◎岡本隆司著『悪党たちの中華帝国』(新潮選書)
いわば中国史の悪党列伝って感じの本で、歴史好きの人にはおもしろいのかもしれない。個人的にはそこまで歴史好きではないけど、現代の中国を考えるうえでけっこう有用な記述があって、実のところ「はじめに」と「おわりに」が一番興味深かった。
ここで重要になるのは、「悪党」というキーワードで、「悪党」という言い方は当然ながら普遍的な評価でもなければ、ましてや著者の主観的評価でもなく、「中華帝国」の時代に生きた世間の人々や権力者から「悪党」と見なされていた人物という意味である点に留意する必要がある。
そのことは「おわりに」で、この本に登場する「悪党」に関して次のように述べられていることからも明白になる。「しかしながら事績をつぶさに見れば、ここまで述べてきたとおり、それぞれ多かれ少なかれ、時代の課題・要請に応じようとした言動・進退だった。そうした試行に仮借なく錯誤という結果をつきつけ、個々人に対する{毀誉褒貶/きよほうへん}を判断基準として、「悪党」という烙印を押しつづける。それが「中華帝国」のメカニズムだったのかもしれない。それなら「中華帝国」とは「悪党たち」の歴史にほかならず、中国史上「悪党」がきわだつゆえんでもある(335頁)」。
それから「悪党」とともに本書のキーワードをなす「中華帝国」のとらえ方にも興味深いものがある。というのも、これまで何度もツイしてきたように現代の中華人民共和国を含めて中国とは、日本や欧米諸国のような「国民国家」ではなく「帝国」であり、それがかの国の広域主義的、拡張主義的、専制主義的な政治体制につながっていると、個人的には考えているから。
それに関して本書の「はじめに」に次のようにある。「まず帝国には、近現代で国民国家の範囲を越える広域の統合支配を指す意味があって、おそらく現在、最もポピュラーな用法だろう。「大英帝国」「イギリス帝国」というような歴史用語が典型であろうか(3頁)」「中国はスケールでいえば、時代によって大小の差こそあれ、それでも一貫して「帝国」であった。いまも{然/しか}りであろう(4頁)」「皇帝君臨による広域の統合支配は、世界史のうち中国でこそ、最も長期で{顕著/けんちょ}な特徴だった。そのため「中華帝国」は、中国史を最も端的にあらわす述語だということにもなる(5頁)」。
もちろん現在の中国に皇帝はおらんけど、三期目のトップに選ばれた習近平は、限りなく皇帝に近づいたと言えるでしょうね。こうしてみると、この展開は中国史の観点からすれば必然的と言えるのかもしれない。
その点で、本書でもっとも個人的に興味深かった「悪党」は梁啓超だった。彼はそんな中国で国民国家の建設を目指して失敗し、結局晩年に自己批判して「中華帝国」の擁護に回帰してしまったらしい。それに関して「おわりに」に次のようにある。「エリートと庶民の{解離/かいり}が著しく、多層化してまとまらない二元社会は、転変を重ねて、「帝国」を経営し「中華」を再考しようとした為政者・思想家を悩ませた。(……)梁啓超はそこを克服しようとした。日本を媒介にして西洋を体得紹介し、「国家主義」の浸透・国民国家の建設を処方する。けれどもやがて診断に合わない病症に直面して、自らの処方箋を撤回、病根の診察をやりなおさざるをえなかった(336頁)」。
以上のことから現代中国に関して著者が引き出す結論はおもしろい。次のようにある。「中国はこのように古来「帝国」であって、多元的な社会を統治すべく、「悪党」を生み出し続けてきた。そのうえで現在、国民国家を構築すべく模索し、各方面で{摩擦/まさつ}を起こしている。中国が覇権的な「帝国」のようにふるまうのも、習近平が強権的な「皇帝」にみまがうのも、そうした歴史的な所産といってもよい。¶ところが欧米諸国および日本は、こうした事情を必ずしも十分に理解できていないようである。強権的な「皇帝」・覇権的な「帝国」といえば、基本的人権・民主主義・国民国家・国際秩序、そして反帝国主義に違背する、つまり「普遍的価値」に反する、という言説が多い。¶そうした「普遍的価値」は、種々の要件を満たして、はじめて成立する。地勢的にまとまった一定規模の国土、言語習俗の均質な住民などはその典型であって、そうした要件をそなえた国は、現在の世界をみわたしても、数的に決して多いとはいえない。また誕生してからまだ新しく、長く数えても数百年である。「普遍的価値」というけれども、史上それほど「普遍的」な存在ではない。¶一九世紀から二〇世紀にかけて、そうした国民国家が帝国主義を実現して世界を制覇し、国民国家と国際秩序がひとまず世界のスタンダードになった。中国もそんな{趨勢/すうせい}のなかで、「帝国」から国民国家への転身をはかっている(340〜1頁)」。
最後の一文に関しては、「ならば梁啓超が踏んだ轍を再び踏まないようにするにはどうすればよいのか?」と問わねばならないはずだけど、その答えは書かれていない。そもそも今の中共は「帝国」から国民国家への転身どころか、「帝国」の強化を図っているようにさえ見える。
「普遍的価値」に関して個人的な考えを述べておくと、私めは絶対的な相対主義者ではないから「普遍的価値」なるものがあることは認めるにやぶさかではない。しかし「普遍的価値」は、著者のいう「地勢のまとまった一定規模の国土」「言語習俗の均質な住民」など、人々の生活が反映された局所的な文脈のなかでしか体現し得ないのであって、結局はボトムアップに達成していくしかないと考えている。
ものごとには粒度があるのであって、トップダウンで現実を無理やり「普遍的価値」に合わせようとすると必ずや今の中国がやっているような少数民族の抑圧や、拡張主義のような帝国主義的な政策の実施、はてはファシズムに至ると考えている。だから私めは、「国境のない世界」などという考えには賛同できない。そんな考えはファシズムのレシピにすぎない。
最後につけ加えておくと、「あとがき」によれば、新潮選書には「悪党たちの〜帝国」というタイトルの本をシリーズ化する意向があるらしい。ならばぜひ現在の世界情勢に鑑みて「悪党たちのロシア帝国」という本を刊行してほしい。ロシアも、一見すると国民国家のように見えるけど、いかにも帝国主義的に振る舞っている。それを歴史的な観点から考察した本なら、少なくとも私めは、必ず買うよ。
※2023年4月28日