1999年の春、異変は起きた。
その仕掛人は、フォードからマツダへ派遣された
デザイン・開発担当の常務取締役、
マーティン・R・リーチ氏。
3月のジュネーブ・ショー会場でプレスに配られた
彼の名刺に書かれていたのがこのコトバ。
We
have a surprise for you
in Tokyo.
そして、その名刺にはREとともに
一台のスポーツカーのシルエットが描かれていた。
…「進化は、頂点に」…
1998年の12月、
登場から7年目にして、3代目RX−7は
ついに極限までその運動性能を昇華させた。
1999年というその年は、
その衝撃的な速さで自動車雑誌の巻頭を華々しく飾る
新型RX−7の記事で幕が開いたといっても過言ではない。
ここに頂点を極めたRX−7。
ならば、次の展開が気になるところ。
その一つのヒントが
秋の東京モーターショーで明らかになるという。
まさに、絶妙の演出だった。
私はどうしてもこの目で確かめたくなった。
もちろん、待ちに待った新しいREマシンだ。
その鼓動、その刺激を生で感じ、
この目に晴れ姿をしっかりと焼き付けたい。
しかし、それ以上に、
新世代REを搭載したMAZDAの魂が
世界の自動車ファンにどのように迎えられるのか、
それをこの肌で感じ取りたかった。
卒業と共に東京を離れ早6年が過ぎ、
モーターショーの華やかな世界と隔離されていた私を
遠路遥々、再びかの地に向かわせたのは、
この「RX−EVOLV」以外の何物でもなかった。
果たして、反響は素晴らしいものだった。
とある雑誌媒体によれば、
全ての出展車の中での人気No.1さえ獲得したという。
事実、会場ではまさに注目の的であった。
スポーツカー勢にとっては20世紀最後となる
今回の’99東京モーターショー。
世界のライバルがひしめくその中にあって、
このRX−EVOLVは
ひときわ異彩を放ち続ける孤高の存在だった。
私は、こう感じずにはいられなかった。
このRX−EVOLVの出展をもって、
ここ数年REを取り巻いた悪いウワサを
ようやくMAZDA自らの手によって
力強く振り払ってくれたのだと。
やっとMAZDAが帰って来てくれた。
彼らのかけがえのない財産とともに。
私にとっては、
その事実こそがすべてであった。
−第6話 おわり−