象気功

仙骨凝縮メソッド
裏丹田覚醒の法



頭を空っぽにする方法・臍下丹田凝縮11


前回も解説したように、人間は健康と心の安定をもとめて、つまり心身のよりよい向上を目的に座禅だの瞑想だのメディテーションだのヨーガだの滝行だの修験道だの武道だの神道だの仏教だのの修行という名の暇つぶしに励んできたわけである。

人間の脳機能自体はここ数千年はほとんど進化しておらず、数千年前からすでにあれこれのストレスや思い悩むことで心身の健康が損なわれることに気が付いた人がいたわけである。


心の安定が健康に大きな要素であることに気が付いた先達の皆さんが、心を安定させるにはどうしたいいだろうかとあれこれ試行錯誤実験の結果、「頭を空っぽにする」ということに思い至ったわけである。

まあ、現在では脳科学あるいは脳神経科学などの進捗で、大脳辺縁系のあれこれが精神状態の構築に大きくかかわっているということがわかるわけであるが、なにしろ科学も医学もない数千年前のことであるから、うちの釈迦らを含めたマニア暇人のいわゆる経験あるいは体験あるいは実験による思い付きであるわけである。

その体験あるいは実験から頭を空っぽにする方法として流布されたのが瞑想メディテーション座禅てな方法であり、さらに滝行、水垢離、千日回峰、修験道、あるいは痛み苦しみをともなう苦行という方法などで、思い悩みストレスから解放されて心身の健康を取り戻そうという方法があれこれ考案されたわけである。


まあ、心の問題だけに、これが元来宗教に発祥の源があるので、いつのころからか、悟りだの解脱だの昇華だの浄化だのステージだのと、とんちんかんな方向行って、光の世界だの神に近づくだのバカバカしいことに血道を上げて、しまいにはとちくるって反社会的あるいは非人道的な行動に走って自分の一生も他人の一生も台無しにする皆さんが世界中に多々おられるわけである。

そんなことはまあいいとして、いいのかよ、よかねーだろ。

あたしゃアホにまで責任もてんがな。


まあ、話を戻して、とにかく脳を使い過ぎて心身がおかしくなっているわけであるから、脳をお休みさせる方法があれこれの修行という名のメソッドであったわけである。

ところがこれがたとえば瞑想座禅てなもんはなにもせずに日がな一日座って暇つぶしをするわけであるので、脳を休ませるはずのものが逆にあれこれ考えて、しまいにはうちの釈迦が「縁起」てなことにはたと思い至って、この世はすべてつながっておりなるようにしかならんからすべきことをしてりゃいいということを言い出したわけである。

これを「因果応報」とでたらめな解釈をたれるバカもいるが、まったく違う概念である。


まあ、そのすべきことがわかれば世話はないわけであるが、ううう、どーでもいいことに尺を取り過ぎて本題がいつ始まるのかあたしにもわからん。

なにしろ象気功は神のお告げという名の口から出まかせであるので、何を言い出すのかあたしにもわからんし、どちらの方向に行くのかあたしにも見当がつかないのである。

まあ、とにかく心の安定を求めてあれこれの暇つぶしをする時間のない現代人のために、その根幹である氣道のメカニズムを利用して、直接氣道を操作して精神状態のありようを変える方法を解説しているわけである。


さて、臍下丹田の周囲の氣道を圧縮して凝縮し、上部を締めて氣道に圧力を欠けて丹田を拡充したわけである。

上部を締めるということは、常に脳に向かって拡散しようという氣の性質をとどめるということも大きな要素である。

ううむ、要素は違うか、まあいい、とにかく上部を締めて氣をそこに閉じ込めるわけである。

さてその先は次回である。

こらこら。

これ推敲して書き直すの大変だな。

続く。
(2022/02/07)

Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact