「こうしてお前と朝を過ごすのも…
 しばらくの間、お預けになるな」


 少し寂しげな視線を向けながら火波は恋人の髪を指先で弄ぶ
 テーブルの上に置かれた二つ並ぶグラスが今日はやけに物悲しい

 出発は昼過ぎだ
 まだ時間がある

 シェルと火波は互いに戯れながら、こうして2人の時間を過ごしていた



「む…寂しいのか?
 拙者を恋しがって泣くでないぞ」

「今生の別れという訳ではないし、気持ち的には安定している
 だが…全く寂しくないと言えば嘘になるな、やっぱり」


 それはシェルも同感だった

 火波は自分をいつまでも待つと言ってくれた
 その言葉はシェルに、会おうと思えばいつでも会えるという安堵感を与えてくれる


 …それでも、やっぱり離れ離れになる事は寂しい

 しかし自分が寂しがっているという事を知られるのは少し恥ずかしい
 シェルはそんな心情を悟られまいと朝から気丈に振舞っていた



「お前の髪も伸びてきたな
 次に会う時…何処まで長くなっているか楽しみだ」

「拙者の髪を切るのはお主の役目じゃ
 旅に出ておる間、ずっと伸ばしておくから…
 戻って来たら拙者に一番似合う髪形にカットしておくれ」

「ああ、そうだな…」


 ふっ、と頬を綻ばせる火波
 その微笑が何故か切なく見えて、シェルは彼の胸に顔を埋めた

 大きな手が優しく髪を撫でてくれる





「……拙者…待っておるから…
 だから火波も…拙者と再会する日まで…」

「シェル…」


「拙者と再会する日まで、オナ禁頑張れ

 ごめん
 それは頑張れない


「お前…独り寂しい夜に追い討ちをかける気か!?」

「あっはっは…冗談じゃ
 ほれ、バナナをやるから元気を出せ」


 わしは猿か
 差し出されたバナナを片手に切なく黄昏る火波



「孤独な夜を慰めるにはバナナが一番じゃろう?」

 何させる気だ


「さ、使え」

「シェル…いいのか!?」

「む?」

「本当に…本当に使うぞ!?
 本気でバナナに慰めて貰うぞ!?
 しかもわしの事だから使用済みバナナ
 後でしっかり食うに違いない!!


 みみっちい男だな
 というか火波よ…

 そこまで想像するか




「ああそうだ…わしの事だ!!
 皮剥けば大丈夫って自分で言い訳しながら普通に食うぞ!?
 良いのかお前…本当に、それで良いんだな!?


 それはそれで面白そうな気がする
 …でもそれを言うと拗ねるので適当に流しておくシェル


「わかったから、バナナ握り締めて泣くでない」

「うぅ…どうせ、わしなんて…」

 もそもそ

 拗ねながらもバナナはしっかり食う火波
 もしかすると自棄食いなのかも知れない




「まぁ…冗談はこの辺にしておいて
 出発までまだ時間があるじゃろう?
 当分の間、会えなくなるから…もう少し拙者と――…」

「ふぉはえふぉむぉんふぁ…」

「飲み込んでから話さぬか!!」


 べしっ

 バナナの皮で顔面を叩かれる火波
 甘いムードとは程遠い2人の時間は、ただゆっくりと流れて行った








「……この船がディサ国まで乗せてくれるそうです」



 カーマインが指し示したその船は、
 他の船と比べると格段に大きく立派な造りの船だった

 帆には確かにカイザル派を表す緑のラインが入っている


「凄く立派じゃのぅ…
 拙者、こんなに大きな船に乗るの…初めてじゃ…!!」

 瞳をキラキラと輝かせるシェル
 興奮気味に船を眺めては感嘆の声を上げている



「この船の船長さんが以前、ディサ国にお世話になったそうです
 それで快く俺たちを乗せてくれるって…嬉しいですけど少し良心が痛みます」

「ああ…まぁ、その辺は…」

 苦笑を浮かべて頭を掻くカーマインと火波
 確かに罪悪感は感じるが、他に手段が無いのだ
 この際、仕方が無いだろう



「メルキゼデク、一応お前が保護者だ…しっかりな」

「…わかっているよ」

 火波に肩を叩かれて、
 少し緊張気味に言葉を返すメルキゼ


「カーマイン、シェル
 メルキゼデクのこと…頼んだぞ」

「うむ、メルキゼのフォローは任せておくれ」

「火波さん…メルキゼの尻拭いは慣れてます
 安心して俺に任せて下さい」

「……あ…あのねぇ…君たち………」


 旅立つ前から既に最大の不安要素という扱いをされているメルキゼ

 否定出来ないのが何よりも切ない
 指先でマントを弄りながら軽くいじけてみたり

 しかしメルキゼ自身、慣れない鎧姿で動き回るので精一杯だ
 大人しくその他の事は口達者な2人に任せる事にする

 恐らくそれが最も平和な手段だろう





「――騎士様、お待たせしてすみませんでした」


 頭を下げながら、一人の男が船から下りてくる

 見るからに屈強で人相の悪い男だが、
 船乗りというのはそういうものなのかも知れない



「こちらこそ、無理を言ってすみませんでした」

 すかさずカーマインが前へ出て頭を下げる

「ああ、あんたは…お供の者か
 騎士様への取次ぎはあんたに言えばいいのかい?」

「あ…はい、お願いします」


「拙者はシェル、こっちはカーマインと申す
 不束者じゃがこれから暫くの間、宜しくお願い申す」

「ふぅん…あんたは見習い騎士って所だな
 この騎士様の所で修行させて貰ってんだな
 剣をやってる奴は見ればわかるんだ
 宜しくな、未来の騎士様よ」


 勝手に向こうで話を作って納得してくれている
 この分だと思ったより楽に事が進みそうだ

 安堵の息を吐く火波とメルキゼ



「それじゃあ騎士様
 お部屋にご案内します」

「あ…ありがとう…」

 後ろを振り返ると、火波は黙って自分たちを見守っていた
 どうやら出航まで見送るつもりらしい

 軽く手を振ると、火波も手を振り返す


 碇を上げろ、帆を降ろせ
 そんな船乗りたちの怒号が飛び交う

 旅路を行く自分たちを気遣っているのだろうか
 船はすぐに出港するらしい



「……火波…!!」

 突然シェルが走り出した
 バンダナを解くとそれを火波に向かって放り投げる

 潮風に乗ってゆっくりと舞い落ちるそれを彼は受け止めた


「火波…行って来る…!!」


 待っていて、と叫ぶと火波は握り締めたバンダナを振って応えてくれる

 …必ず
 必ず成長して、彼を迎えに来ようと

 そう心に誓うシェル



 汽笛が鳴る
 ゆっくりと船が動き出した

 船が岸から遠ざかって行く
 火波の姿が完全に見えなくなるまでは、
 決して泣くものかと思っていたけれど

 それでも堪え切れずにシェルの瞳から滴が零れ落ちた


 遠くで火波が何かを叫んでいる
 けれど、その声はもう聞こえない

 もう声すら届かない距離まで離れてしまった
 そう感じた瞬間、堰を切ったようにシェルはその場で泣き崩れた




「……シェル、大丈夫か?」

 カーマインがマントの端で顔を拭ってくれる

 泣き顔を見られるのは恥ずかしいけれど、そう感じる余裕も無くて
 少しだけカーマインの胸を借りるシェル


「…すまぬ…心配掛けて…」

「いや、お前の気持ちはわかるよ
 俺だって色々と別れを経験してきたけど…慣れるもんじゃないからな」

「感情を無理に堪えると心を殺してしまうから…
 寂しい時や辛い時は素直に泣けば良いと思うよ」


 涙を流す自分を笑う事も無く
 優しく慰めてくれる2人に励まされる

 ゆっくりと立ち上がると、シェルは『もう大丈夫』と笑って見せた




「さあ、船員さんが部屋に案内してくれるって…」

「うむ…行こうか…」

 シェルゆっくりと振り返る
 空を見上げると、出航時に降ろされたのだろう巨大な帆が風を受けて膨らんでいた


「……………。」

 不意にカーマインが何かに気付く
 彼は無言のまま、静かにそれを指し示した

 メルキゼとシェルの視線がそこへ向かう



 カーマインの指の先には
 船には付き物の帆がなびいている

 一つはカイザル派を示すグリーンのラインが入った小ぶりな帆


 そしてもう一つの巨大な帆には、
 これまた巨大なドクロのマークが描かれていた


 よく見ると周囲の船員たちは、
 それぞれ巨大な曲刀を背負っている
 船の端から突き出た円筒形の物は恐らく大砲的な何か


 OK
 海賊船決定




「ちょっ…」

 その場で生ける石像と化す3人
 もう、旅立ち初日からクライマックス的展開


「…な、なぁ…シェル…
 火波さんが必死に叫んでたのって…もしかして…」

「ははは…はは…は……ははは…」


 もう、笑うしかない

 でも
 笑ってる場合じゃない



「それじゃあ騎士様方
 お部屋に案内させて頂きます」

「ち、ち、ちょっ…待っ…
 その部屋って鉄格子とか付いてない!?」

「そんな心配要りませんって
 …あ、後でキャプテンが挨拶に参ります」


 来なくていいです、怖いから

 完全に魂が抜けた状態
 海上はまさに彼らのフィールドだ

 下手に抵抗したら即、サメの餌
 そんな恐怖に固まる3人





「こちらが客室になります
 それじゃあ、ごゆっくり寛ぎ下さい」


 精神的に寛げません

 むしろ、
 緊張感でピリピリです


 通された部屋は想像以上に綺麗なものだった
 鉄格子も拷問器具も無い、普通の部屋だ

 それでも
 生きた心地が全くしない



「…ど、どうするんだよ…おい…」

「そ、そ、そんな事言われても…っ…」

「海賊船か…まさか、そんなオチが来るとはのぅ…予想外じゃ…」


 声をひそめながら、互いに顔を見合わせる3人
 冷たい汗が額や背筋に流れる

 頭に浮かぶのは最悪の事態ばかり



「…これから俺たち、どうなると思う…?」

「身包み剥がされて海へダイブ?」

「遠くの国へ売り飛ばされる可能性も捨てきれぬ…」

「売られたら私、確実に見世物小屋行きだね」


 ネガティブ全開
 もう、火波も真っ青のマイナス思考




「で…でもさ、武器はまだ取り上げられてないよな!?」

「そ、そ、そう…だね
 シェル…刀を絶対手放すんじゃないよ!?」

「うむ…メルキゼも油断するでないぞ!?
 この中で最も強いのはお主なのじゃからな!!」

「お、俺だってモンスターの力を解放すれば…!!」

「よし…みんな、気を抜くんじゃないよ…!!」


 寛げと言われた部屋で、
 思いっきり臨戦態勢に入る3人

 誰一人として寛ぐ気がない

 気分はすっかり、
 海賊退治に赴く騎士団



「あ…ど、どうしよう
 俺は武器持ってないんだ…」

「部屋にあるもので適当に使えそうな物を探したらどうかな」

「何か硬くて振り回せそうなものなら武器になる筈じゃ」

 カーマインは無言で頷くと、
 真剣な表情で室内を物色し始めた




 ―――…コン、コン

 不意にドアがノックされる
 3人の間に戦慄が走った


「騎士様、少々宜しいでしょうか」

「は…はい、どうぞ…!!」


 船員の一人がドアを開ける
 そこには武器を構えた男が3人

 1人はナックル
 1人は両手に刀

 そしてもう1人は何故か右手にハンガー、そして左手に羽毛枕


 正直言って、
 何をしたいのか良くわからない姿

 しかし、当の本人は剣と盾のつもりである
 なので深く突っ込んではいけない



「お昼時ですので、キャプテンが是非ランチをご一緒にと…」

「ぶ…武器は持参で構いませんか!?」

「ええ、結構ですよ
 流石は騎士様ご一行ですね
 剣は常に傍らに置いておかなければならないというわけですか」


 目の前の異様な光景を前にしても表情一つ変えない海賊
 肝が据わっているのか、スルースキルのレベルが高いのか




「それでは食堂へご案内させて頂きます」

「は…はい!!」

 固唾を呑んで海賊の後に続く3人
 緊張感が走る中、シェルが静かに口を開く


「……カーマインよ…
 そのハンガーと枕は…どうかと思うのじゃが…」

「うん…自分でもこのチョイスは疑問に思ってたんだ…」

「それは置いて行って良いと思う
 確かに硬くて振り回せるけれど…
 ハンガーでペシペシやるよりは、素手で殴った方が攻撃力高いよ」


 確かに


 それに、この2点で戦う姿を想像すると泣けてくる
 枕とハンガーを適当な場所に置いて立ち去るカーマインだった

 その後

 トイレの前に置かれたハンガーと枕の存在に気付いた海賊が
 その2つを手に首を傾げるのはまた別の話である








 一方その頃



「……大丈夫…だよな、たぶん……」

 潮風に吹かれながら、
 頭を抱えて佇む1人の男

 言うまでも無く、火波である


「…あれは…誰がどう見ても海賊船だよな…」

 見た感じからすると友好的だったし、
 恐らく大丈夫…なのだろうが、やはり心配だ

 しかし、自分がここで心配したところでどうしようもない



「……わしも…船、乗るか……」


 ちなみに火波が乗る船は普通の客船である
 乗船券を手渡し、指定された番号の部屋へと向かう

 そこは小さな1人部屋だった
 ベッドとテーブル、クローゼットが置かれただけの粗末な部屋


 しかし…火波にはそれが随分と広く感じる
 いつも隣にいる筈の少年がいないからだ

 小さな部屋でも、1人だと妙に閑散としていて寂しい


 火波は荷物を置くと部屋を後にする
 少しでも人のいる場所へ行かないと気が滅入りそうだ

 食堂へ向かうと、それなりの賑わいがあった
 丁度昼食時だからだろう

 耳に飛び込んでくる人々の喧騒にホッとする



 …不思議なものだ

 シェルと出会う前の自分は1人でも平気だった
 あのまま永久に1人、孤独に生きるつもりでいた筈なのに

 友人、仲間、そして…恋人がいる、
 暖かくて優しい心地好い空間

 もう自分はそれに慣れきってしまった





「……こんな状態で大丈夫か、一人旅……」

「まぁ…一人旅にもそれなりの良さがあるんだけども…な?」


 何気なく呟いた独り言に思い掛けない返答
 塞ぎ込んでいたので他の乗客に心配されたのだろうか

 振り返ると、そこには栗色の髪をした青年が手を振っていた



「……あー…えっと……遊羅?」

「おっ、今度はわかって貰えたな」

「ちょっと自信無かったがな
 その言葉のなまりで何となく…」


 今日の彼は黒装束ではなく、普通の旅人の姿だ
 船に乗るのだから当然といえば当然なのかも知れないが…

 普段、スーツ姿しか見た事が無い教師の私服姿を見て、
 まるで別人のような違和感を覚える感覚に近いものがある



「いやぁ…奇遇だな
 こんな所で逢うなんて…やっぱり運命?」

「ただの偶然だ」

 熱っぽい視線を向けてくる遊羅を軽くあしらう火波

 それでも知った顔があるのは嬉しい
 少なくとも彼といれば孤独からは開放してもらえる


「火波、ご飯まだ?」

「ああ…だが食欲が無くてな」

「そっか、そうかもな
 じゃあオラの部屋に来ない?
 お菓子とかあるからさ、軽く摘んでおくといいべ?」

「…ん」


 部屋に戻って寂しい思いをするくらいなら、と素直に頷く火波



「いやぁ…それにしても、火波と会えて嬉しいな
 実はオラ、船に乗るの大嫌いなんだ
 昔乗ってた船がモンスターにやられて沈没してさ、トラウマなんだわ
 でも今回は火波がいるから楽しくなりそうだ…本当に良かった」

「……そうか」

「今回は南の島を目指して旅する事にしたんだ
 やっぱ寒いからさ、暖かい場所に行きたいべ?
 こんがり小麦色に肌焼いて、イメチェンもしてみようかな〜なんて」


 普段から饒舌な男だが、
 今日はやけに言葉数が多い

 しかも火波の事ではなく、自分の事に対して延々と語っている


 よくもここまで話題が続くものだ
 あまり話す事が得意ではない火波とは正反対だ

 適当に相槌を打ちながら聞き流していた火波だったが、
 妙にテンション高く喋り続ける遊羅の意図に気が付いて足が止まる




「…ん?
 火波、どうした?
 オラの部屋はもう少し奥だけど…」

「…………遊羅」

「んあ?」

「…気を遣わせたな…すまない」


 異様なほど高いテンションも、
 矢継ぎ早に繰り出される言葉も
 全ては火波の寂しい気分を紛らわす為だという事に気が付いた

 その証拠に、不自然なほどに火波自身の話題が出てこない

 自分の話題が出ると、嫌でも港町での生活が思い出されてしまう
 そうなると火波はシェルの事を再び思い出し、寂しい思いをするだろうと

 恐らく遊羅はそこまで考えた上で、
 話題を遊羅自身に絞って話しているのだ



「……わしも、まだまだ未熟だな……」

「火波、そんな深く考えないの
 オラは好きでやってるんだから」


 屈託無く笑う遊羅に、火波は勝てない物を感じる

 彼は自分よりも遥かに人が出来ている
 それをハッキリと見せ付けられた気がした


 ……もし

 自分がシェルではなく遊羅を選んでいたら
 今とはまた違った未来を歩んでいたのだろう

 遊羅なら自分を甘やかしてくれる
 大人の包容力で火波を幸せにしてくれる筈だ
 宝石のように大切に扱って、無理な我侭も笑顔で聞いてくれるだろう

 …それでも火波にとっては
 我侭な少年に振り回される道の方が魅力的だったのだが




「…あの…火波…?
 そんな遠い目で見つめられると落ち着かないんだけど…」

「おっと…すまない」

「ちょっと疲れたかな?
 ほら、ここがオラの部屋だから…少し休むべ?」


 案内された遊羅の部屋は、火波の部屋と同じ作りのものだった

 旅慣れているせいだろう
 軽く広げられた荷物は扱いやすい場所に置かれて整理されている



「この部屋って椅子が無いからベッドに座ってな?
 大丈夫、変な事はしないから」

「…わかっている」

 遊羅の冗談を流しながら、
 火波はベッドに腰掛ける

 想像以上に大きく軋む音が鳴って火波は思わず顔を顰めた


「……わし、太ったか……?」

 その一言がツボに入ったのか、
 盛大な声で笑い転げる遊羅


「違う違う、ベッドの作りが粗末なだけだって
 火波って面白いなぁ…」

「お前にだけは言われたくない」


 少し不貞腐れて、視線を窓の外へ向ける
 一面の大海原がそこには広がっていた




「今日は波も穏やかだな」


 火波に菓子の袋を手渡しながら、
 遊羅はのんびりと海を眺める

 ゆったりと流れる時間
 無邪気な笑みを浮かべながら冗談交じりに言葉を紡ぐ遊羅
 ただ、時折見せる暗殺者特有の氷のように冷たい瞳だけがその場から浮いていた


「……ん…?
 お前、雑誌なんて読むのか?」


 遊羅の荷物の中から数冊の雑誌が顔を覗かせている
 それに気が付いた火波は、興味深そうにそれに近付いた



「あああああああっ!!
 ダメ…それはダメだッ!!」

 突然慌て始める遊羅
 心なしか表情が軽く青ざめているように見える


「……どうした?
 普通の雑誌のようだが…」

 ひょい

 それを摘み上げると、
 火波はその表紙に視線を向ける

 料理の雑誌だろうか
 湯気の立つマカロニグラタンがそこに描かれている

 …意外な趣味だ


 しかしすぐに色鮮やかな雑誌のタイトルが火波の視線を釘付けにした
 そこにはこう書かれていた



 マカロニの穴、全て見せます


「……………。」


 見てどうする、そんなもの
 何の需要があるんだ

 そう突っ込みたい衝動を抑えながら、
 火波はゆっくりと遊羅の方を振り返った


「……火波……見た、ね……?」

「あ、あの…遊羅…?
 この雑誌は一体…」

「マカロニの穴マニアの、
 マカロニの穴マニアによる、
 マカロニの穴マニアの為の雑誌だ!!」


 そんなマニア、嫌だ

 というか
 マニアック過ぎて理解不能



「くっ…火波…
 火波にだけは知られたくなかった…
 このオラの禁じられた性癖を!!」

 性癖とな!?


「あ、遊羅…?」

「ダメなんだ…オラ…
 昔からマカロニの穴を見ると…
 もう、病的なまでに興奮してしまって…!!」


 うん
 それはもう病気で良いんじゃないかな




「あぁ…マカロニの穴…何て悩ましい…!!

 わしは今、
 この現状に悩まされてるんだが


「…ど、どんな趣味なんだ、お前…」


 怖い物見たさで雑誌をめくってみる火波
 そこには様々な大きさや種類のマカロニの写真が所狭しと並んでいた

 ぱっと見た感じ「今月の料理・マカロニ特集」という風に見えなくもない
 パスタの種類とソースの相性について書かれた料理本は少なくはない


 しかし


 マカロニの穴・拡大写真〜奥の奥まで見せちゃいます〜

 という煽り文句は明らかに異常である
 見せたから何なんだ、と激しく突っ込みたい



「あぁ…何てセクシー!!
 マニアにはたまんねぇべ…!!」

「……遊羅…どの辺が堪らないんだ?」

「ここの官能的なレビューを読んでみ!?
 もう…ムラムラ来て鼻血大噴射モノだべ!?」


 遊羅が言う官能的なレビューとやらを読んでみる火波


「なになに…?
 茹で立てホカホカの湯気立つマカロニの全身に、
 マヨネーズをたっぷりとかけて転がし、その穴に細切りのキュウリを――…」


 ………。
 なあ、遊羅…

 これってマカロニサラダのレシピ?



「こっちのページの特集では、
 マカロニの穴に突っ込みたい物、ベスト100が載ってんだ」

 100種類も思い浮かびません

 というか
 チクワと混合されてないか?




「……マカロニチーズは普通に美味そうだな…」

「おお…火波、わかってんな!!
 純白のマカロニの穴に流し込まれる溶けた灼熱のチーズ…!!
 そう、それが漢のロマンってもんだよな!!」

 違う


「こっちの袋とじには、
 マカロニの穴・禁断の拡張シーンが満載だ!!」


 広げてどうする

 というかマカロニの穴が巨大だったら、
 もの凄く食い難いじゃないか




「…よ、世の中…色んなマニアがいるんだな…」

「火波がマカロニの穴に興味を持ってくれて、オラ…嬉しいよ」

「いや、特に興味は無いんだが
 この雑誌がマカロニの穴ではなく、
 サボテンのトゲ全て見せますとかいうのだったら間違いなく買ったな」


「……サボテン?」

「ああ、わしはサボテンマニアだからな
 サボテンはいいぞ、官能的な刺激があって」

「火波…それはちょっと危ないって!!
 何でサボテンが官能的なんだ!?」


「いや、マカロニに興奮するお前の方が危ないぞ
 サボテンに欲情するのは至って普通だろう?」

「オラは普通だ!!」

「わしだってノーマルだ!!」


 あんたら2人とも危ない

 そう突っ込みを入れてくれる人物は、
 不幸か幸いかは知らないが、この場にはいない



 それから数時間

 マカロニについて熱弁を揮う忍者と、
 サボテンについて切々と説く吸血鬼の
 この上なくどうでもいい論議が交わされることになったという…





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