A.D.2032
 空はもうすぐ夕方から夜と呼べるほど暗くなりかけている。そんな空の変化に益々あせりを感じた少女は、
気持ちもうひとつ走る力を加える。背中で暴れるランドセルを肩ひもで押さえつけ、乱れる黒髪も気にせず
とにかく走った。

「うー、やっぱ怒るよねー。」

いまさら後悔しているその少女は、苦い顔をしながらもなぜか楽しそうだった。
 今日は終業式だった。明日からは約1ヶ月の長期休暇に入る。セカンドインパクトの後1年中真夏になった
今となっても、旧態依然として7月の下旬頃から休みになる。出された宿題の山もまた同じだが、
毎日の勉強から開放されたのも手伝ってか、友達と夜遅くまで遊んでしまった。
自分のマンションについて急いでエレベータに駆け込む。エレベータの中で思い出したかのように背中を探るが、
ランドセルから突き出ている筒のようなものを見つけると、ほっとしたように探るのをやめた。
「あんまりおこられませんように。」
よほど親が怖いのか、手をあわせて何かに祈っている。
少女の名前は碇ユカ。元エヴァンゲリオンパイロット碇シンジと、惣流・アスカ・ラングレーの子供である。








family 〜前編〜








「ただいまー。」

ユカは玄関からリビングに向かうと、そこにママであるアスカを見つけた。

「ママ、あのね。」

「ユカ!」

ユカの言葉をさえぎる大きな声がアスカから爆発する。テーブルの向かいにいたシンジもユカ同様、顔がひきつる。

「学校が終わったらすぐ帰ってくるようにってママ言ってたわよね。」

ゆっくりと口を動かすアスカは、冷静をよそおっているように見せたが、体の震えがそれを否定している。

「ごめんなさい、つい友達と話し込んじゃって。」

ユカはあやまるしかない、とりあえず今回は自分に非があった。

「明日から休みだからって気を緩めないこと。試験に向けてこれからが本番なのよ。」

6年生のユカは来年中学だ。アスカは教育ママよろしく私立の中学にユカをいかせたいらしい。しかしユカは
もううんざりしていた。

「わかってるわよ。明日だって塾があるし、ちゃんとするわよ!」

「そんな気持ちじゃだめよ。門限に遅れたことはもうゆるしてあげるから今すぐ勉強!」

「えーっ、わたし走って帰ってきたばっかりだよ。」

「アスカ、今日ぐらいはいいんじゃない?」

シンジも見かねてユカを助けようとするが。

「シンジはだまってて!」

今でもシンジはアスカに頭が上がらない。

「とにかくユカ、あなたはあたしの子なんだから絶対に私立に行くの。あたしなんてあなたぐらいのころは
もう大学生だったんだから。」

「またその話。あたしはそこまで勉強なんかしたくないわ。」

「あたしはね、あなたのためを思っていってるの。」

「そんなこといって、ママは自分ができなかったことを私にさせようとしているだけでしょ。」

アスカはユカをキッとにらむ。

「ユカッ!そんなこというとママ本当に怒るわよ。」

「私はママの人形じゃない!!」

「!」

パンッ!

乾いた音が部屋に響く。たたかれたユカはうつむいたまま動かない。

「あんたなんか・・・産むんじゃなかったわ。」

一瞬信じられないような顔でアスカを見たユカだったが、すぐに顔をゆがませ、

「ママなんてだいっきらい!」

と叫ぶと自分の部屋にかけこんでいった。

「なんてこというんだアスカ!」

シンジもたまらずアスカをせめる。しかしアスカはシンジの非難も聞こえなかったようにユカの部屋のほうを
見た後、自分の寝室のほうに戻る。
1人残されたシンジはユカの部屋に向かった。部屋のドアはカギがかけられていて入れなかった。

「ユカ、あけなさい。」

ノックを繰り返しても中から反応が返ってこなかった。

「ユカ・・・パパ思うんだけど、アスカ、いやママがあんなこといっちゃったけど本気でじゃないと思うよ
・・・多分、だから、ユカはいい子だから、ママを許してやってよ。」

「パパもきらい!!どっかいってよ!」

シンジはそれ以上のことが言えず、すごすごと寝室に入ってしまった。









「アスカ、アスカ!ちょっと起きて。」

シンジはアスカの体を必死でゆらし起こしにかかっていた。

「んー?もうそんな時間〜?」

「ユカが家出してるんだよ。」

「・・・なんですって!」

アスカは一気に目がさめた。

「起きてリビングにいったときに手紙が置いてあって、それで部屋にいってみたらもういなくて・・・」

まだパニック状態にあるシンジを関係なしにアスカはユカの部屋に向かう。部屋に入るとたしかに
ユカはいない。

「ねえ、手紙は?」

「えっ?」

遅れて入ってきたシンジは少し気後れしている。

「置き手紙よ、リビングにあったんでしょ!」

「ああ、これが・・・ちょっ!」

シンジが手紙を見せると同時にアスカが奪い取る。


─────もうママのところには帰りません。
─────探さないでください。


家出のお決まりの文句だったが、整頓された部屋は家出がただの冗談ではないことを物語っていた。








 都心の中心部を1周する環状線にユカは乗っていた。大きめのスポーツバッグには入るだけの衣類と、
食べかけのチョコレートそして小遣いが少々。お世辞にも計画的なものとはいいがたいが、いまの彼女には
その選択しかなかった。いずれ戻らなければいけないのはユカにもわかっていたが、すぐに戻ってしまうのは
負けたような感じがしたし、戻りたくもなかった。家出をしたという少しばかりの罪悪感と、これからの
不安にユカはうつむいたままだった。しかし車掌が駅の名前を告げドアが開かれると思い出したかのように
電車からとびだす。別の路線に乗り換えるため路線図と、手にもっていた1枚のハガキを見くらべる。

─────引っ越しました。

 ハガキの中央に小さく書かれていた。1年くらい前に届いたそのハガキは家のリビングの引き出しに
入れてあったものだ。パパとママの共通の友達みたいだが、話にのぼったことがないように思う。
それでもこのハガキが来た時にはそれなりに懐かしんでいたようだった。
 今のユカにとってこのハガキが唯一の望みだった。友達の家は話にならないし、かといって親戚
らしい親戚もいなかった。このハガキの相手でさえさだかではなかったが。さいわい近くもなく、遠くもない。
小学6年生でもなんとかいける距離に住んでいた。
 その差出人の名前は、綾波レイ。








「どうせすぐに帰ってくるわよ。」

アスカはリビングにある棚の引出しから財布を取り出し、中身を確かめる。

「どうしてそんなこと言えるのさ。」

シンジは置き手紙をもったまま、落ち着きがない。

「財布からは取ってないみたいだし、となると部屋になかった貯金箱と小遣いね、友達の家に上がりこむのが
精一杯よ。」

「でもこんなこと初めてだ・・・。」

一瞬沈黙が走る。

「あとはあたしがやっとくから、シンジは仕事にいきなさいよ。」

「う、うん。ユカが帰ってきたら電話してよ。」

シンジが身支度を済ませドアから仕事に出かけた。
アスカはいらだちを抑えきれないようだった。

「何度あたしに迷惑をかけたら気がすむのかしらあの子は。」

そう言いながら、部屋を行ったり来たりしていたが、電話の前に立つとため息をつく。

「しょうがないのかなー。」

それでも受話器をとり番号をプッシュしていく。しかし途中で受話器を降ろしてまった。

「なんか母親失格みたいでいやだわ。」








ユカはドアの前で立ち尽くしていた。
綾波の家は区画整理された時にできた新築のマンション郡の1つで、下には公園もあり、
子供たちが遊びまわっている。小学生が1人マンションをさまよっている姿は、
一昔前なら周りが不信におもい声をかけられたかもしれないが、マンションにありがちな
隣の人の名前も知らない希薄さが。ユカを簡単に綾波の家まで導いた。
 ユカの所持金はもう帰りの電車賃でぎりぎりだった。突発的とはいえ自分の無計画さが悔やまれる。
ママの財布からいくらかもっていけばよかったとも思ったが、1人でホテルに泊まる勇気もなかった。
つまるところ、ここしかなかったのである。
おそるおそるベルを鳴らしてみる。中でチャイムが鳴ったのがわかる。しかしなにも反応がなかった。
出かけているのだろうか。いくら学校が休みとはいえ平日の昼間、大人には関係がない。そう思うと自分のやった
行動がいまさらながら無謀に思えてきた。やはり帰ったほうがいいのか。でもママにあやまるのも
くやしかった。そんなことを考えていると、目の前のドアが開いた。
はっと、ユカは目の前に立っている女性を見上げた。
 写真で1度見たことのある人だったが、実際にあうと本当にいたんだとおもってしまう。
やせ型でママとはまた違う白い肌の女性、ママと同じ年だそうだが少し若く見える。

「誰?」

見とれていたユカがはっと我に返る。

「あ・・・あの・わたし・・碇ユカといいます。・・・えと・・あの」

ユカは少し混乱していた。なんと言えばいいのかわからなくて、しどろもどろになる。

「おもいだした。」

「えっ?」

「碇君のお子さんね。」

「は、はい!」

どうやら自分のことを知っているようなので少し安心した。

「で、どうしたの?」

「そ、そのー・・・。」

ユカは言い出せなかった。家出してここに来ましたではどう考えても迷惑だ。ユカは何もいうことができず
ずっとしたを向いたままになってしまった。

「すごい汗ね、暑いから中に入ったら?」

「・・・い、いいんですか?」

「ええ、どうぞ。」

導かれるままにユカは部屋に入っていった。
汗を流すため、ユカはシャワーを借りた。
シャワーをあびながら、ユカは考えていた。悪い人ではなさそうだがなんか近寄りがたい人だなと思った。
部屋を見たときも妙に生活観のなさに自分の家とのギャップを感じていた。
そんなことを考えながらシャワーから出ると、目の前に綾波が立っていた。
あまりの突然にびっくりするユカ。

「・・・なんですか?」

「はい、バスタオル。」

綾波がバスタオルをユカに差し出していた。

「あっ、ありがとう、おばさん。」

バスタオルを取ろうとしたユカの手が空を切る。

「おねえさんでいいから。」

何のことかわからなかったユカだったが、綾波からのオーラにびびった。

「は、はいっ!おねえさん・・・。」

「いい子ね。」

渡されるバスタオルをとったときユカはびくっとなる。綾波は気づかなかったように出て行った。
ユカはバスタオルを持った手を呆然と見ていた。

「手・・・冷たかった。」








「そう、そんなこと言われたの。」

「そーなの、ママは鬼ね。」

朝からなにも食べていなかったユカは出された冷麺に喰らいついている。
綾波もゆっくりすすりながら。ユカの食べっぷりを見ていた。

「おいしい?」

「うん、最高!」

本当においしかった。どうやら綾波はめん類にこだわりを持っているらしい。

「よかったわ、元気になって。」

「あ・・・いきなり来ちゃってすみませんでした。」

ユカはいきなり恐縮するとあらためて綾波にあやまった。

「いいのよ、ゆっくりしていけばいいわ。」

そういうと綾波はそっとユカの頭をなでる。

「あっ・・。」

ユカは突然のことに驚いたが、触れた手が妙に気持ちよく、顔がすこし赤くなる。

「なんなら、ずっとここにいる?」

「えっ・・・あ・・いや。」

ユカは複雑な表情を見せた。

「冗談よ。」

そういいながら、またユカの頭をなでた。その手にすこし甘えながらユカがそっとつぶやいた。

「いいよ、ずっとここにいる。」








 綾波がシャワーからあがるとユカはもう眠っていた。まだ遅い時間ではなかったが、遠出した
疲れが出たのだろう、自分でタオルケットをかけて寝ている。綾波は着替えをすませるとそっと
ユカに近づきその寝顔をじっと見る。前髪がまぶたにかかっているのをそっと指で払ってやると。

「ん・・・ママ・・・。」

ユカの寝言に思わずはっとなり手を引っ込める綾波。少し考えると、めくれたタオルケットを
そっとなおして、電話のあるほうに向かっていった。








「ただいま。」

シンジは足早に家に入る。リビングに向かうとアスカがぼうっと一点を見つめている。

「アスカ?」

「あっ、おかえり。」

シンジの声にようやく気づくアスカ。

「ユカは?」

「まだ帰ってきてないわ。」

「心当たりのところ電話してみた?」

「・・・してないわ。」

おもわず目をそらしたアスカ。

「どうして?」

「だって、そんな時ってむこうから電話くるわよ。」

「そういう問題じゃないだろ!」

「いやなのよ、まわりに騒がれるのが。」

「心配じゃないのかよ、ユカのことが。」

「・・・・。」

そういわれたアスカだが、何も返さずにそっぽを向くだけだった。

RRRRRRR!

家の電話がとつぜん鳴った。
はっとその方向を向き、そして顔を合わせる二人だが、アスカはすぐに目線をそらす。
仕方なくシンジが電話にでる。

「もしもし、碇ですけど・・・綾波?・・・えっ、ユカがそっちにいるって?」

その言葉にアスカが立ち上がると、シンジから受話器を取り上げた。

「ちょっと、なんであんたのところにユカがいるのよ!」

「・・・しらないわ。家出したから泊めてくれって。」

綾波はいきなりアスカの声に変わったのにも動揺せずに、たんたんと話す。
アスカは、ますますいらだちがつのる。

「ユカをかえしなさいよ。」

「・・・・だめ。」

「どうして!」

「あなたのところに帰りたくないそうよ。」

「・・・・・・。」

「母親失格ね。」

「うるさい!子供のいないあんたにはわからないわよ。」

「でも、いらない子供なんでしょ。」

「!!」

綾波のいいはなった言葉に、体に衝撃がはしる。

「傷つくわよね・・・・。」

普通にしゃべる綾波だが、アスカには冷たく責められているように感じる。

「・・・ユカにかわってよ。」

「もう寝てるわ、とにかくユカちゃんは私のところにいるから心配しなくていいわ、それじゃ。」

「ちょっと、まちなさいよ!」

しかし、願いむなしく電話が切られる。

「もしもしっ、もしもしっ?」

受話器に叫ぶアスカだったが、もう通じないとわかるとあきらめて受話器を置いた。

「綾波は、なんて?ユカは?」

シンジがアスカに聞く。

「・・・ユカが帰りたくないって。」

「ええっ!?・・・やっぱり、あのことが・・・。」

そういったシンジの胸ぐらをアスカがつかむ。

「ア、アスカ?」

「あたしは、ユカのためを思ってしてるの!あの子が大人になって苦しまないように、
ユカも後になってわかるわ、だからいまは厳しくしないといけないの。」

アスカは思いのたけをシンジにぶつける。もちろんシンジはそんなアスカの気持ちはすでに知っているが。

「・・・でも、わからなくなってきた。」

アスカが力なくへたり込む。つられてシンジもその場に座った。

「あたしのやってることって、ユカのためになってるのかなあ・・・」

アスカは泣いているようだった。その顔を見られたくないのか、シンジの胸に顔をうずめ隠している。

「あした、いっしょに綾波のところいこうか。」

シンジはそう言って、精一杯のやさしさで、アスカの背中をそっとつつんでやる。

「・・・いけない。」

もう泣き声になっていたアスカの言葉は意外だった。

「どうして?」

「・・・こわいのよ、あの子に本当に嫌いって言われたらどうしていいかわからないもの。」

「・・・・・・。」

「あたし、なんてこと言ったんだろう・・・。」

シンジもどうすればいいかわからなくなっていた。アスカへの慰めの言葉もおもいつかない。

ただアスカのふるえる体を抱きしめるだけで、いつのまにか、シンジも泣いていた。




(つづく)