文章いろいろ

唯一

大学院の頃、私はたいそう落ち込みがちな人間で、雨が降ったと言えば落ち込み、空が晴れたと言えば嘆き、雲が厚いと言えば悲しみ、花が咲けばくやしくて、町がにぎやかなら腹立たしくて、……とにかくまぁ、あー憂鬱ったらありゃしない、という毎日を送っておりました。

あの頃に飛び降り自殺だのイタズラ電話だの通り魔殺人だのやらずに済んだのは、全くもって私の努力ではなく、周囲の優しいお友達の献身的な助けのお陰であります。

終電落としてアパートまでクルマで送る際に、繰り言の悩みをえんえん聞き続けたうえに、さらに夜明けまでドライブし続けて頭を撫で、それなのにドラマだったら暗転で表現されるような行為に全く及ばなかったある男性とか。
突然夜中に電話がかかってきたのにも関わらず、その後五時間近くに及ぶ私の愚痴をとりあえず聞き続けた友達とか。
私がごはんを食べてないらしいという話を聞いて心配して食事に誘ってくだらない話に耳を傾けたある男性とか。
落ちこんでいる時には花が効きますとばかりに、ラベンダーの小さな束をくれた友達とか。
そしてここには書けないけれど、それはそれは優しく助けてくれたたくさんの人々の思いやりに支えられ、今の私があります。

そういった人々は、PALMのアンジェラ・バーンスタインの如く誰のことも思いやる利他精神あふれる人々であります。
思うに、私のような手間のかかる問題の多い人格と、それなりにつきあってゆける人というのは、非常に優しく思いやりあふれているがゆえに、誰にでも優しくできるはずなのです。
私の友達は、何かというとエマージェンシーコールがかかって、みんなに頼りにされる人ばかりです。人格者を選ぶ私のこの目は大したものだと、思わないでもない訳ですが。

みんなに優しいということは、別に私ひとりに優しいということではない訳で、同性の友達はともかく、異性の友達と私が最後まで「友達」という関係性を保ち続けたのは、結局のところ私がそれをいつも意識していたからだと思います。
彼らはさとみんが困っていたから必死だったのではなく、そこに困っている人間がいたから必死だったのです。
私はその思いやりに、溺れる人間が浮き輪につかまるようにしがみついて、日々をやり過ごしていた訳ですが、その間常にこの世のどこかに、困っている人間ではなく、困っていようがいまいがさとみんのために必死になってくれる王子様が現れてくれませんかと、お祈りをしていました。

そういう王子様は、現れませんでした。

私は世界の中でたった一人しかいない、かけがえのない、世界の中心にある魂ではなく、綾波レイよりも取り替えの効く平凡でありきたりな染色体XXであり、世界は私なしでも十分やっていけて、今大切にされているのは私自身ではなく、私がまとっている属性によるものなのだ、という事実を、嫌々ながら認めることが、その時代の私のクエストでした。

私が日頃何度も、「私はどこにでもいる普通の人間で、別に変わったとこなんか何もないよ」と言っているのは、その時の認識が源になっています。
世では変人呼ばわりされることもある人間ですが、そういう意味で、私は本当に、数多ある歯車のひとつに過ぎません。
歯噛みしつつ、神様に恨み言をぶつけながら、やむなく白旗を上げた後に、私は伴侶に出会いました。

彼が、さとみんであるからこそこの人間を選んだのかは、実のところ私にはわかりません。訊けばきっと彼はそうだと言ってくれます。しかし、私はそれを信じないでしょう。彼の言葉を信じないのではなく、私自身が私という存在を信じていないからです。
私は、ある日突然、彼が私を残して失踪したとしても、あまり驚かないと思います。
その代わり、毎日彼が家に帰ってくるということ自体が、むしろあり得ない幸福であるような気がしています。これは何かの間違いなんじゃないかと思うこともあります。

もしかしたら、本当の私は何かの事故か病気で昏睡状態に陥っていて、今の私の「生活」は、ベッドに横たわる彼女が見ている長い長い長い夢なのかも知れません。ある日彼女は目を覚まし、あるいは生命が終わり、私のこの生活はぱちんと消える。
そうなのかも知れません。

……ということを、しょっちゅう考えていると言ったら、「そんなことは考えたこともないですね……」と知り合いに苦笑された、というのもまぁ、よくある話だと思うのですがいかがでしょう。

       

2004年のmixiの日記にて、「優しい人は、みんなに優しい」というタイトルで書いたものです。

恋愛が、多くの人にとって麻薬的な快楽をもたらすのは、「私は今世界の中心であり唯一の存在である」という感覚をもたらす、数少ないものだからでしょう。この感覚に対する欲望の強弱は、人によって差がある訳で、恋愛に対する飢餓感も多少はそれに左右されるように思います。

私はこの欲望が非常に強く、しかもそれが叶わない、というテーマを受容するクエストを抱えて、この世に生まれてきたらしいのですが、「世界の中心にして唯一の魂である」という錯覚を感じた瞬間は確かにあって、その時の高揚感は、ホログラムの宝石のような、触れることのできない尊いものとして心の中の箱にしまってあります。それが錯覚であることを知った後の絶望も、また。