私とロータリー

ー第5話ー

そして再び、灯はともる



時は1998年春、
衝動的にRX−7を手にしてからはや1年が経過した。
いまだに明るい話題は聞こえて来ない…
しかし、自分なりに一生懸命、
大好きなREをアピールしてきたつもりだ。


REの速さにもっと気付いてもらいたくて
サーキット走行会に出没し続けた。
MINE、TI、オートポリス、鈴鹿…
きわめて地道な行動だけど、そこでは
参加者とのコミュニケーションを欠かさなかった。

このクルマを通して出来た沢山の仲間達と
ことある毎にREについて語り合った。
…もちろん、良い面も悪い面も。そして、
その将来について真剣に討議したものだ。

何度か雑誌に投稿したりもした。
REやRX−7に関するイベントにも顔を出した。
MAZDA宛に手紙もしたためた。

思えば、のちにインターネットの世界に入ったのも、
このHP(このページ)を創るためだったような気がする…




REの存続に対しては
決して後悔を残さないように

自分でやれそうなことは精一杯やってきた。
迷ったら、必ず行動する方を選んできた。

振り返れば、全力投球の陰で犠牲にしたものもある。
遊び、仕事、お金、そして人間…。
でもいい、すべて必要経費と割り切ろう。
少なくとも、「打ち込むことを躊躇した」自分よりは
遥かにマシな自分がそこにはあるだろうから。






それは1998年の3月のある朝の出来事だった。
いつも通りに会社に出勤して
職場の自販機でコーヒーを買っていた私の背後で
突然、先輩の声がした。

「おい、良かったなぁ!」

私は何のことやら全く判らずキョトンとした。
どうやら、今朝の新聞の見出しのことらしい…


朝刊を、マンション出口の郵便受けから
直接カバンに詰め込んで出掛ける私が
まだその記事を知るはずもなかった。
まして、混雑した電車の中で
堂々と新聞を読むほどのオヤジでもないし(笑)


一体何のことだろう???…とにかく
急いで席に戻ってカバンを開いた。


…おおっ!











地元広島の中国新聞が、3月11日付の朝刊で
TOP掲載したのがこのBIGな記事だった!

マツダからの正式なリリースではないものの、
長年の沈黙を破るように知れ渡ったこのNEWS。
それは、ここ数年無神経に流れ続けた
ロータリーエンジンに関する暗い憶測を
一気に覆すくらいの強い衝撃を運んでくれた。


1996年4月、マツダのFORD傘下入り発表。
その後の急ピッチな再建計画とともに、
容赦なく切り捨てられていく不採算部門が
幾度となくセンチメンタルに報道され
REを憂う心はひたすら深く沈んでいた…


その心も、2年という長い歳月を経て、
ようやく元の位置まで浮上してこれたのだ。

「…やっと、やっとエンジンに火が入った!」

そう思える、特別な一日だった。





これでハッピーエンド?とんでもない!
ようやくスタートラインに立てただけに過ぎない。

これからのMAZDAには、
多くのロータリーファンの心意気を感じて、
魅力溢れるクルマ創りに邁進してもらわねばならない。

そう、もはや誰も異論を挟めないような
素晴らしいRE車をこの世に問うて欲しい!





でも、ここまで来れたという大きな喜びは、
決して忘れることのないように
そっとしまっておこう…


−第5話 おわり−