◎本村凌二著『独裁の世界史』(NHK出版新書)
著者の本村氏は古代ローマ史の専門家だからか、ギリシヤ、ローマに関する記述が230頁のうちの150頁ほど続いている。昨今の話題という点からすると、「第12章 なぜロシアでは独裁が続くのか」が興味深そうではあるんだけど、専門外だからか10頁程度しか残念ながら割かれていない。
一番おもしろかったのは「第10章 革命と「恐怖政治」」で、とりわけフランス革命やロベスピエールに関する記述は興味深い。次のようにある。「ロベスピエールは、「理想」を掲げて対立と分断を先鋭化させ、敵と味方を{峻別/しゅんべつ}して自分にとって不都合な人間に「反革命的」というレッテルを貼り、それだけを根拠に片っ端から処刑していきました(161〜2頁)」。
「処刑」のくだりを除けば、現代の自称知識人にもこういうタイプの人がけっこういるよね。戦後長らく教育界でも左派思想が優勢を占めていたからか(そもそも学者先生がそう言っておられる)、フランス革命に関しては良い面だけが取り上げられ、それと同程度に悪い面があったことが閑却されてきた(私めが中学高校生の頃もフランス革命は良きものとしてしか教えられていなかったのを覚えている)。
悪いの面の一つはロベスピエールの行動が象徴するような暴力性であり、歴史家のサイモン・シャーマらによれば、そのような暴力性は何もロベスピエールに限られるのではなく、穏健だった革命当初から暴力性が秘められていたとのこと。
その後、ロシア/ソビエトや中国で起こったことを考えてみれば、その悪影響の大きさがよくわかる。確かに革命当初は革命家が原動力として重要であることは否定できない。でも、現実を見据えてさまざまな調停を行わねばならない政治の領域に、「理想」を旗印とする革命家が居座るとロクなことにならないということを、さっそくフランス革命が示してくれた。
それから最終章でノア・ハラリ氏の本への言及があるけど、私めはノア・ハラリ氏の言説をまったく信用していない。『Sapience』の後半を読んで「こやつの考えはかなりあぶないぞ!」と思ったから、それ以後の彼の著書は読んでいないので、ここにあげられている『21 Lessons』も読んでいないけど、次のことは言える。彼はその本でAIがすべてを決定する「デジタル独裁」の可能性を指摘しているらしいけど、「民主政治の半分の要素を見落としていませんか?」って思った。つまり民主政治では「決定」だけが重要なわけではなく「参加」も重要だと考えられているってこと。前者だけをとって後者の要素を完全に捨て去れば「デジタル独裁」は確かにありうるだろうけど、そうなるとは私めにはなかなか思えん。
それから本村氏は、ノア・ハラリ氏の考えに関して「これからわれわれも、一国単位で考えるのではなく、世界規模で考えなければいけないというのです。興味深い指摘です(234頁)」と述べているけど、私めには、まさにこのようなノア・ハラリ氏の考えは非常に危ういと考えている。確かコロナが蔓延し始めた頃に、朝日新聞は「これを機に国境はなくしていくべきだ」というような主旨のノア・ハラリ氏の見解を掲載していたと記億しているけど(オンライン記事で読んだ)、これほどやばい考えはないということを今後のレビューを通じて明らかにしていくつもり。
ちなみにノア・ハラリ氏はユダヤ人のはずだけど、ユダヤ人にはアシュケナージ/セファルディムという分類のほかにも、グローバリスト/シオニストという分類が適用可能であるように思われる。グローバリストはまさに「世界から国境をなくそう」と考えているような人々で、ロスチャイルド家などはその典型であるように思える。それに対してシオニストは、イスラエルという国家を重視する。中東でアラブ民族と抗争しているのは後者なのだろうけど、前者のグローバリストはそれよりもっと問題だと思う。おそらくノア・ハラリ氏もこのグローバリストに分類されるユダヤ人なのだと思う。
私めなら、ノア・ハラリ氏や本村氏とは違ってこう言う。「これからわれわれも、一国単位で考えるべきことは一国で考え、世界規模で考えるべきことは世界規模で考えなければいけない」と。つまりものごとには粒度があるのであって、粒度に従って適切な方針を取らねばならないってこと。
たった今、ロビン・ダンバーの新刊『How Religion Evolved: And Why It Endures』(OUP, 2022)を読んでいるけど、過去の彼の著書同様その本でも、なされるものごとによって集団の人数が限定されるというようなことが書かれている。ダンバーさんが言っているわけではないけど、たとえば民主主義が繁栄するには集団のサイズがある範囲になければならないはずで、最適か否かは別としてそのサイズにもっとも近いのは国民国家なのではないかと、私めは思ってる。本村氏も「共和政も民主政も、一定以上の規模になると破綻してしまう(221頁)」と書いている。
要は国民国家を軸とするナショナリズムは必ずしも悪ではなく、拡張主義によってその規模が拡大したときに悪が顕現するってこと。共産党に支配されたソビエトや中国は国民国家ではなく帝国のたぐいであり、現在のロシアは仮に国民国家だとしても大ロシア主義のプーチンの独裁のせいで、とても国民国家とは言えない状態になっている。そこをとり違えてはならない。
※2023年4月28日