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なにわ修習記

2000年2月 刑事裁判修習編

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2月28日(月)

 今日は社会修習の報告書を書いた。その後、事件記録の精査。社会修習に行っている間に、私が判決起案を担当する事件が結審してしまった。判決宣告期日もそれほど遠い日ではないので、早く作業を進めねばならない。

 訴訟の記録の中には、弁護士がその一部については証拠とすることに同意しなかったものがある。この、弁護士が同意しなかった部分については、原則として証拠とすることができないので、裁判官が読むことができないように、その部分だけ抜かしてコピーした文書が証拠書類として提出されたり、不同意とされた部分が見られないように紙で隠してあったりするのだ。しかし、この隠し方、ホントにこれで隠したと言えるの?というものがある。今日見たのは、不同意とされた行に板紙が張ってあるのだが、その貼り付け方が、行の上部にセロテープをくっつけて留めたというもので、すぐにめくって、隠してあるところを見ることがきわめて容易なのである。なんかインチキくさいと思ってしまう。裁判官の良心に委ねているということなのかもしれないが・・。


2月26日(土)

 今日は旅行の2日目。午前10時に旅館で解散した後、有志で京都見物に。銀閣までタクシーを飛ばした後、南禅寺まで歩き、寺近くの店で湯豆腐などをいただく。湯豆腐に舌鼓を打っていると、なんと外は雪である。その後の観光予定は大幅に変更に。宿にいったん戻って荷物を取ってきた後、市内の茶菓子屋でくつろぎ(長居してお菓子とお茶をたらふくいただいてわずか600円強とはメチャ安かった。)、引き続き居酒屋、喫茶店とハシゴする。京都を出たのは夜11時前。ギリギリで終電に間にあった。楽しかったけどヘトヘトである。


2月25日(金)

 今日は社会修習最終日。朝、朝礼の場で、先生、少年の前で感想を述べることに。施設の中の人たちの活動が実際にどんなものか見られたことで、これから少年事件に当たる機会が逢ったときなどのためにいい経験をさせてもらいましたなどと、何か偉そうなことを言ってしまった。いい言葉がなかなか出てこなかった・・。

 午前中は授業参観をして、昼食を寮で少年達と一緒に食べ、宿舎の掃除をした後、園長先生らに挨拶をして修習終了。短い間であったが、泊まり掛けで施設の動きを体験できたのはよい経験だったと思う。以前、弁護修習で3日間、児童養護施設に社会修習に行ったが、その時よりも施設の人にいろいろ話を伺えたし、1日の活動をまるまる見ることができたというのはかなり大きな違いだ。

 いったん自宅に戻った後、研修所のクラス旅行に参加するため京都へ向かう。宿泊したのはあの中坊弁護士の御実家で経営されている旅館である。他の地域で修習している修習生のクラス仲間や教官らと久しぶりにお会いして話ができたのはうれしかった。私は社会修習の疲れで午前3時ころ寝てしまったが、午前5時や6時ころまで起きている人がかなり多かったようだ。


2月24日(木)

 午前6時30分に起き、布団をかたずけ、簡単に身仕舞いをして寮に。私の配属された寮では、柔軟体操をした。他の寮ではランニングをやったところもあるようで、そこに比べれば楽なのでホッとする。

 朝食後、授業参観に。ただ、私の行ったクラスは美術の授業で、卒業制作を行っている最中だったこともあり、手持ちぶさただった。でも3限目(午前中は4限ある。)からは国語とかだから・・と思っていると、園長先生の話があるということで呼ばれる。園長先生の話はなかなか興味深いところもあったが、話があちこち飛ぶのはちょっと・・。昨日からの疲れもあるし。

 昼食後は授業参観。授業を見ていると、熱心な子とそうでない子とはっきり分かれている。まあこれは、一般の中学校でも同じだが。


2月23日(水)

 今日から社会修習で児童自立支援施設に。

 社会修習とは、法曹となるためには社会の実相を知ることが必要ということで、数日間、修習場所以外の機関に通うというもの。実務修習の各期間ごとに設けられている。我々の期(第53期)から始まったものだ。私は、弁護修習では児童養護施設に通った。検察修習では社会修習が細切れにあるので(しかし、パトカー修習とか、労基法講義って、社会修習か?)、長期的な社会修習では、2回連続して少年施設に行くことになる。

 朝、施設の最寄り駅に集まって、徒歩で施設に。入り口は普通の私立学校っていう感じだ。刑務所や少年院のような塀もない。施設の人に修習上の注意点等について説明を受けた後、昼休み前の集会へ。生徒たちに自己紹介をする。終了後、寮へ向かい、少年や寮長、寮母さんと一緒に食事をする。少年とはなかなか話ができない。

 食事終了後、クラブ活動に参加する。私は作業、つまり仕事をするグループだ。中学3年生や中学を卒業した少年は、手に仕事を身に付けるため、畑作業や薪拾い、木こりなどの作業に従事するのだ。私は薪拾いに同行した。少年達の拾ってきた薪は燃料として業者に買い上げられ、その売り上げの中から、少年達に給料が支払われる。頑張ってやれば、卒園までに結構貯まるらしい。

 夕食終了後、寮の職員の方々との懇親会が開かれた。寮長、寮母はほぼ365日24時間少年達のめんどうを見なければならないのだから大変なお仕事である。でもこの人達の熱意や愛情があるからこそ少年が立ち直っていくというのは間違いないだろう。


2月22日(火)

 午前中は検証に同行させてもらう。現行犯逮捕の状況を再現するものだ。朝、普段よりも早めに登庁し、裁判所のマイクロバスで裁判官、書記官と一緒に現場へと向かう。検証場所には検事、刑事、被告人、弁護人もそろって、総勢約30人が集まった。検証現場では、逮捕者である刑事の指示のもと、現場での関係者の位置に人が配置され、裁判所の書記官が人の並び具合の写真を撮ったり、(警察の人の手も借りて)関係者間の距離を測ったりしていた。警察の人が作成する調書もこういう風に作るのだろう。我々が記録の中で見る検証調書は、B5版のページ10〜30ページほどのもので、かなりはやく読み終わってしまうものだが、その作成には本当に時間と手間がかかっているのだなと、一緒に見ていた修習生が話していたが、同感だ。午前11時30分すぎ、次のスケジュールに間に合うように帰るため、途中で失礼してしまったのが残念である。

 午後はまず少年鑑別所を見学した。少年事件で、処分が決まるまで、観護措置という形で少年が収容されるところだ。最近は収容される少年の人数が急増しており、施設の設備が需要に追いついていかないとのことだった。確かにそれほど大きくないなあ。あと、建物がかなり古いものなのも気になった。古い建物必ずしも悪ではないが、かなりぼろいぞ。くだらぬ橋の建設などに公共事業費を使うんだったら、こういうところの建物の新改築に使えと思うのだが。

 裁判所に帰った後、翌日からの社会修習のオリエンテーションがあった。明日から2泊3日の予定で児童自立支援施設に泊まり込みだ。体が保つか不安である。


2月21日(月)

 1日中記録を読んでいた。メモを細かく取りながら読もうとするとなかなか進まない。それに、ただじっと坐ってひたすら記録を読むという作業をしていると、本当に眠い。途中で方針を変更し、まず記録全体を読み通すことにした。今週は行事が積み重なっており、記録を読んだりする時間が余りないのが痛い。

 午後3時すぎから、裁判官が皆会議で外に出られた。部内の修習生で、担当している事件の内容についての話に花が咲く。裁判官室内なら思いきり事件の話ができるので、ここぞとばかりに言い合うのだ。といっても、激しい口論などになることはないが。

 仕事はたまっているのだが、明後日から泊まり込みで社会修習に行くこともあり、体力温存ということで、残業せずに帰ってきた。まあ、こんなお気楽なことができるのも今のうちだけだからな・・。


2月19日(土)

 今日は日帰りで東京に。就職先として内定した事務所に、条件交渉に行ったのだ。といっても、大げさなものではなく、給与については先方から示された条件を説明してもらい、それを承諾しただけ。ちっとも交渉じゃないじゃん・・。もっとも、私の気になっていたのは給料よりもむしろ職場環境(分煙)のこと。こちらの方も、禁煙の方向で検討しましょうということで、ホッとする。新入りがこんなこと行っていいのかと思ったが、タバコの煙があると勤労意欲と能力がホント減退するからなあ・・。

 終了後、銀座で買い物を少しして帰阪。銀座のレコード屋で小松未歩のCDを、新大阪の本屋では雑誌2冊を購入。そして例のごとく難波の立ち飲み屋へ・・。


2月18日(金)

 今日はほぼ1日法廷傍聴。

 午後に傍聴した事件では、被告人が一部否認している事件が興味深かった。同じ犯罪を繰り返していると、その犯罪のプロとしての自覚や誇りのようなものが芽生えるんだろうかと思わせるやりとりが被告人質問で繰り返されたのだ。それにしてもよくしゃべるなあ、この被告人。


2月17日(木)

 今日は1日、記録読み。今週中に検討を済ませるはずだった事件の終結が延びてしまったことから、新たに事件が割り当てられたので、その記録を読んでいた。膨大な量だ・・。


2月16日(水)

 朝、眠い目をこすりながらバスに乗り込む。ジャストシステムを見学に訪れる。社内見学の後、文章検索ソフトと、音声入力ワープロについての説明を受ける。

 説明の後、質問コーナーがあったので、ウィンドウズ以外のプラットホームでの一太郎やATOKの開発について訊くと、今後はOSを問わず使えるソフトということで、Java対応のソフトを開発していき、個別のOSについては、Windows以外のものについては対応ソフトを出す予定はないとのこと。MacOSのみに使えるソフトや、Linuxのみに使えるソフトという形では出さないで、Java対応ということで対処していくということだった。うーん、私のMacではJavaが(少なくとも最新のものは)動かないので、この方針にはがっかり。Mac用の一太郎最新バージョンを出せば売れると思うんだけどなあ。

 見学後、市内の料理店で昼食を取り、帰路へ。予定時刻よりもかなり早く裁判所に帰り着いた。そこで、1件公判を傍聴する。

 その傍聴した事件だが、前回の公判期日では公訴事実を全部認めていたのが、今日は起訴されている2件のうち1件について被告人が、被害者の同意があった、もしくは同意があるものと思っていたと主張してきた。被告人質問の前に被告人がいきなり、言いたいことがあると申し出て言ってきたものだ。この被告人の行動は弁護士も事前に予測していなかったことのようで、被告人の真意を被告人質問で確認していた。いやあ、公判の途中で否認に転じる被告人って実際に見たのは初めて。驚きだ。

 おかげで、今回で結審する予定だったのが、かなり延びてしまいそうだ。私が刑裁修習を受けている間にこの事件は終わるのだろうか。


2月15日(火)

 午前中は裁判所で記録の検討。

 午後から徳島へ1泊2日の見学旅行に。大阪からバスに乗り、明石海峡大橋、淡路島を通って徳島へと向かう。今日は、徳島市内の藍染工芸館を見学。藍染を実体験した。

 夜は懇親会。そして2次会へ。それにしても最近の修習生は若いなあ・・、などといいながら夜更けまでトランプに興じていた私も私だが。ちなみに宿泊したのは、徳島市内の観光地である眉山の頂上付近にあるかんぽの宿である。徳島市内や吉野川流域の眺めがとてもきれいなところだ。


2月14日(月)

 今日は午前中に1件傍聴し、あとは起案に時間を割いていた。世間はバレンタインデーという日らしいが・・・。


2月10日(木)

 今日は法廷が無かったので、1日中起案していた。


2月9日(水)

 今日は合議法廷の開廷日だ。午前中は判決宣告を1件、審理を2件傍聴した。

 判決は出入国管理法の事案。執行猶予付きの有罪判決だ。被告の母親が傍聴しに来ていた。娘を迎えに来ていたのだろう。被告も判決を訊き終わると涙ぐんでいた。


2月8日(火)

 今日は休廷日。昼前から合議に。私が担当した事件も合議にかかった。

 私の担当した事件、法廷では争いがなかったのだが、法律上の観点からすると問題になる点があり、その点をどうみるかが議論の的になった。その点に関して事実関係はどうなっているか突っ込まれ、返答に詰まってしまった。書証は読み込んで、時系列についてもチェックしておいたつもりだったのだが・・。

 量刑についても、裁判官の感覚からすると低いもののようだった。これもまた経験を積まなくては。同種前科の存在はかなり大きいようだ。しかも手段も今回と前回で同じようなものだし・・。

 夕方、部内で、修習生の歓迎会を催していただいた。先週末飲みにご一緒したときも感じたことだが、この部の方々パワフルや、というか、おもろいなあ・・。人のことは言えないが。


2月7日(月)

 今日も午前中は傍聴を休ませてもらう。合議事件の合議メモを作るためだ。

 合議事件とは、複数の裁判官で法廷を構成し、複数の裁判官で審理し、判決を下す事件のこと。ちなみに、1人の裁判官で審理、判決する事件は単独事件という。合議事件の場合、判決を下す前には裁判官が集まってどのような判決を下すか決めなければならないわけで、そのための話し合いが合議だ。合議に当たっては、通常の裁判所ならば、裁判長から向かって左側に坐っている裁判官(左陪席と言う。)が合議のためのメモ(合議メモ)を検討材料として作るのだが、司法修習生に割り振られた事件では、司法修習生がそのメモを作るのだ。問題になる点と、それに関して本など調べた結果をまとめて、夕方にはなんとか配布した。求刑に対してかなり低めの量刑にしたけど、よかったのかな?でも、求刑が高すぎる気がしたのは確かだからなあ。

 それと、先日提出した起案が返ってきた。あれま。「事実認定の補足説明」のところが、裁判官の書かれたのとそっくり入れ替わっているよ。うーん、私の書いたのは全然使えないっていうことじゃん。その他の部分はだいたい原型をとどめていたけど、メインの部分がこれじゃあな・・。事実認定のやりかたと書き方、何とかしなければいかんなあ。

 午後に部分的に傍聴したのは、福徳銀行の元幹部の特別背任事件だった。元大蔵省銀行局補佐が証人として尋問されていたが、検察官の質問も何を訊きたいのかよく分からなかったぞ・・。でも、検察官、裁判官もさまざまな分野の知識が必要とされるものだな。


2月4日(金)

 今日は傍聴を休ませてもらって判決の起案をしていた。昨日やっていたものの続きである。どう事実認定するか、それを判決上どう表すか、ムチャクチャ悩んだ。

 夕方に起案を裁判官に提出。とりあえず出せてホッとした。返ってくるときにどれだけ原型をとどめているのかなあ。

 定時後、書記官の人たちと一緒に酒を呑む。書記官の方々の苦労についていろいろ聞けて本当に面白かった。今の司法修習に意義があるとすれば、裁判所書記官や検察事務官のような訴訟実務の前線にかかわっている人たちの話を生で聞けることではないか。


2月3日(木)

 午前中は判決起案。否認事件は本当に難しい。

 午後は書記官実務についての講演。録音反訳の導入により速記官がいなくなるなど、従来とかなり変わってきており、それに伴い訴訟での活動上注意すべき点も変わってきているとのことだった。また、書記官が訴訟運営に積極的にかかわるようになってきており、特に迅速適正な訴訟運営を実現するよう心がけているので、検察官、弁護人には期日前の準備などに積極的に協力してほしいということだった。もっともなことだが、なかなか実現の難しいこともあるよなあという感じだ。特に、1人の弁護士が多数の事件を抱えている現状では。もっとも、そんなこと言ってちゃいつまでも変えられないというのも事実なんだけれども・・。講師の方は、適正手続は前提といっていたけれども、権利保障を十全なものにするためには、手間がかかることもあるので、迅速さに目が行きすぎて被告人の権利保障等のための活動がきちんとできなくならないかという不安も残る。まあこんな抽象論を言うより、弁護士になって具体的事件に即して適切に対応していくことが大切、ってこれも抽象論か・・。


2月2日(水)

 今日は合議法廷の傍聴。結構シビアな事件が続く。昨日述べた殺人事件も午後にあり、被告人の精神鑑定を行った鑑定人が証人として尋問された。鑑定書を見ていないので鑑定結果は分からないが、心神耗弱とまでは言えないという鑑定結果だったのだろう。弁護側が結構突っ込んで質問していた。

 時間的にはさかのぼるが、午前中に見た事件で、検察官と被告人が激しく言い争いをする現場を見る機会に恵まれた。被告人が検察官をうそつき呼ばわりし、検察官がそれに応対(というか応酬)していたのだ。裁判官が入場すると両者とも何食わぬ顔をしているのが興味深い。それでも被告人は怒気を込めて不規則発言をすることがあったが。

 傍聴が終わると判決の起案。期限が迫っているので今日は残業した。本格的残業なんて久しぶりだ。他の部に配属された修習生の中にはかなり遅くまで残っている人もいるらしいので、1回残業したくらいで大変そうに言ってはいけないのだが、久しぶりだとやはり疲れる。って、贅沢か・・。


2月1日(火)

 今日は寝坊して、危うく遅刻するところだった。やれやれ。

 火曜日は、私の配属された部は法廷が休みなので、起案のため1日記録を読んでいた。

 夕方、明日傍聴する事件の記録を見る。殺人事件のだ。殺人事件の記録には被害者の写真が通常ついており、この記録も例外でなかった。死体の創(刺し傷)は本当に見るのがつらい。白い肌からちらっと赤い肉がみえているのは本当に気持ちが悪いというか、ぞくっとする。


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