連濁(れんだく)


佐藤和美


 連濁(れんだく)とは語と語が接続するときに、後の語の最初の音が清音から濁音にかわることをいう。「やま」と「はと」が接続して「やまばと」になるときの、「は」が「ば」になる変化をいうのである。

 連濁は訓読ではどのような場合に起こるのかはっきりしていないが、音読でははっきりその規則性がわかっている。

 「者」の音読は「シャ」で「ジャ」とは決して読まないが、「忍者」や「行者」の場合は「ジャ」と読んでいる。これが連濁である。音読の場合、連濁が起こるのは鼻音(m、n、ng)の次にくる語である。「忍者」は「ニン」の次に「シャ」があるので「ニンジャ」になった。では「行者」はどうして「ギョウジャ」なのか。これは「ギョウ」の「ウ」が[ng」だからである。「行」は呉音が「ギャウ」、漢音が「カウ」、唐音が「アン」である。これらは「ウ」と書かれていても、語尾の発音は「ng」なのである。(詳しくは「漢字と日本語」を参照のこと)「王者」(オウジャ)の「王」の語尾も「ng」である。

 天智天皇が「テンヂテンノウ」で、明星が「ミョウジョウ」なのも連濁である。(「星」の呉音が「シャウ」、漢音は「セイ」である。「明」は呉音が「ミャウ」、漢音「メイ」、唐音「ミン」である。)

 時代が新しくなると、連声と同じように、連濁の習慣がなくなっていった。地名としての「両国」は「リョウゴク」だが、日米「両国」の場合は「リョウコク」となるのである。
 また「三階」は「サンガイ」から「サンカイ」にかわってきている。

 「総菜」は「ソウザイ」。これも「ソウ」の語尾が「ng」だからである。独身者のことを「チョンガー」というが、これは「総角」の韓国・朝鮮語での音読である。これで「総」の語尾が「ng」なのがわかるだろう。

 韓国・朝鮮も漢字文化圏なので、当然音読と訓読がある。訓読がもとからの韓国・朝鮮語なのだが、音読は日本語の音読と起源を同じくしているので、共通性があるのだ。(これに関しては「漢字と日本語」、「連声」を参照のこと)

(1998・6・28)


(注)
「洪水、香水」(2001/12/05の伝言板より)

yukikoさんご紹介のHPに私のHPの『連濁』のことがふれられてました。

その中で

洪水 「こう」+「すい」→「こうずい」
香水 「こう」+「すい」→「こうすい」

なぜこういう違いが出てくるのか?
というのがありました。

私は『連濁』の中で、
「時代が新しくなると、連声と同じように、連濁の習慣がなくなっていった。地名としての「両国」は「リョウゴク」だが、日米「両国」の場合は「リョウコク」となるのである。」
と、書いてます。
「香水」(こうすい)はそう古い言葉ではなさそうです。それで連濁になってないのでしょう。

『大辞林』にこういうのが載ってました。
こうずい【香水】
〔仏〕 諸種の香を入れて作った、仏前に供える水。身体に注ぎかけたり、仏具・道場をきよめたりするのに用いる。閼伽(あか)。

『連濁』の文章の「両国」を「香水」に置き換えると、こうなるでしょう。
「時代が新しくなると、連声と同じように、連濁の習慣がなくなっていった。仏教用語としての「香水」は「こうずい」だが、化粧品としての「香水」の場合は「こうすい」となるのである。」


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