象気功

仙骨凝縮メソッド
裏丹田覚醒の法



丹田を触感として捉える方法・臍下丹田凝縮15


さて、古来より先達が喝破した通り、不動の人格あるいは性格を構築するには腹あるいは肚である。

脳ではないのである。

しかし、現代社会では脳を使うことが多大で、とにかく脳に氣が集まって、どっしりとした判断能力どころか、何が正しい判断なのかさえ皆目わからずに右往左往しているわけである。


いわば常にテンパった状態が続いているわけである。

氣が脳に集まってしまっているからである。

氣は血を運ぶの例え通り、氣は血液であり、氣道は血管であるといってもある意味よろしいわけである。


もちろん「ある意味」であって、氣が血液あるいは血管だけに作用するわけではなく、神経組織からさらには細胞段階のあれこれすべてに作用するのは言うまでもないことである。

まあ、とにかく、あれこれの事情で脳に集まった氣を脳からひっぺがす方法が臍下丹田凝縮である。


脳から離れた部位に入れ物を作って、氣のバランスを整えるということである。

脳から一番離れた部位は足の裏あるいは足の指先あるいは手のひらあるいは手の指先であるが、そこに大きな入れ物は作りにくいのである。


血管の量の問題である。

もっと言うと、毛細血管の量である。

ある意味、血管イコール氣道であるからである。

人体で血管の量がもっとも多いのは6メートル前後もあり毛細血管の張り巡らされた小腸である。

いえい。


その膨大な量の氣道でもある毛細血管を充実して脳に集中した氣を引っぺがそうということである。

もちろん、前回も言った通り、生来脳よりも筋肉にエネルギーが集中するあっぱらぱーの皆さんには関係のない話であるので、そのまま元気に低知能の人生を横臥していただきたい。

これこれ、よしなさい。


まあ、それで、丹田凝縮により大なり小なり臍下丹田ができても実際にはなかなか実感しにくいものである。

丹田凝縮でできた丹田に意識を置けと言っても、氣がわからないものにはどこが丹田やら実にあやふやで、意識の置きようもないわけである。


小腸の部位だといっても、その小腸を感覚あるいは実感として捉えるのはさらに容易ではないのである。

解剖図あるいは写真で調べて、ああ、このあたりだなと理解してもそれは感覚とは程遠く、イメージであれこれするのみである。


まあ、これまで何度も解説してる通り、イメージであれこれしてもやっらないよりマシの効果はあるわけであるが、はっきりと感覚としてとらえることでさらなる丹田拡充あるいは丹田充実あるいは丹田凝縮の効果が向上されるのは論を俟たないことである。

なにしろ論を俟たないのである。


もういいだろ、さっさと先に行け。

はいはい。

誰に言ってるの?

しらんがな。

バカなの?

バカで~す。


臍下に手のひらを当てることである。

いきなりかよ。

この場合の「当てる」は、触れる、くっつける、あてがう、てな意味合いである。

「なんだそんなことか」と思うパ~の人も多々おられる思うが、氣が分からないものにとっての臍下丹田構築ということにおいては意外や意外の効果である。


これは手から氣を送るとかいうことではなく、その部位を触感による実感として感覚を得るということである。

感覚を得るのは手のひらではなく丹田の部位の方である。

手のひらをその部位に当てると、触感により部位を実感としてあるいは感覚としてとらえることができるのである。


再度申し上げるが、これは氣が分からないものとっては、実に有用であり、実用である。

もちろん氣が分かるものあるいは氣が出るものはさらに活性化も含めて丹田を感覚あるいは実感として確実に捉えることができるわけである。


その触感による感覚はしばらくすると薄れて行くので、薄れたら再度手を当て、それを繰り返し継続することで丹田はさらに充実あるいは拡充されるのである。

まあ、人前で臍の下をあれこれしているとあらぬ疑いをかけられて通報されないのとも限らないので、できれば隠れて密かに行うことが必要であるが、飽きてしまってくだらんことを書き始めてるということは自分で実感しているのである。

この「手のひらを当てる」ということも、仙骨凝縮の準備運動のひとつである。

続く。

いえい。

やめろ。

はい。
(2022/03/02)

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