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今年もゴールデンウィ−クが薫風が如く通り過ぎ、憲法記念日と言う休日も何のてらいもなく無感動に過ぎた。いつもの
事と言えば何時もの事。
「もっと考え直すべきや、有り難く思え」を言いたいのではない。そもそも、憲法記念日ってなんだ?ですね。
国の根幹をなす統制であり規範。与える文言は沢山あっても、平和な現代に有っては、「強く思え、大事に思え」と言わ
れても、ただのアクセサリー化している状況である。
この飾り物化しているわが国の憲法を「改正すべき、守るべき」の論議も飛び交うのだがを運用も定かでもない物に
「べきべき」が有るのか?ですね。仮に現在の憲法に不備、不足があっても、運用無視の状況でまあまあ平易に過せ
ている訳だ。
憲法記念日はおそらくはどこの国にもある、アニバーサリーでしょう。この記念日を作った人々の意識と憲法下で過す
我らでは、思い込みに当然の如く温度差が有ろう事で、先人の苦労に思いを馳せ、謝恩と意義を考え直すとすれば、 意義を考え直そうではないか! こんな国旗以下の飾り物化の状態は、良くない事ですから。
日本人は、古来より、天皇に理想を預け、掟で統制されてきた歴史を持つ。21世紀の今も底辺にそれは有る。欧州の
国々のように、血を流し戦って勝ち取った社会とは、憲法の出生がまず違うのである。
だから、「本当の憲法の意味が国全体で解っていない」と思うのである。にも拘らず「誇りだ、大事だ、根幹だ、全文を
暗記するくらいに」個々が憲法に添った生活、、。 「ふん!」実体のない事を並べられてもね?!」空しい。
憲法が我ら、一般国民とどう関る物か?
明治から平成の20年まで、日本は憲法により統治されたわけだが、ならば、なぜ?昭和の戦争に至ったのか? 誰も
教えてくれない。それで大事と言われ、文面に欠陥があるからと言って「改正?」。これをナンセンスと言う。
一般国民は、何もしていないし、憲法と言うのは、「実は一般国民にとって、遠い存在」なのです。
ただ、改正については、国民投票と言うマジョリティにゆだねられているだけ。
今、憲法、憲法とマスコミを通じて叫んでいる軽薄アホ連中は、本当に憲法の事を解っているのだろうか?
私も、現在のいわゆる平和憲法下で育った人間である。「ああ、憲法が有って良かった。」事もなければ「得した事も損
した事もない」下々の一般国民には、その程度の物なのです。 これ迄は、、。
漠然と憲法下で生活してきて、憲法を生かす運用が、何処に波及するか?覇権するか?を50年経って、ようやく思う
のは、我々に色濃く関わると言うよりは、国を運営する権力を司る、政治家、裁判官、国家公務員の一連の連中の統 制で機能を果たすのが憲法なのである。 一般国民に色濃く関る法律程度で十二分。以上でも以下でもない。
噛み砕いて言うと、
憲法とは、国家公務員、裁判官、政治家の規範であり、縛る?もの。
法律とは、一般国民が規範とするもの、縛る?もの。
憲法違反とは、国家公務員、裁判官、政治家が受けることであり、
裁判官は国民であるべき
国民が裁判官になれないから、憲法は機能しないのである。
法律違反とは、一般国民が、その行政下で受ける事であり、現在の3権分立下で
運営されるべき物
先に、憲法とはこうした色合いの物なのに、政治家が憲法改正を叫ぶ?、のは本来
不可思議な事?と私は思うのです。ただ、だらしのない血統のない出生だから?欠陥
があるから? たったそれだけで大きい意図は感じないですがね〜。
政治家が言う憲法改正には、なにか?別の意図が隠されている?勘繰りたくなりますね〜。
改めて言う、憲法違反に、憲法裁判所が有って国民が裁判官なら憲法論議に意義
がある。 それ以外、意味はない!
法律裁判所が憲法を言うのは、憲法の形骸化に他ならないし、本当の民主主義は
このスタイルで実現させる。
法律の裁きが役人の国民統治なら、憲法の裁きは国民の役人統治にしないとね、バランスが取れない。
これぞ民主主義。 国民権力の均衡裁判権 裁判員制度よりもこちらが必要なのです。
憲法の順法と裁きを国民が持つ!と
これが本当の 「国民主権の憲法」の姿だ! 天国を味わっている役人達は震え上がるでしょうね〜。
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日本も普通選挙になって85年か?今回の参議院選挙に、大人を感じるどころか?子供を感じてしまうのは、私だけ
だろうか?
言われ続けている「失われた日本の10年も、今20年になろう」としている。
日本の建て直しや将来は、我々の持つ1票に託されている。それも本当であろうが、この「失われた10年〜20年」
を作り上げたのも我々の1表であることは言い逃れ出来ない歴史に刻み込まれた史実のなってしまった。 あ〜あ、
まあ、選挙が優柔不断の子供を感じるのは、日本だけではない。政府行政も役人行政も翻弄させて、当の選挙民は
何も出来ない「無能行政」と評す。
一言で指摘、打開を踏める問題ではないし、言えば乱暴にもなるが、有権者、国民の余りの「平等感覚」の意識に弊
害もある。学校に行けば生徒と先生が、会社に勤めれば上司と部下、社会制度として上下関係がある事は誰もが理
解していることだろう。そして先生上司の仕事に対しての敬意を払うべきも解っていると思う。
けれども「投票用紙」が目に身近に近づいてくると、全てを見下し目線で見、また良い人ぶった風潮を探して乗ろうと
する。メディアの自分好みの正義感や倫理観、感に障るを投票に込めてしまう。
それはそれで、非難される事ではないが、結果的には「行政の酔払い運転になっていはしないか?」である。これを
見て「結局、メディアの雰囲気通りの結果になる選挙」と言った。
まるで、利害の無い芸能人相手の「アンケート」「人気投票」のレベルに成り下がっている。そう思うのは私だけ?
政治行政は、直接的に利害が見えなくても国の将来とか国と国の付き合いの威厳のほか真綿のように自分達を締
め付けてくる。
砕いて言えば、「好き嫌い」と言う価値観だけでする投票は子供雰囲気の範囲であるし、学級委員でさえもっと考えて
行っていると思う次第だ。「嫌いなタイプでも統率力がある」「好きだけど、まだ任せられない」子供の方がまじめにも
思える(笑)
メディアも今の所は、思惑の仕掛けも野心も見当たらないが、ただ「宜しかろう社交辞令的コメント」に反応してしまう。
元を質せば、メディアは当たらず触らず姿勢だから結果も風潮を汲むが方向転換までは、いつも汲まないのである。
この中途半端さが、投票結果の先送り感となって「失われた10年を脱出できずに居る。
この人間一人一人の持つ「好き嫌い感情」は過去の争い歴史おいてプロパガンダやマインドコントロールに利用され
てきた。ナチスしかり、当時の日本しかり、ソ連の粛正という名の人命抹殺まで至り兼ねない人の悪魔の性分な訳だ
。イジメも虐待も人種差別もそう。大元は好き嫌いから発している。
好き嫌いはがまかり通る社会とは、その柔らかい言葉とは反対に暴力社会に導き兼ねないもので、人が好き嫌いを
社会で言える範囲は、きわめて個人的範囲に留まるものなのだと思う。
まだ浅い歴史なのだから、これだけは学習期限を切らしてはいけないと言っておこう。
何年経っても軍の圧政から変らない国。日本も一緒だよね。変りたいけど変れない。
「好き嫌いの」我侭を言っている場合ではない。まして人気投票では、自分に返ってくるものは無し!
もったいない!
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「これから高齢化社会に向けて、、」と将来の予想と懸念と準備を促すが如く溢れかえる文字。
高齢化なんかそれほどの大きな問題なのか?長寿は喜ばしいことなのに、どうして問題化するだろうか?
その心の根底には、「年寄りはお荷物」が潜在的にあるからだ。それならそうとはっきり言った方が問題解決になる
と言うもの。
実際は、80歳現役と言うような元気なお年寄りが数多いのだから、より元気なお年寄り作りを心掛ければよいものを
、病気、介護の大変さだけをクローズアップする、今の日本の雰囲気は如何なものだろう?
個々の人間が年毎に成長して変って行くように、社会も変って行く。ところがこの変化。自分や自分たち社会の事は
、中々気付かない、と言うか解らないものなのでしょうね。
日本が、バブル経済破綻以後どう言う感が方が雰囲気になった、か? それは、1億総中流から1億総評論家に
変りいま、一億総老婆心に成り果ててしまった。
全員が、評論できる見識を持ち主張できる事は立派な事であるし、一人前国家、国民と胸を張れるか?と思いきや、
ここの所の日本社会は実に、息苦しく空気が澱んでいる。そう姑小姑に小言を言われながら、言いながら、また聞き
ながらの生活。まるで老婆心を聞きながら+そして自分でも老婆心を言い放っての生活。これでは、さすがに考えも
滅入ってしまい思考も前向きにならないでしょう。
小言いいばかりで前へ歩まない胸苦しさを思う人も多いと思う。
何も、これは日本だけの事では無い現象、と思うが、メディアの発展と共に情報を共有出来るようになった高度社会
のあだ花かも知れない。いわゆる先進国は「言うだけ小言が渦巻いて」、かつての産業発展時のような歩む脚力をな
くしてしまっているのである。どの国も苦労している部分である。
間違いではない的確なものを言い、実行に関しては丸投げし失敗や間違いを見つければ袋叩きにする。
これでは実行者(若者)は育たないでしょう?我々が見識が広いと自覚があるなら、目的とリスクを指摘した上で、失
敗覚悟で遣らせないと実が無い。失敗したら、われ等年寄りがフォローするつもりで居れば良いだけ。
そもそも「老婆心」と表したのは、心配ばかりを数えきって後始末は現役連中がやる事れ、の態度。老婆心と言うは、
「現役実行員」ではない人の言い分だからである。テレビを見ても、新聞を見ても、深刻そうに利発ぶった顔や文字も
年寄りくさい発想ばかり。
「じゃあ、どうすれば?」それは「専門家、熟慮して対応」する事で我々が言うのは「僭越だ」という。
こんな片手落ちな言い分はありますか? だから「現役を退いた老婆心です」
高速道路がタダになると今度は渋滞が多くなり、新たな問題、と言う。自己顕示のために反論を抉り出そうとする。
「道が渋滞して混んだら、新しい道路を作るだけでしょう」に。人が動いて活性している証拠に対して、道路を作る理由
は揺るがないでしょう。
「日本全国に空港を沢山作り過ぎて累積赤字を出している」いつまでも腹を立てていても始まらないし、嘆いていても
赤字は埋まらない。
ならば、国産のセスナやコミューター、ヘリ製造を育成して会社や個人の飛行機を受け入れろ!って言いたい。
これこそが新しい産業育成でしょう?年寄りはこうしたアイデアを出してフォローに徹する事です。それが年の功とい
う物。
高齢化社会は予定通り着実に来る。その対応に「介護」は、ちょっと考えが貧困すぎないか?です。
高齢者を身障者のようにイメージするのは、時代に乗れない感覚です。感覚を言うなら「80〜90元気に働いて、遊
んで楽しい人生」を目標にエクササイズコミュートを普及していくべきで、最初から介護や老後施設ではないと思う。
それが出来たからと言っても、昨今のような100歳以上の老人の行方知れずは、無くならない。
なぜならお金が絡むから。 昔から「お前100までワシャ99まで」元気に全うするように、実現を考えるべき。
まあ、視力さえ失わなかったら、どんな高齢も現役で居られます。老眼にならなければ半分は実現でしょう。
だから「視力・視覚改善」でプロシードさんは頑張っています(笑)
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DNAは進化履歴書か?進化案内書か?
昔、卵が先か?鶏が先か? 生活に重大ではないけどルーツとして重大で、解らない。そんな事も時代が進み科学
も進化すれば、言い方も「DNAが先か?生命が先か?」になる。 どちらにしても、この世の事から逸脱した世界だ
から「正解は解らない」だとしたら、論理物理学の世界で、仮説&実証の世界となる訳だ。
まずは自由に思う存分、想像、創作ストーリーを作っても誰にも迷惑は掛からない(笑)と言う事ですね。
遺伝子からDNA、DNA解析が出来る時代となって「DNAは身体のプログラム設計図」と言う言われ方をされてい
ます。実際に現代では遺伝子操作で色々な植物、動物が生まれているのですから、その通りなのでしょう。
身体の設計図、プログラムと表現されたとなると、「誰が作ったか?」と疑問が沸きます。
受け継ぐと言う考え方で遺伝子と言う言葉が使われたとすると、DNAは「違う」と言う事ですね。
DNAは人の一生の約百年を過ごすに関するプログラムだけでなく、人類として地球環境に対応する全ての知恵が書
き込まれている気がします。それは必要の予測予感を含めた方向性を持っているからです。
初めての体験でも危険察知できる、とか知らず知らずに地球を飛び出す準備をしているとか?
DNAを進化履歴書とは考えられない事が幾つもある。プログラムだ、設計図だと言う事になると、家でも地震対応で
台風対応、また自分が経験していない災害にも対応した知恵を盛り込まなければならない。
今年、歴史的な猛暑、猛暑と叫んでも、進化とDNAの知恵で何とかなっている。ちょっとやそっとの気象変化で地球
上の生物は絶えることは無いのである。
人間が絶えたにしても、すぐに活躍する生き物が取って替わって現れる。そうしながら恐竜絶滅時代を経過しても我
ら哺乳類が今ここに居る。 ここに居る、はDNAが進化履歴書だけでなく進化案内書の色も濃くある事を示している
と判断する。
DNAは、進化案内書であり進化履歴書である。
だが、進化案内書となると、人間に、いや地球上生命に先輩?親?創造神がいると言う宗教的物語になってしまうの
で厄介だ。
ーーーーーーー 続きます また、、、
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