光 鏡 院 

宗派  曹洞宗(そうとうしゅう)  
山号  清涼山(せいりょうざん)
寺号  光鏡院(こうきょういん)
本尊  文殊菩薩(もんじゅぼさつ) 室町時代後期作者未詳
開山  慧雲用輪大和尚(えうんようりん)安養寺二世の弟子
     天正16年(1588)3月6日遷化
開基  今川陸奥守一秀(いまがわむつのかみかずひで)
     戒名 光鏡院殿実山秀公大居士
        (こうきょういんでんじつざんしゅうこうだいこじ)
     行年 72歳 文亀3年4月20日卒
開寺  長亨2年(1488)
本寺  静岡市小坂 安養寺(あんようじ)

      静岡市 立て札

 
         光鏡院 (清涼山 光鏡院) 
光鏡院は、今川陸奥守一秀の菩提寺で、長亨2年(1488)僧・慧雲が開山した曹洞宗の寺ある。
 文明8年(1476)今川六代当主義忠が不慮の死をとげ、今川一族の間で竜王丸(今川氏親)派と小鹿範満派に分れて争いが起ると、一秀は竜王丸を補佐するため遠江から瀬名に移り住み、瀬名氏と改名した。以来、一秀は瀬名一族の祖となった。
 通称「瀬名館」といわれる字大屋敷は、瀬名集落のほぼ中央にあって、瀬名一秀を祖として氏貞、氏俊、氏詮四代の居館跡であったことが「今川記」に記されている。今日、遺構は認められないが、今川直系を補佐する一族として瀬名氏の勢力は大きかった。
 瀬名砦の所在は不明であるが、光鏡院の裏山と考えられ、永録11年(1568)武田信玄の駿河侵攻の際に落城したことが記録にみられる。
 光鏡院をはさんで、二代今川氏貞の菩提寺である「松寿院」や三代今川氏俊婦人の菩提寺である「竜泉院」の一体は、瀬名一族発祥の地であるので、今川一族研究のうえからも、きわめて意義深い土地柄である。
  昭和五十八年十月  静岡市

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