◎桑木野幸司『ルネサンス 情報革命の時代』(ちくま新書)
著者の名前を見て『記憶術全史』(講談社選書メチエ)の人だから、記憶術の話があるに違いないと思っていたらやっぱりあった。とはいえ記憶術って、何度読んでも実感がわかないんだよね。ただ現代の脳科学の知見からすれば、記憶術は科学的にも根拠がある。その一つは記憶を司る脳領域は、場所を司る脳領域が発展したものだという知見。
いずれにせよ記憶術の目的は、「エピローグ」に書かれている次の記述を読めばよくわかる。「ルネサンス期の記憶術が目指したのは、情報をいわば「トポグラフィカル」に統御することであった。つまり、個々の情報が置かれた位置・場所が、全体構造のなかでしかるべき意味を持つことで、固[個の間違いかな?]と全体との関係が直観的に把握可能となるようなシステムこそが、理想とされたのだ。したがって情報検索の際には、それらの固有の場所が帯びる意味の磁場を把握することが、重要になってくる。データがなぜその場所に置かれているのかを考えずに移動させれば、全体秩序が崩壊してしまう(315頁)」。
この考えは第二章で詳しく説明されている百学連環の思想の一環だと言える。私めの見方からすると「百学連環」というより「百知連環」と言ったほうがよいようにも思える。というのも単に「学」としてだけでなく「知」としても、連環的なもののとらえ方は非常に重要だと私めは思っているから。
たとえば現代においては気候変動、再エネ、原発、経済、政治などは複雑に絡み合っているのであり、その中の一つだけを順番に取り上げていって各項目に関する最善策を議論していくようなやり方をとると、非常に現実離れした結論が出て来る。そしてまさに、そのような愚かな行為をやっているのが現代の主流マスメディアだと思っている。
新書本に話を戻すと、「第6章 世界の目録化」にある客観性に関する議論については(著者は「客観性」という言い方はしていなかったと思うけど)、ロレイン・ダストンとピーター・ギャラガーの共著『Objectivity』を思い出した。私めはこの大著を二度読んだけど、最近日本語訳がそのまま『客観性』という邦題で刊行されているので、ぜひ読まれたい(ちと高いけどね)。
※2023年4月28日