここに、大学生はエリートではない、特別な存在ではないことを示す一つのデーターがある。これは、今から数年前の東大の五月祭に発表された東大法学部学生の読書調査と意識調査である。
 東大といえば、エリート中のエリートとして、自他共に許していたかつての地位は、今日もなお崩れ去っていないようである。たしかに、立身出世への保証という点からすれば、そういっても通用しそうな状況ではある。しかし、そのときの東大法学部生二千百六十名に対して行なわれた政治意識、生活意識の調査(回答者千百十三名)に現われた限りでは、彼等が完全に知的エリートの地位を返上してしまっていることがわかる。勿論、私の見たのは、その当時の「週刊朝日」に紹介されたもので、その正確度、詳細さについての不安はあるが、大体の傾向はつかめると思う。
 先ず、将来の社会的役割はどれに近いかという質問に対して、革命の推進者と回答した者は全体で2・7%、学年別にすると一年生の4・1%が最高で、最低は三年生の1%となっている。職業を通じての漸次的改革者と答えた者は51・8%だが、これも学年別にすると、上級生になるにしたがって、市民の立場を通じての改革者、批判者(全体で26%)の数が多くなっている。この違いがどこから生まれたかあきらかでないのは、この調査の一番欠陥でもありお粗末な点であるが、一年生の4・1%が学問的研究に裏づけられたものでないことは、二年生三年生と進むにつれて減少していることによってもあきらかであるし、また、半年や一年で学問的裏づけができるわけもない。すでにのべたように、高校時代の秀才たちが反動的に大学のムードにひたったに違いない。二年、三年と減少していったのは、学問的研究をすすめていくうちに、ふるいにかけられて残った結果の数なのか、それとも、別に新しくその立場にたった者達によって多く占められているのか、そこの所がわからない。もし、研究の結果、自らたしかめ、その立場にたった者の数がこれだとすれば、数字のへっていることは、必ずしも問題にする必要がない。ただ、東大生が本当に知的エリートなら、そして知的エリー卜らしい学究生活をつづけているなら、一年生は0%に近く、二年三年と進級するうちに、徐々ながら、増加していっている筈である。
 また、資本主義国、社会主義国、共産主義国の三つから住みよい社会と思う順をつけさせた結果は、資本主義を第一とする者、38・4%。社会主義を第一とする者、40・2%。共産主義を第一とする者、11・5%となっている。残りの9・9%はわからない、目下研究中と答えたのかどうか、ここにあらわれたかぎりでは想像しようもないが、知的エリート達であれば、そういう答えが相当数でるのは当熱な筈である。そういう答えを予想した調査でなくてはならない筈でもある。
 しかも、資本主義を第一とするものは40%にも満たないのに、二十年後の日本は、自由陣営の中になんらかの形にとどまっていると考える者が52・4%もいる。彼等の思想の混乱というか、いいかげんさをばくろしたものであろう。
 愛読書にしても、十年前、二十年前と殆んど変わらない。あまりにも平均値的としかいいようがない。ジャン・クリストフ、聖書、チボー家の人々、罪と罰、赤と黒、資本論、三太郎の日記、カラマゾフの兄弟、狭き門、ファウスト、車輪の下、愛と認識との出発、異邦人、という書名は、高校生の読書傾向と大差ないということかもしれない。
 尊敬する人物として、名前があがったシュバイツァー、マルクス、矢内原忠雄、ラッセル、リンカーン、ベートーベン、福沢諭吉、毛沢東、ナポレオン、レーニンになってくると中学生のそれとかわらないほどに、あまりにポピュラーだ。ポピュラーが悪いとはいわないが、これらの人達と学生達は、どこでどのようにかかわりあっているのであろうか。彼等の自己発見、自己認識の貧弱ぶりをみせられたように思う。
 勿論、彼等の中にも、エリートの名に値する人達はいるのであろう。しかし、大学生とか、東大生という名で一括されている人々の現状は、これほどに大衆的で一般的だということ、そこいらにいるどの青年とも、特に変わった所は無いということが、はっきりわかろう。貴方がもし大学生でないなら、大学卒業生でないなら、これは、貴方の大学への幻影をうちくだく、かっこうの材料になるのではあるまいか。

 劣等感を愛すべし

 昭和十八年末、学徒出陣した私は、約八十名の大学高専校の仲間達と軍隊教育をうけることになったが、大学生とは一体なんだろうということをあの時程強く考えさせられたことはなかった。死と決定的にたちむかわされていた者として、無理はなかったといえばそれまでだが、話題の中心は女と飲む話だった。はては、食事の時の狂気じみた奪いあいをみかねた隊長が、将来将校になるべきものとしてあまりにみじめだし、これでは兵隊へのしめしがつかないといって、特別に米の配給をふやしたということもあった。戦争をどういう意味でも、受身にしか生きなかった人間の異様な姿があるだけだった。
 これはまた、敗戦直後のことであるが、昨日まで、軍・官の権威と権力の上に、いかにも正正堂堂とみえた連中が、一たび、その権威と権力が崩れ去ると、あわてふためき、これほど弱い人間はあるまいと思わせるほどに動転したさまを隠そうともしなかった。それこそ恥も外聞もないまでに……。それが優越感を根底からはぎとられた者の姿であった。まさに、彼等の優越感の根拠の弱さをしめしたものといえる。この優越感の反対の劣等感にとりつかれている人となると、その数は大変多い。
 というのも、劣等感ときたら、どんなさ細なことでも、他人にとってはまさかと思われるような事柄でも、本人にすれば、それが深刻な材料となるからでもあろう。だが、なんといっても、自分は頭がわるい。学問していないというところから生まれた劣等感は深刻のようだ。
 大学生、あるいは大学出の人に対して、大学に行けなかった人間は劣等感を持つ。この中味を吟味してみれば、「経済状態が彼等にくらべて劣っていた。大学に行くのに適わしいほど、学校の成績がよくなかった。彼等は大学に行って、もっと多くの知識と学力をつけているだろうに、自分は置き去りにされている」の三つに起因する。また、大学生、大学出の間でも、一流校に行った者に対して、一流校に行けなかった者が持つ劣等感は、大学に行かなかった者が、大学に行った者に対するより激しいことがある。一流校を目指して、しかし一流校に行けなかったという事柄が、彼を強い劣等感のとりこにさせているのである。これらの劣等感に深く関係しているのが中学、高校時代の成績であり、入学試験の成績である。それがそのまま学力の差とされ、能力差とみなされ、ひいては人間そのものの差のように錯覚されてしまっている。学校時代の成績といえば、せいぜい暗記力の現われ、その遅速の現われでしかない。そういう試験制度の行なわれているなかで、点数の上下をさかいにして、いわれのない劣等感が生まれている。これは、背丈が低い、足が太いといって悩む劣等感と少しもかわらない。背丈が高い、足のかっこうがいいといって得意がる優越感とも変わることがない。
 劣等感は誰でも持ち得る、いわば普通一般の感情であるが、時として、自分を甘やかす口実となったり、自分をい縮させる口実となったりする。自分の持つ劣等感にもたれかかり、怠惰を許し、不貞くされたり、劣等感の下敷になって、無力感のとりことなり、押しつぶされたりするのは、折角持った重大なチャンスを自ら無くするものである。劣等感というものは、大抵の場合、いわれの無いものだ。そのいわれのない劣等感でも、その原因を深く考え、劣等感を克服する強さを自分に持つ態度、そこをスプリングボードとしてはね返す強さに育てることが必要である。人には誰でも弱い所がある。それは多くの場合、自分自身がよく知っていて、しかしなるべく触れないようにしている。触れないようにしていること自体、自分自身が知っている弱味といえる。弱い所の無い人間なんて、人間としては化物のようなものだ。劣等感は、その弱い所に起因するもの。しかも、それはスプリングボードになりうるもの。だとすれば、劣等感は大事にしなくてならないもの、温存していいものである。弱い所を持たない人間ほ化物のようなものというだけでなく、こんな人間が指導者になり、上役になったら、その配下におかれるものはどんなにひどいめにあうことだろうか。
 ファッシストや独裁者になるのも大体こういう人たちである。弱い所のない人間は、普通の人を理解することもできないし、許すこともできない。人間を支配することはできても、人間としてお互の心を通わせあうことはできない。人間疎外の位置に身をおいやっていくのはこういう人たちだともいえよう。
 それでいて、実際には少しも強い人間でなく、本当は弱い人間が多い。彼はあまりに秀才であったばかりに、自分の存在や価値を問うてみる機会もなく、容易に権力や権威のあるポストに自分をおくことによって、その権力や権威をふりまわし、それを自分だと錯覚しているにすぎない。その権力や権威はめったにゆらぐことはないが、万一ゆらいだ場合その人達の多くがどんなに弱者であったかは歴史が説明している。
 優越感は全くくだらない。しかし、劣等感は愛すべきものである。貴方の意見はどうであろうか。

 

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   第二部 独学時代の思想と行動

 

第一章 欲望と感覚と知識について

 欲望に根ざした問題意識

 欲望と感覚を基調にした学力と知力には、挫折と妥協がなく、前進してとどまるところがないということ、しかも、学校教育が欲望ときりはなした知的教育をする結果、本来強力な筈の知力を弱めていることをこれまでのべてきた。
 欲望という言葉は、ともすると、何か悪いことの根源のようにいわれたり、思われたりすることが多いが、若い貴方はそんな風には考えないに違いない。とはいっても、欲望を基調にした学力と知力といういい方には抵抗を感じるかもしれないが……。
「欲望のためにはどんなことでもやってのける」とか、「欲望のとりことなって……」という場合、その欲望の対象、欲望の到達するところも、およその見当はつくというものだが、一方には、欲望のすさまじさというか激しさをいい現わしたものでもある。しかし、人間から欲望を取り去ったら何が残るだろうか。現在の私達人間の欲望はなかなか複雑で多様だが、すべての複雑な結び目を解きほごしてみれば、そこに大きく姿を現わしてくるのは食欲と性欲といってもいい。そして、この食欲と性欲は人間を存在しつづけさせるために欠くべからざるものである。さきの、激しくすさまじい欲望というのも、この食欲と性欲に連っている場合が多い。だが、この食欲を達成させていく過程で、人間はもっとおいしい物、もっと複雑な味わいのある物を欲し、また不時の時にそなえて貯えておく方法や運搬の技術を考えだし、その生活を発展させてきた。暗やみや、自然の脅威の前に、死の恐れや痛みから逃れるために、人間が長い間にわたって試み、創り、伝え、発展させてきたもの、それが知識であり、技術であるということができる。生命を賭して、戦争においやったものの原動力も食欲であったといえないこともない。
 欲望は、それ自身、考えること、判断することを求める。うまい物を食べたいという欲望は、うまい物を腹一杯食べた時には、欲望を果たした満足感とひきかえに消えてなくなるが、次には、こんなうまい物をせめて毎日食べたいという新しい欲望をおこしたり、母親や兄弟にもこんな物を食わせてやりたいという欲望になったり、さらには、仲間達にもとか、貧しい人達全部にというように発展していく場合もある。食べたくても食べれない収入の少なさについて考える場合もでてくる。昔から「食いもののうらみは恐ろしい」といわれるが、食欲の強さ故に、食欲を基調にして、人間の思考は限りなく発展していく。しかも有効性のある知識が生まれるまで、その欲望はみたされることがないから、その知識が現実に有効性のあるものになるまで思考作用はつづく。その過程で、人間の食欲はその達成のために、新しい欲望、いつでも、皆がおいしい物を食べられるようになりたい、そういう世の中にしたいという欲望(目標といってもよい)を生む。即ち食欲を基調にした問題意識、食欲と結びついた問題意識をもつのである。これは、食欲が知識を生み、知識が食欲の質を変え、さらにその欲望をあきらかにし、強めていった一例であるが、勿論食欲が発展する方向は人々によって異なり、常に好ましい方向にいくとはかぎらない。
 しかし、いずれにせよ、自分の欲望に根ざし、欲望にかかわりあった所で生まれた問題意識は、それが解決されるまで消えうせることがない。たとえ、そこから脱けようとしても、解決すること、もしくは自分自身をごまかすことなしには、解放されることはない。だから欲望は、それ自身考えることを伴っていると同時に行動を不可決としているのである。行動を伴なわない欲望なんてあり得ないし、欲望が強烈であればあるほど、その行動は積極的にならざるを得ない。
 このように欲望から発展した問題意識が、書物を読んだり、書かれた素材を考えるところから生まれた観念的な問題とは異なっていることもあきらかである。欲望ときりはなされた知識が困難や壁にぶつかって、もろく、無力なのも無理はない。
 人間の生活を豊かにし、拡大充実させていく上の、その源泉ともいうべき欲望が、甚だゆがめられた形でのみ考えられ、扱われてきているのは、全く残念というほかない。
 おそらく貴方も、貴方の欲望に対しては、何人であろうと抑えきれないし、抑えようとするものには敢然と挑戦する強いものをもっているに違いない。この欲望に根ざした知識に、さらに力と方向をあたえるのが感覚である。私達が常に、不潔なところに住んでいると、不潔が一向に気にならなくなる場合と、その不潔さを厭いそれ以前よりさらに不潔を嫌うようになる場合とがある。だが、多くは不潔さに馴らされ、それが普通のこととなってしまう。不潔さに対する感覚が鈍磨されてしまうからである。避けようのない環境の中で、ただ不潔さを嫌い、憎み続けていては、心身共に参ってしまうから、こういう順応性というのも、一種の安全弁的役割りを果たしているのかもしれない。
 だが、一度鋭くみがいた感覚は、ちょっとのことで鈍ったりはしない。清潔な感覚を鋭く身につけたものには、どんなことがあっても、その不潔さになれることができない。彼はノイローゼになるか、その不潔を排除する行動に出るしかない。また、人間として正当に遇せられてきた者は、不当な扱いをうけては怒りを持たずにはいられない。美しいものを美しいと感じる感覚を身につけた者には、汚職ときいただけで、身体がふるえるほどの吐き気を感ずる。吐き気のするような嫌悪感を感ずる者には、到底、その中に浸ることもできないし、それに自らの手をそめることなど思いもよらないことである。他方、美しいものを本当に美しいと感じたものは、どんな困難があっても、それを手にいれようと努力したくなるに違いない。
 欲望が発展していく段階で、この感覚は大きなかかわりを持つ。つまり、欲望を自分の感覚にあった方向に、自分の感覚に大きな喜びをあたえる方向に発展させ、感覚が許せない方向には、まちがっても欲望をつきうごかしていかない。
 たとえば、食欲が発展していく段階で、こんなおいしいものを、ぜひとも毎日食べたいという強い欲望に変えていったのは、おしいかった味覚の快感であり、こんなおいしい物は皆に食べさせたいという願いに導いたのは、その人の中にある平等感覚であり、一部の人だけが食べているのはおかしい、どんなにしても、皆が食べられるようにしたいという方向にいったのは、人権感覚である。逆に、自分だけの欲望をみたすことにおわったり、そのために泥棒をしたりするのは、その人の感覚の低俗さによる。清潔な感覚は、欲望を清潔にし、汚れた感覚は欲望を汚していく。
 このことは、感覚は、知識とならんで、欲望の内容と方向に強い影響をあたえ、欲望に伴なった行動を強めたり、ゆがめたりもすることをしめしていると同時に、知識の内容と方向を決定していくことをもしめしている。即ち、欲望と知識の関係のように、感覚もまた、知識をリ−ドして、知識の内容と方向を決定していくが、同時に知識によって、感覚もリードされる。知識の質如何で、感覚は鈍らされたり、鋭くされたりもするのである。欲望と感覚と知識の三者は相互に影響しあって、まことに深い関係にあるのである。

 欲望が支える行動力

 欲望を基調にし、欲望と深くかかわった知識が強力であることは、一応理解してもらえたかもしれないが、欲望はそのままでは必ずしも強烈ではないし、欲望を忌まわしいもの、悪いものと、若い貴方は思わないにしても、なんとなく心にひっかかるものがあって、欲望に生きることは低俗な人間であるかのような錯覚をふっきれないのではなかろうか。なによりもこれが欲望を弱めている元凶である。ことに貴方の周囲の年輩の人達は多かれ、少なかれ、そういう考え方を持っているとすれば、さすが勇気のある貴方もつい、縮こまらざるを得ないだろう。
 この、欲望は忌まわしいもの、否定すべきものという考えは、どこから来たものであろうか。多分、儒教の流れを汲む考え方であり、明治以後の学校の普及の中で盛大に行なわれた修身教育にその一因があるといってよかろう。それが国家の政策だったのだ。というのは、欲望を否定し、抑制する生き方は、人間から、そのヴァイタリティを奪い、その知力を弱めることによって、生の喜びも楽しさも、その中から汲みとることを少なくして、人間そのものを縮こまらせる結果、支配階級にとってはまことに支配しやすい、指導しやすい国民になるからである。国民から欲望をとりあげることは、虎から、そのキバをぬき去るようなものである。それに、人間個々人にとっても、実は、欲望はなかなか処理しにくいというか、自分の自由になりにくい。この、むしろ厄介な存在にさえなりやすい欲望をもてあましている者も意外に多いところから、欲望の抑圧、規制の考え方は歓迎され、長くうけいれられてきたともいえるのである。
 このことは、戦後これまで欲望を縛りつけていた規制を大巾に取り去り、欲望を解放したところ、欲望が暴走をはじめて、わけのわからぬ混乱が生じ、こまりはてた人達が多いことをみてもわかる。
 今日の時代、信じられるのは、自分自身の肉体だけであり、肉体の衝動こそ何物にもまして純粋であり、この衝動にすっぽり自身をゆだねることこそ最も純粋な行動であると、欲望のままに生きていると自認している人達。あるいは、映画や雑誌などで、盛んに売りだされている既製の欲望にあっさりと自身をゆだねていく人達。まさに無方向に暴発する飛道具のようなものである。だが、貴方も、この激しさ、すさまじさを認めないではいられないだろうし、このすさまじい欲望が、好ましい行動を支えたときのことを想像したら、胸がふるえてくるのではあるまいか。
 欲望の暴走に身をゆだねている人々をうらやみながらもついていけない人達、さればといって、欲望を制御する能力も制御する自信も持てない人達は、現在依然として、よりどころの無さからくる不安と困惑をつづけている。これ等の人の中からは、不安に堪えられずに、早くも自らを規制するものを求め、自分を何か厳しい枠の中にはめこめるものを求める声が出はじめている。
 それに応えて、最近では禁欲の視点が復活してきた。前述のような欲望の暴走も、詮ずるところ目標が無いからだ、それも国民的目標が無いところからおこるものだから、国民的方向を与えよという意見である。この考えは、ちょっと見には、欲望の方向づけのようにも受け取られそうだが、要するに、第三者の作った目標にはめこむ、つまり丸がかえの欲望に接ぎ木しようとするものであって、欲望の発展、制御ではなく、欲望の抑制、むしろ否定といえるものにほかならない。
 たしかに、現在、多くの人が手を焼いている欲望は、ナマのままの欲望であり、到底、“人間の欲望”といえるシロモノではない。だが、だからといって、この欲望を否定し、抑制していくのは、人間の生命を圧しつぶし、窒息させる方向に進むことでしかない。欲望の開発、発展を方向づける努力を惜しんで、生命そのものを無くしてしまってはそれまでだ。
 ナマの欲望に驚いたり、たじろいでいては、欲望の開発など、思いもよらないことである。ナマな欲望こそ、誰の内側にも芽生える欲望の原型であり、それを恐れているようでは、とても人間の欲望を育てることなどできるわけがない。このナマな欲望に人間の欲望としての内容と方向をあたえていくのが知識であり、感覚である。人間の欲望であるかぎり、そこには当然社会性が欲求されるし、すべての人間の願いまで、重ねられてくるのである。
 たとえば、男女間に働く性欲が一方的であったり、独断的であることが許されないことはいうまでもない。性欲の発動は、二人の幸福を求めて発動しようとするし、さらには、二人の将来までをも幸福にしたいという願いを伴なっていく。性感覚のすばらしさを知ったものは、自然にその性欲の発動のさせ方をその方向にもっていく。社会性が加わるということは、欲望が抑制されることでなく、新しい欲望の要素が加わることによって、さらに明確になり、強められていくことである。
 すべての人間の願いが重ねられていくことにでもなれば、その性欲がどう発動していくかは、容易にわかろうというものだ。こんな欲望が国民のものになっていったら、それこそ、支配者や指導者にとって大変なことはいうまでもない。彼等が欲望を達成する方法を追求するかわりに、必死になって欲望を抑制し、欲望を育てるかわりに欲望を否定しようとするのも無理はない。このことはともかく、欲望を恐れ、欲望を忌避する態度は、基本的には人間の知識に対する不信であり、感覚に対する裏切り行為であること、大きくは、人間そのものへの不信を意味することを考えてみる必要がある。
 人間の欲望を恐れるほどに貴方は弱虫なのか、自信がないのか考えてみる必要がある。むしろ恐れなくてならないのは、欲望の強さでなくて、弱さではあるまいか。そして、この弱さこそが、歴史の発展を阻んでいる元凶といえるのではあるまいか。

 性感覚から生れる社会性

 欲望と知識の内容と方向を決定づけるのに深くかかわりあいを持つ感覚も、一人一人の中に、はじめから明確にあるのではない。はじめは、特にこれということもなく、たかだか好悪の感情に近いものである。これを自然に放置しておいては、なかなか好ましいものに育っていかない。感覚もまた、欲望と同じように、十分に発達したものに育てなくてはならないものであり、十分に発達していない感覚は、欲望と知識の内容や方向をゆがめていくことになる。
 ぼんやりした未分化の状態にある感覚を明確にし、鋭いものにしていくのは、感覚への刺激であり、感覚そのものの経験である。美しいものを見て美しいと感じ、心をゆり動かすということは、感覚への刺激であり、感覚の経験である。美しさを直接しっかりと受けとめて、快感や感動を刻みこんだ感覚は、美しいと感ずるものを受け入れ、美しくないと感ずるものを拒否する。その体験の繰返しと、どれほど強烈な感動を刻みこんだか、どれほど高度な美を直接に受けとめたかによって、感覚はみがかれ、鋭さをましていく。すぐれた美しいものを数多く見、聞きすることは、感覚の発展を大きく助ける。音楽、美術、文学などに接する度合いや、その種類、質によって、つくられる感覚に大きな違いをもたらすことは、日常の生活の中で貴方も体験したことであろう。
 だが、何といっても、感覚を育て発展させていく上で、もっとも大きな力を持っているのは現実の日常生活そのもの、社会生活そのものである。社会性の皆無な生活の中で、社会的感覚が育ちようもないことは勿論であるが、何気なく過している毎日の生活が、人間に対し、社会に対する感覚への刺激と、感覚の体験の繰返しにほかならない。こうしたなかで、感覚を強靱なもの、高度にみがかれたものに育てていくのは、現実の中での、社会的行動を通じて得た刺激と体験である。
 昭和三十三年の警職法反対に、これまでにない沢山の国民を参加させたのは、敗戦後十年余にわたって、まがりなりにもしみこんだ国民の人権感覚であった。はじめ、多くの人達の人権感覚は決して明確でもなかったし、強烈なものでもなかった。戦後の生活の中で、なんとなく身についた、漠然としたものにすぎなかったが、反対運動に参加する中で、次第に明確にさせられ、強烈なものに育てていった。おそらく、その中の何パーセントかの人達には、抜き去ることのできない感覚として植えつけられたことであろう。また、国民の心をより広範囲に、より深く掴んでいるのは平和感覚といっていい。あの残忍で、不幸に満ちた戦争を体験した者には、その悲惨なものに自分の感覚をまともにむきあわせたことのある者には、どういう思想的立場にたとうと、平和感覚は捨てきれないし、ごまかすことができない。とはいっても、戦争の被害者がそのまますべて平和感覚を持つともかぎらない。平和への感覚に発展しないで、被害者でないものを被害者にまきこもうと戦争の感覚に育っていく場合もある。
 平和への感覚に育てていくのは、その人がすでに持っていた美の感覚であり、和の感覚であるかもしれないし、ごく素朴な平和を願う感情であったかもしれないし、人権感覚であり、平等感覚であったかもしれない。
 だが、さきに、欲望において、欲望の原型ともいうべきナマな欲望としての食欲と性欲を考えてみたように、ここでも感覚の原型ともいえる、食欲に対照する味覚、性欲に対照する性感覚のことを考えてみたい。
 性感覚のすばらしい実感は、どんなに、その点ですぐれた音楽や美術、文学も、その体験以上のものでないことを貴方が知っているかどうかは別として、その性感覚さえも二人の強烈な志向に支えられて磨かれていくもの、育てられていくものであるということである。性感覚のすばらしい快感と感動が次の行動を求めていくことにもなる。感覚もまた、欲望と同じく行動をそれ自身に伴ったものであり、強い感覚の持主はそれだけ行動的だともいえる。人間は一つの性感覚から、さらに、性感覚をすばらしいものにしていこうとする。それを導くのが知識であり、それを好ましい方向に導くか、破滅の方向に導くかはその人の知識の質による。
 男女間に生じたすばらしい性感覚は、その過程で自ずと人権感覚や義務感覚、責任感覚を導きだし、平等感覚まで開発していくこともある。性感覚もまた社会性をもっているということである。性感覚を支えるのが性欲であることはいうまでもないが、こういう性感覚が性欲の暴走を制御するであろうことも容易に理解できよう。
 性感覚の中から生まれた人権感覚、平等感覚が、現実の不正や矛盾に対して鋭い反撥と嫌悪をつくりだし、性感覚の中から生まれた平和感覚が平和思想を支え、平和運動の核になるといったら、貴方は笑うであろうか。
 反対に不潔な性感覚というか、ミミッチい性感覚は、インチキしても平気な感覚、汚職に連る感覚だといったら、貴方は怒りはじめるだろうか。
 明治以後の大汚職をしてきた連中はほとんど例外なく、小、中、高、大学を通じての学校秀才達であった。磨かれなかった感覚が知識を悪用した好見本である。しかも、彼等は汚職への責任感覚もなく、ケロリとして、無罪を執拗に主張しつづける。これこそ、欲望が暴発した姿である。
 欲望の暴発をおそれるよりも、感覚の未開発をこそ心配したらいい。それが何故かは既に十分説明した筈である。

 行動と思想の統一

 知識人の弱さ、あるいは言論人の無力ということが、折にふれていわれる。しかし、この表現には、ある種の錯覚と混乱がでている。知識人が弱いという言葉の裏には、知識人は本来、強いはずだという気持がひそんでいるし、権力を持たない弱い庶民層に対しては、暴力に近いまでの力を発揮する言論人に無力感など想像しようもないことだが、現実には、歴史と事件を発展させ、変革していく思想に弱い知識人と、その矛先を権力者側にむけた時全く意気地のない言論人の姿をみせつけられては、そう思うしかない。
 歴史を変革する思想に弱いとは、研究が書物に出発し、問題意識もその範囲に終っている研究者についていえることだが、こういう研究者が意外に多い。他人の研究におんぶして、その研究を批判したり、せいぜい諸研究の整理、解説に終っている人達に、もともと、多くの期待をよせることがまちがっている。
 研究者は妙に純粋とか、潔ぺきということが好きで、自分の立場を純粋な立場におこうと異常な執念をもやす。潔ぺきな感覚を強調してきた私のことである。それに反対はしない。だが、研究者が執着する純粋とか、潔ぺきとなると私にはいただけない。何故なら、彼等は、この不正だらけ、矛盾だらけ、醜悪だらけの“現実の外”にあって成立している純粋さを追求している。あるいは、そういう現実の外に、純粋なものを設定し、成立させようともがいている。ある意味では、それを可能にする、めぐまれた社会というか、不幸な社会というか、そういう社会に生きている。
 彼等を除く殆んどの人達が、不正だらけの、醜悪だらけの社会で、それらにずんぶりとはまりこみ、それらを呼吸しながら、それらと格闘し、また格闘をよぎなくされているのだという事実を、実感的にとらえようともしないし、とらえることもできないでいる。これでは、彼等に、歴史を変革できる有効な思想が生まれようがない。彼等を除く多くの人達と統一をくみ、その人達を変えるに足る思想を提供できないのもむりはない。まして、欲望や感覚に根ざした知識でないから、強烈でもないし、現実の変革の困難の前に持続的でもあり得ない。
 現実の問題が持つ重みと痛みを、重みとして、痛みとして感じとり、うけとめることのない人達の思想が、精緻になればなるほど、現実から離れていくのも当然である。それをうけとめて生きている者とそうでない者との違い、それは決定的な違いといえるほど重要な違いでありながら、学校教育や、試験の上に一向に現われてこないものである。そればかりか問題にもされないのだ。行動と思想の分裂はここにあるし、分裂させることに成功させた者程、学校秀才になりやすいということがいえる。知識人や言論人の多くが、学校秀才の延長に生まれたとすれば、彼等に力を期待することの方がおかしいといわねばならない。
 誤解を恐れないでいえば、思想があって、行動があったり、思想と別に行動があるのではない。あるのは、行動にはじまって、行動に終るその行動だけである。行動だけが問題なのである。行動があって、その行動が問題をふくんでいるから、その行動をめぐって、思想が問われてきたのである。行動のため以外に存在する思想なんてない。思想の独立性や客観性が問題になるということは、行動に独立してでなくて、行動そのものにある問題を正しく処理するためにこそあるのである。行動を袋小路においこまないために、無力にしないために、行動を行動として十分に効果あらしめ、意義あらしめるためにこそあるのである。
 思想と行動の統一をいうことは、行動ときりはなされた思想の独立をいうほどに、ナンセンスなことでもある。
 行動の内容と方向づけのために、行動の意味と価値づけのために存在する思想が、行動を導くに足らないものに終り、行動と分裂して存在する筈がないのに、そういう思想がいかにも権威ある思想らしく存在しているということは、おかしなことである。そういう思想が反権力行動を支え得ないのも当然である。
 このゆがんだ行動と思想の関係を正そうとすれば、行動をおこすことである。行動をとおして、これまでの思想をふるいにかけて、整理しなおすことである。行動の予備としての知識を機械的に教える学校教育は、このことをふまえて教えるべきだし、まして、そういう知識の記憶を過大評価する態度をやめるべきである。
 そして、この行動をよびおこすのが欲望であり、規制するのが感覚なのである。今日こそ、行動を中心にした欲望と感覚と知識の関係を見究めることが、最ものぞまれている。

 

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第二章 独学は創造への道

 過渡期を生きぬく実力

 旧い価値と新しい価値が鋭く対立している中で、新しい価値も定着しないままに混乱と相剋が激しい今日に、貴方はどう生きようとしているのであろうか。新しい価値の創造に積極的に参加することの愚かさを説く者も多いし、愚かときめつけないまでも、情勢が明確になるまで筒井順慶風に傍観している者も多かろう。結局は自信の無さがさせる行動である。
 だが、この時期に、新しい価値と方向を自ら創造していくことを自分の生き方にできる者にとっては、現代という転換期はまたとなく素晴らしい、生き甲斐のある時期であるし、傍観することなどできないのではあるまいか。
 価値観が安定しきっている時代は、既成の秩序が最も重んじられ、その枠は厳しい。門閥、学閥などがハバをきかし、既製の枠内での繁栄だけが求められる。しかし、旧い秩序の崩壊と新しい秩序の到来にあたっては、あらゆる分野が大きくゆらぎはじめる。不安と絶望と不信にさいなまれることの多いのも、価値の転換点にたっていればこそである。そこには、新しい秩序、新しい時代の必要とする新しい仕事の分野が開かれてくるし、旧いものを、新しい視点、新しい視角から検討して、開拓し、つくりかえていくことが求められる。この変革、発展の仕事に参加し、それをつきすすめていく能力は、既成の秩序にもたれかかって、それを後生大事にするような、その維持に必要であった能力とは異質なものともいえる実力である。
 かつて、戦国時代と呼ばれた時代は、かくれた実力者の抬頭する時期であり、飛躍のチャンスであった。明治維新の、あの激しい時期もまた、旧い秩序と新しい秩序の交替の中で、力ある者達が、その新しい時代をきりひらいた。最近では、敗戦後の一時期がそうであったし過渡期は強者を求め、力のない者、弱者を置き捨てていく。力のない者、弱者ははじきだされていくといった方がよいかもしれない。
 現代が疎外の時代といわれる理由の一つもここにある。勿論、現代の疎外は、まず、機械化による人間疎外の面を強調しているにはちがいないが、なんといっても、疎外感の中心をなしているのは、旧い秩序からも、将来の新しい秩序からも、放りだされているところに生じたものである。旧い秩序を支える価値にも、新しい秩序を支える価値の創造にも参加できず、結びつくことのできない人達、本来なら、いずれかの価値に当然連りうると考えながら、連り得ない人達が疎外感のとりことなるのである。
 ともすると、疎外は現代の特徴であるかのように思われたり、いわれがちであるが、疎外感とは別に、疎外はいつの時代にもあった。一般民衆は、いつの時代にも疎外された存在であったといってもいいし、人間の歴史は疎外から解放をかちとる闘いであったともいえる。そして過渡期とは、これまで疎外されていた人達に、それをなくしていくチャンスを提供する時代でもあった。
 今日、疎外感のとりことなり、それに悩んでいる大半が知識人であるということも、これまでの説明で容易に理解してもらえると思う。疎外の範囲を少なくするために訪れた過渡期にかえって疎外に悩むのは、過渡期をリードしきれない知識、現実から遊離し、現実を変える行動からきりはなされた知識の蓄積に終っていたためである。疎外感に陥るしかないような知識に自分を委ねていた当然の結果である。
 もし貴方が、この時期を積極的に生きようとし、この時期を、これまで疎外されていた自分を逆にはめこんでいくチャンスにしようとするならば、今ほど開かれた、可能性にみちた時代はない。それを可能にするものが、欲望と感覚と知識を自らの行動に集約させることのできる姿勢であり、貴方の実力だということになる。貴方にとっては、貴方の前にたちふさがるものがその研究テーマであり、克服し征服していく対象である。そのほかには、貴方の対象はないとさえいっていい。
 貴方はつねに、自らとらえ、自ら征服したものの支配者としてしか存在しない。貴方の存在をこえて存在するもの、貴方の知力をこえて存在するものは、更めて、その征服のために貴方が意欲をもやす対象なのである。自分の征服した世界以外の世界は、はじめから貴方を疎外しているのである。この貴方を疎外している世界への闘い、それが貴方の生きるということであり、人生なのである。
 この意味で、過渡期こそ、最も人間的な時代であるといえるし、この時代をとらえようとする者には、誰にでもとらえられる時代である。

 自分の学習プログラムをもつ

 貴方が現代を積極的に生きようとして、何かをきっかけに、知識は自分のため、自分の行動のためのものであり、その知識は欲望と感覚に根ざしたとき、はじめて本当の力、積極的に現代を生き抜く能力になることを知れば、現在、学校教育をうけているかどうかにかかわりなく、自らの学習プログラムを持つことを迫られよう。他人の立案した教育プログラムに安閑として乗っていることはできないからである。当然、自分の学習プログラムに即して、自己教育をすすめる以外になくなってくる。しかも、貴方はそれによって、独立人、自由人の第一歩をふみ出しはじめるとともに、貴方は、貴方のプログラムと貴方の外の世界が持つプログラムとのギャップと対立を自覚的にうけとめさせられる。人生における知的闘いという名にふさわしい、それだけの重みをもった闘いが貴方をとらえる。それは、貴方が独立人、自由人として過渡期を生きぬける知的能力を所有できるかどうか、それに相応しい知的性格をもてるかどうかの最初の試金石でもある。
 自分の学習プログラムを持つということは、自分の人生プログラムを持つということだし、自分の学習プログラムを持つということは、現代という時代が公認しているものと別個にもつということであり、それはずれとか違いとか以上に現代を批判し、現代に対立したことを意味している。おそらく貴方は、自らを基調にして、貴方の外の世界のプログラムを自らのプログラムと対置させながら、しかもそれを自分のプログラムの中に吸収しきろうとする知的闘いをすすめていくことであろう。貴方が吸収していくか、逆に吸収されていくか、それともはじきだされるか、その闘いの結果如何が、貴方のその後の人生を決定するといってもいい。
 これをなしとげることができた貴方は、職業人として、自らの人生プ□グラムと仕事の発展プログラムを統一的にとらえることは勿論、自分のプログラムと歴史のプログラムを重ねあわすこともやってのけることができよう。それがどんなに困難なことであろうと、歴史の中に生きる人間としての、基本であることも先刻承知している筈だ。
 歴史のプログラムを自分の膝下にふまえた人間ほどに、独立人、自由人はあるまい。
 独学者とは、常に自分と自分の外の世界との間に知的闘いをすすめていく人間だともいえる。旧い価値が崩れようとして崩れず、新しい価値が生まれようとして生まれない過渡期に、独学者は一切の権威と価値を自分の外におくことがない。そこに権威と価値があると認めるのは、自分がたしかめた場合にかぎる。貴方は、貴方自身に権威と価値をおき、それを貴方の外にある権威や価値と対決させる。そして、自分の中に組みいれていく。
 自分に権威と価値をおくものは、外の世界にひきずりまわされることはない。外の世界をねじまげても、自分にあわせようとするであろうし、既製の価値や立場にしばられない貴方は、のびのびと未来にむかって、未知なるものを追って歩みつづけることであろう。貴方の行動を阻むものは何もない。それに対して、既製の思想や価値や団体にがんじがらめになっている人達は、保守的な立場の人であろうと、進歩的な立場の人であろうと、同じくその奴隷的位置から一歩も出ることがない。出られないのだ。
 話をもう一度もとにもどそう。
 自分の欲望と感覚に根ざした学習プログラムに即した自己教育の姿勢とは、どういうことであろうか。
 貴方にとって、貴方の外の世界はすべて、貴方の欲望と感覚に満足と快感をあたえてくれる対象であるということである。欲望を発展させ、感覚をみがいてくれるものであるということだ。すべてのものをうけとめていきながら、それを自分の行動の中に統一している。貴方の知識はいつでも貴方自身のもので、その欲望と感覚の支配下におかれている。貴方は、貴方以上であったり、貴方以下であったりすることがない。欲望と感覚と知識は相互にかくしつつ、緊張関係をつづけながら、貴方個人としてはつねに統一した人間であろうとする。統一した人間として、貴方の外の世界にたちむかう。たえず、外の世界とむきあっている人間には、バラバラではありようがないからである。それは、人間としての統一した力をつねに発揮できる生き方でもある。
 それでいて、欲望と感覚に根ざした学習プログラムをすすめていく者は、必ずしもそれが期待するほど効果をあげないで、往々破綻に近い状態に陥ることも体験する。この体験が貴方の人間への理解を深める。厳しさ以上に寛容の必要なことを貴方に教える。貴方と他者とのコミニュケイションを最も深いとこで成立させる役割もはたす。知識の量や正確さで人間を評価できない貴方に変えていく。貴方は他者とともに歩む人間となり、貴方達の間に共通した新しい人間像が生まれる。貴方達は別々の人間ではないという自覚から、その間にはうずめ得られる断層しか生まれない。
 独学者。それは自分が現代に生ききれると同時に他人をも生かしうる人間でもある。

 知識から知恵へ

 いろいろの事件から共通する要素をぬきだして、問題点を整理し、次の事件の予備知識や心構えにすることはできる。その知識が多ければ多いだけ、正確であればあるだけいいことはたしかだ。そのために我々は日頃学んで、その蓄積を怠らない。だが忘れてならないことは、その知識は参考になるものではあっても、決してそれ以上のものではないということだ。
 ことに、新しい事件にとりくむのは自分であり、その自分は特殊な個性的存在である上に、事件そのものも、また特殊で、唯一回かぎりに起こるものであるとすれば、なおさらである。事件を第三者として観察する場合ならともかくとして、その事件にとりくむ人間として、事件を理解しようとすれば、その理解のしかたも、それにもとづいた解決の方法も、自ずとその人に即して、特殊で個性的にならざるを得ないであろう。
 そこに、もし、どんなに卓越した理解とそれにもとづいた解決の方法があったとしても、当事者に相応しいものでなければ無縁なものであり、それは当事者にとって、卓越した意見であるよりも、それにたぶらかされ、ひきまわされることによって、時にはとんでもない意見になりかねない場合が多い。客観的には卓越した思想が人々を奴隷にするのはそのためである。勿論、そんな思想ならない方がましだとか、そんな思想を創りだした人の罪だなんていうつもりはない。ただ、思想や知識は、行動する人その人のものでないかぎり、どうしようもないといいたいのだ。
 普通人では到底行なえないような行為を、すべての人に押しつけようとした戦前の道徳教育が、かえって人間をゆがめ、偽善者をつくることになったのも同じことである。他人の理解はあくまで他人のものであり、他人の識見はどこまでも他人の識見であって、自分のものではない。
 予備知識は、自分の行動を通じて、はじめて検討され、自分の知識にくみかえられていく。その過程を経ていないままに蓄積されている知識は、自分のものであるようであって、未だ自分のものではない。そんな知識が横行しているのが現代だ。その結果、「りくつはそうかもしれないが現実はそういかない」という、まことに奇妙な意見まで横行する。現実を説明しきらない、現実をリードできない「りくつ」なんて、「りくつ」の名に価しない。行動をリードできない意見、そんなものはたわごとでしかない。
 クルマの運転技術についての知識、エンジンの知識をもっているからといって、その人は実際にクルマを運転することはできない。エンジンを動かし、クルマを運転できない人の知識を、私達は知識として信頼できるだろうか。その知識の正確さを認めるだろうか。実際にクルマを運転できないような知識に価値をみとめるであろうか。行動を伴ない、行動をリードできたとき、はじめてその知識は存在をみとめられる。
 世間では、こういう知識を一応区別して知恵といい、それ以前の知識をもっている人を「ものしり」ともいっている。この知恵だけが人々の運命をきりひらき、幸福をつかむ力である。学校教育を長くうけたものほど知恵の持主が少なく、学校教育をうけなかった人達の中に、比較的多数の知恵の持主があるのは、皮肉な現象ということになるが、前者は、あまりに沢山の知識を蓄積して、いつか蓄積する目的すら忘れ、蓄積のための蓄積になった結果、その重みにおしつぶされて、かえって行動の自由がきかないのに対して、後者はたえず、限られた知識ではあっても、それを精一杯駆使しているうちに、知恵にまで育っていったものと思われる。
 生活体験、行動体験をふまえた人の意見が、こまかいところに手が届くように具体的であり、生き生きしていることを貴方も感じたことは何度かあろう。
 その感じを大事にし、その感じをあきらかにしていくところから、貴方の本当の知恵が生まれるともいえよう。

 創造的生活を送る

 自らの欲望と感覚に根ざした学習プログラムをもって独学していこうとすることは、その人に批判力があるということを意味している。他人のプログラムに乗っかっていけないのは、それに同じられない自分の考えがあるためである。とはいっても、その考えが批判力といいうるほどのものでないことはいうまでもない。それにしても、自分を他者に対立させることができたというところに決定的な意味があるのである。それをどのような、たしかな批判力に育てるかは、自分のその後の学習如何にかかっているが、その学習のためのプログラムの作成で、まず求められるのは企画力ということになろう。
 この学習はすぐれて企画的行為だといっていい。企画力なしには、独学は一歩も進まないだろうし、適切ですぐれた企画なしには、独学の機能はもとより、独学の効果をあげることはできまい。企画にはじまって、企画に終るといってもいいすぎではないかもしれない。
 企画をたてようとすれば、まず自分を正しく観察することからはじめなければならないし、時代の動き、要求を正確にとらえることも必要である。全体を統一的に把握し、展望する能力なしには不可能である。まして、固定していない、発展してやまない欲望と感覚は、たえず試行錯誤をよぎなくさせられる。そして企画にもとづいた学習活動の結果については、つねに検討をしなくてはならない。こうして、企画力を、それに必要な観察力、洞察力、自己検証などの能力とともに自らのものにしていく。
 おそらく、貴方の欲望と感覚は、世界そのものまで自らの中にとらえようとするであろうし、考えうるかぎりの、先人の願いや理想も自分の中に組みいれていこうとすることを躊躇しまい。しかも、貴方は、それらを自らのプログラムに即して達成しようとするから、当然達成の可能性がある。それらへの道を発見している。所謂青年の夢想ではなくなる。
 こういう企画力をもつということはそのまま、創造力を培うことであり、創造力をもつことでもある。企画行為そのものが創造行為であり、創造行為にまで発達しない企画行為は、企画行為の名に価しないといっていいかもしれない。
 自らの欲望と感覚に、老人の願いや理想を組みいれていく行動そのものが、自分にとって創造的生活であることにもなる。その行動が、客観的にみて創造的であるかどうかということより、自分自身にとって、それが創造的であるかどうかの方が先決だし、より重要なことだ。人間は、自らの人生を生きるしかないし、それこそが大切だからである。自ら創造的である者が、また、他人のためにも創造的でありうるからだ。
 創造的生活をはじめたものは、その喜びと感動のために、創造的生活をやめることはできない。貴方が何かを創造するのは、この創造的生活からである。
 また、独学の姿勢は独立心の萌芽を意味する。その独立心はせいぜい独立への願いという程度のものでしかないが、学習活動を通じてその独立心は確立され、独立心を支えうる能力を自らのものにしていくであろう。とくに、欲望と感覚がその独立心の基盤となっていくとき、強烈なものになるであろうことは容易に想像できよう。
 独立できる能力とは、いついかなるときも、他者に対して、自分の外の世界に対して、自分自身を確立できることであり、知的闘いをすすめることのできる力である。こういう闘いをすすめていく中で、貴方は結果的には、忍耐心を身につけていくことにもなる。忍耐心がただ、がまんのためのがまんをするのではないことはあきらかである。より大きな独立のための、次の発展のための必要な準備行動をすすめる忍耐なのである。欲望と感覚に根ざした行動を思う存分やっていく人間には、この忍耐する態度とは無関係なばかりか、あいいれないもののように思われる傾向があるが、欲望のより大きな発展、より強い満足感のために、忍耐することがどんなに大きな役割りをしめすものかは、欲望をみつめてきた貴方には、とっくにわかりすぎていたことであるし、忍耐との関係ですでに欲望を発展させていたであろう。ここで、貴方はそれを更に強化するのである。

 

              <独学のすすめ 目次>

 

   第三部 独学の心構えと独学の楽しみ

 

第一章 独学を成功させる八つの条件

 独学の出発点は身近な所に

 毎日毎日、新聞を開くと、これでもかこれでもかというほど、交通事故の記事が出ている。踏切の警報を無視して電車に衝突したダンプカー、居眠り運転で家に飛び込むトラック、車のかげから往来に飛び出して乗用車にはね飛ばされた子ども達。いたましい被害者の写真、無惨な現場の様子。本当にやりきれない事故の連続だ。しかし、これらの事故の記事を読んで、強く感じること、胸に浮かべる思いは、人それぞれによって大変に違う。まず日常、自動車を運転している者は、事故を起こしてはならない、子どもには特別注意をしなくてはと思うだろうし、子どもを持つ親は、どうしたら子どもを交通事故から守れるかを、自分の家庭に即して考えるだろう。ダンプカーやトラックを使って事業をしている人は、運転手によく注意しておこうと思うに違いない。毎日の記事を見ているうちに、逆にそのことに麻ひして、毎度のことだ、運が悪かったのだ、と思う者も現われるし、商売のためには、もう少し要領よく走らせようと思う者も出てくる。一方、何とかして事故を少なくするために、近所の人達と相談をして、信号機の設置に奔走したり、交替で子どもを誘導する方法を考えだす人も、少なからずでてくる。
 このことは、一つの事件、一連の事故も、どれほど人によって、受けとり方が違うかをしめしている。この違いは、事件に対する個々人のかかわり方によるのである。
 貴方の場合はどうであろうか。もし貴方が交通事故の現場にでくわしたり、貴方の肉親、友人、知人が事故にあったりすれば、とたんに、貴方の関心の持ち方は変わるに違いない。肉親か知人かによって、その関心の程度も違うだろうし、貴方の感受性によっても違ってこよう。交通事故にかぎらず、私達の身辺でおこる様々な事件、事件とはいえないほどの、ささやかないさかい、行き違いでも、胸にずっしりと響く時があるものだし、響いたものについては考えざるを得ない。それは自分の中に問題とする何か、胸に響く何かが用意されているからで、他の人には何でもないような、ありふれた事件でも考えるきっかけとなるのである。そして、自分自身の心をうち、心をとらえるものであれば、真剣に取り組み、追求もできるのである。追求せずにはいられないのである。逆に世間的には大きな問題でも、自分の側に受けいれる準備ができていなければ、それをうけとめることはできない。事件の傍を素通りするほかない。
 人間は、誰でも、この、心にずっしりと感じられるものに何度かぶつかるものである。その時、それをにがさず、徹底的に追求することが大事なのである。そのためには、これまでくりかえしのべてきたように、欲望を開発し、感覚をみがいておくことが必要なことはいうまでもない。
 この、心にずっしりときたものから、学び始めたものが、学者、研究者が一般に頭の中で考えて、重要なテーマだから追求するという態度から生まれたものと異質であることは今更いうまでもないであろう。そのとりくむ姿勢ははっきりと違ってくる。気構えが同じであるわけがない。実現のための意欲が違えば、当然でてくる方法についての見解も異なってこよう。
 独学者の出発点はここにある。そして誰にでも開かれている出発点である。いくらでもころがっている出発点である。要はそのきっかけをつかんで、学ぶ第一歩をおこせるかどうかによるのである。
 私がはじめて、私の心にずっしりとくるものに出会ったのは中学二年生の時であった。それまで農村で比較的のんびりと育ってきた私は、絶望的に近いまでの環境におかれて、生きていくことにあえいでいる人達の存在など考えたこともないし、頭に浮かんだことさえなかった。勿論誰もそんなことを話してはくれなかった。当時学校からは、雑誌すら読むことを禁じられていた中学生の環境の中で、偶々訪問した友人の家で、そうした人の暗い手記を読んだ時のショックはその晩、ねむれないほど全く大きかった。
 当時の私の幼稚な頭が精一杯に考えたことは、警察官として彼等の力になるということであった。技術者になることをずっと夢みつづけていた私にとって、(その希望がどこから生まれたか明かでないが)この志望転換はそれこそ、当時の私にとっては大変なことであった。私の職業への志望は、その後、私の視野が開け、考える力が前進していくにつれて変わっていったが、絶望的な人達の状態をどうするかということが、その後ずっと、私の心の中心にどっしりと据えつけられたままであり、私の学習は一貫してその方法をあきらかにするものであったということがいえる。

 土台づくりをさぼるな

 中学二年生のとき、私の一生をとらえて離さぬほどに、ずっしりと私の心に響いてきたテーマを持ったことを喜ぶ反面、そのことについて、今の私がにがいものを感じていることも事実である。それは外でもない。勉強の基礎づくりをさぼったことに対するにがさである。そのことが私の成長と前進を相当に阻んだことを認めないではいられないからだ。
 当時の私が無味乾燥に近い授業に興味をもてなくなったのも、世の中の悲惨な人達の存在に何等の関心をも示そうとしない教師達に無縁なものを感じはじめたのも無理はなかったと思う。だが、周囲にどんな指導者も助言者も見出せなかった上に、当時の田舎町の中学生である私には読む書物さえなかった。私は怠惰な中学生になったにすぎない。将来にそなえて、じっとはやる心を抑えて、基礎学力の収得に努力する考えすら持てないほど当時の私は幼稚でもあった。どの学科も下らぬものに見えた。事実今日から見ても下らぬものが多かった。しかし、そのために全教科を犠牲にしたことは大きい。政治囚が投獄毎に、一の語学をマスターするということを当時の私に教えてくれる者がいたら、私の疑問に結びついた勉強法があることを教えてくれる者がいたらと思ってみても空しい。要するに私は、英語の教科書の内容から英語の世界までを忌避させてしまった。こうして、不毛に近い中学生生活を終った私である。
 基礎がしっかりしていないと、その上に堅固で豊富なものを築きあげることができないことは貴方も先刻承知しているはずである。承知しながら、この地味で、忍耐強さを必要とする作業を怠けがちになるのも、感情豊富な青年であればこそ、ありがちなものである。とっくりと考えてほしい。
 例えば、建築において、どんなに基礎構築が重要なポイントをもっているか、また、その上に作られる建造物によって、自然基礎構築もどんなに違ったものを要請されるかを考えるならば、このことは容易に理解できよう。
 では、学力における基礎、土台とは何かということが問題となってくる。世の中で、一般に、基礎がたしかだと思われている所謂学校秀才が、社会にでて意外に伸びない例が多いことも、基礎とは何かについて、もう一度考えてみる必要を提供しているといってよかろう。
 ここで学力の基礎、土台として、二つの意味があることを指摘できる。つまり、その一つは、学んでいく上に必要な基礎的学力である。所謂、読み、書き、そろばんといわれている内容を中心としたものである。勿論、学ぶことの進行の度合いによって、その程度はさまざまだが、要するに、学ぶ内容を理解し、進めていくための道具である。もう一つは、学ぶ目的、学ぶ態度そのものである。
 私は、学ぶことの基礎、土台という場合に、むしろ後者を中心とし、前者を従と考える。それは決して前者の基礎学力を軽視するわけではなく、甘く考えるものでもないが、やはり肝要なのは、その学ぶ目的であり態度であると考えるのである。前者を無視して失敗した私であるが、学ぶ目的をしっかりつかみ、学ぶ姿勢を身につけた者には、基礎学力を身につけることは容易だが、その逆はなかなか因難だと思うからである。ことに、学ぶ目的や姿勢がそれている場合、知識がすすめば進むほど悪用する可能性は強いし、悪用しないまでも、学ぶ姿勢に一本すじの通っていない学者、研究者の弱さと無力さはあきれるばかりで、結局社会を停滞させる悪に転換するからである。
 学校教育は昔も今もかわらず、この点を転倒させたままに終っているし、進学、就職がやかましくなればなるほど、この傾向に拍車をかけている。
 では、学ぶ目的、学ぶ姿勢について考えてみよう。
 貴方は何のために学ぶか、学ぼうとしているか自問したことがあるに違いない。自分と社会に対して、どんな目的と要求をもって学ぶかについてである。だが、貴方の周囲には、そのことを考えようともしない者、あるいは考えることはむだなことのように考えている者があまりにも多いのではあるまいか。ひょっとすると、貴方も、このことは自明のことととして、それ以上に深く考えたことはないかもしれない。それに、私達は多くの場合、読んだ書物を通じ、教師を通じて、間接的に自分の心でとらえる。時代から、現実から、じかにそれを感じとり、とらえることをしない。まして自分自身の内的関心、内的感覚、内的要求にぴったり結びつけて考えるようなことは珍しい。自分の存在、自分の感覚や欲求とは無縁の所に、学ぶ目的がポッコリとあることが、むしろ当然のような有様である。それに学校でこんなことを求める教師はめったにいない。例外的にわずかにいるだけである。さらに自らすすんで、こんなことを考えようとする学生もまた例外的な存在である。考えてみても、それのできる能力も余力もないのが普通である。そしてこんなことをやろうとすれば、学校での成績は香しくなくなり、教師達に白い眼でみられるのがおちである。
 私は幸いというか、おそまきながらも、中学校四年生のとき、漢文の老教師から、ようやく時勢を批判する視点を与えられたのである。私の関心とまがりなりにも結びついた思想的政治的な開眼であった。その視点は水戸学であり、百年前の日本を指導したものであったが、昭和十年代の思想的状況とからみあって、それは十分に、私に生きる活力と課題を与えてくれた。そして、私の眼と心で、時代と現実にむきあい、それをうけとめさせてくれたのは学徒出陣による二年間の軍隊生活である。
 それこそ、軍隊生活で、私はいろんな過去と生活を背負っている人間をじかに見た。直接につきあいもした。彼等を通じて、その背後のひしがれた生活もかいまみた。私の関心と研究テーマに具体的内容を与え、ずっしりとした生活の重味を加えることができたのは軍隊生活のおかげである。戦後、大学にかえっての勉強が、時代と私、現実と私をいよいよ統一的にとらえさせる方向に深まっていったのも当然であった。その点で、私は教授達にとって好ましい学生ではなかったかもしれないが、私としては精一杯に生き、精一杯の学究生活を送った。
 私のこうした体験をふまえていうのではないが、もし、人文科学を学び、その分野で仕事をしようとする者には、高校を出たら就職することを推めたい。たとえ学者を志望する者に対しても、そういいたい。高卒のまま、大学に進学する予定のない者はそれで結構だ。就職したら、そこで二年から三年のあいだ、自分と現実とをむきあわせて、みっちりと現実から学びとることをすすめたい。そこで眼に触れる総べてのものに、自分の眼を大きく見開いて見つめることをすすめたい。その裏側にあるもの、姿、形にはあらわれないものを発見し、感じとり、考える。それは自らの感覚を鋭くし、欲求を激しくさせることになると同時に、自分の感覚と欲求を観察し、発見させることになる。こうして自分の感覚と欲求の延長線上で、自分の将来の仕事の方向を見出し、その上で、何を学び、専攻するかを決めることだ。この二十才前後の時期に、自分の感覚を磨くチャンスを失なうと、ごく例外を除いては、再びチャンスは廻ってこないだろう。チャンスは逃すべきではない。
 こうしたことの後に大学に入り、学業に戻ったなら、大学での収穫はすばらしく深く大きい。実り多い学生生活が送れることは間違いない。大学に行く経済力がなければ、夜間に通う。通信教育を受けるのもよい。それも不可能とあらば、学校制度におんぶすることなく、困難ではあるが、自分一人でやって行く。だが、大学生活を一応必要とするのは、一つのテーマについて研究するには、それだけの時間とエネルギーが、設備が必要だからである。大学生活の四年間、それに没入したからといって、その成果はそれほどのものではない。しかし、それなりの力は与えてくれる。自らの一つの見識、見解を持つためには、そのくらいの年月の、他のことには患わされないで、没頭した生活は必要である。可能な限り、少々の無理をしても、大学行きを推めたい。
 第二の基礎学力について考えよう。基礎学力については、あまりくよくよと考え過ぎることはない。必要なのは、自分にその力が欠けていると知ったら、早速、勉強にとりかかることだ。基礎学力と学校教育歴、学校での成績表に現われた能力などを混同してはならない。要求に即して学び、欲求に導びかれて学ぶと、その収穫は大きく、身についてくる。第一の学ぶ目的、学ぶ姿勢と結びつくと、能率が上がる。基礎学力は、その学ぶ目的、進行の度合によって程度が異なることは先に述べたが、まず、自分の関心をもったものを徹底的に読み、聞き、考えて、マスターすることから始めるとよい。それは何であってもよい。何から始めなくてならないと考えることがおかしい。ただ、一つのテーマ、一人の先達者の研究をできる限り深くつっこんで究明することは大切だ。一冊の本を読む場合に、わからない所につまづいたら、それにかかずらわずに、先を読んでいく。読み終ったら、もう一回読む。またつまずくかもしれない。読み終ったら、また読み返す。こうやって、何回も繰返して読み、その本に関する解説的な本を、その後に読んでみる。そしてさらに、もとの本を読む。その作業がすんだら、次は、今研究している者を批判したり、反対の立場に立つ者の意見、論文を、徹底的に学ぶ。これを学びながら、自分の中の先に究明した者についての考えを徹底的に検討し批判してみる。このような段階を経て、一つの思想なり研究が、自分のものとすることができ、さらに発展もさせられる。自分の見識見解も持つことができる。こうなれば、それをもとにして、他の思想や研究も、批判吸収していくことができ、さらに自分の考えを批判していくことによって発展もさせられるのである。
 私の場合、基礎学力がないことで、現在にがい思い出をもっているというのは語学力である。オリンピックにそなえてなどと、ケチな気持でなく、語学だけはやっておくことをすすめておきたい。読みたい本をその著者の母国語のもので読んでいけばいいのだ。大切なことは、にがい状態をつづけないことである。今一つは、学校秀才になり得なかったために、鈍才とみられ、また鈍才としての人生を送るようになったことはやりきれないことでも、もともと鈍才だったと思えばすむことだ。鈍才だからといって、自信を喪失することもないし、生きられない世の中でもない。学校の成績からいえば鈍才の多い世の中である。仲間が多いと思えば気強いともいえる。要するに、それらは決定的なにがさではないことを更めて附記しておきたい。

 自分にあった方法をつかめ

 自分の内面に深くかかわるような、片時も忘れられないようなテーマが私の心をとらえて以後、私の学習コースは、完全に学校教育のコースと平行線を辿りはじめた。私の水戸学への研究を深めるために、当時できてまもない国策大学、神宮皇学館大学予科に入学するために始めた勉強にしても、依然として学校教育とは別個に、参考書だけにオンブしての勉強以上にいかなかった。どうにか入学はしてみたが、私の求めるものがそこにないことを知った私は、そこでもまた中学時代と同じく、平行線を辿りつづけた。戦後占領軍の命令で大学を閉鎖された私は、広島文理大に転学した。私はそこで、日本と自分との再検討にとりくんだ。戦後の混乱した状況で、講義は空白に近かったため、私ははじめて、学生生活をのびのびと送ることができた。強制されることもなく、私のテーマを追求することができた。妙なことをいうようだが、興味と関心のもてない学科をやらないですんだ。しかもこの頃にやっと必須課目が自分の研究テーマと関連して受けとめられてきた。それまで進級するのが精一杯だった私が、大学では比較的好成績をとれたというのも妙なことといえばいえる。
 これは、学校教育が、ちょっと見には、いかにも年齢的発展の度合いに即した指導をしてしるように思われ、能力に応じた教育のように判断され勝ちでありながら、実は、その年代の最大公約数を中心にして企画されたものでしかないことをしめしているといってしまってはいいすぎになるだろうか。個人の肉体的発育がそれぞれ違うように、その気質、性格、感情の発展は違っており、そこから、知的発育の度合いもばらばらである。年令によって一応、区切りをつけたにすぎない集団の中で行なわれる指導の進行は、当然、ある者にとっては速く進みすぎ、ある者にとっては遅すぎる。その内容もまた、まんべんなく、ばらばらな知識を注ぎこもうとする結果に終っている。だから、むしろ、学ぶ目的そのものが、その能力を高め、発展させていくものであることを、はっきり知ることの方が大切であろう。
 また、自分の能力を知るためには、まず学び始めることしかない。その手段については、まったくの模索しかないが、手はじめに、自分のやりよい方法、無理のない方法を選ぶ。そのなかで、自分の現在の能力と、理解や体得の速度、深さをつかめばよい。学ぶ目的を果たすために、副次的に学ぶ必要のあることも、いろいろと出てくるだろう。それらをかみ合わせ、自分の肉体的条件、時間の制約、周囲の状況をも含めて、自分のやり方を作りだし、発見していけばよい。私のように、中学時代の大半を、そうするしかなかったといえばそれまでだが、遊んでくらしたことは、なんとしても大きな損失だ。
 学校教育をうけている以上は、その講義を自分に密着させ、その内容を自分のものとして発展させるだけの強靱な能力が必要である。また、学校を離れて、すでに仕事をしている者は、それがどんなにつまらぬものにみえても、それを自分の中に取りこんで結実させる方法を見出すことが必要である。自分にあった方法、自分の能力にあった方法とは、いついかなるときも自分を主体にして、自分の中に組みいれていく方法である。そして、そこに、その人自身の本当の工夫があり、努力があるのである。
 高校の歴史教師としての私が一番力をそそいだのは、生徒各自の個人発展史を各人の将来への展望をふまえて明確につかませることであったし、それを日本史との関連の中でつかませようとすることであった。今一つは、各人の生活にかかわったところでの研究テーマを持たせ、そのテーマを歴史的に追求させると同時に、これを日本史の中に位置づけることができるような指導であった。そしてその中間報告をもって試験にかえ、テーマを持たない生徒だけに共通した試験を課した。勿論その試験も、生徒の感情や感覚を知的にゆさぶることをねらった。こうした指導が十分に成果をあげたかどうかは疑問だが。
 昭和二十九年から昭和三十一年にかけて出版した雑誌「新しい風土」は、各自にあった方法で、各自の当面している問題を解決する方法を発見するために役だつものを作ろうとしてはじめたものである。職場にある問題、地域にある問題を自分と統一的にとらえ、自分と職場、自分と地域を変革し、発展させる方法を明確にしようとしたものである。変革のための実践プログラムを明かにしようとしたものである。これもまた、どこまで成果をあげたか、甚だ疑問ではあるが、各人がそれぞれの方法を発見することそのことが、今日の時点にあって、一層切実なテーマとなっていることは疑いない。

 前進には試行錯誤が必要
 自分のテーマを自分にあった方法で、しっかりと追求する姿勢にすじ金を通そうと思えば、自分の道をゆくというか、自分一人で生きぬく覚悟が必要である。自分一人で生き抜く覚悟とは、試行錯誤を恐れない覚悟だともいえる。
 貴方が少し注意深く、自分の歩んできた道、友人や教師との関係を考えてみたら、どんなことでも、それが絶対に自分にプラスであったとか、絶対にマイナスであったと結論づけられないことを容易に知ることができよう。無理解な教師、指導性を欠いた教師と、中学時代の教師を批難している私にしても、その教師故に、深く考え、強く感じることのできるきっかけとなり、その意味では、大変得るところがあったといえる。高校教師としての私は非常に影響力のある教師という評価を受けたものだが、私とうまくかかわりあえないで逆に成長を不十分にした生徒がいくらでもいた。
 一つの事件が人間にかかわるかかかわり方も千差万別であることはすでにのべたが、ここで考えなくてはならないことは、どんなことでも自分にプラスに展開できる能力ということである。殺しと盗み以外なら、またそれに準ずる以外のことなら、恐れることなく、ぶつかっていけばよいし、ぶつかっていく心構えが必要だと思う。一人で生き抜く覚悟、試行錯誤を恐れない覚悟は、協力者や助言者を必要としないという意味ではない。逆に一人で生き抜く覚悟、試行錯誤に徹して生きていくためにこそ、協力者や助言者はいるともいえる。
 その思想や意見、生活態度に共鳴し同化するか、反発するかは別として、人が周囲から受ける影響は非常に大きい。親、兄弟、友人、教師、そのほか近所の人、家に出入りする親兄弟の友人、知人、親類など、日常的に知りあい、触れあう人々から、大なり小なりの影響を受ける。
 どんな人に出あい、そこにどんなかかわりあいが生じるかが、その少年期、幼年期の半ばを決定するといえる。ことに、この時期は、自分で作るよりも、より多く作られる段階だからである。
 そして、少年期から青年期にかけて、その生活態度、ものごとに対する受けとめ方、考え方、行動について、適切な批判と助言をあたえてくれる人、よき理解者であり、協力者ともなる人を得るか得ないかの違いは、その人の人生を豊かにするかしないかというほどの意味をもっている。
 だから、すぐれた助言者、協力者を得るためには貪欲でなければならず、また彼等からは貪欲に吸収し、貪欲に協力や助言をうけるべきだ。思う存分吸収しつくしたら、次の新しい助言者、協力者を求めなければならない。自分に必要なものを相手はもう持たないとなると、相手に対する関心は急速に冷えていくため、盛んに吸収していた時期に比べて、自然遠ざかることになるが、これはしかたないことで、それでよいのだ。その際、吸収しつくし、乗りこえたとなったら、今度は逆にその人の協力者と助言者となればよい。恩知らずとか、冷たい男なんて批評はとんでもない批評である。
 だが、よき助言者、協力者を得ることはむつかしい。それにふさわしい人が、常に手の届くところにいるとはかぎらない。それに人と人とのであいは、多くは偶然に行われる。出会う時期によっても、それが効果的に生かされるかどうか違ってくる。青年期に出会えば、大きく影響されたであろうと思われる人にも、少年期に出会って、また偶然によって引きはなされてしまえば、その影響力は、極く小さな芽の階段に終ってしまうかもしれない。お互いの気質や好みなども、うまく影響をうけるかどうかを規制する。長い学校生活を送っていると、すぐれた助言者、協力者に比較的恵まれるチャンスが多いが、早く社会にでて、学校教育によらずに勉強していこうとしている人達は、こういう人達に出会うことは難しい。しかも、そんな条件で勉強する人こそ、一層、協力者、助言者を必要としているが、そこがうまくいかない。
 仕事の上で接触する人、先輩、後輩の中から、積極的にさがし、選びだすことが必要だ。本を通じてこれはと思う人を発見したら、精一杯その人にむきあい、その人から学びとることも必要である。
 深く考えることもなく、ただなんとなしにBGになった女性が、職場の上役の助言と指導で、その方面の勉強をはじめ、大きく前進した例はいくらでもある。研究所のお茶くみ女性でしかなかった人が、一かどの研究者になった例もある。要は精一杯その人にぶつかることだ。
 高校教師のかたわら、塾教育をやったことはすでに述べたが、私は、ここでもっぱら、史上の人物の中に彼等の助言者、協力者(同行者)を彼等自身に発見させようとして、政治家、経済人にはじまって教育者、芸術家にいたるまで、可能なかぎりの伝記を彼等の前に提出し、その中から選択させた。次に、その人達の著書がある場合には、その人達の思想と生き方を深めさせるようにした。少なくとも、一生彼等とともに歩み、一生を通じて、彼等に助言し、彼等と対話できる人間を発見させようとした。一人で生きながら、常に二人、三人で生きていける生き方であり、一緒に死ねる間柄でもある。孤独に悩みぬくことのできる人生でもある。しかも史上の人物といわれるほどの人は試行錯誤に終始した人、あるいは、それに近い人であることが、彼等に勇気と自信を与えるだろうと考えたのである。

 自分を生かした共同学習

 仲間づくりが盛んに提唱されている。「弱い者は団結しなくてはならない。一人の力は弱いが団結した力は大きい。一人で学ぶよりも、仲間に支えられた学習の方がずっと大きい」と、いろいろその理由がいわれている。たしかにいっている通りだ。集団の力は大きくすばらしい。
 だが、いついかなるときも集団がすばらしいとはいえない。集団が人間をだめにする場合を我々はあまりにも度々体験し、みせられている。
 自分自身に生き、自分を生かそうとしている者は自分を本当に大切にする。本当に自分を生きたことのない者は、自分を大切にすることを知らない。自分を大切にすることを知らない者は他人を大切にすることができない。習慣と堕性でしか、人に接することができない。生きることのすばらしさとむつかしさを知った者には、自分の人生であろうと他人の人生であろうとおろそかにできない。このおろそかにできない人であって、はじめて、他人と手を握りあい、力をあわせて仕事をすることもできるし、本当の意味の仲間をつくることもできるのである。
 弱い者は団結しなくてはならないという。たとえ客観的に弱い者であったとしても、本当に弱さを感じとった者でなければ、本当の意味の仲間をつくることはできない。孤独な人の場合も同じことだ。孤独という言葉を心の底までしみ通るほど味わい、感じた者には、本当の仲間ができる。弱い者、孤独な者には本当に仲間が必要なのだ。一つの目標を本当にかかげて進んでいる者にもそのことがいえる。
 だが、こちらが本当に仲間を必要としている状態にあったからといって、相手がそうではないときには、その間に仲間の関係は生まれない。なまじ周囲に人がいればいるほど、逆に一人ぼっちを感じずにはいられない場合だってある。親や兄弟もその一人ぼっちの淋しさを救うことはできない。ただ一人の仲間だけがその孤独から解放してくれる。親や兄弟でも、妻や夫でも、志を同じくし、心を通わせられるとき、はじめて仲間といえる。
 仲間であるためには、同じ志を持つ者同志の共感と信頼を分かちあえなくてはならない。仲間であることのむつかしさ、仲間づくりのむつかしさを思いしることが、仲間づくりの必要を説く以上に大切だともいえる。
 仲間を求める行為は、それ自身目的でなくてはならない。欲するから求め、必要だから作るのである。だが、今の仲間づくりは何かのための手段の位置に転落している。転落したままにおわっている。手段であるから、離合集散はあたりまえだし、それを平気でやってのける。お互をそれによって傷つけることも平気なのである。集団のために、かえって人間の自由な判断がくもらされ、思いきった行動ができない場合も多い。もっとわるいのは、集団におんぶして、自分の自由な判断をくもらせ、自分の自由な行動をやめて、ひきずりまわされていることである。ますます、自分を弱くしているのである。
 以上のことは集団学習をする上で忘れてならない、最低の基本的な考えである。かつての私の塾教育の中では、塾生達はつねに自分が本当に何かを求めている人間であるかどうか、本当に求めてここに集まった者であるかどうか、自分の心をたしかめようとした。もし本当に求めて集まったものであるなら、そのための学習をきびしく自分に求めると同時に、塾生相互に求めあわなくてはならない。きびしく求められて閉口するような人間なら去っていけばよいという考えが塾生活を支配していた。彼等が共同学習の形をもったのは週一回しかなかったが、彼等の相互批判は徹底していたし、その批判はつねに、彼等の日常生活、日常的会話のことにまで関連づけてすすめられた。
 大抵、その日の発表責任者は青くなったり、赤くなったり、中には泣きだすものさえいた。そのために塾教育を去って行ったものもいたが、この生活の中で、人間を信頼するということは人間の何を信頼することであるか、何が信頼できるか、人間の心と心を結びつけるのは何であるかを発見していったように思われる。
 共同学習は、どんなに注意していても小さく狭く固まりがちな傾向をもつ独学者を、たえず多面的な角度からうち破る作用をしてくれる。自分自身、人間の多様性、考え方の多様性を発見することによって、自然弾力的な考え方を持つようになる。持たせられる。時には、挫けようとする心を支えてくれることもあろう。
 学校を去った私が二年後に、雑誌「新しい風土」を発行したのも、共同研究の場というか、出発点ともなり、よりどころとなるものをつくろうとしたためであった。自分達を基調にした、職場なり、地域なりの変革プログラムを作成することからはじまって、それを歴史の変革プログラムと重ねあわす研究作業をねらったものであった。必要な研究資料にしても、共同購入すれば、それだけ大きな力になると考えた。それはまた一つの生活圏を確立することもねらっていた。
 塾が外圧で閉鎖をよぎなくされたことは既にのべたが、「新しい風土」を中心にした共同研究も、力と準備不足でこれもまた二年半で中断した。といって、共同学習と共同研究が必要でなくなったわけではない。ますます必要度を深めているといった方がよかろう。

 意志と闘志と根気と

「意志が弱い」と自分を反省して嘆いた経験が全く無いという人は珍しいだろう。貴方も一度は、いろいろな計画や試みを自分に課し、それがもろくも崩れ去ったことを体験しているに違いない。その崩れ去った体験が、ある人には意志を強固にする作用をし、ある人には、意志を弱め、あるいは意志を喪失する作用をなしている。常に、何の外部的障害もなく、自分の思う通りに行動できる条件にあった場合、思い通りのことを遂行できるか否かは、自分自身の意志の強さの問題であり、内的障害に打ち克つかどうかによって事の成否が決まる。勿論、自分自身の内部にも、さまざまな種類の欲望が、ひしめきあっていて、ある時は心をゆり動かす誘惑となり、ある時は無力感をさそうなど、それらを克服するのは大変である。だが、これらにましてやっかいなのは、外側からの障害である。外部の障害と内部の障害が結び付くと、これの克服は難事となる。多くの挫折は、ここに生まれる。何の障害もなく遂行できるのなら、意志力の強さ弱さなど、問題にはならない。挫折した時、人はいろいろと、それについて考えさせられる。忘れたいと思っても、容易に忘れられず、あの時、もっと頑張れば、とか、もっと強ければなどと思い悩まずにはいられない。敗北感、挫折感に完全に打ちのめされ、立ち上がる気力も失なってしまうと、「自分は意志が弱い」というレッテルを貼り、自分の努力の不足、欲求の不十分さなどに目をつぶろうとする。まるで意志の力は生得のものであるかのように、それで自分を合理化しようとし、甘えた結論に持っていこうとする。「自分は意志が弱いのだから」と。だが一方、敗北感、屈辱感に泥まみれになりながらも、なぜ挫折したか、自分に何が足りなかったかを執拗に追い求める者は、その苦しく口惜しい体験をふまえて、自分の意志を強固に育てることに努力しようとする。強い意志にこそ、激しい闘志と粘り強い根気が伴なう。そして独学をやり抜いていく為には、強い意志、激しい闘志と根気強さが徹底的に必要である。
 よく、「自分は一度こうと思ったら、どんなことがあってもやり抜く人間だ」と言う人がある。ここで間違いやすいのは、意志の強いことと、頑固なことを混同することだ。頑固者もまた、何が何でもやり抜く強さを持っている。頑固者が、一度こうと思ったその内容が、筋の通った正しいことならば、それはそれでもよいが、往々にして、たしかな知識や深い思索の裏付け無しに、横車を押す場合がある。人間を人間らしくさせ、人間自らが支配しているもの、人間の思索や判断を媒介として、思索や判断を、更には行動を支配し制御しているものこそ、人間の意志、闘志、根気なのである。いかに困難なことに阻まれようとも、それが必要だと認める限り、挫けようとする心を立ち上がらせ、粘り強く持続させていくことこそ、意志、闘志、根気の力なのである。一度思いこんだら、ただがむしゃらに、横意地をはり通す頑固さとは、いささか違っている。
 これらのものを強くするのに、最も必要なことは、自分自身を見つめ、自分を知るということである。これは、自分を制御する能力を身につけることにもなる。制御は決して抑圧ではない。スポーツを徹底的にやる、坐禅を組むなどのことも、結局は、それに徹底することを通して自分自身と向き合い、自分を知ることにほかならない。自分の仕事に本気になって取り組むことも、同じ効果を得られる。先に述べたように、自分の挫折の体験を徹底的に掘り下げることも、大切なことである。ただ、意志が弱くて挫折する場合とは別に、意志を貫くための計画、方法が拙いために、かえって自分や周囲を混乱させて破れることがある。これも、挫折の契機、過程を綿密に検討することによって、発見できるであろう。貴方は、これを意志が弱いことと混同してはならず、目的の遂行のためには、その目的に十分なだけの知力、考えの深さが必要であり、いやむしろ重要な役割りを持っていることを知っておくことが必要である。意志を強く持つこと、激しい闘志をかきたてること、粘り強い根気の力をもって事にあたるにも、周倒な準備が必要で、ただめちゃくちゃに武者ぶりつくだけでは、到底、本当の力は発揮できない。

 苦難に打ち克つ知的ヴァイタリティ

 世はまさにスピード時代である。世界の様相も日毎に激しく変転している。我々の身辺を見廻わしても、その動きの速さ、激しさはすさまじいものがある。その中で、一日一日を過ごしていくのにさえ、相当な労力が費やされ、神経は磨滅させられる。
「もう馳目だ、とてもついてはいけない。これ以上はできない」とまず弱音を吐くのは肉体的条件である。「気ばかり焦っても、身体がいうことをきかない。神経がまいりそうだ」ということになる。
 だが、若者達はケロリとしている。激しく変転する世の中をまともにうけてびくともしない。楽しんでさえいる。まだまだ、いくらでも、のみこめるし、ついてもいけるという顔をしている。そのヴァイタリティといったら底しれない感じがする。このたくましいヴァイタリティが、困難な生き方を支える根源ともなり得る。打ちのめされても、踏みつけられても、なお奮い立ち、立ち直る意志や闘志をがっちりと支えてくれるのは、強い体力であり、そこから溢れ出るヴァイタリティなのである。どんな苦しみでも打ち克ち、切り拓いていこうとする時、精神的苦難と肉体的苦難の双方に耐え、それを乗り越えていかなければならない。“若者よ身体を鍛えておけ、美しい心がたくましい身体にからくも、支えられる日が何時かは来る”という歌の言葉通りに、強い体力とヴァイタリティは重要な役割りを持っているのである。過渡期の困難な時期を、自らの力で乗り切ろうとする生き方を選び取った貴方は、それが決して安易な道ではないことも知っているに違いない。そうであればなおのこと、自分のヴァイタリティを強めるためにも努力する必要があり、そのために身体を鍛え、体力を調整する注意を怠ってはなるまい。
 しかし、ここでもう一つ問題にしなければならないのは、肉体からくるヴァイタリティとは別の、知的ヴァイタリティである。現代の混乱や分裂に流されず、だからといって、そこに一定の間隔をおいて流されないのではなくて、自分のすべてで、それとむきあい、それを受けとめ、その中から新しい価値と方向を求めて思索し、行動していける知的ヴァイタリティである。そこまでとてもついていけない、考えきらないと弱音を吐かない知的ヴァイタリティのことである。それは、若者の肉体的ヴァイタリティに相当するものでなくてはならないほどに、なみなみならぬヴァイタリティということになろう。勿論それが頑丈な肉体に支えられていることはいうまでもないが、我々は、「あの弱々しそうな人が」と思われるような、一見ひよわそうな人が、強力な思想を展開し、時代を長く指導したり、常に病床にありながら激しい意欲で仕事をしつづけている人を見受けることができる。これは、おそらく肉体の条件をりょうがするほどの欲望の強さに支えられて成立したものであろう。そういう欲望がどこから、どのようにして生まれるかは、人によって違うにしても、つまるところは、人間として精一杯生きてみたい、すべての人間と精一杯生きてみたいという欲望に発展させられ、強められた結果生まれたものといったらよいであろう。
 人間への不信、絶望がそのもとをなすかもしれないし、人間が永遠と絶対を求めながら、永遠、絶対には無縁な存在でしかありえないという歎きがもとをなすかもしれない。あまりに多くの人達が人間としての生活を享受していないという考えが原因をなしているかもしれない。それらが、生きつづけるために激しく闘う生命と一つになったときに、はじめて、知的ヴァイタリティはすさまじいものになるといったらよいのかもしれない。
 自分の身体から造りだすエネルギーも意欲をもやすことによって強大になる。知的エネルギーをつくりだすのは、欠乏感であり、飢餓感であり不満である。それが大きければ大きいだけ、それをうずめようとするものは強くなる。その強さだけのエネルギーがつくられるといったらよいだろう。独学をしていこうという貴方は、エネルギーを強く大きくすることにも、熱心でなければならない。

 遊ぶことの哲学

 遊ぶことは楽しい。遊びの楽しさは誰でも知っている。決定的な身体の不調や、心配ごとでもない限り、人はたやすく遊びの中にとけこみ、夢中になり、楽しみ、面白がる。遊びは我を忘れて熱中すればするほど面白く、楽しい。だが、こんな遊びはつまらない、バカバカしいと思うと、一向に遊びに身が入らず、面白さも楽しさもわいてこない。時には、それに打ち興じている仲間までが、バカバカしく見えてくる。やる気のない遊びにとけこむことは難かしい。貴方にもそのことはよくわかっているだろう。だが、遊びの嫌いな人間はいない。その遊びの内容こそ各種各様だが、誰でも遊ぶことの楽しさや面白さは、よく体験していて、そして、その状態を求めている、遊ぶことさえ面倒だというのは、よほどの怠け者で、多くの者は、遊びの楽しさを得るためには、少しの労苦もいとわない。それほど遊びの楽しさは魅力をもって、人を引き寄せるのだ。
 遊びの世界は現実の社会から分離されている。遊びの中に、現実社会でのポストや能力を、そのまま持ちこむことはできない。遊びの中には、遊びそのものの不分律があり、ルールがあり、序列もある。それは現代社会のものとは無関係で、あくまで遊びが要求するもの、遊びの技能から生まれるものである。こういうことは、現実の社会からの逃避を望む者にとっては、かなり大きな魅力となる。
 遊びの中に、偶然というか運というか、いわゆるツキの要素が強いことも、遊びが人をひきつける、大きな原因となっているといえよう。技能だけでは到底かないそうもない相手にも、ツキの具合によっては、大きく勝つことができる。同時に、技能があるだけでは優位を占めることはできない。興奮とスリルをもたらすはずである。興奮とスリルを最大の魅力とするのはギャンブルであろう。一般に、安定した実生活の中に、ギャンブルのようなスリルを感じることは少ない。また、多くの人も、実生活の中でスリルを求めようとはしない。もし、スリルを感じさせるような場面が現実の生活の中で出現したら、スリルをスリルとして味わう余裕は見出せないだろう。遊びであればこそ、スリルをも自ら求めるのだ。遊びは本物の生活の枠の外に成立する、架空の世界のできごとなのだ。遊びの大きな前提条件である、そのことを忘れ果て、あまりに遊びを本物の現実の生活に似せようとしたり、現実の生活と混同して浸り込んでしまうと、生活を破たんさせるような失敗や、生命を失なうような誤まりをしてしまう。子どものママゴト遊びから、おとなの競馬、競輪の類まで、遊びはすべて架空の世界のことなのだ。競馬や競輪が現実生活なのは、それを職業としている人達にとってであって、馬券や車券を買う人にとっては、あくまでウソッコの遊びなのだ。
 それにしても、全身を冷風で洗うような爽快さ、手に汗を握るスリル、時を経つのも忘れて没頭できる遊びを、よくもこんなに数多く、豊富にこしらえあげたものだと思うが、現実の生活がもっと複雑化していけば、さらに多くの遊びも創り出されていくことだろう。遊びは、現実の生活の緊張を解きほぐし、新しい活力をもり上げるために、無くてはならないものなのだから。
 近ごろはそうでもなくなったが、人々のなかには、遊ぶことを忌み嫌い、遊ぶ者を軽べつし、時には怒りと憎しみを持つ者がある。遊ぶことと怠けることを混同しているのか、遊ぶことそのものを罪悪視しているのだろう。勉強家といわれ、仕事の虫と呼ばれる者に、そういうタイプが多い。夢中になって仕事に取りくみ、勉強に熱中する面白さ、楽しさを知っている者は、遊びの面白さ、楽しさに魅かれる気持も理解できるはずであり、また、遊びの世界に没入することが、仕事や勉強に、悪い影響を及ぼすものではないことも、納得できるはずである。もし、遊びの世界に足を突っこんだら、仕事や勉強から離れてしまうのではないかという不安を持っているのだったら、そんなヘッピリ腰の仕事や勉強の態度をこそ、再検討する必要があるだろう。
 貴方自身に遊びたい欲求が無く、仕事や勉強に打ちこんで満足なら、それでもよいが、もし、遊びたいという気持を常におし殺して、そのように努めているのなら、そんな無理はほどほどにして、パーッと遊ぶ方が、健康にも気分の上にも、はるかによいだろう。先に述べたように、遊ぶのは怠けているのではなく、むしろ、仕事や勉強を能率的に進めるためには、必要なことであるから……。恐る恐る、後めたい気などおこさずに、思いっきり、よく遊ぶことである。遊びながら何かを学ぼうなどとケチなことは考えずに、大いに遊ぶと、意外にも何かを得てしまうものでもある。だがこれはあくまで副産物だから、アテにしてはいけない。そんなケチな根性では、得られるものも失なってしまう。思いきりよく遊ぶことが、あなたの学習をさらに進展させることを是非発見してほしい。

 

                  <独学のすすめ 目次> 

 

第二章 すてきな独学

 自分の手でつかむ独学の味わい

 独学に試験は無い。独学は試験のために学習することからの、全面的解放だともいえる。独学では、他から強制される試験は無く、あるのは、自分自身の検討と批判だ。独学で学んでいるのは自分一人だから、他人との同一平面における競争はあり得ない。自分の理解の度合いによって自分の速度にあわせて、トコトンまで検討し、進んでいくことができる。わからない所で、どんなに足踏みしようとも、完全に自分の中にとり入れることができるまで、何度でも、繰返し検討することができる。そして、自分の理解が早い時には、無駄な足踏みをする必要も無い。学ぶ中心は自分にあるのだから、あせることも、急ぐこともなく、終始、自分のペースで進むことができる。常に充実した、手応えのある学習ができ、学ぶ楽しさを十分に味わうことができる。
 好きな時に、好きなことをやるという喜びがどんなにでっかいものか、そんな時どんなに生き生きした気持になるものか、貴方にも経験があろう。
 昔から、仕事をしている時の男性は素的である、魅力的であるということがいわれているが、その時の彼がいやいやながら仕事をしていないことはあきらかである。好きな仕事に思う存分とりくんでいる姿のすばらしさなのである。
 独学は自分自身のためのものだから、嫌な教師、尊敬できない教師と付き合う必要はない。自分の選んだ、自分の最も必要としているものを持っている先達を自分の教師とすることができる。比較的、選択がきく大学でも、このような自由な選択は望むことができない。選んだとして、せいぜい、専門課目の教授一人くらいなものであろう。それ以外は、すべて、できあいで間に合わせなければならない。勿論、小学校、中学校では、自分に教師を選ぶ能力はない。だが、小学校のように、ほとんど全部の教科を一人の担任教師に教えられる場合、あてがいぶちの、その教師に人を得ないために、伸びるべき芽を摘み取られ、だめにされてしまう例は少なくない。よい教師に出会うことは、まるで宝くじにでもあたるほどの偶然の幸運である。高校生ぐらいになれば、教師に対する評価の能力も生まれてくる。しかし選択の余地はやはり無い。あったとしても選択科目をどう選ぶかぐらいのことでしかない。与えられた教師から、試験という目的のために、知識を切り売りされているという状態の中には、学ぶ喜びも楽しみも生まれてはこない。自分自身に生きることを中止し、定められたコースの上を、一列にならんでトボトボと歩むほかはない。いやいややることと、自分から進んで、楽しく愉快にやることとでは、もし同じ内容のことをするとしても、その能率はぐっと違う。
 面白いからやる、楽しいからやるということは趣味であって、ある目的のためにするものではない。それより一歩低いもの、浅いもの、遊びの類だという考え方がある。これはとんでもない間違いで、自分の仕事や学習の中に、楽しみや喜びを見出せず、また深い興味や関心を持ち得ぬ人間が、仕事以外の所に楽しみを求めたという先例が、趣味と仕事を、そう区分けしたものであろう。仕事や学習に楽しみと喜びを見出し、つくり出し得る人間は、その点で全く幸せといってもよい。
 学ぶことに喜びと楽しみを見出したものは、学ぶことを決してやめない。やめられるものでもない。欲望達成のためにその方法をあきらかにしようとしてはじめた勉強が、途中で放棄されることがないのと同じである。たとえ、学校教育をうけている者でも、自ら学ぶ姿勢、楽しみながら学ぶ姿勢、試験にとらわれずに学ぶ姿勢を身につけることができれば、得るところも多いし、利用する価値は十分にある。我が道をゆく姿勢、一人生きぬく覚悟の必要を“独学を成功させる条件”のところでのべたが、学校教育を最大に活用できるのもこの姿勢であり、覚悟であるということがいえよう。
 現在学校に行っている者にとっても、そうでない者にとっても、学ぶという事が苦痛に満ちた事になってしまっているのは残念だ。学ぶ事が、どれほど楽しいか、喜びにあふれたものであるかを、たとえどれほど巧みに文章化しても、百万遍繰返して説いてみても、もしかすると、貴方にはピンとこないかもしれない。ほんの僅かでも体験してみないことには、ひどく現実離れのしたタワ言のように聞こえるかもしれない。その喜びを楽しさを知るためには、先ず、是非とも自らやってみることだ。そして、じかに、貴方自身の手で、その喜びと楽しさをつかんで欲しい。
 たとえば歴史という科目は、学校教育における暗記課目の代表選手のような地位を、長いこと守り続けている。歴史の試験で、枝葉末節の事柄や、細かい年号などを出す教師が多かったことから、こんな評価と位置づけができたに違いない。そこで試験に備えて、それらの重箱の隅をほじくるような事柄を、一つ一つ暗記する伝統が生まれてしまった。たとえ、あまり面白くもない、できの悪い歴史の教科書であっても、気軽に通読すれば、かなり面白い読物でもあり、その中で、歴史的な物の見方、判断力、展望の能力も身についてくるはずだし、主要な事件も自然に頭にはいる。楽しく学べるはずのものを苦しみに替え、つまらないものにしてしまっているのだ。それを自分のものに取りかえして学べるのも、独学ならではのことである。それが、貴方に学ぶことの喜びと楽しみを、はっきりわからせてくれるに違いない。

 永遠の旅行者としての道

 独り自ら学ぶ者は、孤剣に身を托して、剣の道を無限に追求する剣士に似ているといっていいかもしれない。彼をとどめるものもないかわり、彼がよりかかるものもない。彼をしばるものもないかわり、彼が遠慮しなくてはならない者はない。自ら思うことを学び、学んだことに随って行動すればよい。独学者にとっての孤剣は、真理であり、法則である。
 独学者はまた永遠の旅行者だといっていいかもしれない。時に放浪者となるかもしれない。そこには冒険とスリルがある。人の歩んだ道、人のきめたコースを歩まないから、冒険とスリルが伴うのは当然である。自然その生き方は生き生きとしたものになる。充実した人生になる。
 独学者は開拓者でもある。自分の学習を切り拓き、自分の人生を切り拓く。人に追随することが無く、自分の納得と判断によって、自分を切り拓いていく。冒険に挑むことも、スリルを味わうことも、自分の選択であるから、そこには喜びがある。自分を托するのは自分のものにした真理そのもの、法則そのものであって、真理や法則の権威ではないから、そこには安らぎがある。たとえ冒険に敗れても、再び、三度、冒険に挑むことができる。それが誰のためでもなく、自分のためであり、どうしても、やらずにはいられない内的欲求のためだからである。「本当だろうか」と貴方は思うかもしれない。しかし、新しい発見をし、新しい考えを打ち建て、人類の発展に方向を与えてきた先覚者達は、殆ど例外なく独学者であり、開拓者であった。そうでなければ、どうして、誰一人、足を踏み入れたことない原野を自分のものとし、人間全体のものとすることができただろうか。その開拓が、なみなみならぬ努力と苦難の多い道であったかは、貴方も、多くの伝記や読み物を通じて知っているだろう。そして同時に、それをやり遂げた人達が、どれほど自らの選んだ仕事の達成にひたむきであり、どれほど大きな喜びと楽しみを味わっていたかも、感じとっているはずである。もしそれが、経済的に、また地位や名誉のためには、報い少ないものであったとしても、彼等はその喜びと引かえに、仕事を捨て、開拓者をやめることはできなかったのである。
 独学者には、学校教育の中で、いやなことやきらいなことをやっていくうちに、次第にがまんしてやる習性を身につけていくということがなかったので、きらいな仕事、いやな仕事をそのままがまんしてやるということがない。彼は先ず、きらいな仕事を好きにし、いやな仕事を気持ちよいものにするために考え努力する。どうしても、そうならないと見究めたら、サッサと放棄する。
 要するに、独学者はとどまることができない。停滞していることができないのだ。彼は人生に真理に法則に、貪欲にくいさがる。何が彼をそのように貪欲にしたかはすでにのべた通りである。
 独学者は当然失敗する、過誤をおかす。それもしばしばであるが、彼は自ら選び、選んだものに精一杯生きたから後悔がない。後悔しようがないのだ。後悔しようがないほどに、その瞬間瞬間を充実して生きているのだ。勿論後悔がないということは、自己批判がないということではない。
 こうした生き方には、どこにどんな活路が開けてこないともしれない楽しみがあるし、いろんな喜びも発見できる。周囲の人を刺激し、その内側から本当に変えていくのもこうした人である。

 自主性のある生き方を選びとる

 自分と自分の人生に対して、どんな要求を持ち、どんな幸福感を持つかを明かにすること、明かにしていくことが、独学者の出発点である。自分のなかにある数多くの欲望のうち、どの欲望が最も強いか。どの欲望の達成が最も深い満足感を自分に与えてくれるか。それについて、自分の判断と自分の感情は一致するかどうか。一致しない場合、自分の判断と欲望との関係をどう調整することができるか。また調整すべきかを明かにすることから出発しなくてはならない。それが、自分が自分自身であるために、自分の力で学び、自分の足で歩むために必要な、最低の姿勢であるといってもよい。
 これが明かになるということは、過渡期である現代が要求する人間とはどんな人間を指すか、自分の目標とする人間は、如何なる人であるかが、自然にはっきりしてくるということである。
 こうして選び取った生き方は、そのまま自主性のある生き方ということもいえるし、こうした人間こそ、独立人ということもできる。自分の欲望と自分の判断を確かめ、それにしっかりと根をおろした人間には、旺盛な責任感が件なうことは当然である。自分の欲望に忠実ならば、自分に対して忠実ならば、自分の行動に対して自ずから責任が生じてくる。自分の欲望に従って行動している者は、他からの抑圧や利害によって、行動を左右させられることがない。
 自分に忠実であろうとすれば、自分の仕事の選択においても忠実にならざるを得ない。それは、自分の仕事が、自分の欲望と判断とどういう関係にあるか、どういう位置に置くのが好ましいかを明確に知ることでもある。だから、選んだ仕事を忠実にやり遂げることができるのである。自分と自分の仕事に忠実であり、自分の仕事を常に歴史の歩む方向に発展させる生き方が、周囲の人達から信頼を受け、尊敬を受けるのは当然である。そればかりでなく、周囲の人達を変えていくことにもなる。その人間性、その生きる姿勢が、結果的に周囲の人を変えることもあるが、実は、自分と仕事に忠実であろうとしても、共に生き、同じ仕事に携わる人々を変えていかなくては、忠実になり得ないからである。一人の人間が社会的に生き、その仕事に社会的性格と意義を発見している以上、これまた当然のことといわねばなるまい。
 勿論、こうして学び、生きる過程のなかで、誤まりや失敗も繰返す。自分の中に誤まりを発見し、自分の選択、自分のプラン、学び方を再検討して、改めて新しい選択に従い、新しいプランを練り、新しいやり方を作り出し、やっていくなかでこそ、たしかな人間性というものが作り上げられていくはずだ。自分を掘りさげた者のみが持つ、深い人間観に支えられた人間性は、どんな事件に出会っても、それによって深められこそすれ、剥げたり、消え去ったりすることの絶対無いものということができる。
 自分の人生の開拓者であり、コツコツと自分を切り拓いてきた人に、その地位や学歴と関係なく深い人間性を感じさせられることが多いのを、貴方も知っているであろう。

 底力のある個性的人間

 わが道を強力に、時として強引につきすすんでいると、いつかしら自分にたのむところが生まれ、長い間そういう生活をしている間に、人間はクセのある人間というか、アクの強い人間になっていく。自分にたのむところはいよいよ強くなり、妥協がなくなり、ともすると、平均化された人の多い現在では、そういう人は異質な存在に思われやすい。
 そのためでもあるまいが、クセのある人間は、雇用者に嫌われる場合が多い。雇用者と特別にウマが合うような時を除くと、雇う人間は、とかく平凡で素直な、温和な人間を喜ぶ。実際、クセのある者は、一見協調性に乏しかったり、反抗的に見える態度をとったりして、使いにくいように思われ勝ちだ。弱い者は、多数の意見や行動になびくが、いわゆるクセのある人間は、一人ぼっちを恐れない。そこが扱い難いと見られる大きな原因となっている。
 クセのある人間とは、いいかえれば個性の強い人間、烈しい人間ともいえる。現代は、個性を平均化、平凡化する時代である。今日の社会生活は、個性を磨滅させ、均等化する。男なら美人で、料理のうまいやさしい女性と結婚し、小さいながら自分の家を持ち、電化生活、子供は二、三人という、絵にかいたような小市民的生活を終極的希望とし、女もまた、一流大学を出た一流会社員と結婚し、日曜日は一家揃ってバカンスを楽しみたいと望むほどに卑小化され、平均化された夢を持たされる時代なのである。
 世の中の混乱や、社会の移り変わり、歴史の進展とは何のかかわりあいもなく、ただ、世間の人達がそうだから、自分もそうでありたいと願うような、今年はバカンスが流行だから自分もバカンスを楽しみたいというぐらいの、軽い気持で、自分の全生活を流れのままに浮かばせられる。そういう人間を作り出している現代では、クセのある人間、社会生活という砥石に削り取られない個性は、むしろ貴重な存在でさえある。勿論、クセのある人間といっても、種々様々であって、何も彼も礼讃というわけにはいかない。ただ、周囲の状況にも押し潰されずに残された個性の強さは、少なくとも、各種のよい点を持ってはいたが、どれもこれもすりへらされてしまった人間より、はるかに恵まれているといったらよいか、見所があるといったらよいか、ともかく手応えのある長所であり、素地である。
 クセのある人間は平生は扱い難い存在となることが多いが、何かの時、実際に役にたつのはむしろそういう人達である。大なり小なりの事業や仕事に成功している者に、クセのある人間の多いのもそのためである。
 こういうクセのある人間、アクの強い人間は独学者に共通したタイプである。自分の欲望と感覚を中心に、長く大事に育てていれば、個性の強烈な人間になっていくのはあきらかである。しかし、独学者のクセとアクは単なるクセのある人間とは違う。独学者は妥協はしないがむしろ協調的である。自らたのむところは強いが決して不遜ではない。自己主張はあっても、他人の意見は拒否しない。体験主義は排除するが、体験は高く評価する。教条主義には賛成できないが、原理を尊重する。
 たえず学びつづけ、常により本当のものを求めつづけているから、不遜ではないし、かえって、積極的に他人の話をきく。その眼はたえず、未来を見つづけているから、むしろ、つまらないことで他人といがみあうことがないので、協調的となる。行動しながら学んでいるから、もうこれでいいということがないことを知っている。体験主義にとどまれる筈がない。自分の欲望と感覚に忠実なかぎり、画一的な教条主義になれるわけがない。
 こういうすばらしさを発揮できる人間を、現代は要求している。そういう人でなければ、動かせないことが多い時代なのだ。と同時に、こういう人の存在が、無気力な人の多い社会に、どれほど活気を与えるかも見逃せない。

 欠点を武器にする学習法 

 欠点の無い人間はいないといってよかろう。反対に長所の皆無という人間もいないのは当然である。欠点は普通、長所よりも現われやすい。本人にとっても、欠点の方がよくわかる。長所と欠点は裏と表のようなものだから、見ようによっては長所も欠点と見え、欠点も長所と見えることが多い。このことは、決定的長所とか、決定的短所というものは、あまり存在しないことを示している。そして自分の眼には、長所も欠点と認められることが多いし、何かの折に、周囲から強く指摘された為に、取り立てていうほどのことでもないことを、欠点と思い込む場合も少なくない。
 何れにしろ、欠点という烙印を押された自分の一部に対して、あまり気に病むことはない。それよりも、むしろ、この欠点を武器とする、欠点を活用して自分を伸ばす手段としようと考えることだ。独学者はそれをやってのける人間だといってもよい。
 器用貧乏という言葉がある。器用で何事も自分の手でこなすことのできる人間は、あまり大成しないことを云ったものである。手先の器用な者は、自分の手先を使って容易に七面倒臭い仕事も片付けることができる。だから手を使うことを嫌ったり、面倒に思ったりしない。また、自分の手で入念に細工することを好みもする。手まめ、足まめに動く者もそうだ。身体を動かすことを苦にしない。しかし、手先が不器用だったり不精だったりすると、何につけ面倒な仕事は億くうだ。細かい細工も、なるべくなら敬遠したい。何とか簡単に手早く、確実にできる方法は無いかと考えずにはいられない。手足の器用に動く人間は、自分の手足の動くのに引きずられて、その辺の工夫研究より、その間にさっさと手早く仕事を仕上げる方に向き勝ちだ。不器用、不精という欠点は仕事を工夫、応用して、仕事のやり方、手順などを改善する方向に進むことになりやすい。欠点を何とかしてカバーしようとする結果である。
 欠点を直すのではなく、しかもゴマ化しではなく埋めようという努力をすればよいのだ。その為には、欠点をよく知ること、それを何によって埋め得るかを考えればよい。
 たとえば「自分は暗記力、記憶力に徹底的に弱い」という者はよくある。暗記は苦手だと知りながら、他人と同じ努力や手段を、他人に数倍する時間と労力をかけてやるのはつまらない。ところで反対に暗記は得意だとする人間は、往々にして、暗記を必要としない部分までも、暗記でやっつけようとする弊に陥っている。そこで暗記の苦手な者も、その風潮に引きずられて、暗記しなくてはならないと思い込む。暗記万能の現在の試験制度の下では、その傾向はますます強い。暗記の必要な部分と、暗記を必要としない部分を吟味して区別してみれば、意外に、暗記を必要としている部分の少ないことを発見できるはずだ。そうなると、苦手な暗記にかける時間と労力はぐっと短縮、減少される。さらに、その吟味のなかで、一つの分野における暗記必要の部分と、他の部分との有機的つながりが見出されるはずだから、その分野の総合的な見方、考え方ができることになる。我々は、一体今日の生活の中で、どれほど沢山の知識を記憶していることだろう。ただ、それが、暗記して覚えているのだという意識を持てないほどに血肉化し、駆使されているにすぎない。平がな、片かなの文字をはじめとして、言葉の意味、その使用法、日常乗る乗り物の区間の駅名、料金、所要時間等数えあげればきりもない。そして、それらの記憶しているとも思えないほど雑多な記憶が、平常の生活を巧みに運営させている。これらのものと同じように、一分野においての絶対必要な、最少限のものを、記憶の壁に徹底的に刻みつけることが、暗記という形で、何でもペラペラと覚えることによって作りあげられた能力とは、比べものにもならない有効な能力を築き上げることになるのだ。その最少、最底の暗記をどうやってこなすかといえば、それは先に述べたように、その分野を全体的総合的につかむことから、それとの関連において、考えを煮つめる、あるいは、もっとも原型的なタイプ幾つかを、繰返し読み、書き、眺めることによって、暗記の可、不可を度外視して、何度も応用的に使用することによって、または内容を熟知することによって、機械的に口から飛び出しはしないが、ゆっくり考えればわかるようにしておけばいいのである。つまり、暗記の知識(知識ともいえないが)が、そのままの形では、ほとんど有効性は無く、暗記による知識もまた、複稚多岐なものを判断し、解釈し、行動し、解決する為の道具としての役割りをはたしているにすぎないことを知って、それに応じた処置をとればよい。そしてそれは暗記を苦手とする人間の方にむしろ歩があるのである。暗記できない、暗記が下手だという、俗にいわれる欠点は、考えること、考えを深めること、総合的に見ることの力を育てる、大きな武器となるのである。欠点を武器とする、武器とせずにはおかない学習法、姿勢こそ、独学のすばらしさである。

 

                   <独学のすすめ 目次> 

 

   第四部 生きた独学の人生応用

 

第一章 職業人としての自覚された学習

 月給の奴隷になることからの脱皮

 サラリーマン生活を支配しているのは、その名の通り、サラリーだといえる。その仕事をなんとしてもやりたいと自発的に選んだ人でなければ、なおさらである。サラリーマンのA君は「僕が一番不機嫌になるのは月給日です。一か月間の働きがこれっぽちの金に評価されるのかと思うと、何ともやりきれない気持です」と述懐したことがある。ボーナス月は全く憂鬱になると語った友人もいる。
 月給は一か月の労力ばかりか、一人の人間の現在の能力、さらにはその将来性まで評価された金額とさえいえる。A君ならずとも、サラリーマンなら、もの思いにふけりたくなるのもむりはない。スタートラインでは同額だった給料も、いつか差がついている。勿論能力には個人差もあり、仕事の質・量にも格差はあり、勤怠の差もあることは認めながら、その気持だけはどうにもならない。「あいつにはかなわない」と平生は心中でカブトを脱いでいる相手でも、金額でこうはっきりと差をつけられるといい気持はしない。「だいたい、人間の能力が金で査定できるものか」と思ってはみても、心はすっきりしない。
 いつか、自分が既に、月給の多少によって、月給相当額のレッテルを人間にはるという錯覚の渦の中にまきこまれ、月給の奴隷になっていることに気づく。しかも、そこから脱する方向にいかないで、今度は逆に自分よりさらに低い給料の人間に対して、奇妙な優越感を懐くことによって、自分の気持をなぐさめようとする自分に気づいてゾッとする。
 貴方は、こんな経験を一度も味わったことはないだろうか。
 同じ会社内にあるこのような差別観は、会社と会社の間にはもっと強く現われる。機械の片偶で、かけそばを流しこむ町工場に働く人と一流会社の工場に働く人の、仕事の内容は殆んど同じでも待遇の差はあまりにも大きい。一流会社の事務員と小企業の事務をとる者との差はどうにもならないほど開いている。一流会社の人間は、いつのまにか一流会社の看板を背負って大きな顔をし、中小企業の人達は卑屈になっている。取引きの上の強者と弱者との関係が、個人的な対人関係にさえちらつく。平等と団結をたてまえとしている労働組合間でもこのことは変わらない。
 それというのも、高給が少なくとも彼等の食欲や性欲をより多く満足させてくれることはたしかだからだ。まして、金で買えないものはないとまでいわれる時代だ。彼等がやっきとなって高給をあたえる会社にむらがり集まるのもむりはないし、そこに拾われた連中が、いわれのない自尊心に一時の快楽を貪ろうとするのも当然だ。
 ただ、彼等の欲望が動物的欲望にとどまって、人間の欲望に発展していないことも、たしかだ。それは大会社の繁栄と社員の高給が、同じ会社の臨時工、あるいは下請工場で働く工員の低賃金、過重労働の上に成立している事実にことさら眼をふさぎ、同じ働く仲間でありながら、彼等と手を結ぶことを好まず、むしろ、既得の給料を維持することを喜んでいる姿が十分に証明している。ここには、目的と手段を転倒させ、サラリーにつかわれる半人間しかいない。サラリーの多少に一喜一憂の中心をおいたサラリーの奴隷がいるだけだ。
 サラリーマンは、少なくとも月に一度、自分の月給について考えるチャンスをもっている。他より月給が安いという嘆き、低い月給に自分自身を評価されたという屈辱感に身を浸す瞬間である。そして、一方では、自分よりさらに悪い状況の中で働く者に対する、小っぽけな優越感で、その嘆き、その屈辱感を解消させている卑少な自分をみつめるチャンスでもある。
 この嘆きと屈辱感がサラリーマンを人間としてたちかえらせる瞬間であると同時に、彼に深く考え、学ぶことをせまる力ともなるものである。これまで、深く考えることもないままに、強く感じることもないままに生きてきた人間にとっては、そういう生き方を変えていくチャンスでもある。貴方の欲望を満たさない月給は、貴方の欲望を満たせる月給に変えていくべきであるし、満たせる月給にする方法を求めて、学習をおこすことである。行動をおこすことである。
 貴方が本当に月給をふやしたいなら、貴方がどうしてももっと月給が欲しいなら、今日只今から、その方法をあきらかにする学習をおこすべきである。書店にむかって出発すべである。貴方の学習をひきおこすほどの強い欲求でないなら、月給のことを考えるのをやめたらよい。

 仕事のなかに生きる情熱を

 まさか、若い貴方がサラリーに支配されたサラリーマン、いいかえれば、自分の仕事を生活費をかせぐ手段に転落させて、他人のサラリーより一寸高いといっては優越感にひたり、少ないといっては屈辱感を味うような、ミミッチい人間になっているとは思わない。でも、そういう人達は貴方の周囲にはいくらでもみられよう。私のまわりにも沢山いる。そして、貴方がいろいろの事情から、十分な選択もできないまま今の仕事につき、あるいは選択して仕事についたものの、思い通りにいかず、ともするとその仕事におしつぶされそうになり、必死にもがいていようものなら、きまってこういう人達は「そんなあがきはむだなことだ。早くあきらめることだ。適当にやるんだな」とささやきかけるであろう。
 あたかも、あきらめて適当にやることが最も人間らしい生き方であるかのように忠告するのだ。彼等にとっては、何かを意欲的にやろうとする人間はめざわりだし、そばにそんな人間がいると落着かないらしい。できるだけ早く、自分達の仲間入りをしてもらいたいらしい。生活費のための仕事をするみじめさをいやになるほど感じてやりきれないからこそ、そのみじめな思いを自分だけで味わいたくないのだ。
 中には、仕事を持たないで、遊んで暮らすことに憧れている人達もあるかもしれないが、それも、その人が取りくんだ仕事があまりにも苦しく面白くない上に、報われ方が少なかった反動でしかない。一部の例外を除いて、人間は自分のはじめての仕事には必ず意欲的なものである。いろいろの可能性を期待している。たとえ強制されて、やむなく、ついた仕事であってもである。
 人間が生きているということは仕事をしているということであることを、人は皆漫然と感じている。仕事を通じて、はじめて人間は生きている存在にもなれるし、生きているともいえる。仕事をもたない人間は、もはや生きているという名に価しないともいえる。仕事というものを持ったことのない、あの間のぬけたような、意志も思考も感情もどこかにおいやったような、おだやかさと饒舌だけが取柄である人達にあこがれる心情は、あわれというしかいいようがない。
 勿論、そのためには、仕事は自分を満足させるものでなくてはならないし、喜びと感動をあたえるものでなくてはならない。人生の殆んどをいやいやながら仕事に取り組むほど非人間的状態はない。一日のもっとも重要な時間を不愉快にすごして、そのあとのつかの間に、自分の喜びや感動の生活を求めるなんて、全く悲惨といえる。健康的にもよくない。問題は貴方がみじめな先輩達の歩んだ道を選ぶか、それとも、そういう生活をふっとばして、仕事を中心にした人生を選ぶかだ。長い人生である。若い貴方にとってはこれからの人生である。まして歴史は動いている。企業も動いている。発展を求められている。情熱をもやせるかどうか、一度徹底的にとりくんでみることだ。情熱のわかない仕事は能率があがるわけがない。
 気苦労ばかり多くて、報われることが少なければ、それにふさわしい待遇を求めたらよい。求めるべきである。求める自信は、自分の仕事に対する自信から生まれるものである。喜びや感動がもてないようなら、もてるように仕事のシステムややり方を変えたらよい。変えていくべきである。能率があがらないところに喜びや感動があるわけがない。変えていくのは、貴方の仕事にとりくむ真剣な姿勢である。
 組合や労資協議会を通じて行動をおこすことは、その企業を通じての生活権の行使であり、義務の遂行でもある。貴方がこうした行動、それに必要な学習をおこせば、次には、貴方の先輩後輩達を貴方の行動と学習にひきこむこともできるはずである。彼等はみじめな思い、やりきれない思いで日々を送っている。それは点火されることをまっているようなものであり、点火されれば、貴方以上に強く燃える可能性さえもっている。
 そこにこそ、本当の学習の出発点があるのである。

 開かれた企業意識

 働く人々といっても、その言葉は甚だ漠然としている。よく自己紹介で「僕はどこの会社につとめています」「彼は何の役所につとめている」といっても、その人達がどんな仕事をしているのか、見当もつかない。ことに、サラリーマンという名称でくくられている、働く人々の仕事になると、あまりにも多岐にわたっている。営業マンとか事務屋、技術屋などといいあらわしたとしても、それで十分具体的にわかったとはいえない。このことが、自然、サラリーマンの仕事への自覚を弱め、職業人として覚悟をうすめることになっているといえるのかもしれない。事務系統の人間にこの傾向は一層強くあらわれている。
 サラリーマンが職業人として、その仕事に意欲をもやすためには、自分の担当する職務に対して見識を持つことが必要である。上から与えられた仕事を、ソツなくこなすだけでは不十分だ。事務処理の方法一つにしても、当然、現在のやり方から将来への展望を持つことが必要である。
 書類の分類、保存の方法は勿論のこと、書類製作法について、人員の配置について、さらに仕事全体の運営についての眼を持っていなくてはならない。これらの個々のやり方を、簡素化、スピード化、確実化の方向に進ませることを、企業の業績とにらみ合わせた上で、どうやったらよいかの見通しがなくてはならない。それすら持ち得なくては、到底職業人とはいえまい。
 だが、これらのことを理解し、展望をもつためには、一企業の内部の知識にとどまっていては到底望めない。同一業種の他企業の動向、経済界内部の動向、政治の動き、国際経済の歩みに眼を配り、全体をしっかり把えておかなくてはならない。それらをバラバラの知識としてではなく、総合的に把握して、自分が現在身を置いている企業の、あるべき姿を探りあて、その方向に沿った、事務機構のあり方、進み方を発見し、その実現に取り組まねばならない。戦国時代といわれる今日の経済の動向を見定めるのは容易なことではないにしても、職業人としての力を身につけるためにはやらねばならない。この時、自身が身を置いている企業の中から観察すれば、経済界全体を見定めることも、意外に容易なものである。そこで、自分の企業を内側から見、またその企業の立場から同業の企業を見、その金融関係、系列関係と手をのばしていけばよいのだ。
 貴方は経済界が固定した図式の社会でなく、その間に人間がおり、人間の動き、金の動き、物の動きに、政治がからまり、世界経済の動きがからまって、揺れ動き、進展し、あえいでいることを発見するだろうし、その中で、弱者は強者に押し倒され、強者もさらに強い者の前におびえていることを知るだろう。そこで、貴方は何をなし得るか、何をしなくてならないかも同時に発見するであろう。
 自分でとらえた企業の展望、経済界の展望、それに即した対策は、他人のではない貴方の本当の知識だから、貴方の行動を確実にリードしてくれるし、その行動を将来性あるものにしてくれる。そこから、当然、貴方自身の展望ももつことができる。だが、ここでもう一つ大事なことは、企業の展望だけでなく、歴史の展望をもつことだ。歴史の転換期において、企業は経済界はどういう変質を迫られているか、どう変わっていかないと新時代に即応できないかを知ることである。企業をその内側からだけでなく、外側からも見ることが必要である。

 妥協のない転職の姿勢

 今の会社、今の仕事にどうしても意欲がもてないと見究めたら、さっさと転職することだ。
 企業の研究が必要なことを前節でのべたが、同じ程度に必要なのが、会社の幹部の能力を正確に見究めることだ。
 社員としての権利と義務の遂行を正当に理解できないような経営者の下に、丸がかえされた生活を徒らにつづけることは人間として最低だ。社員としての権利と義務のわからない経営者に、経営者としての権利と義務を期待することはできない。そんなところは長くいると自分をだめにするだけだ。自信や決断力もいつか喪失していく。希望もなくなる。
「結婚式のとき、私が一番いいたいのは、結婚生活をはじめて、これはどうしてもいけないと見究めたら、さっさとわかれてしまうことだ。おそければおそいだけ、お互をだめにし、いざというときの出血を多くするものだから、忘れないでほしいということである。しかし、まさか、結婚式にそんなこともいえないし……」と語った人があるが、だめと見究めたら行動をおこすことだ。勿論見究めることはむつかしいし、軽々しい判断はさけるべきだが、折角つかんだポストを簡単には捨てきれない優柔な態度こそ問題である。むしろ、そうした決断力、行動力こそ今日望まれているものである。
 技術革新の時期には、企業の盛衰も仕事の盛衰も激しい。新分野の開拓にむかってどんどん行動をおこせばよい。好きな仕事を求めて、意欲をもやせる仕事を求めて流転していけばよい。すてきな女性、ぐっとくる女性を求めて、そういう女性があらわれるまで根気よくさがし求めるように、仕事や職場もさがし求めるべきであろう。好きな仕事、意欲をもやせる仕事には、誰でも非凡な才能を発揮できるものだ。収入も自然に多くなろう。
 結婚するまでに、少なくとも子供をもつまでには、自分の好きな仕事、手段ではない目的としての仕事をさがしあてておくことだ。妻や子の愛情や尊敬をつなぎとめておきたい男はなおさらだ。
 妥協すべきではない。自分の能力をこれだけだときめるべきではない。妥協や、自己の能力不信は、現代では悪でさえある。転職の姿勢を自分のものにできた者には思いきった仕事もできる。思う存分仕事にとりくむことができる。勿論そのためには、それだけの経済的準備をしておくことも必要である。それだけの生活設計をしておくことだ。
 一寸、仕事をやりかけてみて、上役に理解してもらえなかったとか、あまり仕事をすると上役がいやな顔をしたとか、愚痴っぽいことをもらしている人間が私の周囲にも多いが、そんなのは最低だ。わかってくれるのを待つか、強引にわからせるかは、その時の状況と其の人のタイプによろうが、やってみることである。やりつづけることである。
 幸に、現代は能力のある人間を多数必要としている。能力がないと思えば、能力をみがけばよい。現代は生きるに楽しい時代である。少しも、ちぢこまっていることはない。

 実力がチャンスを左右する

「一生の間に、一度はすばらしい恋愛ができるものだ」という言葉があるが、人間一生には何回かのチャンスがあるものである。勿論いたずらに、チャンスを待っていてもチャンスはこないし、折角のチャンスも生かすことはできない。日頃から、そのために実力をそなえて待機していることが必要だ。待機はがまんして、じっと耐えていることとは違う。ことに、時代が大きく動いている時期には、それにともなって人の動きも大きいし、新しい時代は、新しい人間の登場のチャンスを提供する。
 一つの秩序ががっちりとかたまっている時には、その秩序の外にある者には、めったにチャンスがないことは、労働者や農民の子どもで、企業のリーダーになったものが十%にみたず、ホワイトカラーの子弟をいれても十五%にみたない事実からみてもあきらかだ。それほどに、秩序はかためられているのだ。
 今日の状況の中で、がんじがらめになって身動きできない者も多かろう。妻子のためにしばられているものも、会社側のために封じられている者もいる。だめだと見究めたら、次の時代にそなえて積極的に学習をすすめればよい。現体制をまもり、更にそれを強固に発展させようと、体制側のすすめる学習もすさまじい。学習なしには、企業をまもることができないのが現状だ。この体制に批判的なものも学習をすすめる。学習合戦だといっていい。その学習を効果的にすすめたものが勝利者だ。
 ことに、人間として生まれながら、支配されたまま、自分を生かすこともないままになっている人達こそ、あきらめないで、五年、十年、十五年と学習をつづけることだ。新しい時代の生産関係について、人間関係について、必要な能力について学習しておくことだ。そうして蓄積された力は、チャンスさえあれば爆発する。爆発させるチャンスは必ずあるものだ。それを待ちつづけることは好ましいことである。その確信を支えるのは、歴史への展望であるし、過去の史実である。過渡期には、どんなに沢山の人達が下積みから躍りだし、歴史をつくりかえる力になったかを知れば、自ずと勇気と希望もわいてこよう。
 人生の長い勝負に、途中ではやばやと結論を出すこともあるまい。待機するということは、準備するということでもある。手段でしかない仕事においまわされている生活を送っている人でも、待機の姿勢をもっているものには、それを目的に転化できるときがあるし、その生活は充実したものになる。
 人間一度はすばらしい恋ができるといったが、すばらしい恋をした者は、その恋のために、情熱のかぎりをもやした。また、恋人のためにどんなにも戦闘的、行動的になり得た自分をみている。その意味で、恋愛は人間革命だし、人間の能力を発見するチャンスでもある。当然、人間一度はそんな仕事にぶつかってみたいし、ぶつかれば、自分もすばらしい仕事をやってのけられるという自信をもてることにもなろう。

 能力が生かしやすい小企業

 貴方が小企業に働く人であった場合、月給にはじまって社宅の設備その他の厚生施設と、大企業に働く人々と比べて、あまりにもかけはなれていることで、全くやりきれない思いに追いやられたとしてもそれは無理のないことである。将来性のある大企業に転職するチャンスがあったなら、転職していくのもわるくはあるまい。しかし、誰でも転職できると限らないし、それに大企業で丸がかえされて安住することを欲しているような人間ならいざ知らず、現代を思いきって生きてみようとするなら、小企業もなかなか面白いのではないか。
 大企業の中では、仕事があまりに分化されすぎて、単純化しすぎ、出世の序列も比較的きまっていて、仕事をやりすぎても上役ににらまれるということがよくささやかれている。こんなことをささやく連中には、大体ろくでもない奴が多い。それはそれとして、現代の戦国時代を生きぬくために能力のある人間を求めていることでは、小企業は大企業の比ではないし、能力のある人間が現在あまりいないことでも比較にならない。
 仕事はあまり分化されるところまでいっていない。貴方が少し頭角をあらわし、能力を発揮するなら、貴方は、容易に実質的には課長や部長的仕事にあたるものをやらせられるようになろう。学歴とか、学校の成績をあまり重視しないのも小企業の特徴である。そこで、貴方がなくてはならない人間として重要視され、重宝がられるということは、貴方にとって全く愉快なことだし、充実した人生を送れるというものである。他人の出世を横眼でにらみながら一喜一憂してくらす生活とは比較にならない。いてもいなくてもたいした変わりはない人間として毎日を遇されるのとは比較にならない。月給ぐらい少し安くてもがまんできよう。勿論、月給が少いのはこまる。恋人とバカンスを十分に楽しむためには金がいるし、妻や子を喜ばすためにも一定の金がいる。企業主から、社長や常務から信用されたら、どんどん企業を発展させるために、今迄以上に勉強することである。貴方の会社の業種が将来性のないものなら、徐々に将来性のあるものに転向していくか、一挙に転向していくかは別として、社長に納得できる形で提言し説得すればよい。何が将来性があり、何がだめかについて精通することは大変だが、その学習は、貴方を大変な経済通にも政治通にもするであろう。今の業種が将来性あるものなら、その業界のどの会社にくいこんでいったらよいか、どこの会社がくいこめるか調べる。あるいは、大企業の下請になり、中企業と提携するよりも、同じ小企業と結びついて共同経営にしていく方がよいかどうかも、自分の会社の現状とにらみあわせて、とことん調査してみることである。貴方はここでも、大変な業界通になり、業界の中で働く若い仲間の信頼をうけ、彼等と結びつくこともできよう。
 そういう貴方はますます社長や常務の信頼をうけるはずである。そんな貴方に、ぜひきてほしいと他社から招待の声がかかってくるかもしれない。貴方の能力を認めないような、正確に評価できないような会社幹部ならさっさとかわっていけばよい。
 小企業に働いているからといって嘆いていることはない。愚痴をいっている暇があれば勉強すればよい。その足で本屋にいけばよいのである。手当たり次第、経済書を読んでいけばよい。書店の棚にある経済書を全部読んでみるぐらいのファイトが必要である。一冊か二冊を読んでわかろうなんて、ケチな根性をもってはいけない。二、三冊読んでわかった気持にでもなったら、それこそ大変だ。独学者の根性は、そんなケチなものでないこと、そんなケチな心では、独学を達成することなど到底不可能であると、ここで更めてつけくわえておきたい。四、五冊も読めは自然、自分で読むべき本と読む必要のない本とを選別できるようになる。その力こそ、本当に必要でもあり、貴重な能力なのである。自分自身の力となるものである。

 自立する農民の未来像

 サラリーマンが会社に丸がかえされているように、農業に携わる人々も、長い間、国家の保護政策に丸がかえされてきた。その結果、いつか、国家におんぶすることがあたりまえとなり、丸がかえされているためにやっと其の日ぐらしをしているという考えすらもてず、農民から、独立心や発展の意欲を奪ってしまった。「農業なんかに、アタマはいらない」という、奇妙な考えが農民を支配しつづけたのも、そのためであった。
 保護が人間をだめにしたのである。だからといって、後々の人に苦労させることはなくなったかといえばそうではない。結局は、農民自身の手で解決し、その状態を脱するしかない。それでありながら、農民の保護政策は、貿易自由化の今日、農民の出血と混乱を防ぐという名の下に、あいもかわらずすすめられている。急激な自由化が無用の出血と混乱をおこすことはたしかである。それを防ぎながら、いかにして、今日にふさわしい農業構造にしていくかということが大切でありながら、農民自身が自らの手で取りくもうとする態勢がどれだけできているだろうか。あいかわらず、政府や農林省にまかしきっていこうとしているのではあるまいか。私にはそのように思えてならないのだが、農村に住み、その生活の重荷を全身にうけとめている貴方としてはどう考えているのだろうか。
 人口の30%をしめる農民が食糧の自給もできず、年々相当の食糧と、工業用農産物の殆んどを輸入しなくてはならない農業の現状と、土地と資本力に決定的な違いがあるため、同列に比較できないにしても、8%の農民で、自国の食糧と工業用農産物をまかなったあと、毎年尨大な輸出をしている米国農業との関係を考えてみたとき、貴方の胸にわく感慨はどんなものであろうか。
 農民が農業への展望をもつことを迫られているのは、今更いうまでもないことだ。展望にもとづいた変革のプログラムの必要なことも、企業家としての能力が求められていることも、今後ますます強くなっていこう。農村の経営者、指導者という立場になると、まず政治力が必要になるかもしれない。
 自民党がにぎる国の財政から、農村を基盤とする自民党から、農村近代化のための資金を思いきってひきだそうとすれば、選挙の時に社会党に思いきって沢山票をいれる。昔の農民ならそのぐらいのことをやってのけたであろう。自民党はあわてて、金を出すにきまっている。出してくれることを条件に、自民党に票をいれたのでは、出た金はたいしたものにならない。こういう生活智を現在フルにつかっているのは、後進国の連中である。
 もうそろそろ、農民も奴隷的位置から、被保護者の位置から脱出するための情熱をもやしてよかりそうなものだ。そして今こそ、国際競争にもろに取組む気魄とそれを支える識見をもっていい時であるし、持つのに都合のよい時でもある。
 その点、都市に働く多くの人々が、その生存権まで経営者ににぎられていて、余程の覚悟と準備なしには、思いきった発言も行動もできないのと違って、強くなれる筈である。思いきったことができる筈である。自分の判断でやりたいこともできるのである。悪条件を克服してやっていくということが、その克服の方法をあきらかにしていくことが、人間が人間として仕事をするということである。その克服のためにこそ、学習があるのである。本当の学習はそこからはじまるのである。

 

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第二章 女性が一人立ちするとき

 固定的なBGの職業意識

 私は、ある時、あるBGが口をとがらして、「私だって、はじめは仕事に打ちこもうという決意で就職したのだけれど、いざ入社してみると、私たち女性に与えられる仕事といえば、中途半端な補助的なことばかりじゃないの。一緒にはいった男性が、一本立ちして、どんどん難しい仕事を与えられて、やっているのを見ていたら、いやになっちゃって、月給分だけ働かけばいい、与えてくれた仕事だけを適当にこなせばいいと思うようになったわ。仕方がないじゃないの」などというのを聞いたことがある。実情が彼女のいう通りであることは間違いがない。会社にしても、女性の平均退職年令が二十五才だということになれば、仕事を覚えて、いよいよこれからという時に、ハイサヨウナラといわれたんでは、損をした気持になるし、仕事も停滞することになればこまるから、職場の花にしておいた方が無難だということにもなる。勿論、仕事を一生のものと考え、地位の向上に、労働の質の向上に努力している女性が一人、二人はいたとしても、八人、九人の女性が結婚までの腰かけという気持しかないとすれば、女子社員は云々ということになるのも無理はない。
 また女性にしても、結婚をし、子どもが生まれてしまえば、子どもをかかえ、家庭を持って、なお会社勤めをするだけの条件が今日整っていない以上、退職を余儀なくされてしまう。単なる情熱だけで処理できるものではない。標準以上の収入を得て、家に人を雇うことができたり、勤め先に託児所があったり、家庭に老人がいるというような、比較的、条件に恵まれた人達だけが、子どもを一人、二人と持って、なお仕事と家庭のかけ持ちを維持しているのである。だが、これとて、そうそう楽なことではない。家計を引きしめて、家で子どものお守りをしている方が、むしろ楽である。ことに、夫に妻を家に縛りつけておきたい気持が強かったり、妻の苦労を分け持つ覚悟が無ければ、それを押して、外で働くことは不可能に近い。というわけで、結婚して、子どもができるまでは共嫁ぎという一般コースが成立し、常識化されるに至っている。BGの頭の中には、そういった常識コースが、はじめからしみこんでいる。どうせ長いことではないのだから、という気持が、仕事と真剣に取り組ませる気組みを失なわせている。つまり、悪循環である。
 だが、では男子社員は誰でも、出世と栄光のライトを浴びて登場するかというと、そんなことはない。現在の状況では、そのほとんどは、一流大学出の一つかみの人達の中でだけ、その可能性が云々されているにすぎない。学校を出て一流会社に入社する男性は、女性と同じスタートラインに立っている。初任給が女性より高いぐらいなものである。でも、だからといってこの種の男子社員は、結婚したり、子どもが生まれたからといって、退職しないことも確実である。もっと自分に向いた職場、条件のよい職場を求めて去っていくことはあったにしても、彼等は彼等にとって一生の仕事である職場の仕事に、それなりの懸命さで取り組むし、夜間の大学に通うとか、仕事関係の知識を吸収するためにも真剣である。会社が、彼等に対して、女子社員に与えるより、やりがいを感じさせる仕事を与えるのは、決して不思議ではない。従来の男子社員と女子社員の仕事に対する取り組み方が、現在の結果を生んだにすぎない。個人として仕事の能力、態度を認められ、抜てきされる以外に、女子社員の地位の向上は困難のようである。
 だが、それはそれで、また違った覚悟が必要のようである。これも、最近あるBGから聞いた話であるが、彼女はその悩みを次のように語った。
「私こんな悩みにぶつかろうとはこれまで思いもしなかったことですが、仕事に生きぬこうと思えば、孤独にたえる覚悟が必要だということを痛感しています。男性は口で何といおうと、結局可愛いい女を求めています。仕事と本当に取りくんでいれば、自然気も強くなりますし、男性ともやりあうようになります。女性の私があまり仕事をするのもいやなようです。私も女として愛される幸福をつかみたいし、迷っているのです」と。
 彼女の気持もわからぬことはないが、可愛いい女という場合、どんな女をいうのか、もし、自分の世界も仕事も持たないような、唯可愛いい女をいうのか、そんな女を求める男性に果して彼女ががまんできるのか、などと考えなくてならないものはいくらもありそうだ。むしろ、女として人間としてどう生きるか、どういう幸福を自分の幸福として求めるか、彼女が考え学び明らかにしなくてならないのはこれからということになりそうだ。始めて人間としての人生の門出にたたされているといってよいかもしれない。
 最近BGの再就職、再入学の提案がきかれるが、それはBGには高校卒者が多く、大学入学を希望しながら、経済的理由で果たせなかった者も多いところから、三年なり、五年なりの期間、計画的に学資を蓄えて、会社を退き、大学に行くなり、職業人として独立できる技能を身につけてはどうかというのである。この考えには、基本的には賛成だが、要は、BG時代をどう過ごすか、その時代に何を感じ、何を考えるかということである。その生活の中で、疑問をもち、問題意識をもち、それをぜひともあきらかにしたいという強烈な要求がおこれば、大学にいくことも大変な収穫となろう。そうでないなら、大学にいくことは下らないともいえる。この現実で、それだけのものを感じ持てなかった人間には大学は無意味であろう。貴方を下らない饒舌家に育てるにすぎないからである。

 職場の生活がつくる社会感覚

 BGとして会社に勤める期間を、貴方が将来の就学資金準備期間と考えるかどうかは別として、はじめて社会に出て、職場で働くという状況は、貴方に新しい視野を拓かせ、多くのことを感じとらせずにはおかない。それは、その後に機会を得て、再び学校の門をくぐらせるための、大きな力となることもあろうし、独立した職能人として、世に立っていこうという希望を抱かせることにもなるだろう。また一人でコツコツと勉強しようという意欲をもたらすかもしれない重要な要素である。
 職場で与えられた仕事に、真正面から取り組むことが、働く者の第一の課題である。その仕事は、あまりに容易で、自分の持っている能力にくらべたら簡単なものに思えるかもしれない。また、はじめは難かしそうに見えても、繰返してやってみると、退屈なほど単純なことかもしれない。だが、何時でも同じ仕事を、同じように完全に仕上げることは、意外に難かしいものである。仕事に少し余裕ができ、自分に余裕ができてきたら、その仕事が、自分の係なり課の中で、どんな役割りを果たしているかを知ることだ。次に、それが、他の課や係の仕事と、どんな関係になっているか、会社全体の中で、どういう位置を占めているかについても知ることである。この知識は、自分の仕事が、どうあれば完全かを知る材料である。時間をかけても綺麗な数表を作製するべきか、間違いなく、整理されていれば、少々走り書きでもよいか。時により、物によって、やりわけることも可能になってくる。こうして能率のあがる仕事のこなし方を工夫する。次には、自分の目で見える範囲、耳で聞ける限りからはじまって、徐々に会社の動向をつかみ、自分の課、係の動向を理解していく。一定の所まで資料が揃えば、課や係をかわっても、仕事の内容がかわっても、まごつかずに、すぐに仕事をこなしていけるだけのものが身につく。
 簡単に述べてしまったが、これは、なかなか難かしいことである。何年も勤めていれば、自然にわかってくることも多いのだが、これを入社早々に、なるべく早くわかろうとするのには、雑多な知識も必要となってくる。殊に、現在の状況として、同業者間の競争は激烈であり、関係会社、系列会社間には、いりくんだ複雑な関係もある。大会社は大会社なりに、中小企業は中小企業なりに、矛盾も悩みも、たくさん抱えこんでいる。それらを、たとえ自分なりに理解してみようと思っても、政治問題に突きあたったり、会社の機密事項にさえぎられたりして、混乱させられる。経済学的な知識、経済政策に対する知識、業界事情についての知識、国際事情に関する知識など、自分に今、必要としている知識は、どんどん仕入れて、なるべく詳しく、深く理解する。社内から見た会社と、外部での評価のくいちがい、一致点も見つけられるはずだ。自分の会社が、今後、どう伸びようとしているか、その対策、準備の進行の具合もわかる。その中で、自分の部課が、どんな役割りを果たすはずかもわかる。勿論、会社の営業成績も、成長の度合、不成績のようすもわかるだろう。そして社内に組合があれば、組合の果たしている役割りも、よく見届けることだ。
 会社側は、一社員に、そんなことをされるのは喜ばないから、これは、あまり大ぴらにはやれない。大会社は株式市場の資料として、ある程度のものは公表され、また、経済雑誌などにも、内容分析などがのせられることが多いが、中小企業は資料が求めにくく、分析もやりにくい。また経営者も、この種の内容が外部に洩れるのを極度に嫌う傾向が多いから、かえって難かしい。零細企業なら、組織が単純で小人数だから、一応の線をつかむことは簡単であろう。
 大まかになっても、これだけのことを理解する過程の中で、幾つかの大きな疑問に出会うことだろう。会社の経営とは、つまり経済行為である。会社は儲けるために存在する。その儲けるという目的に集中される行為が、個々の人間を傷つけたり、ゆがめたりしていることも少なくない。業者間の過当競争の結果、打ちのめされる会社もあれば、政治的に保護を受け、その上にあぐらをかいている業種もある。疑問の中でも、自分に最も強い関心のある疑問、放ってはおけぬ疑問を追求するのが、第二の段階である。より多く儲けるために、血で血を洗うように競い合おうとする人間とは、一体何だろう、そして自分もまた、同じ人間であるという疑問。会社と会社との、ちょっと普通の感覚では理解できないような暗闘をみて、何がそうさせるのかという疑問の前にたたされることもあろう。自分の会社は、相当儲かっているはずなのに、同業会社の従業員にくらべて賃金が安いのはおかしい、という疑問にも、それは何故か、どのくらいの賃金が妥当か、その実現のためにはどうすればよいかを知るためには、いろいろと学ばねばならない。
 何れにしろ、自分と社会とのつなぎめである職場の生活を核として、そこに問題意識が生まれる。この問題意識は学生時代、教師に話をきいたり、本を読んだりする過程でいだいた問題意識とは違うことを発見するであろう。ぐっと実感をもって迫ってくるものであるにちがいない。先にも述べたように、女性の職場での地位向上の問題にしても、学生時代に考えていたよりもずっと重味をもってくるであろう。その道はけわしい。それも会社側や男性側の無理解と女性自身の側のだらしなさという、二重の意味でけわしいことを思い知らされる。だから、それをやりとげるには、是非とも、職場、会社の問題から出発して学んだ優秀な社員が多数出現する必要があるし、また職場の問題に真剣に取りくむ中で身につけた、働く女性としての本腰を入れた姿勢の人達が多数いなければならないことを痛感するであろう。ここまでいく女性、こう考える女性はかなり多い。ここから出発した彼女達が、その後どの道をえらぶかというところにこそ問題がある。ここまできた道をストップさせて、文学・演劇・音楽・美術などさまざまな分野にわかれていった者は大抵、それを逃避的に、かつて学校教育で学んだように学んでいく可能性が多い。
 ここまできた道をどうつきぬけていくか。つきぬけさせるものはなにか。それは、現場の生活を通じて、彼女自身がじかにうけとめた問題意識の深さである。意識を支える展望である。
 そのとき、彼女は職業人として、あらためて社会に自分の全存在で参加しようとするであろうし、そのために大学進学への門を開くかもしれないし、職能人としての技術の習得に積極的にたちむかうかもしれない。彼女の本当の人生はここからはじまるのだ。
 彼女の女子大生活は問題意識をもった生活者の学究生活である。没落した大学の栄光で述べた学生達の生活と全く異質であることはいうまでもない。没落した大学の栄光をとりもどすのはこういう女子学生であろう。
 また職能人としての技術の習得を積極的にはじめた女性達は、その分野での貴重な存在として、新しい面を加えていくことになろう。

 趣味を生活のなかに活かす

 比較的大きい会社では、女子社員に生花やお茶、書道などを、会社から補助金を出して習わせる所が多い。いずれ、しとやかな女性に仕立て上げようという、会社の親心なのだろうが、こういうものに興味を持てる者は、そのどれか一つ、これなら打ちこんでもよいと思うものを選んで、習うことも大いに結構だ。教師への謝礼は会社で払うから、せいぜい材料費の実費(たいがいの場合、これも一般に比べれば格安である)を負担するくらいで、金がかからない所がいい。自分の金を払わないで習えるとなると、とかく不熱心になりがちなのは、自発性が稀薄なこと、自分の損にならないことからくる大方の傾向らしいが、これも会社から受け取る給与の中の一つだと見究めて、積極的に習うことだ。生花とか茶道などというものは、師範の資格を取ると、家で弟子を取ることや出張教授もできるので、収入を得る手段として悪くない。師範の資格を取るという心構えで習い、その教師であきたりなくなったら、その時は自前で習いに行く。これらの技能を習得する時にも、手先の動作に終らずに、それに関する知識も平行して吸収し、その発生から今日への発展の過程と、歴史的背景などは、自分のものとし、それらの関連の上で、自分の花を活け、自分の茶をたてるように努力することである。誰にも使われずに、生計をたてていける手だてを、一つぐらい持っていることは、人間を強くする。生活力のある女性とない女性とでは、不幸になる比率は比較にならない。こんなことは、女性はとっくに知悉していながら、そのままにしている。
 生花やお茶、書道にうちこむ女性の方が、文学・演劇・音楽・美術に逃避していった人達よりもずっとましである。ここには生活があり、生活感覚がある。生活や生活感覚がある人間には、本当の意味での人生があるし、前進がある。充実した生甲斐のある人生が生まれる。

 

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第三章 愛の絆が築く独学の巣

 恋人という名の勉強相手

 愛しあっている恋人同志が、お互に会いたいと切望しながら、会える条件がないとき、心を交わしあいたいのに、それができないとき、二人はさまざまな智恵をしぼり、さらにどんな無理をしても、相手に会おうとし、また意志を伝えようとする。二人が結婚しようとして、それが周囲に妨げられた時は、二人は一体となってその妨害に対してぶつかる。ある時は協力して説得しようとし、ある時はそのために二人で一緒に情勢を分析し、作戦をねり、智恵を出しあい、励ましあう。
 二人の心はピンと張りつめたような緊張感の連続の中に、これまでに感じたことのない喜びと充実感を味う。この感じが、求める心を一層強める。
 こんなことは、貴方も何度か経験し、感じたことであろう。これは、欲望に根ざした行動がどんな激しく強く、また欲望がどんなに頭脳活動を盛んにするものかをしめしてもいる。一つの目標にむかってしめす協力も、その惜しみないことではこれ以上のものはあるまい。日頃おとなしい人も恋人のためには意外なほどに戦闘的で行動的であるし、あの人がと思われるほどに能力を発揮する。恋人のために喜んでやるということが気持の集中ともなり、能率をあげる。惜しみない協力といっても献身的であるということの外に、相手のために役だとうという精一杯頑張ることの外に、相手と自分に対して責任をもとうとする。意識せずして、努力せずして、そういう気持が強く働く。
 恋人同志が何かを学習するとすれば、当然こういう姿勢と気持がその学習活動にあらわれる。相互に得るところが大きいことは容易に想像できよう。恋人のいうことは、誰でも必死にきこうとする。理解しようとつとめる。恋人を持ったことから、勉強をはじめた者は昔から今に至るまで多い。恋はそれだけ、人間の感情、感覚をたかぶらせ、相手と一つになろう、相手を理解しよう、相手に認めてもらおうという欲望を強烈にするのである。
 恋愛時代は勉強するチャンスである。決してにがしてならないチャンスである。恋人となるということは、人間が自分の力一杯生きてみる最初のチャンスでもある。誰でも容易に自分の力を出しきれるのも恋人の特徴である。この学習がうまくいっているかぎり、この学習は二人を発展させ、二人の関係をも常に発展させることになり、その間柄を新鮮な関係に保ちつづけられることにもなる。更に、恋人同志が作る人間関係についてもいろいろと学ぶことができる。恋人同志は最も小人数のグループでもあり、グループのあり方、グループ学習のあり方をいろいろとしめしている。これが、一般のグループに拡大できるなら、好ましいグループを編成することも比較的容易であろう。
 私の友人のある夫婦は、三年足らずの恋愛期間に五十冊以上にわたるノートの交換によって学習を続けた。自分の勉強したことの内容を、時には読書の感想を書き、関心をひいた新聞記事の切抜きをはりつけるなどして、相互の生き方、考え方を確かめ合い、理解し合った。会って話し会い、家に帰っては、考えたこと、疑問な点を書き記すことによって、学習はさらに発展する。夫となった男性は、この学習によって、自分の甘かった女性観、家庭観がくつがえされ、活動に前進するために、実に身についた勉強ができたと述懐している。現に教職につき、地についた、堅実でたくましい地域活動を着々と続けている二人を見ると、その評価が決して高すぎるものではないことがよくわかる。二人の間で、二人を結びつける思想と実践が、立派な核となり、二人を成長させ続けているのである。この二人の率いるグループの中にも、若い恋人達が何組かいるらしいが、彼等もまた、お互いに共通のテーマを核として、学習を続け、実践に踏み入ろうとしているということである。
 私達夫婦の約二年間の恋愛期間を通じての研究テーマは、私の造っていた雑誌のあり方であり、それをどうやって造り、どう発展させるかということであった。どういう雑誌を造るかといっても、具体的な手本があるはずもないから、常に多くのものから学ばねばならなかったし、考えを具体化する方法についても、協力して手探りし、新しいものを打ち出していかなければならなかった。二人が知り合う以前に持っていたもの、育ててきたものを、相互に検討し合い、影響し合いながら、さらに新しいものを築き創る方向に伸びていこうとした。結婚後、一年も経たずに、雑誌は廃刊の憂き目を見たが、二人は共通の研究テーマに取り組み続けている。

 共同体としての夫婦像

 夫婦が一緒に何かを学ぼうというとき、先ず考えられるのは、夫の仕事、夫の専門の仕事を学ぶことである。これは、夫が専ら妻を教えることのように見えるが、夫もまた、教える行為を通して、自分の中で煮つめ、深めていく。つまり大きく学ぶのは夫であるということもできる。また、単に一つの事の内容を教えるだけでなく、自分の仕事の協力者、仕事の仲間を作るというようにも考えられる。これは、夫婦の協同体制を築く上でも、重要なことといわねばならない。夫と妻が、夫と妻という立場から、どうやって協力体制を作るかを、家庭の条件とにらみあわせ、仕事の状況と組み合わせて、追求し、作りあげていく作業は、何にもまして、すぐれた学習だともいえる。
 結婚以前に、好ましい学習ができなかった場合、夫の側からいえば、夫婦である以上、妻に、最低、夫の仕事の足を引っぱらないだけの生活の姿勢を身につけてもらわねばならない。それは、夫婦の協力した学習から生まれるもので、先を歩いている夫として、また自分自身に忠実に生きるためにも、当然やらなければならない義務といえる。妻は、夫の協力なしには、学ぶことも、自分を変えていくことも、かなり困難なはずだから。
 この過渡期を十分に生き抜くための学習は、夫だから、妻だからということに関係なく必要である。結婚するまでに、自分の一生を注入してよい仕事に取り組めた者はよいが、そこまでいけぬ人は非常に多い。夫にも妻にも、学習の期間が必要であっても、同時に学習に専念するというわけにはいかない。経済力が先ず、それを許さないだろう。お互いが、共に自分自身に生きることを望み、切実に学習の必要を感じているなら、夫婦の協同体制はできたようなものだ。交替で生活費を稼ぐこともできるし、一方が経済的に恵まれない仕事についている時、他方の経済力で支えることもできる。そのどちらが夫であろうと妻であろうと関係はない。親からの遺産もなく、二人の力でやり抜こうとすれば、ほかに道は無い。そんな協力体制が組めるところまで、お互いが学び、お互いが変わること、そういう学習が大切なのである。
 私がこれまで、なんとか自分の思想的立場を崩すこともなく、また、百%生活のための仕事をしないで今日まで生きぬいてきたのも、妻の協力というか、妻がその学習を通じて自分のものにした考え方に支えられたからである。結婚後七年程の間、妻は会社に勤めていたが、そのうちの三年間は、彼女の働きによって、大方の家計がまかなわれていた。たいして多くもない月給ではあったが、それが我々二人の生活と学習を支えたのである。
 妻には、夫は生活費のために働くべきだという考えは無かった。彼女は何よりも、生きることを自分自身に求め、同じように私にも求めた。苦しい家計のやりくりの中で、何度か、生活費のための仕事をしようかという気持になった私を押し止めたのは、何時も妻だった。彼女の云い分は決まっていた。「自分を大切になさい」「貴方には貴方がやらなければならないことがあるのよ」彼女の親類や友人のなかには、彼女のやり方に正面切って反対する者も少なくなかった。彼女はある時は素知らぬ顔で無視し通し、ある時は相手の納得のいくまで説得を続けた。
 私達夫婦は、いわゆる才能豊かな男女ではない。しかし、二人の力をあわせて、歴史と自分に忠実に生きてきた。おそらく今後も生きていけるに違いない。それは、二人の学習から生まれた協力体制の力であり、協力体制を支える学習の姿勢によるものだといってよいだろう。

 

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第四章 新しい生命とともに独学する

 妊娠から出産への不安を契機として

 新しい生命が、はじめて自分の体内に宿ったことを知る時、おそらく総ての女性は、大きな期待と不安を覚えずにはいられまい。自分の中に育くまれつつある、別な生命の息吹きを、大切に守り育てるにはどうしたらよいのか。そんな時、貴方は、それまでに見たり聞いたりして得た知識のきれぎれを総動員して、考えてみようとするのだろう。しかし不安を抑え切ることはできない。医師の注意を聞き、母親、姉、友人などの話も、積極的に聞き取ろうとするだろう。“妊娠から出産まで”というような、婦人雑誌の付録から、単行本の広告までが、目に飛び込んでくるに違いない。主婦の雑用にかまけて、一冊の本も、自分から買い求めて読むことをしなかった女性であっても、本屋の店頭で入念に吟味して、買いこんでくるだろう。貪ぼるように読みすすめながらも、貴方は、常に自分の身体の状態、自覚症状とひきくらべ、ある時は、“私も同じだ”とうなずき、ある時は“おや、そんなことあるかしら”と反発している自分に気付くだろう。それまで、一度だって、自分と引きくらべ、考えながら読んだことのないのが、今回ばかりは、そうせずにはいられないのだ。自分の身体の上におこる、どんな小さな変化も、見逃すまいと務め、そこに現われた意味をも、なるべく詳しく知りたいと願う。同時に、今後の何か月間かにおこる筈の発展経過も、十分に知ろうとする。それは、現在の貴方にとって最大の関心事であり、そして、文字通り、貴方自身の身に、ぴったり密着した一大事件だからである。
 難産で死ぬ人もある。また、妊娠障害で命を失なう人もなくはない。お産をするということは、はじめてそれを迎える者にとって、生命をかけた大事なのだから、不安も大きい。その不安を乗りこえ、大事を無事にすませて、自分の子どもを、この手に抱くために、何としてでも、正しい知識と診断による見通しをたてなければならないのである。たとえ、親や教師から強要され、大変だ大変ときんちょうしたところで、学校での試験勉強は、試験のためだけだった。うまいぐあいに試験を通過できれば、その瞬間に忘れてしまってもよい、付焼刃の知識でよかった。試験への不安も、要するにその程度のものだった。だから本気になって勉強をしなくても、する気になれなくても仕方がないことを、自分の中の何処かでは十分承知していた。しかし今度は全く違う。それは貴方自身の生命の問題であり、新たに生まれてくる我が子の生命の問題であり、さらにその子の将来をも握るものなのである。夢中で取り組もうとするのがあたりまえである。
 女性の妊娠から出産への期間は、女性として、はじめてなま身でぶつからねばならぬ、避けられぬ大事件であり、それは同時に、女性が学び考える姿勢を取ることのできる最大のチャンスである。学ぼう、学ばなくてはならないではなくて、学ばないではいられない切実な気持においこまれる。
 これまで学ぶことの意味を感じとれなかった女性も、知識が行動にこれほど密着し、行動になくてならないものだということを知るチャンスをもたなかった女性も、この大事件を前にしてこれらを知る立場にたたされるのである。大変なことではあるが、またとない、すばらしいチャンスがもたらされるのだ。その夫が妻の身を案じ、生まれてくる子供のことを考えて感じるのとは、到底比較にもならない、貴方自身が、一人でまともにぶつかるチャンスである。逃がすには惜しい、どうしても物にしなくてはならないチャンスである。

 赤ん坊を育てる感動と驚き

 赤ん坊を持った母親にとって、最大の関心事は、赤ん坊の健康であり、順調な成長であろう。小さいながら、すべての器官を持った赤ん坊は、まるで精巧な機械のようであり、こわれやすく、もろい高価な宝物のようでもある。もし貴方が赤ん坊の母親なら、この小さな生命を守るために、どんな努力も惜しまないだろう。赤ん坊の小さなくしゃみ一つにも、寒いのではないか、風邪を引いたのではないかと胸を痛め、何をどうしたらよいかと考えるに違いない。一つの生命を、すこやかに育てるためには、また、何と多くの知識が必要だろうか。しかも、その知識は、貴方の赤ん坊の状態に即して、適切な処置をほどこしてやれる知識でなければならない。おむつの世話をしながら、便の色や分量も見分け、お乳の飲みぐあい、機嫌のよしあしも判断しなければならない。しかも、赤ん坊は日一日と成長していくのだから、その成長の度合いによって、貴方の知識も当然進行していかなければならない。育児の本と首っ引きで、また医師の言葉を細大もらさず聞きとり、理解しようと務める姿勢は真剣そのものであるはずだ。
 しかし、こうやって、一生懸命に学ぼうとし、赤ん坊の養育に夢中になりながらも、若い母親である貴方はしばしば誤まりもおかす。あまりにも本にたよりすぎ、本に書かれたことだけが育児のやり方であると思い違いをし、自分の赤ん坊の状態との関連を見失なうことだってある。本に書いてある通りにできないと焦ったり、異常な心配をしたり、時には無理矢理に赤ん坊を本に書かれていることに合わせようとしたりする。育児の主体は赤ん坊であるということが忘れられてしまうのだ。だがそういう試行錯誤をくりかえす中で、母親は人間としても社会人としても本当の知恵を身につけていく。本に書かれていることが著者によって違っていること、著者はそれが読者にどんなに不安と動揺とをもたらすかを考えて書いているのだろうかという疑問を懐きながら、貴方は自分の判断にもとづいて選択をせまられるし、赤ん坊を忠実に観察していると、どうしても約得できない意見にもしばしばであうだろう。こういう体験を通じて深く考えるようになった母親は「欲求不満の親達の蔭に」でのべた親達の愚かさとは違ってくる筈だ。
 ことに、まともに赤ん坊を育てる作業にとりくんでいる母親は、赤ん坊からも多くのことを学ぶはずだ。まず、自分の身体の中から生まれ、自分の身体を分け与えた赤ん坊も、生まれてはじめて自分自身でこの世の空気を呼吸した瞬間から、完全に一個の生命として、母親とは別の存在であることを知らされる。赤ん坊は決して母親の専有物でなく、彼自身、彼女自身の生命を生きているのであり、彼や彼女はそれぞれ、自己の存在を主張し、要求をもっていて、たとえ母親であろうとも無視することも、自由にすることもできない。
 お腹をすかして泣いている赤ん坊を抱いたりゆすったりして泣きやめさせようとしても、赤ん坊は、一時泣きやむとしても、またすぐに泣いて、お乳を与えるまでは泣きつづける。たっぷり眠って目を覚ました赤ん坊を寝かしつけようとしても、これも困難なことである。赤ん坊の健康のために、計画的に育てようとしても、大人の勝手で都合よくつくった計画ではうまくいかない。赤ん坊の発育状態にあったものでなくてはならない。
 勿論、赤ん坊は幼くて、自分の主張や要求も、むずかるとか、大声で泣くとか、お乳を飲まないというような形でしか表現できないし、周囲の危険から自分を守る能力も、自活する能力も持っていない。だから、母親であろうとなかろうと、常に周囲にいる大人は、これをかばい育てなければならないが、そのことは、赤ん坊が、赤ん坊自身を生きている一個の存在であることとは違う。たとえ赤ん坊の言い分であって、それが十分理解できたとしても、赤ん坊の健康のためには、聞き入れてやれないこともある。それは保護者である母親の判断である。赤ん坊の状態と、他の条件とをにらみ合わせて得た判断のもとに、その要求を撤回したり、忘れさせたりしなくてはならない。その方法も、赤ん坊に即したやり方、条件に即したやり方でなければならないことを知ることができるだろう。
 赤ん坊の成長はめざましい。はじめて、にっこりと笑ってみせたり、薄桃色の歯ぐきに、うっすら白く歯が見えはじめたり、声のする方向に顔を向け、母親に抱かれようと手を差しのばしたりする。昨日まではできなかった動作を、今日はらくらくとやってのける。その確実な成長ぶりは、母親に誇らしい喜びと共に、新鮮な驚きを感じさせ、生命の神秘さ、厳粛さについて、深い感動を味わせるであろう。この感動、驚きを受けとめることによって、学校の社会科ではどうしても自分のものにできなかった人権感覚など、容易に自分の中に確立していけるにちがいない。
 もし貴方が、こういう母親になるならば、「欲求不満の親達」とは違った人間に育っていくはずである。いやそれどころか、母親としての生き方を通じて、社会に生きる一女性として、一人の独立した人間として成長していく土台は既に築かれたといってもよかろう。

 幼児を通じて社会を知る

 赤ん坊が、ようやく、ひとりではい廻り、物につかまって立ったり、歩いたりするようになると、子どもを危険から守るためには、常に注意が必要となってくる。小さな池や、どぶ川、細い露地を無神経にとばしていく自動車、いきなりバックしてくる車、人間に噛みつく熊まがいの犬から、誘かい魔まで、数知れぬ生命の危険が、貴方の子どもを待ち受けている。さらに、小児まひ、赤痢、はしか等の伝染病の恐怖にもさらされる。このような年令に達した子どもは、そういう意味で、社会生活をはじめたといってよい。
 これらの社会の現状の中でおこる危険から、我が子を守るにはどうしたらよいのか。一日中、我が子を監視して、表には出さないようにすればよいかもしれない。だが、子どもは、何の隙に外に出てしまうかわからない。幼稚園や学校に通うようになったらそうもできない。まして子供の社会生活をとりあげることはできない。母親である貴方は、一人の我が子を守るのに、自分一人の力では、どうにもならないことが、あまりにも多くあることに気付くだろう。近所のドブ川に蓋をし、池の周囲に柵を作り、家の前で交通整理をすることは、一人の母親の手にはあまることを思い知らされる。同時に、我が子一人ではなく、近所に住む、たくさんの子ども達もまた、同じ危険にさらされ、多くの母親達が同じ心配をしていることも知らされる。
 小さなドブ川に蓋をしてほしい。池の周囲に柵を作ってもらいたい。小児マヒのワクチンを子どもに与えてもらいたい。交通事故から子どもを守るために、ああしてほしい、こうしてもらいたいと、いろいろな要求が次々と出て、その実現を切実に願う。もし貴方が、かつてのBG時代には、同僚が組合活動やその他を通じて執拗に要求を出しつづけるのを冷淡にながめていた仲間の一人であっても、今は傍観者であることはできない。子どもを持つことによって生まれた母親の願いは切実な上に強烈である。自然に行動におしやるほどに根強い。
 職場生活で、途中で考えることをやめ、方向転換をやった人達も、今度は途中でなげだすことができない。なげだせないほどに、その願いは母親としての欲望に根ざしている。
 職場生活で、自分の権利を守ろうとしても、自分一人ではどうにもならないという体験をもった母親が、自分の子どもを守りたいという願いが、子ども達みんなをまもる願いに発展しないかぎりどうにもならないという考え方に到達するのはたやすい。
 貴方が職場生活の経験のない母親であっても、我が子が社会生活の中にはいりこんでゆき、その中で危険にさらされていることの発見から、おくればせながらも、自分の社会生活をはじめ、その中で、問題解決にのり出していかずにはいられまい。貴方は、この事を通じて、当然政治にも参加していくことになろう。それまでの貴方の生活は、到底独立した人間としての社会生活とはいえないものなのである。

 わが子は未来へのかけ橋

「じょうぶないい子に育てたい」というのは、母親に共通した願いである。貴方もまた、無心に眠る子どもの寝顔を見ながら胸の内に何度か繰返したことだろう。しかし、いい子とはどんな子をいうのか、甚だ漠然としている。いい子の具体的なイメージが頭に浮かべられなければ、現実に子どもをしつけ、何かを与えてやることはできない。そこで、貴方はいろいろと考えなければならない。素直な子、優しい子、たくましい子、強い子、正しいことに勇気の持てる子、感情の豊富な子、人に好かれる子、成績のよい子、頭のよい子。貴方は、日常、折にふれ、時に即して、さまざまな子どもの姿を頭に画くであろう。貴方の知識と体験をもとにして、わが子の未来の姿を画き続けるはずである。それはまた、自分の幼年時代、少女時代の姿を思い起こすことにもなる。世の中が揺れに揺れた時代、ひどい社会の有様だった。戦争があった。ひどい目にあった。自分の子ども達には、あんな目にあわせたくない。だが、将来、この子ども達が生きる社会は、どんな社会なのだろうか。今の社会のありさまが、たいしてよい状態とは思えない。母親は、子どもの将来を案じれば案じるほど、考えこまざるを得ないだろう。現在の社会のようすを検討してみる必要にかられ、将来の社会をよくするために、今、何をしなければならないかを知ろうと務めざるを得ない。住みよい社会への努力を、一歩でも、二歩でも歩み出そうとすれば、それの困難なことをさらに思い知らされるだろう。
 はじめは、我が子の幸せを願っての一人の親の素朴な欲望に出発したものが、しだいに、我が子一人だけのためでなく、総ての子どものためであり、総ての人々のために必要なこと、やらねばならないことだと身にしみてわかったとき、おそらく、貴方は、それがどんなに大きな夢であり、やり甲斐のある仕事であるかを知って感動することであろう。そこにきて、貴方は、我が子もまた、こういう社会をつくりかえる仕事に参加する人物になってほしいと願うようになっている自分を発見して驚くことであろう。いつか、いい子という抽象的人間像が具体的な社会人としての人間像に発展しているのである。
 ここまで辿りつくことは、普通の母親には容易なことではあるまい。だがBG生活の経験者には比較的簡単なことかもしれない。彼女はそこで、いろんなタイプの人間の、いろんな生き方をみた。彼女はあらためて、五年十五年を単位にして、その人達の生活を内部にまではいりこんで観察することができる。人間が生きるということ、幸福ということについて具体的に考えることもできるし、どんな人間が本当に素敵であり、どんな能力が現代に求められているかについても考えるだけの材料をもっている。
 だとすれば母親としての貴方が子供に求める勉強の内容は自ずときまってくるはずだ。「欲求不満の親達」がその子達に求める愚かさについていけないのはいうまでもない。そこには、本当に自分を大事にし、生き甲斐を感じるような人生を送る人間が、生き生きとした姿で、子どもの未来像として、将来の理想像として浮かんでくるはずである。子どもをどう育てるかを考えることが、貴方の学習をどこまでも発展させるのである。

 

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第五章 家庭を足場にした独学の実用

 雑多な主婦業をやりぬくために

 主婦の仕事というものは、なかなか複雑なものである。これを専業とする職業に分類しても、掃除業あり、洗濯業あり、料理業あり、さらに縫製業ありというぐあいである。子どもがいれば、そのほかに教育業もある。家庭経営はこれを会社の部課にわけてみると、庶務課、経理課のもろもろの任務を背負っている。社員の出欠、健康管理、社内の清掃、行事の遂行、取引会社との交際、備品の購入、保管、給料の支払い等々。主婦には、単にそれらができるというだけでなしに、料理人としての腕も、掃除婦としての力も、洗濯屋としてのサービスも要求され、教育者としての見識まで要求されている。その忙しさにまぎれて、主婦がヌカミソ臭い古女房にでもなろうものなら、とたんに、夫からも子どもからも拒否されるから、適当に美しさを保ち身綺麗な装いをするために、よき美容師であり、洋裁師でもなければならない。家族の健康管理のためには、最少限の医学知識を身につけている必要もある。
 近ごろのように、主婦の身辺に電気製品がふえ、商品も質量ともに豊富になってき、繊維製品も次々と新しいものがでてくると、その知識も相当範囲をひろめておかないと、洗濯、アイロンかけすら、完全に行なえない。電気製品を何種か一度に使う時には、わが家のアンペア数と各電気器具のワット数を考えあわせる必要も生じてくる。洗濯機の具合が悪くなった時、不注意にアースさせれば生命にもかかわる。その洗濯機に便う洗剤は何が最も使いよく、洗いあがりが綺麗で、かつ安あがりかにも、当然、気を配る必要がある。
 毎日食べる食料品の購入は、主婦の仕事のなかでも、とくに重要なポイントをにぎっている。つまり、家族の健康管理の面では、カロリー、ビタミン、蛋白質、脂肪、炭水化物の配合を考える必要があり、同時に家計費の中で適当に処理しなくてはならない。そこで主婦は、どこの店の品物が新鮮か、品質がよいか、値段が安いかについて研究を怠れない。
 どうせ雑多な仕事の固まりみたいなものだからと、いいかげんにやっつけようとすれば案外にごまかせることもできるが、以上みてきたような広範囲のものに、頭を使い、手をかけようとすれば際限なく頭を使い、手をかけなくてならないのが主婦業である。主婦の仕事は大変だという評価と、主婦なんて、さぞひまだろうという評価とが共存するのもそのためである。
 一人の主婦の一か月の仕事を労賃に換算すると、一人の亭主の働きでは、なかなかまかないきれないほどの金額に達するともいわれている。主婦の働きとは、それほど高価なものである。しかも、経費のきりもりを、それこそ、どんなに巧みにやっても、一家の収入は決してふえない。シャツの洗濯から、子どもの衣類づくりまで、主婦が身を粉にして働いたとしても、収入の範囲内で支出が減じるだけであって、そこで浮いた分のお金が家の備品や衣類に化けるか、貯金になって残るのが精一杯である。売りあげをふやすとか、生産高をあげるということは望めない。そういう意味で、主婦の努力は消極的にしか評価されない結果ともなり、そこからの脱出をはかって、内職、パートタイム、共稼ぎ、はてはマネービルに熱をいれる主婦も生まれてくる。だからといって、主婦は主婦業を廃業することはできない。できない立場におかれているのが主婦業である。分がわるいというしかない。
 もし貴方が主婦だったら、この主婦の立場と仕事の中で、何を考え、何を学ぼうとするだろうか。何が学べるだろうか。

 家庭経済から政治経済へ向ける眼

 こういう煩わしい、あまり高い評価をうけない主婦業ではあるが、なんといっても人間の日常生活に最も直結した、軽視できない仕事であってみれば、実はそこから、さまざまなことを学ぶことができるのである。
 主婦の仕事の大半は、手を使っていても、全神経をそれに集中しなければできないような仕事は比較的少ない。しかも、毎日の手なれた仕事が多いのだから、洗濯物をしぼりながら、ゆすぎながら、ほしながら、お米をとぎながら、煮物をしながら、掃除しながら、他のことを考えようと思えば、相当に考えることができる。お使いに行く道々、茶わんをふきながら、身体はしばられていても、物事を考えるひまは結構あるのである。
 先ず、新鮮で、安い値段の品物を求めていく中で、貴方は自然、物価そのものの上昇にも敏感になるであろう。娘時代、母の使いで買物をしていたときとは全く違った重さで、値段のことが迫まってくるに違いない。去年は三十円で買えた薄っペらい魚の切身が今年は三十五円する。こう値あがりしてはたまらないと思いながら、三十五円の切身をやめにして、三十円の干物にしようか、一山五十円のアラにしようかと考えるのも主婦の切実な思いである。育ち盛りの子供のことを考えて、いつか貴方の眼はキラキラしてくる。なぜ、そんなに物価があがったのかを考えるキッカケでもある。こっちの店は値あげしたのに、むこうのスーパーマーケットは以前のままだ、どうしてだろうとつい考えるようにもなる。そう思っていると、時々の新聞の物価問題にまで眼が走る。政府はこの問題をどうしようとしているのか、果たしていう通りになるかならないかもだんだんにわかってくる。簡単な経済事情を説明した新書を買うなり、借りるなりして読んでみようという気持もおきる。子どもを寝かしつけた一寸の暇や、夫を送りだしたあとの何分かの時間をあてて少しずつ読む。学校時代には全くにがてだったことが、ウソのようにわかるから不思議だ。
 同じ物価の問題について、現状や見通しをのべても、その内容が説明する人によって大分違っていることも発見できる。はじめAの本を読んで、本当にその通りだと思っていたのが、Bの本を読んで、Aのいうことにそうそう賛成してはいられない気持になった。Kのラジオでの対談をきくと、Aの考えともBの考えとも違うらしい。あらためて、Aの本、Bの本を読みかえし、Kの書いた本もさがしだして読んでみる結果になることもあろう。あらためて、Aにひきずられ、Bにひきずられる自分という、意見のない自分について考えることもあるかもしれない。
 毎日の買い物が、値あがりのために、すっかりやりにくくなったという一つのことから、国内の経済問題、世界の経済事情にまで眼を開くこともできるのだ。
 店のサービスが悪くなった。店員が少ない、出前を断わられる、といった事がらにぶつかって、その裏の社会の動きを見つめ考えることもできる。家にとじこもっているために、とかく視野が狭くなり勝ちな主婦の貴方も、物価値あがりの問題その他を通して、社会の動きと直結することもできる。
 BGの生活体験をふまえた女性が主婦になったとき、彼女の主婦業は、その体験のない者とは自ずと違ってくるはずである。夫に対する理解のしかたも、職場生活を知らない者には到底持てない深さを持つだろうし、家庭の処理のしかたもつねに能率的で合理的なことを要求されていたBGの生活が大いに生きてこよう。
 地域の活動に積極的な理解と協力をしめすことも自然にでてくるだろうし、PTAの活動などにも積極的に参加することができよう。

 井戸端会議の積極的な意味

 主婦の仕事が雑多であればあるほど、それを自分なりにさばく手順なりやり方がある。たいていの主婦は、その自分の採用している手順に従って仕事を進めていく。決められた家という枠の中で、能率的に事を運ぶには、手馴れた順序は一応間違いがない。しかし、ちょっと角度をかえてみたり、他からのヒントを加えてみると、また能率の上がる方法が見つけられる。新聞の婦人、家庭らんや、女性雑誌は、そのヒントを与える上で、ある程度、やくにたっているだろう。だが、もう一歩進めて、貴方が自分の家での、主婦として、母親として、女としての自分を中心にすえたうえで、仕事のやり方、道具の置き方、整理のしかたを考えてみれば、そのことが、電気器具を新しく買い入れると同じほどに、家事を合理的に行なう上で大切なことを知るであろう。家の中に棚を一つ吊るにしても、家具を一つ置くにしても、それなりの頭を働かせることができる。それが家事を行なう上に重要な関係があり、家事の手順に大きな変動を呼びおこすことにまでなるとすればなおさらである。合理化して浮いた時間を、大いに疑問の解決に用いたり、井戸端会議に出席したりすることだ。
 井戸端会議という言葉は、多分にやゆ的で、しようのない女共が、他人の噂話や、アラ探しに、無駄な時間を費しているという意味をもっている。まさにその通りかもしれない。しかし、貴方が、そんな話をしたくないからではなく、井戸端会議のメンバーに加わることを恥じて参加しないのなら、それは大いにばかげたことである。井戸端会議だからといって、はじめから終りまで、他人の噂や悪口ばかりが話題なのではない。その中には、切実な生活者の声、同じ主婦の発言も混ざっている。それだけでは、憂さもはれないし、面白味もないから、あること無いこと、他人をまな板にのせるのだ。だから、切実な内輪話や叫び声のような話題を、他にそらさせずに、それは何故か、どうしたらよいかという方向に向ければよい。だめだったら、さっさときりあげて、次の機会にまた試みればよい。なんといったって、井戸端会議には主婦のリクレーション的要素が強いことを忘れてはならない。そこで、彼女達は周囲の人々と話しあうことによって、自分の不満を聞いてもらったり、聞いてあげたりする。我が家にとじこもって、不満の蓄積から、ノイローゼになり、子供をみちづれにした自殺をするより、どれだけましかもしれない。
 また、不満があるということは、決して悪いことではない。不満はそれだけでは積極的意味をもっていないが、井戸端会議のなかで、積極的意味に転化することができるかもしれないし、転化しなくてはならない。
 他人に私生活をのぞき見されたくない、したくもないという、現代人の感覚にマッチした、今迄のような他人の噂話に終った井戸端会議でない井戸端会議を主宰できる能力を身につけることは大切なことである。こういう主婦がはじめて、その夫といつまでも歩みつづけることのできる、夫から取り残されない妻にもなれるし、子どもとともに歩める母親にもなれるのだ。

 

                <独学のすすめ 目次>

 

<あとがき>   <1963年版では「第六章」と「あとがき」>
 
独学へ歩み出そうとするあなたに

 おのれの世界を征服する

 以上、私は、独学の精神と姿勢と方法について書いてきた。決してこれで十分ではない。十分でないどころか、一億の人間があれば、一億の独学の精神と姿勢と方法とがあると考えている。
 もちろん、客観性があり、普遍性、抽象性のないものは、学問とはいえないという者が貴方達の周囲にあるかもしれない。あるどころか、それが一般化し、常識化している現代である。しかし、私は、貴方達がそれを疑い、拒否し、貴方達自身の人生を逞しく歩み始めることを強く求めた。貴方達が貴方独自の精神と姿勢と方法をもって生き始めることを願った。貴方達が自分自身の力で、思考力と批判力で、貴方独自の精神と姿勢と方法を模索し、発見し、確立することを要望した。
 それが、人間として、現代に生き、現代の課題を学ぶことであり、学ぶことの出発点であるということを書いてきた。
 恐らく、貴方達は、ここまで読んできて、貴方達が大変に困難な岐路にたっていることを発見したに違いない。ある者は戦いたかもしれない。しかし、その戦きが武者ぶるいであることを祈りたい。新しい世界を前にしての感動であることを祈りたい。それに、貴方達は、それをやっていけるだけの若さとエネルギーをもっている。冒険をしてみるだけの勇気をもっていよう。それに、今日の破滅的な状況、絶望的な状況には、もうつくづく嫌気を全身で感じているに違いない。
 貴方が今日の状況に嫌気を感じている程度に応じて、貴方の独立は達成され、貴方の独学の精神と姿勢と方法は確立されよう。その意味では、貴方達の絶望と不信は深く徹底していればいるほどよい。その絶望と不信は底知れないほど、貴方達が自分自身に求めるもの、独立しよう、独立しなくてならないという要求を強く働かせるであろう。
 その時、貴方達の頼める学問は、貴方自身のものとなり、他人の眼、他人の評価を離れて、貴方自身の人生に本当に役立つものとなろう。個に徹し切った貴方の生活が始まろう。貴方を生かす独学の精神と姿勢と方法が、本当に貴方のものとなろう。
 人々の連帯を求めたり、強調したり、更には、学問における客観性、普遍性、抽象性を求めたりするのは、それらを確立した後の問題である。この点を解決しないままに、連帯を求めるから、その連帯はもろいし、客観性や普遍性や抽象性がなんのためのそれかわからなくなり、宙に浮くのである。
 だから、私は、もう一度ここで、汝自身の道を汝自身の力で歩んでほしいということを強調したい。貴方達は一人一人、この世界の王者であり、この世界を征服する道を敢然と歩まなければならない。衝突がおこること、対立がおこることを少しも恐れなくていい。衝突や対立が生じたら、その時、その解決にとりくめばよい。そのためにこそ、貴方達自身で、貴方達の学問と思想を身につけようとしたはずである。

 独学が破滅への道を救う

 私が独学の精神、独学の姿勢を強調するということは、現代人の知性を、日本人の知性を改造するということ以外にない。現実の問題の前に無力で有効性のない知識を克服して、どんな現実の難問も解決していけるだけの知性、強力な展開力をもつ知性をもつことを、私は貴方達に要求した。それが、貴方達の現在の生を生き生きとよみがえらせるだけでなく、破滅にひんした現代文明を救うことになると考えたからである。
 その点で、貴方達は、現代文明の危機を救いうる、全人類を救いうる光栄をになっている。になう人になってもらいたいと思う。独学の精神と姿勢と方法をもつかどうかは光栄をになうか、破滅の道をとるかの岐路である。
 普通、独学という場合、正規の学校にゆかないで、自分一人で勉強することをさしていたが、この頃では、学問をすることは独学であり、独学によらなければ、学問はできない、本当の学問は創造されないように考える人々が徐々にふえてきた。
 昭和38年に、私が始めて、本書を書いた当時とくらべると、ずいぶん変わったものである。独学という言葉が正確につかわれ、独学の必要性、重要性を強調する人々、その必要性、重要性を感ずる人々が増えてきたことは本当にうれしい。人々が変わることによって、成長することによって、世の中も徐々に変わり、よくなりつつある。
 こういう書名の本が必要でなくなる日が一日も早いことを祈っている。知性の改造を強調するこの本が消えていくのを願っている。そのためにも、貴方達は大勇猛心をふるいおこして、独学の精神と姿勢と方法を一日も早く確立してほしいし、独学の精神と姿勢のない学問は虚偽の学問であると友人、知人に語ってほしい。
 かつて、ある高校生は、この本から重要と思われた個所を抜萃して、プリントとして、クラス全員に配り、次には下級生に配ったという。彼は、そのことを感激的に報告してきたことがある。同時に、この本では、クラス全員を説得できなかったとも書いてきた。それは当然である。始めにも書いたように、この本は、そのための万能薬ではない。問題は一人一人が、この本の中で言おうとしていることを読みとり、それを更に各人の中で、独自に発展させることである。
 この本を読んだことは、その出発点にたったことでしかない。全ては、今後の貴方の課題であり、貴方が解決しなくてならないことである。私もそのために、十数冊の本を書き、これからも生命のあるかぎり書いていこうと思っている。だから、私は、貴方達と一緒に、この道を歩んでいこうと思う。また、歩いていけることを非常に喜んでいる。貴方達が私を追いこして、どんどん進んでいってくれたらなお更うれしいと思う。破滅的、絶望的な今日の状況は、貴方達が私を追いこすことを強く要求している。
 貴方達の勇気とエネルギーと慧智を必要としている。

 

                 <独学のすすめ 目次> 

 

独学する人にすすめたい本

<社会科学系>

  <書名>

  <著者名>

職業としての学問

ウェーバー

経済学哲学草稿

マルクス

空想より科学へ

エンゲルス

孤独な群衆

リースマン

自由からの逃走

エーリッヒ・フロム

現代思想

清水幾太郎

現代政治の思想と行動

丸山真男

実存主義とは何か

サルトル

5月19日

日高六郎

憲法を読む

小林直樹

資本論の世界

内田義彦

経済原論

宇野弘蔵

経済を見る眼

都留重人

共同体の基礎理論

大塚久雄

善の研究

西田幾太郎

人生論ノート

三木清

現代日本の思想

久野収・鶴見俊輔

風土

和辻哲郎

世界史概観

ウェルズ

日本文化史

家永三郎

都市の論理

羽仁五郎

実践論・矛盾論

毛沢東

擬制の終焉

吉本隆明

社会契約論

ルソー

現代思想入門

梅本克己

<人文科学系 1>

  <書名>

  <著者名>

古事記

万葉集

万葉秀歌

斎藤茂吉

源氏物語

紫 式部

こころ

夏目漱石

宮沢賢治詩集

中原中也詩集

晩年

太宰 治

真空地帯

野間 宏

野火

大岡昇平

仮面の告白

三島由起夫

楢山節考

深沢七郎

海辺の光景

安岡章太郎

個人的な体験

大江健三郎

砂の女

安部公房

されどわれらが日々

柴田 翔

二十歳のエチュード

原口統三

ドストエフスキーの生活

小林秀雄

風俗小説論

中村光夫

詩の中にめざめる日本

真壁 仁

吉本隆明詩集

夕鶴

木下順二

文学入門

桑原武夫

漱石論

江藤 淳

憂鬱なる党派

高橋和己

太陽の季節

石原慎太郎

どくとるマンボウ航海記

北 杜夫

福翁自伝

福沢諭吉

自叙伝

河上 肇

雪国

川端康成

日本のアウトサイダー

河上徹太郎

石川啄木詩歌集

我が精神の遍歴

亀井勝一郎

谷川俊太郎詩集

<人文科学系 2>

  <書名>

  <著者名>

聖書

リア王

シェークスピア

異邦人

カミュ

汚れた手

サルトル

罪と罰

ドストエフスキー

星の王子さま

サンテクジュペリ

欲望という名の電車

テネシーウイリアムズ

人を動かす

カーネギー

フランクリン自伝

水と原生林のはざまで

シュヴァイツァー

ケネディの道

ソレンセン

偉大なる道

スメドレー

中国の赤い星

エドガー・スノー

アラビアのロレンス

中野好夫

饗宴

プラトン

この人を見よ

ニーチェ

論語

阿Q正伝

魯迅

オーヘンリー短篇集

魔の山

トマス・マン

変身

カフカ

地獄の季節

ランボオ

絵のない絵本

アンデルセン

ベートーヴェンの生涯

ロマン・ロラン

愛の沙漠

モーリヤック

ロビンソン漂流記

デフォオ

<自然科学系>

  <書名>

  <著者名>

物理学はいかに創られたか

アインシュタイン他

昆虫記

ファーブル

現代数学対話

遠山 啓

鏡の中の世界

朝永振一郎

旅人

湯川秀樹

生命の起源

J・Dバナール

動物記

シートン

種の起源

ダーウィン

電子計算機

坂井利之

科学の方法

中谷宇吉郎

古在由秀

寺田寅彦随筆集

新科学対話

ガリレイ

自然の弁証法

エンゲルス

 

     (1963年初版  1969年改訂版  大和書房刊)

  

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