◎熊本史雄著『幣原喜重郎』(中公新書)

 

 

戦線から戦後にかけての幣原喜重郎の活躍を取り上げているわけだけど、昨今の情勢からすれば憲法成立の過程が書かれた部分が興味深い。もちろん憲法成立の過程が書かれた本はいくらでもあるし、私めも何冊も読んでいるけどこの本では幣原氏の活躍が中心になっている。

 

次のようにある。「幣原が第九条の発案者として振る舞う覚悟を決めることができたのは、二月二一日のマッカーサーとの会談で、象徴天皇制を了解したからだった。憲法第九条に連なる「戦力不保持の受け入れ」の前提には、「象徴天皇制の受け入れ」があった(239頁)」。

 

この文章は前半と後半のそれぞれにポイントがある。一つは実際にはマッカーサーが提案し自分は当初反対していた戦力不保持の原則を、幣原氏が自分の発案として振る舞う大芝居を打つことを決心したってこと。そりゃマッカーサーが発案したとなれば、アメリカは国際法違反を犯したことになるしね。それからもう一点は、戦力不保持の受け入れが象徴天皇制として天皇制を維持することのいわばバーター取引きだったってこと。

 

私めは(たぶん)著者とは違って、21世紀に入ってからはずっと、改憲は9条に限らず必至と考えていたけど、その理由は、憲法は神が与えた法などではなく、状況に応じて変えられるべきものと考えているから。そもそも日本の憲法は一度改正されていることを忘れるべきではない。それは明治憲法から現行憲法に移行したこと。

 

しかも当事者の一人だった宮沢氏は、八月革命説などというSF的超ウルトラCを繰り出してそれを正当化したくらい。なぜそこまでしなければならなかったかというと状況が大きく変わったからなのよね。翻って考えてみるに、現行憲法が成立したときの国際情勢と現在の国際情勢を比べてみればまったく違うことがわかる。当時ロシアや中国は、今ほど力はなかったし、ミサイルで脅しをかけるチンピラのような北朝鮮も存在しなかった。

 

現行憲法を絶対視する改憲反対派でも、明治憲法に戻せとは絶対に言わない。なぜなら明治憲法制定時と、日本が敗戦を経験した現行憲法制定時では国際情勢がまったく変わっていたから、日本を軍拡に走らせるきっかけになった明治憲法に戻せとは言えないからだろうね。ならば改憲反対派でさえ、憲法は神定法のような絶対的なものではなく、国際的な状況が劇的に変われば変えなければならないことを認めていることになる。ならばなぜ、現行憲法制定時と現在では国際情勢(のみならず様々な文化的側面)が劇的に変わっているのに改憲に反対するのだろうか? 私めにはよくわからん。

 

さらに問題なのは、今回のウクライナの件ではっきりしたように、国連が規定する国際安全保障の枠組みがまったく機能していないということ。憲法の前文の冒頭に「諸国民との協和による成果」ってあるけど、現在ではまったく意味をなさない。ちなみに英文は「the fruits of peaceful cooperation with all nations」なので「諸国民」とは「諸外国」を指す。

 

周囲の国々の問題もあるけど、協和による成果の後ろ盾の一つは、国連による安全保障があるはず。ところがそれがまったく機能しないことがバレてしまった。「どうするのこれ?」って感じだよね。

 

ちなみに私めは国連解体論者ではない。というのも国際安全保障を含む説明レベルでの事象は、世界{連邦/傍点}的な組織によって統括されねばならないと考えているから。でも今の国連が問題なのは、ロシアや中国のような下位単位であるはずの、ならず者構成員がロビー活動等を通じて全体の決定を歪めているから。これは私めの言う保守型粒度越境の誤りに近いんだけど、ただしロシアは置くとしても、13億の人口と多数の民族を抱え共産党が強引に支配する中国はとても国民国家とは言えず帝国と見なすべきだけどね。

 

少し新書本の内容から逸れてしまったけど、『幣原喜重郎』は、現行憲法成立の舞台裏を描く本の一冊として読むことをお勧めする。

 

 

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※2023年4月28日