象気功


仙骨凝縮メソッド
裏丹田覚醒の法



氣道のメカニズム・臍下丹田凝縮10


いつも解説しているように氣道というものは生まれついての、あるいは環境により幼少期に培われた状態を頑固に維持しようという性質が非常に強いのである。

当たり前である。

人間の性格がころころ簡単に変わってはこの世は成り立たないのである。


知能、体力、才能がそれぞれ違うように性格も違い、豪放磊落でものごとを気にしない雑な人間もいれば、小心臆病で細心の注意でものごとに慎重な人間いれば、その中間の人間もいるわけである。

それが微妙にかかわりあってこの世がうまく機能しているわけである。

それが個々の望むように簡単にころころ変わっては社会が大混乱になるのである。


だから氣道の状態は簡単には変えられないようにできているのである。

この世が面白くなるように、神という名の誰かのプログラミングは実に巧妙にできているのである。

それを変えるには、環境を激変させるか、あれこれの修行を長期間に行うという方法しかないわけである。

日々継続する修行というのはいわば緩やかな環境の変化である。


その修行のひとつである座禅あるいは瞑想あるいはメディテーションあるいはマインドフルネスてな方法も、脳の辺縁系を操作して落ち着いた精神状態を醸成しようというメソッドである。

ところがこれは一時的にはストレスがなくなって落ち着いたように感じるが、一夜明ければもとのもくあみで、常時その状態にするためには何年何十年という長い期間継続しなければ効果がないわけである。


これはヨーガ、仏教、神道、武道などの修行も同様である。

それは精神状態を形成している大きな要素のひとつである「氣道のメカニズム」を知らない、あるいは分かっていないからである。

「氣道のメカニズム」とは、氣道の状態が精神状態に直結して影響を与えるということである。

たとえば、丹田に意識をおけば、辺縁系の状態がどうあれ、あるいは個々の精神状態がどうあれ、「やらないよりマシ」の範囲内でひとまず落ち着くわけである。


しかし、それを継続するのは非常に困難で、意識が丹田から他に移れば即座にもとの不安定な精神状態に戻るのである。

それを常にどっしりとした判断力のある精神状態にするために、古来より座禅、瞑想、メディテーションや神道や仏教をはじめとした宗教の修行、武道のあれこれの修行、修験道などの修行てなものを考案して、いい大人がそんなことしてる暇があったら働きゃいいのに働きもせず、暇つぶしを楽しんでるわけである。

ちがうだろ。

続く。
(2021/12/29)

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