「た、確か……この辺り……」




 港から森までは大した距離ではない
 大した距離ではないのだが――……カーマインはすっかり失念していた

 自分は船上生活による極度の運動不足だった事を



「ま……まずい、もう息が切れて……体力が……!!」


 火波たちと居た頃は、毎日のように出歩いていた
 それより前、メルキゼとの二人旅の頃は一日の大半を歩いて過ごしていた

 あの頃に戻りたい
 切実にそう願うカーマイン

 しかし鈍り切った肉体は無常にも錆付き悲鳴を上げていた



「ふ……ふふ……
 い、いきなりの登山は……リハビリにしては、ちょっとハードだった……か、な……」


 日本で生活していた頃は長期に渡って引き篭もっていた

 それでも何とか山奥のキャンプ場で行動出来たが、
 今回は思う様に体が動かない

 そろそろ20代半ばに差し掛かるカーマイン
 彼は生まれて初めて年齢による体力の衰えを感じたのだった







「と……とにかく、あの動物の安全を確保しないと……」


 周囲を見渡すも枕サイズの動物と、
 岩に擬態していると言っても過言ではないモンスター

 この森の中で、そう簡単に見つかるものではないらしい


「下手に動き回っても体力が減るだけだし……
 せっかく見つけても下山する余裕がありません、じゃ切ないよな」

 足の筋肉が張っている
 間違いなく、明日は筋肉痛に悩まされるだろう

 メルキゼの治癒能力は果たして筋肉痛に効果はあるだろうか――……



「いや、そんな事考えてる場合じゃないな
 ……そうだ、相手が飼い犬なら人の言葉を理解しているかも
 ちょっと呼びかけてみるか――……」


 すーっ……

 思いっ切り息を吸い込むと、
 カーマインは山頂に向かって久しぶりに声を張り上げた



「おーい!!
 助けに来たぞーっ!!!!」


 叫んでから、ふと思う

 ストレートに『おいで』と呼んだ方が、
 犬相手には伝わり易かったかも知れない


「おいで!!
 こっち、こっち!!」


 ついでに両手をパンパン打ち鳴らし、
 念の為に口笛も吹いてみる

 犬用の音が出るオモチャが欲しい所だが、
 現時点では人力で何とかするしかないのが辛い所だ

 果たして自分が出した音が、どの程度まで届くものなのか――……





「ん……?」

 遠くの方で地面に敷き詰められた落ち葉が舞い上がる

 その落ち葉の隙間から、
 小さな茶色い塊が物凄いスピードで近づいて来るのが見えた


「え、本当に来た?」

 カーマインの脳がそう判断するのと同時に、
 彼の両腕の中に茶色い毛玉が飛び込んで来る

 咄嗟にそれを抱きしめるカーマインだったが、
 その瞬間――……彼は確信した



 これ、犬じゃない


 不器用そうにしがみ付いて来る足にはヒヅメ
 背中にはクッキリと茶色い縞模様――……


「……う、ウリ坊……?」


 間違いない
 これはイノシシの子供――……ウリ坊だ

 そしてこれは野生動物である可能性が非常に高い




「……えーっと……」


 腕の中でウリ坊はガタガタと震えている
 この怯え切った動物に対して『ごめん、間違えた』と踵を返すのは流石にマズい

 どうしよう
 どうすれば良いんだ、この気まずさ――……


 素直になるべきか、誤魔化すべきか

 脳内では瞬時に様々な考えが駆け巡るが答えを成さない
 そうしている内に、目の前がふと暗くなった事に気付く



「……ん?」

 顔を上げると、そこには大きな岩
 こんな岩、あっただろうか――……って、違う!!


「さ、サイクロプス……!!」


 そうだった

 追われていたウリ坊が来たのだ
 追っていたサイクロプスだって来るのは当たりだ



「……お?
 まだ山菜も無いこの時期の山に人間とは珍しい」

「ど、どうも……」


 良かった
 このモンスターは人の言葉が通じる

 会話が出来るなら何とかなるだろう




「あ、あの、このウリ坊なんですけど……」

 さてどうしたものか

 ここで『はい、どうぞ』とサイクロプスに差し出せば、
 このウリ坊に末代まで祟られそうな気がする


「えっと……た、食べる気ですか?」

 その瞬間
 腕の中のウリ坊がピクリと反応した

 ……し、視線が痛い……



「魔女の奴らが海に妙な薬を流しやがった
 おかげで魚の数が減って困っている
 人のいない時期くらい、山で狩りをしても構わんだろう?」

「え、ええ、そうなんですけど……」


 ぺし

 ウリ坊の前足チョップがカーマインに当たる
 ツッコミではなく、本気の抗議のようだ



「ちょっと、お兄さんッ!!
 助ける気が無いなら何しに来たウリ!?」

「い、いや、そうなんだけどさ!!
 そうなんだけど――……その、中立の立場で見るとさ!!」

「う……裏切りだウリ!!
 ウリ坊は信じる純粋な心を踏み躙られたウリ!!」

「い、いや、落ち着けって!!
 まだ見捨ててないだろう!?」

「その『まだ』って何だウリ!?」


 ぺしぺしぺしぺし
 ウリ坊の駄々っ子パンチが胸を叩く

 流石は異世界のウリ坊、よく喋る
 そして饒舌なのはモンスターも同じなようだ





「お前、その獣が欲しいのか
 だがこっちも空腹なんだ」

「え、ええ、そうですよね……」

 食糧不足で言えば恐らく人間より、
 このサイクロプスの方が深刻な状況だろう

 それなら――……



「あの、俺、パン持ってるんですけど
 ウリ坊とパンをトレードしてくれませんか?」

 カバンに入れたままになっていたパンを取り出すと、
 サイクロプスの前に差し出してみる

 彼が肉食専門で無いことを祈るばかりだ


「……パン、か
 こりゃご馳走だな」


 カーマインが呆気なく思うほど素直に、
 サイクロプスは目の前のパンを受け取った

 言葉が通じるって素晴らしい
 交渉で全てが丸く収まった――……




「こんなご馳走には、肉の1つでも添えたくなるな
 丁度、良く肥えた獣と人間もいる事だし……こりゃ運が良い」


「い゛ッ!?」

「うりッ!?」


 思わず顔を見合わせるカーマインとウリ坊

 ちっとも丸く収まっていない
 むしろカーマインまで捕食対象になっている



「お、お兄さんッ!!
 モンスターの食欲に火をつけちゃったウリよ!!」

「う……裏切られた!!
 俺は信じる純粋な心を踏み躙られたッ!!」

「ウリ坊の言葉をパクる余裕があるなら、
 まず、この場から逃げ出すウリよ!!」

「そ、そうだな……!!」



 ぐるりと方向転換

 カーマインはサイクロプスに背を向けると、
 山道を全速力で駆け下りる


 ――……が、そうなるとウリ坊が重い

 抱き上げている分には特に問題は無かったが、
 この状態での全力疾走は流石に辛い

 そろそろ膝が笑い始めそうだ




「う、ウリ坊!!
 自分の足で走らないか!?」

「腰が抜けちゃったウリ」

「俺の足腰も限界なんだけど……ッ!!!!」


 怖い物見たさで後ろを振り返ると、
 想像以上に近い距離にサイクロプスが迫っている

 マズい
 サイクロプスの方が若干、足が速い


「うわーん!!
 お兄さん、足遅過ぎるウリ!!
 このままじゃ追い付かれちゃうウリよ――……!!」

「だって、もう体力が……!!
 こうなったら仕方が無いッ!!」


 ここは森の中
 周囲は枯れ木の枝と枯れ葉だらけだ

 一歩間違えれば――……
 いや、間違えなくても大惨事になりそうだ

 しかし、ここで捕食される事に比べればマシだろう





「ウリ坊、絶対に落ちるんじゃないぞ!!」

「り、了解だウリ……!!」

 しがみ付くウリ坊の力が強くなる
 それを確認すると、カーマインは首から下げているペンダントを外して叫んだ


「火精、頼む!!」

 メルキゼの話によると、火精は常にカーマインの傍にいるらしい

 彼が半ば脅しつけてくれたおかげで、
 カーマイン専属のボディガードと化しているとの話だった

 それなら今、この瞬間だって頼めば力を貸してくれる筈だ


「直接攻撃はしなくて良い
 足元を狙って、動きを止めてくれ!!」


 姿も声も聞こえないが、
 火精は確かに存在するらしい

 カーマインの言葉と共に、
 サイクロプスの足元に巨大な火柱が立ち上がった



「う、ウリ!?」

「ぐおっ!?」

「うわデカっ!!」


 その規模に、思わずカーマインも叫んでしまった


「ちょっ……火精……頼むから、山火事は起こさないでくれな……?」

 次から火(弱)や火(強)等の指定をしよう
 火力調節の必要性を痛感したカーマインだった



「モンスターが驚いて腰を抜かしたウリ
 お兄さん、今の内に麓まで走るウリよ
 そこまでは追って来ない筈だウリ!!」

「よ、よし……!!」

「向こうの小川に沿って行くと近道だウリ」

「了解っ!!」

 ペンダントを再び首にかけると、
 カーマインはウリ坊のナビに従って山道を駆け下りた




 サラサラと流れる小川のせせらぎが耳に涼しい
 麓に近付くにつれ、視界が明るくなる

 吹き抜ける風は柔らかく、
 微かに人々の喧騒や生活音も聞えてくるようだ


「お兄さん、もう少しだウリ」

「あ、ああ……!!」


 ちらりと振り返る
 サイクロプスはもう、追うのを諦めたらしい

 焚き火サイズまで小さくなった火で、
 せっせとパンを焼いている姿が見えた



「……ち、ちゃっかりしている……!!」

「この切り替えの早さは見習うべきだウリね」


 このモンスター
 敵ながら、ちょっと面白い

 ほのかに漂うトーストの香ばしい風を感じながら、
 カーマインは麓への道を急いだのだった





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