◎境家史郎著『戦後日本政治史』(中公新書)

 

 

看板に偽りなく、ほぼ全編にわたって戦後の日本の政界の流れについての事実に関する記述で埋め尽くされているので、正直なところ「左様ですか」と言えるだけで特にコメはない。まあ戦後日本の政治史に詳しい人にとっては、事実として知らないことはほとんどないのかもしれない。それでも最後のほうにある結論的な指摘に関してだけコメしておきましょう。

 

次のようにある。「第二次安部政権発足後、(…)政党間競争の構図という点では、日本政治は一周回って(「改革の時代」を挟んで)元の55年体制に似た形に回帰した。与野党第一党の立場を分かつ中心的争点が憲法問題――特に9条と現実の防衛政策の整合性をめぐる問題――であることも変わっていない。否、憲法問題が政党間の対立争点として存在し続けているからこそ、保守政党が政権担当能力イメージを独占し、優位政党化するという55年体制的あり方が戦後日本の政党システムの基本型を成しているのである(277〜8頁)」。「9条と現実の防衛政策の整合性をめぐる問題」とは「国際安全保障問題」と言い換えられると思うけど、国際安全保障問題をめぐって与野党が分裂している状況は世界的にも稀ではないかと思われる。アメリカでは安全保障問題に関する政策が共和党と民主党で極端に変わるわけではないし、日本と同様に敗戦国であってもドイツは、ウクライナ戦争が起こると、左派系の与党が軍事予算強化を決定していた。

 

安全保障に関する極端な二極化は、冷戦期にほぼ重なっていた55年体制の頃であれば、いわゆる奇妙な平和が続いていた時代なので大きな問題はなかったとしても、21世紀に入って中国が軍拡を進め(これについては「防衛白書」を参照されたい)、北朝鮮がミサイルを撃ちまくり、ロシアが実際に戦争をおっ始めた現在となっては非常にまずい。日本が安全保障問題に適切に対処できないで得をするのは、これら独裁三国だしね。

 

著者も最後に次のように述べて、この本を締めくくっている。「1990年代以降の政治改革は、選挙制度や統治機構に大幅な修正を加えた一方で、憲法問題に手をつけることはなく、したがって55年体制型政党システム――「戦後日本型政党システム」と呼んでもよい――を打破することはできなかった。そして今後も、憲法問題が解消されない限り、あるいは憲法改正という争点を「軍国主義か民主主義か」というイデオロギー的問題として捉える枠組みから日本人が解放されない限り、この国の「戦後」が終わることはないだろう(291〜2頁)」。著者が改憲に賛成しているか否かは明確ではないが(そういう判断を下そうとすること自体、「軍国主義か民主主義か」という枠組みで安全保障問題をとらえていることになるのかもね)、この結論には同意できる。

 

つらつら考えてみると、アメリカでは、国際安全保障ではなく国内安全保障に関する問題とでも言うべき銃規制問題に関して同じような事態に陥っているように思える。合衆国憲法修正第2条が、銃規制に関して共和党と民主党の対立の焦点の一つになっているわけだから。アメリカは日本と違って、改憲にあたる修正条項追加は何度も行なっているわけだから(ただし21世紀に入ってからは修正条項の追加はなかったと思う)、日本のように改憲自体が大きなネックになるとも思えないんだけど、やはり建国の精神にかかわることだからむすかしいんだろうね。

 

ところで「日本と違って」とは書いたものの、実は日本は一回改憲を行なっていることを忘れるべきではない。つまり明治憲法から現行憲法へと憲法を大きく変更している。なぜそれについてはまったく問題にならないかと言うと、明治から昭和に入って敗戦を得るまでに時代が大きく変わったことを誰でも知っているからだろうね。ならば55年体制時と現在では時代が、とりわけ国際安全保障環境が大きく変わっているのに、安全保障問題をめぐって分極化して膠着状態にある現在の日本の状況はとても褒められたものではない。アメリカの銃規制は国内問題であるのに対し、日本の憲法改正(とりわけ9条)は国際関係の問題であって、下手をすればウクライナの二の舞を踏みかねない。

 

著者は1978年生まれなので、55年体制が終わって「改革の時代」が始まり、冷戦時の一方のボスであったソ連はすでに崩壊したあとで大学に入学していることになる。そのような若い世代にとっては、55年体制への逆行は由々しきことに見えるんだろうと思う。

 

 

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※2023年6月26日