次の文章は、明治大学法学部村上一博助教授が書かれた文章です。ビザをめぐる混乱劇を、見事に活写しておられるので、同氏に転載をお願いしましたところ、ご快諾いただきました。記して感謝申し上げます。文中、D大学U教授とは、私のことでようです。なお、文中では、触れられておりませんが、受入保証書(「県庁の捺印」入り)という場合、居住予定地の県庁の捺印でないといけないという情報もあります。一般的な情報は、Fondation nationale Alfred Kastler de l'Academie des Sciences (http://www.cnrs.fr/fnak/)のGuide pour l'accueil des chercheurs etrangers en Franceの欄を参照してください。英語版もあります。

パリ通信 (その1)              『法史学研究会会報』第5号(2000年)
村上一博

 この3月末から、在外研究のため、パリに来ています。入国してからの、アパート捜しや契約書の授受、銀行口座の開設(カルトブルー・小切手帳の入手)、電気・電話の設置手続、滞在許可証の申請などなど、どれ一つスムーズに事が運んだ例はなく、まさに悪戦苦闘の連続でした。語学の問題はもちろんですが、どうも仏人のマンタリテや杜会システムに原因があるように思えてなりません。今日となっては、「笑い話」(どれも死活間題でその時は深刻に悩みました)もたくさんありますが、これらの話は別の機会に譲り、ここでは、日本出国前に、研究者ビザの発行をめぐって在日仏総領事館の手続きが何度も変更された経緯について、記してみたいと思います。さて、在外研究の目的地をパリに決めた私は、昨(1998)年の4月頃、三阪佳弘氏(龍谷大)や岩谷十郎氏(慶応大)から諸情報を提供してもらうとともに、南麻布の仏総領事館を訪ね、研究者査証(Visa pour le. Chercheurs)を申請するのに必要な書類の一覧表を入手しました。この時の書面A(1993・04・01の発行日付)は、まず研究者の定義について、仏の公的な教育・研究機関に招璃され、研究期間が3ヶ月を越える「研究者もしくは大学教員」であって、「招聘元との間に如何なる従属関係も持たないものとし、又一切の報酬も受けない(フランスの研究機関から報酬を受ける場合は、労働査証が必要となり、別の手続きを踏む事になる)」と定め、申請の必要書類としては、・日本の大学及び研究所からの保証書・フランス滞在中に支払われる給与の具体的な金額が明記されているもの(オリジナル1・コピー2)、・研究を行う公的機関からの招聘状(オリジナル1・コピー2)、・招聘元のフランスの機関からの受入保証書[責任者のサイン及びこの機関の印鑑があるもの](オリジナル1・コピー3)などが列挙されていました(もっとも、奇妙なことに、この書面と在大阪総領事館で発行された書面とを比べると、東京では海外傷害保険の加入誓約書でよいのに対して、大阪で加入証明書が必要とされているなど、全般的に大阪の方が詳細に規定されていて、東京と大阪とで、ビザ発行事務の取扱に違いのあったことがわかります)。ところが、昨年10月に、・・を入手してのち、再び領事館を訪れると(訪館の直接の目的は・の書類に有効期限がない点を確認することでした)、制度が変更になった旨伝えられ、新しい仏文の書面B(1998・06・29の発行日付)を手渡されました(当時まだ翻訳ができていないとの理由)。これによると、5月11日付で研究者用滞在許可証(une carte de s史our scientifique)に関する法律が改正されて、仏滞在中の資金(給与・奨学金・自費など)は日仏どちらからでもよいことになり、また必要書類としては、・・はもはや不要となり、・だけが重視されるようになっています。・の箇所の原文は次の通りです。
です。l'origina1 d'un protoco1 d'a・ueil etabli selon 1e modele joint en annexe,signe par 1e responsable de 1'organisme d'a・ueil, etabli sur son papier a en tete et portant son cachet officie1(1 original et trois copies).
[試訳]受人保証書の原本(当館に傭え付けの書式によること)〜受人機関の青任者のサイン、およびその公印が捺してあるもの。
せっかく準備した・・が不要となったのは残念でしたが、受人保証書の要件に以前と異なる点は見られなかったので、窓口の女性担当者にもその点念を押して引き上げました
 年未には、受人保証書も仏から返送されてきて(サインと公印あり)、あとはビザ申請をまっぱかりとなりましたが、申請は、招璃開始目(4月11目)の3ヶ月前からと聞いていましたので、2月初句に領事館を訪れました。窓口の女性担当者は、私の準備してきた書類を点検して問題なしとしたうえ、次のような助言をしてくれました。ビザは発行後3ヶ月しか有効でなく、その間に仏で滞在許可を取る必要があるのだが、この時期(2月初旬)にビザが発行されると、仏に入国(3月末の予定)して1ヶ月しか余裕がないから、ビザ申請をもう少し遅らせた方がよいのではないかと。私は、このアドバイスに従って、1ヶ月後の3月3目に、前の書類をそのまま携えて領事館に出かけました。ところが、書類を点検した窓口の女性担当者(以前とは別人)は、受入保証書を見るや否や、「警察署の印がないので受理できない」と言うではありませんか。この時、彼女が、私に示した日本語の書面(C;発行目付なし)をみると、・が復活しているうえ(ただし具体的な金額の記載は不要)、・の受入保証書について次のように記されていました。
 プロトコール・ダキュイ(PROTOCOLE D'ACCUE工L)オリジナル1部
 フランス側から出 される保証書(当館の用紙を使用のこと)
 これにフランスの受入れ機関のサインと捺印、及び県庁の捺印が必要
 私は、この書面の発行月目を質し(今年1月中旬のようですが、ハッキリしません)、これまでの経緯を懸命に説明し、出発の日程(3月28目、すでに航空券・ホテルその他の手配済み)が迫っているから、「県庁の捺印」(原文ではPr伺ecture de Policeのようですから警察署です)がなくても何とかビザを発行してほしいと、窓口で押し問答になりましたが、結局埒があかず、仏の受入機関にこの旨を打診してみることで、その場を引き上げました。自宅に帰ってすぐに、仏に、領事館での顛末を説明し、受入保証書(「県庁の捺印」入り)を再発行してくれるよう懇願したファックスを送りました。同日中に、受入れてくれた教授から返信が来ました。貴殿からのファックスの趣旨、制度変更云々の話は了解したけれど、この間題は自分個人の権限を越えており、上層部に相談すると。この日から朝に晩に、この春に私と同じく仏に出かける予定の他大学の知人にあちこち電話し、情報の収集に努めましたが、誰とも連絡がつきません。ようやく、5日の夜に、D大学のU教授(仏革命政治史が専門)を掴えることができました。実は、U教授もまた「県庁の捺印」がないとの理由でビザ申請を拒絶され、受入先のパリ大学にこの旨打診したものの、制度変更について何も聞いていないということで、もはや「県庁の捺印」を貰える見込みがなくなったとの由。ただ、U教授は、この旨を総領事館に電話で訴えたところ、「県庁の捺印」がなくても、領事館(Or担当官)の裁量(Or適正な運用?)で事情によってはビザを発行する可能性があるという返事を引き出したと言うのです。それでは、翌週早々(8日)に、領事館に私もお供して、一緒に交渉しようということになりました。当目は、かなり意気込んで出かけたのですが、案に相違して、窓口はすんなり受理してくれました。受入機関によっては、「県庁の捺印」がなくても例外的にビザ申請を受理するとの趣旨で、私の場合(杜会科学高等研究院現代日本研究センター)は問題ないだろうということでした。U教授の場合も同様の対応でした。僅か5日間ほどで、総領事館の敢扱方針が変更されたというわけです。しかも、この変更は公表されたわけではありませんから、私の場合、もしU教授から情報が入らなければ、万事窮していたことになります。もっとも、この3日後には、パリ警視庁の捺印入りの受入保証書が送られてきましたが(杜会科学高等研究院が、実に迅速に対処してくれたことに感謝します)。ともかく、こういう顛末をへて、研究者ビザ(3月18日付)が無事発行され、28目に仏に入国できたという次第です。度重なる唐突な制度変更と、機関(地域)ごとの対応(十裁量)のズレ、それに加えて担当者の個人的な資質の違い、これらが複雑に絡合いながら実務が展開されていく、それがフランスという国の行政の実態のようです。出国前によい経験をしたと言いたいところですが、入国後も、この種の勉強が続いているというわけです(最近は、多少は慣れてきましたけれど…)。

戻る