「この3日間、殆ど外に出なかったのが悪いんだ」


 アストロメリアが寝込んでいる間
 自分達は部屋からあまり出る事が無かった

 特に意図したわけではなかったが、彼に遠慮していたのだろう
 やはり病人がいると思うと、どうにも意欲が削がれるものだ


「よし、久しぶりに甲板に出よう
 潮風に当たれば気分もスッキリするさ」

 これ以上、暇潰しの矛先が自分に向いては困る

 ――……というのが本音だが、
 カーマインは強引に明るい笑顔を作ってメルキゼとシェルと外へと促した




「……しかし、相変わらず見渡す限りの大海原じゃな」


 少し雲が多い空と、何処までも続く海

 まだまだ陸は遠いのだろう
 島影どころか、鳥の一羽さえ見えない


 普段は釣り糸を垂れたり、
 甲板に寝転がって日光浴をしている海賊達がいるのだが

 今日は『用事』の打ち合わせの為に姿は疎らだ
 甲板にいるのは数名の見張り番だけだ

 ……流石に見張りの邪魔をするわけにもいかない



「私は属性のせいか、どうも水は苦手だ
 海は特に……私が泳げないせいもあるのだろうけど」

「あー……確かに、猫って水が嫌いだよな
 家で飼っていた猫は風呂に入れるのも一苦労で――……」

「私は猫じゃない
 それに、お風呂は好きだよ
 水だって足が付く深さなら嫌いじゃないんだ
 落ちたら溺れる深さが嫌なだけで――……」


 猫扱いされた事で、メルキゼが頬を膨らませる

 そんな彼を眺めながら、
 シェルが不思議そうに口を開いた


「メルキゼデクは運動神経抜群じゃろう?
 それなのに、どうして泳ぎだけは苦手なのじゃ?」

「私は森育ちなんだ
 近くに川や池はあったけれど、どれも浅いものばかりで……
 とにかく、泳ぐという行為とは無縁の環境で育ったんだ」

 ふぅ……と重たい息を吐き出すメルキゼの表情は渋い




「何じゃ、その顔は
 もっと愛想を良くせねば盛り上がらぬではないか」

「何の盛り上がりだよ……
 と言うかシェル、何を企んでいる?」

「それはやっぱり、
 後学の為に大人同士の恋を見物――……」

「シェルが期待するような展開は無いよ
 そもそも、君達の方が関係は進んでいるのだから」

 ぱちん
 小さな音を立ててデコピンが炸裂した


「むぅ〜……
 カーマインもメルキゼデクもアストロメリアも、
 皆、ストイック過ぎて物足りぬ〜……」

「ちょっと待て
 何でそこにアストロメリアさんの名が?」




 嫌な予感がする

 気のせいだと思いたいが、
 こういう時の予感はかなりの確率で的中しているのがお約束だ


「……シェル……お前、アストロメリアさんに一体、何を……」

「いやなに、男しかおらぬ船じゃからのぅ
 エロ本の一冊でもないかと思って物色してみたのじゃが……
 信じられぬ事に、そういう類の物が一切置いておらぬのじゃよ!!」

「……なぁ、シェル……
 俺としては、お前の方が信じられないよ


 何故、海賊の部屋を物色出来る?

 両手を強く握り締め熱弁するシェルの隣で、
 顔を引き攣らせるカーマインと呆れ顔のメルキゼ

 しかし目の前の少年は、
 そんな2人の想像を遥かに超えた行動力の持ち主だった



「で、聞いてみたのじゃよ」

「……何を?」

「どうやって処理しておるのか」

 そんな事、聞くな


「しかしアストロメリアと来たら!!
 『私は体が弱いもので』の一言で片付けおったのじゃ!!」

「……仕方が無いじゃないか
 実際に体が弱いんだから……」

「そんな夢の無い事を申すでない!!」

 どんな夢だ




「ここは、屈強な男の園じゃぞ!?
 そんな中で一人、青白く華奢な子猫ちゃん!!
 これはもう……紅一点ポジションではないか!!」

 シェル……
 色々と突っ込みたい所はあるけれど

 アストロメリアを子猫ちゃん扱いするのは止めろ


「彼も34年間生きている中で、
 子猫ちゃんと呼ばれたのは初めてじゃないかな……」

「でも君はアストロメリアを、
 ハシビロコウ扱いしていたような気がするのだけれど」

「う……」

 そこを突かれると痛い

 しかし目の前の少年は、
 三十路半ば男を子猫扱いする程度では済まなかった



「既にアストロメリアは猛者どもの手垢にまみれておると!!
 少なくともバイオレットには掘られておると!!
 そう考えるのが男のロマンじゃろう?」

 そんな生臭い男のロマンがあってたまるか

「シェル……
 お世話になっているアストロメリアさんや
 バイオレットさんで、そんな妄想したら悪いじゃないか」

「いや、その妄想を口に出したら以外とウケたぞ?」


 …………。
 …………………。


「………シェル……」


 お前――……
 何て事をしてくれたんだ


 無言で天を仰ぐカーマイン
 その隣ではメルキゼがズルズルと崩れ落ちて行く

 今のこの気持ちを、上手く表現出来る言葉が見つからない


「……し、シェル……」

 こんな時でも、やっぱり立ち直りが早いのはカーマインだ




「怒らないから、正直に言うんだ
 どうしてそんな事になったんだ……?」

「そんな事、とは?」

「何でそんな腐りきったBL妄想を、
 当の本人に語っちゃったのかを聞いてるんだッ!!」

「ああ、それか」


 額に青筋を浮かべるカーマインを前にしても、シェルの方は何処吹く風
 実に飄々と笑顔で言葉を続ける


「寝込んでおるアストロメリアの見舞いに行った時に、少々」

 少々、じゃねぇ
 見舞いに行って精神攻撃を仕掛けてどうする



「アストロメリアに、何か欲しい物が無いか聞いたのじゃよ
 拙者としては『水が欲しい』とか『身体を拭いて欲しい』とか、
 そういう言葉を想像しておったのじゃが――……」

「……うん、それで……?」

「そうしたら、本が読みたいと……
 部屋にある本は読み尽くしたから、
 本を持っていたら貸して欲しいと頼まれたのじゃ
 拙者はBL本しか持っておらぬと説明したのじゃが、それでも構わぬと言われてのぅ……」


 自分から欲求を聞いた手前、
 断れない空気だったことはわかる

 それはわかるが、シェルの場合――……

「……お前……絶対、嬉々として手渡しただろ」

「そ、そんな目で見るでない
 楽しみながらも拙者なりに気を遣ったのじゃぞ」

 やっぱり楽しんでたか




「……BL本を貸すのに、
 どんな気遣いが必要なんだ?」

「アストロメリアの心情を察して、
 ス○トロ要素のある本は除外したぞ」

 実に臭気漂う気遣いだ


「とりあえず拙者オススメの、
 『悶絶!!24時間緊縛調教地獄』を――……」

 いきなり超ハード


「シェル……パンピー相手に、それはちょっと……」

「腐男子の洗礼じゃよ
 丁度熱を出して寝込んでおったのじゃ
 血の気が引いて、逆に楽になったのではないか?」

「…………。」


 鬼だ、こいつ
 アストロメリアが3日も寝込んだのは、彼の仕業なのでは――……


「彼も『実に勉強になりました』と言っておったぞ
 あと、『ロイドに読ませたら反応が楽しそうです』とも」

「…………。」

 アストロメリアさん……

 頼むからロイドさんを巻き込まないで
 このままではハゲが更に進行してしまう……!!




「さて、次はどの本を貸したものか」

「相手は病み上がりだという事を踏まえて、な?」

医療プレイか」

 違う


「とりあえず交換という事で、
 拙者もアストロメリアの本を借りてはみたのじゃが
 ほれ、『お部屋で出来る簡単☆お手軽サバト』じゃ」

 そんな主婦の時間短縮レシピみたいなノリでサバトをやるな

 明らかに血文字な表紙と、
 妙に赤黒い魔法陣が描かれた本

 カーマインは差し出されたそれをスルーすると、
 目の前にいる少年の頭に、そっと手を乗せる



「……シェル、いい子だから……さ、
 ちょっとした好奇心でサバトの実践なんかするなよ?」

 口調は優しくても、目はマジだ

「だ、大丈夫じゃよ
 それにサバトとは申しても、
 これは魔力アップのおまじないみたいな物じゃぞ?」

「それでも、だ」




 この年頃の少年は実に多感だ
 そして、つい突っ走ってしまう年頃でもある

 若い頃に体験した出来事によって、
 その後、どんな大人に成長するかが決まると言っても過言ではない


 ―――……つまり

 ここである程度、
 彼の行動にセーブを掛けなければ大変な事になってしまう

 下手をすれば最悪の場合、
 第2のメルキゼが育ってしまう可能性も否めない


「頼む……頼むから……
 『良くわからないけど、ちょっと気になったから、つい』の一言で、
 謎の事故を連発するような大人にはならないでくれ……ッ!!」

 絞り出すようなカーマインの声からは、
 人の目には見えない血が滲んでいた

 そして、そんな彼の隣では――……



「これがサバトの料理……
 よし、レシピは覚えたよ」

 最悪な育ち方をした謎の事故を連発する大人が、
 サバトの本を熱心に読んでいた


「言ってる傍から何を読んでるんだ……ッ!!
 そもそもサバトが何かわかっているのか!?」

「いや、良くわからなかったから気になって、つい……」

「うがあああああああああぁぁ―――……ッ!!!」


 純粋な眼差しで赤黒い本を熱読する男
 そんな彼を前に太陽に向かって絶叫する男
 彼らを眺めながら実に楽しそうな少年

 ……そして
 そんな3人を気にしつつも声を掛ける勇気が出ない海賊たち



「お、おい、騎士様たちが何か騒いでるぞ
 ……お前、ちょっと行って見て来いよ」

「い、嫌だよ怖いもん……」

「あー……船酔いかも知れねぇな
 ほら、カーマイン様が床に突っ伏してるぜ?」


 身を寄せ合ってヒソヒソと言葉を交わす海賊たち

 見張りの仕事も大切だが、
 それよりも騎士御一行様が気になって仕方がない

 彼らの視線の先には、バッタリと倒れ込むカーマインの姿


 心配そうに遠巻きに彼を見守るが、
 周囲に漂う何とも言えない空気に一歩を踏み出す勇気が出ない

 海賊達には知る由もないだろう

 カーマインが突っ伏した原因が、
 船酔いでも貧血でもなく――……


 いつ、サバト料理が食卓に上がるかを心配しての物だという事を







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