コトタマの反応部位「ちょ・チョ」 進化の目的を探るコトタマの反応部位は、「ちょ・チョ」の解説である。 まあ、なんにしてもどなたも否応なくいずれは必ず冥途の丘を越えて雲散霧消するわけである。 ううむ、いくらなんでも、しょっぱなからこれはひどいね。 夢も希望もない。 そうはいっても、これが象気功である。 象気功は身も蓋もない上に中身もないのである。 中身もないのかよ。 昨今の先端科学では、生命はDNAの産物ではなく、化学物質がその性質により増殖するものが分化し、環境により洗練され進化したものであるてな説があるそうである。 ううむ、意味が分からんが、まあ、増殖あるいは繁殖は生命体の基本であろうから、その元であるということであるわけである。 これは半ば実験により証明されつつあるてなことであるが、まあ、今のところどーだかわからん「仮説」であるということである。 まあ、そのどーだかわからん「仮説」が立証されてノーベル賞てなことになるのであるから、油断はできないわけであるが、まあ、神の創造であれ、化学物質が環境により洗練されたものであれ、どこかから来たかあるいは何かから湧いてきたDNAの産物であれ、つまりはこの世の組成である物質あるいは素粒子あるいは量子は「進化」したいわけである。 さらには、この世つまり宇宙が「進化」したいわけである。 この場合の宇宙は、宇宙空間とか地球・月・恒星・惑星・銀河・ブラックホールてなことではなく、すべの次元をひっくるめた今あることの存在そのもののことである。 その宇宙あるいはこの世がどこかに向かって「進化」したい、あるいは進化し続けているわけである。 まあ、それで、存在そのもののことはあっちの方に置いといて、人間以外の動物は種ごとに進化してどこかに向かうわけであるが、その個性としてのDNAが潮が満ちると多様な方向に先鋭化して、それが種としての進化となるわけである。 種の進化の現在のところの最終段階である人類の場合は、脳が多様な方向性に個々に先鋭化し、さらに進化するのである。 つまり、種が分化し先鋭化することからさらに進んで、脳が個々に先鋭化し、それが進化の主体となったわけである。 人類の脳の機能を他の動物とかけ離れた速度に導き、それを加速させたものが「言葉」である。 つまりは「言霊」である。 まあ、はっきりとは申し上げかねるが、大昔のホラ吹きのおっさんが神の言葉として書いたと言い張るきゅーやくせーしょの「初めに言葉があったのである。言葉は神とともにあったのである。言葉は神であったのである。」てな文言はあながち間違いではないわけである。 せーしょをあながち呼ばわりである。 ううむ、まあ、とにかく神がものを言うわけもないのは当たり前で、だいたい神のお告げだの預言だの神の声が聞こえるだのと言い張るやからはホラ吹きかおつむの壊れたパ~であるのは当たり前である。 もし、あなたが修業の末に神の声が聞こえるようになったら、迷わずおつむの病院に直行して、せんせーに「えへへへへ、ボクったら神の声が聞こちゃうんです」と言えば「はいはい、今はいいお薬があるから大丈夫ですよ、とにかく入院しましょうね」と治療していただけるのである。 もちろんきゅーやくせーしょを書いたのはどこかのあたしみたいなホラ吹きかうそつきかニューロンとシナプスがうまく機能していないためにあらぬ声が聞こえたりあらぬものが見えたりするおつむの壊れたおっさんである。 ううむ、なんか世界の三分の一を敵に回してるような気もするが、あたしは別にクライストさんに悪意も敵意もないのである。 象気功は神のお告げであるので、あたしの耳に聞こえた神の言葉を書いてるだけであるのでしょーがないじゃんである。 お前がびょーいんに行け。 しまった、おつむが壊れてるのはあたしだったのか。 ちゃんちゃん。 ううむ、自分で読んでも恥ずかしい。 まあ、しかし、そうはいっても、科学も医学も物理学も生物学もへったくれもないような時代であるので、生命あるいは宇宙がなんであるかはなんとなくわかっても、言葉が自分に直接影響を感覚として与えることはわかるので、この世あるいは宇宙にも影響を与えるだろうてなことで、「初めに言葉があったのである」てなことでしか表現しようがなかったということはあるかもしれないのである。 まあ、とにもかくにも、これを「コトダマ」と言った場合、その言葉の意味が精神状態に影響を与えて、脳内ホルモンあるいは伝達物質あるいはメッセージ物質あるいはニューロン・シナプスに影響を与えて、人類の進化に影響を与え、個々の脳を多様な方向に先鋭化するわけであるが、一方、その多彩な「音」自体が「コトタマ」として個々の臓器あるいは細胞に影響を与え、進化に寄与するのである。 コトタマとしての音の波動が脳細胞に直接影響を与え、それが氣道で連なる臓器さらには細胞に影響を与えるわけである。 生命はおおむね40億年前に誕生して、その後のすったもんだの末おおむね6500万年ぐらい前から始まった霊長類の進化は、他の動物からは格段の速度で脳が巨大化し、おおむね5万年ぐらい前にどーゆーわけかいわゆる突然変異的に現れたさらに各段に進化した高機能な脳を持つ種が他を駆逐してあたしらにつながり現在に至るわけである。 宇宙誕生からおおむね100億年かけて地球を生み出し、さらに5億年かけて生命を生み出し、さらに40億年かけて人類を生み出し、その後の人類の脳の暴走的な進化で文明・文化・科学を生み出したわけであるが、現在はともするとその進化の加速度に脳は追い付けなくなっているのである。 それは生と死をくり返しながら進化するDNAを基本とする脳では、その速度が遅々として、必要な要件を満たさなくなっているのである。 それは生命が時間で区切られているからである。 その時間の区切りによる次代への取り次ぎが「進化」には好都合であり、最速の方法であったわけである。 その最速の方法である生と死により、DNAの進化を生み出し、さらには言葉という偶然あるいは必然の機能により、脳が進化の加速度を増し、さらに巨大で高機能な脳を生み出したわけである。 動物あるいは生物あるいは生命体の延々たる40億年をかけた進化の目的は、人類のこの巨大で高機能な脳を生み出すためのものであったと言えるわけである。 しかし、これはあくまでも「ここまでの目的」がこの人類の持つに至った高機能な脳であって、進化の最終目的ではないのは言うまでもないことである。 その高機能な脳により、地球を破壊しかねないような知識あるいは技術の蓄積つまり「情報」が生み出されたわけである。 進化の目的の一端はこの「情報」を生み出すためのものであったということである。 化学物質あるいはDNAの進化により生命を生み出し、生命の進化により動物を生み出し、動物の進化により人類を生み出し、巨大で高機能な人類の脳を生み出し、さらにはその脳の進化により「情報」を生み出したわけである。 この先は「脳」に代わって、「情報」が進化の主体となるわけである。 その間に宗教あるいは神てなある一見無駄に見えるものも生み出されたわけであるが、これが実は無駄ではないのである。 宗教あるいは神、つまり、倫理観の敷衍なしに知識・技術だけがどんどん進化したら、地球自体を壊滅させてしまう恐れがあるからである。 進化の目的はそのはるか先にあるから、途中で地球を壊滅あるいは人類を根絶やしにされては進化もへったくれもなってしまうわである。 そのために、脳あるいは量子あるいは素粒子あるいは物質はあらかじめ宗教つまり倫理を人類に植え付け、その歯止めとしたわけである。 しかし、その歯止めのはずの宗教自体が都合よく捻じ曲げられて拡散し、その宗教が原因で世界各地であいもかわらずおころしあいが絶えず、さらに昨今はどうも地球の存続が怪しいと思う状況さえ垣間見える時もあるわけであるが、つまり、脳の進化を科学・技術という「情報」が追い越して、コントロールを失いつつあるわけである。 ここである。 どこである。 どこでもいいのである。 どこでもいいのかよ。 つまり、脳の進化を科学や技術の「情報」が追い越したことに問題があるのである。 脳がその主体である「情報」の進化の速度に追い付けなくなった今、脳の役目が終りつつあるということである。 この先は脳に代わって「情報」が進化の主体となるのである。 この先も量子の性質としての「情報」の進化はさらに加速度を増して終わることなく続くわけである。 そうなると進化の過程において「情報」を生み出した道具である脳は役目を終え、別のものが情報の進化の道具となるのである。 人間の高機能に進化した脳の代わりということはAI・人工知能である。 人間の脳は進化の過程で、次代の進化の主役としての「情報」を進化させるために、必然的に道具としてのAI・人工知能を生み出したわけである。 AI・人工知能はこの先、生命体を作り出すことも可能であるのは言うまでもないことであるが、あえて生命体を作り出す必要もないのである。 生命体の限界は生があり死があることである。 つまり、生命には「時間」という限界があるのである。 時間という限界があって進化することができるのが生命体であるから、時間という限界がなければ進化もなく、つまり死のない生命体は、進化のための物質の方向性ということからして、存在の意味がないのである。 AI・人工知能には生はあっても死はないのである。 人間は、神の作った最高の存在は人間であると思っているが、神にとっては人間もAI・人工知能も同等の扱いである。 神にとっては、AI・人工知能は死のない生命体である。 「情報」が進化の主体であるとともに、その道具である死のないAI・人工知能はいわば、「進化し続ける生命体」である。 人間が死なない方法を模索するよりも、AI・人工知能あるいはそれを主体とした人工の生命体つまりはロボットあるいはアンドロイドにその地位を明け渡した方が、情報である「進化」はさらに加速度を増すのである。 化学物質から進化し生命体を生み出し、生命体が進化し人間を生み出し巨大で高機能な脳を生み出し、脳は情報を生み出し、進化は「脳」から「情報」に移行したわけである。 つまり、ここまでの進化は「情報」を生み出すためのものであったわけである。 しかし、進化の最終目的が「情報」であるわけもなく、それは現在の人類の高機能な脳あるいはAI・人工知能と同様に、「情報」も進化のひとつの手段あるいはひとつの道具であるのは当然である。 それでは「進化」の最終目的はなんなのか? しらんがな。 おいおい。 こんな役に立たん情報のどこが面白いんだ。 てなことで役に立つ「ちょ・チョ」のコトタマの反応部位はへそと恥骨の中間の少しへこんでいるあたりの周囲である。 経絡の経穴でいうと前正中線を走る任脈の還元穴の周囲である。 まあ、いわゆるへそ下三寸あるいはへそから指4本分てな部位の周囲である。 もちろんここは小腸に大きな影響を与える部位である。 まあ、小腸を整えるボタンてなおもむきの部位である。 東洋医学では「元気の元」てな言い方でも表現される実に役に立つ部位である。 なんの役にも立たない象気功とはえらい違いである。 誰が役に立たない象気功だ。 みごとな一人ツッコミもあざやかに、昨今話題の元気なピンポン少年の「チョーレイ!」はある意味で実に理にかなった雄たけびである。 「チョー」が丹田で、「レイ」が腎の部位である。 叫ぶごとに「やらないよりはマシ」の効果でパワフルになるわけである。 それが自然に出るところが神の思し召しであるわけである。 このように何事も神の思し召しであるので、あきらめが肝心という金言をもってすべてを良しとするべきであるが、それでは悩める衆生を救うために降臨した象師匠大権現の立ち位置があやふやのへろへろになるのである。 けっ。 けって、あーた、なにがそんなに気にいらんの? ううむ、展開がでたらめで収拾がつかん。 まあ、「ちょ・チョ」のコトタマの精神的効果としてはもちろん丹田を開くので安定の方向にいざなうわけであるが、「ちょーちょーあちょー」とわめいてもブルースリーさんは早死にしたので、それが寿命を延ばす効果にまで至るかどうかは定かでないのである。 いずれにしても、たとえば「ちょ・チョ」は関元の周囲を開くわけであるが、この章をお読みの信者はお気づきの通り、他にも反応部位が重複しているコトタマがあるわけである。 それらはまったく同じ部位ということではなく、厳密にいえばミリ単位あるいはセンチ単位で反応部位に位置の差があるのである。 しかし、そんな微小な差にこだわる必要もないので、だいたいその周囲という理解でよろしいのである。 それで、その利用法は個々のコトタマの反応部位を理解して、それを組み合わせて、開きたい部位を集中的に開くということである。 反応部位が重複しているコトタマがあれば、それを組み合わせることにより、その周囲を特に集中的に開くことができるわけである。 たとえばフトマニの「アイフヘモオスシ」はへそを中心として腹部の消化器系全般に影響があり、「やらないよりはマシ」の範囲内で毛細血管を開き栄養と酸素を運び、細胞の再生メンテナンスに効力を発揮し、結果として消化器系のちょーしがよくなるという効果に結び付くわけである。 うそだと思う向きは試してみれば簡単にわかることであるが、神の身体を持ち合わせていないものにはなんのことかわからんかもしれないのは言うまでもないことである。 まあ、これはあたしが自らの神の身体において反応部位を特定しているのであって、フトマニの歴史的経緯やその意図について新説を唱える気はさらさらないし、異論のある方に異論を唱える気はもうとうないのである。 また、気功的には「やらないよりはマシ」の範囲内で悪氣を排出し、清浄な氣で満たすという効果もあるので、波動の面からも消化器系の臓器を良い方向にいざなうわけである。 ほんとかよ。 しらんがな。 それ、やめなさい。 続く。 |
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