▲侘 寂 萌 インデックス



ひさびさに

 マジメ、マジメに仕事する日々。
 まあ、三菱言うところのマジメ程度。
 土日もお仕事なんて何年ぶりかしら〜。
 長年使い続けたキーボードにコーヒー飲ませちゃって(UCCの114、ちとわざとらしい風味だけど案外いける)、古いメカニカル・キーボードでガシャガシャと文字を打つ。
 ずっと引きこもりっきりでガシャガシャガシャガシャ。
 絶対近所で怪しまれてる……。



偶然の出会い のち 必然の別れ

 週末、初めて輪行して日光に行ってきた。

 東武日光駅で降りて、運んできた自転車を組み立て、緩やかな傾斜を登っていく。
 目指すは、日光いろは坂。
 標高530mの出発地点から標高1269mの中禅寺湖まで、標高差739m。

 馬返の駐車場から先、道筋は下り専用の「第一いろは坂」と、上り専用の「第二いろは坂」に別れる。
 昨日から痛む左ヒザを不安に思いながらペダルを踏み、「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」と、いろは順に文字をふられた坂を登っていく。
 行楽客のマイカーやバスがエンジンを吹かして、汗だくのこちらの脇を通り過ぎていく。
 ときおり屋根やテールに自転車を積んだ車が追い越していく。

 標高1274mの明智平まで、結局休まずに登り切った。車でいっぱいの駐車場の隅に座り込み、水をあおる。うまい。
 ここから先はトンネルを抜け、ちょっと下れば中禅寺湖に到着。

 自転車の前後と背中に幕営装備一式の荷物。
 裸足になって中禅寺湖の冷たい水に足を浸していると、「それで来たの? いろは坂を? 日光から?」
 そんな罰ゲームみたいなことは御免だという顔でオジさんが笑う。
 しかし、ここはまだ道のりの半ば。
 これから県境の金精峠、標高1845mを越え、尾瀬まで行くのが今日の計画だ。
 さらに標高差571m。
 登り返しを入れなくても、日光からの標高差1315m。山登りでもかなりハードな行程だ。

 竜頭の滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖――。なんでもない坂でもゼイゼイと喘ぎながら登る始末。
 「もう今日は走れない」と音を上げて、いったん湯ノ湖キャンプ場への道を行きかけるが、「行けるところまで」と金精峠に続くR120へと引き返した。
 ――が、最初のカーブをクリアする前に早くも後悔しはじめる。
 だが、誰に言われたわけでも、ご褒美があるわけでもないのに、この坂を上りきるまでは足をつくまいとペダルを踏んで、歩くよりもノロいスピードで登りのカーブをクリアしていく。
 もう軽いギアは一枚も残っていない。残る前後9枚のギアは、この坂を登り切るまで、なんの役にも立たない余計な重りだ。

 高所のせいか、やけに日差しが強い。目に入る汗を拭おうとすると、顔一面にザラザラと、汗が乾いた塩の感触がする。
 こちらの安物の自転車の4倍はしそうなロードバイクを屋根に積んだボルボのワゴンが追い抜いていく。
 「チクショー」と声に出して思わずペースを上げるが、すぐにヨレて転倒しそうになった。
 その僕の脇を、背後から突然、音もなく鮮やかな色の影が現れて通り過ぎていった。
 これまた高そうな自転車に、カッコいいサイクル・ジャージ姿の兄さんだった。
 お先に、という風に左手を少し上げ、アッという間に何メートルも先を走っている。
 ダンシングをして食らいつこうとするが、まさに兎と亀。カーブの向こうに消えてしまった。再び呪いの言葉を吐く。「チクショー!」

 いろは坂から金精峠は、車では何度も越えた道。
 峠のトンネルはまだまだ先、と道筋が正確に分かることが逆に気を重くする。
 ひときわ勾配の急なカーブを乗り越えると、谷側の駐車スペースにさっきのボルボが停まっていた。
 そして女の人がこちらに向かって手を振っている。
「ガンバレ!」
 ボルボのドライバーはサッパリとした面差しの美人だった。
 にっこりと、僕は余裕の笑みを作り、わざとオーバーなアクションで自転車を漕いで、お姉さんの脇を通り過ぎる。
「スゴイ、スゴイ! がんばって!」
「もう死にそうです」

 通り過ぎたあとで、休憩すれば良かったなと少し後悔した。
 お姉さんはいまの場所から、ノロノロと坂を登る僕を見ていたのだった。
 「チクショー」と悪態をついた相手が、あんな美人だったとはね。
 と、再びボルボが僕を追い越して行った。ウィンドウを下ろしたドア越しにお姉さんが声援を送って寄こす。
 僕はいい気分で、少し軽くなった気がするペダルを踏んだ。

 吹き出す汗に、熱いシャワーを浴びながら自転車を漕いでいるような気がしてくる。
 緑の稜線を切り取る青い空が少しずつ近づいて来る。1845mのトンネルまで、まだ50は残っているか、それとも30を切っただろうか――。
 そしてついに、アスファルトの地平線の向こうに、黒いイギリス食パンのようなトンネルの入り口が見えた。

 ――ガンバレ!
 遥か昔に――いや、少し前に――聞いた声がする。
 トンネルの手前の駐車スペースに見覚えのある青いボルボ。お姉さんが飛び跳ねるようにして声を上げている。
「もう少し! もう少し!」
 彼女はまるで運動会の紅白対抗リレーで応援する女の子みたいだった。
 僕はもう笑う余裕もなく、ハアハアと舌を出して最後の坂を登り切り、笑顔のお姉さんの前でようやく地面に足をついた。

「すごい、すごい! 登れたね!」
 僕自身よりも感激して、喜んでくれるお姉さん。
 見るとボルボの屋根には二台の自転車。坂の途中で追い越していった兄さんが、開け放したドアの脇で汗を拭っている。
 ふたりは夫婦なのだった。ちぇっ。
 旦那さんはスポーツマン・タイプのハンサムで、しゃれた生活誌で見るような、お似合いのカップルだった。
 「いろは坂から? その荷物で?」
 びっくりしたり、感激したり、ずっと少女のようにはしゃいでいるお姉さんを眩しい思いで見ながら、僕はだんだん困ってきてしまった。
 こうして話せば話すほど別れるのが辛くなる。それに、お姉さんを好きになってしまいそうだ。

「またどこかで会えるかしらね」
「そーですね、どうでしょうねえ」
 僕は前後のライトを点け、そういえば水を飲むのを忘れていたので水を飲み、「それじゃ、お先に」と言って二人と別れた。

 金精トンネルを群馬県側に抜けたところで、写真を撮るのを忘れていたことに気づいた。本日の最高到達地点を撮り忘れてはいけない。
 自転車を路肩に倒して、フロントバッグからカメラを取り出していると、トンネルを抜けてボルボが現れた。
 運転席のお姉さんが僕の姿を見つけて、なにかトラブルでもあったのかと驚き慌てた様子がフロントガラス越しにもはっきりと見て取れた。
 僕は「しゃ・し・ん」と口を大きくあけて、お姉さんを安心させる。
 路肩に寄って停まろうとしていたボルボは車線に戻り、ハザードを2回点滅させてカーブの向こうに消えていった。

 写真を撮り、再び自転車にまたがり、僕は口笛で「木綿のハンカチーフ」を吹きながら、朝、日光の駅を出発してから今のいままで、必死の思いで稼いだ標高を一気に駆け下りてチャラにした。

 長い長い坂を下り切って、標高800mの国道の分岐を尾瀬に向かう。
 登山口・鳩待峠は、ここから標高差、さらに800m――。



「悪い奴は悪い」

 という「野良犬」(脚本:黒澤明+菊島隆三)のセリフの通り、悪いことをした人間の事情をあれこれ慮る必要はまったくないが――。

 NEVADAこと加害少女。やはり、というべきか――。
 最近の世相である「あからさまに建前だけの正義のポーズをとる」という、そのポーズをそのまんま受け取って、「人間は正しくなければいけないんだ」と愚直に信じ、その通りにしようとしていたようである。

 大人(テレビ)の言ってる「正義」に理屈もなにもなく、はなからテンでインチキなのであるから、いま子供に提示され、子供の頭で理解できる情報だけでは「正しい人間」になどなれっこないのに、無駄にあがいて取り返しのつかないことをしでかしてしまった。

 いや、これは余計な気遣いというものであろう。
 ただ俺は、オタク関連業であるエロゲ屋として、これから先も、オタク少年・少女がやらかすであろう様々な非社会的行動に対して、なにがしかの責任を負うものであろう――とはたいして思わないが、少し気になる。少しだけ。

 が、しかし「悪い奴は悪い」。この大前提を忘れてはいけない。
 子供に対しては、「心の闇が」とか「心のケア」とか言うんでなく、「バカなことしたら世間様に顔向けできないんだよ!」と、単純に言うべきだ。

 新聞やテレビがこういうことを言わないのは(昔の大人は言っていた)、金にならないからだ。
 「心のケア」とか「ネット社会」とか「ゲーム脳」とか、言ってると金になるンだよね。
 子供がなにをやらかそうが、金の方が大事ときたもんだ。
 それもまた「正しい」のであるが。



「ん〜、11歳が、人を、殺したと……」

 (談志師匠の声で)

「11歳の女の子が、長崎でね、あ〜……佐世保ですか? 同級生の、え〜……これも女の子だ、女の子を刺し殺したって話。

 ん〜、マスコミ、新聞、テレビが騒いでますけどね。
 まあ、彼らが騒ぐのは商売ですから。人が死ねば喜ぶ連中ですから、マスコミってのは。稼ぎ時ですから。

 ただ、我々まで一緒ンなって、ギャアギャア騒ぐことはないんでね、ん〜……。
 昔からありましたよ。
 昔っからありましたよ。子供が子供を殺すなんてことはね。珍しいもんじゃない。子供が仲間を殺す。親兄妹を殺す。昔なら12歳で元服ですから、武士の子供なら刀を持ってチャンチャンバラバラ、殺し合いをしていたわけだ。

 子供だけじゃない。親が子供を殺すなんてのはしょっちゅうあった。間引きって言ってね、いまの若い人は分からないかもしれませんが。
 間引きなんて、江戸時代あたりまでの話だろうなんて、とんでもない。東北あたりじゃ、ついこの間まであったんだ。ドラマのおしんね。ついこの間まで日本は、日本だけじゃない、世界中が……いや、人間はね、貧乏だったんですよ、ええ。
 そうやって人間ってのは昔から生きてきたんだから。誰が誰を殺そうが、大したことじゃぁないんですよ、ん〜……。

 理由……殺した理由ね。女の子がカッターで切りつけた理由。
 どうやら被害者の子が、殺した方の女の子の、なんですか、顔だか髪形がマズイとかなんとか、そういうことを言ったそうですが。言ったというか、インターネットのどこかに書いたと。どちらが先に喧嘩を売ったか、買ったか、わかりませんがね。
 ん〜、こういうことを言ったらどうなんですかね、叱られるんですかね?

 つまりこれはですね、殺したほうがね、殺される前に、相手を殺したってことなんですよ。
 分かりますか? 相手の容姿をウンヌンする、誰かの悪口を言う、批判する……。アタシたちもしょっちゅう、俎上に乗せられてサンザンやられてますがね。
 人を褒めるんでなく、少しでもけなすってことはね、突き詰めればこれぁ、相手を殺すってことなんですよ。分かりますか?

 その典型がイジメってやつ。イジメで自殺なんてニュースはもう珍しくありませんな。嫌な時代ですよ。
 イジメの自殺ってのは、これは自殺じゃない、他殺ですよ。明白な殺人なんです。
 イジメた方はね、たとえ無意識だろうと、これは相手を殺そうとしてるんですよ。無意識ってのは、自分で自分を騙してるんです。でないと耐えられないから。ありのままの、卑怯な、汚い自分と向き合えないんですな。
 他人とのコミュニケーションどころか、自分とのコミュニケーションすらはかれないんですよ、現代人ってやつは。
 わあっ!(突然カメラに向かって) んー、なんだぁ〜……。

 アタシたち人間が野生の動物だった頃は……いまでも野生の動物なんですがね、ホントは……生存競争、弱肉強食、優勝劣敗ってことは、もっと直接的でね、シンプルで、分かりやすかった。
 ところがいまはそうじゃないんだな。巧妙といいますか、複雑といいますか、陰湿といいますか、シャラクサイといいますか、んー……。遠回しにね、相手を不利に落として……ってのは、つまり殺すってことなんですよ。大袈裟に言えばね。
 アメリカ人とかね、連中がやってるのは、そんなことばっかりですよ。

 だからってね、殺したことを正当化しようってンじゃないですよ。殺された方が悪いなんて言うつもりはありませんよ。今度の事件は容姿ひとつの話でしょ? 悪気もなければ、イジメでもないんでしょう。
 こういうことを言うと、いちいち目くじら立てて、失言だなんだ、訂正しろどうしたって騒ぐ馬鹿がいるンだよ。そうじゃない。真意を汲み取れっていうんですよ、真意を。アタシの愛をね。んー……。

 ただね、口を開くときには覚悟をしろってことですよ。
 といったって、それじゃあ臆病になって大人しくしてろってことじゃぁない。世間ってのは優しくもあるし、恐いモンでもあるし、色々あるんだからと、そういう当たり前の知恵をね、大人が子供に教えてあげなくちゃいけない。
 殺されたあとじゃあ、文句も泣き言も言えないんですから。殺したあとでもね。
 子供は子供扱いしてろってことですよ。子供の人権がとか、馬鹿ぁ言っちゃいけない。ガキに人権なんかあるもんかってね。

 この事件に限らないけれども、不満溜め込んで人を殺すくらいなら、その前に援助交際でもなんでもして、発散しろって言いたいね。これ、アタシの最近得意の持論だ。
 例え話ですよ、これぁ。なにも本当に援交をやれというわけじゃない、やってもいいけどね。

 要するに退屈だってことですよ。退屈で、つまらないことで喧嘩して、退屈で、殺し殺され馬鹿を見る。ん〜……。
 だったらどうですか、その前に股開いて小遣い稼ぎでもしてればよかったんですよ。
 不謹慎ですか?」

 ――って、本人はどんなこと言うんでしょうか。
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