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創作・発明 はぐれ走想 2
創の視点論点


 モーツァルトのレクイエムに送られたい

  仏教と神道で育まれた私ではあるが、いつの歳頃からか?自分の葬式は「モーツァルトのレクイエムに送られたい」
  と思うようになり、今もその思いは変わらないのですが、「なぜ?そんなに熱望するのか?」に不思議さを感じていま
  す。
  「作品と言うものは、作成意図と題名が必然です」 そう言えばモーツァルトの大ファンだったアインシュタイン博士も
  「アイネ・クライネ・ナハトムジ−ク」について「どれだけ考えても、この曲の作成意図も心境地も解らない」と洩らした
  そうです。私にとってはこのレクイエム。
  作成意図と題名は作品発表には必然と言いましたが、モーツァルトの場合、我ら凡人には思いつかない世界を表 
  現出来たのかもしれません。つまり、我々凡庸が隣人や国や地球を思い描いている時に、モーツァルトは心の波動
  や星、宇宙の波動を音楽にし、「見るもの、感じるもののステージが違っている」だから、題名を見ても作成意図を 
  考えても「理解するレベルに達していない」ということなのでしょう。
  このレクイエム(鎮魂)に関して今、思い描いていることは「自分が死んで、葬儀が済んで、車で焼却場に向かう場 
  面に、このレクイエムが流れる」です。この情景が格好良いと思い、憧れになったから望むわけだけれど、でもこの
  レクイエム、死んでからでも聞こえてきそうで。そうしたら、死んでる場合ではない。「それほどに、美しくて、心の底
  辺をジュァ〜と隆起させてくれる」 そう、最近思うことは、「鎮魂と言いながら、生き返ってしまうではないか?」
  死者に捧げ聞かせる曲か?神に死者を託す曲か?参列者の惜別の思いを代弁する曲か? 全く解らなくなってし
  まったのです。

  私自身の勝手な解釈でバッハは「音を品格チョイスして音楽にした」ベートーベンは「自然界の音の起伏を音楽にし
  た」モーツアルトは「心の振幅リズムを音楽にした」で頭図書に入れています。
  ベートーベンの波涛のようなダイナミックと平穏に対して、モーツァルトは人の会話や怒鳴り合い、耳元に絶えず聞
  こえてくるような人の鼓動を超えない音楽です。(楽器が良くない時代背景もあったが、、)

  モーツァルト最後の曲とあって、このレクイエムはその集大成なのでしょうか?私だけかも知れないけど、このレクイ
  エムは、何時、何処ででも聞きたい、流しておきたい曲なんです。誕生会、結婚式、何処でも、どの場面でも、むしろ
  病院でも。それほど場所を選ばない鎮魂曲だと思っています。 感嘆はコーラスが音の形而として聞こえること。私
  には詩の言葉、内容は全くわからないけれど、言葉の発音までが正確無比な音符になっていて、言葉の持つ喜怒
  哀楽が言語を越えて心に訴えてくる。これはテレパシーの神業であって人間業ではない、と思っています。
  素直に曲に従えば、健康で死とは離れた生き方をしている時にこそ聞いて、「毅然と生きて自然に逝く」を感受する
  わけだから、「レクイエムの題名は合っていると言えば合っていて、合わないと言えば合わない。では別の題名が考
  えられるか?思いつかない」
  似たような言い方をされるのはダビィンチの「モナリザ」ですが、強烈なインパクトで魅了するのではなくて、心の襞に
  着いて離しがたく残るインパクトです。共に考えるレベルが神レベルなのでしょう。
  何処まで分析しても「解らない?解らない?」でも「このレクイエムで送られたい」思いは執念、変わる事はない。

  07・9先日テレビニュースで皇后様が、K488 第二楽章を演奏されていました。優雅な曲を優雅な皇后様が表現
  されて感動しましたよ。このK488は、日本では余り演奏されないけど、大大好きな曲です。

 ビビアン・リーに恋しちゃった

  個々の審美性も「三つ子の魂と一緒に出来上がるのでしょうか?」
  何歳の頃か?は正確には判りませんが、「ひらがな」を全て覚え、兄貴姉貴たちは幼稚園へ、家は忙しくて、一人で
  遊びを見つけては、時間を費やす日々。
  「ひらがな」読み能力を手にして、新聞を読んだり、兄貴たちの教科書を読んだり、漢字は読めないので推定読みし
  ておいて、家族が帰ってきたときに、親や姉貴たちに正解を聞く。当たっていると「ニヤニヤ」自己満足していたもの
  です。それらも次第に発展して、叔父さん叔母さんが使ったであろう小さな国語辞書と小さな百科事典がお気に入り
  アイテムとなり、「当てずっぽ読みゲーム」も、これまた叔父さん叔母さんが読んだであろう「月刊誌 明星」などを引
  っ張り出して読むようになった。
  その本の中に居た「ビビアン・リー」がこの歳まで忘れられない人となって心に生きている。それは馴染み深い「風と
  共に去りぬ」のロードショー紹介のページである。毎日毎日、そのページを最初に見て、挨拶を終えてから、「当てず
  っぽ読書の日課が始まるようになった。それもカタカナは読めないから、ビビアンと知ったのは、それから何年か後
  だったはず。
  ビビアンは、いやアンナは、いわゆる「クールビューティ」。当時としても身近に有り得ないタイプに完全に恋してしま
  いました。
  成長して年頃になり、困ったことに「クールビューティ・タイプにしか好意が沸かない」性格に成り果ててしまった、の 
  です。「単に可愛い、綺麗」には何の興味を示さないものだから、当然、「変人扱い」もされたし、家庭的奥さんを第 
  一に求めることもしない青年だったし、今もそう。 困ったものです。
  改めて調べてみると、「風と共に去りぬ」日本初公開が昭和27年の誕生年。そこから3〜4年後に明星で出会い、 
  その人をビビアンと知ったのは、没年、15歳の頃のニュースだと思います。名前さえ知らずに恋しちゃって、ロマン
  ですね〜。
  確かにその影響というものが心に生きていると、確信するのは「男女平等感」。当時からすれば、まだまだ男尊女卑
  の残った田舎の村社会。農業と言う力仕事社会で女性の価値観も低い。そうした中でも、虐げる男どもには、高ぶ
  る怒りを持っていたし、今も女性は下と言う見方もしないし出来ない。ただ「媚の強い女は、話す気にもならない」
  弱い女はきらい。やっぱ「変人だ」 そしてビビアンのせいだ。
  その次に「恋しちゃった事件」を思うと、それがハッキリ判った。
  男尊女卑の残った農業村社会にもいたんです「クールビューティ」が。その正体は、小学校の女教師。毅然とした表
  情に「もう、うっとり」・・・・。好き過ぎて、「話が出来ない、話しかけられないように遠くにいる、でも気になる」
  こんな「ドキドキ」だから、今でもビビアンを見ると「ドキドキか?」と言うとそうではなくて、尊敬する姉貴、感覚が正し
  い。もちろん好みの女性であるし、恋人として選ぶ対象タイプとして心に生きていて、ビビアンはその上の女神に位
  置している。
  半世紀以上経った、新女性像を提言した「映画」だと思うけど、女性はどれだけ変わったのかなあ。女教師以降、 
  「クールビューティ」にときめくことも無い、事を思うとマスコミ以外で、こうした女性に出会うことは無く、まして身近で
  は皆無。「マイフェアレディ」のビギンズ教授のように「男が女性作らなければいけないのかな?」
  それも、失礼極まりないし、「男は男らしく、女は女らしく」で輩出できそうにも無く?あの女性像は突然変異像だった
  のかな?
  時代のすれ違い、またこの時代に逢えたとしても、目の前にすれば、「声も出ない、足も出ない、まして手も出ない」
  私にとっては、冒すべからず「聖域の美しさで、愛おしさだ」 今もなお。これからもなお。

人生は、不足を補う旅
  
  どんな生き方を目指そうとも、行き着く場所は、生き物皆一緒、「死である」 そして、それで終わりたくないと望むの
  も人と言う生 命が考えさせることだ.。
  「死」に一直線に向かう生に対峙して、「灯火を消すように破壊的に生きる人」また「灯火が永く煌くように建設的に 
  生きる人」様々な考えがあって賛否の言えることでもない。ただ、身に付けてしまった人の知恵と欲望を思う時、「思
  うことは自分の存在感と生きた証」が人には必需品で「破壊的に生きる」というのは、「存在と証」の上で死んでしま
  ったと言うことではないだろうか?
  自ら死を選ぶ時、灰一つ残さず死んで行くことも可能なはずなのだが、自殺者は「誰かに死体を見て欲しい願望を
  必ず残して逝く」もの。やはり「死」を使った遺言と思うべきか?
  いきなり安息な社会に生まれ出でても「生きる事と充足」に人間が生きる難しさがある。感謝にしても「孤島で生きる
  感謝と100万都市で生きる感謝」は全く違う物であるし、言える事は、一人で生きようが、家族で生きようが、大勢と
  関わって生きようが、「孤独」は何時でもやってくるもので、その孤独を心底に取り込んだ時、人は耐え切れず「死を
  選ぶ」。それは「この世に必要か?」の問いに答える形の結論である。
  どんなに強い人でも「不要の判断をされたらもろくも死に至る」。
  
  だが、これは「愛されようとする人の論理」で「森羅万象の全てを愛そうとする人」に有り得ない心像です。「家の前r
  を歩く名も知らない人が好き。」「寒く厳しい冬が好き」「暑苦しい梅雨も好き」「災害を起こし、戦争もする地球も人類
  も好き」ならば「何処でどう生きても孤独はなく」て、あるのはシンプルな「生きて死ぬ」だけ。
  シンプルとは言っても「楽業」ではない。「自分が思い願い考え出した生き方を貫き通す」だからだ。人間にとっての
  勉強教養は、生活のためではなく、「生き方を貫くため」が現代置き去りにされている。
  「お金に困らない将来のため」「人の上に立つため」「人よりも良い生活のため」こういう価値観の勉強で何が生まれ
  る?自ら進んで生活メカニズムの部品になろうとする行為ではないのか?

  自分にも問い、世の中にも問いたい「豊かである、楽である、安全である、幸せであるこの自由経済がもたらした生
  活、でもこれがベストなのか?」
  もうすぐ70億人の人類一人一人が、自分の生き方を貫くことで答えの出ることがあるのである。そのための勉強で
  あり教養でありたい。
  いみじくもそれは不足を探して補う修行の旅。 「自分の生活で精一杯」と反論する方、「自分の生活で精一杯の生
  活は間違っている世の中でしょう? 
  宮使いでは、言うにはばかる事だらけでしょう?命令とあらば談合に手を染めなきゃあならない。まだまだ未熟な社
  会じゃあないですか。

 親の背姿

  子供の頃、働く親を背を眺めて思った事がある。その思いを黄泉の国へ送った時に、また思い起こした。
  「こんな俺達を食べさせるだけの人生だったのか?」「親は自分の人生を生きず、子供のためだけに生きている」と
  感じたものだった。
  同時に「世の中に(あたりまえがない)」と切実に思ったのもこの頃。「親だから子供を育てるのは当たり前?」
  色々な親子事件を見て、そんな事も言えないのでは?と思う昨今である。
  ただ、当時、自分は親に気に入って貰っているから手を掛けてもらっている。そう思おうとしていた自分も何処かい 
  た筈だ。
  子供といっても、傍にいて育てられるのは、わずか10数年の付き合い。人生には、それ以上長い付き合いをする友
  だちもいれば、伴侶もいる。そして親になる。「背中を子供はどのように思い見ているのだろうか?」
  色々な人生があると言っても、幼児から、恋する青春、結婚生活、家族生活、巣立ち後の家守生活。パターンは似
  通う。中でも家族生活の苦労はピークに値してその親の背中は一心不乱の凄さ迫力がある。
  その凄さに、「自分の人生を捨てて、子供を育てると」私は勘違いしていたのだろうか?
  もちろん、親子の絆の強さで育てられたと思ってはいるが、事は人生の20〜40代一番良い時代を犠牲にしている
  意識は起らないのかなあ?疑問ではないが湧き上がる。
  「親だから(当たり前)的解釈」すれば、それで良いのだけれど、
  父親を黄泉の国へ送って、半年くらい「何の楽しみも持たないで子供のためだけに生きた人生か?」振り返っている
  と子供が決して語れない人生がある事に気付いた。兄や姉が生まれた時を私は知らない。ましてそれ以前は知る
  由もない世界。親のことは全部解った錯覚の中にいたことを知ったのである。
  子供は一個の人格と同時に親もまた、実は一個の人格だった。
  見送った親父にも親の庇護の元に過ごした幼年期、青春があった。その良き、青春までの人生があったから、子供
  との犠牲的?時間を造れたのだ。そう思えたとき、肩が少し軽くなった気がした。
  子供といっても、「親の人生は語れないものだ」もし、語れるとしたら、「兄弟や幼馴染」語る言葉が正確なところなの
  だろう。「子供の語る親の姿は、親の人生全てではない」送辞を思いながら、、そう思った。
  親の恩義とは別に、子供には親の背中しか見えないものらしい。ここからかな?「親は背中で語れ!」は。
  思えば自分もそうだ。子育て中に「夢を描いて向かおうとは思わない」「夢は全て青春時代に描いたものばかりだ」

 嘘と言う大破壊・大罪

 親と言えば、「ウソをつくな」を口癖に言っていたものだ。子供も基本的にずるいから、「ウソをつくな」を言われなけれ
 ば直に染み付いてしまうもの。事実、幼稚園から小学生時代を思い返しても「ウソをつく子はいたし、しかも直らない
 子」だった。ウソはいけないこと、罪なことは親のおかげで知った範囲、そして小さなルール、道徳としてしか認識は持
 つことはなかった。
 それは「ウソから出た真(まこと)」「可愛いウソ」「ウソも方便」など罪を軽んじることわざ普及のせいであったりするの
 だろう。だが「ウソ」に小ウソも大ウソもなく、軽症、重症の類ではないことを知るべきであり、むしろ何時爆発活性する
 か?怖い癌ウイルス、エイズウイルスと捉えるべきであろう。またまた大袈裟を言う、と言う向きもありましょう。
 人間社会は、歴史で積み重ねた構築物です。高い鉄塔と言ってもよし、積み上げられた堤防と言ってもよし、ウソは 
 一個の不良ボルトであり、小さなモグラの穴、シロアリごときと言ってもよいもの。共に全てを破壊に導くさびカビウイ 
 ルスの日頃の点検で 撲滅に心掛けなければならないものなのです。法と言うのは正にそこを担うと言ってよいでしょ
 う。

 「ウソつきは泥棒の始まり」なんて生温くなく「一人の泥棒」から抜け出せない境遇が始まる。また個々の生き方を言え
 る事ではありません。人間社会で「居場所が無くなる」と言うことを重く受け止めなければなりません。
 ウソを覚えた人間に「仲間」と言うものが無くなり、怯えと孤独と猜疑心に囚われた心では、一般社会の歯車にもなれ
 ず、かと言って裏社会、ヤクザ社会でも生きられない。泥棒同士仲良く、というウソつき同士同盟だって無理でしょ  
 う?  人の居る所、組織があって、その組織は「ウソがない」人で維持される。
 ウソつきは、ヤクザ社会からもスカウトされる事の無い最低な「社会不適合人格」なのである。

 歴史の変遷も、そこで滅びたものは、「ウソで取り繕った末期」を迎えただけのこと。「ウソで取り繕った組織は力がな
 い」 歴史で物言う「勝った者が歴史を書く、勝てば官軍、負ければ賊軍」私は「例え負けても、実を付いた事は幾度も
 復活して、終には勝つ」と思うし、私は決して、「勝った者が勝手に歴史を書換える」は信じない。
 近代の太平洋戦争の敗北も「嘘のあった方が敗北した」と思うし、国際正義を唱えた米国も「ウソでベトナム戦争敗北
 をきした」 仮にヒトラーが勝っていたにしても、ウソの修繕からその後、短い支配で終えたことだろう。
 時代として時流に乗ったとき、その当事者に「事の正しさ」が判らないものでもあるが、根本の資質として「ウソを憎  
 み、戒め、改める心」がなかったら、苦しむ時代を永続するだけで、悲劇はどの立場の人間にも自業自得のように降
 りかかってくる。かのスターリン時代もそうだし、かの隣の王朝もそうだ。第三国に飢えや貧困の解消を望むべくもなく
 「まず、国民一人一人がウソを絶対に許さない心」を、ウソを憎む心を立ち上げないと。 第三者の力では何とも成り
 ません。

 育てる資格

   若年層を、今と昔を比較批評することは好まない。なぜなら、それは育てた我々に反射してくる話になるからだ。 
   「今の若いやつは、、」は年寄りの定番文句だが、紐解けば育てた我々の責任は必ず問われる。「改めるに遅い
   ことはない」を信じれば、まずは「子供から」、でも正直、子供と真正面な話が出来ない「親がいる」
   私には子供がいない。でも0歳から5歳の子供を9人10人も背中で知っている。何も教えられないまま「それ、子守
   して」と預けられ見よう見まねの子守と半やけくそのあやし言葉。何のことはない「大切と思えば知恵も出る」で「ど
   うせこの子の親も親1年生、2年生、3年生だ。子育ての達人になる前には卒業」そんなことを思いつつ、子守は勤
   め上げた?。
   こんな経験もあるから、「子育てが判らない、悩む」は私には理解が出来ない。出来ないが、この件で感動したこと
   がある。それは「大女優・吉永小百合の言葉」子供を作らない理由について「子供は好きでも好きだけで育てられ
   ない。子供の頃から大人に囲まれた仕事をして、接し方も知らないし、まして生んで育てる自信がない」こう言う主
   旨の発言をテレビで聞いたとき、決断の真剣さに感動したものである。自分を取り巻く環境が側めのいない女王さ
   まのごとくだったのでしょう。  「自分の手で完璧に」・・「出来ない」だろうけれど。
   「子供なんか、そこまで完璧をしなくてもいいのに、」「その責任感が立派に育てるのに」を思い。一方で彼女の聡 
   明さからすれば人よりも立派な子育てをするであろうことも想像できた。今となっては?どう思っているのかな?

   育てることは、あくまで親や先生の一方的な仕事なのである。共に協力して作り上げる社会の仕事とは違うのであ
   る。だから、子供の欲求を聞きだすこと自体。もう子育てから逸脱していると言える。それはペット待遇である。
   年々たくさんの言葉を使い、知恵もつく、子供にもっとも大切なのは、子供より広く、深い一歩先を行く子供のた
   めの見識を示すことである。子供の頭脳を先回りした知恵を出さないと子供に馬鹿にされ見くびられてしまうので
   ある。親が子供に勝てるものは、愛情の深さと経験。これは子供のいうことを聞いてあげる、と言うことではない。
   「子供のことを子供から聞いて対処」しようとするのは育てる資格がないことであって、言葉を交わさずとも全てお
   見通し、今こんなこと考えている、こんなことで悩んでいるが、判ることが「育てる資格」と思うわけである。
   そうした態度を貫き、貫けなくなった時が、親が「子供の一人前成長」を認める時なのである。

   昨今の教育論からは逸脱も甚だしいが、目線を一緒にしたって、見下して言ったって、物事の奥深さ広さを教えら
   れないものは尊敬されない。難しい事ではない。「子供と同じ年代を思い出しながら付き合えばいいだけ」
   自分のアルバムを見て知恵つくこと。当たっても外れても「お前、今こう考えているだろう?」先回り言葉が言える
   か言えないか?だ。
   
   子供も、一人っ子大勢の世の中、子供が子供の面倒を見るそんな時代を懐かしがっても始まらず、ずばり言え!
   「不安だろう?」 鳩が鳩を育てるのは馬脚を現さないが、鳩が白鳥を育てようとすれば、直に馬脚が現れるもの。
   親を馬鹿にし、人を馬鹿にする育ち方は、絶対に直ることはないから。親は馬鹿にされてはならない、間違えては
   ならない。こんなことを書くのは、どうも現風潮に、「子供を理解すると言うことを、子供の言葉を聞くと言うことと勘
   違い」があると思えるからである。このこと別の機会に理由は言うが、「子供にとっては、寂しくて不安な成長にな
   る」解っていないんだなあ。大事なのは「なぜ?」の解答とともに深い納得が必要なんだな。
   「自信のない自己主張は、何時か崩されること」子供は子供なりに解っているんだよ。その馬脚の表れが怖くて寂
   しいだよ。 甘やかし、我がままから、悟るものはなく、なるほど今日の若者は旅をするが、甘やかし我がままから
   旅することはないようだ。

 幸せと平和

幸せ探しと、平和探しは、心で中で明確であっても、現実的には、具体的目標を掲げられない不明確なものである。
なぜか?人それぞれが描く幸せも平和も違うからである。ただ言葉として「しっかりした正しさ、正義」がある。従って誰
であろうと、「正しさや、正義を否定した幸せ探しや平和探しはしない」 争いあう大儀として「幸せ探し、平和探し」を使
われ続けて、その結果また「幸せ探し、平和探しを言う」繰り返し。進歩なき探求である。
全ての争いごとや不幸には、いつも「幸せと平和」が叫ばれる。
そう、いつも「幸せや平和を手にしてから、失うことが始まっている」のである。これを思う時、一般に「気の緩み」としか
言えない現象なっているのである。「争いのない心、争いのない人々が造る社会」を思い描く時、「まず暴力がなく武器
がない」ことを想像します。と同時に「平和の維持に力を労す」ことまで忘れてなくしてしまっている。「幸せや平和も所詮
パワープレイなのである」歴史の中でこの「幸せ維持、平和維持」の力を探すたびを人類はしてきたと言ってよい。その
一つが「抑止力」と言う考え方。「争うための暴力や武力は考えやすいけれど」「幸せや平和を維持する力とは何や?」
ただ、「繰り返してはならない」それだけ?
「幸せや平和を求めて暴力または武力を持つ」これを好みはしないが、ある意味、この行動は「命がけ」しかし幸せや
平和を維持する行動に「命がけ」と言う行動は「方法としても考え方としても未熟」なんだと思うわけだ。
私自身、幸せや平和を命がけで維持する行動とは、に答えは今、持っていないが、この命がけが、暴力や武力の力を
超えるほどにパワーを持って均衡を保たないと「不幸、幸せ」「戦争、平和」を漫然と繰り返すだけなのだろう。
「パワー溢れる幸せ、平和の維持バイブルの構築」21世紀、この進化が人類の未来を決める。

権力者が「幸せ、平和を大声で叫ぶ時、危うくなり」意味も不明瞭になる。純粋に幸せであれ、平和であれ、手に入れる
のは力である。天から降ってくるものではない。
「幸せとは?平和とは?」を漠然から明瞭にとらえ突き進まねばならない。武器を持って勝ち取るのも命がけ、無抵抗
主義で勝ち取るのも命がけ。どちらにしても命がけを以って手に入るものと思うのだが、「武器と悲惨」に対して言う平
和は「論の摩り替え」にしかならない。
現代のように「隣に住む人を知らず、安全は警察任せ、生活は国任せ」の合理性の中で生活しても、幸せや平和を壊
すものをパワーを持って、もっと憎まねば「緩んでしまう」
良い人間を演じたいが為の利己的寛容は波の浸食のように事を壊す。

 従業員・秀吉と光秀

  本能寺の変でなく、病気で信長が亡くなったとして、織田株式会社の後継者にどちらが適格な従業員であったか?
  既に歴史で決着が着いている事だけに、「秀吉」「正解!」と成ろう。ただ、織田株式会社とその従業員として考えら
  れた場合、現在に生きる我ら一人一人、とりわけ会社員たるもの古い史実として収められなくなる。

  織田株式会社とは、現代で言えば、IT起業の社長を出発点に経済界を制覇、一歩手前といえます。決して名門名
  家とは言えず、乱世を上手に渡って生き延びるか?の考えで留まる、全国制覇など描く余裕のある家柄ではなかっ
  たはずです。尾張の一市民から重臣まで、皆、天下取りなど夢にも見なかったことでしょう。
  しかし、最初から最後まで思い続けていたのが、織田信長。当然のごとく周囲の考え方から浮いた若殿だった訳で
  すが、勝ち戦が続いていくうちに家臣団も「室町幕府を受け継ぐ気分になってきた」と言うところでしょう。
  ところが、信長の設計図は、そんな低次元ではなくて、国のあり方、構成まで革新しよう、とのもの。
  信長と言う人には、「影響を受けた人も、知恵袋と言われる人、相談役と言われる人が居ない」 これが偉大であり
  悲劇だと言う見方も出来る。 「自分のやったことについて、これからやろうとすることについて無評価のまま突き進
  まなくてはならなかった。」
  天下取りを目の前にして、「運が良かっただけ、我らが力を貸した」の「成り上がり評価が多かった」ことでしょう。そ
  こで部品設計図のような古参重臣を切り捨て、家臣の考え方を切り替えも策した。
  全て自分の設計図どおりやってきた場合、自分の自身の評価と周りの評価の格差が生じます。本来これを融和す
  るのは重臣の役目。光秀やその他の新重臣も「足利に取って替わる」程度の考えだったろう。その未覚醒に、信長
  は狂おしく怒った。 残念ながら死という運命でその先の設計図は誰もが見ることは出来なかった。

  社長、信長の考えをまた評価を的確に捉えていた人物が、「農民上がりの秀吉」なのである。農民上がりだから解 
  ったと言ってよい。武家の格式に薄い秀吉には、乱世を早く治め、次の設計図はなくても「この考え方この方向」を 
  信長でしか学んでいない実情が有る。
  こうした忠臣の学びが「信長亡き後の受け継ぐ資格になったことは想像に硬くない」
  秀吉が「信長に取って替わろう」と画策していたなどと論ずる人もいるが、そうではないと思う。光秀を討ってみて、
  周りを見渡せば、「信長から学んだ延長上を語れるのは自分」と確信した、が正しい。
  信長が亡くなって「重臣の多くは、朝廷から勅旨政治を考えた筈」つまり室町式天下取りだ。
  しかし、時代は、既に民衆レベルで違う時代を望んでいたし、ここまで来て旧態依然の時代に戻りたくない機運が信
  長によって作られていた。
  秀吉は思ったはず「天下布武の貫徹」
  ところが光秀は、真っ直ぐ朝廷に駆け込んだ。この時、「勝負は決した」のである。「民心は得られない」と。

  本来、会社と言うものは、「使う者、使われる者」の構成ではあっても、「替わり」を育んで会社と言える。日本に会社
  組織が出来て100余年でしょうか?
  初期の頃は、身分的なものを除けば、皆会社を思い、知識能力の上では、社長の替わりは、たくさん居た。野心で
  はなくて会社の力として存在していたのである。現代ではどうだろうか?
  いわゆる会社は、「私使う人」「私使われる人」のテリトリーを最初から決め付けた人となって働いてはいまいか?
  
  光秀は、信長を武家社会の一員としか考えていなかった。
  判らないものだらけのだらけの秀吉は、「なぜ?なぜ?」の反問反証で考え方を継承した。

  これを書き出して、史実を振り返ると光秀は、信長の考えを踏襲せず「誘惑の囁きに踊った」だけになる。賢人と言
  われた光秀が「時代は戻らない」を知らぬとも思えず、かと言って「信長に取って替わる理由も言えなければ、違う 
  将来図もない」現代で見える官僚の組織防衛行動そっくりといえる。
  信長が思い描いていた新日本ビジョンは残されていない。おそらくは、戦いをくぐり抜け京に近付く一歩一歩の歩み
  の中で構築したことだろうか?
  今、現代人が信長構想を考えるより、身近で師のごとく見つめてきた秀吉のその後の行動が「構想に近いものを表
  わし、その後の徳川幕府に生かされた」こう考えるべきであろう。
  今も昔も「ビジョン」が人心の趨勢になる。

  今も昔も同じと見つめるところに「学び」が有る。
  現代、会社において、「光秀社員とは誰だ!」「秀吉社員とは誰だ!」
  自分の属する組織の中で「何時でも社長に代われるほど研鑽を積む社員か?」「命令系統で的確に働き、希望も目
  標もない社員か?」
  組織の最大の力を考えた時、それは「この社長にこの社員」に集約される。
  つまり、「社長をダメにするのは社員、社員をダメにするのは社長」反対の「社長を立派にするのは社員、社員を立
  派にするのは社長」も正しい。
  信長自身、このことを考えていたとすれば、それは「足軽、秀吉を出世させた時から覚悟をしていた」ということにな
  る。 何の覚悟?「むやみやたらに餌を蒔き散らかせば、押さえの利かない(化け物)も育つ」と言う覚悟である。
  その化け物に社長の座を渡す覚悟でもある。歴史は裏切りからの死を選び、化け物(秀吉)は1代で、やはり終わっ
  た。まさか?とは思うが、秀吉の次に家康を思い描いていたとすれば、正に、信長は構想天才だ。

  秀吉がごとく、信長に学ぶ家臣がもう一人いたなら、信長は死なずに済んだ。そのもう一人が、光秀だった気もする
  から世の中は皮肉だ。
  ともかくも、現代企業組織もマンネリ化。私見として、「重役からパートまで、いつでも社長に取って代わる心を持  
  て!」を唱えている。「こころ」です。知識なんざァ、後付で十分間に合う。
  「取って代わられる社長の緊張感。社員の啓発が重なり合ったら、それが組織最強パワーである」
  力を出そう伸ばそうとしない人間は、周りの全てを腐らせる存在だということを心したいものである。
  
 行く、行かないの前に

8月になると思い出す言葉がある。
「上官に訳もなく殴られて、蹴られて、(戦場へ)行って見れば、ダッダッダッダッ機関銃。こっちはパン・・パン。まるで大
人と子供の戦争で、皆、(こりゃあ、勝てない)と思った」親父の戦争体験の言葉だ。
赤紙、召集令状で集められた下級兵隊は、こんな戦いをさせられたのだ。
町を歩いて愉快に笑えば、憲兵や志願学生に殴られる。「戦争は困ったもの」と言えば、チクられて隣組から村八分。
毎日ビクビクした怖い時代だった、と言う。
敵を鬼畜と呼ぶ前に「一般市民を犬畜生扱いし、召集兵を盾にして戦う」どっちが鬼畜だ。
新聞ラジオも、気付いてみればウソばっかり、当時と言うものは、一面の恐怖政治社会に近いものであって、戦争が終
わったと言うのは、「恐怖政治から開放されて、皆、ホット安堵を覚えた時」でも有るのだ。
当時の政治、世情が、戦いの理由がどうあれ、「国民に銃を向けたような意識高揚」で兵士一人一人が戦いの意義が
もてたものか?疑っている。
戦場で死を前にして、確かに「日本万歳!」「天皇陛下万歳!」「かあちゃ〜ん」思いの丈を叫んでを逝ったであろう。け
れど、こんな戦いを強いた者どもには許しがたい怨念を持ったであろう事も察するのである。
この魂を鎮魂するのに、「単に国のために亡くなったでは、思いが足りない」のである。そうは思わないのだろうか?
私は、親父の経験から、行政や軍の煽動、プロパガンダ、当時の如くが起ったとしても、自分で判断する強い意志を心
がけたり、その為の研鑽を積もうと思っている。自国民に銃を向けるような弾圧と煽動に加わることはしないし絶対に屈
しない。 これが私の戦没者に対する「鎮魂」だ。
人間社会の進歩とは、もっと生きたいと願いつつ逝った人たちの意思を受け継ぐことで成される。身近では、息子であ
る私は、父母の思いを背負い、また、若くして逝った親友の思いも背負い、一つでも多く達成していくことを願って生きて
いる。「残された意思、受け継ぐ心、あっての未来ではないか。」人の人生、自分の人生。区切りばかりをつけようとす
る生き方こそ、間違いを繰り返させる、ものだ。

8月になるとにぎやかになる事がある。
「靖国神社へ行く、行かない論議」と「国のために亡くなった方々に尊崇の念を持って参詣」そして「A級戦犯」
参拝するとか、しないとか、そもそもが個々の自由。
自由と言っておきながら、「国の為に亡くなった方々に尊崇の念、、」とは殺し文句の詭弁であろう。そう言われてしまえ
ば、反論はできない。確かに、第二次世界大戦で亡くなられた方のお蔭で今の社会、家族、自分がある。純粋な気分
に誘われるのではあるが、だが待てよ!太古の関が原なら、東西の兵士も差別なく供養もあるが、こんなに浅い歴史
を達観していいのか?
第二次大戦で亡くなられたご本人達の気持ちはどうなんだ。「死ななくて良い人が大勢死んで、死ななきゃあいけない
人が生きているのではないか?」
政治家、軍部、戦争煽動者の犠牲ではないのか?仮に私の親父が、戦死し靖国に祀られたとして、参拝に来て欲しく
ないのは、政治家官僚軍幹部ではないのか?まして、「当時のような社会体制に反省を持たない」これらの人々は拒絶
することだろう。
単に「手厚く崇高に祀り上げることで、亡くなった人々の魂を慰めることなど」決して許してははならない。許さない。そ
れは忘れたいが為の魂の軽蔑だ。
靖国へ行くのは自由だ。私的に、公的に、A級戦犯、中国が、韓国が、登場キャスティングがいつも足りないではない
か?この戦争で無くなられた方達の気持ちと思いだ。この遺志を継がなくてどうする?
昭和の20年までの社会を造った連中、戦争に駆りだされ命を落した人達。これは戦場で散っただけの話ではないし、
勝てば官軍負ければ賊軍の勝ち負けレベルの話にしてもいけない。
昭和20年までの日本が、現代日本よりも心豊かな良い社会でそれを守るために逝ったのなら、誰がなんと言おうが
「行きましょう」 でも、違うでしょう?
日本政治行政が日本国民を裏切った時代でしょう?戦没者はその犠牲でしょう。
もっともっと戦没者の気持ちを察してやらないと鎮魂にならない。そう思う。「だから私は行かない」




我々、一般市民は心の常に正しさを求めて生活していかねばなりません。その正しさで法律など規制が作られていくの
です。一般市民の我々が、「法律が正しいとその活用をしたなら、立場立場で偏用、悪用に使われかねないのが法律、
規制です」
憲法、法律ルールは人間が創った道具に過ぎない。道具である限り、使い方で幸不幸も起るし利害も起る。憲法法律
は聖書ではない。人の良心だけが幸に導き利を叶えることができ、不幸、害を追い払うことが出来る。ルール尊重主義
は、ハンドルのない車と同じ。

 自分が思う自分と他人が思う自分

  「我思うゆえに我あり」 ん〜、意味深!
  崇高な哲学を唱えるつもりはないが、創作やら発明の独創を志すと避けて通れない「葛藤アリ地獄に陥る」 自他共
  にこれを打開できないと、自分の存在価値まで見失ってしまうマインドがある。

  昔々の話に「せむし男」が童話的に登場する話がある。せむし男はグロテスクな風体に純粋無垢な綺麗な心。さて 
  さて物語ではなく、現実実際の話となったらどうであろうか?
  現実の世界は、童話や漫画のように「悪の組織・ブラック・・」「正義の味方・OO」なんて言わず、皆、善人の顔と態 
  度でいる訳で、もっと言えば、「悪」を「自分が正しい」で丸め込んで行っている結果が犯罪であり悪行だ。
  テロを起こす組織も人にしたって、彼らは正しい事として行っている。

  結局、悪行とは「正しいと意固地になった時から始まる」 そうとすれば、世の中に正しいことなんか必要無い、とい
  うことにもなる。そう、世の正しさとは、「悲しい涙の流す人の数が少ない事が正しい」であって自分の心には無いも
  のだ。自分が正しいと突っ走れば、誰かがの不幸を呼ぶ。これが人間社会であり、自然の摂理でもある。緑が大切
  と言っても、その植物が2倍の繁殖成長したら困る。ライオンは絶滅も困るが増えすぎても困る。
  この摂理は、大宇宙から、地球、人間社会、個々の心、全てに通ずるルールである。
  あと35億年で地球は銀河衝突で消滅する。人類が正しいエコロジーを行ったにしても大宇宙は正しさで動いている
  訳ではなく、永遠の幸はくれない。ただ、消滅が大宇宙の意思なら受け入れ、この事実から出発するだけだ。

  何を言いたいか?自分の心は自分でコントロール出来るほど、小さいスケールではなくて立派な宇宙だ。
  「だから、一番、判らないのは自分自身だ。人や社会と関わることで自分の心が判ってくる。」です。
  人や社会を断絶し引き篭もったら、それは、ますます自分が判らなくなる事だし、判るキッカケを失うことでもある。
  地球があって、自然があって、国があって、社会があって、親があって、友がいて、子供がいる。これを大事に思う
  ことは、座標軸で自分が判ることであり、どう動きを取るか?目的座標も解ることです。
  太陽があって、月があって、星があるから地球も星と解り宇宙も解る。

  さてさて、自分を判るための社会や人間関係だとすると、次に大事は、「自分が思う自分と他人が思う自分の合致」
  だ。 なぜ?「天才と思う自分」に「馬鹿と言う他人」では、社会に生きる、人間関係を生きる、が出来ないからであ
  る。ここには、努力と言うパワーゲームがあって、勝ち取らねばならないのだが、ここでも基本は「大勢の人とつなが
  る」で、欠かせない。
  「天才を世間に認めさせる」も大変だが、「馬鹿を天才扱いする世間を変える事も大変」 両方が不幸だね。
  「まあまあ良い男」と自分で思っても世間で「ぶ男」と言われたり、その反対もある。
  自分と他人の見方が合致する人間は、恋愛にしても、事を成す、にしてもスムーズに運ぶ、しかし、先ほどの如く、 
  「天才」と「馬鹿」の如くかけ離れた場合は、一生をかけた努力となる。(不公平だなあ)
  こうした場合、世間を馬鹿呼ばわりしても解決しないし、囲碁のように少しづつでも、ゲームで勝つ意識を維持しなけ
  ればならない。
  小さいようで、人生において無碍に出来ない事柄です。アーティストも発明も過去の偉人達も最初は「馬鹿呼ばわり
  されてから出発」なんだから。ここに「世に認められるか?独善で終わるか?」生死を掛けた戦いがある。
  成功者の共通点は、決して「世間を馬鹿と呼ばなかった事」です。
  創作発明としては、「どう作戦を立てて、どう挑むかだ」 やっぱ「友だちの友だちは友だち」か?「友だちの友だちは
  赤の他人」?あ〜ん、きびしい〜。






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創作・発明 はぐれ走想 3
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