彼女が、50年代を代表する女優さんの一人であることに異論のある人は、ほとんどいないはずです。50年代以後の出演作のほとんどは、アメリカ映画であるとはいえ、彼女がイギリス出身であることは、周知のところでしょう。何しろ、イギリス映画の「黒水仙」(1947)に出演した後、ハリウッドにスカウトされた時には、英国映画史上最大の損失とまで言われたようです。同様にイギリス出身のスーパースターであるケーリー・グラントとは、「Dream Wife」(1953)、「めぐり逢い」(1957)、「芝生は緑」(1960)で三度カップルとして共演しますが、最後の「芝生は緑」では倦怠夫婦として登場するのが何とも共感を呼ぶのではないでしょうか。「あのスーパースターの二人でさえ!」というわけです。「結婚専科」(1965)では、何と!黒いネグリジェを着て誘惑するにも関わらず、あのフランク・シナトラに見向きもされなくなってしまいます。どうやら「旅路」(1956)あたりからオールドミスを演じることが多くなるのは、年齢的に致し方ないところかもしれません。40年代後半から、6回オスカーにノミネートされながらついに一度も受賞に至ることはありませんでした。個人的な感想を言わせてもらえば、個性よりも優雅さが勝っているために、オーディエンスのまぶたに強烈なイメージを焼き付けるパンチ力にやや不足していた感があります。また、声の質がどちらかといえばハイピッチなので、印象が軽くなり若干損をしていたのかもしれません。きっと、キャサリン・ヘップバーンのように、オーディエンスの記憶に強い印象を刻印するしゃべり方と振舞い方を会得していたならば、6回ともオスカーに輝き、ヘップバーンの記録を抜いていたかもしれません。ただ、それでは、もはやデボラ・カーであるとは言えないのも確かでしょう。いすれにしても、偉大な女優さんであったことに間違いはありません。 |
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1947
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黒水仙
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1958
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旅路
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1950
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キング・ソロモン
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1959
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悲愁
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1951
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クオ・ヴァディス |
1960
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サンダウナーズ
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1952
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ゼンダ城の虜
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1960
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芝生は緑
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1953
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地上より永遠に
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1961
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回転
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1956
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王様と私
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1963
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ドーヴァーの青い花
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1956
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お茶と同情
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1964
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イグアナの夜
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1957
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白い砂
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1965
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結婚専科
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1957
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めぐり逢い
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1969
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さすらいの大空
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1958
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悲しみよこんにちは
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1969
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アレンジメント
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