海賊船バイオレット号

 その船内にある衣擦れの音が響く脱衣所で、
 白い粉まみれの男2人が愚痴をこぼし合っていた



「すみません、メルキゼのバカがアストロメリアさんにまで粉を…」

「いえ、元はと言えば
 うちのキャプテンが悪いのですから」

「メルキゼの奴は本当に料理以外の事は全く駄目な奴で…
 何をしでかすか予測が出来ないから、こっちは毎回冷や汗モノなんです」

「スミレちゃんは部下に指示を出す分には完璧です
 ただ…自分で行動すると厄介事ばかり引き起こします
 彼はあくまでもキャプテンとしての仕事に専念するべきだと痛感します」


「ああ…いますよね、人の上に立ってこそ力を発揮するタイプって」

「指図するのだけは上手なのですが…
 正直、動かすのは口だけにしていただきたいものです
 ですがスミレちゃんの性格上、それは無理だと言う事もわかっています…」



 普段は寡黙だというアストロメリア
 しかし、何故かカーマインの前では饒舌だ

 恐らく彼は感じ取っているのだろう…
 同じ珍獣使いとしての臭いを

 破壊的なまでに不器用な相棒を持ってしまったが故に、
 成り行き上、背負わざるを得なくなってしまったフォロー係

 この気持ちを共有出来るのは、恐らくカーマインしかいない




「私はスミレちゃんを…
 遠い世界から来た異生物だと思うようにしています
 丁度、外見も珍妙な生物ですし…」

「あー…これはこういう生き物だから仕方が無い
 …って思い込む事で強引に自分を納得させようとしています?」

「というより、そうする事で諦めが付きます」

「その気持ち…凄くわかります…」


 恋人と上司
 立場は違えど、恐らく気苦労は良い勝負

 あまり嬉しくない部分で親近感が湧いてしまった2人だった





 浴槽に勢い良く湯が流れ込む音が響いている
 そこに溢れ出た湯が排水溝へ流れて行く音が混ざり始めた


「…そろそろ湯を止めた方が良さそうです」

「あ、すみません…お先にどうぞ
 俺はもう少し掛かりそうなんで」

「それではお先に失礼します」


 薄着のアストロメリアは
 カーマインよりも先に服を脱ぎ終えると、
 湯の調節をする為、先に脱衣所を後にする


「………うーん…」


 一方、カーマインは慣れない装備を前に多少、手間取っていた

 一応は騎士の供をする身…を演じている立場だ
 いつもの軽装というわけにも行かず、
 革製のライトアーマーを装備している

 しかし
 これがまた紐やボタンで固定している部分が多くて厄介なのだ


 単刀直入に言おう
 脱ぎ方がわからない

 着る際にはメルキゼに手伝って貰えたが、
 流石に脱ぐのをアストロメリアに手伝えとは言えない

 そして更なる問題点
 脱いだ後、自力で着られる自信も無い



「…流石にコスプレ用のダンボール製アーマーとは勝手が違うな…」

 ダンボールの鎧なら、
 ガムテープで余裕だったのに

 苦戦していると、
 遠慮がちなノックの音が脱衣所に響く


「……カーマイン、着替え持って来たよ」

「あっ…メルキゼ!!
 丁度良かった…脱がせてくれ」

「………まだお風呂に入っていなかったんだね」

「だって脱げないんだもん!!」

「そんな事、威張って言わないで
 私の鎧は脱がせていたくせに…」


 いかにも『しょうがないな』という顔付きで
 カーマインの鎧に手を掛けるメルキゼ

「…アストロメリアに脱がせて欲しいと
 頼まなかった所には評価するけれど…」


 カチャ

 小さな音を立てて、あっさりと鎧は脱げてしまった
 ここまで簡単にされると、あれだけ苦戦していた自分って一体…


「さ、早くお風呂に入っておいで
 アストロメリアに変な事をされそうになったら大声出してね」

 アストロメリアが耳にしたら、
 ハニワで殴り倒されても文句言えないような言葉を口にしてメルキゼは去って行った







「アストロメリアさん、お待たせしましたー…」


 浴室のガラス戸を開けると、
 髪を洗うアストロメリアの姿が視界に映る

 長髪なだけに時間も掛かるのだろう

 カーマインが近付こうとすると、
 ゆっくりと顔を上げたアストロメリアの視線が突き刺さった


「……えっ……と……?」


 思わず動きを止めるカーマイン

 元々、鋭い視線のアストロメリアだが
 それにしても眼光がキツ過ぎはしないか

 まるで親の敵を見るかのような敵意と警戒心むき出しの視線である


 何か怒らせる事をしただろうか
 思い当たる節があるとすれば、去り際にメルキゼが残した一言

 慌ててフォロー体勢に入るカーマイン



「いや、あの…
 メルキゼが着替えを届けてくれたんですけど、
 あいつって脳内構造がちょっと偏ってる部分がありまして…」

「…………。」

「すみません、あいつも悪気があるわけじゃなくて…
 あとでちゃんと謝らせます、許してやって下さい」

「………貴方、カーマイン様ですか?」

「は?」


 思わず、間の抜けた声が出た


「………申し訳ございません
 私、視力が弱いもので
 カーマイン様ですね、失礼しました」


 いや
 この状況で他の誰が入ってくると…

 そこで気が付く
 そう言えば彼は今、眼鏡を掛けていない


「目が悪い人って、物を見る際に目を細めるんだよな…」


 …という事は、睨んで見えたのって…もしかして勘違い?
 単に目を細めてただけ?

 元々目付きが悪いから、
 ちょっと目を細めただけでガン付けてる様に見えました…ってオチ?





「はっは…は……ははは…は…」

 空笑い
 ホッとするのと同時に、ちょっと気恥ずかしい


「…背中を流しましょう」

 ざばー…

 肩に湯を掛けられて、
 泡立つスポンジを押し当てられてようやく正気に返る



「だ、大丈夫ですから!!
 洗って貰わなくても結構ですからッ!!」

「遠慮なさらずに」

 わしゃわしゃわしゃ…

 サービス精神が旺盛なのか、意外と強引な性格なのか
 有無を言わさずカーマインの背中をスポンジで擦り始める


「……何というか…すみません…」

 洗い場の椅子に座って恐縮するカーマイン
 思う事は『この場にメルキゼがいなくて良かった』の一言に尽きる

 こんな所、メルキゼが見たら発狂しかねない

 内気なくせに、とにかく嫉妬深い男なのだ
 一緒に風呂に入るというだけでも不満そうだったのに、
 ここまで接近して、身体を洗われてるなんて知ったら――…



「…って、ちょっと!!
 どこを洗ってるんですかッ!!」

「サービスです」

「そんなサービス要りませんからッ!!
 うわわわわ…ちょっ…手付きが妖しいッ!!」


 握っていたスポンジはどこへやら
 いつの間にか両手でカーマインを撫で回している

 しかも、その手はかなり際どい所まで――…


「はひゃ…ひゃ…わ……!!」


 一体、何?
 何なの、この展開は!?

 慌ててアストロメリアの腕から逃げ出すカーマイン




「あ…アストロメリアさん…
 貴方、意外とスキンシップ激しいです…ね…!!」

「そうですか?」

「そうですよッ!!
 ちょっと怖かったじゃないですかッ!!」


 全裸の強面なお兄さんに、
 無表情で全身を撫で回される…

 アストロメリア本人は軽いスキンシップ程度の認識かも知れない

 しかし、腐っても海賊である
 シチュエーションもさることながら、
 正直言ってシャレにならないほど迫力があって怖かったのだ



「アストロメリアさん、海賊なだけあって怖いんですから……」


 苦笑を浮かべてアストロメリアを振り返る
 しかし、青年の苦笑はそのまま引き攣った笑みへと姿を変えた

 アストロメリアの怖さをより引き立てる存在を発見してしまったのだ


 脱衣所では、自分の鎧を脱ぐ事で精一杯で気が付かなかった
 出来る事なら最後まで知らないままでいたかった

 アストロメリアの胸に彫られた刺青の存在を


 鋭い眼光
 胸には刺青
 もしかしたら、小指の一本くらい失ってるかも…って、それはヤクザか

 いや、どちらにしろ大迫力であることに違いは無い




「……お、お似合いですね…そのタトゥー…」

「ああ、これですか?
 スミレちゃんへの忠誠の証として、
 全員でスミレの花を彫ろうという話になりまして」


 屈強な男達が全員お揃いで胸にスミレのお花ですか

 …いや、響きだけだと軽くファンシーだけど
 実物を目の当たりにすると結構怖いから不思議だ


「忠誠を表すには丁度良いでしょう?」

「……そ…そう…で、す…ね……」

「まぁ、転写シールなので
 洗えば落ちるのですが」


 洗い流せる程度の忠誠心かい



「スミレちゃんが『そんな事されても嬉しくない』と反対したもので
 仕方が無いので、シールをオシャレ感覚で使用しています」

 オシャレ感覚で貼り剥がし自由な忠誠心


「気に入ったのなら差し上げますよ」

 しかも第三者にあっさりとあげちゃいますか
 一応それ、忠誠心を――…いや、皆まで言うまい


 所詮はうみうし男が率いる海賊団だ
 そこからシリアスな任侠道を感じ取ろうとした自分が間違っていた…


 先程の緊張感は見事に吹っ飛んだ
 変わりに訪れるのは安堵感と脱力感

 アストロメリアの言葉通り、
 泡と共に洗い流されて行くタトゥーを見守りつつ
 カーマインはゆっくりと湯船に身体を沈めていった



「私は片付けが残っているので、お先に失礼します」

「あっ…じゃあ、俺も…」

「いえ、どうぞごゆっくり
 船内とは言え海上ですから、日が沈めば冷え込みます
 風邪を引かない為にも、しっかりと温まって来て下さい」


 そういえば
 あの粉まみれ銀世界の片付けがあるんだった

 せっかく綺麗になっても、あの部屋を片付ければまた汚れてしまう

 ここは悪いと思いつつもアストロメリアの言葉に甘えて、
 ゆっくりと入浴を楽しむ事にしたカーマインだった






「おっ…アストロメリア、意外と早かったじゃねぇか」


 浴室から出ると、バケツを抱えた海賊…ロイドと鉢合わせた

 延々と片付けに専念していたらしい
 全身、真っ白になっている


「ロイド…丁度良かった
 お伝えしたい事があります」

「何だ?
 こっちも忙しいんだが…」

 不審そうに顔をしかめるロイド
 しかし、アストロメリアから話し掛けて来るのは珍しい

 バケツを床に置くと、改めてアストロメリアと向かい合う



「……で、何だ?」

「カーマイン様の事です
 彼は…只者ではありません」

「ああ、知ってる
 っていうか、あのご一行様全員が普通じゃねぇよ」

「違います…中身がどこまでも吹っ飛んでいるとか、
 性格に一癖どころか五癖くらいありそうだとか
 そう言った時限の事を話しているのではありません」

「……結構言うな、お前も……」


 自分のキャプテンで耐性は付いていたつもりだったが、
 似たようなのが一気に三人も増えたのだ

 多くの場数を踏んできた海賊達にとっても、この状況は少々刺激的だった



「…話を戻します
 カーマイン様なのですが、彼からモンスターの気配がしました」

「………んなモン、全然感じなかったぜ?」

「私も全く感じていませんでした
 ですが…入浴時になって、突然彼の気配が変わりました
 あれは紛れも無くモンスターが発するものです…しかも、かなり高位の」

「マジかよ…
 ディサ国の騎士様がモンスターとつるんでるってか!?」


 腐っても海賊
 ウミウシ率いる海賊でも、一応は海賊だ
 それなりの戦闘数もこなしてきた

 モンスターの気配に関しては特に敏感とも言える
 アストロメリアの言葉を疑う事は出来ない



「背中を流す振りをして仕込み武器などが無いか調べましたが…
 今の所は我々に害を及ぼす気は無いようです
 ですが、注意を怠らないで下さい…彼は間違いなくモンスターです」

「じゃあ…ディサ国も兵力としてモンスターを使い始めたって事か?」

「そこまではわかりません
 ですが…あの騎士様たち…
 私達が知るディサ国騎士団の方々とは少し違う気がします」

「……そうか?」


 元々、大半を移民が占めるディサ国だ

 ディサ国人と言っても多種多様な種族が存在する
 様々な思想や価値観が常に渦巻いている国なのだ
 騎士達も良く言えば個性的、悪く言えば変わり者が多い




「騎士である以前に…
 ディサ国人なら当然、知っているであろう話を彼らは知りませんでした
 本当に知らないのか、それとも無知の振りをしているのか…それはわかりません
 ただ、これは私の憶測ですが…
 彼らは私達、第三者の視点から見た、
 客観的なディサ国の情報を聞き出そうとしているのではないか…と」

「第三者から見た国の情勢を知りたいってか?
 そんなもん、騎士様が知ったところで何だってんだよ」

「そうですね…騎士様が得た所で、あまり役立つ情報ではありません
 彼らが本当に、一介の騎士様であれば…の話ですが」

「…って…言うと…?
 あいつらが偽者だってのか?」


 ロイドの表情が険しくなる

 海賊の主な仕事は金品の強奪だ
 今までにも数多くの財宝を目にしてきた
 この仕事をしていると、嫌でも目は肥えてくる

 ロイドもアストロメリアも目利きには自信がある
 彼らが手にしていた騎士の証…あれは、紛れも無く本物だった



「偽者…と言いますか、国の重役が騎士に扮して、
 お忍びで情報を収集している…という可能性も考えられます」

「国のお偉いさんだってのか?
 あの騎士様ならともかく、
 ボウズたちはそんな大層な役職についてそうには見えねぇけどな
 どう見たって、普通のガキにしか―――……」

 そこでロイドの言葉が途切れる

 カーマインの正体が、明らかに『普通のガキ』では無い事は
 先程、アストロメリアが暴いたばかりなのだ


「外見が平凡だからこそ、お忍びに向いているとも考えられます
 仮にあの騎士様が政に携わる重役だったと仮定すると…
 見習いと従者の正体が学者や賢者である可能性も出て来るでしょう」

「そう言えば見習いや供だってわりには、騎士様と普通にタメ口だったよな…
 って事は、あのボウズたちも結構な地位にいるって事なのか…」

「彼らの正体はわかりません
 ですが、ディサ国の中枢部分に関わっている可能性が高いと言う事です
 そうとなれば…我々が彼らに取るべき対応も変わってくる、というわけです」



 静かに視線を合わせる2人
 ディサ国の為なら協力を惜しまない…それがバイオレット海賊団だ


「……お前が言いたい事はわかった
 要するに、俺たちが持ってる情報を流せってんだろ」

「彼らは決して正体を明かさないでしょう
 私達もあくまで話題の1つとして情報を提供する…
 そのスタイルを崩さぬよう、気をつけて下さい」

「わかってらぁ…
 じゃ、俺はキャプテンに話してくるぜ」

「宜しくお願いします」


 そこで話は終了した

 ロイドはバケツを抱えるとバイオレットの元へ
 アストロメリアはゲストを持て成すべく広間へと歩を進めたのだった







 ゆっくりと入浴を終えサッパリした表情のカーマイン
 メルキゼが用意してくれたシャツに袖を通しながら、考える事はただ一つ


「……そろそろ掃除は終わったかな…」

 まさかバイオレットがドジっ子属性だとは思わなかった
 つくづく第一印象を見事なまでに粉砕してくれるキャプテンだ

 まぁ、その方がカーマインとしては親近感を覚えるのだが


「今夜は宴会か…楽しみだな
 アストロメリアさんの親が送ってくれた酒って事だけど、
 具体的に何の酒なんだろうなー…」

 彼の実家は農牧業だという
 と言う事は牧場の農作物で作った酒なのだろう



 ふと故郷の北海道を思い出して、軽く胸が痛んだ

 地平線が見渡せる、どこまでも広大な風景
 爽やかな風に揺れるジャガイモの花
 青い空に映えるラベンダーの紫と甘く優しい香り

 牧草を食む牛や羊たち
 乳を搾りチーズを作る農夫の姿
 トウモロコシを焼く街角の風景…何もかもが懐かしい


「ダメだな、こんな所でホームシックに掛かっちゃ…」

 ネガティブな心を振り払うかのように乱暴に髪を拭き、
 ポケットに突っ込んでおいたペンダントに首を通す


「…よし、笑顔笑顔…」

 折角の宴会の席で暗い顔をするわけには行かない
 カーマインは強引に気持ちを切り替えると脱衣所を後にした




「お待たせしました〜」


 食堂に顔を出すと、そこには既に海賊達が集まっていた
 彼らは巨大な樽を運び出し、その中身をグラスに注いでいる


「へぇ…樽を積んでるなんて、流石は船だな」

「カーマイン様、お疲れ様です」

 グラスを手にしたアストロメリアが軽く会釈してくる
 全体的に浮かれた空気の中、彼だけは相変わらずの無表情だ


「お口に合うかわかりませんが…両親が送ってくれた酒です」

「へぇ…綺麗な色ですね
 何ていう酒なんですか?」

 差し出されたグラスを手に取るカーマイン
 その中には琥珀色のアルコールが静かに波打っている


「これはツイカという蒸留酒です
 実家にあるプラムの実から作りました
 故郷の伝統的な酒で、特に親しまれているものです」

「へぇ…プラム酒か…うん、甘い香りがする」

「今宵は楽しんで下さい
 それでは私はこれで失礼します」



 色々とやる事があるのだろう
 アストロメリアを見送ると、カーマインは恋人達の姿を探す

 目当ての姿は程無くして見付かった

 既に席についているメルキゼとシェル
 彼らの向かいにはバイオレットとロイドが座っている

 しかし…どうも席が騒がしい


 どうやらバイオレットがシェルに酒を勧めていて、
 それをロイドとメルキゼが慌てて止めているらしい

 ちなみに当のシェルは不敵な笑みを浮かべて成り行きを楽しんでいる


「……何をやってるんだか…」

 思わず顔が引き攣るカーマイン
 傍から見ている分には面白そうだが、とりあえず助け舟を出す



「…バイオレットさん、子供にアルコールはダメですよ
 まぁ、俺も未青年の頃から飲んでいたんで偉そうな事は言えないんですが…」

「おっ…戻ってきたか、お疲れさん」

 豪快に笑うバイオレット
 カーマインと大差無い年齢の筈だが、仕草がどうもオヤジ臭い


「ほら、カーマインもそう言っているし…
 シェルにはこっちのプラムジュースを飲ませよう」

「つまらねぇな…こういうガキが酔ったらどうなるか、実験してみたかったんだが…」

「いや、確かにその点に関しては俺も気になりますけど
 でもせめて、あと数年待ってやって下さい」

 出来るだけ穏便にバイオレットを説得する
 ふと視界に銀髪の長身の人影が横切った


「未成年の飲酒は法律に触れます
 騎士様の前でそれは自殺行為と言えるでしょう」

「うをっ!?
 あ、アストロメリアッ!?」

 ギロリと鋭い眼光
 バイオレットは顔を引き攣らせ、途端に大人しくなる


「…アストロメリアはキャプテンの部下や片腕である以前に、
 歳の離れた兄貴みたいなモンでもありまして…説教されると弱いんでさ」

 こっそりと耳打ちしてくるロイド

 どうやら時と場合により部下と兄の顔を使い分けているらしい
 ただの主従関係ではなく、複雑な関係が築き上げられているようだ

 彼だけがバイオレットを『スミレちゃん』と呼ぶ理由も、その辺にあるのだろうか…





「スミレちゃんが失礼致しました
 それでは気を取り直して…乾杯しても宜しいですか?」

「えっ…乾杯の音頭ってバイオレットさんが取るんじゃないんですか?」

「普段はそうなんだが…だが、ツイカの宴の時だけは別だ
 この宴はアストロメリアが主役だからな、乾杯の音頭もこいつが取る」


 そういえば、このツイカはアストロメリアの両親が彼に送ったものだった

 成る程…と納得して、
 カーマインたちはアストロメリアの乾杯を待つ


「今年もバイオレット海賊団の仲間達と共にツイカを交わせた事を嬉しく思います
 いえ…それだけでなく、今回はディサ国騎士ご一行様も一緒です
 この縁と絆を大切に…仲間と故郷、そして家族に―――…乾杯」

 とても海賊の宴とは思えない
 真面目な乾杯の音頭だ

 しかし、それを揶揄する事無く海賊達は静かにグラスを掲げた



「海賊団の連中は仲間であり家族みてぇなモンだ
 でもよ、僕たちにだって家族…親がいる
 親がいなきゃ子供は生まれて来ねぇからな
 ツイカの宴は仲間や遠い故郷の家族を想って飲み明かす恒例行事なんだ」

「そうなんですか…素敵な習慣ですね」

「そうだろ?
 まっ、そんなわけで今日は楽しんでくれや」

「あ、はい…」


 折角の宴だ
 自分も一緒に盛り上がろう

 カーマインは少し温くなったツイカのグラスに口を付ける

 甘酸っぱい桃の香りと優しい甘さが広がった
 しかし…味のわりに結構、度数が高い


「…メルキゼ、甘いからって飲み過ぎるなよ
 お前が思っている以上にこの酒、強いぞ」

「うん…ジュースで割りながら飲んでる
 カーマインは良いよね、お酒に強くて…」


 メルキゼのグラスは殆ど中身が減っていない
 酒量を自制しているのか…と思ったが、目の前の料理も手付かずのままだ

 元々、あまり騒がしい空気は得意ではないメルキゼだが…どうも様子がおかしい




「…どうした?
 腹でも痛くなったか?」

「ううん、違うんだ
 ちょっと考え事をしていて…」

「………?」

「私って、薄情だな…って
 どんなに頑張って記憶を遡って見ても、母さんの顔が思い出せない
 森の中での父さんとの生活は断片的に思い出せるようになったのに、
 それ以前の事を思い出そうとしても真っ暗な闇しか浮かばないんだ
 全て忘れてしまったんだ、家族で過ごした子供の頃の記憶を…薄情だね」

 寂しそうに瞳を伏せるメルキゼ
 溜息混じりの自嘲的な笑いが漏れる


「…別に、お前は悪くないって
 病気…発作とかで大変だったんだろ?
 それに父親との事だってあったし…お前のせいじゃないさ」

「そうじゃぞ?
 それに拙者なんて、母親どころか友人知人の存在すら思い出せぬ
 まぁ…何かの拍子に思い出すやも知れぬし、そう気に病むでない」

「シェル…カーマイン…ありがとう…」


 ぎゅっ…

 テーブルの下、誰にも気付かれない所で手を握ってくる
 カーマインは静かに微笑むと、その手を強く握り返した




「あっ…カーマイン、耳…」

「え?」


 程よく酒が回ってきた頃、メルキゼが小さく声を上げた

 その手がカーマインの耳を摘んで引っ張っている
 傍から見れば、痴話喧嘩のような光景だ


「耳の中が白くてベタベタしてる
 さっきの粉がお湯で濡れて張り付いたのかな?」

「えっ…マジ?
 そう言えば耳の中は洗わなかったな」

「あっ…指入れちゃダメ!!
 奥に押し込んでしまう…綿棒で取らないと」


 供の青年の耳を引っ張る騎士
 そんな異様な姿に気が付いたロイドが不思議そうに声を掛けてくる


「お2人さん、どうしたんで?」

「ロイド、綿棒持っていない?
 さっきの粉がカーマインの耳に入ってしまって…」

「あー…それなら、そこの棚の薬箱に入ってる筈…
 ちょっと待ってて下せぇ、今すぐ取って来ますんで」


 ロイドは慣れた手付きで薬箱を空けると、すぐに目当ての物を取り出して戻って来る

 あまりにも自然なその姿に、ふと『雑用係』の文字が浮かんでしまったカーマイン
 ダメだ…彼にその言葉は、ちょっとシャレにならない




「はい、どうぞ」


 差し出された綿棒を受け取るカーマイン

 白い綿棒
 それを前に何かを考える素振りを見せるカーマイン


「えっと…どうかしたんで?」

「あっ…いえ、ありがとうございます、ロイドさん
 お礼に俺が綿棒の呪いを掛けてあげましょう」

 どんな呪いだ

 その場にいた誰もが心の中で強く叫ぶ中、
 当のカーマインは飄々と綿棒を取り出す


「まぁ、ちょっとした余興です」

余興で呪われたくねぇ!!

 ごもっともな主張をするロイド
 涙目でアストロメリアに縋り付く

 ……が


「綿棒の呪い、ですか…興味深いものがあります」

「しまったああああああああッ!!
 そう言えばこいつ、根っからのオカルト好きだった!!」


 制止するどころか成り行きを楽しんでいるアストロメリアを前に、
 ロイドは薄い頭を抱えて項垂れる

 間違いない
 彼の頭は更なる輝きを得た事だろう




「それでは…」

 左右の手に一本ずつ、綿棒を握るカーマイン
 彼はそれを、ゆっくりと頭上に掲げる

 その様子を固唾を呑んで見守るギャラリー
 しーん…と船内が静まり返る

 その時、おもむろにカーマインが叫んだ


ウ―――〜〜〜ッ!!
 メンボッ!!


 !?


 くるっとターンを決め、ビシッとポーズ
 そのまま、綿棒を握った手をリズミカルに振りながら陽気なテーマを口ずさむ

 何とも言えない空気が立ち込めた


「……こ…これは一体……」

「恐らく、マンボと綿棒を掛けたシャレでしょう
 手の綿棒をマラカスに見立てているものと思われます」

 冷静な分析ありがとう



「くっくっく…単なるシャレと思う事無かれ
 貴方達は既に呪いに掛かっているんです…
 今後、綿棒を目にする度にマンボが脳内再生されるという呪いが!!」

 ここまでどうでもいい呪いの効果も珍しい


「カーマイン…どこでそんな微妙なネタを仕入れたの…」

「あ、コレってうちの部では恒例なんだ
 毎年新入部員が受ける洗礼みたいなもんだよ
 名付けてメンボでマンボ


 そのまま過ぎる



「いや、綿棒2本あれば出来る小ネタだからさ
 合コンとか飲み会とかで軽く披露出来て便利なんだわ
 相手がノリの良いタイプだったら場が一気に盛り上がるぞ」

 一歩間違えば一気に盛り下がる危険性も含んでいる


「この呪いの最も恐ろしい部分はな…
 綿棒がある場所、所構わずマンボが脳内再生されるって部分だ
 自宅だろうが薬局だろうが綿棒を目にする度に呪いの効果が現れるから困る」

 地味なわりに根深いな、それ


「というか、私も呪いに掛かった気がするよ…」

「オレなんて…さっきからずっとマンボが止まらねぇ


 こうしてバイオレット海賊団(+α)の連中はその後、
 綿棒を目にする度にマンボが脳内再生される呪いに苦しむ事になったのだった――…




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