◎小泉悠著『現代戦争論』(ちくま新書)
「現代戦争論」というタイトルながら、実のところ著者の小泉氏の専門と思われるウクライナ戦争に関する記述がほとんどを占めている。なお同著者の著書は、「ヘタレ翻訳者の読書記録」でも、すでに『ウクライナ戦争』を取り上げている。
ところで、本の内容とはまったく関係ないが、「あとがき」に次のように書かれていたのにはちょっと驚いた。≪結局、五つの問い[それについてはすぐあとで取り上げる]を設定してこれに答えていくというアプローチが決まったのは2025年の秋になってからであった。約13万7000字に及ぶ本書はそこから一気に書き上げたものである(270頁)≫。≪2025年の秋≫をもっとも早い時期の「2025年9月」と考えても、最後のページに記載されている、この新書本の第一刷発行日二〇二六年二月一日まで、期間は5カ月とちょっとしかない。「あとがき」を含めほぼ270頁ある本を一から書き上げ、校正作業を経て、印刷に回して書店に並べるまで5カ月というのは、異例の速さとしか言いようがない。他人の文章を翻訳している翻訳者でも、通俗的ではない270頁の本を5カ月ちょっとで店頭に出すというのは、ほぼ不可能に近い(ただし、自分の考えていることを一気に書くより、著者の意図を汲む必要性のある翻訳のほうが余計に時間がかかるという可能性もあるとはいえ)。しかも裏表紙を見ると、著者は、「東京大学先端科学技術研究センター(国際安全保障構想分野)准教授」とあり、本職を別に持っている(さらにはメディアへの出演もかなりあるらしいし)。たいていの大学の先生様は、「本書を完成するまでにX年もかかってしまいました。X年も辛抱強く待ってくれた編集者のXX氏に感謝します」などといった主旨のことを「あとがき」に書くのが普通であるように思われるのに。小泉氏はスーパーマンなのだろうか? この新書本の編集者ではないが、わが訳書、アンディ・クラーク著『経験する機械』の担当編集者である加藤氏(クラーク本は単行本だけど、氏は新書/選書部門に所属している)に、あとでそれについて訊いてみよっかな?
と、内容にまったく関係のない話はそこまでとして、さっそく「はじめに」に参りましょう。最初に、前述の五つの問いとは何かが12頁に説明されている。それは≪どれだけの犠牲が出ているのか?≫≪何故こうも長引いているのか?≫≪戦時下のロシアはどのような状態にあるのか?≫≪世界の中でロシアの立ち位置はどう変化したのか?≫≪日本はどうのように向き合うべきなのか?≫というものらしい。そしてそれぞれの問いに対して、一章ずつが割り当てられており、本の構成自体は非常に単純だと言える。なお著者は≪ロシアはなぜウクライナ侵略に及んだのか?≫という非常に重要な問いが五つの問いに含まれていない理由は、前述の『ウクライナ戦争』で詳述したからだとしている。一応簡単にその要点が述べられており、次のようにある。≪ロシアの戦争はウクライナの政治的・軍事的支配を{目論/もくろ}んだものであって、ロシア政府がいう「ウクライナのネオナチ政権からロシア系住民を保護するため」であるとか、「NATO拡大に追い詰められてやむを得ず始めたもの」といった主張には明らかに根拠がない(16〜7頁)≫。ロシア擁護派が、よくそれらを理由にしてロシアの明白な侵略を擁護しているのは確かだよね。「はじめに」の末尾には、ウクライナ戦争に関して著者が取るスタンスが次のように述べられている。≪ロシアの戦争はあからさまな侵略行為である。そして、そうである以上、ロシア側に対して徹頭徹尾批判的な姿勢を本書は示す。ロシアにも言い分はあろうし、そのすべてを否定するわけではない。だが、暴力を用いて政治的目的を達成しようとすることを20世紀以降の人類社会は拒絶してきたはずである。この原則をないがしろにすることは、日本に関するそれを含めた国際的な安全保障秩序を損なうことになりかねない。これが本書の拠って立つ基本的なスタンスであり、また結論でもある(22〜3頁)≫。ということは、そもそも「安全保障」という言葉を聞いただけで発狂する御仁は、血圧が急激に上がるから読まないほうがいいかもね(というか、そういう御仁こそぜひ読むべきではあるけど)。
ここから本論に入るわけだけど、実のところ日本が直接関与しているわけではない戦争をめぐる細かな事実に関する情報は「ヘタレ翻訳者の読書記録」でわざわざ取り上げるつもりはないので、日本が関係する「第5章 日本はいかにロシアと向き合うべきか?」だけを取り上げる。よって≪どれだけの犠牲が出ているのか?≫≪何故こうも長引いているのか?≫≪戦時下のロシアはどのような状態にあるのか?≫≪世界の中でロシアの立ち位置はどう変化したのか?≫という問いにそれぞれ対応する、「第1章 どれだけの人が死んだのか?」「第2章 なぜ終わらないのか?」「第3章 いかにして軍事国家となったのか?」「第4章 この国[ロシア]はどこへ向かうのか?」は、基本的にスキップする(なお前述のとおり、ウクライナ戦争に関しては、同著者の新書本『ウクライナ戦争』が詳しく取り上げているのでそちらも参照されたい)。それらの章の内容を知りたい人は、本を買って読んでくださいませませ。ただし第1章の「占領の風景」と題する節に書かれていることは、ロシアのような専制国家に占領された場合、何が起こるかを示す格好の例になるので、全文を引用しておく。「ロシアや中国のような専制国家が攻めてきたら無条件降伏すればいいじゃん!」とか言い放つ輩が少なからずいるようだが、この記述によってそれがいかに無責任な発言であるかがわかるはず。そもそも、そう言い放つ人は、絶対に護憲派などではないはずだよね? だってロシアや中国のような実質的に専制国家であるような国に占領されたら、日本国憲法なんか吹き飛ぶに決まっているんだから。それどころか侵略の先兵にされるのがオチ。なお、全文を引用するためかなり長くなるので、いつもの括弧書きではなく、左端を二文字分ずらせて記述する方式とする。次のようにある。
ロシアの侵略は確かに悪いが、現実を見るべきだという声は、この戦争が始まってから幾度となく上がった。そして、こうした声は、降伏や無抵抗を宣言してロシア軍の占領を{甘受/かんじゅ}し、それによって人々の命を守るべきだという主張とセットになっている。
こうした主張は善意から出ているものであろう。第二次世界大戦では、日本の政府と軍部が停戦条件を有利にするための「一撃」に固執し、あるいはソ連の仲介に過度の期待を寄せた結果、降伏が遅れた。その結果が沖縄や満州などにおける地上戦であり、多くの民間人が命を落とした。これをウクライナに繰り返させるべきではない、という主張は理解できる。
しかし、降伏の後にやってくる「占領」とはどんな状態なのだろうか。連合国軍による日本の占領は、世界史的には最も穏当な部類に入るものであった。そこには暴力(土地の強制収用や性暴力)が伴ったことは確かであるとしても、占領軍が敗戦国である日本国民を大量虐殺するとか、深刻な人道的危機に陥れるということはなかった。
つまり、日本の降伏は、人々が晒される暴力の度合いを大きく低下させた。命を守るために降伏すべきであるという主張では、このような「占領」が想定されていると思われる。
だが、この戦争におけるロシアの占領は全く異なっている。2022年9月、ロシア政府はウクライナ4州の住民による総意だとして占領地域を自国に「併合」した。つまり、ロシアの占領地域はそもそも占領地域として扱われていないのであって、これは国際法で定められた被占領地域住民の保護義務にロシアが縛られないことを宣言するものであった。
そして、ロシアによる占領は極めて過酷である。まず指摘されるべきは、ロシア軍が被占領地域住民に対して組織的な暴力を行使しているということだろう。ブチャにおける虐殺はその最も有名な例だ。キーウの西に位置するこの郊外都市では、ロシア軍によって占領されたわずか1カ月間に少なくとも1000人以上の住民が死亡した。しかも、その多くは戦闘の巻き添えではなく、拷問や処刑によるものである(Rainsford, May 16, 2022)。
また、ロシアは占領地域内で住民を不法に拘束してきた。2024年2月時点で確認されているだけでもその数は7000人に及び、解放された被拘束者の91%は拷問、虐待、性的暴力を受けたと証言している(Savva, February 28, 2024)。これに加えてロシアは占領地域内の子供たちを「保護」と称して連れ去っており、多くは児童養護施設などでロシア人として育てられているという。国際刑事裁判所(ICC)が事実認定した数は2万人以上に上り、2023年にはこのことを理由としてプーチン大統領に逮捕状が発行された(International Criminal Court, March 17, 2023)。
軍事面では、ロシア政府が占領地域内で徴兵を行っていることを指摘しておきたい。本来、占領地域内における徴兵は国際法(ハーグ陸戦条約及びジュネーブ第4条約)によって禁止されているが、ウクライナ4州を「併合」したと主張するロシアは、この点に全く顧慮していない。「併合」されたからには現地住民はロシア国民なのであり、したがって徴兵に応じる義務があるというのである。
ウクライナ4州では2023年の秋から徴兵が実施されており、ロシアに連れ去られた子供の中にも召集令状を受け取ってロシア軍に入隊させられている者が少なからずいる。
ロシアは徴兵を戦争に投入することはしないとしているが、12カ月間の徴兵期間が終わった後に契約軍人(志願兵)となれば話は別であって、現在ではかなりの数のウクライナ人青年が銃をとって同胞との戦いを強いられている可能性が高い(HUMAN RIGHTS WATCH, December 2023)。
占領の風景は、つまり占領がどのように行われるのかは、時代や状況によって大きく異なり、一概には言えない。ただ、日本人が自らの体験として知る占領と、第二次ロシア・ウクライナ戦争におけるそれとを同一視してはならないことは、以上から明らかであろう。降伏すれば、戦争はそこで終わり、殺されることからも殺すことからも逃れられるとは限らないのである。(35〜8頁)
このようなウクライナの状況を知っても、ロシアや中国のような実質的な専制国家に攻めてこられたら無条件降伏せよと言えるのだろうか。そう言い放つ人は、専制国家によって徴兵されてもいいのだろうか? そもそも日本国憲法など、どこかに吹き飛んでいるはずだからね。ちなみに一度戦争によって占領された国土が返還された例は、歴史的にもアメリカが日本に小笠原諸島と沖縄を返還した例くらいしかないらしい。もう一方の北方領土は、まさにそのロシアが占領したまま、返還する気は一ミクロンもなさそうだしね。
ということで、最初の予告どおり日本が関係する最後の章「第5章 日本はいかにロシアと向き合うべきか?」までいきなりワープしましょう。著者はまず、章の扉に「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という岸田文雄氏の言葉を掲げて、章の冒頭で次のように述べている。この言葉は≪開戦後間もない2022年6月、スペインで開催されたNATO首脳会合で出たものであり、その後も岸田はこの言葉を繰り返し用いてきた。ウクライナへの侵略を許せば国際安全保障秩序が脅かされかねず、それは回り回って日本の安全保障をも脅かすということである。筆者もこの考えを共有する(236頁)≫。岸田氏の他の言動、行動、無行動(たとえば改憲を推進するとか当初は言ってたのに、実際に何かしたっけ?)はここでは脇に置くとして、私めも、少なくともこの言葉には同意する。次に著者はこの見解に対して巻き起こった反論の類型を4つあげる。4つの反論類型とは次のようなもの。≪@ウクライナに対する侵略が他の地域(例えば東アジア)に波及することは自明ではない。¶A国際的な安全保障が脅かされているならば、日本は自国の防衛力強化に力を注ぐべきであって、ウクライナ支援のためにリソースを消耗すべきではない。¶B「ウクライナは明日の東アジア」という言説は軍拡を正当化するレトリックであって、それよりも外交に注力すべきである。¶Cロシアが侵略に及んだのはNATOの東方拡大や、米国がネオナチ勢力を使って引き起こしたマイダン革命、その後のロシア系住民の迫害が原因であって、ロシアを一方的に悪と断じる態度は誤りである(237頁)≫。
次に著者は以上の反論に一つづく答えていく。まず@は、≪ロシアのウクライナ侵略が東アジアに波及してくることは自明ではない、という第一の主張に、筆者は原則的に同意する。ロシアが戦争を始めたから中国や北朝鮮も戦争を決意すると考えるのはあまりに短絡的であろう(238頁)≫と断りつつ、その見方に対する二つの問題提起を行なっているが、その詳細はここでは省略する。個人的な見解を述べると、「未来の歴史をめぐる自明な仮説など存在しない」としか言いようがない。「自明」とは、限りなく100パーセントに近いことを意味するのであって、これから起こる歴史的できごとに100パーセント確実なものなどあり得ず、それはつねに蓋然性によって語られるしかない。つまり私めには、@の反論に意味があるようには到底思えない。
Aは保守派が主張しそうな反論に思える。この問いに対して、著者はまず≪日本の防衛力強化を優先すべきであるという第二の主張には、筆者は全面的に賛同する。21世紀においても大規模国家間戦争の驚異が存在し続けていることは、まさに第二次ロシア・ウクライナ戦争が証明したところであって、日本はこうした事態を抑止し、抑止が破れた後も対処できる能力を持たねばならない。少なくとも、現状における日本の能力が不十分であることは明らかであり、解決すべき課題は非常に多い(240頁)≫と釘を刺している。私めもこの見解に全面的に賛同する。二一世紀の現在は、東西冷戦下における奇妙に安定した時代が長く続いた二〇世紀後半とは大幅に様相が異なる。こんな誰でもわかることから目を背けている輩がまだ日本には一定数いるという事実は、実に嘆かわしい。著者は続けて、≪そのこととウクライナ支援が両立しないのかどうか(240頁)≫と問うている。この問いに対する著者の回答は、明示的ではなくかなりあいまいに思えた。しかし、次のような記述を読むと、両立するか否かは別として「本来はすべきである」と考えているようにも取れる。≪こうした軍事的大国[中国、ロシア、北朝鮮]に対して非・軍事大国が単独で抑止・対処を図るのが困難であることは、ほかならぬウクライナが証明してきた。G7諸国による支援がなければウクライナの抵抗はかなり早い段階で力尽きていたか、現在よりも遥かに不利な状況を強要されていたことは疑いない。あるいは、西側がウクライナ支援の姿勢を見せなければ、ロシアはとうに核兵器を使用して戦争にケリをつけていた可能性もある(241〜2頁)≫。G7には日本も含まれることはあえて言うまでもない。しかし、日本の場合は法的な制約が強いので、現状の法体系では支援の内容が相当に限定されることに間違いはない。
ちなみにここで、出羽の守がよく引き合いに出すドイツによって代表されるヨーロッパ諸国の軍事やウクライナ支援の現状に関する記述が第4章にあるので二箇所引用しておく。まずは次のようにある。≪重要なのは、欧州諸国が実際に軍事力増強に向けて動き出していることだ。最もわかりやすいカネを指標として見てみよう。2025年度版の『ミリタリー・バランス』によると、2024年度中に欧州の軍事支出は実質的に11・77%増加した。2014年と比較すると名目額で実に1・5倍の増加である。その最大要因はドイツがついに国防費の大幅増額に踏み切ったことで、2024年度の国防費は対前年度比23・2%の789億ユーロ(対GDP比1・83%)となった(IISS, 2025, p.62)。¶さらに2025年5月に就任したフリードリヒ・メルツ首相は、就任演説においてドイツ軍を「欧州最強の軍隊にする」と宣言し、2011年以降に停止されていた徴兵制の再開にも踏み切った。国防費もさらに増額される見込みであり、2025年度は対GDP比2・4%の860億ユーロ、対ウクライナ軍事支援を含めると950億ユーロにも達するとされている(Höller, June 26, 2025)。2029年には1620億ユーロ、対GDP比にして3・5%を達成する計画だ。対GDP2%という米国の要求をメルケル政権下のドイツがのらりくらりとかわし続けていたことを思い起こすと、まさに隔世の感がある(202頁)≫。
ウクライナではなくリトアニアへの軍事支援ではあるけど、現状のドイツに関してもう一箇所引用しておきましょう。≪2025年には、ドイツ軍がリトアニアへの駐留を開始した。配備されたのはドイツ陸軍内に新たに編成された第45戦車旅団で、2027年には完全な作戦能力を獲得するとされている(The Guardian, May 22, 2025)。旅団を構成する人員は4800人(このほかに文官200人)とされており、単にドイツが軍事プレゼンスを展開させるというものではなく、有事に侵攻してくるロシア軍を阻止することを目的とする重戦闘部隊である(214頁)≫。リトアニアはナチス・ドイツに占領されていた時代がある。グーグル検索で表示される「AIによる概要」には次のようにある。「リトアニアにおけるナチス・ドイツ占領下(1941−1944)では、国内のユダヤ人の90%以上がホロコーストにより殺害され、およそ20万人が命を落としました。ソ連の支配から解放されるという誤った期待から当初はナチスを歓迎したリトアニア人もいましたが、実際には過酷な弾圧を受け、多数のユダヤ人がポナリの森などで虐殺されました」。そのリトアニアに今や再びドイツ軍が駐留しているのですね。また東西ドイツ統合以前の冷戦時代には、ヨーロッパ諸国が東西ドイツが統合することを恐れていたわけだから、今や隔世の感があると言わざるを得ない。ドイツは、第二次世界大戦後憲法の縛りで、安全保障に関して自縄自縛に陥っている日本とは大きく異なる。ドイツが軍事力を急ピッチで強化している点をまったく無視して、日本との対比でドイツを礼賛する出羽の守は、無知であるとしか思えない。
ドイツに関してはそのくらいにして、著者はさらに次のようにも述べている。≪少なくとも、ウクライナ(あるいはその他の任意の被侵略国)が見捨てられても日本はそうはならない[G7などの他国から見捨てられない]と考えるのはあまりにも楽観的である。米国による拡大抑止(核抑止を含む)の信憑性が今後とも低下していくであろうことを考えるなら、なおさらであろう。ロシアによるウクライナ侵略をなんとしても失敗させなければならないという筆者の考えは、こうした点からも導き出されている(242〜3頁)≫。≪米国による拡大抑止(核抑止を含む)の信憑性≫とは、日本が実際に専制国家の侵略に直面した場合に、世に言う「そのときはアメリカ様が助太刀に来てくれる」という言説にどれだけ信憑性があるのかという意味なのでしょう。いずれにせよこの文章だけでは、「だからこそ日本はウクライナを支援すべきだ」と著者が考えているか否かはよくわからん。先にも述べたように日本には軍事支援に対する法的制約が大きすぎるので、著者としてははっきりと答えることはできないのかも。
Bは、「軍事ではなく外交」という、いかにも左派が主張しそうな反論だよね。はっきり言わせてもらえば、そのような主張をする左派は、なぜ軍事と外交は排他的、すなわち二者択一に選択されねばならない、あるいはすることができると考えているのだろうかと疑問に思わざるを得ない。その点に関しては、著者も次のような同様の指摘をしている。≪防衛力強化よりも外交に注力すべきであるという第三の主張については、むしろ「防衛力も外交も」という考え方を提起したい。これまで見てきたように、日本の防衛力が単独でできることには限りがある。日本の安全を確保していくためには諸外国との協力関係が不可欠であって、この意味において防衛と外交は相反するものではない。¶一方、外交によって脅威のレベルを下げるという考え方も排除されるべきではない。この先何十年にもわたって中国や北朝鮮と軍拡戦争を行い続けることの負担と不毛さを思えば、積極的に追及されるオプションとさえ言えるだろう(243頁)≫。ちなみに防衛と外交が表裏一体であることの格好の例として、有名なINF全廃条約の締結があげられている。なおINF全廃条約について知らない人のために、グーグル検索によって表示された「AIによる概要」をコピペしておく。「INF(中距離核戦力)全廃条約は、1987年に米ソが署名した、射程500〜5500kmの地上発射型核・通常ミサイルを全廃する画期的な軍縮条約。冷戦終結の契機となったが、ロシアの条約違反疑惑や中国のミサイル増強を背景に米国が離脱し、2019年8月に失効した」。この条約に関して、新書本には次のようにある。≪緊張緩和措置に向けてインセンティブを相手に持たせるためにも、どちらかの防衛力が相手側を大幅に下回って軍事力による現状変更の誘惑を引き起こさないためにも、「元手」として一定の防衛力を持っている必要があるということだ。1987年に米ソがINF全廃条約を締結できた背景には、欧州諸国がまず自国領内に米国の中距離核ミサイルを受け入れてソ連との核戦力均衡を図ったことを思い起こせばよいだろう(244頁)≫。つまり結局のところ、安全保障に関する外交に関しては、その基盤にどうしても軍事力が含まれざるを得ないということになる。
ところでここまでに出てきた「軍事」という言葉は、もっぱら「防衛」を指していることに留意されたい。≪「ウクライナは明日の東アジア」という言説は軍拡を正当化するレトリック≫という文に含まれている≪軍拡≫とは本来侵略戦争のための「軍拡」を指すべきであって、「防衛力強化」はそれとは異なる。左派はこれら両者を一緒くたにして自分に都合のいい言説を捏造しているのですね。「戦争」という言葉も同様で、左派は「侵略戦争」と「防衛戦争」を一緒くたにして前者の意味を後者に滑り込ませるという悪質な言説を弄することが多い。一例をあげると、「高市内閣は戦争準備内閣」だと言い放った左派の政治家(だったと思う)がいた。私めなら、そういう無責任なことを安全圏から放言する輩には「その戦争とは侵略戦争を指しているのですか、それとも防衛戦争を指しているのですか。あるいは両方ですか」と尋ねたくなる。もしそれが「防衛戦争」を指しているのなら、それに対応する内閣が「高市内閣」かどうかなど問いとしてまったく意味をなさない。なぜなら、いかなる内閣であっても専制国家が攻めてくれば防衛戦争をせざるを得なくなるのだから、現在の国際情勢に鑑みれば防衛戦争に対する備えをすることは当たり前田のクラッカーだからね。現実を無視してイデオロギー的に自分の気に入らない政治家を批判するしか能のないこの手の輩は、日本が実際に防衛戦争をしなければならない局面に至ったら、今度は「あのドイツでさえ国防費の大幅増額に踏み切ったのに、高市内閣はいったい何をしていたんだ!」と手のひら返しをするに決まっている。そもそも無条件降伏などしたらどうなるかは、冒頭で第1章の一部を取り上げたときに述べたとおり。また、それが「侵略戦争」を指しているのなら、「高市内閣は戦争準備内閣」だと言い放つ輩は、「高市政権がどの国を何の目的で侵略しようとしているのか」を、具体的な証拠をきっちりとあげて説明する必要がある。にもかかわらず、そんな説明はまったく聞いたことがない。説明できないのなら、それは無責任発言でしかない。というか、はっきり言って陰謀論と何ら変わらない。そもそもあの世界一の軍事大国アメリカでさえ、小国アフガニスタンに攻め入って居座ってから20年後には、サイゴン陥落以来のみじめな撤退と言われたような状況に追い込まれたことを考えてみればよい。日本が他国を侵略することにいかなるメリットがあるのか、ぜひ教えてもらいたい。しかも日本は島国だから他国を大規模に侵略するためには、それがいかなる国であれ上陸作戦を敢行しなければならないが、現代においてそれが成功するとはとても思えない。第二次世界大戦時に連合軍のノルマンディー上陸作戦が成功した理由の一つは、情報不足のためにナチスが上陸地点を特定できず、ブルターニュ半島には機甲師団を二個師団ほどしか配置していなかったからだとも言われている。しかし人工衛星や、それどころかネットを介して情報が飛び交う現代において、そんな奇襲攻撃が可能なはずはない。それらをきちんと説明できない限り、「高市内閣は戦争準備内閣」という放言には何の意味もない。マジで現代の日本の左派や左派メディアは、イデオロギーに完全に篭絡されているせいで、筋道だって論理的にものごとを考える能力を失っているとしか思えない。だから「戦争準備内閣」とかレッテル貼りをするしか能がない(そして最近の例で言えば、まあわが卒業大学の付属高校が事件に関わっているのであまり例にはあげたくはないのだが、それでもあえてあげると辺野古事件のような自分たちに都合の悪いことには口を閉ざそうとする)。同様に、誰かが軍事に言及するとそれに対してすぐに「勇ましい」というレッテルを貼ってそこで思考停止に陥るのも、現代日本の左派の一つの特徴だと言える(欧米の左派の多くは、軍事的な事象に対して「勇ましい」などというレッテルを貼ったりはしないだろうと思う)。
Cは親ロシア派や陰謀論者が主張しそうな反論と見ることができる。まず≪NATOの東方拡大≫については、著者は≪NATOの拡大がロシアを追い詰めて戦争を引き起こしたという見方には同意できない(245頁)≫と最初にはっきりと述べている。まあネットで言われているように、ロシアがウクライナ戦争を引き起こした原因がNATOの東方拡大であったのなら、スウェーデンとフィンランドがNATO加盟を表明した時点でロシアの思惑は挫折したと言わざるを得ない。そもそも、バルト三国がNATOに加盟した時点(二〇〇四年)、あるいはその直前にロシアは三国を侵略していなければおかしい。著者自身は、次の三つの理由で≪NATOの東方拡大≫論に与しないとのこと。なお詳細説明の部分は省略する。1)≪第一に、過去のNATO拡大に対してロシアは常に戦争で応えてきたわけではない(246頁)≫。その典型例がバルト三国のNATO加盟だと言えるでしょうね。2)≪第二に、NATOが対ロシア同盟としての性格を強めたのは、2014年の第一次ロシア・ウクライナ戦争の結果であった。ウクライナ国民の世論に関しても、2014年までは常にNATO加盟反対の方が賛成を上回っていた(246頁)≫。3)≪第三の、そして最も重要な単は、ウクライナのNATO加盟は開戦前の時点で全く差し迫っていなかった。(…)[第一次ロシア・ウクライナ戦争の結果として]現にロシアから侵略を受けている状態でのNATO加盟には米国も欧州諸国も極めて否定的であった(247頁)≫。≪NATO加盟には米国も欧州諸国も極めて否定的であった≫理由は、当然ながら≪もしウクライナがNATOに加盟すれば、他の加盟国は北大西洋条約第5条(集団防衛条項)を発動してウクライナ防衛のためにロシアと戦わねばならなくなってしまうからである(247頁)≫。
またマイダン革命やロシア系住民の迫害をロシアによるウクライナ侵略の原因と見なすCの後半に関しては、著者は次のように述べている。≪2014年のマイダン革命を米国による陰謀と見做し、革命後のウクライナ政府を違法なネオナチ政権であると位置付ける態度は、ロシアの言説をそのまま受け入れてしまっている。¶ロシアの言うことはなんでも嘘であって、頭から否定すればよいと主張しているわけではない。しかし、現時点においてこれらの主張を実証的に裏付ける証拠は存在せず、むしろ反証の方が多いこと(例えばゼレンシキー大統領以下の現ウクライナ政府がネオナチ的傾向を示しているということはなく、社会的にもネオナチは大きな支持を受けていない)を考えるならば、ロシア側の説明には一定の距離を取らねばならないはずである(247〜8頁)≫。ちなみに著者は一般的な「ゼレンスキー」ではなく一貫して「ゼレンシキー」と表記しており、これは私めの書き写し間違いではない。まあネオナチはどこの国にも少数ながらいるのだろうし、その少数者を当該国の代表集団のように扱うことが一種の情報操作、あるいはプロパガンダであることはあえて言うまでもない。
次に著者は、ウクライナに対して日本がすべきこと、あるいはできることについて論じている。最初に次のようにある。≪第一に求められるのは、ウクライナの抵抗を支援することである。ただ、大規模な軍事的支援が現状の日本に難しいことはすでに述べた。また、こうした大きな政策転換を行うにあたっては国民的な議論が必要なことはもちろんであり、我が国においてそうした議論が十分に煮詰まっているとは思われない。したがって、この戦争に対して日本が取るべき行動は、「すべきこと」と「できること」の兼ね合いによって決まるのでなければならない。¶こうした中で、ウクライナに対する経済・民生支援は「すべき」であり、なおかつ「できる」ことでもある(249〜50頁)≫。ここまでは、特に意外な見解には思えない。
次に著者は軍事面での支援について論じている。まず次のようにある。≪この戦争が(…)消耗戦争であるとするなら、ウクライナが独立と主権を守り切る鍵は、自国の消耗を抑えつつロシアの損害を最大化することである。そのための手段は多岐にわたるが、日本が大きく貢献できるのは、陣地構築のための工兵用機材としてパワーショベルやブルドーザーなどの{建機/けんき}を提供することではないだろうか。¶ウクライナ軍がこの戦争の中で「機動の回復」を果たすことはおそらく困難であり、今後ともロシアに対して防勢に回り続けねばならないと想定されるからである。とするならば、前線やその後方地帯を徹底的に要塞化して消耗をめぐるロシアとの競争において優位に立つことがウクライナにとって現実的な戦略になるだろう。(…)日本政府はこれまでにも国際協力機構(JICA)を通じて建機の提供を行ってはいる。ただ、これらはあくまでも「非軍事的協力による平和と繁栄への貢献」を掲げる開発協力大綱の原則に沿って民生支援として行われてきたものであり、ウクライナ軍が工兵機材として使用できるものではなかった。¶これはこれで日本流の協力として継続するとして、防衛省などが中心となって軍事用途の建機を提供することも真剣に検討されるべきである。建機大国・日本だからこそできる、被殺傷性だが戦略的インパクトの大きな軍事援助となるだろう(251〜2頁)≫。最後の文中にある≪被殺傷性≫という表現は意味が私めにはよくわからんが、「非殺傷性」の間違いなのだろうか?
ここまでに関しても、特に意外な見解ではないように思えるが、そこから先の記述は、おそらく現代日本の左派を発狂させるでしょうね。次のようにある。≪さらに言えば、我が国の防衛所要を割り込まずしてできる支援[奇妙な言い回しだけど、おそらく日本自身の防衛要件を満たせなくなるような支援という意味なのでしょう]があるなら、殺傷性装備であっても供与すべきというのが筆者の考えである。日本人の税金で調達し、日本の工場で作られた武器がロシア兵を殺すことに大きな戸惑いや嫌悪感を覚える、ということも理解はできる。あらゆる紛争から距離を置いて平和主義に徹するべきであると戦後の日本では考えられてきたし、筆者の所属する研究グループが実施している外交・安全保障に関する世論調査でも、北朝鮮や中国が隣国を攻撃した場合に「何もするべきではない」と答えた人の割合は2〜3割に達している(合六、飯田、鍛冶、小泉、中井、2025年9月、20頁)。¶ただ、筆者が問いたいのは、「平和主義」をどのように定義するのかである。あらゆる戦争に関与しない、交戦国のどちらにも{与/くみ}しないというのも、ひとつの平和主義であろう。だが、それは、目の前で起きている侵略やその中で死んでいく人々を見殺しにするということでもある。¶ウクライナの団地に爆弾を落としに来る戦闘爆撃機を、日本製の防空システムが撃墜することは是か否か。ロシアのパイロットを殺してでも民間人を爆弾から救うことと、誰も殺さないでその結果起こる死を受け入れることは、どちらが道徳にかなうのか。明確な答えはない。しかし、筆者は前者の立場に立ちたい(253〜4頁)≫。まあ確かにむずかしい問題ではあるけど、ここでは個人的な見解を一点だけ述べておきたい。これまで別の本を取り上げたときに何度か述べたように、日本の左派や自称リベラルが唱える絶対平和主義とは、不作為のフリーライダー主義と何ら変わりはない。そういった態度を取ってカネさえ出せばいいと考えていると、日本が世界から信用されなくなることは、湾岸戦争が終結したときにいやというほど思い知らされたはず。湾岸戦争当時より、さらに世界が混乱を来している今日において、日本がそのような態度を取ることは、余計に日本の信用を失墜させる結果になりかねない。賛成するか反対するかは別として、その点を十分に考慮しながら、著者の提案について検討することは非常に重要だと思う。軍事に関する言葉や提案を聞いただけで、ネトウヨというレッテルを貼ってそこで思考停止してしまうような現代日本の自称リベラルの態度は許されるべきものではない。それでもよかった20世紀の冷戦時と二一世紀も四半世紀が過ぎた現在とは状況がまったく異なるのだからね。
さらに著者は次のように述べる。≪ウクライナの経験は、日本にとっても重要な教訓となる。ひとたび抑止が破れた後に残るのは、主権の放棄にも等しい理不尽な要求を飲むのか、多くの国民が命を落とし続けることと引き換えにあくまでも抵抗を続けるのかのどちらかである。この極めて不愉快な二者択一を、日本はなんとしても回避せねばならない(254頁)≫。そう、専制国家に無条件降伏などすれば、≪主権の放棄にも等しい理不尽な要求≫を飲まされ、当然ながら日本国憲法などどこかへ吹っ飛ぶ。ではそのような状況に至らないようにするためにはどうすべきなのか? 著者は次のように述べる。なおかなり長く引用するので、ここも左端を二文字分ずらせて記述する方式とする。
そのためにまず求められるのは、日本自身による抑止力の強化である。{狭隘/きょうあい}な国土という制約を抱える一方、仮想敵のすべてから海で隔てられているという地政学的優位を我が国は持つ。この点をフル活用するために海上・航空拒否力の大幅な強化を図らねばならない。
ただ、凄まじいペースで海・空軍力の質的・量的増強を進める中国に対して正面から対抗することは困難であり、無人システムやICT[情報通信技術]を用いた非対称型の抑止力を思い切って進めることが我が国としての方向性となろう。これに際しては、実際に無人システムを用いて黒海西部の海上優勢を確保したウクライナの経験にも大いに学ぶべきである。
それでも、我が国が単独で[仮想敵国にとって]信憑性のある抑止力を維持・構築することは難しい。中国・ロシア・北朝鮮がいずれも核保有国である事実(しかも中国とロシアがそれぞれ世界第3位と第2位の核戦力を保有するという事実)を踏まえるなら、米国の拡大核抑止力は今後とも我が国の安全保障の中核を成す要素であり続けざるを得ないだろう。
ただ、国際秩序の維持から米国が徐々に後退していこうとする中では、以上を自明の前提と見做すことはもはやできない。通常戦力レベルでの抑止力については自国でできることはやり、どうしてもカバーしきれない部分(核抑止力)だけは米国に依存するという姿勢を我が国が示すのでなければ、拡大核抑止力を繋ぎ止めることは困難である。このことはまた、大国間戦争の抑止(戦略レベルの安定性)を維持しつつ、大国による非・大国への侵略抑止(地域レベルの安定性)にも貢献しよう(Takahashi, 2021)。
したがって、非核長距離打撃力(例えば中国の航空作戦を阻害する飛行場攻撃能力)などについても、可能な限り自前で保有することが我が国には求められる。その発射プラットフォームの整備や、逆に仮想敵の長距離打撃能力に対する{抗堪性/こうたんせい}[航空基地やレーダーサイトなどの軍事施設が、敵の攻撃に耐えてその機能を維持する能力]の強化も併せて進める必要がある。このうちの抗堪性強化については、ロシアの激しい空襲下でも4年に及んで社会・経済・軍事機能を維持し続けたウクライナの経験が重要な指針として参照されるべきであろう。
最後に、米国以外の友好国とも安全保障上の関係をさらに発展させていかなければならない。大国の侵略を阻止するにあたって必要とされる膨大な武器・弾薬、戦略・作戦・戦術レベルの情報、兵站・増援ルートなどを確保するためには、欧州からインド太平洋地域における幅広い国々との協力が求められる。
あるいは、侵略国に対する協力を手控えさせるために有事の中立を期待できるような関係性をグローバル・サウス諸国と構築することも必要となろう。(254〜6頁)
最後の二段落に関してのみコメントしておくと、そこに書かれていることは、安倍氏のインド・太平洋構想がいかに先見的であったかを示していると言える。それから次に対ロシア制裁について次のように述べられている。≪対露制裁は維持すべきであるというのが筆者の考えである。その最大の理由は(…)、ロシアによる侵略行為を容認せず、そのために行動を起こすことは、単なる善悪論を超えた安全保障上の国益につながる。少なくとも、ロシアがウクライナ侵略を継続する限りにおいて、日本が国際的な制裁網に穴をあけるようなことは断固すべきではない(257頁)≫。まあ天安門事件が起こったときに日本が国際的な制裁網に穴をあけたことは、少なくともネットではよく知られている。
あとは「おわりに」の「やって来る戦争との向き合い方」で述べられている次の文章を引用して、この本に関しては終わりにしましょう。≪戦争は何の落ち度もない国家・社会・個人にも降りかかってくる。¶本書において様々な角度から述べてきたように、第二次ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアによる身勝手な侵略である。冷戦後も続いてきたNATOとロシアの軋轢をどう見るかについては若干の留保の余地はあるにしても、ウクライナが「ナチス」であるとか、「ロシア系住民を弾圧している」といった主張には明らかに根拠がない。¶それでもウクライナは戦争に直面せざるを得なかったのであり、このことは我が国における戦争への理解に重要な示唆をもたらすものである。戦争は、こちらから「起こす」ものであるとは限らず、「やって来る」こともある、ということだ(263〜4頁)≫。≪こちらから「起こす」≫戦争とは侵略戦争のことであり、≪「やって来る」≫戦争とは防衛戦争のことである。現代の日本の左派は、この両者を一緒くたにしてただ「戦争」と称し、あろうことか前者に含まれるコノテーションを後者にも忍び込ませるというインチキをやっている。そのような態度がいかに有害で、のみならず「防衛戦争」をせざるを得ない状況に日本を追い込む可能性を高めるであろうことはウクライナの状況を見ればよくわかるはず。
※2026年4月22日