決勝当日のプログラムは、順調に消化されていた。
まずGP125の決勝が終了し、そして今、SS600の決勝が行われている。そのレースも終盤を迎え、場内アナウンスも白熱の度を増していた。
場内の歓声が増す中、次にレースを控えたGP250のエントラント達は、次第に沸き上がってくる緊張と興奮を押さえながら、パドック内のウェイティングエリアで静かに自らの出番を待っていた。
シンジもライバルと肩を揃え、その中にいた。
早くもシンジの周りには雑誌記者や、ファンの女の子達が鈴なりになっている。
当のシンジはといえば、輪の中心でインタビューにポツリポツリと答え、またファンから差し出される色紙にサインをする。彼の周りからは始終、人が途切れる事はなかった。
そんな彼の様子をアスカは、何歩も引いたところから眺めていた。
「ハーイ、すみませんが、そろそろここら辺で開放してやって下さい!」
「デビュー戦なもので、緊張してますから!」
シンジのコンセントレーションを心配したのか、ユミコは群衆の解散を促す。
「なに、碇くんでもやっぱり、緊張するの?」
最後まで粘っていた記者が問う。彼は、シンジを真っ先に雑誌記事にした男であった。
「まあ、そうですね……」
曖昧に答えるだけのシンジ。
「そう、それじゃ、決勝頑張ってね。期待してるよ」
そう言い残すとその記者は、次の取材対象を求めて雑踏に消えていった。
僕らは始まってもいない
第六話
紅の瞳
メインストレート上のスターティンググリッドで、シンジ、新谷、ユミコ、そしてアスカの四人は、スタート進行の時を待っていた。
『E PROJECT』とプリントされたカラフルな揃いのチームウエアに身を包み、アスカはシンジにパラソルを差し掛けている。
マシンは前後をスタンドで支えられ、宙に浮いたタイヤには、タイヤを暖めるためのタイヤウォーマーが巻かれていた。
暑い。
午後の二時を過ぎて、気温はますます上がっているようだ。ストレートの向こうには陽炎が揺らいでいる。
新谷は、最後のマシンセッティングを終えた。後はライダーに託すのみである。
「それではここで、スターティンググリッドの紹介を行います」
場内アナウンスの声が、賑わうスタンド上を流れていく。
「ポールポジションからのスタートです。ゼッケン一番、関口ヒデキ選手!」
「タイムは一分四十九秒〇〇八、コースレコードです」
アナウンスに手を振って答える関口選手。続いて二位の選手が紹介され、続いてシンジに注目が集まる。
「そして予選三番手、注目の選手です!」
「ゼッケン62番、碇シンジ選手!!」
「タイムは一分四十九秒〇一六!こちらもコースレコードです!」
「碇選手は何と、これが全日本デビュー戦です!」
「それではこの注目の碇選手に、一言聞いてみましょう」
「碇選手、今の気分はどうですか」
「……良く解りません」
ヘルメット越しの、ややくぐもったシンジの声が、場内に流れる。
その表情は、スモークシールドに隠されて伺う事が出来ない。
「それは緊張してるって事ですか?」
「……そうかもしれません」
単調に、シンジは答える。
「今日のレースの抱負を一言お願いします」
「……頑張ります」
「静かな中に闘志をみなぎらせる、碇選手のインタビューでした!!」
「ありがとうございました。それでは続きまして予選四番手……」
やがて、スタート三分前のボードを持ったレースクィーンが、笑顔を振り撒きながらグリッド上を歩いていく。
ピットクルー達は各マシンのタイヤに巻いたタイヤウォーマーを外し、エンジン始動の準備を始める。
各ライダーにつき一人のクルーを残して、ピットへと退去するピットクルー達。
スタート一分前のボードと同時に、エンジン始動のボードが提示された。
唯一人残ったピットクルーはマシンをスタンドより外し、押し掛けにてエンジンを始動させる。
突如として、グリッド上は割れるようなツーストロークサウンドの合唱に包まれた。
エンジンの始動を確認すると、唯一人残っていたピットクルーもピットへと急ぐ。
そしてグリッド上には、三十六台のマシンと三十六人のライダー、そして緊張と闘志だけが残された。
スタートライン上のオフィシャルが、グリーンの旗を振り下ろす。
一列ずつマシンがスタートを切り、一周のウォーミングアップランに出て行く。
九列のマシンが順にスタートし、再びグリッド上は暫しの間、静寂に包まれた。
約三分後、グリッド上に再び色鮮やかなマシン達が、大音響と共に帰ってきた。
三十六台目のマシンが、グリッドに着く。
最後尾のオフィシャルがグリーンフラッグを降り、準備完了の合図を出す。
スタートライン上のオフィシャルはレッドフラッグを高々と掲げ、そしてピットロードへ走っていく。
一際高くなるエンジン音。
レッドシグナルが点く。
数秒間、時は止まり。
レッドシグナルが、今、消灯する。
叫ぶようなマシンの排気音と共に、弾かれたように駆け出すマシンとライダー。
全日本ロードレース選手権第一戦がスタートした。
二十周先のチェッカーフラッグを目指し、三十六台のマシンが第一コーナーへ雪崩れ込んでいく。
*
レッドシグナルが点灯したその時。
碇シンジの脳裏には、蒼白の髪の少女の瞳が浮かんできた。
あの、透き通った紅い瞳が。
宙に浮かぶ、少女の最後の姿が。
コンマ数秒の事だったかもしれない。
しかしそれは、致命的な瞬間だった。
シグナル消灯のタイミングを僅かに逸したシンジのマシンを、後方のバイクが次々と抜いていく。
そして一コーナーに差し掛かる頃、彼は完全に集団に飲み込まれていた。
*
「やれやれ」
チーム監督の北原は、頭を掻きながら呟いた。
「完全に飲み込まれちゃいましたね」
「そうだな」
一コーナーへ消えたマシンを見届けた後、北原と新谷は互いに言う。
ユミコ、そしてアスカは、一コーナーを見詰めたまま無言だった。
「まあいいだろう。デビュー戦だ。全て勉強だ」
北原が皆を納得させるように言う。そして、彼はピット上のモニターに見入った。
「碇の奴も人の子だったってことかな」
自らに言い聞かせるように、新谷は呟く。
「シンジ君でも緊張してたのね、きっと」
新谷の隣でモニターを注視するユミコの声にも、溜息が混じる。
彼が一コーナーに入っていく頃、その前には二十台以上のマシンがいた。
スタート直後の一コーナーは正しく戦場である。たった一本のベストラインを奪うために、ライダーは闘志を剥き出しにする。
ガシャン!
カウルとカウルがぶつかり合う。数台が並走しながら、一コーナーを抜けてくる。
そんな中シンジは、インにひしめくマシンを尻目に、大外から一気に抜いていった。
明らかにコーナーリング速度が違う。
リヤタイヤが大きくスライドし、マシンの向きが変わる。通常は有り得ない走行ラインだが、シンジはそれをこなす。
縦横無尽にマシンを振り回すシンジ。
スタートから約二分後、メインストレートにマシンの咆哮と共にトップが帰ってきた。
トップは、ポールポジションからスタートのゼッケン一番、関口ヒデキ、チームHRC。その後方には、ゼッケン三番、永野マコト、チーム・スズキ。その後に五台のマシンがダンゴになって続く。
「いち、に、さん……」
「はち、きゅう、じゅう、十番手ね」
ユミコがシンジのポジションを確認して言った。
「意外に抜いてきたな」
「そうね」
一コーナーへ消えたシンジを見届けた後、新谷とユミコは顔を見合わせた。
そして気合いを入れ直すように、新谷は両手を打ち鳴らす。
「さて、これからだ」
「とりあえず、ラップタイムと残り周回だけ、(サイン)ボードに出しといてくれ」
「わかった」
「アスカちゃん、ボード、よろしくね」
「はい」
*
シンジに焦りはなかった。
いや、焦る理由が無かった。
何故自分が今ここで走っているのか、それさえ解らなかった。
ただ、流されるままに走った。
ただ、ただ、それだけだった。
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