「……無情じゃな……」


 ぽつりと零した少年の独り言
 それが聞こえたのか、1人の男が少年の顔を覗き込む


「柄にも無くどうした?
 何か悩みでも出来たか?」

「…火波…」


 しょんぼりと肩を落とす少年には、
 いつもの小生意気な笑顔の片鱗も見られない

 見るからに落ち込んでいる


「………本気で、どうした?」

 今度は優しく、恋人の眼差しと声でシェルに向き合う

 虫の居所が悪い日は度々あるが、
 朝も早々に、ここまで気落ちしたシェルは珍しい


「…火波…」

「うん…?」

「……早い…」

「えっ…?」

「……………。」

 大きな瞳に、涙が滲む
 瞬きをすると、そこから大粒の雫が落ちた


「ちょっ…ど、どうしたんだ!?」

 無言のまま涙を流す少年を前に、
 あたふたと慌てる火波

 何か悲しませるような事をしただろうか


「し、シェル…」

 とりあえず慰めようと、その腕をつかんで引き寄せる

 少年の頬を自らの胸に軽く押し当てると、
 彼はそのまま、火波の胸の中で嗚咽を漏らした


「………………。」

 一体、どうしたのか
 正直言って、心当たりが無い

 下手に刺激して号泣されても困るし怖い
 とりあえずシェルが落ち着くまで胸を貸す事にする



「…し、シェル」

「む…何じゃ?」

「……その…シェル…
 お前…何故、泣いている?」


 …って、これでは直球ストレート過ぎる
 自分の不器用さと間抜け加減に、思わず頭を抱える火波

 せめてもう少し、さり気無く探りを入れるとか…
 色々と手段はあっただろうに


「……単刀直入に聞いてくるのぅ…」

「いや…そのつもりは無かったんだが…」

 困ったように頭を掻くと、
 微かにシェルの顔に笑顔が浮かぶ


「…本当に…お主は、面白い奴じゃな…」

「面白がるな」

「じゃが、実際に面白いのだから仕方があるまい」

 そう言うとシェルは再び表情を曇らせる


「本当に…火波は面白くて、一緒にいると楽しくて…」

「………シェル?」

「楽しい時間ほど、瞬く間に過ぎ去ってしまうものなのじゃな…」


 そうか…と火波は呟く
 シェルの涙の理由がわかった

 カレンダーに視線を向ける
 旅立ちの日が、すぐそこまで迫っていた

 もうすぐ、互いに別の道を歩く事になる
 旅を終えるまで顔を見る事も声を聞く事も叶わない



「………寂しいか…?」

 静かに頷くシェル
 涙に濡れた、消え入りそうな声で呟く


「…じゃが、火波を…止めはせぬ…
 この旅は必要な事なのじゃ
 火波にとっても…拙者にとっても…」

「シェル…」

「まだ、別れてもおらぬのに…
 それなのに、今からお主との再会が待ち遠しい…
 一刻も早く逢いたいと思ってしまうのじゃ
 変じゃよな…火波はこうして、目の前におるのに…」


 流れる涙を拭おうとさえせず、
 ただ、寂しげな笑みを浮かべるシェル
 火波のマントををつかむその手が微かに震えている

 火波の中で、何かが弾けた


 衝動的に少年の唇を奪う
 感情をコントロール出来ない頭の中で、
 どこか冷静に『唇がしょっぱいな』と感想を浮かべる

 頭の中は妙に落ち着いている
 それなのに、体が言う事を聞かない


 乱暴に噛み付くようにシェルの唇を貪りながら、
 腰に手を伸ばして帯を解く

 一瞬、全身を強張らせた少年の反応には気が付かない振りをして、
 火波は彼の着物を肩から滑り落とした






 ……ふと、我に返る

 いつの間にかシェルは
 自分の腕の中で、ぐったりとしていた

 薄く開かれた唇からは唾液が幾筋もの線を描いていて
 涙に濡れた瞳は虚ろで焦点が合っていない
 乱れた呼吸に連動するように時折、肢体が微かに痙攣を起こす


「…し、シェル…すまない、大丈夫か!?」

 慌ててシェルを抱き上げると急ぎ足でベッドへと向かう
 少年をシーツの上に横たえてから、
 火波は水で濡らしたタオルを用意する

 汚れた顔を拭ってやりながら声を掛けると、
 シェルから僅かな反応が返って来た


 水を含むと、それを口移しでシェルに与える
 素直にそれを飲み干すとシェルは火波へと手を伸ばす

 ぎゅっ…


「い、痛い痛い痛いッ!!
 耳を…耳を引っ張るな!!」

「…や…やかましいわ…せ、拙者の方…が…
 ダメージを…受けておると…い、いう…のに…」

 怒ってる
 当然ながら、怒ってる

 声は掠れていたが、毒舌は健在だ


「お主は…泣いておる恋人を…優しく慰める事も出来ぬのか…
 逆に痛め付けて…ど、どうするつもりじゃ、全く…バカ犬が…っ…」

「…仰る通りで…返す言葉も無い…」

 巨体を縮めて、平謝りの火波
 しゅん、と垂れた耳と丸まった尾の幻が見える気がする




「…だから、お主は馬鹿だというのじゃ…」

「す、すまん…悪かった」

「謝るでない…聞き飽きたわ
 どうせ月並みな言葉を聞かされるなら、
 謝罪の言葉より口説き文句の1つでも吐かれた方がマシじゃ」


 少し体力が回復してきたのか、
 火波の手からタオルを奪い取ると、それで額の汗を拭う

 見るからに不機嫌モードのシェルに掛ける言葉が見つからない
 とりあえず手持ち無沙汰なので、
 床に落ちたままの着物を拾って皺を伸ばす


「……き、着る…か?」

「要らぬ」

「………………。」

 仕方が無いので、それを丁寧にたたみ始める火波
 シェルから浴びせられる鋭い視線が、痛い



「……火波……」

「な、な、何だ」

「悠長に着物なんかたたんでおる場合かッ!!
 拙者は寂しくて泣いておったのじゃぞ!?
 そんな拙者をベッドに放置して、
 のびり着物なんか相手にしておる場合ではないじゃろう!!」


 早口で捲し立てられて、
 シェルの言葉を理解するのに時間が掛かる

 とりあえず…いつもに増して凄い剣幕だ
 迫力はあるが、ほんのり桜色に染まった頬が可愛いなー…なんて思ってしまう



「こら、火波っ!!
 何をぼさっとしておるのじゃ!!」

「え、えっ…?」

「早く拙者の相手を致せ!!
 お主でも添い寝くらいは出来るじゃろう!?」

「は、はい…」


 何となく敬語になりながら、
 慌ててベッドに横になる火波

 ご機嫌斜めのシェルには絶対に勝てる気がしない
 まぁ、こうなったのも自業自得なのだが…




「……気に食わぬ…」

「な、何が?」

「拙者はこんな状態なのに、
 火波が一糸乱れぬ姿でおるのは許せぬ」

「だ、だってお前…
 さっき…着物、要らないって…」

「いいから黙って脱げ!!」

「ひえええええっ!?」


 理不尽だ
 流石に理不尽だ
 そう思いながらも口答えは出来ないチキンハート

 ただ…悲しげに泣かれているよりは、
 我侭に振舞われている方が気楽だな、とは思う





「…先程は、よくも痛め付けてくれたのぅ…?」

 火波が脱ぎ捨てたサスペンダーを拾うと、
 シェルはそれを火波の手にぐるぐると巻きつける

 ぱちん、と金具が乾いた音を立てた


「ち、ちょっと…ちょと、待て!!」

 背筋を冷たい汗が伝う
 これはちょっと…いや、かなりマズい

 シェルと目が合う
 少年は先程とは別人のような優しい微笑を返してきた



「今度は拙者の番じゃ…
 お返しに、たっぷりと泣かせてやろうか…」

「………………。」

 泣かれるよりは、我侭な方が気は楽だ
 気は楽だが―――…体の方は、とてもじゃないが持ちそうにない火波だった









 潮風が冷たい

 吹雪とまでは行かないが、
 雪の混ざった潮風は容赦無く体温を削り取って行く


「……うーん……」

 渋い表情で唸る1人の青年
 やがて諦めたのか、溜息を吐きながら力無く歩き出す


「……カーマイン、どうだった?」

 遠くから駆け寄ってくるのは恋人のメルキゼ
 彼の表情も、カーマイン同様に曇りがちだ


「…ダメ、だった…」

「そう…私も、全滅だ…」

 がっくりと肩を落とす2人
 朝からずっと、この調子だ



「はぁ…まさか、こんな所で躓くとは思わなかった…」

「思ったよりも危険な状況のようだね…
 まさか、ディサ行きの船が一艘も無いとは思わなかったよ」


 シェルが行きたいと願う島へ向かうには、
 一度ディサ国へ向かう必要があった

 ディサ国からも離れている、地図にさえ載らないような小さな島だが、
 一応はディサ国領土であるらしい

 島へ足を踏み入れる為には、
 ディサ国から許可が必要だと知ったのは最近の事だ



 しかし――…ディサ国は現在、ティルティロ王国と交戦中である

 戦火の渦中真っ只中にある危険なディサ国
 そんな国へ、わざわざ向かってくれる船なんて一艘も無かった

 ディサ国行きの船は全ての運航を凍結していたのだ

 客船のチケットが取れないなら、
 せめて漁船にでも――…と、手分けして頼み込んではみたものの

 結果は…見ての通り、全滅だった




「…参ったな…
 予定では、近い内に出発するつもりだったんだけど…」

 船が無いのなら、どうしようもない
 地団太を踏むしかないメルキゼとカーマイン

「リャンティーアの恋人が、確か船乗りだったよね?」

「でも、流石に頼めないだろ
 これ以上…リャンに迷惑を掛けたくないんだ」


 リャンならきっと、力になってくれる
 恋人の船に乗せてくれるよう、計らってくれる筈だ

 しかし…だからこそ、頼めない



「ただでさえ、リャンは忙しいんだ
 恋人と会える時間も少ないって言ってただろ
 これ以上、俺たちの為に迷惑は掛けられない」


 危険なディサ国へ恋人と仲間たちが向かうと知ったら
 それこそリャンは心労で倒れてしまうかも知れない

 プライドが高く、気丈で負けず嫌いな少女は、
 しかし涙脆く心優しい一面も持っている

 敵には容赦しないが、一度仲間だと認めた相手の為には尽力で挑む
 リャンは、そういう性格の持ち主なのだ



「そうだね…でも、困ったな…」

 天を仰ぐメルキゼ
 灯台の明かりに照らされて、雪の白さが妙に目に焼き付く

 すっかり日が暮れてしまった

 朝から船を求めて歩き通しだったせいもあるだろう
 襲い掛かる疲労感で、家へと帰る気力すら湧かない

 しかし、いくらこの場で佇もうとも事態は何も変わらない


「……ここにいても、仕方が無いよな
 メルキゼ、どこかで暖かい物でも飲んで行かないか?」

「…うん…そうだね…」

 落胆したメルキゼの手を引いて、
 カーマインは目に付いた一軒の店へと足を伸ばす






「……メルキゼ、そんなに落ち込むなって
 きっと…何か手段がある筈だからさ
 明日になったら火波さんたちにも相談して、皆で考えよう」

「カーマイン…うん、そうだね…」


 カーマインに励まされて、
 メルキゼは少しぎこちない笑みを返す

 ホットココアで冷えた体を慰めながら、
 ゆっくりと息を吐くと少しだけ疲れが抜けて行く気がした


「火波に頼るのは悔しいけれど…
 無駄に長く生きている分だけ知識も豊富だから
 確かに、何か良い案を考えてくれるかも知れない」

「基本的に火波さんって、頼り甲斐があると思うぞ
 ただ…たまに、とてつもない方向に展開が吹っ飛ぶ事もあるけど――…」



 ぶえっくし!!


 突然、斜め後ろで盛大なクシャミが響く
 風邪が流行っているのだろうか

 何となく後ろを振り返ると、
 そこには鼻水をすする赤マント男の姿があった


「……………。」

「…………………。」

 どうしよう…
 目が合ってしまった

 ちょっと気まずい

 今の話を聞かれていなかった事を願いつつ、
 カーマインは火波に対して軽く挨拶をする



「…珍しいな、お前たちが夜に外食とは」

「え、ええ…まあ…
 外出していたので、そのついでに…
 火波さんたちはこの店に良く来るんですか?」

 決して安くはない店だ
 この店が2人のデートスポットなのだろうか


「いや…今日は特別じゃよ」

 苦笑を浮かべながらシェルが答える

「流石に拙者も…ちと、やり過ぎてのぅ…」

「………?」


 喧嘩でもしたのだろうか…
 そう言われて見れば、火波の表情に微かな疲労が見える

 …まぁ、その辺は深く追求しない事にしておこう


 今は彼らの事よりも優先させたい事がある

 願ってもない状況だ
 明日まで待たなくても火波に相談出来るのだから

 カーマインとメルキゼは、
 早速、行き詰った状況を2人に説明し始めた







「……そうか…」

「はい、何か良い案はありませんか?」

「…そうだな…」


 腕組みをして、考える仕草をする火波

 恋人であるシェルの為だ
 ここはひとつ、ボケずに真っ当な意見を期待したい所である



「知っての通り、ディサは小さな島国だ
 いくら自然の多い国だからと言って、
 100パーセント自給自足で生活が賄っている訳ではないだろう」

「は、はぁ…」

「つまり…物資を外部から輸入している可能性は多大にある
 そうなれば狙いを定めるのは客船や漁船ではない、貨物船だ
 総当りに行けば、一艘くらいはディサ行きの船が見つかるかも知れない」

「…あ…!!」


 貨物船の存在を失念していた
 思わず顔を見合わせるメルキゼとカーマイン

 確かに、その可能性は捨てきれない



「とりあえず…次に取るべき行動は決まったようだな」

「は、はい!!
 ありがとうございます!!」

 キラキラと瞳を輝かせるカーマイン
 とりあえず火波の株は上がったようだ


「よし、じゃあ急いで食べるぞ!!」

「そ…そうだね!!」


 テーブルの上には手付かずのままの、
 冷めかけた料理が並んでいる

 …が、それらは見る間に空になって行った

 まるで早食い対決の如く、がつがつと食事に取り掛かる2人を前に、
 火波とシェルは露骨に顔を引き攣らせた



「か…カーマインよ…
 まさか、これからすぐに貨物船巡りをするつもりか…?」

「当たり前じゃないか!!
 朝になったら貨物船も出港しちゃうだろ?
 船員たちが休んでる今が、まさに狙い目じゃないか!!」


 焼肉定食を豪快に掻っ込みながら、
 カーマインは意欲満々に胸を張る

 ここまでやる気満々な姿を見せられたら、
 黙って傍観するわけには行かない


「……それなら、わしも手伝おう
 手分けをした方が効率も良いだろう?」

「あ、じゃあ拙者も…」

「お前は宿に戻って留守番だ
 今、何時だと思ってる」

「…むぅ〜…
 拙者が一番の当事者だというのに…」


 拗ねて頬を膨らませるシェル
 恋人同士というよりは、親子のような会話である






「留守番は嫌じゃー」

「こんな時間に子供を連れまわしている姿を警察に見られてみろ
 明らかにわし、職務質問されるだろうが!!
 わしの社会的信用の為にも、頼むから宿で大人しく留守番しててくれ」

「単独で歩いておったとしても、間違いなくお主は不審者じゃ
 負のオーラがムンムンじゃし…誰がどう見ても怪しいわ」

「わかってるなら少しは大人しくしてろっ!!
 わしとお前が深夜に貨物船の辺りをふらついてみろ
 明らかに人身売買絡み、犯罪の香りが漂う光景だろうが!!」

「まあ、頑張れ」

「頑張りたくないっ!!」


 ……何だか、長くなりそうだ



「そ…それじゃあ、俺たちは先に行きますんで…」

 先に食事を終えたカーマインとメルキゼは、
 伝票片手にそそくさと席を立つ


「え、あ、ああ…
 シェルを宿まで送ったら、わしも手伝う…」

「だから留守番は嫌じゃって!!」


 この2人は暫くの間、
 このまま押し問答を続ける事だろう


 ―――…こいつらは、当てにならん

 彼らの協力を諦めたカーマインとメルキゼは、
 速やかに会計を済ませると港を目指すべく、速やかにその場を後にしたのだった





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