象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「りゃ・リャ」


まだまだ続くコトタマの反応部位は「りゃ・リャ」の解説である。

いやはや、「じょ・ジョ」の回に「これでコトタマの反応部位は大団円である」てなことを書いたのであるが、掲示板で読者から”「りゃ・りゅ・りょ」はどこにあるのか?”という指摘に、あーらびっくりありゃりゃのりゃーである。


ううう、こんな情けないフレーズしか思いつかない。

「貧すれば鈍する」ということわざがあるが、あたしの場合「富すれば鈍する」と言い換えた方がいいのである。

ゼニが無ければ必死で稼ごうとあれこれ脳を働かせるのは当然であるから、それがたとえ悪事であろうが脳はフル回転で、実に脳のためにはよろしいわけである。


ところが、あたしのように象気功金運チャクラ覚醒講座の威力をまともに受けた東証おばくちで小金持ちになって、何もしないでへらへらしてても食うに困らないてなことになると、やる気もなんにも起きなくなるのである。

当たり前である。


例えば動物は自然界にいてこそ食料を確保するために能力全開で精悍な野生の能力を否応なく発揮するのであるが、動物園で食っちゃ寝食っちゃ寝が保証されたら、ぐだぐだと終日怠けるだけの情けないたるんだ生き物に成り果てるのである。


もちろんあたしがその典型である。

お前は動物かよ。

人間は動物である。

てなことで、神の気まぐれな采配で死ぬまで食っちゃ寝食っちゃ寝が保証されてしまったために情けない生き物に成り果てた象師匠が緩みきった脳神経組織に鞭打ってコトタマの反応部位を再開するわけである。


さてさてどうなることやら「りゃ・リャ」の反応部位は肛門と生殖器の間の会陰の少し前の周囲である。

うそだと思ったら、「りゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃのりゃーっ」と10秒間連呼してみれば、そうとう氣に未熟で鈍感な素人でも、氣がぐぐいのぐいぐいと下半身に降りて行くのがわかるのである。


え?わからない?

もちろんわからないものは放っといてどんどん先に行くのである。

限りなく無責任な象気功であるが、氣はやってりゃそのうちわかるものであるので、やらないよりマシの練功を日常として暇つぶしを楽しんでいただきたい。


もちろん、人によっては氣に関する受容体がなくて、いくらやっても氣感が育たない場合もあるが、そのときは諦めて氣と関係ない人生を楽しんでいただきたい。

氣なんか分からなくてもなんにも困らんし、下手に分かると人生がわやになる場合もあるぐらいである。


元来、人間は氣がわからないようにできているのである。

いつも言うことであるが、つまり、氣がわからない方が正常であるということである。

あたしらは、気功だのヨーガだの真言だの言霊だので脳と体をいじくって、「氣感」というバグが出た状態であるわけである。


だいたいが、氣だの霊気だの神だの仏だの波動だの念力だの真言だの言霊だのと騒いでるやからはろくなもんがいないのである。

あたしがそのろくなもんでないやからの代表である。

うるせーよ。


「りゃ・リャ」のコトタマを唱えると、会陰の前の周囲が開き、脚部の内側を通ってくるぶしの上を開き足の裏の湧泉までの氣道を開くのである。

つまり、氣が会陰の前周辺を含めて脚部に集まるということである。


言わずもがなで、精神的には「やらないよりはマシ」の範囲内で落ち着いて冷静な状態を醸しだすわけである。

人間は何事においても冷静沈着であることが成功の鍵である。

不安、興奮、動揺てなものは行動言動を誤らせ、人生を崖下に転落させる原因となるわけである。


そのためには日夜「りゃりゃりゃのりゃー」と叫んで氣を脚部に降ろし、脳神経細胞を冷却し、視野を広くして行動言動を制御して社会の荒波を軽やかに乗り切ることがあなたのけけけけけけけけのけーっ。

壊れた壊れた、終わり。

続く。

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