言葉の世界・伝言板 2003年1月



ウラジオ EVA 英語のジュと中国語のr

高駒麗人 (2003/01/31 23:19)

Maniac Cさんへ ご説明ありがとうございます。

>→□は□にrの逆様になったものがくっ付いている記号です。
巻舌の曖昧母音の記号でしょうか。

>旧假名遣いで「ウラヂヲストック」だったものが、現代假名遣いで「ウラジオストック」となり、本来「ヴラヂ(支配)+ヴァストーク(東方の)」であるべきものを「ウラジオ(浦塩)+ストック(斯徳)」と異分析した結果、「ウラジオ」になったものです。シナ語では「海参威」と、物の本に書いてありますが、これは一体…?

日本では「浦塩斯徳」と書いていたことがあるんですか?タカウ(ダゴウ打狗)→「高雄」と似ていますね。こういう当て字はよくないなあ…
http://homepage2.nifty.com/paopao3/vld1/index.htm
http://loasa.s15.xrea.com/botany/REGION/WORLD/RUSSIAN_SYBERIA/

ロシア沿海州Primorskyはかつて清国領だったこともあり、現代のロシア語名以前にシナ語名もあった筈です(満州語名もあった筈ですがよくわかりません)。

Vladivostok(vladi「支配する」、vostok「東」)は、傳統的シナ語名で「海参威」Haishenweiです。今でも中国でシナ語を学んでいるロシア人に故郷は何処か聞くと「海参威」と答えてきます。「威」weiの上に「山」を書く場合もあり、これは日本語フォントには無いようです。

Vladivostokというロシア語名をシナ文字(漢字)であらわしたシナ語名は「符拉迪沃斯託克」Fuladi-wosituokeになります。
http://www.transwinfreight.com/gjys.htm
「運達全球貨運公司」Vostochenyは「東方港」Dongfanggang、Nakhodka[naxotka](ナホトカ)は那霍的[上の下にト]Nahuodekaです。「北朝鮮」の名も見えます。

一方、Vladimir(vladi「支配する」とmir「世界・平和」で「世界の支配者」)はヴラヂーミルの筈が、やはり日本ではウラジーミル(裏地見る?)になります。
Vladimirはシナ語で「弗拉基米尓」Fulajimi'erになり、同じvladiが「符拉迪」Fuladiと「弗拉基」Fulajiの二種類に別れています。

Khabarovskのロシア語名を漢字で現したシナ語名は「哈巴羅夫斯克」Habaluofusikeですが、傳統的シナ語名では「伯力」Boliです。
http://www.jctrans.com/topic.asp?topic=5019(世界の地名のシナ語漢字表記)
↑Yokohama横濱、Tokyo東京、Nagasaki長崎もあり。シナ語では横濱(横浜)はHengbin、東京はDongjingになるので、中国人は日本語を知らない限り、Yokohama、Tokyoといった綴りを見ても何処の事かわからない。

>私だったら「福音使徒」とするでしょうに。
その方がイメージに合っていますね。「ダ・カーポ」誌の記事「我々は何故EVAに魅せられたか」で、EVANGELIONはギリシャ語で福音の意味だと書いてありました。
>EVAは、体を構成する物質は粒子と波の性質をあわせ持つ光のような未知の物質
それは初めて知りました!

初号機の拘束具が剥がれた時「まさか、目覚めたの、彼女が」と叫んだのは葛城ミサトでなく赤木リツ子博士だったかもしれません。使徒は合体能力の他に再生能力も凄いので、ヒトデやプラナリアぐらいの(進化の程度から言って)単純な生物かもしれません。
渚カヲルや綾波レイは使徒ですか…。日向マコトが「パターン青!使徒です!」と叫びそうですが…。カヲルとレイが赤いをしてたのもそれと関係あり?(EVAの話題は別のアニメ掲示板でやりましょうか)
http://cn.ent.yahoo.com/030120/64/1fcye.html
http://www.evangelion.co.jp/(EVA)
http://www.bekkoame.ne.jp/~weltraum/eva.html(EVA)
http://8618.teacup.com/pokon/bbs(アニメ掲示板)

>藤堂氏の書物ではrの摩擦音であることを表すřという文字が、日母の音を表す記号として使われています。
「学研漢和大字典」では「日」の發音を riet>riと記述していますが、これは řiet>řiであり、ř は、zの下に小さい「し」をつける記号でも表される有声巻舌破裂音でしょう。

http://www.bekkoame.ne.jp/~weltraum/eva/board.html



同系に関する疑問

ヒグチ (2003/01/31 20:54)

以下に、辻本さんお書き込みに関連して、私が感じる疑問を書き込みますので、
どなたかからの御意見が頂ければ幸いです。
以前、辻本さんが、「同系というのがわからない」と書き込みされていましたが、
私も同系の定義が理解できていません。
日本語とタミル語を例にとります。
この二つの言語は、文法がよく似ていて、単語も似たものがあり、
大野先生は基本単語2000語中に500語の対応があると主張されています。
単語の対応には、間違いが含まれるかもしれませんが、
それでも、おそらく偶然以上の対応と言えるでしょう。
偶然の域を出ないという方もいらっしゃるかもしれませんが、
多少のこじつけを含めて、英語と日本語の2000語中に
500語の対応を見出すことを考えれば、偶然とは言えないように思います。
ここで、比較言語学に詳しい人たちは、
「似た単語があるくらいでは同系と言えない。」と主張します。
私は、同系ではないというのは、それでいいのですが、
そのような主張の裏には、「同系でない言語は全く関係がない言語」
という意味が含まれるように感じるのです。
比較言語学から見れば、大野先生の主張からは、
日本語とタミル語に多少の関係さえも認められないのでしょうか?
また、少しは関連があると考えた場合に、「同系語」と「関係がある語」の
線引きはどのように行うのでしょうか?
印欧語における音韻対応において、あまりに良い対応が見られたために、
比較言語学では、それを標準と考え、
その基準に達しないものは同系とは認められないとしているよう感じます。
また、印欧語における音韻対応には例外についても一定の法則が見られるのに、
日本語とタミル語では、それが見えてこないと指摘されます。
しかしながら、印欧語におけるその法則にも必然性はなく、
結局は、結果を説明するための法則ではないでしょうか。
しかし、それでは、「なぜか分からない」の域を出ておらず、
説得力という点では、大野説とあまり変わらないように思います。
仮に、その法則が理論的に予想され、
それが結果とよく一致していたというのであれば、説得力がありますが。
以上について、御意見・ご指摘をお願いします。



RE3: 「サチる」「コンタミ」について

ヒグチ (2003/01/31 19:46)

Maniac C.様
いつも詳細な説明ありがとうございます。
音韻体系の変化に関しては、
Maniac C.さんが挙げた例を全て知っていたわけではありませんが、
ある程度は承知しています。
ただ、他の言語から何らかの作用があった場合に、音韻体系を変えてしまうよりは、
他言語からの作用をもとの音韻体系に合うように変化させるほうが
楽ではないかというのが私の予想です。
また、タミル語に2音節を超える長い単語があるかということですが、
大野先生が挙げている単語の中に3音節のものは多く見あたります。
それに対応していると思われる日本語は、
多くの場合1音節か2音節までとなっています。
西洋技術について、医学や航海・造船技術は、
中世というよりむしろ近世から近代に導入されたもので、
そこでオランダ語が英語やドイツ語に駆逐されたのは、
日本国内における本質的な要因よりも、
世界情勢などの外因的な要因が大きいように思います。
福沢諭吉がオランダ語を習得し、勇躍して横浜へ行ってみたが、
そこにオランダ語を話す外国人はいなかったという話に通じるものがあるでしょう。
特に航海・造船技術については、明治維新時に、
新政府側を支援していたイギリスの影響かという気もしますね。
医学や科学については、明治期にドイツへ留学した人が多かったためでしょうか。
何れにせよ、外からの作用が大きい近世近代の言語変化から、
古代の言語変化を推測できるような情報を得るのは難しいようですね。



Re: 教会スラヴ語

楡ノ家楠丸 (2003/01/31 02:45)

■Maniac C.さんのvitalityにはまいります。
■とりあえず、教会スラヴ語の文字についてですが、現在のロシア文字にない文字はかなりあります。日本語で書かれた教会スラヴ語の解説書が1冊だけ、現在、書店に並んでいます。大きな書店で探してみてください。文字を眺めているだけでも面白いです。
■ロシア語になくなった母音というのは、ьとъだと思います。現在は、子音の口蓋化と非口蓋化を示す記号になっていますが、本来は母音でした。どんな本を見ても、ьは曖昧な「イ」のような音、ъは曖昧な「ア」のような音としか出ていません。
■革命前のロシア語では、子音で終わる単語の語末には、必ずъがつけられていました。ьを残せば、ъを省いても「ないことによって示せる」ということで、語中以外のъはすべて綴りから省かれました。
■ブルガリア語では、今でも、ъが曖昧な「ア」の母音を表す文字として使われています。



dark l と clear l (Part 3)

Maniac C.  (2003/01/31 02:16)

 これで最後です。連続書き込みの件は平にご容赦を。
>英語で Faulkner の l を読まないとか、フランス語で à+le=au, à+les=>aux になるというのは、dark l の [w] 化の結果です。
→何点か補足します。
■‘Faulkner’は、恐らく、‘falcon’に人を表す接尾辞‘-er’がついた‘falconer(鷹匠)’に由来します。‘falcon’は、最近、百姓読み(綴り字発音)で‘l’が発音されるようになって来ていますが、‘l’は後期ラティン語‘falcōnem’に基づいて綴り字だけ先祖返りしたもので、フランス語から輸入されたときには既に‘faucoun’[fo:kó:n]と、‘l’の音は有りませんでした。
■語中・語尾の‘l’は、英語史上、何度か脱落していますので、割と昔(遅くとも11世紀ごろ)から‘dark l’と‘clear l’が有ったことが判ります。現在の綴りに残っている例としては、‘half’‘ palmer’‘ walk’など、/a, o/と/f, m, k/に挟まれた場合に脱落して、代償延長の結果、母音が長音化しています。又、‘all’などに見られる[o:]の発音は、中期英語時代に渡り音として[u]が挿入され、[al]→[aul]→[o:l]という変化を遂げたものです。
■フランス語の前置詞と冠詞の融合形ですが、‘à+le=au’,‘à+les=aux’の他にもう1つ、‘de+le=du’も在ります。
■コックニー(ロンドン下町の労働者階級の英語)やエスチュエリー・イングリッシュ(テムズ川河口域でクィーンズ・イングリッシュとコックニーの中間の発音が成される、特定の階級や職業に限られない英語)という「方言(英語の変種)」では、実際に‘dark l’の母音化が起きており、‘fill’は[fio]、‘fall’は[fou]、‘milk’は[miuk]のように発音され、コックニーには‘gaows(=girls) ’ ‘tiu(=till) ’‘wau(=wall) ’のような、表音的臨時綴りも在るようです。



dark l と clear l (Part 2)

Maniac C.  (2003/01/31 02:14)

 今度は、研究社の『新英語学辞典』より、「英語の子音>側音」の項の引用を。
■イギリス英語では、大別すると明るい‘l’(clear l)と暗い‘l’(dark l)とが存在する。前者は、母音及び/j/の前に現れるが、least, late, million のような前舌母音及び/j/の前では最も明るく、前舌面が硬口蓋の方へかなり持ち上げられる。learn のような中舌母音の前(この場合には「中間の‘l’[neutral l] 」と呼ばれることがある)、look, long のような後舌母音の前という順に、前舌面は上がらなくなり、明るさも減じる。暗い‘l’は、舌先が歯茎に接触する点は明るい‘l’と共通だが、後舌面が母音[u]のように軟口蓋の方へ持ち上がり、後舌母音のようなくらい音色を帯びる。暗い‘l’は till, ball, fullのように語末か、film, belt, hold, bulb のように子音の前に現れる。
■アメリカ英語では、明るい‘l’がイギリス英語におけるほど明るくなく、暗い‘l’は一層暗くなる傾向があり、又、全ての位置で暗い‘l’を発音する人も在る。更に、help, bulb, self, delve, film, milk, vulgar のように、唇子音及び軟口蓋子音の前では、後舌面と軟口蓋とが接触する軟口蓋側音を用いる人もいる。この音は日本語の「ウ」に近い響きを持つ。
■子音/θ//ð/の前では wealth, till then のように、歯側音の‘l’が現れる。又、play, cloud, slide のように、無声子音の直後では、前半が無声化することがある。但し、splash のように、[p]の前に[s]が在ると、無声化は起こらない。
■beetle, saddle, tunnel のように、同器性の[t][d][n]の後で、更に母音が後続しないときには、音節主音となり、この場合は最も暗い。

 同じく「調音>2次調音」の項の引用:
■ある音を作るときに同時に2個所において調音が行われることを2重調音または同時調音という。このときその音の主たる調音を主要調音、副次的な調音を2次調音という。
■口蓋化
硬口蓋音以外の音の調音において同時に前舌面が母音[i]の調音のときのように硬口蓋へ向かって盛り上がること。湿音化とも言う。口蓋化子音としてはロシヤ語の「軟子音」が良く知られており、日本語でも「キ,ギ,ビ,ピ,ミ,リ」のように母音[i]の前の子音は口蓋化される。英語においても特にleadにおけるように[i:]の前の明るい‘l’では口蓋化が認められる。口蓋化を受けた音は一般に明るく軽い音色を帯びる。[ķ][ļ]のように下に[¸]を付けるか、jを右肩に付けて表す。
■軟口蓋化
軟口蓋音以外の音の調音において同時に後舌面が母音[u]の調音のときのように軟口蓋へ向かって盛り上がること。英語の暗い‘l’が好例。軟口蓋化音は[ł]のように[〜]を付けて示す(アラビア語などに多い咽頭化音も同じく[〜]で示す)。



dark l と clear l (Part 1)

Maniac C.  (2003/01/31 02:12)

楡ノ家楠丸様
 長期連載、有難う存じました。お蔭様で、かなりロシヤ語の音声学に詳しくなったような気が致します。
 厚かましくも、更に2点質問ですが、お判りでしたらお教えください。
 スラヴ諸語の鼻母音について、もう少しく詳しくお教えください。
 教会スラヴ語ではЬ(Ъの方だったでしょうか?)ともう1つ、今では使わなくなった文字が在り、今とは違う中舌母音の発音が在った(?)、というような記述を見た記憶が有ります。これについてご存知でしたらお教えください。
 更に、以下のreportを返礼代わりに書き込み致します。

■‘dark’に対立するものとして‘light’を想定する、というこのイイマツガイは、非常に興味深いものが有ります。日本人なら多分、誰しもが‘dark’=暗い⇔明るい=‘light’と考えてしまうに違いありません。なぜ、‘dark’に対立するものが、この場合は‘clear’なのでしょうか。気になって(×2)、原因を究明しちゃいましたので、皆様にもお知らせします。
■まず‘light’ですが、原義は「光・明るさ」です。同系のラティン語に‘Lūna’や‘Lūcifer’が在ります。英々辞典を引きますと:
「1. full of light, not in darkness. (光でいっぱいである、闇の中にいない)
 2. pale(=[of colour or light] faint, not bright or vivid).
(淡い[=(色や光について)輝いていたり鮮やかであったりしない])」
とあります。つまり、どうも視覚的な意味にしかこの単語は使えないようなのです。
■次に‘dark’ですが、原義は「濁らせる・暗闇」、つまり「見通せない」ということでしょう。‘draff’,‘dross’,‘dreg’などが同系の単語(全て、澱・滓・屑といった意味)です。古期英語では、既に、雲や水を指す場合を除き、色ではなく、光の欠如を示すのが通例になっていたそうです。英々辞典を引きますと:
「1. with little or no light. (殆ど、あるいは全く光が無い。)
 2. (of colour) of a deep shade closer to black than to white.
  ([色について]白より黒に近い、濃い色合いの。)
 3. (of people) having a brown or black skin, having dark hair.
  ([人について]褐色または黒色の肌をしている、濃い色合いの毛をしている。)
 4. gloomy, cheerless, dismal.(陰気な、喜びの無い、憂鬱な。)
 5. secret.(人目につかない)
 6. mysterious, remote and unexplored.(神秘的な、疎遠で未探検の。)」
という具合に、こちらは、視覚的な意味(1.〜3.)だけではなく、比喩的な意味(4.〜6.)も含まれています。ここが原因です。‘dark l’は、2.の意味ではなく、5.の意味で使われているのです。
■では、‘clear’は、と言うと。原義は、意外ですが「叫ぶ」。‘call’と同系です。「叫び声→よく通る声→明白な・澄んだ」という意味変化。これも英々辞典を引きますと:
「1. transparent.(透けて見える)
 2. free from blemishes.(汚点の無い)
 3. free from guilt.(罪の無い)
 4. easily seen or heard or understood, distinct.
  (見えやすかったり聞こえやすかったり解りやすかったり、明瞭な)
 5. evident.(明白な)
 6. free from doubt, not confused.(疑いの無い、紛れない)
 7. free from obstruction or from something undesirable.(障害・有害物の無い)
 8. net, without deductions, complete.(正味の、控除なしの、完全な)」とあり、‘clear l’は4.の意味で使われていることが判ります。
■訳語としても、「暗いl」「明るいl」が定訳となっていますから、日本人であればつい、楡ノ家楠丸さんのように、対応する英語は‘dark’と‘light’と考えてしまいますが、実は、「濁ったl」「澄んだl」と訳した方が原義に近く、「くぐもったl」と「はっきりしたl」と訳した方が、英語の感覚に近いかもしれません。



日本語の親戚

辻本裕幸 (2003/01/30 16:01)

私は比較言語学のことは何も分かりませんが、町田健氏の著書にもあったように、日本語と同系であるという言語は、もう見つからないのではないか?と感じます。花をパナと言う。言うをエフという。それぐらい近い言語がみつからなければ、日本語と同系とは言えないと思います。ということは、そんなに近い言語があるなら当の昔に、見つかっていそうなものです。しかしすくなくともこの東アジア一帯で、これだけ諸言語について調べつくされているのに、そういう言語が出てこないと言うことは、日本語はそもそも、にほん列島の中だけではぐくまれた言葉。あるいは他の地域にもかつてあったが、文字に記録される前に滅びたか?だと思います。タミル語と日本語の比較対応は確かにすごいと思います。しかし印欧諸語の音比較などを見ていると、ある単語でpがfになっていれば、一部の例外を除いて、すべての単語でpがfになっていたりする。それに比べるとどうしても、タミル語と日本語は、都合のいい単語だけをあつめて、比較している。そして、都合に合わない例は「それがなぜかは分からない。」で片付けられている感がある。例外が少数である、印欧語族の比較と比べるとどうしても説得力に欠ける。日本語の歯がタミル語でpであるというのなら、花も鼻も骨もおおよそ、pになっていると言うような状況でないとちょっとおかしい。ちなみに親族名称の類似は英語中国語に限らず、よくあることなので、これも説得力に欠けそうです。なぜなら幼児が発音しやすいmやp、bなど唇を合わせて発音する音が親族名称となるのは世界中で擬音語が類似しているのと同じで珍しいことではないからです。



台湾語について

辻本裕幸 (2003/01/30 15:47)

気になって調べましたが、やはり普通語でrでつづる漢字は台湾語ではlになっているものが多いようです。中国語方言のページというサイトで、ためしに普通語rのものを検索していたら、台湾語の欄ではlとなっている例が多かったです。エクスプレスの参考書によれば、台湾語話者にはlがdに近く発音されることがあるということなので、ここでいうlはdに近いものなのかもしれません。台湾語では、じ濁声母が保存されていることが多いようなので、ngはg。mはb。nはd。rはd(l)で対応していることがおおいということではないでしょうか?(まだよく分かりませんが)



RE2: 「サチる」「コンタミ」について

Maniac C. (2003/01/30 00:46)

ヒグチ様
 以下が私の考えと回答です。

>日本語に基層言語があるとした場合、
>その基層言語と現代の日本語とで音韻体系が大きく異なるとは考えにくいように思います。
→音韻体系は、その言語そのものの中でも変化しますし、異なる言語の影響で変化することもあります。前者の例では、最大のものとしてはハ行子音のp→h/wの変化が挙げられますし、細かなところでは、上代特殊母音の崩壊・ヤ行エ音やワ行イエオ音の消失・イ音便やウ音便の発生・語末鼻音の混同・母音+uの長音化・濁音前鼻音の脱落・チツの擦音化・母音の無声化・オ段長音の開合の混同・合拗音の直音化・サ行子音の変化・四つ仮名の混同・母音+iの長音化・拗音の直音化などが挙げられます。後者の例としては、字音語の影響で、頭音法則や母音調和が崩壊し、連母音・拗音・促音・撥音が生まれ、連声という現象が生まれました(西洋語との接触によっては、まだ新しい音素は発生していないようです)。また、方言の中には、標準語に無い音素が有る場合も在ります。
 基層言語が異なるために同一言語の音韻が異なる変容を受けた例としては、ラティン語とフランス語・スペイン語の違いを見れば十分でしょう。他にもピジン・クレオールの例が世界には五万と在ります。

>そうした場合、タミル語に限らず他の言語が入ってきた場合に、
>基層言語の音韻体系で受け入れやすい形として他言語の単語を受け入れたのではないでしょうか。
→原則的には同意します。手持ちの部品(音素)が少ないのですから、それでどうにかするしかないのです。
 しかし、どうも日本人は大昔から几帳面なようで、有限の部品を使って、なるべく原音を忠実に再現しようとする気質を持っている、ということもお忘れなく。
 字音語を取り入れるときにも、「強」や「官」を、どちらも「カ」で良かったかも知れないのに、わざわざ「キャウーン」とか「クヮン」とか、日本語に無い拗音や撥音を作ってまで、区別して取り入れました。
 「ギョエテとはゴエテのことかと…」というのも、ドイツ語のöの音を、何とか他の母音と区別しようとして試行錯誤した結果だったのです。
 決して出鱈目に取り入れるのではなく、(時代によって違いは在りますが)一定の法則を持って、出来る限り原音に違いの有るものは違うように取り入れるよう努力するのです。
 上述の説明と異なる一例として、西洋語のRとLがどちらもラ行音として取り入れられている事実が在ります。これは、日本人の耳には違いの在るものとして捕らえられないので、どちらも近似的にラ行音として取り入れられているのです。音響学的な類似点は誰もが認めるところですし、RとLを区別しない他言語でも同じことが起こっていますので、上述の説明とは矛盾しません。つまり、「カ」と「キャ」と「クヮ」は日本人の耳にも明らかに違って聞こえたし、ドイツ語のöと他の母音も違って聞こえた、ということなのです。
 明らかに異なって聞こえる音を何の理由も無く省くことは無いのです。
 では、省く理由にはどのようなものがあるかというと、次のようなものが在ります。
 1.聞こえない。(ビビンバの終声やメリケンの頭音など)
 2.文法的に区別しない。(スリッパの複数語尾やアイス・ティーの分詞語尾など)
 3.使い慣れて、後略しても意味が通じる。(コンタミはこの例)
 とにかく、全てに何らかの理由があり、それを「一生懸命説明」しなければならないのです。
 ところで、タミル語というのは、英語のように数多くの複子音が有ったり、よく使われる単語なのにも関わらず、2音節を超える長い単語が有ったりするのでしょうか(一般的には、長音節の単語ほど、使用頻度が低くなります)。

>私は、中世に西洋からもたらされた技術で思いあたるものがないのですが、
>もし、ここで、品物だけでなく技術自体が西洋からもたらされていたら、
>期間や地域によらず、西洋語が多く残っていたと思うのです。
→中世に西洋からもたらされた技術で最大のものには、西洋医学と近代航海・造船術があります。おっしゃるとおり、航海関係用語(天文・軍事・海運・造船用語を含む)にはオランダ語がある程度残っていますが、英語に大部分駆逐されました。又、医学・薬学・化学・物理学用語は、やはり同系のドイツ語でほとんど駆逐されました。スペイン語・ポルトガル語はキリスト教と共に普及したため、禁教に伴って、精神文化的なもの・キリスト教を精神的背景とする西洋の学問に関する言葉は失われ、キリスト教に関係の無い、使っても安全なもの(衣服・食物)だけが残りました。



RE: 「サチる」「コンタミ」について

ヒグチ (2003/01/29 19:45)

Maniac C.様
前回、「コンタミ」に関して書き忘れたことがありましたので、まず、それについて述べます。
「コンタミ」に関する予想していた指摘というのは、字音語の影響により、
2拍+2拍を一語として使う傾向にあるということについてです。
一方、私が「コンタミ」を例に挙げて主張したかったのは、
Maniac C.さんも指摘されていますが、(私は上手く文章にできませんでした。) 他の言語を日本語の音節に置き換えると長くなってしまうということなのです。
日本語に基層言語があるとした場合、
その基層言語と現代の日本語とで音韻体系が大きく異なるとは考えにくいように思います。
そうした場合、タミル語に限らず他の言語が入ってきた場合に、
基層言語の音韻体系で受け入れやすい形として他言語の単語を受け入れたのではないでしょうか。
これに根拠はありませんが、現代の日本語における西洋語の取り入れ方を見れば、
以上のように考えるのが自然ではないかというのが私の意見です。
次に「サチる」について、スペイン、ポルトガル、オランダの場合を例としていますが、
これは、文明の差が大きいことに違いはないかもしれませんが、
稲作技術をタミル人が伝えたとするならば、それとは性質が違うように思います。
以下、私の知識の範囲から意見を書きますので、御指摘をお願いします。
中世に、西洋からもたらされたものの代表の一つは鉄砲ではないかと思います。
そこに、大きな文明の差があったことは想像に難くないところです。
しかし、西洋は、「鉄砲」という品物だけをもたらし、
鉄砲製造の技術は日本国内で独自に模倣し改良されたように記憶しています。
私は、中世に西洋からもたらされた技術で思いあたるものがないのですが、
もし、ここで、品物だけでなく技術自体が西洋からもたらされていたら、
期間や地域によらず、西洋語が多く残っていたと思うのです。

>結局、大野氏が挙げている例に、名詞から転成した活用語の例は有るのでしょうか?
Maniac C.さんから受けた指摘が興味のある内容だったもので、
論点がずれてしまいました。(上の話も論点がずれてますね。)
申し訳ありません。
実際、大野先生が挙げた単語に名詞から活用語になった例はないようです。
今回、私が、「コンタミ」「サチる」で主張したかったのは、
日本語(または基層言語)の音韻体系で受け入れやすい形として他言語の単語を受け入れた場合、
単語を短縮してしまう傾向にあるのではないかということと、
そうであるならば、「全ての音素が対応しなければならない」という
比較言語学における原則は意味がないのではないかということです。
以上のことについて、御意見、御指摘をお願いします。

狐の悠様
狐の悠さんも実験屋ですか?
私は、例を考えるときにまず思いうかんだのが「コンタミ」と「サチる」でした。
後から考えれば、「マスコミ」でも良かったのですが。



Re:3拍略語

狐の悠 (2003/01/29 12:37)

合点が行きました。ありがとうございます。>Maniac C.さん
引き続きサンプリングを続けてみたいと思います(微笑)。

#すると、「ポート・リプリケータ」は「ポーリプ」にならずに
#「ポートリ」から「ポトリ」になったわけですな。
##「ポーリプ」から「ポリプ」になっていれば……



Re: ロシア語の転写形 フランス語 eu の転写

楡ノ家楠丸 (2003/01/29 03:20)

■フランス語 eu, oe, oeu の転写について書き忘れたことです。
ドイツ語の{o+¨}はёで統一されているのに、なぜ、フランス語の eu, oe, oeu はёとеのあいだでユレが見られるのか?ということです。ロシア人がフランス語の [{o+e}], [{o+/}] をёで転写するのに躊躇するからには、理由があるはずです。
 フランス語の eu, oe, oeu の母音を実際に聴いてみると、IPAの同じ発音記号で表されるドイツ語の{o+¨}の音とはだいぶ違うことがわかります。
 ドイツ語のほうの聴覚イメージは「ウともエともつかない音」なのですが、フランス語のほうは、「ウともアともつかない音」という感じがするのです。フランス語のほうが、調音が弛緩している感じがします。
 長音と短音の音が、ドイツ語とフランス語で反対の音に入れ替わっていることも原因かもしれません。
 そういえば、ドイツ語の{o+¨}を独文学者はふつう「エ」で転写します(Goethe→ゲーテ)が、フランス語の eu を仏文学者はふつう「ウ」で転写します(Eug{e+`}ne→ウジェーヌ)。
 いずれにせよ、IPAで同じ記号を使っていても、それぞれの言語での音韻表記ですから、同じ音とは限らないわけで、どうやら、このへんに、ロシア人の迷いの原因があるように思います。



cf. ウラジオ EVA 英語のジュと中国語のr

Maniac C. (2003/01/29 02:54)

>əは曖昧母音(eの反轉:schwa)でしょうが、私の見ている画面では四角形です。(私が打っている朝鮮文字もどう見られていることやら)
→□はəにrの逆様になったものがくっ付いている記号です。私の画面ではちゃんと朝鮮文字は映っていますよ。

>Vladivostok(ヴラヂヴォストク)>ウラジオも酷いと思います。
→旧仮名遣いで「ウラヂヲストック」だったものが、現代仮名遣いで「ウラジオストック」となり、本来「ヴラヂ(支配)+ヴァストーク(東方の)」であるべきものを「ウラジオ(浦塩)+ストック(斯徳)」と異分析した結果、「ウラジオ」になったものです。シナ語では「海参崴」と、物の本に書いてありますが、これは一体…?

>>Evaはロボットでなく人造人間
>確かにEvangelion(汎用人型決戦兵器、シナ語名「福音戦士」)は骨と肉と血液でできています。ただ、ガンダムもロボットでなくモビルスーツ(起動型の白兵戦用宇宙服)ですが、ガンダムもEvaも廣義ではロボットでしょう。Adamは男でEvaは女なので、初号機も弐号機も「彼女」なのでしょう。(アフロダイAやドラミちゃんでも例に挙げればもっとよかったですか。)
>マジンガーZは「いつでも彼はやってくる」と歌われていますが、Zが雄だとは限りません。男をモデルにした人型メカです。
→「福音戦士」と言うのですか。知りませんでした。すると、仕方の無いことですが、‘good message’(=福音)の部分だけが翻訳されて、その中に隠されている‘messenger’(=使徒)の部分は翻訳されなかったのですね。私だったら「福音使徒」とするでしょうに。
 拘りますが、EVAは「ロボット」ではありません。ガンダム・アフロダイA・ドラミちゃん・マジンガーZ、ついでにアトムやウランは機械なので、「ロボット」で良いと思いますが、EVAは、体を構成する物質は粒子と波の性質をあわせ持つ光のような未知の物質であるが、固有波形パターンの信号の配置と座標は人間のそれと99.89%まで一致している使徒、リリスの複製ですから、未知の生物、強いて言うならゴジラなどと同じ「モンスター」に分類できると思います。同じ使徒である渚カヲルや綾波レイは外形上、それぞれ男性形、女性形をしていますが、綾波は碇ユイのサルベージした体を使っているから女性形をしているだけの話で、実際に性別が有るかどうかは疑問です。物語を見る限り、使徒は分離・融合能力が有るようです(イスラフェル、バルディエル・アルミサエル)から、もしかすると単性生殖かもしれません。

>英語のrとmeasure、usualなどのジュの音は中国人には北京語のrに聞こえるようで、中国人が話す英語では、usualが“urual”のようになります。
→「日」が「ニチ」から「ジツ」に変わって、現代中国語では「リー」になっているように、元々「ジ」(現代日本語の「ヂ」の音ではなく「シ」の有声音)と「リ」は近い音なのです。藤堂氏の書物ではrの摩擦音であることを表すřという文字が、日母の音を表す記号として使われています。



RE: 「サチる」

Maniac C. (2003/01/29 01:49)

>Maniac C.さんが挙げた例は、中古においては字音語が、近現代においては英語等が
>一般に浸透した結果、浸透した語がサ変動詞や形容動詞になるということですよね。
→借入された名詞類が活用語として派生されるには、知識を吸収し・醸成するための時間と、その知識を理解する一定の人数が必要だということです。
>これは、古代において、タミル語にもありうることだが、
>それには、少なくとも数百年レベルでの交流が必要であり、
>そうであるならば、日本語にもっとタミル語の痕跡がのこるはずであるというのが、
>Maniac C.さんの御指摘だと思うのですが、ここまでは正しいでしょうか?
→前半には上述の但し書きが付きますが、後半は大丈夫です。
>考古学的に見て、当時の南インドの文明と日本の文明の差を考えれば、
>数十人程度のタミル人が日本に来ただけでも、
>言語に大きな影響を与えた可能性があるという意見もあるようです。
→妥当な見解だと思います。
>しかし、その意見が正しいとすれば、タミル語が日本語に浸透するのに長期の交流は必要でなく、
→近現代と違って、文字で情報伝達が出来ず、徒歩と航海しか交通手段が無かった時代ですから、一地域にタミル語が伝わったとしても、それが周囲に伝播するまでは長期の時間がかかったと考えられます。また、稲作と共に伝わったのであれば、当時の集落は大規模ではなく、平均寿命も30年と短かったのですから、最低100年程度の交流が無ければ(間隔・頻度は無視します)、一代限りで多くの語彙は忘れられてしまいます。
>日本語にタミル語の痕跡が少ないのは、タミル語が日本語に浸透しなかったためであるという
>論理は成り立たないように思います。
→中世に交流の有ったスペイン・ポルトガル・オランダとの歴史的事実が有ります。
スペイン人宣教師は大量に来ました。西洋と日本の文明の差は、性質も違ったでしょうが、かなり大きかったと考えられます。しかし、現代に伝わっているスペイン語は、一般的には「メリヤス」の1語とされています(私個人は異なる意見を持っていますが、ここでは割愛します)。ポルトガル語と似ていたのも災いしているかもしれません。ポルトガル語の借用語彙はスペイン語に比べればまだ多く残っています。が、期間が短く、活動範囲が京都以西に多かったため、さほど多くは標準語に残っていません。当然、派生語彙も生まれていないと思います。オランダは活動範囲が出島に限定されていました。高度な知識がオランダ語を通じて入ってきましたが、漢語を含む日本語に置き換えられたり、その後に入ってきて密接な関係を持つようになった同系のイギリス語に置き換えられたりし、オランダ語の直接の痕跡は現代語にあまり残っていません。オランダ語は「ドッペる」という派生語彙を生み出しましたが、現代では「ダブる」という英語からの派生語彙に置き換えられています。
 従って、名詞類の借用だけならば、おっしゃるように、長期の交流は必要有りません。しかし、派生語彙を生み出すためには密接な交流と時間が必要です。そして、使用される語彙を維持するためにも、長期の交流期間が必要なのです。

 結局、大野氏が挙げている例に、名詞から転成した活用語の例は有るのでしょうか?



Re: ロシア語の転写形 モンテスキュー、リシュリュー、パスツール、ドガ、ド・ゴール、ドビュッシー、ドラクロワ

楡ノ家楠丸 (2003/01/29 01:45)

【Montesquieu / Монтескьё, -кь(')е [マンテスキ'ヨー,マンテスキ'イェー]】 発音は-тэс-です。実は両形あるんです。
【Richelieu / Ришельё, -ль(')е [リしぇり'ヨー,リしぇり'イェー]】 これも両形あります。
【Pasteur / Паст(')ер [パス'テール]】 発音は-тэрです。これはёを使う形はありません。
 フランス語の eu, oe, oeu をロシア語でどう転写するか、ёとеのどちらにするのか、という点では、どうも専門の学者のあいだでも意見の一致をみないらしいのです。1978年刊行の 『ロシア語テキストに現れる外国の名前・呼称』 という、ヨーロッパ18ヶ国語の転写法のガイドラインを示したハンドブックでは、「ёで転写せよ」ということになっています。また、『大ソビエト百科事典』という、「ソ連邦の国編百科」といっていい事典では「ほぼёで統一」されています。しかし、1984年刊行の『ラジオ・テレビで働く者のためのアクセント辞典』では、「多くの場合е」になっています。権威ある事典・ガイドブックのたぐいで意見が一致していないのです。
 ただし、パスツールのように、すべてで е で一致しているものや、バブーフ(Babeuf, Baboeuf)のように、ё(Бабёф)で一致しているものもあります。慣用という他はありません。
 なお、先に書いたように、これは強勢の置かれる最終音節についての話で、それ以外の場合は、いやもおうもなくеです。
【Degas / Дег(')а [デ'ガー]】 【de Gaulle / де Г(')олль [デ'ゴッり]】 【Debussy / Дебюсс(’)и [デビュッ(')シー]】 【Delacroix / Делакру(')а [デらクル'アー]】
 Долакруа というのは誤植ではないでしょうか。
 フランス語、スペイン語などの、de もしくは綴りの一部と化したDe-は、必ず дэ と読みます。ソ連時代の書籍では、これら支配階級を示唆する de を、名前からオミットしていることがあります。ドイツ語の von (фон) もそうです。



Re: スケート選手の名前 ベレズナヤ

楡ノ家楠丸 (2003/01/29 01:06)

■高駒麗人さんの言いたかったのはこれですね↓。
【シハルリドゼ】Антон Сихарулидзе(Anton Sikharulidze)
  →アントン・シハルリッゼとするほうがよい。
【ベレズナヤ】Елена Бережная(Elena Berezhnaya)
  →エレーナ・ベレジナーヤとすべき。「ズ」はまちがい。
■そのほかにも、メチャクチャな表記はいくらでもありましたが、責任はロシア人の側にもあります。ソ連時代とちがって、今は自分の名前は自分でラテン表記を決めるらしく、ロシア人によるラテン転写が、まず、メチャメチャなのと、英語式にする人とフランス語式にする人がゴッチャで、それを日本人がローマ字読みするわけで、まともな名前になるわけがありません。



Re: ワレサ

楡ノ家楠丸 (2003/01/29 00:52)

■レフ・ワレサのポーランド綴りは Lech 〜(姓の綴りは Maniac C.さんの書かれているとおり)で、ワレサの本来の発音は [ヴァ'ウェんサ] です。この [ん] はフランス語のと同じ鼻母音です。スラヴ語には、本来、鼻母音がありました。ポーランド語を除く他のスラヴ語で消えてしまっただけです。ロシア語でも消えてしまいました。
■ロシア語に Я [ヤー] という奇妙な文字がありますが、本来は [アん] という鼻母音を表していた文字で、Aの横棒の下に短い縦棒を引いた(これが鼻母音化を表します。ポーランド語の釣り針のような補助記号と同じ働きをしていました)のが本来の字形です。
■ロシア人にも「レフ」という名前がありますが、こちらは Лев(Leo に相当)[ljef] で、ポーランド人によくある Lech [lex] という名前とは何の関係もありません。
■ワレサの名前は、ロシア語では Лех Валеса と綴り、鼻母音は影も形もありません。



モアレ

ロスケ (2003/01/29 00:51)

そういえば(モアレ効果)を「模荒れ」と取り込んでややこしいのもあります。



3拍略語

Maniac C. (2003/01/29 00:40)

 取り急ぎ、狐の悠さんへの回答です。
 挙げられた例に全て共通しているのは、原語が長音を含むこと。つまり、以下のような変化と考えられます。
 コピペー→コピペ(前半の「コピ」自体が「コピー」の短音化)
 ホムペー→ホムペ(前半の「ホム」自体が「ホーム」の短音化)
 メーアド→メアド
 オエビー→オエビ
 こう考えれば、もとは4拍省略だったと解るでしょう。
 最近多く見られる外来語の省略化の傾向として、長音の短音化が見られます(今すぐには好例が思い当たらないのですが)。
 古くからの例としては、コンピューター→コンピュータのような、工学系の用語が挙げられます。



Re:コンタミ・サチる

狐の悠 (2003/01/28 19:58)

私もそっちの人間なんで「コンタミ」「サチる」には馴染みが……

それはさておき、「料る」が気になったので検索してみました。
どうやら私はこの記事を記憶していたようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb033.htm

2拍+2拍に慣れていると言うのは理解できます。
しかし、最近の略語には3拍のものも多いようでこれはどうなんでしょうかね。
例えば、コピペ、ホムペ、メアド、オエビ、&c...
#それぞれCopy&Paste, HomePage, MailAddress, お絵描きBBSの略です。
コピペホムペは「ペイ」にはなりにくいのでしょうが、MailAddressは
「メルアド」を経ずに「メアド」になっている気がします。まして、
「オエビ」に至っては「ビビエス」があるにも関わらず「オエビビ」じゃないんですね。
#先日の変体文字といい、私の挙げる例は極端な気がして恐縮です。



「コンタミ・サチる」について

ヒグチ (2003/01/28 14:31)

Maniac C.様
御指摘ありがとうございます。
「コンタミ」についてはほぼ予想していた通りの指摘だったのですが、
その後に「脱落」に関する補足があり、勉強になりました。
しかし、「サチる」に関しては理解できない部分があります。
以下に私の認識を述べますので、指摘をお願いします。
Maniac C.さんが挙げた例は、中古においては字音語が、近現代においては英語等が
一般に浸透した結果、浸透した語がサ変動詞や形容動詞になるということですよね。
これは、古代において、タミル語にもありうることだが、
それには、少なくとも数百年レベルでの交流が必要であり、
そうであるならば、日本語にもっとタミル語の痕跡がのこるはずであるというのが、
Maniac C.さんの御指摘だと思うのですが、ここまでは正しいでしょうか?
以上の理解が正しいとして、話を進めます。
私が気になるのは、文明の度合いからして数百年の交流が必要ということについてです。
某掲示板で見かけた書き込みで、出典を示すことができないのが申し訳ないのですが、
考古学的に見て、当時の南インドの文明と日本の文明の差を考えれば、
数十人程度のタミル人が日本に来ただけでも、
言語に大きな影響を与えた可能性があるという意見もあるようです。
しかし、その意見が正しいとすれば、タミル語が日本語に浸透するのに長期の交流は必要でなく、
日本語にタミル語の痕跡が少ないのは、タミル語が日本語に浸透しなかったためであるという
論理は成り立たないように思います。
以上のことについて、何か気づくことがありましたら、御意見をお願いします。



ウロツワフ・ワレサ

Maniac C. (2003/01/28 04:05)

 Wrocławは、ポーランド語で[vrotswaf]、独語でBreslau[brεslau]、英語で[vrotslα:f]と読まれるみたいです(強勢はいづれも第1音節)。
 Wałęsaは、ポーランド語で[valεnsa]、英語で[vα:wensα:]と読まれるみたいです(強勢はいづれも第2音節)。真ん中の母音は、eの下にセディーユみたいな鉤が付いていまして、「エン」と呼ばれる、eとは別な、鼻母音を表す字です。
 ついでにWalbzychという地名も見つけましたが、こちらはポーランド語で[vaubžɨx](ɨはロシヤ語のыの音)、英語で[vα:łbžiç]と読まれるみたいです(強勢はいづれも第1音節)。



ロシア語固有名詞等について

高駒麗人 (2003/01/28 03:38)

楡ノ家楠丸さんへ 続き
>Ким Ир Сен [сэн] と書いたのは、綴りでは Сен を使うが、発音は сэн という意味です。
なるほど、納得しました。パッチムLがp[r]になっているのは要注意ですね。

■Сергеевич の実際の発音は [сир'ге:йивич シ(ェ)ル'ギェーイ(ェ)ヴィチ] という感じですが、まっとうな露文学者なら、カナ転写は「セルゲーエヴィチ」とします。ソ連が消滅して以後、日本でのロシア語のカナ転写はどうもひどくなっています。たとえば、スケートのプルシェンコの原綴は Плющенко です。わかる人は、ひどいのがわかりますね。
プリュッシェンコの方が適切でしょうか。リュをルにするのは凄い訛りです。
ベレズナヤ・ハルリドゼのハルリドゼは「ハルリゼ」ともかかれていました。Kharulidzeだとするとハルリヅェが適切でしょう。Vladivostok(ヴラヂヴォストク)>ウラジオも酷いと思います。

アイスランドについて資料ありがとうございます。Hiroshima(廣島)をシナ語でGuangdaoと呼ぶのは、Iceland(Ijsland)をBingdao(冰島)と呼ぶのと原理的には同じだと思います。

暗いLの一種として、sやw、j(ヤユヨの子音)の前のlでは舌先が歯茎から離れ、さらに舌先でなく舌根を軟口蓋につける側音Lもあるようです。milkやvulgarのようなk、g前のlが舌根側音になるようです。

ManiacCさんへ
>Evaはロボットでなく人造人間
確かにEvangelion(汎用人型決戦兵器、シナ語名「福音戦士」)は骨と肉と血液でできています。ただ、ガンダムもロボットでなくモビルスーツ(起動型の白兵戦用宇宙服)ですが、ガンダムもEvaも廣義ではロボットでしょう。Adamは男でEvaは女なので、初号機も弐号機も「彼女」なのでしょう。(アフロダイAやドラミちゃんでも例に挙げればもっとよかったですか。)
マジンガーZは「いつでも彼はやってくる」と歌われていますが、Zが雄だとは限りません。男をモデルにした人型メカです。

辻本さんの「rなんか普通話からやめればいい」について
「普通話」「標準語」自体が人工混成方言なので、いわば誰にとっても「非母語」「外語」なわけです。標準語の發音も語句少数の訛りの寄せ集め。出きる人の方が少ないでしょう。
北京語のrは起源的に、<壱>yが巻舌化した物:「容」yong→rong、「阮」(ngiuan→)yuan→ruan、<弐>s、z類似音が巻舌化した物:「需」xuに対して「儒」ru、「染」ran、「瑞」rui、<参>nがd、zになりrになった物:「人」「日」「然」「若」「二」「耳」等があります。
「rをやめる」場合、y、z、nのどれにするか悩むところです。
Pfizer製薬が「輝瑞」Huiruiになること、ロシア語のЖ(ジ)が北京語rで轉写されることは既に書きました。

日本語や欧州大陸語の弾くrは中国人には北京語のlに聞こえるのかもしれません。英語のrとmeasure、usualなどのジュの音は中国人には北京語のrに聞こえるようで、中国人が話す英語では、usualが“urual”のようになります。



cf ポーランド語のl[w] 台湾語の「人」

高駒麗人 (2003/01/28 02:50)

Maniac C. さんへ。
>cf. [sí:éf, kəmpέɚ] ラティン語‘confer’の略ですが、‘compare’と訓読みされます。
初めて知りました。どうも。əは曖昧母音(eの反轉:schwa)でしょうが、私の見ている画面では四角形です。(私が打っている朝鮮文字もどう見られていることやら)
ワイドショウか何かで見たのですが、現役時代のある日、異国の地で伊達公子さんはマイクの前に立って「私の名前はデイトではなくてダテです」と英語でスピーチまでしたようです。その気落ちには賛同できますが、中国で Yida Gongziと呼ばれたら、どうなさることやら。
「伊達」は本来「いだて」で、「だて」は「い」が省かれたわけで、言わば「伊」を黙字にして「達」だけ読んでいるような物でしょう。意地悪な味方をすれば、DateよりYidaの方が漢字の読み方としては自然だともいえます。「いずみ(和泉)」も「泉」だけを読んでいるようなものです。

楡ノ家楠丸さんへ
ポーランドの地名Wroclawは、/vrotswaf/ヴロツワフのように發音されるようですが、はっきり覚えていません。Walesaワレサ氏の名はシナ語では「瓦文薩」Wawensaになりますが、これはWalesaのlが暗いLを経由してwになり、eが鼻音化しているのでしょうか?

>同じ漢字文化圏の住人として、ちっとも変だとは思わないのですが。表記(意味)は保存されるわけですし
Dateが[da-te]ダテでも[deit]でも西洋人は気にしないのでしょう。それはローマ字文化圏の感覚かもしれません。
南北朝鮮は、今や漢字文化圏ならぬハングル文化圏と化しています。だから言語感覚は漢字でなくハングルで同じか否かになっているのでしょう。中国に留学している韓国人は、たとえ北京語を使っても日本人名については日本語で覚え、「鈴木」さんをたずねるときも「ニーハオ、スヂュキさん在不在?」などと言います。
ただ、中国で暮らす韓国人や中国籍の朝鮮民族は、名前については寛大になり、自分の名前が日本語読みされても気にしません。
例えば「白」백pεkという人がハクさんと呼ばれても平気になります。
私が書いた「青田雅弘」や「梅山昌章」の例は漢字文化圏とローマ字文化圏の間の書き換えの難しさを思い起こさせる物です。

massangeanaさんへ
台湾語で「人」をlangと読むのが北京語renと無関係なら、これこそ訓読みでしょう。しかし中国で行われている訓読みは、renとlang、或いは jie(姐)と zi(姉)のように發音が似ている物同士が多いようです。文語で「此所」cichu、口語で「這里」zheliだからと言って「此所」をzheliとは読みません。



コンタミ・サチる

Maniac C. (2003/01/28 02:11)

 どちらも、縄文時代から続く日本語の基本的な性質、というよりは大和時代以降交渉が有る、字音語の影響(長期間の漢語使用の歴史的結果)だと思われます。

 まず、「コンタミ」ですが、日本人は字音語を使い続けることによって、2拍+2拍で1語になっているものが多いことに、無意識の裡に慣らされています。従って、近代以降に取り入れられた外来語も、その使い慣れた漢語の体系に合わせて日本語に取り入れよう、とする力が働くのです。西洋語を日本語の音節に置き換えると長くなって非経済的だ(経費対効果が悪い)という原因も有ります。
 更に、これは「借用」と「省略」の例であって、歴史的な音韻変化があった場合の「対応」「脱落」とは区別すべきでしょう。
 「脱落」というのは、英語で一例を挙げて説明するならば、‛name’の最後に在る、現代語では発音されないeがそうです。古期英語では[na:ma]とはっきりと発音されていたのが、中期英語で [na:mə]と弱くなり、近代英語では[ne:m]と完全に発音されなくなりました。これが「脱落」です。

 次に「サチる」です。
 上代には、字音語は体言としてのみ用いられていたとされます。中古になって、字音語が一般に浸透した結果、サ変動詞や形容動詞が生まれ、公的な漢文訓読では絶対に現れない語彙として、仮名文学に次のような語が登場するようになります。
 装束(sau-zok)→sauzok-(四段活用動詞の語幹と異分析)→さうぞく(sauzok-u)
 料理(reu-ri)→reur-i(四段活用動詞の連用形と異分析)→料る(reur-u)
これは近代・現代にも引き継がれ、次のような語彙が見られます。
 アジテート(agitate)→aji’-te(五段活用動詞の連用形と異分析?)→アジる
 サチュレート(saturate)→satur-e(五段活用動詞の仮定形と異分析?)→サチる
「ュ」が落ちるのは、「新宿」を「しんじく」などと発音する「拗音の直音化」という音韻法則で説明できます。
 ここで注意したいのは、次の3つです。
 1つめ、どの言語でも、体言(名詞類/非活用語)は圧倒的に借用が起こりやすく、用言(動詞・形容詞類/活用語)は借用が起こりにくいこと。
 2つめ、長く頻繁な交流の結果(現代日本語の語彙の半分は漢語であり、外来語の8割は英語です)、初めてその言語に適応した借入語彙の変化が起こるということ。字音語に変化が起こるまで400年ぐらい、外来語に変化が起こるまで50年ぐらいかかっています。もし「弥生語」に変化が起こるとすれば、文明の度合い(交渉の範囲や頻度)から考えて、字音語以上の年月がかかり、古代日本語にかなり多く(少なくとも半分ぐらい)のタミル語の痕跡が残ると思います。
 3つめ、どの語も俗語というか、専門用語というか、仲間内でしか使われない言葉、公的ではない言葉であって、一般的な言葉としては定着しにくい、ということです。実際に、上記の平安時代の言葉は、現代語に伝わっていません。
 以上のことから、弥生時代にもたらされたとされるタミル語を、ヒグチさんの挙げた2例から理解するには、不適切だと考えます。



お詫びと訂正 dark l と clear l

楡ノ家楠丸 (2003/01/27 23:29)

■お詫びと訂正です。
■わたくし、ここのところ [l+〜] (小文字のエルに〜をクロスさせるIPAの発音記号) dark l (=暗いエル)に対立する音として、ふつうの [l] を light l と書いてきましたが、英語の音声学用語では clear l が正当です。ここまで、わたくしの書いた light l という表現は clear l に読み換えてください。
■ついでに、dark l の説明をしておきます。clear l は、ふつうの発音記号 [l] で示される子音です。dark l というのは、誰もがよく知っている音では、英語の feel, people の語末の [l]、field, belt の [l] の音です。英語では、母音あるいは [j] が後続しない l が dark l になります。ならば、なぜ [l+〜] という発音記号で区別しないのか、と思われるかもしれませんが、英語の [l] と [l+〜] は 「音韻的に対立しない」、つまり、1つの範疇の子音の変種にすぎないので、煩雑になることを嫌って区別しないのです。
■フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語などには、この dark l がありません。いっぽう、ロシア語は、この dark l を主要な子音としています。西欧でいう普通の l が、ロシア語ではすべて dark l で、лという文字で表します。
■dark l は、通常の [l] を発音する舌の位置で、舌の上面をスプーンのように窪ませると、「暗い、くぐもったような l の音」 が出ます。これが dark l です。舌先はあくまで歯茎につけておきます。舌先を硬口蓋へ移動させると 「そり舌の l」(韓国・朝鮮語のパッチムの l)になってしまいます。dark l は、日本人には 「ウ」 のように聞こえます。実際、英語のぞんざいな発音では、people の語末の [l] は [w] になることがあるそうです。
■英語で Faulkner の l を読まないとか、フランス語で {a+`}+le=au, {a+`}+les=aux になるというのは、dark l の [w] 化の結果です。
■ポーランド語にも、本来は dark l があり、dark l と clear l を区別します。dark l を表すのは、l に短い / をクロスさせる文字です。しかし、現在、この子音を dark l で発音できるのは、アナウンサーなどの訓練を受けた人だけで、一般の人は [w] のような子音で発音するそうです。



Re: Re: 大野説

ヒグチ (2003/01/27 21:36)

massangeana様
御意見ありがとうございます。
服部氏の研究については、まだ参考文献を見ていないので議論できないのですが、
100語中10語も類似した語があるということは、
私の試算と条件が違うのではないかと思います。
これについては、服部氏の研究を検討してみて、また意見を書き込みたいと思います。
また、比較言語学では、原則として全ての音素が一致しなければならないとのことですが、
そこが私の理解できないところです。
ある言語を基点として、そこからいくつかの言語に分離していった場合には、
全ての音素が一致するということも多いかもしれません。
しかし、基層言語があるところに、他の言語が文化的優位性をもって入ってきた場合には、
基層言語に溶け込みやすいような変化が生じると思うのです。
特に、日本語(またはその基層言語)においては、
長い単語の後半部分が脱落することなどが多々あるのではないでしょうか。
日本語には短い単語(4音素程度)が多いことは大野先生も指摘されています。
不用意に例を挙げるとまた指摘を受けそうですが、素人の強みで、
私の言いたいことを理解していただくために、あえて例を挙げます。
以下の例が不適当であれば、指摘をお願いします。
「コンタミ」という言葉があります。
実験などをする人にとっては一般的に通じる言葉です。
もとは、英語の「contamination」です。
後半部分が完全に脱落し、対応などありませんが、
「コンタミ」は「contamination」から生じたものです。
また、「サチる」という言葉もあります。
これも、理系の研究者にとっては一般的な言葉です。
もとは、英語の「saturate」です。
「サチる」と「saturate」では第3音素までの対応しかみられませんが、
だからといって「サチる」と「saturate」は関係ないと考えるのはおかしいですよね。
ちなみに、「サチる」については、
日本語の動詞では第3音素までに語根が含まれるという大野先生の主張に当てはまりますね。
これらは、現代に作られた言葉ですが、
たとえ、古代であっても同様のことが言えるのではないでしょうか。
この辺りが一生懸命説明する必要があるところなのでしょうが、
むしろ、全ての音素が対応するのは特別な場合であって、
それを原則とすることには疑問を感じます。
このことについて、massangeanaさんのお考えを御教示いただければ幸いです。



RE: DATE 英語の訓読み 続き

Maniac C. (2003/01/27 21:12)

 これも後先になりました。高駒麗人KOMAさん、お許しください。

>>英語では、開音節は長音になるので、A-o-kiは、「アー・オウ・キー」か「エイ・オウ・キー」としか読めません(後者の方が普通)。
>アオキがエイオウキになることは話題になっても、青木がチンムと呼ばれることについて変だと思わない方が変です。
→私個人の意見としては、日本人の「すずき・よしゆき」さんが中国へ行けば「Lingmu Shanxing」同士と呼ばれ、中国人の「Deng Xiaoping」同士が日本へ来れば「とう・しょうへい」さんと呼ばれることは、同じ漢字文化圏の住人として、ちっとも変だとは思わないのですが。表記(意味)は保存されるわけですし(その意味で、韓国・朝鮮でなら、Sujukki Yosiyukkiだけでなく、[R]yeong Mok Seon Haengと呼ばれても良いと思います)。英語圏へ行って、“I’m Bell-Tree Good-Happy.”と自己紹介するのは、却って滑稽な気がします(ネイティヴ-アメリカンはそうしているようですが)。
 「あおき・いさお」さんが英語圏へ行って、正しく読んでほしいのならば、“Aöki Issaö”と綴り字に細工を加える(この場合の「¨」は変音記号ではなく、分音記号)とか“Ah-oh-key Ee-sah-oh”と各音節ごとの綴りにするとかすれば良いのです。
 勿論、非漢字文化圏(例えば英語圏)で、日本人「あおき・いさお」をMr.Qingmu Gong(あるいはCh‘ingmu kung)と中国語読みされたり、Mr.Cheongmok Kongと韓国・朝鮮語読みされたりするとすれば、それは問題ですが。

>>次の語句の“音読み”“訓読み”を言ってください。
>> viz., etc., cf., a.m., p.m., lb.
>vizはLatin語videlicet(即ち)ですが、訓読みして[neimli](namely)と読む人もいるんでしょうか?etcetraをAnd so onと読む人もいるのかどうか…。よくわかりません。
→解答&解説です。問題内容にかなり不手際が在りました。済みません。
 Unicodeを使った発音記号が文字化けせずに表示されると良いのですが…。
viz. [néimli(:), víz] おっしゃるとおり、ラティン語‘vidēre licet’の短縮形‘vid ēlicet’が、更に短縮されたものです。
etc. [etsétərə] すいません! “and so forth”と訓読みしてほしかったのですが、調べ直したところ、そういう事実は在りませんでした。元はラティン語‘et cētera/  caetera’です。
cf.  [sí:éf, kəmpέɚ] ラティン語‘confer’の略ですが、‘compare’と訓読みされます。
a.m. [éiém]  ラティン語‘ante merīdiem’の略です。これも、“in the morning”と訓読みしてほしかったのですが、辞書にはそのような記述は見当たらないようですね…。
p.m. [pí:ém] ラティン語‘post merīdiem’ の略で、これも、“in the afternoon”と訓読みしてほしかったのですが、…同上です。本当にすいません!!
lb.  [páund, páundz] ラティン語‘lībra, lībrae’の略ですが、こちらは訓読みのみで、音読みはありませんでした。重ね重ねすみません。m(__)m



Re: 中国語のr

massangeana (2003/01/27 19:39)

辻本さん:
>台湾語の 「人」はl
これは, lang のことですか? だとすると北京の ren とはたぶん語源的に関係
ないので, r が l になったわけではありません。zo- さんがおっしゃったのは
台湾語の l ではなくて, 台湾の人が「国語」を話すときの r のことだったと
思いますが。

>中国人は英語やドイツ語などのrとlは音韻上区別できない
ピンインの r は正書法上たまたま r で書かれているだけで, 西洋の r とは
違う音ですから, r を北京人とちがうやりかたで発音するからといって, それ
と英語やドイツ語の r/l の区別ができないこととは直接結びつかないでしょ
う。

>日本をerbenと発音する
「日」字の発音が地方によって異なるということと, r の音が地方によって
異なるということは別の現象なので, ごっちゃに議論すべきではないでしょう。

>こんなに(中国人にとっても)難しい、 rの音なんか(普通語から)やめ
>ちゃえばいいのに。
同じ論理に従うなら, 日本の東北方言では「ち・つ」の区別をしないことが多
いから「ち」をやめちゃえばいいし, 「し・ひ」の区別をしない人は東京にも
多いので「ひ」はやめちゃえばいいことになります。



Re: 大野説

massangeana (2003/01/27 19:36)

ヒグチさん:
>英語と日本語
服部氏は英語と日本語も比較しています。基礎語彙100語のうち, ちょうど 10
語に同系とみなせそうな語があったそうです。

>3つの音素が対応(試算の条件)
この「対応」というのが何を意味するのかわからないのですが, 10個程度の単
語の類似では対応をいうのは難しいと思います。服部氏がやっているのは単な
る類似です。

>全ての音素が一致しなくては音韻対応は無いということなのでしょうか?
比較言語学では原則としてそうです。一致しない場合はいっしょうけんめい説
明します :-)

>文法の対応
については, わたしはちゃんと大野氏の説を読んでいないのでわかりません。
一般論として膠着語の文法要素の比較は難しいとは言われていますが, ぜんぜ
んできない訳でもないだろうとは思います。

Maniac C. さん:
>bibimbap / pibimbap
朝鮮語のローマ字表記にはいろいろ流儀がありますが, 現在の韓国の公式なロ
ーマ字綴り(文化観光部2000年式)では bibimbap になります。

辻本さん:
>そもそも言語の同系と言うのがよく分かりません
と書かれていますが, おっしゃりたいのは語族の系統の話ではなく, 言語と方
言の差の話ではないでしょうか。これは言語学的にははっきりと分けることが
できない, というのが普通の考えです。

>セム語族などといいますが、それはたまたま、セム系の言語を話していた人
>たちが、アラブ人、イスラエル人、エチオピア人など別の民族、国民、宗教
>を信じるようになったからである
イスラエル人・エチオピア人というのは国民の名であって, そこに住む人の言
語はいろいろなので, 「セム系の言語を話していた」とは言えないと思います。
エチオピアでセム系の言語を話している人の多くはもともと別系統の言語を話
していたのがセム化したのだろうと思います。
SIL Ethnologue では, 日本語族は孤立言語とはしていません。12の言語からな
る(日本本土の言葉と沖縄諸語)としています(朝鮮語は孤立言語にいれています)。
この場合, 沖縄の島ごとに「別の民族、国民、宗教」を持っていたとはとても
思えないのですが。



Re: Re: 大野説に関する資料について

ヒグチ (2003/01/27 16:09)

Maniac C.様
御意見ありがとうございます。
>つまり、語彙が基礎的であろうとなかろうと、何%の対応があろうと、統計学的手法では、
>系統関係は立証できないのです。
以上の記述について、私は、何度も述べていることですが、
統計学的手法から系統関係が立証できるとは考えていません。
ただ、何らかの関係があったのでは?程度のことは明らかにできると考えているのです。
もし系統関係を立証しようとすれば、比較文法など他の手法を用いる必要があると思います。
また、サンプルの語数は関係ないとおっしゃいますが、それは明らかに間違いです。
なぜなら、サンプルの語数を大きくすることにより誤差が小さくなるからです。
これは、対応すると思われる語が少ない場合には非常に重要となります。
分かりやすく説明します。
2000語中に1000語が対応していれば、
ランダムな100語中ではおそらく約50語が対応しているでしょう。
この場合、数語の差はあまり関係ありません。
しかし、2000語中に20語しか対応していなければ、
ある100語のサンプルには対応している語が0語だが、
他の100語には対応している語が2語あるということが生じることがあるのです。
このとき0語と2語の差は大きいですよね。
ですから、100語程度では統計学的手法が上手くいくこともあれば
上手くいかないことがあるというのは当たり前のことなのです。
資料では、オーストラリア先住民語等における同系語の割合や、
音素に関する詳細が示されていないので確かなことは言えませんが、
サンプルの語数に依存しなかったのは、偶然によるものか、
もともと対応語が誤差を無視できるほど充分に多かったためでしょう。
また、音韻対応の法則については、佐藤さんへの意見でも述べましたが、
私は、現段階において完全にその法則を明らかにする必要はないと考えています。
例に挙げた「臼の中でつく」という単語についていえば、
他の単語の対応から日本語とタミル語に何らかの関連があることが明らかになり、
さらに、考古学的に稲作などがインドから伝わったことも明らかになれば、
「臼の中でつく」という単語の対応の信憑性も増し、
そこで、初めて具体的な音韻対応の法則について議論できるのではないでしょうか。
音韻対応のみから同系を証明しようとするのであれば、佐藤さんやManiac C.さんの指摘は
尤もなことだと思いますが、大野先生はそう考えていないように思います。



Re:Re:大野説について

ヒグチ (2003/01/27 15:22)

佐藤和美様
御意見ありがとうございます。
まず「語根」について、佐藤さんの指摘を受けて改めて「日本語の起源」を読んでみると、
確かに、読む人によって受け取り方が異なるような書き方がされていますね。
私は、動詞を例にとれば、第3音素までに語根が含まれる場合があると理解していました。
しかし、「kuri」の語根が「kur」だという記述はないように思いますし、
そもそも、全ての語で第3音素までに語根が存在するという記述もないように思います。
36ページの「語根の比較」は、特殊な例として挙げているのではないでしょうか。
第3音素までに「語根」が含まれるか含まれないかは、
単語の意味を広義にとる場合を除いては、関係のないことだと思います。
また、「fa」と「pal」、「kar-a」と「kal」について、
なぜr音が残る場合と残らない場合があるのか、
それはどういう条件で決定されるのかということは、
日本語とタミル語の関連性がある程度明らかになった後で、
議論すべきことであると考えているのですが、その認識は間違っていますか?
今回は、佐藤さんの意見に対して素人考えを述べましたが、
私の主張は、まずは、音素の並びの似たものを並べてみて、
そこに偶然以上の対応があるかどうかを見るべきだということです。
あとは、比較文法や民俗学的、考古学的考察から詳細を明らかにすれば良いと考えています。
現段階で、音韻対応に完全な法則性を見出す必要はないと思いますし、
それは、そんなに容易なことではないでしょう。
「外国語との比較に当っても最初の三音素までと意味とが厳密に対応するかどうかを見る。
 それが必要で十分な条件となる。」という記述については、
「日本語と外国語の単語で比較できるのはせいぜい第3音素までである。
 一方で、第2音素までの対応では偶然の寄与を無視できない。
 従って、第3音素までの比較は必ず行わなければならない。」これが必要条件、
「単語の比較において第3音素までが偶然に対応することはほとんどない。
 従って、第3音素までが対応していれば関連がある可能性が高い。」これが十分条件です。
すなわち、「第3音素までの対応」が必要十分条件なのです。
>ヒグチさんは『日本語の起源 新版』のこの記述を認めてるんでしょうか、認めてないんでしょうか?
「この記述」が何を示しているかよくわからないのですが、
「対応している語が500語」ということでしょうか?
それであれば、私は、既に述べていると思います。
500語のうちどれだけが対応しているかについては、人それぞれ主観ありますし、
私は言語学やタミル語に関して素人ですので判断できません。
しかし、統計学的手法を用いることにより、
日本語とタミル語に何らかの関係があるかどうか程度のことを明らかにできると考えています。
また、主観を除き、意味がほぼ一対一に対応しているものだけを見ても、
偶然以上の一致があるのではないかと考えています。
>kur-i(栗) kur-u(nut)
>これって「意味が厳密に対応」してるんでしょうか?
以上の記述について、以前も私は質問したはずですが、
なぜ対応していないと思うのか佐藤さんの意見を聞かせてください。
なお、厳密に対応しているかどうかについては、厳密には対応していないと思います。
単純な質問ですが、比較言語学においては、そこまでの厳密性が必要なのですか?
>(ちなみに私は「銅」は「あかがね」だと思ってます。)
「銅」は確かに「アカガネ」ですが、
それは、金属の種類の違いを明確にできているからそう呼ぶことができるのです。
私は、人間が最初に接した汎用可能な金属は「銅」であったと思いますので、
「銅」を「カネ」としても問題ないのではないかと考えています。
>私は大野晋が「最初の三音素まで厳密に対応」してる語を挙げてると思ってたんで、
>それに矛盾する語をいろいろ指摘しました。
>そうでなくて「最初の三音素までいくつか対応」してればいいというのなら、
>「外国語との比較に当っても最初の三音素までと意味とが厳密に対応するかどうかを見る。
>それが必要で十分な条件となる」
>なんて文章はなしにしといてもらいたいですね。
原則としては、第3音素までの比較を行っていると思います。
また、第3音素までが対応していないような単語についても、
大野先生の記述を信じるならば、他のドラヴィダ語学者のチェックを受けているはずなので、
全くの間違いというわけでもないのでしょう。
私は、ドラヴィダ語学者でも言語学者でもなく、それらをチェックする能力がありませんので、
そこに踏み込むつもりはありません。



Re: 大野説に関する資料について

Maniac C. (2003/01/27 12:43)

 順番が後先になりましたが、私の考えを述べます。

 初めにお断りしておきたいのですが、私は『日本語の起源』等の大野氏の著述は未見ですので、その内容に関しての本質的な議論はできません。飽くまでも言語学を学んだ者としての一般的な意見とお考えください。また、他の人がやらないことをやり始めた氏の勇気と、批判を受けてもなお続けてゆく熱意には敬服しております。

 さて、ヒグチさんの書き込みに対する私の考えです。
>特に、統計学的手法を用いている場合には、細かい数値を議論せずに、
>もっと大まかに考えるべきだと思います。
→『言語の興亡』の一節を、要点だけに絞って再掲しますが、「基礎的な語彙がそうでない語彙よりも借用されにくいという普遍的原理は存在しない。……これを原則として、系統関係を立証する上での根拠の一つに考えることはできない。」と有ります。つまり、語彙が基礎的であろうとなかろうと、何%の対応があろうと、統計学的手法では、系統関係は立証できないのです。

>また、語彙統計学が上手くいかなかったのは、
>言語によってはサンプルが100語では足りないことが原因ではないでしょうか。
>子音、母音の数が少ない日本語でさえ100語では少ないと感じるのに、
>他の言語において100語で判断することはできないように思います。
→これも前出書を再掲しますが、「言語に共通した語彙の占める割合はどの場合もほぼ同じという結論が得られた(筆者注、……、語のリストの長短にかかわらず、同系語[cognate]の占める率はほとんど同じだった[五%以内の差]。)」と有り、語数は関係ないのです。

>以下に、日本語とタミル語について例を挙げます。
>「kuma(神に供える米)」−「kumai(臼の中で柔らかくつく)」
>「afa(粟)」−「avai(臼の中で粟などをつく)」
>「arØe(餅につける粉)」−「arai(臼の中で細かい粉にするようにつく)」
>「tuku(米を搗く)」−「tukai(臼の中でつく)」
>このような対応は、単純に考えれば、強引に対応させたように感じるのですが、
>もし日本語とタミル語の関連が証明されれば、対応していると考えてもいいように思います。
→上の例だけでも、第3音素を、一方では「a−a(i)」と対応させ、他方では「e−a(i)」と対応させています。これを大野氏はどう説明されているのでしょう。確か「対談 カミはどこから来たか『一語の辞典 神』をめぐって・その二」では「aiuは共通」と言っていたはずですが。
 もし「タミル語のaiは日本語でaになるときと、eになるときがある」と言うのであれば、比較言語学では、その音韻環境の違いを、例えば「rの後のaiはeになり、m, vの後のaiはaになり、第4音素以降のときは無視される」等と、厳密に説明(法則化)しなければなりません。無論、内的考証として、一定の範囲で、他の例にもその法則が適用されていることが、最低限必要です。更にその法則が、当該言語だけでなく、別の諸言語にも見出されるとなれば、説得力の高いものとなります。



Re: レントゲンについて

楡ノ家楠丸 (2003/01/27 02:19)

■ドイツ語の固有名詞で{o+¨}が現れるのは、主にアクセントのある語幹の主音節で、ロシア語で転写する際も、ё で定着しています。これは問題ありません。
■フランス語の eu, oe, oeu は、語頭、語中、語末いずれにも現れます。ロシア語としては、アクセントを置く語末の母音以外に ё を使うのは問題があるので、語頭・語中では、э,е [e] を使います。つまり、R{o+¨}ntgen は Рёнтг(')ен とはなりえないのです。
■語頭の例は、Eug{e+`}ne→Эж(')ен。語中の例は、Seurat→Сер(')а [сэ-]。
■ただし、語末でも、ёで転写するとはかぎりません。その点については、モンテスキュー、リシュリュー、パスツールの問題とも重なるので、また。



Re:大野説について

佐藤和美 (2003/01/26 22:09)

ヒグチさん
>栗(kuri)の語根は「kur」ではないのでは?という指摘は、論点がずれています。

論点がずれてるのは『日本語の起源 新版』の方だと思いますが。
私は語頭のVC/CVCを比較するというのならそういう方法かとも思いますが、栗(kuri)の語根は「kur」だなどというのはなっとくできません。そもそも「語根」という言葉を使う必要があるのでしょうか。『日本語の起源 新版』36ページからにも「語根の比較」とか書いてありますけど、なんで「語頭のVC/CVCを比較する」って言わないで、「語根の比較」するなんて言ってるんでしょうか。
自分でかってに用語の語義を定義しないで欲しいですね。

>日本語の歯「fa」とタミル語の「pal」については、最後の「l」音は終声になっていますし、
>以前、韓国語の研究をしている方から聞いた話によれば、
>日本語ではr音が脱落しやすいということですので、
>「fa」と「pal」を対応させることには、それほど問題を感じません。

じゃ、これはどう考えればいいんでしょうか。
『日本語の起源 新版』後から3ページ
日本語 kar-a(族) タミル語 kal (親族)
語尾の「l」なんて、あってもなくてもどっちでもいいってことですか?

ちなみに『日本語の起源 新版』後から9ページに
日本語の語頭の子音  タミル語の語頭の子音
S-           ゼロ
ゼロ          C-
っていうのが載ってますね。
「fa」と「pal」が対応してるというなら、タミル語の語尾の子音「l」と日本語の語尾の子音「ゼロ」が対応してるなどと言ってほしいとこです。

>日本語の土(古語)「ni」と タミル語の「nil-am」も、
>「歯」の場合と同様に、終声とr音の脱落によって説明はできると思いますが、

『日本語の起源 新版』後から19ページには、日本語「r」とタミル語「r」、「l」等が対応するって書いてあります。
「r音の脱落」では説明にならないでしょう。


『日本語の起源 新版』27ページ
「外国語との比較に当っても最初の三音素までと意味とが厳密に対応するかどうかを見る。それが必要で十分な条件となる。」

ヒグチさんはこの記述をどのように考えてるんでしょうか。

>>それにしてもこの500語という数字から、語義が違うもの、方言、本当はVC/CVCが対応してない
>>ものを除くと、あとにはいったい何語が残るんでしょうかね?
>以上の記述について、方言に関しては同意しますが、
>統計学的な手法においてはこのような議論は無意味であることを理解されていますか?

ヒグチさんは『日本語の起源 新版』のこの記述を認めてるんでしょうか、認めてないんでしょうか?
(認めてないんだったら、これからの書き方を変えないといけないと思いますが)

kur-i(栗) kur-u(nut)

これって「意味が厳密に対応」してるんでしょうか?
(ちなみに私は「銅」は「あかがね」だと思ってます。)

私は大野晋が「最初の三音素まで厳密に対応」してる語を挙げてると思ってたんで、それに矛盾する語をいろいろ指摘しました。
そうでなくて「最初の三音素までいくつか対応」してればいいというのなら、
「外国語との比較に当っても最初の三音素までと意味とが厳密に対応するかどうかを見る。それが必要で十分な条件となる」
なんて文章はなしにしといてもらいたいですね。



「Re:大野説について」に反論(補足)

ヒグチ (2003/01/26 19:03)

連続の書き込みをお許しください。
最後の子音を発音しないことについて、
大野先生は、日本語の基層言語が母音終りの性質をもっており、
それがタミル語の子音終りを受け入れなかったと考えているようです。
もちろん、そのように考えれば上手く説明がつくという話で、
現時点で、それをタミル語と日本語の音韻対応に当てはめることはできないでしょう。
また、「基本語は2000語はあるといわれる。その中の500語しか対応を発見できない。」
という記述がありますので、2000語中に500語の対応語があるのだと思います。



Re:ヒグチさんの外国語用例への突っ込み2点

ヒグチ (2003/01/26 17:24)

御指摘ありがとうございます。
英語の「day」とドイツ語の「Tag」については、Maniac C.さん の御指摘通りで、
完全に私の不勉強です。すみません。
>韓国・朝鮮語の終声が内破音(口を閉じるだけ)だから、聞こえないだけです。
これも、確かに御指摘の通りです。
ドイツ語と韓国語は少しは知ってるという考えがあり、
あまり深く考えずに書き込んでしまいました。
なお、表記については、「pibimbap」と表記すべきかとは思ったのですが、
「釜山」の例にもあるように、最近は、どちらでもいいと聞きましたので、
日本語と対応させやすいように、あえて「bibimbap」としました。



ヒグチさんの外国語用例への突っ込み2点

Maniac C. (2003/01/26 17:01)

 本論とはあまり関係の無い枝葉部分とは承知の上ですが。
 権威付けのために、事実と異なる用例を傍証として挙げていらっしゃるように見えましたので、気になった点を以下に挙げます。
 議論と異なる外国語を不用意に傍証として持ち出さない方が安全だと思います。

>また、そのような批判は、英語の「day」とドイツ語の「Tag」で、
>第2、第3音素が対応していないと文句をつけてるようなものです。
→英語とドイツ語では、d−t:a−a:y−gと、きちんと全ての音素が対応しています!
恐らく、現代語の発音「デイ」と「ターク」が念頭に有ったものと思いますが。
dayは、中期英語では「daiダイ」、古期英語では「dagデァイ」でした。
英語の第3音素yは、第2音素aの影響で、規則的にgが口蓋化したものです。
ドイツ語の第2音素が長音になっているのも、規則的です。

>なお、終声を発音しない例として、韓国語の「bibimbap」を
>日本語では「bibimba」と発音することを挙げておきます。
→韓国・朝鮮語の終声が内破音(口を閉じるだけ)だから、聞こえないだけです。
 また、韓国・朝鮮語では清濁(有声・無声)の区別をしないので、これはどうでも良いですが、精確には、語頭は無声音にして「pibimbap」と表記すべきではないでしょうか。



「Re:大野説について」に反論

ヒグチ (2003/01/26 15:34)

佐藤和美様
おそらく、佐藤さんは大野先生の主張を理解した上で書いているのだと思いますが、
いちおう反論しておきます。
まず、第3音素までが安定した「語根」であるということに関しては、
4音素の動詞においては第3音素までが語根である場合が多く、
そのことを、他の品詞についても便宜的に用いれば、一般的に、
第3音素までに安定した語根が含まれる可能性が高いということではないですか。
また、短い単語において対応の比較が可能な部分は、
せいぜい第3音素までであるという意味も含んでいると思います。
一方で、第3音素までの一致が偶然に起こることがほとんどないということは、
大野先生も主張していますし、私も確率計算から求めています。
また、英語と日本語を比べれば、第3音素まで偶然に一致する例が
ほとんど無いことは明らかだと思います。
すなわち、第3音素までの対応が必要十分条件であるということです。
ここでは、語根が何かなどは問題ではないので、
栗(kuri)の語根は「kur」ではないのでは?という指摘は、論点がずれています。
>「kuri」と「kuru」じゃ、4番目の音素が違うって言われちゃいますね。
この記述についても、「第3音素までを比較すれば必要十分」なのですから、
4番目の音素が違うなどというのは、議論の対象になりません。
また、そのような批判は、英語の「day」とドイツ語の「Tag」で、
第2、第3音素が対応していないと文句をつけてるようなものです。
それとも、全ての音素が一致しなくては音韻対応は無いということなのでしょうか?
日本語の歯「fa」とタミル語の「pal」については、最後の「l」音は終声になっていますし、
以前、韓国語の研究をしている方から聞いた話によれば、
日本語ではr音が脱落しやすいということですので、
「fa」と「pal」を対応させることには、それほど問題を感じません。
なお、終声を発音しない例として、韓国語の「bibimbap」を
日本語では「bibimba」と発音することを挙げておきます。
2音素しか比較していないことについては、
「歯」のような短い単語では仕方のないことだと思います。
もちろん、第2音素までの対応ですので、ここから同系を証明することが難しいのは認めますが。
日本語の土(古語)「ni」と タミル語の「nil-am」も、
「歯」の場合と同様に、終声とr音の脱落によって説明はできると思いますが、 この単語を同系の証明に用いることには疑問を感じます。(「説明はできる」程度であるため)
「十万語のタミル語辞典に日本語と対応する単語五〇〇語を発見!」の記述については、
タミル語辞典に掲載されている語数は10万語かもしれませんが、それは、
派生語や新しい語彙を含むと思いますので、10万語を母集団と考えるのは間違いでしょう。
タミル語が日本語に影響を与えたと考えられる時期に何万語もあったとは考えにくいので、
比較の対象となる単語は、多くても数千語と考えるのが妥当ではないでしょうか。

>それにしてもこの500語という数字から、語義が違うもの、方言、本当はVC/CVCが対応してない
>ものを除くと、あとにはいったい何語が残るんでしょうかね?
以上の記述について、方言に関しては同意しますが、
統計学的な手法においてはこのような議論は無意味であることを理解されていますか?

私の反論に間違いがあれば、御指摘をお願いします。



「言葉の世界」伝言板11月分

佐藤和美 (2003/01/26 14:23)

「言葉の世界」伝言板11月分」を追加しました。



Re2: ゲーテ

Maniac C. (2003/01/26 12:07)

>「ギョーテとは俺のことかと…」
→私も、転写形を見てこの句を想い起こしたのですが、斎藤緑雨の原句は
「ギョエテとはゴエテの事かとゲーテ言ひ」だそうです。
人口に膾炙している文句と微妙に趣が違うので、参考までにお知らせしておきます。
 確かに耳で聞くと、「ギョーテ」の方が「ゲーテ」より近く聞こえるのですよね。
日本人の耳とロシヤ人の耳は(つまり両言語の母音の主要形成音は)似ているのでしょうかね。



Re2: ロシア語の転写形 レントゲン

Maniac C. (2003/01/26 11:29)

楡ノ家楠丸さんへ
 連載、有難う存じます。大変勉強になります。
 さて、首記の件ですが。

>フランス語の発音は [rœnt'gεn] ですから、問題はありません。
→フランス語を私自身も確認してみました。フランス語での綴りはRöntgenで、発音はおっしゃるとおり、鼻母音を使わないドイツ語風発音なのですが、それが何故ロシア語に入ると、-ен-に転写されても「問題はありません」と言えるのかが、まだ解りません。
 もしかして、ドイツ語のoウムラウトをёと転写するのは、強勢の有る音節でだけなのでしょうか。
 宜しければ、もう少しく詳しいご解説を賜りたいのですが。



Re: ロシア語の転写形 フォークナー、リンカーン、ユゴー、ベートーヴェン、ゲーテ、ヘルダーリン、レントゲン

楡ノ家楠丸 (2003/01/26 03:07)

【Faulkner / Ф(')олкнер ['フォるクネル]】 発音は-нэрです。『征服されざる人々』の発表が1938年ですから、(ロシア革命=1917年)さすがに、лはльになっていませんが、ところがどっこい、лは発音されないのでした。(1)l を発音しないことを知らなかった。(2)原綴の l を保存したかった。のどちらかでしょうが、初めに転写した当人に訊かないとわかりません。もちろん、この名前の人が、いま、有名になったら、綴りは Фокнер です。
【Lincoln / Л(')инкольн ['りヌカりヌ]】 ルーズヴェルトが間違っているくらいだから、リンコルンは仕方ありません。しかも、フルネームはロシア語では、Авра(')ам [アヴラ'アーム] 〜 です。Abraham をロシア人の名前に「翻訳」してしまっています。
 おまけですが、ロシア人は-нк-,-нг-,-нх-の綴りで、[n+g](king の ng の音)の発音ができません。奇妙ですが、ロシア語には「ング」という子音がないのです。シベリアに「ガナサン語を話すガナサン人という少数民族」がいますが、ロシア語ではНганасаны[ヌガナ'サーヌィ] です。ペンギンのことも、ロシア人は「ペヌグヴィン」と言います。
【Hugo / Гюг(')о [ギュ'ゴー]】 不変化です。『レ・ミゼラブル』が1862年ですから、ロシア人の知識階級がユゴーの発音を知らなかったはずはありません。これは、むしろ、原綴のH
を無視するに忍びなかったという感じでしょう。
 ユゴーより40年のちに生まれた仏の女性詩人 H{e+´}r{e+´}dia は、Эреди(')а [エレヂ'アー](不変化)と Гなしで転写されています。
【Beethoven / Бетх(')овен [ビェット'ほーヴィン]】 ベートーヴェンのeはэでは読まないんです。これが難しいところです。ロシア人の慣用だから文句の言いようがありません。本来なら Бетх(')офен とすべきところ、фの代わりにвが現れる原因は、フランス語経由でベートーヴェンが紹介されたと考えれば理解できます。フランス語の慣用発音は [be'tov{eのさかさま}n] です。[ベ'ト-ヴヌ] という感じですか。これをロシア語に転写すると、まさにБетховенになります。
【Goethe / Гёте ['ギョーテ]】 発音は-тэです。「ギョーテとは俺のことかと…」というような感じですが、ドイツ語のOウムラウトはёで転写します。
【H{o+¨}lderlin / Гёльдерлин ['ギョりデルりン]】 発音は-дэр-です。ドイツ語の音節末の l は light l ですので、-ль-で転写していることに問題はありません。
【R{o+¨}ntgen / Рентг(')ен [リェヌ'ギェヌ]】 тの音が落ちます。これはロシア語の問題です。ある種の子音が3つ以上続く場合、ロシア語ではそのうちのどれかが落ちることがあります。けっきょく、-нг-という発音になりますが、先に書いたように、「ング」の音にはなりません。
 ドイツ語本来の音を転写するなら、Рёнтгенで ['リョンドギヌ] と読むべきでしょう。実際、レントゲンという人物については、この規範形も用いるようです。しかし、レントゲン写真の普通名詞レントゲンには、рентген を使います。
 この謎解きも案外簡単です。フランス語が仲介になったのです。アクセントが語頭ではなく語末にあることが、その証拠です。フランス語の発音は [r{o+e}nt'gεn] ですから、問題はありません。



Re: アイスランドと依蘭

楡ノ家楠丸 (2003/01/26 02:11)

■柏書房の『宛字外来語辞典』というのがあります。これは、幕末以来の日本語テキストに現れた、当て字による外来語を集積した事典です。アイスランドを表す外来語に以下のようなものがありました。
(1)アイスランド【愛撒倫】
(2)アイスランド【愛斯蘭】
(3)アイスランド【阿斯蘭得】
(4)アイスランド【氷州】
(5)エイスラント【氷島】 これはおそらくオランダ語 Ijsland (エイスラント)から。
(6)イスランド【伊須蘭土】 これはドイツ語 Island もしくはアイスランド語 {I+´}sland から。
(7)エイランド【依蘭地】 オランダ語 Ijsland の訛り?
(8)エイラン【依蘭】      〃
(9)ひょうとう【氷島】



Re: ルーズヴェルトのロシア語転写

楡ノ家楠丸 (2003/01/26 01:57)

■現在の転写ルールに従うなら、Роузевелт と綴って、['роузэвэлт] と読むところでしょう。綴字の中の-ль-に注目してください。これは、あとに母音を伴わない英語の l が dark l [l+〜] で発音されることを知らない人物の仕業です。
■Theodore Roosevelt が大統領のなったのが 1901年。ロシア革命の16年前ですから、ロシアはフランス語主流で、英語など他国語の発音は、おざなりであるか、フランス語の影響を受けたものになりがちです。これは、おそらく roose-は、普通名詞の推測から [ru:z-] と読むのだろうと判断したのでしょう。
■目新しい固有名詞の発音というのは、ネットの発達した現在でさえ、確認がほぼ不可能に近く、今から100年も前の状況は推して知るべし、といったところでしょう。



Re: キム・イルソンなど

楡ノ家楠丸 (2003/01/26 01:40)

■Ким Ир Сен [сэн] と書いたのは、綴りでは Сен を使うが、発音は сэн という意味です。
■Сергеевич の実際の発音は [сир'ге:йивич シ(ェ)ル'ギェーイ(ェ)ヴィチ] という感じですが、まっとうな露文学者なら、カナ転写は「セルゲーエヴィチ」とします。ソ連が消滅して以後、日本でのロシア語のカナ転写はどうもひどくなっています。たとえば、スケートのプルシェンコの原綴は Плющенко です。わかる人は、ひどいのがわかりますね。



アイヌ語地名の南限

オオクボ (2003/01/25 19:16)

 初めまして。私はアイヌ語地名に興味を持っておりまして、大学の卒論を「アイヌ語地名の南限」というテーマで書きました。私はその中で、東北以南にもアイヌ語地名が残っているのではないか、ということを述べました。
 例えば、三重県藤原町に日内(ひない)という地名があります。アイヌ語で、pit.nai(石・川)と解釈できうるのではないかと思います。なぜなら、「日内」集落の少し南方に、石川という集落があり、「日内」および「石川」付近に、員弁(いなべ)川が流れており、砂利川となっています。沖縄県の西表島にも、髭川(ぴない)滝があり、川が「ナイ」と読まれています。与那国島にも、ピナイ川があります。北海道には、札比内(さっぴない)、ポロピナイなど、「ピナイ」のつく地名は所々にありますし、秋田県にも比内(ひない)沢があります。これらは単なる偶然なんでしょうか。この件に関して、いろいろな人の意見を戴きたいと思います。



Re:大野説について

佐藤和美 (2003/01/25 17:56)

やっと本の山の中から『日本語の起源 新版』(岩波新書)を見つけました。
材料に『日本語の起源 新版』を加えてまた検討してみました。

どうも大野晋の音韻対応の基準がよくわかりません。

massangeanaさん
>大野氏はしばしば語根をくらべているが

全然気がつきませんでした。(^^);
私は語頭のVC/CVCを(理由もなく)比較してるもんだと思ってました。
(『日本語はどこからきたのか』には語根に関して何も書いてない。)
そういえば、『日本語の起源 新版』の36ページ以降にも語根での比較について、なにやら書いてありますね。
ところで
kur-i(栗) kur-u(nut)
の件ですが、
栗(kuri)の語根って「kur」なんですかね?
と、思ったら『日本語の起源 新版』26ページにわけのわからないこと書いてある。
日本語では「第三音素までが安定した「語根」なのだ」そうです。
栗の語根が「kur」だと言われてなっとくする人っているんですかね?
ま、こうでもしないと、「kuri」と「kuru」じゃ、4番目の音素が違うって言われちゃいますね。(日本語「i」とタミル語「u」は対応してることになってない)

それじゃ『日本語はどこからきたのか』94ページ
日本語 歯 fa タミル語 pal 歯
は?
「l」はどこへ行ったの?
この場合は2音素だけでいいの?

『日本語はどこからきたのか』90ページには
日本語 土(古語) ni タミル語 nil-am 土
なんてのも載ってる。

よく見たら『日本語はどこからきたのか』の裏表紙にこう書いてありました。
「十万語のタミル語辞典に日本語と対応する単語五〇〇語を発見!」
大野晋本人の文章じゃないんだろうけど、大野晋がこの文章の存在を知らないわけないと思うんですが。
十万から、二千から、どっちが正しい?

それにしてもこの500語という数字から、語義が違うもの、方言、本当はVC/CVCが対応してないものを除くと、あとにはいったい何語が残るんでしょうかね?



大野説に関する資料について

ヒグチ (2003/01/25 15:00)

Maniac C.様
資料の提供ありがとうございます。
提供して頂いた資料と関連して安本氏の主張について調べてみたのですが、
安本氏の統計学的手法の問題点がわかったようにも思います。
(詳細に検討したわけではないのでここでは省きます。)
なお、安本氏は、寺田寅彦先生の文章を引用しており、
その内容は私の考えとほとんど同じでしたので、以下のページを参照ください。
http://izayohi.hp.infoseek.co.jp/nihongokigen.html
ところで、言語の分類について、共通語彙が何%以上などという記述がありますが、
こういうことは、言語間の関連が明らかになった後で議論すべきことのように思います。
以下に、日本語とタミル語について例を挙げます。
「kuma(神に供える米)」−「kumai(臼の中で柔らかくつく)」
「afa(粟)」−「avai(臼の中で粟などをつく)」
「are(餅につける粉)」−「arai(臼の中で細かい粉にするようにつく)」
「tuku(米を搗く)」−「tukai(臼の中でつく)」
このような対応は、単純に考えれば、強引に対応させたように感じるのですが、
もし日本語とタミル語の関連が証明されれば、対応していると考えてもいいように思います。
すなわち、対応語彙数は、関連が証明される以前と以後において著しく変化するため、
証明以前において正確に何%の対応があるか明らかにすることは難しいでしょう。
特に、統計学的手法を用いている場合には、細かい数値を議論せずに、
もっと大まかに考えるべきだと思います。
また、語彙統計学が上手くいかなかったのは、
言語によってはサンプルが100語では足りないことが原因ではないでしょうか。
子音、母音の数が少ない日本語でさえ100語では少ないと感じるのに、
他の言語において100語で判断することはできないように思います。
もちろん、100語中に明らかな差を見出すことができれば可能なのですが、
おそらく、そういう例は少ないでしょう。
その意味するところが以下の文章ではないでしょうか。
「綿密な比較と再建によって立証されたものと語彙統計学的結果とが、
 ちょうどよく符合することも時にはあるが、そうならないことも多いのだ。」
また、語彙統計学で全てを明らかにできるという誤った考えも失敗の一因のように思います。
比較言語学における統計学的手法は、(統計学において細かい議論は無意味であるため)
言語間に何らかの関連があるかどうか程度のことしか判断できないというのが私の考えです。
以上について、御指摘、御意見を頂ければ幸いです。



機種依存文字

佐藤和美 (2003/01/25 10:38)

丸数字、ローマ数字などは機種依存文字です。使わないようにしてください。

機種依存文字劇場
http://apex.wind.co.jp/tetsuro/izonmoji/



依蘭苔

らいけん (2003/01/25 09:29)

おはようございます。朝起きて掲示板を開いてみたら,一晩のうちにたくさんのお返事を頂き大変驚きました。大変参考になりました。ありがとうございました。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/lichen/jiman.html



大野説に関する資料2

Maniac C. (2003/01/25 08:54)

『言語の興亡』(岩波書店、R.M.W.ディクソン著)より。
「基礎的な語彙がそうでない語彙(もっとも頻繁に使用される語――第V章第1節(b)参照)よりも借用されにくいという普遍的原理は存在しない。ヨーロッパ(Swadesh 1951参照)や、世界の他の多くの地域の言語に関してはこの傾向が当てはまるようにみえるが、どこにでもというわけではなく、これを原則として、系統関係を立証する上での根拠の一つに考えることはできない。例えば、オーストラリアでは隣接する言語の一〇〇語または二〇〇、四〇〇、さらには二〇〇〇語を抽出して比較した結果、言語に共通した語彙の占める割合はどの場合もほぼ同じという結論が得られた(筆者注、私は多くのオーストラリア先住民語を対象に二言語間の語彙の比較をしてみたが、語のリストの長短にかかわらず、同系語[cognate]の占める率はほとんど同じだった[五%以内の差]。ブリーン[Breen 1995]もこれを確認している。コムリー[Comrie 1989]はパプア諸語における語彙の異常な出現率について論じているが、それもこの問題に関連する。)。」(第T章序説)
「スワデシュ(Swadesh 1951)は『系統』関係を明らかにする魔法の公式をあみだした。……。たくさんの言語からそれぞれ特定の一〇〇、またはおそらく二〇〇の基礎語彙を集め、それらの基礎語彙同士で同系と思われる項目を調査し書き留め、比較しさえすればよい。公式はそこで、言語同士の関係(語彙統計学)や、それらに共通の祖語の古さ(言語年代学)を我々に提示する。この方法と共に新しい用語がずらっと登場した。『語族』という語は、三六―八一%の基礎語彙を共有する言語という、全く新しい意味で用いられる。『語系(stock)』、『小語族(microphylum)』、『中語族(mesophylum)』や、『大語族(macrophylum)』(ここでは同系語の割合は一%以下だ!)などという語もでてきた(Gudschinsky 1956)。/近道はどれもそうだが,この方法もうまくは行かなかった。それは間違った仮定――語彙項目のみから系統関係を推測できるということ、すべての言語の語彙項目がいつも一定の割合で入れ替わるということ、基礎語彙がいつも非基礎語彙と異なった使われ方をするということ――に基づいていた。語彙統計学が決定的に信用を落とすまで、この一〇〇語のリストを用いた比較は、一部の人たちに数年にわたって熱狂と歓喜の時代をもたらしたものだ。/基礎語彙の比較は、もちろん、無駄な作業だというわけではない。新しい言語にとりくむ際のとても有用な第一歩であり、可能な言語関係についての仮説を提供し、詳細な記述的、比較的研究を進める助けとなる。しかし、これはただちに系統関係の証拠とはならない。綿密な比較と再建によって立証されたものと語彙統計学的結果とが、ちょうどよく符合することも時にはあるが、そうならないことも多いのだ。」(第V章第1節(b) 語彙統計学と言語年代学)



大野説に関する資料1

Maniac C. (2003/01/25 08:53)

http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/documents/booklet_kami.html
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/booklet_kami2.html

 月刊『言語』(大修館書店刊)の1999年7月号所収『オセアニアの言語の系統とその特徴』(崎山理)pp.29-31より。
「(引用者註、オーストラリア諸語の)分類は、非文化的な基礎的語彙の比較による語彙統計学により行われる[Wurm 1972]。共通語彙数が一五%では異なる語門(phylum)、一六‐二五%では同じ門の異なる語群、二六‐五〇%では同じ語群の下位の語群、五一‐七〇%では同じ下位の語群の同系的言語(family-like)、そして七一%以上では方言という基準をたてる……この語彙統計学的分類に反対し、比較言語学的手法による分類を提唱する意見[Dixon 1980]もあるが、このような正論に対しては、数千年の歴史しかないインド・ヨーロッパ語族を越える歴史(引用者註、万年単位)を持つ言語に対してもその方法が有効なのか、という疑問を逆に呈さざるを得ない。/同じ問題がパプア諸語にも見られる。……語彙統計学的分類では……パプア諸語の語門は十一たてられ、また八つの孤立語(所属未詳)が認められる……ただし、その分類の基準として共通語彙数一二%以下が語門、一三‐二八%が語系(stock)、二九‐八〇%が語科(family)、八一%以上では方言という区分が用いられる[Wurm 1982]。オーストラリアと基準が異なるのは経験的に修正を行っているからであり、語彙統計学的方法による結果が恣意的に操作されているとの批判はまぬかれないだろう。フォレイはこのような分類が比較言語学的に証明されたものではないと述べ、トランス・ニューギニア語門のうち、語科レベルの低地セピック諸語の五言語につき、五〇語の民族語彙を含む基礎語彙の比較を試み音韻対応規則を見出そうと試みる[Foley 1986]。しかし、不適切な対応例を含むだけでなく、このわずかの五例から得られた一見規則らしいものがセピック諸語の系統論にどれほど寄与するのか、かなり疑問に思われる。個々の語の厳密な音韻対応より代名詞グループという大きなカテゴリーを立ててパプアの民族移動を仮定したワームの提唱は、先史時代における比較言語学的手法の限界を熟知したうえでのものであったことはいうまでもない[崎山 一九九八]。」



訂正 wortebuch → worterbuch、deitschen → deutschen

高駒麗人 KOMA (2003/01/25 04:04)

同学社『言語学小辞典Sprachwissenschaftliches Taschenworterbuch』(下宮忠雄Shimomiya Tadao・川島淳夫Kawashima Atsuo・日置孝次郎Hioki Koujirou:1994)のP.174〜175附録「人名の起源」が参考になるかと思います。この欄には「[参考書]M.Gottschald:Die deutschen Personennamen.(Sammlung Goschen)Berlin 1955」とあります。



Sergeyevichについて

高駒麗人 (2003/01/25 03:54)

:Maniac C.さんへ

>アイスランド語の自称→‘Ísland’で、発音は「イースラント」です。
>ドイツ語→ ‘Island’で、やはり発音も「イースラント」です。

ありがとうございます。こちらも勉強不足なもので助かります。

>なぜか「哈日」Hariがない→これは「哈日族」(日本大好き世代)という台湾語が在るからでは
固有名詞の漢字表記の場合、意味はどうでもいいので中国人が其処まで気にするとは思えませんが…

>日本語で言う「ルーズベルト(Roosevelt)」、米国では「ロウゼヴェうト」と、オランダ語(Rozeveld)の原音「ローゼヴェるト」に近く発音されます。しかし、ロシア語の転写形では日本語同様、Рузвельтと、「ルーズヴェりト」になっています。
「巨泉のこんなものいらない」で大橋巨泉が「日本人の発音する『ルーズベルト』は間違い」と言っていましたが、ロシア語でもRuzveltと発音しているわけですね。日本人としては、アメリカ人が青木さんをエイオーキと呼ぶのを誤った発音として批判しましょうか。

楡ノ家楠丸さんへ
>露文学者は日本語の字面をすっきりさせるために、イェーをエーで転写するという規則をつくったようです。さもないと、Сергеев(セルゲーエフ)は、シェルギェーイェフになってしまいます。

Alexander Sergeyevichはシナ語で「亞力山大・謝尓蓋維奇」Yalishanda Xie'ergaiweiqiになり「セルゲイ」が「シェルガイ」になっています。
Ce[sje]が北京語のxie(謝、写)に似ているからでしょう。
Cэ[se]は、北京語 se(色、澀)の轉写に使われます。
Γe[gje]を「解」jie(山東方言でgie)にしないのは不思議です。

ロシア語のローマ字轉写でSergeevichのようにe[je]イェをeで取り入れるのが多く、英語では
[sεageivit∫]セアゲイヴィチのように発音するようですが、日本語でセルゲイェヴィチ(またはシェルギェイェヴィチ)とすべき所をセルゲーヴィッチとするのは発音を怠けているように思えます。
「Sergey(Cepгeйセルゲイ)の息子=セルゲイェヴィチ」という意味がわかりにくくなります。

서울SeoulをСеул[sjeul]にすると*셔울Syeoulという言葉をロシア語化したようで変です。
ノムヒョン(盧武鉉)大統領のロシア名Ho Myxen[nomuxjen]ノムヒェンのxenは、현hyeonヒョンをヒェンにしたものです。
>Ким Ир Сен[сэн]
сэнの方が原音に近いと思います。

ロシア語でエが全てイェになり、エとイェの音韻的区別がなくなったというのは初めて知りました。これでロシア語の綴りを覚えやすくなりました。日本語では逆にイェがエになったせいで、エとイェの区別がなくなったということになりますね。



Solzhenitsynの漢語名 訂正&「孤立語」

高駒麗人 KOMA (2003/01/25 03:07)

「索善尼津」Suoshannijinの場合、言語のzh(Ж)が北京語でshになっています。
>「索善尼津」Suoshannijinの場合、原語のzh(Ж)が北京語でshになっています。

日本語と同系の言語は敢えて探せば「琉球語」だと言えますが、琉球語(うちなーぐち/沖縄口)自体、「日本語の方言」とされているわけで、「日本語」や「漢語(シナ語)」自体が「ゲルマン語」「ロマンス語」といった「語族」にあたるのでしょう。すると日本語を孤立した言語とするのは、「インドヨーロッパ祖語」を「孤立した言語」とするようなものでしょう。別に日本語を孤立した物と思う必要はないと思います。

「孤立語」というと「古代シナ語は孤立語で、日本語や朝鮮語は膠着語で、欧州語は屈折語」というような文脈で使われる「孤立語」(単語が活用せず、テニヲハが無く、語順で主語か目的語かが決まる言語)isolierende Sprache/isolating languageの意味が普通です。

しかし私は「孤立語」という単語を最初見聞きした時、やはり「他に同系統が無い言語」の意味で受け取りました。文法の分類としての所謂「孤立語」は「非活用語」「語順語」という方が適切でしょう。

「日本語の起源」に関して↓
http://akizuki.pr.co.kr/tubuyaki/221.htm

欧州の比較言語学とは、アジアで喩えて言えば、日本の都道府県と朝鮮の道と中国の省・自治区の各「方言」を「言語」と見なして「東京語と福岡語と沖縄語は同系だがアイヌ語は少し違う、京畿道(キョンギド)語と咸鏡道(ハムギョンド)語も同系、北京語と廣東語と台湾語も同系のようだがチベット語は少し違う」と言っているようなものです。これは文法や語順によって決まります。
シナ・チベット語族やウラル・アルタイ語族も文法の類似によって分類されているのでしょう。

言語同士が同系か否か。言語学者が調べるときは語彙の比較など後回しにして文法構造の類似を探します。語彙などは言語から言語へ簡単に移りやすいからです。
語彙だけ比べれば東京語とソウル語と廣東語で「簡単」をkantanのように発音しますが、北京語だけjiandan.
この傳言板でさんざん話題になったように、東京語、ソウル語、北京語と廣東語で「茶」はchaですが、台湾語ではteまたはtaで、これはマレイ語tehやドイツ語Teeと似ている…。本来の言語の系統とは無関係です。

シナ語と欧州語でも偶然似ているのが「母親」muqinとmother・Mutter、「媽媽」mamaとmama、「父親」fuqinとfather・Vater、父の下に巴を書く字を2つ並べた baba[pa:pa]と英語等の papaです。

タミル語の場合、語彙は重要でしょうが、文法面で日本語と似ていれば更に説得力が増すでしょう。(金田一春彦氏は語彙の類似による言語同系論を「素人の早合点」として疑問視しています。)私は印度の言語には素人なので勝手なことは言えませんが……。

文法が変化することもあります。しかし古代から現代まで何百〜2000年程かかります。
語彙の借用等一瞬ですむのとは違います。
英語の場合、屈折語から孤立語に移っています。特にCreoleではI、my、meをmiだけで間に合わせるなど漢語化しています。古代シナ語は屈折語ですが、現代中国語は「把椅子放在那里」「我給他説過一次」のように「把…」ba…(…を)、「給…」gei…(…に)という介詞(動詞の発展形)が助詞の役割を果たし、目的語を目的語の後に置くことができるようになっています。
(介詞は元々動詞なので「不」bu=don'tや「想」xiang=want toは介詞の前に置かれる。「我想給他説…」=I want to talk to him…)

シナ語と同系なのは以前此処で言及された中央アジアのドンガン語と言えますが、これもシナ語の国外方言と言えます。
http://homepage2.nifty.com/Gat_Tin/fanglink.htm(中国方言リンク集)
http://www.ethnologue.com/show_lang_family.asp?code=DNG(ドンガン語)
http://www.aa.tufs.ac.jp/~kmach/xiaoerjin/repFY01/「小児錦」研究の展望 イスラーム諸地域の現地語表記や、他の非漢字漢語表記体系(たとえば、女書・トンガン語等)と広い比較研究の可能性も拓ける。

現代漢語は膠着語に近づいています。
これは元や清の時代にモンゴル人や満州人がシナ語を使ったことによるものでしょうか。
もし、我々が中国の少数民族の中で「蒙古族」以外の「蒙古系」諸民族を皆「蒙古族」に数えたり、「タイ系」諸語を母語とする民族を全て「泰族」に数え、更に漢語7大「方言」を7つの「言語」と考えたら、56種類と言われる「中華民族(中国の各民族)」、「中国諸言語」の数の分布も変わってくるでしょう。

http://member.nifty.ne.jp/vega-hoshino/Koma/



RE: アイスランド

Maniac C. (2003/01/25 02:56)

>アイスランド語の自称
→‘Ísland’で、発音は「イースラント」です。

>ドイツ語
→ ‘Island’で、やはり発音も「イースラント」です。

>「イェリツィン」「イェカチェリーナ」
→「エルサレム(Jerusalem)」「イエス(Jesus)」や「エール(yell)」「イエロー(Yellow)」など、日本語では「エ」か「イエ」になってしまうようです。助詞の「へ」などは「イェ」と無意識の裡に発音しているのに、それ以外(特に語頭)では日本人には発音できないようですね。
 これは平成3年に制定された『外来語の表記』の中で、「第2表に示す仮名(イェなど)を用いる必要がない場合は、第1表に示す仮名(イ・エなど)の範囲で書き表すことができる。」(カッコ内引用者)とある規則によるものです。

>なぜか「哈日」Hariがない
→これは「哈日族」(日本大好き世代の総称)という台湾語が在るからではないでしょうか。



Re2: ロシア語の転写形

Maniac C. (2003/01/25 02:18)

 楡ノ家楠丸さん、毎回詳しい解説有難う存じます。
 まだ最初の質問に解答し終えていただいていないところを恐縮ですが、重ねて質問です。

>ロシア語の転写形では、移民の姓を、しばしば、もとの国の言語の原音で転写することがあります。
→日本語で言う「ルーズベルト(Roosevelt)」さんは、確かオランダ系移民で、米国では「ロウゼヴェうト」と、オランダ語(Rozeveld)の原音「ローゼヴェるト」に近く発音されます。しかし、ロシア語の転写形では日本語同様、Рузвельтと、「ルーズヴェりト」になっています。これはお説に反するようですが、オランダ語は無視されるのでしょうか。
 お暇なときにご解答をお願いいたします。



Re: 露文学者がЕ(イェー)を「エ」と転写するわけ

楡ノ家楠丸 (2003/01/25 02:15)

理由は単純です。ロシア語には、「外来語、文字の名前、間投詞、"тоに間投詞эがついたэтоとその派生語"」を除いて、эが現れません。過去のある時期に、硬音のэと軟音のеが、すべて軟音のеになってしまったからです。つまり、音韻としては硬軟の対立がないので、露文学者は日本語の字面をすっきりさせるために、イェーをエーで転写するという規則をつくったようです。さもないと、Сергеев(セルゲーエフ)は、シェルギェーイェフになってしまいます。



RE: 「依蘭」はアイスランド?

Maniac C. (2003/01/25 02:14)

 『角川外来語辞典』には以下の記述が有ります。
「エイランたい〔苔〕【オランダ Ijslandsch mos】→アイスランドごけ.『依蘭苔(エイランタイ)エイスランドセ モス 蘭.榕按に,是れ和名はなごけと呼ぶ一種の苔なり.西洋に於て往昔始て依蘭土(エイスランド)(欧羅巴(エウロッパ)州北海島の名)に採り,和蘭にてエイスランドセ モスと名づく.モスは苔の義.即ち依蘭地(エイスランド)苔なり.今是を略訳して依蘭 (エイラン) 苔と名つく』宇田川榛斎『遠西医方名物考 ]]Z』1822」
 従って、蘭学由来が正しいようです。



アイスランド

高駒麗人 (2003/01/25 01:56)

現代漢語(中国語、シナ語)ではIcelandは「氷島」Bingdaoですが「愛斯蘭」は初めて知りました。Ireland(自称Eire)は「愛尓蘭」Ai'erlanになりますので、Iceland>「愛斯蘭」Aisilanもあっておかしくはないでしょう。
Icelandはドイツ語ではEisland[aislant]でしょうか。
アイスランド語の自称ではIcelandのIがイで発音されているのかもしれません。すると「イスランド」も納得できます。
西洋の人名の語源については、神保町で賣っている高そうな洋書もいいですが、手頃な資料としては同学社『言語学小辞典Sprachwissenschaftliches Taschenwortebuch』(下宮忠雄Shimomiya Tadao・川島淳夫Kawashima Atsuo・日置孝次郎Hioki Koujirou)94のp174-175付録「人名の起源」が参考になるかと思います。この欄には「[参考書]M.Gottschald:Die deitschen Personennamen.(Sammlung Goschen)Berlin 1955」とあります。

ロシア語のYel'tsinが日本語で「エリツィン」eritsinになり、Yekaterinaが「エカテリーナ」ekateri:naになるのは、こういうカタカナを決めた日本人がロシア文字のE[je]をローマ字のEのように解釋したからでしょうか。「イェリツィン」「イェカチェリーナ」のほうがいいと思いますが…。

「ハリー」Harryの漢語名には「哈利」Haliと「哈瑞」Haruiの二種があります(なぜか「哈日」Hariがない)。(電影「哈利波特」と「蜘蛛侠」を見てわかった)
一方、西洋語のrでなくs、z音を北京語rで取り入れた例もあります。
Sweden>「瑞典」Ruidian
Swiss(Suisse、Svizzera、Schweiz)>「瑞士」Ruishi
Geneve>「日尼瓦」Riniwa
Pfizer>「輝瑞」Huirui(廣東語で読むとfai∫φy)
http://www.pfizer.com.hk/
Zhirinovsky>「日利諾夫斯基」Rilinuofisijiのようにロシア語zh(Ж)は北京語のrになり、ロシア語r(p)は北京語lになるのがややこしいです。
Solzhenitsynのシナ語名には「索忍尼辛」Suorennixin、「索尓仁尼琴」Suo'ernniqin、「索善尼津」Suoshannijin等幾つもあるようです。

「索尓仁尼琴」Suo'ernniqinの「尓」erはロシア語のl(Л)の代用、
続く「仁尼」renniが -zheni- に当たり、
「索善尼津」Suoshannijinの場合、言語のzh(Ж)が北京語でshになっています。
これは漢語方言で「善」が濁音で始まるのか(日本語音読みzenから納得)、或いはドイツ語音経由でしょうか。ドイツ語で、ロシア語からの外来語のzh(Ж)はsch[∫]になるようです。(SolzhenitsynはSolschenizynになるのだろうか?)

「瑞士」「日尼瓦」等はrがzに訛る方が原音に近づくでしょうが、yになったら原音から遠ざかってしまいます。
「過去の傳言板」に9月分が加わって嬉しいです。記録するのに少し時間がかかりますね。



RE: 「依蘭」はアイスランド?

Maniac C. (2003/01/25 01:45)

 『角川外来語辞典』には以下の記述が有ります。
「エイランたい〔苔〕【オランダ Ijslandsch mos】→アイスランドごけ.『依蘭苔(エイランタイ)エイスランドセ モス 蘭.榕按に,是れ和名はなごけと呼ぶ一種の苔なり.西洋に於て往昔始て依蘭土(エイスランド)(欧羅巴(エウロッパ)州北海島の名)に採り,和蘭にてエイスランドセ モスと名づく.モスは苔の義.即ち依蘭地(エイスランド)苔なり.今是を略訳して依蘭 (エイラン) 苔と名つく』宇田川榛斎『遠西医方名物考 ]]Z』1822」
 従って、蘭学由来が正しいようです。



Re: ロシア語の転写形 コルネイユ、ゾラ、ジュール、ディズレイリ

楡ノ家楠丸 (2003/01/25 01:33)

【Corneille / Корн(')ель [カル'ネーり]】 発音は-нэль です。仏語の古い転写形では、-ill, -ille [-j] を-льで転写します。コルネイユの時代は、まだ、ロシアでも仏語が普及していなかったからでしょう。それでも、-ill, -ille は比較的早い時期に、льからйになっているようです。
 個人名 Guillaume, Camille は、それぞれ、Гиль(')ом,Кам(')ильとльを使っています。
 Rambouillet (1588―1665)→ Рамбуй(')е  й
 Corneille (1606―1684)→ Корнель     ль
 Milhaud (1892―1974)→ Мий(')о         й
 Anouilh (1910―1987)→ Ан(')уй         й
 規範形で綴るなら Корн(')ейですが、こういう語形は使わないようです。
【Zola / Зол(')я [ザ'りゃー]】 カーライルのところで書いたように、ロシア人は、dark l とそうでない l を聞き分けます。西欧語の母音の前の l は、押しなべて light l ですので、ロシア人の心境としては dark l の音を表す硬音のлを当てたくない、というところでしょう。しかし、li, le をли,леで転写するのはいいとしても、la, lo, lu(仏 lou)までля,лё,люで転写するのは、さすがにやりすぎだという意識もあるらしく、Zola―Золяタイプの転写はあまり多くありませんし、現在では使用されません。
 他の例としては、lard→лярд,Ludwig→Людвиг,allo(仏語)→алло[発音はалё] などがあります。
 アナウンサー向けの正音法辞典でこんな記述を見たことがあります。「西欧語の固有名詞の la は、лаとляの中間の音で発音すること」。果たしてロシアのアナウンサーがこのような発音をマスターしているのでしょうか?少なくとも、一般のロシア人がそんな発音をできるわけないのは確かです。
【Joule / Дж(')оуль [ド(')じょウり]】 何とも中途半端な。Морзеといい、これといい、理工系の人はどうも言語に無頓着らしい。どんな根拠も思いつきません。ただ、Joule の発音には [ヂューる] と [ヂャウる] があり、辞典によっては、[ヂョウる] という発音を載せているものもあります。規範形を仮に示すなら Джул。
【Disraeli / Дизра(')эли [ヂズラ'エーりィ]】 ロシア語の転写形では、移民の姓を、しばしば、もとの国の言語の原音で転写することがあります。たとえば、映画監督のスコセッシ(Scorsese)は伊系で、米音は[スコァ'セイズィ]ですが、ロシア語では伊語の音を復元してСкорс(')езе [スカル'セーゼ] と言います。スタローンも伊系ですが、同様に、米音[スタ'ろウン]、露綴 Сталл(')оне[スタッ'ろーネ] となります。
 英国のディズレイリ首相の家系は、もとはユダヤ系のイタリア人でした。父親の代の姓の綴りは D'Israeli です。これは伊語で、di Israeli と解釈でき、Israeli [イズラ'エーり] は Israele [イズラ'エーれ] (イスラエル=ヤコブが神から与えられた別称。のちにヘブルびとの総称)の複数形で、di は「〜家の」という意味です。
 ロシア語の転写形は、まさに、このイタリア語形を再現したものです。なお、このДизраэлиは不変化です。



「依蘭」はアイスランド?

らいけん (2003/01/25 00:30)

こんばんは。初めて投稿いたします。私は地衣類という生き物を調べている者です。
エイランタイという種の和名の語源について調べていたのですが,困り果ててさまよっていたらこちらのページにたどり着きました。
エイランタイとは漢字で書くと依蘭苔と書きます。エイランタイは別名アイスランド苔とも呼ばれています。依蘭苔は“依蘭(アイスランド)の苔”という意味だとされるのが一般的とされています。ところがアイスランドのことを依蘭と表記するのかどうか,本当のところが分かりません。アイスランドの漢字表記は「愛斯蘭」または「愛撒蘭」のようですし,どこからこの依蘭という言葉が出てきたのでしょう?確かに昔の日本ではアイスランドをイスランドと呼んでいたそうなので,そのために「依」が使われたというのも分からないでもないです。
日本で初めて依蘭苔の言葉が書物に現れたのは1832年だとされています。蘭学の医師,堀内素堂(1801〜54)が吾妻山中で採取した薬草「依蘭苔」について、長崎でシーボルトに師事している同郷の蘭方医伊東祐直を介して、シーボルトの鑑定を受けている,という記録があるそうです。当時,アイスランドで健胃薬としてエイランタイが広く使われていたことから蘭学の中で,依蘭苔が伝わったということも,考えられます。
一方,中国に依蘭という地名があります。ここにもエイランタイは生育しています。中国のことですからこの地衣類を漢方薬として使っていたことも可能性はありそうです。漢方薬として依蘭苔があるかどうかは未調査です。
,,,とこのように困り果てていたのですが,まずはアイスランドのことを依蘭と言うのかどうかについて何か情報があればよろしくお願いいたします。
なお,エイランタイの仲間のコガネエイランタイについてはhttp://home.hiroshima-u.ac.jp/lichen/cet-nivalis.htm">ここをご参照下さい。よろしくお願いいたします。



中国語のr

辻本裕幸 (2003/01/24 15:52)

今日は質問です。以前確か、zoさんだったと思いますが、台湾国語ではrの音もあんまり舌がそっていないとのことでした。それはlのような音ということでしょうか?エキスプレスの台湾語教会ローマ字表記では台湾語の「人」はlでした。ほかの方言、上海語ならzがあるので、普通語をしゃべるときも(日本人ズーペンゼンとか)rの音をz等で代用する人が上海あたりには多いようです。広東では普通語をしゃべるとき、日本人イーペンエンと発音する人が時々いる。普通語rは広東語ではyに対応するからですね。一方、台湾人はrはlで代用してしまうのでしょうか?普通、中国人は英語やドイツ語などのrとlは音韻上区別できないようです。と言うことは方言でもlとrの区別のない方言をしゃべる人は普通語のlとrも区別できないのでしょうか?西安人は時々、rで発音したり、ズみたいな音で発音する人もいます。さらには日本をerbenと発音する人もいる。(つまりさらにそり舌化を促進している)成都はほぼ日本ズーペンでした。こんなに(中国人にとっても)難しい、rの音なんか(普通語から)やめちゃえばいいのに。



Re: ロシア語の転写形 ネルソン、テニソン、ベル なぜЭ音をЕで表記するか

楡ノ家楠丸 (2003/01/24 00:14)

【Nelson / Н(')ельсоН['ネりサン]】 発音は н(')эль-です。l がльで転写されているのは、英語の音節末の l が、dark l であることが知られていなかったからでしょう。仏語と同様に light l だと思い込んでのことと思います。
【Tennyson / Т(')еннисон['テンニサン]】 発音は т(')эн-です。-нн-は原綴の子音の数を再現したものです。
【Bell / Белл['ベる]】 発音は бэлです。
 上記3例では、эと読む音をеで表記しています。実際、西欧諸語(というよりラテン文字圏)の固有名詞の転写において、ロシア人は、硬音のはずのэを、なぜか、かたくなにеで表記しようとします。
 こうした、西欧語の固有名詞の転写形では、-те-、-де-は、まず、ほとんどの場合、-тэ-、-дэ-と読みます。б,в,з,м,н,п,р,с,ф にеが後続する場合は、多くの場合、эで読みます。-ле-については、ふつう-ле-で読みます。ただし、ロシア語の音韻体系の制約上、г,к,х,ч,щの場合は必ずеで読み、ж,ц,шの場合は必ずэで読みます。
 ところで、なぜэと読む音をеで表記するのか、という点ですが、これはロシア人の「西欧コンプレックス(本来の意味での)」の表れではないかと思います。ロシア人は、ロシア語の字面を西欧的な印象にしようとする傾向があります。ロシア文字というのは、そもそも、東ローマ帝国(ビザンチン)からギリシャ正教とともに移入された中世のギリシャ文字が起源です。その字体は、今日、イコンに書き込まれた文字で見ることができるような、「修道院で聖書の書写などに使っていた」ギリシャ文字でした。この文字のことをキリール文字と呼びます。
 18世紀、ピョートル大帝は、オランダから活字印刷の技術を取り入れるとともに、それまでの宗教臭のするキリール文字の字体を廃し、今のロシア文字のような西欧的な字体に改変しました。それまでのキリール文字のА,аは、大文字・小文字ともギリシャ文字のαに似た文字でした。また、Е,еは、ε(エ・プシーロン)に似た文字でした。というより、現在のЭ,эを鏡像のように反転した文字が、もとのE,eでした。Эの文字の異名に《Е》 оборотное(イェー・アバロートナヤ)「裏返しのЕ」というのがありますが、これは、もともとは、その名のとおり「Еを裏返したものがЭになるという意味だった」のです。字体そのものは、今のウクライナ語にЭ,эの裏返しの文字があります。
 つまり、ピョートル大帝は、ペテルブルクを建設し、西欧の文化を取り入れ、ロシア社会を近代化しようとしたのですが、その一環として、ロシア語の字面を西欧的なモダンな印象に変えようとしたわけです。ロシア人の性癖として、万事「斜め60度くらいの角度で、西をうらやましげに見つめている」というようなところがあって、эと読む音をеで表記する、というのも、その表れの1つだと、わたし自身は感じています。
 その証拠に、非ラテン文字圏の中国・韓国朝鮮・日本などの固有名詞のэ音の表記には、平気で эを使います。たとえば、К(')обо (')Абэ,Бэйцз(')ин(北京),Ким Тэ Чжун など。(ただし、慣用形ではеを使うものがあります。Ким Ир Сен[сэн],Сеул['シェウる])。



同系語について

辻本裕幸 (2003/01/23 17:15)

そもそも言語の同系と言うのがよく分かりません。たとえば、セム語族などといいますが、それはたまたま、セム系の言語を話していた人たちが、アラブ人、イスラエル人、エチオピア人など別の民族、国民、宗教を信じるようになったからである。もしこれらの人たちが一枚岩になっていたら、セム語族とは言わず、ただ単にセム語だったでしょう。(そしてアラブ弁ユダヤ弁エチオピア弁とか言われたかもしれない。)また日本語が孤立語とは言いますが、もし日本列島が歴史の過程で、いくつかの国や民族に分かれたりしたら、孤立語の日本語ではなくて、いくつかの言語(ナゴヤ語、オオサカ語、ヒロシマ語、フクオカ語など)を含む日本語族となったでしょう。けっきょく、ファミリーとみなされるセムも他の言語ファミリーとの同系はまだ見つかっていないようです。(ベルベル語族やチャド語族などと同系かも知れないとは言われますが)では他のファミリーとの系統関係がみつかていない日本語と同じではないか?そう考えたら、あまりに枠を超えた系討論を論じること自体そんなに価値があるのかな?と想うようになりました。
 ところで中国語も、チベットビルマ語族やタイカダイ語族と同系なのではないか?とは言われますが、基本的に、他言語との同系関係は証明されていないといっていいでしょう。なのにどうして、普通は孤立語とは言われないのでしょうか?日本語や朝鮮語も時々モンゴル語族やツングース語族と同系かもしれないとは言われますが、基本的に祖語は構成されていないので、孤立語としておくのが、無難です。それは漢語についても言えると想うのですが、なぜ中国語は孤立語扱いされないのでしょうか?一般的に北京語、広東語、上海語、台湾語などが別言語扱いされるので、言語ファミリーとみなされるからでしょうか?



Re: Re: 日本語とタミル語

ヒグチ (2003/01/23 15:09)

massangeana様
御意見ありがとうございます。非常に勉強になります。
>私は大野氏の説を否定しているわけでなく, 大野氏の対応例は日本語とタミル語が同系で
>あることを証明するには不十分である, といっているのにすぎません。
これについては、私もほぼ同意見です。
私の見解としては、大野先生の対応例からは、
「日本語とタミル語にはなんらかの関係があるのでは?」程度のことしかわからず、
あとは、比較文法、民俗学的考察、地理的考察から判断しなければならないと考えています。
特に比較文法については、みなさんの意見をお聞きしたいと思っています。
また、単語の意味が変化しているものと方言の取り扱いについても、
massangeanaさんの意見に全く同意します。
確かに、大野先生が挙げている意味が変化した単語や方言については、
日本語とタミル語が同系であることが証明された上で考察および議論するべきことであり、
それを同系の証明に用いることには私も疑問に感じています。
しかし、方言でなく、かつ意味がほぼ対応しているものだけでも、
確率的な対応以上のものがあると考えています。
もちろん、このことが直接に同系であることを証明するとは考えていません。
数詞については、massangeanaさんの仰る通り、
それがどこから来たのかを明らかにし、それについて考察する必要がありますね。
私は、このことに気づいていませんでした。
基礎単語100のうち 5語から10語は一致するという研究については、
私も参考文献を見てみたいと思いますが、現時点で疑問を感じています。
3つの音素が対応(試算の条件)し、かつ意味がほぼ同一の単語が、
どんな言語においても100語中に5語から10語あるとは考えられません。
例えば、英語と日本語を考えれば、そんな単語はほとんどないのではないかと思います。
とりあえず、20語以上の基本単語について対応しているかどうかを考えると、
明らかに違うように思います。(統計学的にたまたま無かったということもありますが)
もし、100語中に5語から10語も対応していれば、
それは単なる偶然ではなく、なんらかの関係を疑うべきだと思います。

massangeanaさんの指摘されるように、大野先生の挙げた語は、
多対多のものが多いことは否めません。
しかし、定量的に解析してみれば、ほぼ1対1対応の語だけでも、
偶然以上の一致があるのではと考えています。(これは今までに示した通りです。)
また、大野先生は、その著書にもあるように、
単語の音韻対応のみで同系を証明することは難しく、
最終的には比較文法によると考えているのではないでしょうか。
なお、文法の対応については、以下にいくつか例を挙げます。
1.文法構造は非常によく似ていて、大部分が共通している。(助詞、助動詞の使い方など)
2.タミル語と日本語の基本的な助詞・助動詞はほとんど全てが、規則的に音韻対応する。
3.タミル語と日本語の古典文法で一致しているものがある。
@「不確定の助詞−動詞−否定詞−疑問詞」で願望を表す。
A韻律を整える日本語の「ヤ」、タミル語の「~e」が共に反語の助詞となる。(ヤと~eは対応)
B係り結びが存在する。
単純な疑問なのですが、この程度の文法の対応はよくあることなのでしょうか?
一般に日本語とよく似ていると言われる韓国語の文法よりも
タミル語の方が似ているように思っています。(だから同系とは思いませんが)



Re: 日本語とタミル語

massangeana (2003/01/23 00:17)

ヒグチさん:

私は大野氏の説を否定しているわけでなく, 大野氏の対応例は日本語とタミル語が同系で
あることを証明するには不十分である, といっているのにすぎません。

>単語の意味が変化していくことは当然のこと
おっしゃる通りですが, 大野氏の対応例で意味がずれているものは, 果たして元同じだった
ものがあとからずれたのか, それとも元々関係なかったのか, 明らかでありません。日本語とタ
ミル語がすでに同系であることが充分あきらかになっているのであればそういう例も意味がある
でしょうが, 同系であることをこれから証明しようという場合にはそのような疑わしい例は除外
すべきだ, ということです。

>古語を選択していること
これはちょっと誤解させてしまったようですが, 古語だからいけないと言っているわけでは
ありません。また方言だからいけないと言っているわけでもありません。方言が文献に残っ
ていない古い形式を反映していることは大いにありえます。同系であることがすでに明らか
であるのならば, そのような資料を使うことも大いに意味があるでしょう。しかし同系であ
ることをこれから証明する場合には, 時代や地域の異なる言葉をごちゃ混ぜに扱うのは望ま
しくないということです。

>数詞は文化語だから言語の系統に直接関係しない
これはやや変です。すべての単語は多かれ少なかれ文化語であるだろうからです。
また日本語の数詞がタミル語と一致しないからには, それがどこから来たのかを
明らかにする必要があると思います。
数詞がしばしば比較に用いられるのは, 複数の語彙がまとめて(10個くらい)存在
するので偶然の可能性をかなり排除できること, 数はどの言語にもあり, 意味が
はっきりしていて変わりにくい(3 がいきなり 5 になったりすることはあまりな
い)ので比較に便利, ということがあります。もちろんまとめて他の言語から借用
されることもあるわけですから, 数詞が一致しないから同系でない, とは言えま
せんが。

>100語中に3語以上の対応語があれば問題ない
「音韻対応」をどの程度厳密にとるかによりますが, 単に類似した単語があるという
だけのレベルなら, どんな言語でも基礎単語100のうち 5語から 10語は一致すると
いう研究があります (服部四郎『日本語の系統』岩波文庫)。この研究ではしかも大
野氏のような怪しげな語彙は採っていません。

「音韻対応」のレベルがどれほど厳密かが勝負になりうると思いますが, 大野氏のあげた
音韻対応は前に述べたように多対多の関係で, どうも厳密なものであるようには見えませ
んでした。

金沢庄三郎「日韓両国語同系論」(1910) では日本語と朝鮮語の対応する単語を
150 あげていますし, 小沢重男「古代日本語と中世モンゴル語」(1968)では日本
語とモンゴル語の対応する単語を 230 あげています。アグノエル「Origines de
la civilisation Japonaise」(1956) では日本語とアルタイ語の対応する語が
349 個あると言っているそうです。これらはどれも数でいえばかなり十分ですが,
いずれも対応が確実でないため, 一般には同系が証明されたとは認められていま
せん。
大野氏のあげているのより少ない語彙数であっても, もっと確実な例があれば, 同系
であることの確からしさは増すと思います。

大野氏が新しい比較の方法論を開拓しているのであれば話は別ですが, どうもそういう
わけでもないようですし。



Re: ロシア語の転写形 ウェルズ、ケインズ、モールス、シェークスピア、トウェイン、ベーコン

楡ノ家楠丸 (2003/01/22 23:52)

久生十蘭については、どうやら定説がない、ということですね。それに、当人もいろいろとケムに巻くようなことをしていると……
Keanu Reeves の Keanu についで、また、懸案事項が増えてしまった……

【Wells, Welles / У(')эллс[ウ'エるス]】 ご推察どおり、語末の[-z]が無声化することを綴りに反映させたものです。Уэллс と綴りますが、発音は Уэлс です。ロシア語の転写形では、原綴の子音の数を、原音で読む/読まないにかかわらず、忠実に再現します。
 英語の Billy →Билли、独語 Willy →Вилли。不思議なのは、これらの-лл-をロシア人は綴りどおり読むことです。つまり、Билли['ビッり]、Вилли['ヴィッり]。ただし、Уэллсのように、子音が後続する場合は読みません。
【Keynes / К(')ейнс['キェインス]】 これも同上。ただし、これらの語末の[-z]を-зで転写する人もいます。特に、大衆文化(映画・スポーツ・音楽)の各分野ではユレが見られます。日本語でジェームズと書くかジェームスと書くか、というのと同じようなものです。ロシア語で、ビートルズはБ(')итлсと書いたりБитлзと書いたりします。主格では、どちらも発音は['ビットるス]ですが、生格(所有格)になると、['ビットるサ]、['ビットるザ]と違いが現れます。
【Morse / М(')орзе['モルゼ]】 発音は м(')орзэです。規範形では Морс[モルス] ともなります。これは、単純に、最初に転写した人物が Morse の読み方を知らなかったということだと思います。以前、ロシア人が、「馬」のことを指して「ホルセ、ホルセ」と言っていたのに出くわしたことがあります。
【Shakespeare / Шексп(')ир[しクス'ピール]】 ロシア語では、ейという綴りは、通常、アクセントのある語末に現れます。アクセントのない、語中の、閉音節に現れるようなейは、たぶん、発音しにくいのだと思います。その証拠に、慣用表記の定着している英語の固有名詞や、比較的古い時代に入った普通の単語を見ると、break→брек、Wales→Уэльсのように、[ei]はеで転写されています。そういう日本人も David をデビッドなどとしているのだから、似たようなものですが。
【Twain / Твен[ト'ヴェン]】 発音は твэнです。理由は同上です。Туэйнという規範形もあってよさそうですが、ないようです。
【Bacon / Б(')экон['ベカン]】 これは、ある意味、傑作です。英語を含む西欧諸語の転写形で、子音のあとにэが書かれるのは、まず、原語で[a+e]、つまり、cat の a の音の場合のみです。つまり、Бэконという転写を行った人物は Bacon を['バコン]と読んでいたわけです。
 英語の Samuel はС(')эмюэлと転写されます。最初のэは[a+e]の音を表します。2つ目のэは母音のあとだからです。転写の原則として、母音のあとの[e]音は、еと書かずにэと書く、という規則があるのです。つまり、同じэでも、子音のあとと、母音のあとでは、「意義」がちがうのです。



大野説について

ヒグチ (2003/01/22 16:10)

高駒麗人KOMA様

>しかし日本語は複数の言語が混ざって出来たようなもので、祖語からの枝別れという見方は当てはまりにくいかもしれません。

私の現在の考え方はこれに近く、
複数の言語の一つにタミル語があった可能性は充分にあると考えています。

>音韻法則でしたら、日本語の漢字の音読みと、今の廣東語や北京語音の間でも色々法則的な事が言えます。それは借用した語彙であって言語の系統とは無縁です。

音読みについては、日本語がある程度成熟した後に意図的に持ち込んだものですので、
廣東語や北京語と日本語の音読みにおける音韻対応があるのは当然であり、それを、
日本語が成熟する前に影響を与えたと考えられる言語と日本語の音韻対応に比較するのは、
論点がずれているように思います。



なぜ試算をしたかについて(続き)

ヒグチ (2003/01/22 15:37)

以下は前内容の続きです。

ここで、『100語辞典』に挙げられた100語をサンプルとします。
以前述べたように、偶然に音韻対応を生じる確率は1/576ですので、
ここでは、確率を高めとし、かつ計算しやすいように1/500としましょう。
偶然に音韻対応する語は、100語中に0.2語存在することになります。
誤差は0.02語です。
これを考えると、100語中に1語でも対応するものがあれば0.2語に対して5倍ですので、
「この二つの言語にはなんらかの関係があるのでは?」という気もします。
しかし、当然、0.2語や0.02語というのは存在しないので、
これらが観測されるとすれば、共に1語(合わせて2語)となるでしょう。
つまり、100語中に3語以上の対応語があれば問題ないのですが、
100語中に1語か2語の対応語が見つかった場合に、その語数は、
確率的に音韻対応する語数を明らかに上回っているにもかかわらず、
それが確率的なものか本質的なものか判断できないのです。
さらに編者が大野説に肯定的とは思えませんので、対応しているとされる語は少ないでしょう。
それは100語中に0語かもしれません。
この場合も、母集団には本質的な対応語があるが、
たまたまそのサンプルには対応語が無かったということがあるため、大野説を否定できません。
従って、100語の中に対応している語が1語も無いから大野説は間違っていると考えるのは、
統計学的には誤りでしょう。
少なくとも、偶然に音韻対応する語が1語以上となる500語程度以上でなければ、
サンプルとして意味を持たないと思います。
そして、佐藤さんが誤解されている部分だと思いますが、
私は、一つ一つの語についての正誤はあまり問題としていません。(多少は気にしますが)
それは、上述したように、主張している人にはそれぞれの根拠があり、
誰の意見が真に正しいか分からないためです。
しかし、以上のような方法によって大野説の妥当性を計ることも可能であると思っています。



なぜ試算をしたかについて(続く)

ヒグチ (2003/01/22 15:33)

佐藤和美様
『世界のことば100語辞典アジア編』はぜひ参考にしたいと思います。
しかし、『100語辞典』を参考文献として出してきたということは、
おそらく、なぜ確率の話を持ち出したのかを理解されていないのではないかと思われますので、
そのことについて少し詳細に説明いたします。
まず、大野先生がある根拠のもとに「音韻対応がある」と主張する語について
他の言語学者は別の根拠により「それは対応していない」と主張されます。
これについては、言語学者でないものが容易に正誤の判断をつけるのは困難であり、
また、真にどちらが正しいかについては大野先生やその他の言語学者さえも、
判断できないのではないのではないでしょうか。
この場合に、「この語は間違ってるから他の語も間違ってるだろう。」というような意見は、
全く論理的でなく、議論の対象とならないことは先日述べた通りです。
そこで、客観的な判断をくだす一つの手法として確率による試算を導入します。
この方法は、一つ一つの語を検討してもお互いの主張があり、埒があかないので、
音韻対応があると思われる集団を巨視的にとらえ、
そこに偶然の対応以上のものがあるか(ありそうか)どうかを調べるものです。
従って、「この二つの言語にはなんらかの関係があるのでは?」程度のことはわかっても、
それ以上のことについて言及することはできません。
なお、試算では、どれが正しくどれが間違っているというのはあまり重要ではなく、
よく大野説の音韻対応を批判して言うような「みかけの似た語」を対象とします。
おそらく、多くの人が「そんな曖昧なことでいいのか?」という疑問を持つと思います。
もちろん「みかけの似た語」には間違いも含まれるでしょうが、
そもそもこの試算自体が音素の並びを対象としていますし、
このような巨視的な研究方法をとる場合では、一つ一つの語を詳細に検討して、
そこに主観を混入するよりは、曖昧さを残したまま、
その曖昧さに対して有意な差が見られるかどうかを検討した方が良いのです。
なお、意味が似た単語を全く無視し、1対1に対応しているものを対応語数の下限とすれば、
主観を入れずに曖昧さをより小さくすることができると思います。



アジア人名ローマ字表記と読み方 サイト案内

高駒麗人KOMA (2003/01/22 04:15)

訂正:日本語の期限>起源は高句麗語だったという説もあるようです。

:楡ノ家楠丸さんへ
ロシア語での世界の固有名詞表記は非常に参考になります。
http://ns2.cc163.com/home4/lovebird/txt/2002-02-20-1.htm

中国のサイトで中韓合作の映画「武士」を紹介しています。
武士 上映日期:2001年9月8日(韓国)。出品:Sidus公司。類型:歴史。導演:金勝秀 Sung-su Kim
演員:章子怡 ZiYi Zhang、鄭宇成 Woo-cung Jung、安聖基 Sun-kee Ahn
劇情 1375年,正是元明交替混乱時期。高麗王朝Coryo国王派遣出使団到中国發展睦隣友好合作関系,使団代表由外交家、武士,還有一个奴隶(鄭宇成飾)九人組成。
安聖基(アンソンキ안성기)をSung-kee Ahnと綴るとオランダ人が読んだ場合「スンケーアーン」になるかもしれません。An Seonggiと書く方がよいと思います。
英語読みを意識してローマ字綴りを決めると本来「サムソン」삼성であるSAMSUNGが「サムスン」と読まれるような誤りが生じます。中国人名 Xiong(シュン、ション「熊」)などは英語圏で「ジャン」と読まれるようです。高雄のGaoxiongもKaohsiung、Kaoshunの方が原音に近く読まれやすいのでしょう。
http://www.tvb.com.cn/photo/chstar/photo/2001-08-07,9,381,88566406.shtml
http://www.tvb.com.cn/star/hotidol/2001-09-06,8,722,63514781.shtml
姓名: 章子怡 英文名: Zhang Ziyi 章子怡的《武士》将于三月在全国联

http://chinese.vivamusic.com/vcd/(中文サイトSMAP紹介)
(Smap LIVE Smap Asia Version)随后身穿藍色西装的中居正广(Nakai Masahiro)、木村拓哉(Takuya Kimura)、稻垣吾郎(Goro Inagaki)、草(弓剪)剛/草なぎ剛(Kusanagi Tsuyoshi)和香取慎吾(Shingo Katori)http://www1.odn.ne.jp/~aab14890/smapprofile.htm(こちらは日文)
http://chinese.vivamusic.com/vcd/vcd_ayumi_countdown_live.htm
(濱崎歩 Ayumi Hamasaki | Ayumi Hamasaki Countdown Live 2000~2001 )
“日本楽壇天后濱崎歩(Ayumi Hamasaki)于去年12月31日在日本代代木体育館内挙行的倒数演唱会”
北京語では「濱崎歩」は「Binqibuビンチブ」になるので“日本女歌手濱崎歩(浜崎あゆみHamasaki Ayumi)”のようにローマ字を添えて書けば日本語の「発音を見せる」事が出来ます。日本語を知らない中国人が中文を日譯したら“Mis Binqi Bu sings…”等と書く恐れがあります。

Aokiが「エイオウキ」と読まれようと「チンムー」Qingmuよりはましです。
ギリシャ語(或いはラテン語)起源の「Heraclesヘラクレス>Herculesヘルクレス」にしても、英語訛りの「ハーキュリーズ」の方が「正しい発音」だと勘違いする日本人もいるくらいです。英語の発音の方が異様だと知る必要があります。↓
http://kan-chan.stbbs.net/cgi/board/mibbs.cgi?mo=p&fo=language&tn=0044&rn=50

(↓映画:「HERO英雄」紹介、中国人出演者の英語表記に注目↓)
http://www.mp3-hollywood.com/data/2003/movies/hero.shtml

話題と関係ありませんが、ご覧ください↓

http://www.club-kaori.com/jiazu.asp
(中国にあるカラオケ店、職員は中国人だが遺憾ながら一部日本名を名乗っている)

台湾台球漂亮宝貝陳純甄↓
http://cn.yimg.com/ent/top147/20030121/200301211137341.jpg
http://cn.sports.yahoo.com/030121/243/1ffwm.html
台球(卓球かビリヤード)の選手の紹介らしいが何でこんな写真なのか…けしからん話だ

http://www.tvb.com.cn/photo/chstar/photo/2001-08-07938188578359.shtml



DATE 英語の訓読み 続き

高駒麗人KOMA (2003/01/22 03:16)

zoさんへ
>朝鮮の訓読というのは吏讀のことでしょうか。
そうですが具体的な例は今思い付きません。
http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%cd%f9%ec%a6&hc=0&hs=0
(吏讀)
>ちなみに「わたしたち」の軽い敬意というのは、どういうことですか?
昔、「神たち」「皇子(みこ)たち」という言い方があったらしいことからです。

ManiacCさんへ
>あと、突っ込みを入れさせていただくと、i.e. の音読みは「イーディー」ではなく、「アイイー」ですよね
おっしゃるとおりです。i.e. はラテン語の id est (英語の that is に相当する「即ち」)の略語で、これを「アイ・イー」或いは id estと読めば音読みだが、i.e.をthat isと読む人もいるらしく、これは訓読み。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuichidai(第31題「本名の朝鮮語読み」考)

>Dateさんを「ダテ」に近く読んでもらうためには、津田梅子さん(Ume Tsuda)のように、Date
Cafe[kafe]はeの上のaccent記号のおかげで英語でも[ka:fei]と読まれ、[keif]と読まれるのを防いでいます。Rose(薔薇)とRose(桃色)もそうですね。Da-teのようにハイフンで分ける手もあるでしょう。Pocket Monsterの略のポケモンはPoke Monと湯面れる様で、これによりPoke[pouk](豚肉)と発音されずにすみます。

>英語では、開音節は長音になるので、A-o-kiは、「アー・オウ・キー」か「エイ・オウ・キー」としか読めません(後者の方が普通)。
アオキがエイオウキになることは話題になっても、青木がチンムと呼ばれることについて変だと思わない方が変です。
中国人の「高」Gaoさんは英語圏ではゲイオウと呼ばれるのかもしれません。これは英語がa:をeiにした訛りを持つからです。
中国にいる朝鮮民族の「崔」氏は日本語を学と自らサイを名乗りますが、在日は「サイ」と呼ばれるのを嫌がるようです。では彼らが使うChoiという綴りを、フランス人が
∫waと読んでも気にしないのでしょうか。

>exempli gratiaには2通りの“音読み”
「イグゼンプリ・グラーティアー」はラテン語に近づけた発音で、「イグゼンプライ・グレイシア」は英語式の読み方でしょう。egをFor exampleと読むのは訓読みです。
それぞれ「金大中」の「キムデジュン」「キンダイチュー」「カネオーナカ」(強引な訓読み)に当たります。
言語同士が同系か否かは、語彙より文法構造の類似の方が重要ではないでしょうか。大野氏はタミル語の文法についてはどう解説しているのでしょう。今の朝鮮語は新羅語の子孫ですが、日本語の期限は高句麗語だったという説もあるようです。
http://www.st.rim.or.jp/~yujifuru/night/back/0042.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/0110.htm#0110end
http://akizuki.pr.co.kr/tubuyaki/221.htm
http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b9%e2%b6%e7%ce%ef%b8%ec&hc=0&hs=0
しかし「万葉集を古代朝鮮語で読む」というのも反論がたくさんあります。

大野さんはDaniel Jonesのアジア版を夢見ている(この「夢」は希望の意味)のでしょうか。印欧祖語ならぬ印亜祖語を考えているのかも。しかし日本語は複数の言語が混ざって出来たようなもので、祖語からの枝別れという見方は当てはまりにくいかもしれません。
音韻法則でしたら、日本語の漢字の音読みと、今の廣東語や北京語音の間でも色々法則的な事が言えます。それは借用した語彙であって言語の系統とは無縁です。

>次の語句の“音読み”“訓読み”を言ってください。
 viz., etc., cf., a.m., p.m., lb.
vizはLatin語videlicet(即ち)ですが、訓読みして[neimli](namely)と読む人もいるんでしょうか?etcetraをAnd so onと読む人もいるのかどうか…。よくわかりません。

http://www.tvb.com.cn/photo/chstar/photo/2001-08-07,9,381,88578359.shtml
章子怡/Zhang Ziyi のサイト。この綴りを正確に読める人は日本でも英語圏でもまだ少数でしょうか。
http://www.02.246.ne.jp/~ftft/zhang.html



久生十蘭(ひさお・じゅうらん)とクセトラン

Maniac C. (2003/01/22 00:58)

 楡ノ家楠丸さん、ロシア語の転写形についてのお返事、有難う存じます。お忙しいところ、お手間を取らせて申し訳有りません。小分けするべきだったでしょうか。感謝しつつ、拝読しております。

 さて、お返しと言っては些少ですが、私なりに「クセトラン」の解釈を試みました。
 1単語としては有り得ない長さですので、多分、文だと考えられます。
 すると、文法的にきちんと解釈できるものとしては“Que ces torrents! (= What these/those torrents!)”「何というこの/あの奔流!」ぐらいしか思いつきませんでした。
 しかし、正規の文法からは少し外れても、洒落っ気のある人だったようですから、“Que sais (la) trame?(= What, knows, (the) plot?が逐語訳)”「(この)構想/計略は何を知っているか?」と解釈する方が面白いのではないかと思いました。
 一応、筆名の通説はhttp://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/pen-name/ha.html、都筑道夫さんの推察については、http://www3.wind.ne.jp/kobashin/tnote600.htmlのNo.571 (98/10/20 10:31)とNo.582 (98/10/24 02:02)もご覧ください。



安本美典『日本語の成立』

佐藤和美 (2003/01/21 22:59)

書き忘れてましたけど、安本美典の『日本語の成立』(講談社現代新書)は本人も認めてますけど、統計学的に重大なバグが存在します。私はこの著者の二冊目に読んだ本でそのことを知り、それ以来この著者の本を読んでません。



タミル語

佐藤和美 (2003/01/21 22:58)

ダブらないような内容の投稿にします。

石井米雄・千野栄一・編『世界のことば100語辞典アジア編』(三省堂)っていう本があります。
まあ、アジアのいろいろな言語から基礎語彙100語を集めたという本でしょうか。
この本にはタミル語も載ってるので、自分で日本語とタミル語がどれくらい音韻対応してるのか確認してみるのもいいかと思います。
大野晋の本は本人が音韻対応してると言ってる単語しか載ってませんが、実際はどうなのかよくわかるでしょう。

『日本語はどこからきたのか』(中公文庫)では「私のしらべでは、対応語は五〇〇語くらいはあげられます」って、書いてあるけど、この五〇〇っていう数字には前回の私の投稿で挙げた対応しない語も含まれるんですかね。



Re: ロシア語の転写形 デュルケーム

楡ノ家楠丸 (2003/01/21 22:00)

【Durkheim / Дюркг(')ейм [ヂュルッ'ギェイム]】 デュルケームは、アルザス地方のエピナール生まれで、ユダヤ系の家系です。アルザス地方は、古くからフランス語勢力とドイツ語勢力の係争地で、この地方の出身者の姓は、一見してドイツ系です。フランス人でドイツ語の字面を持つ姓の人がいたら、たいていはアルザス・ロレーヌ地方の出身者か、その後裔と考えてよいと思います。
 Durkheim は、そのなかでも、アシュケナージ(ドイツ・ポーランド・ロシアに居住するユダヤ人)系のユダヤ人の姓で、ドイツ語では D{u+¨}rkheim ['デュルクハイム] とウムラウトをつけて綴られます。
 Emile Durkheim は、日本では、ふつう、デュルケームと書かれますが、フランス語の辞典では、[dyrkajm / dyrkεm] と [デュル'カイム] という発音のほうを先にあげています。
 ロシア語表記の Дюркгейм は、Durkheim をドイツ語として扱ったうえ、(1)「ドイツ語のアシュケナージ系の姓の転写の慣用(-ei-[-ai-]→-ей-)」および、(2)「h→гという西欧語の転写の慣用」にしたがって転写した結果うまれた語形です。
 フランス人の姓として扱うならば、Дюр(')кайм もしくは Дюр(')кем と転写すべき(規範形)ですが、こういう語形は使われないようです。



試算および日本語とタミル語について(続き)

ヒグチ (2003/01/21 16:28)

massangeana様
御意見ありがとうございます。
言語学について勉強しはじめたのは最近のことなので、
スワディシュの言語年代学をまだ勉強していないのですが、
確かに単語の意味が1対1対応でないと正確には意味がないということは理解しています。
しかしながら、仮に同系であったとしても、お互いの言語において
単語の意味が変化していくことは当然のことであるため、
意味が1対1に対応していないことがすぐにその対応を否定することにはならないと思います。
従って、大野説が妥当であるか否かを判断する程度の試算においては、
意味の1対1対応に固執することはむしろ障害になると判断いたしました。
また、意味の1対1対応に固執しないかわりに、
1.確率的に対応を生じる語数を多く見積もる
2.大野説の音韻対応が確率的に生じる対応よりも『明らかに』多い必要がある
という2点を『大野説は妥当』とする条件としました。
また、大野先生が選択した語に意味が大きくずれているものや、
各地の方言が含まれていることについては私も否定的な意見を持っています。
しかし、方言ではなく、かつ意味が1対1に近いものだけを抜粋したとしても、
大野説における音韻対応は確率的に生じる対応を有意な差で上回っていると考えています。
また、古語を選択していることに関して、私は、同系であるかどうかを論じる場合、
むしろ古語および古典文法を比較するべきではと思っているのですが、
これは間違った認識でしょうか?
ところで、acat.u (馬鹿であること) に asato 「馬鹿な(三重方言)」
を対応させていることについては私も否定意見ですが、
katir(穂・若芽) と kasira (頭) の対応については、それほど大きく違うとも思えません。
稲穂について「頭を垂れる」という表現は当時はなかったと思いますが、
「穂」=「頭」という認識はあったのではないかと思います。
以下に、massangeanaさんの各指摘について意見を述べます。
1.私も最初は数詞を対応させていないことに問題を感じたのですが、
  大野先生は、「数詞は文化語だから言語の系統に直接関係しない」という意見を持っており、
  これについては、カリフォルニア大学のエメノー教授も同意見とのことです。
  私には、これについて判断するだけの能力がないため、
  現段階では数詞を問題としないことにしましたが、何か御意見があれば御教示ください。
  また、基本的な語彙である「日、月」については対応があるとされていますが、
  私には、正誤の判断がつきにくいものです。
  しかしながら、他の基本的な語彙(歯や足など)については正しいように思います。
2.確かにその通りだとは思いますが、これは、あくまで「他人を納得させにくい」であり、
  それだけで否定とはなりにくい思います。
3.語根の意味を定めにくいことについてはその通りだと思います。
  また、具体的な意味を持つ単語に対応が見られることが
  より強い証明になることも理解できます。
  しかし、そのような単語は年代的要素や地理的要素の影響が大きいため
  そこに対応を見つけることは容易ではなく、その対応がないからといって
  否定にならないと考えるのは素人考えでしょうか?
4.これは、タミル語の方が子音・母音が多いためだろうと単純に考えていたのですが、
  私の勉強不足です。出直してきます。
5.全く肯定です。それは私も疑問に思っています。
  しかし、「不明な部分がある」ということと「間違っている」ということは別問題であり、
  「不明な部分がある」から「間違っている」とするのは論理的でないように思います。
以上のように、massangeanaさんが指摘された部分については、
私も半ば肯定意見を持っています。
しかしながら、大野説に否定的な意見というのは、
大野理論におけるそれほど重要でない綻びを指摘することにより
大野理論そのものを否定しようとするようなものが多く、
その主張は、あまり論理的でないように思います。(素人の意見ですが)
そこに論理性があれば、否定意見を信用する気にもなるのですが、
論理性が全くないことが否定意見そのものを信用できなくさせるのです。
大野説は所々に綻びがありますが、全体として論理的だと思っています。(素人の意見ですが)



試算および日本語とタミル語について

ヒグチ (2003/01/21 14:50)

松茸様
御意見ありがとうございます。
大野先生は基本単語から選んだということを明記してはいませんが、
著書の中では、「基本的な語」から選ぶ必要があるとしており、
さらに基本単語は2000と記述しておりましたので、
おそらく2000語程度から選んだのだろうと類推いたしました。
しかし、松茸さんのおっしゃる通り、2000語から選んだという根拠に乏しかったため、
試算では、3000語に水増しして計算しました。
また、安本氏らが、「タミル語と日本語では偶然以上の一致はない」というからには、
大野説における対応語の詳細な検討と定量的な考察を行っていると思いますので、
そのことについては調べてみたいと思います。
もし参考文献を御存知でしたらお教えください。



Re: 日本語とタミル語

massangeana (2003/01/21 07:15)

ヒグチさんの確率計算は, たぶんスワデシュの言語年代学に近いものだと思い
ます。ただこれをやるには, 単語とその意味が(理想的には) 1対1に対応して
いないとうまくいかないと思います。大野氏が対応するといっている語では,
日本語といっても古語であったり各地の方言であったりするし, 日本語とタミ
ル語で意味が(しばしば大きく)ずれていることがあります。たとえば katir
(穂・若芽) に kasira (頭) を対応させているのは意味が大きく違っています
し, acat.u (馬鹿であること) に asato 「馬鹿な(三重方言)」を対応させて
いるのは, ほかに「馬鹿な」を意味する語はいくらもあるわけですから恣意的
です。確率を考えるなら, まずこの手の例をすべて除いてから考えるべきだと
思います。

大野氏のタミル語説は私が学生のときに授業で検討したことがあります。その
ときにでた話を紹介してみます。『日本語とタミル語』(1981) が対象なので,
その後の大野説の発展によってあてはまらなくなっている箇所もあるでしょう。

1. 単語には意味の幅があるので, 系統関係があるかどうかを調べる場合には,
  恣意性を排除するための安全策として, どの言語にもある基本的な語彙を
  選ぶ。しかし日本語とタミル語の対応では, 「太陽・月」などの基本的な
  語彙や数詞の対応が抜けている。

2. 大野氏が「パパ・ママ」や幼児語のように, どの言語でも共通になりやす
  い言葉を比較の対象としているのは, 他人を納得させにくい。

3. 大野氏はしばしば語根をくらべているが, 語根の意味は定めにくいので,
  具体的な意味をもった単語を比較すべきである。

4. 大野氏が対応しているといっている単語で, 日本語の s がタミル語の何に
  あたっているかを調べると, t.t., t., r_, t, c, cc, r の 7種類がある。
  ひとつの言語の 1音がもうひとつの言語の 7音に対応する, ということは,
  「対応していない」と言っているのと同じことである。

5. 逆にタミル語の t. を見ても, 日本語の t, d, s の 3つに対応させられて
  いる。前後の環境によって 3つぐらいに分かれることはあり得るが, その
  分かれる条件がまったく明かにされていない。

以上のように, 対応するとされる語の数は多くても, 疑わしい例が多すぎ, そ
れらをすべて取り去ったあと, 何か残るものがあるかが問題。

要するに, 大野氏がいう「対応」は言語学でいう対応ではなく, 単にみかけの
類似した語を並べたものではないか, ということです。



Re:確率的な音韻対応の試算

松茸 (2003/01/21 05:32)

ヒグチさま、はじめまして。
| まず、比較の対象となる単語は基礎的なものであるため、3000語としました。
| これは、「日本語の起源」に「基本単語はおよそ2000語はある」とありますので、
| 確率的な音韻対応を多めに見積もるため水増ししたものです。
……大野氏の挙げている〈対応〉例が、これら「基本単語」の中から選んだものだ、という根拠はどこにあるのでしょうか?

 なお、安本美典氏らは、「基本単語」(概念)をリストアップし、複数言語に対して語形の類似性を調べるという調査をしており、タミル語と日本語では《偶然以上の一致はない》という結果を得ています。
# 安本氏も《卑弥呼=天照大神》のトンデモさんですが、検証可能なデータ
# ということであえて紹介しました。



久生十蘭(ひさお・じゅうらん)とクセトラン

楡ノ家楠丸 (2003/01/21 00:20)

久生十蘭(ひさお・じゅうらん)とは、変わったペンネームだと思い、紀田順一郎氏の『ペンネームの由来事典』で調べたところ、「当人は「クセトランと読ませたいところ、語呂がわるいのでヒサオジュウランとした」といっている」という記述がありました。しかし、肝心の「クセトラン」が何を意味するのか書かれていないのです。おそらくフランス語だと思うのですが、解釈できる方、お教えください。



Re: ロシア語の転写形 カーライル

楡ノ家楠丸 (2003/01/21 00:07)

いやあ、参りました。こんなにいっぺんに問題児をひっぱりだされては…… わたしも仕事のある身ですので、少しずつ検討しながらお答えします。

【Carlyle / Карл(')ейль [カル'りぇイり]】 カーライルについては、Карл(')айл[カル'らイる] という規範形も使用されます。また、いま現在、Carlyle なり Carlisle という人物が、ロシアの新聞などで話題になるとしたら Карлайл と書かれると思います。
 Карлейль という綴りの注目すべき点は、語末の -льです。これは、現在では、英語の人名には現れません。仏・独をはじめとする、dark l を持たないヨーロッパの人名・地名の語末に現れます。
 ロシア語には、硬音の l (лампа)と軟音の l (лето)がありますが、前者は、音声学で言う dark l とそっくり同じものです。つまり、英語の dark l は、ロシア語の硬音の л と同じ音なのです。
 いっぽう、ロシア語の軟音の l は、[l] の口蓋化したものであり([l] の右下のすそに小さい J をつけた発音記号で表しますが)、light l とは別の音です。しかし、ロシア人は、dark l とそうでない l を聞き分ける耳を持っているために、light l のほうを軟音の l、すなわち ль に当てるのです。
 つまり、Карлейль という転写形を初めに記した人物は、(1)英語の発音を知らなかった。(2)英語以外の翻訳で Carlyle を読んだ。かの、いずれかだと思うのです。実際、革命前のロシアの宮廷や貴族のあいだでは、フランス語で話すことが主流で、仏訳で Carlyle を読んだ可能性はじゅうぶんあると思います。
 だとしても、-лей- という綴りは、どうにも説明がつきません。
デュルケームについては明日。



確率的な音韻対応の試算

ヒグチ (2003/01/20 21:55)

試算したといいながら、その試算の詳細を明示していなかったので、
以下にそれを示します。
まず、比較の対象となる単語は基礎的なものであるため、3000語としました。
これは、「日本語の起源」に「基本単語はおよそ2000語はある」とありますので、
確率的な音韻対応を多めに見積もるため水増ししたものです。
次に第一子音の数をゼロを含めて9、第一母音の数を4、第二子音の数を16としました。
この数値は「日本語の起源」から引用したものです。
まず、第一子音および第一母音が対応する確率は、1/9*1/4=1/36
これに3000語をかけて得られる語数が確率的に音韻対応する語数であり、
その値は約83語となります。
誤差は約1.5語で多くてもプラス2語です。
つまり、第一子音および第一母音が確率的に対応する語数は最大85語となります。
次に、第一子音、第一母音および第2子音が対応する確率は、
1/9*1/4*1/16=1/576
これから算出される確率的に音韻対応する語数は、約5語となります。
誤差は約0.1語ですので、最大でプラス1語とします。
従って、第一子音、第一母音および第2子音が確率的に音韻対応す語数は最大6語となります。
基本単語の数や子音および母音の数が違うようでしたら、指摘をお願い致します。



佐藤さんの大野説批判について

ヒグチ (2003/01/20 12:49)

以前も書きましたが、私は大野説が完全に正しいと思っているわけではありません。
大野先生が挙げた単語にはそれなりの根拠があるのだと思いますが、
佐藤さんが指摘されることも尤もな意見だと思います。
また、私は、挙げられた単語の一つ一つを詳細に調べたわけではないので、
このことについて佐藤さんの意見に反論するつもりはありません。
しかしながら、私の主張したいのは、
2つの音素が確率的に対応する語はおそらく数十語、3つの音素では数語程度と考えられ、
仮に大野説における音韻対応の半分が間違っているとしても、
大野先生が挙げた語数は確率的に対応する語数よりも一桁以上大きいということです。
私の試算は一次近似的なものですので、それがデタラメだといわれればそれまでですが、
正確に算出した語数と桁まで違ってくるとは思えませんし、
どちらかといえば確率的に対応する語数を多く見積もっているつもりです。
そこで、私の質問したいことは、
「日本語とタミル語において音韻対応があるとみられる語数は、
 確率的に音韻対応が生じる語数よりも明らかに多いが、
 この場合、この二つの語になんらかの関係があるとみなすべきではないのか?」
ということだったのです。
素人の意見ですが、佐藤さんの大野説批判は、
「この語に関しては間違ってるから、大野晋の主張は全て間違っている。」
というようなもので、あまり客観的でないように思います。
もし、佐藤さんのような方法で批判するのであれば、
「『日本語はどこからきたのか』からランダムに50語を選択し詳細に調べたところ
 48語が間違っていると思われた。
 従って、大野晋の挙げた語のほとんどは間違っているのではないか。」
とするべきではないですか?
もし、50語のうち48語が間違っているのであれば、
残りは、確率的に生じる対応であり、大野先生の主張は全く間違っていると言えると思います。
また、佐藤さんが示したURLについてですが、要するに、
「言語の起源について論じる場合、研究者の主観が必ず入る。」
ということですよね。
大野先生は、「日本語とタミル語は関係がある。」と思っているわけですし、
音韻対応があるとした語には、当然、主観で選ばれたものもあると思います。
しかし、大野先生はその研究方法において、
主観や他の雑音が入り込む余地を最小とする努力をされており、
私は研究者(物理ですが)として、大野先生の研究は非常に質(信頼性)が高いと感じました。
以前、佐藤さんは、ドラヴィダ語の中でタミル語が一番似ているからタミル語を選んだ
というようなことを書き込まれていましたし、
偶然による音韻対応もあるとしてビーバさんの書き込みを例に挙げていましたが、
多くの言語学者が、大野先生の研究方法の概念を理解してない(理解しようとしていない)から、
そういう批判がでてくるのではないかとさえ思われます。



Re:大野説について

佐藤和美 (2003/01/19 22:24)

大野晋の本は何冊か持ってるんですが、置き場所を思い出せたのが『日本語はどこからきたのか』(中公文庫)だけだったので、以下この本によります。(アルファベットの引用は正確ではありません。)

87ページでは日本語「s」とタミル語「c」、
88〜89ページでは日本語「t」とタミル語「t」
が、それぞれ音韻対応すると書いてあります。
でも99ページの日本語「f」とタミル語「v」の対応例として出てる
日本語 箸 has-i タミル語 vat-i 小さい棒
日本語「s」とタミル語「t」は対応してないはずだけど。

83ページの対応表では、
日本語「r」とタミル語「l」、
日本語「y」とタミル語「y」、
が、対応ってなってるけど、
139ページ 日本語 粥 kay-u タミル語 kal-i 粥
日本語「y」とタミル語「l」は対応してないはずだけど。

83ページの対応表では、
日本語「a」とタミル語「a」、
が、対応ってなってるけど、
142ページ 日本語 織る or-u タミル語 all-u 織機の(おさ)
日本語「o」とタミル語「a」は対応してないはずだけど。

探せばまだあると思います。

これで音韻対応していると言えるのでしょうか。


ここも読んでみてください。
http://akizuki.pr.co.kr/tubuyaki/221.htm


タミル語に関しては、何日後かに、また書き込みたいと思います。



引き続き「夢」について

Maniac C. (2003/01/19 12:44)

zoーさんへ
 今度こそ見ていただけないと思いますが。

>支配者階級は「夢」をもてた
→支配者階級は、権力によって、不老不死以外はほとんど全てを実現できるのですから、実現できないかもしれない「夢」を見ることは無かったと思います。庶民だからこそ、こうなったらいいなあと「夢」を見るのだ、というのが私の推測です。

>「黒猫」といえば、日本でもほぼ縁起の良くない動物として定着しているのではないでしょうか。確認していませんがもともとこれは西洋の考え方だったと思います。
→米国の迷信ですね。起源は英国らしい(http://allabout.co.jp/pet/cat/closeup/CU20020228A/index2.htm)ですが。左記のサイトにも書かれているとおり、E.A.ポーの『黒猫』の影響は大きいでしょうね。恐怖という感情は脳に深く刻み込まれますし。本当はもっと細かな迷信が有るらしいのですがね(http://www.ne.jp/asahi/sunnyslope/ragdolls/topic-superstitions.htm)。日本では明治以前まで、黒猫に関しては良い迷信があったそうです(http://www.ne.jp/asahi/conago/nimravus/nimrad.html)。文化的背景が有り、具体物と結びつくものは普及しやすいと思います。「鳩は平和の象徴」なんてのもすっかり定着していますが、起源は『旧約聖書』のノアの洪水で、元々は西洋の考え方ですからね。これも、文化的背景が有り、具体物と結びついて普及した例です。

 …なんて、言い訳を考えながら色々と資料を漁っていましたら、「ん!? 待てよ」というのが出てきました! ~\(><)/~
 最初、「アメリカン・ドリーム」の初出はいつかなぁ…と、『角川外来語辞典』を見ていたのですが、これは載っていませんでした。んがっ。「ドリーム・ゲーム」という語が1957年に使われている、という記事があり、「夢の球宴」というお馴染みの翻訳語が載っているではありませんか! 「夢の超特急」のような、「夢の〜」で「現実とは思えないほどすばらしい」(新明解国語辞典)という意味を表す言い方はおそらく、ここから来ているのではないでしょうか。日本人は野球が大好きです! 文化的背景が有り、具体物と結びついています!! 野球に起源を持ち、普及した迷信に「ラッキー・セブン」なんてのも有ります!!!
 …ということは。相変わらず証拠は何も有りませんが、ひょっとすると、「実現するかどうか分からないが、やりたいと思・う(っていた)事柄」(新明解国語辞典)の語義は、英語からの翻訳借用なのかもしれません。
 こんな夢想も、素人趣味の語源解釈としては楽しいですね。



高駒麗人komaさんへ

Maniac C. (2003/01/19 11:20)

 早起きなんぢゃなくて、夜更かしの延長なんすよ。(^^; )

 Dateさんを英語で「ダテ」に近く読んでもらうためには、ブロンテ(Brontë)姉妹のようにDatëとする(強勢が前に来て「ダーティ」と読んでもらえ、これが一番近いと思われる)か、または津田梅子さん(Umé Tsuda)のように、Daté (強勢は後ろに来て、「ダテーイ」と読んでもらえる) と、英語では普通読まれない末尾のeに細工するか(欧州諸国でこのまま使えるし、変化も少ない)、英語圏だけではDahtayと、英語式に改名してしまう(強勢は前に来て「ダーテイ」と読んでもらえる)などの工夫をしないといけません。
 英語では、開音節は長音になるので、A-o-kiは、「アー・オウ・キー」か「エイ・オウ・キー」としか読めません(後者の方が普通)。もし、「アウ・キー」と呼んでくれ、頼むと、すぐさま、「オー・キー」(または「アー・キー」)と言われ、「俺は大木ぢゃない!」と怒ることになるでしょう。英語には[’auk-]という単語が見当たらないからです。
 Maoは、英語に「マウ」と発音される‘mow(干草)’という単語が有るため、可能なのだと思われます。

 あと、突っ込みを入れさせていただくと、i.e. の音読みは「イーディー」ではなく、「アイイー」ですよね(このままだとペレになってしまう…^^)。
 ちなみにexempli gratiaには2通りの“音読み”がありまして、「イグゼンプリ・グラーティアー」と「イグゼンプライ・グレイシア」です。どっちが“百姓読み”なのだろうかと考えると、夜も眠れなくなります。どちらも、ラテン語本来の読み「エクセンプリー・グラーティア」とは異なっていますからね。

 英語はkoma高駒麗人さんの言う“音読み”“訓読み”の宝庫でして、ちょっと考えただけでも即座に、以下のようなものが想い着きます。
 ここで管理人さんを真似て問題です。次の語句の“音読み”“訓読み”を言ってください。
 viz., etc., cf., a.m., p.m., lb.

 “I Have a Dream”の中文訳ですが、“have a dream”をどう考えるかによると思います。
 実はこの文、2通りの訳し方を考えることが出来るのです。つまり、‘have’を実質的な動詞と考えて、「私には夢が有る」と訳すか、形式的な動詞と考えて、「私は夢を見る」と訳すか、です。ま、普通、後者のときは“have a sweet dream(楽しい夢を見る)”のように‘dream’に何らかの形容詞が付くのですが。この演説では‘that’で後ろから形容詞節が付いていますので、どちらにも訳せると思います。
 「我有一個夢」は「我作一個夢」ではないのですよね。口調の関係で、「我有一個夢想」と言わなかった、というのは考えられませんか。



皆さん日曜というのに早起きですね

高駒麗人koma (2003/01/19 07:28)

ユゴー(Hugo)も、Гюго(ギュゴー)になっています。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。」この「国境」は「くにざかい」らしく、中文訳では「県境」xianjingになっている物も一部あるようですが、手元に資料がない。あとで見てみます。
中国漢語では睡眠中の夢は「夢」mengで、将来の希望は「夢想」mengxiang
http://cul.sina.com.cn/s/2002-12-03/22800.html
http://166.111.4.61/zyzl/docs/961497/vivian.htm
「一人有一個夢想」という歌もあります。
http://www.dreamabroad.net/chinese/html/study_resource/speech/speech02.html
しかしキング牧師の I have a dream は「我有一個夢」と訳されています。

普通話は方言を融合させて作った人工混成方言で、それに「訓」が多く、それ以外の方言にある(それより普通話以外の方言には漢字が決まっていない詞、音節も多い)のは、本来訓読文字があったのが廃止されたからでしょう。
「給」のgeiとjiはgei>gi>jiという変化の結果ではないのでしょうか、他の字の読みを借りたとすると訓に近いですね。
例えば飯票に漢字で「二元」と書いてあるのを中国人が指差してliangkuai(両塊)と言ったら、少し訓読みに近くなります。しかし「二」をliangと読むのが正式に社会に採用されたわけではありません。

bouillon(ブイヨン)はロシア語で
бульон[bul'on]になっています。llが口蓋化して」イのようになっても、ロシア語ではльになって「復元」されています。綴りを意識したのでしょう。



Maniac C.さんへ

zo- (2003/01/19 06:53)

間に合いました。

「夢」「友達」とも勉強になりました。

「夢」については、文化的制限により、近代以降に…という解説には、疑問があります。その説明だと、一般大衆では「夢」は持てないかもしれないが、支配者階級は「夢」をもてたということになるからです。それから定着については、確かに定着しにくいものもあると思いますが、例えば「黒猫」といえば、日本でもほぼ縁起の良くない動物として定着しているのではないでしょうか。確認していませんがもともとこれは西洋の考え方だったと思います。なんかシェークスピアとかに「私にはこんな夢がある」とか出てこないでしょうかね…。それから、ああいうの「翻訳借用」っていうんですか。勉強になりました。

「友達」については、いろいろな用語の解説ありがとうございました。的確に分類し概念をはっきりさせるのは用語の確認は重要だと思います。それで肝心の音か訓かについてですが、その点については、国語教育界では区別の基準が『当用漢字音訓表』にあり、それには漢音の「タツ」だけが掲載されていて、呉音の「ダチ」が載っていないから、音による表記とはみなせないということでしょうか?ちょっと、この見方には???です。〈音借〉であるということは「兎に角」のほうは「音読み」ということですか?それから「『付表』には,漢字二字以上で構成されるいわゆる熟字訓のように,主として一字一字の音訓として挙げ得ないものなどを掲げた。」と説明があるとのことですが、微妙な説明ですよね。Maniac C.さんは「友達は〈熟字訓〉なのだから」と見なされていますが、私はこの説明では〈熟字訓〉始め、その他のものも含むというように感じました。それから「一字一字の音訓としてあげ得ない」とすると、もちろん「紫陽花」は「あじ+さ+い」ではありませんが、「友達」は明らかに「友=とも」+「達=だち」で、’あげ得’ますよね。「訓+音」の和語(固有語、湯桶読みではなくて)が存在し得ないという根拠にはなりにくいと思うんですが。

探してくださった資料にケチつけるばかりで、他人の褌で相撲を取っているような気がしますが。

でも、戦後整理されたというご説明で思い出したんですが、昔の小説、特に夏目漱石のとかには、やたら当て字って出てきますよね。

今日は徹夜の仕事があり、拝見することができました。帰ってきたら、また遊んでやってくださいね。



zoーさんへ2

Maniac C. (2003/01/19 05:30)

 「国語」における音読み・訓読み、について。
 『日本語事典』(東京堂出版)を参照しながら説明します。
 〈訓〉とは、本来は漢文の意味を解釈しつつ、日本語として「訓(よ)む」ことを指します。そのような訓読の作業が繰り返されるうち、字音と共に、個々の漢字の読み方として連合関係が成立したものが〈字訓〉と呼ばれ、普通は、単に〈訓〉と呼ばれます。専門的にはこのような訓を〈正訓〉あるいは〈定訓〉と言います。これがzoーさんのおっしゃる、所謂〈訓〉です。
 次に、「兎角」「友達」などの〈当て字〉ですが、〈当て字〉とは、漢字本来の意味・用法とずれのあるものを指します。広義には、和語(固有の日本語)に漢字を当てること全てが含まれますが、日本で成立した、普通の漢字の用法に則って表記されるものは、〈当て字〉とは言いません。
 〈当て字〉には大別して2つの型があり、1つは、「兎角」「裏山敷」など、語の意味とは関わり無く、漢字の読み方を借りたものです。この型のものは〈借字〉と呼ばれます。「兎角」のように音を利用したものを〈音借〉、「裏山敷」のように訓を利用したものを〈訓借〉と言います。もう1つは、「時雨」「紫陽花」など、それぞれの漢字の読み方と関わり無く、語の意味に基づいて漢字を当てたものです。この型のものは〈熟字訓〉と言います。
 〈当て字〉は、和語だけでなく、漢語や外来語にも見られます。「落度」「卑怯」などは、本来「越度」「比興」であったとされます。「羅紗」「瓦斯」は外来語に対する〈音借〉で、「麦酒」「燐寸」は〈熟字訓〉です。
 第二次大戦後、これらの〈当て字〉は、日本語の表記を複雑にするものとして退けられました。昭和21年の『当用漢字表』の「使用上の注意事項」で「あて字は、かな書きにする。」とありましたが、昭和48年の『当用漢字音訓表』の改正で、慣用として定着しているものが認められ、昭和56年の『常用漢字表』に引き継がれました。現在『常用漢字表』の「付表」には110種類の特別な読み方が示されていて、そのうちの1つが「友達」なのです。
 結局、音読みか訓読みか、というのは、国語教育界に限って言えば、昭和23年に制定された『当用漢字音訓表』にどう書いてあるか、によるのです。
 昭和48年の『改正当用漢字音訓表』(http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/kanji/toyokai.htm)には「『付表』には,漢字二字以上で構成されるいわゆる熟字訓のように,主として一字一字の音訓として挙げ得ないものなどを掲げた。」とあり、「本表」の「達」には音読みの「タツ」しか挙げてありませんので、「友達」の「だち」という読み方は、「一字一字の音訓として挙げ得ないもの」というのが、旧文部省の見解です。
 以上を踏まえて、私の考えとしては、〈熟字訓〉なのだから〈訓〉でいいんぢゃないの、ということになります。



zoーさんへ1

Maniac C. (2003/01/19 05:29)

 お返事が遅くなったことをお詫び申し上げます。電脳が使えなくなる期限に間に合うと良いのですが。

「夢」について。
 まず、「目標」の意味が翻訳借用ではないか、ということについて。私の考えとしては否定的です。元来は無かった具体物ならいざ知らず、「目標」という抽象的な概念で、しかも元々在った言葉に新しい用法を加えるには、よほど頻繁に使われない限り、そして長年月使われ続けない限り、定着しないと思います。
 私のこの考えを裏付ける例として、ノーベル文学賞を受賞した川端康成さんの、かの有名な作品『雪國』の出だし「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。夜の底が白くなつた。」の「夜の底」という表現があります。『現代日本語探求法』(朝倉書店、小池清治著)に詳しいのですが、芥川の『羅生門』にも「下人は、剥ぎとつた檜皮色の着物をわきにかかへて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけおりた。」とこの表現があり、実は、芥川の師であり、川端の先輩でもあった、漱石の作品にも「…の底」という表現が頻出する。これは漱石がロンドン留学中に研究したシェークスピアの“the bottom of …”に源流がある、というのです。こんなに有名な、愛読者も多く、多作の文豪たちが、何度も「…の底」という表現を使ったにも関わらず、この表現は日本語に定着していません。つまり、それだけ元から在った語を使っての抽象的な翻訳借用表現を定着させるのは、難しいのです。
 次に、近代以降に用いられたのではないか、という推論に対する私の意見。私も証拠を持ちません。しかし、社会的背景から推測するに、その推論は正しいと思います。何故なら、「夢」が「白日夢」や「夢物語」ではなく、現実のものとして実現されるには、近代以降の身分差別の撤廃、教育の普及、科学の発達などの、明るい未来を「夢見る」ことの出来る社会的背景が必要だからです。中世のように、身分が固定された時代にあっては、変革は「夢想」できないわけです。日本での明治維新、西洋諸国の産業革命、米国での奴隷解放のように、それまでの古い価値観を崩れさせ、新しい価値観を齎すものが変革です。そしてそれを後押しするかのような科学の発達。それに続く明るい未来を庶民が「夢見る」ことの出来るようになったのは、正しく近代以降だからです。
 よって、私の答えとしては、@「夢」が「目標」のような意味を持ったのは近代以降。Aそれぞれの言語で独自の発達を遂げた。B残念ながら、目下は、それを裏付けらるような証拠は無い。ということになります。
 多分、中国語でも、「目標」の意味で使われるようになるのは、辛亥革命以降ではないでしょうか。



Re2: ロシア語の転写形

Maniac C. (2003/01/19 05:28)

 楡ノ家楠丸さん、早速の詳しい解説、有り難う存じます。かなり遅くなりましたが、お礼を申し上げます。お蔭様で、かねて私の推測していたことが、かなり明確になりました。
 重ねてで恐縮なのですが、回答を拝読していて新たに疑問に思うことが出てきましたので、宜しければお教えください。
 高駒麗人koma さんも有難う存じます。お返事を書いている間に時差が生じてしまいましたので、重複があることを覚悟の上、投稿いたします。宜しくお願いいたします。
■カーライル(Carlyle)は、ユダヤ系かどうかは判りませんが少なくともドイツ系ではないと思うのですが、転写形ではКарлейльと、カルレ−イリになっています。これは何故ですか。もしかすると、ロシア語には「アイ」という音連鎖が無く、「エイ」という音連鎖のみ有るのでしょうか。
■フランス人デュルケム(Durkheim)は、ほぼ綴り字どおり、Дюркгеймと、デャルクヘーイムになっていますが、ユダヤ系なのでしょうか? 
■ウェルズ・ケインズなどがУэллс,Кейнсなどとなるのは、語末の子音が無声化されるからでしょうか。その割にはモールス(Morse)は、原綴りに‘e’がある所為か、Морзеと、モールズィになっています。
■シェークスピア・トウェーンが、二重母音エイではなく、Шекспир, Твенと、シヤクスピール・トヴィイェーンになっているのは、慣用形でしょうか。ベーコンはБэконと、еではなくэのベーカンになっていますが、この違いは後者が規範形だからですか。
■ラテン字母eは、キリル字母э[e]ではなく、е[je]に転写されるのが規則/慣用形なのでしょうか。 例: ネルソン→Нельсон, テニソン→Теннисон, ベル→Белл
■母音の伴わないラテン字母‘l’はキリル字母льに、ラテン字母‘ll’はキリル字母ллに転写するのが規則でしょうか。もしそうだとすると、コルネイユ(Corneille)のКорнельは例外でしょうか。また、ゾラ(Zola)がЗоляと、ザリヤーになるのも、ль+аだからでしょうか。
■ジュール(Joule)が、Джоульとヂョーウリになり、ディズレイリ(Disraeli)がДизраэлиとディズラエーリになっているのは、発音よりも原綴りを重視したためでしょうか。フォークナー(Faulkner)やリンカーン(Lincoln)に至っては、Фолкнер, Линкольнと、発音しない‘l’まで入れて、フォールクニル・リンカリンになっていますが。
■発音しない綴りという点では、ユゴー(Hugo)も、Гюгоと、ヒュゴーになっていますね。
■ベートーヴェン(正しくはベートホーフェン)が、фではなくвを使って、Бетховенと、ビトホーヴィンになっているのは、やはり発音よりも原綴りを重視したためでしょうか。それとも、日本語同様、単なる無知からなのでしょうか。
■ドイツ語の‘ö’は、ゲーテ(Goethe→Гёте)やヘルダーリン(hölderlin→Гёльдерлин)を見ると、ёに転写するようですが、レントゲン(Röntgen)はРентгенと、еになっているのは何故でしょうか。
■フランス語の‘eu’はドイツ語の‘ö’と同じ発音を表し、事実、モンテスキュー(Montesquieu)やリシュリュー(Richelieu)は、Монтескьё, Ришельёと、ёで転写されていますが、パストゥール(Pasteur)だけは、Пастерと、еになっているのは何故ですか。
■ドガ(Degas)・ドゴール(de Gaulle)・ドビュッスィー(Debussy)と、フランス語の‘de’を、Дега, ДеГолль, Дебюссиと、大抵はдеと転写しているのに、ドラクロワ(Delacroix)だけは、Долаклуаと、доに転写しているのは、慣用形だからですか。
■フランス語の鼻母音‘in’の転写形は、ゴーギャン(Gauguin→Гоген)・サンシモン(Saint Simon→Сен=Симон)・スタンダール(Stendhal→Стендаль)・ロダン(Rodin→Роден)など、енが基本のようですが、ポワンカレー(Poincaré→Пуанкаре)のан、カルヴァン(Calvin→Кальвин)のин、ランボー(Rimbaud→Рембо)のемなどは慣用形なのでしょうか。



komaさん、お久しぶりですね

zo- (2003/01/19 04:16)

komaさん

朝鮮の訓読というのは吏讀のことでしょうか。中国の…というのは漢民族のということでしょうか?これは知りませんでした。その他ウイグルなど西域で、というのは聞いたことがあります。

普通話では排除していますということですが、具体的にどういうことを指しているのでしょうか。例えば、例えば北京語の中でも、以前話題に出ていた「給」にしても、本来は「帰」であるのに、「給」で書いているとすれば、ある意味、訓読字ですが、そういうののことですか。こういうのは、北京語でも結構あると思いますが。

「姉」と「姐」は私も気になってました。

>「兎に角」は当て字でしょう。「とにかく」が和語である以上、「兎に角」の「兎(と)」が漢語「兎」tuだとは言えない筈です。

とすると、他の可能性を見つけ出していらっしゃるのでしょうか?私もこの掲示板でも露呈しているように漢字の音については疎いので、実は自信がないのですが、「兎」は普通「と」と読み、「角」は普通「かく」と読む、「兎に角」も「とにかく」と読む、という単純な考えしかありませんでした。他の考え方があればご教示ください。下にも書いたように、和語(固有語)は漢字で表記する場合、訓読みで書くことが大多数ですが、「固有語」と「訓読み」は言葉、文字の分類として違った次元のものであり、「固有語」=「訓読み」という等号も、「当て字」=「訓読み」という等号も、100%のものではないのではないか、言い換えれば、漢字音で当て字にした和語(固有語)というものもあるのではないか(私は、「友達」「兎に角」がそうだと思ってますが)というのが、私の考えです。その場合、友達の「達」も兎に角の「兎」も「角」も、もともとその漢字が持つ意味とは全く関係ありません。あくまでも万葉仮名のように、漢字の音で固有語を書き表したという考えです。

ちなみにKOMAさんが、「「とにかく」が和語である以上、「兎に角」の「兎(と)」が漢語「兎」tuだとは言えない筈です」(言い換えれば「当て字」=「訓読み」、更に言い換えれば「当て字」に漢字音を用いてはいけない)と思われた根拠はなんですか?

>W杯(ワールドカップ)のように「杯」を「カップ」と読むのも英語で読む訓読みでしょう。

「馬」「梅」…などは有名ですね。それよりも「杯」を「カップ」と読むのは英語で読む訓読って面白いですね。気づきませんでした。「NO.」、そうなんですか、oはどこから来たのかなあと高校生のころ不思議に思っていました。

za-men(zan−men)とwo-men、包括式と排除式はビン語にもあります。北京語は北方民族の、ビン語は南方民族(どこか忘れました)の影響だと聞いたことがありますが。

ちなみに「わたしたち」の軽い敬意というのは、どういうことですか?

たぶん、1ヶ月弱、インターネットから離れますが(今回は本当に)、よろしければご教示ください。



楡ノ家楠丸さんへ

高駒麗人koma (2003/01/19 03:40)

http://kmcweb.virtualave.net/special/kings.shtml
http://web66.coled.umn.edu/new/MLK/MLK.html
(Martin Luther King Jr's Speech I have a Dream)
MartinをMartingと書いてしまった。言い譯を言いますと、中国語では「馬丁路徳金」Mading Lude Jinですから(nとngが逆轉している)その影響で間違えました。

ロシアの女性が持っていたVictor Hugo(ヴィクトル・ユーゴー)の本に
ВИКТОР ГЮГОと書かれたあるのを見たとがあります。Hugoのhは発音されないから
ВИКТОР ЮГОでいいと思います。
たしかロシア語のгород(gorod都市、町)が、ウクライナUkraina語かベラルーシBelorus語では
горат[γorat]になっているようです。[γ]は有声軟口蓋摩擦音です。
ゲルマン語の例で言いますと、オランダ語のgは[γ]を通り越して[x]になり、Goghは「ホホ」に聞こえるようです。

http://homewww.osaka-gaidai.ac.jp/~kamiyama/kodawari.htm
こだわりの外国語 −目的としての外国語学習−神山孝夫(スラブ語学)
「例えばロシア語には h の音がありませんので、この音を含んだ語をロシア語が借用する場合、その代用音に г[g] を用いることが多いのです。かくしてhero, Hamlet, Hegel, Yokohama はそれぞれ герой, Гамлет, Гегель, Йокогама となってしまいます。これは南ロシアの方言では г が有声の h あるいは有声の軟口蓋摩擦音 [γ]と発音されるためで、例えばゴルバチョフ氏もそのような発音をしています。しかし最近では我々の常識と同様にг よりは х のほうが h に近いと感じられているようで、例えば hobby, Hiroshima は хобби, Хиросима の形でロシア語に受け入れられています。」

ヨコハマはロシア語でヨコガマになるようです。この手の固有名詞はロシア語專攻者の間では超高級の難問らしく、日本の大学院入試問題集のロシア語学科の所では
Йокогама(横濱)、Гуанчжоу(廣州)といったアジアの地名が目白押しでした。
http://202.84.17.73/russian/(新華社ロシア語ニュース)
私はロシア語は素人だがこういう東アジアの固有名詞のロシア語版なら少々わかります。


http://www.miras.info/
http://www.miras.info/minatomiraiphoto.htm
(Йокогама Минато Мирай横浜みなとみらい)
Чайна-Таун ← CHINATOWNのキリル文字轉写。これは驚いた
Китайский-Городと言う方がロシア語らしいでしょう。
(Китай「契丹」よりはЧайна「秦」の方が正確でしょうが)
http://www.seibunsha.net/essay/essaytkuno.html(アムール地名考)


新華社ニュース:http://www.xcnjp.com/index_free.html
http://202.84.17.83/(日本語)
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.xinhuanet.com/(繁体中文)

呉音と漢音について
「へいじょうきょう(平城京)」「けいじょう(京城)」「せいじょう(成城)」(学校名)は呉音漢音が混ざっています。「平城京」なら「へいせいけい」か「ひょうじょうきょう」、「京城」なら「けいせい」か「きょうじょう」が本来の発音かもしれません。

http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/02November.htm



Maniacさんへ

koma高駒麗人 (2003/01/19 02:41)

http://kmcweb.virtualave.net/special/kings.shtml
http://web66.coled.umn.edu/new/MLK/MLK.html
(Marting Luther King Jr's Speech I have a Dream)

Aoki(青木)が英語で[eiouki]ですか。Date(伊達公子選手の姓)さんが英語圏で[deit]と呼ばれるのと似ています(当人は訂正要求をしたらしい)。高陵土gaolingtu(陶磁器の原料)は英語で Kaolinになり、英語発音はケイオリンです。しかしドイツ人ならAokiを「アオキ」、Dateを「ダテ」(ドイツ語読みするとダーテ?)と呼んでくれるでしょう。
Mao Zedong(毛澤東)のMaoは英語でも[mau]と発音され[meiou]にはなりません。AOKIは[auki]と発音してもらうように西洋人に頼めばそう呼んでくれそうです。

私が紹介した中国にある外資系一流ホテルの冊子(制作段階でCSK社「青田雅弘」氏の英語名を Mr.Qing Tian Ya Hongと表記)は完成品ではちゃんとMr.Aota Masahiroになっていて一安心です。
zoさんへ
訓読みは中国や朝鮮にも昔はあったようですが、中国では方言に残るのみで、普通話では排除されています。台湾語の歌で「人」をlang、「美」をsuiと発音していたら、同義の別字音を借りていると言えそうです。訓読みに近いものとして文語で「姉妹」と書いてあって、素直に読めばzimeiであるのを、口語の「姐妹」の音jiemeiで読むという例(張惠妹の歌)があります。
http://20century.myrice.com/ma0820.html

「兎に角」は当て字でしょう。「とにかく」が和語である以上、「兎に角」の「兎(と)」が漢語「兎」tuだとは言えない筈です。
訓読みは和語が大多数ですが、「うま(馬)」「うめ(梅)」「さじ(匙、茶匙)」「さが(相)」「ぜに(銭)」のように漢語起源の訓読み(前後に音を付け足している)もあります。
W杯(ワールドカップ)のように「杯」を「カップ」と読むのも英語で読む訓読みでしょう。
http://www.rimath.saitama-u.ac.jp/lab.jp/fsakai/language.html(数学用語)
e.g. という略語は「例えば」を意味するラテン語の exempli gratia に由来する.これを「イーヂー」或いは exempli gratiaと読めば音読みだが、e.g.を for exampleと読む場合もあり、これは訓読み。
i.e. はラテン語の id est (英語の that is に相当する「即ち」)の略語で、これを「イーディー」或いは id estと読めば音読みだが、i.e.をthat isと読む人もいるらしく、これは訓読み。
£(ポンド)はラテン語Libra(天秤)のイニシャルで、これをpoundと読むのも訓読みです。
No.(ナンバー)はラテン語numero(数)であり、これをnumberと読むのも訓読みです。
http://vergilius.aeneis.kit.ac.jp/~taro/eigo4.html
http://vergilius.aeneis.kit.ac.jp/~taro/eigo2.html

http://www.gekkou.or.jp/c-1/japan.html(呉音と漢音)

「わたしたち」は軽い敬意が入り、話し相手を含む「我々」で、北京語の
「[口自]們」zanmenに当たります。
「わたしども」は謙遜した言い方で、話し相手を含まない「我々」で、北京語の「我們」womenに当たります。
TV局の人が視聴者相手に話すとき「私たち日本人は…」「私どもNHKでは…」と言うでしょう。英語の“Let us sing a song.”には「私どもに1曲歌わせて下さい」(請讓我們唱一首歌)の意味と、「私たちで1曲歌いましょう」(Zan們唱一首歌ba)の二つの意味があります。



「大野晋『日本語の水脈』」について

ヒグチ (2003/01/18 20:30)

たびたびの投稿をお許しください。
佐藤さんの「大野晋『日本語の水脈』」について質問および意見です。

>P268
>18 kur-i(栗) kur-u(nut)
>「栗」と「nut」は語義が違うけど?

私の所有している辞書では、nutをクリ・カシ・クヌギなどの実としていますが、
佐藤さんの意図は、栗の実なのか木なのかわからないということなのでしょうか?

>P268
>13 kan-a(金・銅) kan(copper)
>上と同じでこれも「カネ/カナ」と「copper」は同じものじゃないけど。

仮にタミル語と日本語が同系であったとした場合、
分化する以前に、金属元素の判別がついていたのでしょうか。
また、「カネ」とは「キン」ではなく一般的な金属のことを指していると思います。
古来より、銅は比較的手に入りやすい(一般的な)金属でしたので、
「カネ」を「銅」とするのは妥当ではないでしょうか。
現在、日本では、年配の方が、鉄やステンレスのことを「カネ」と言う場合がありますが、
これは、鉄製品やステンレス製品が身の回りに多く、
鉄やステンレスを金属の代表と考えているためだと思われます。

>ドラヴィダ語の中でタミル語が一番似てるので、タミル語と比較してるそうだけど

上記の記述について、
タミル語を選んだ理由は、タミル語がサンガムという歌集を有しており、
古代タミル語と日本語との比較が可能であるためと理解していましたが、
これは間違った認識でしょうか?
できれば、佐藤さんの記述に関する出典をお教えください。
実は、大野先生の研究に同行したある先生と偶然にも面識がありますので、
なぜタミル語を選んだのかについては、その先生に詳しい話を聞いてみたいと思います。
ところで、「kam-a(洞)」というのを見て思いついたのですが、
「窯」の語源が「kam-a(洞)」ということはないでしょうか?
私の記憶によれば、昔の「窯」は、それこそ洞穴のようなものだったはずです。
昔は洞穴のようなものを一般的に「カマ」と呼んでいたのではないかと思ったのですが、
素人考えですので、御指摘をお願い致します。



回答ありがとうございます。

ヒグチ (2003/01/18 18:24)

回答ありがとうございます。
安本美典の「日本語の成立」はぜひ読んでみたいと思います。
また、ビーバさんの投稿についてですが、
そういった偶然の一致があることは大野先生も認めており、
それとの混同を避けるために複数の音素について対応を見ていたと思います。
(全音素の数)の(対応する音素の数)乗が場合の数となるため、
複数の音素が対応するということは、確率的にその可能性が極めて低いということでしょう。
それを考えれば、ビーバさんが冗談で投稿した英語と日本語の音韻対応と
大野説における音韻対応ではレベルが違うように思います。
このことについて、もし佐藤さんが何か考えをお持ちであれば、御教示ください。
また、どこまでの音韻対応がみられれば、
「この二つの言語には音韻対応がある。」
と言えるのか、何か情報がありましたらお教えください。
以下は私の個人的な考えですので、指摘をお願い致します。
例えば、30個の音素があった場合、ある単語で一つの音素が対応する確率は1/30であり、
単語数を数万から数十万語とすれば、確率的に数千から数万語の音韻対応がみられるはずです。
一方で、三つの音素が対応している場合には、その確率は1/27000となり、
確率的に音韻対応が生じる単語はせいぜい数語から数十語となります。
このように算出した確率的に音韻対応が生じる語の数に誤差を含めた数よりも、
音韻対応がある(と思われる)語の数が明らかに多ければ、
その二つの言語に音韻対応があるとみなして良いのではないでしょうか。
実際には、二つの言語における音素の対応がより複雑になるため、
例にあげたような計算では正確な確率をを算出することは無理だと思いますが、
一次近似として、その音韻対応の妥当性を評価するには充分だと考えています。
私が大野説の音韻対応を指示する理由の一つは、このような評価によるものです。
また、大野先生は、タミル語に係り結びと同様のものを発見していましたが、
係り結びのような特殊な文法が一致するというような現象は
他の言語においてもみられることなのでしょうか?
私が(少しは)理解できる言語は英語とドイツ語と韓国語程度なので、
何か気づく点があればお教えください。
以上、よろしくお願い致します。



「言葉の世界」伝言板10月分

佐藤和美 (2003/01/18 15:27)

「言葉の世界」伝言板10月分」を追加しました。



Re:大野説について

佐藤和美 (2003/01/18 11:57)

私が大野晋の本を初めて読んだのは25年ほど前、岩波新書の『日本語の起源』(旧版)です。
読んだときはすごく面白い本だと思ったのですが、その後、安本美典の『日本語の成立』(講談社現代新書)の大野説批判を読んで以来、大野説は眉にツバつけて読んでます。

日本語とタミル語の音韻対応ですが、大野晋本人は証明できたと思ってるようですね。でも周りはそう思ってないんじゃないかな。

音韻対応に関してですが、ビーバさんの投稿がなかなか興味深いです。

「日本語 h と英語の f」ビーバ (1999/04/09 14:22)

 実は、日本語の h (p) と英語の f が対応します。
次に、いくつか例を挙げます。

降るhuru − fall  晴れhare − fair  はるかharuka − far
太huto − fat  下手heta − fault  姫hime − female
畑hata − field  ひどいhidoi − fiend  ひりひりhiri − fiery
浸るhitaru − fill  火hi − fire  ぴったりpittari − fit
平たいhiratai − flat  へつらうheturau − flatter  蠅hae − fly
ほこりhokori − fog  ひだhida − fold  …へhe − for

……というのは冗談です(すみません)。

(以下略)

日本語と英語でさえ音韻対応を証明できてしまう(?)ということを、常に頭の片隅に置いときましょう。


なお、以下の書き込みもあります。
「大野晋『日本語の水脈』」佐藤和美 (2002/08/04 13:46)



大野説について

ヒグチ (2003/01/18 00:16)

辻本裕幸さんがおっしゃるように、同系であることを主張するよりも
非同系であることを主張することが難しいということは承知しているつもりです。
また、大野説は、その研究方法とその概念から判断して信頼に足るとは思っていますが、
完全に正しいと思ってるわけではありません。
辻本さんの文章を読む限り、誤解されているのではないかと思いますが、
私は、「大野説はこんなにも正しいじゃないか!なんで、それを批判するんだ!」
と思ってるわけではないのです。
ただ、数年前の記述ですから佐藤さんも当時とは違った見解をお持ちかもしれませんが、
その記述において明らかに大野晋先生および大野説は批判の対象となっており、
その一方で、佐藤さんは、大野先生の研究内容を充分に検討していないように思われました。
それは、前回の書き込みに挙げている点についてです。
私は、佐藤さんが反大野説の言語学者による報告を読まれたのではないかと思いましたので、
もしその内容が感情論的なものではなく、根拠のある批判であれば、
参考文献または具体的な内容について教えて頂きたいと思い、書き込んだ次第です。
以上のことにつきまして、お気づきのことがありましたら御教示ください。



同系論について 他

辻本裕幸 (2003/01/17 23:19)

民族の世界地図批判を読みました。本当に、これは許されてはならないと言う誤り(トンパ文字を無視したり、日本語をアルタイ語族に分類したり)から、まあ、この程度なら言葉のあやで許されるだろうなと言うミス(母語と母国語の違いとか)までたくさんですが、本というのはこんなに不正確でも、出版が許されるものなのでしょうか?
 タミル語と日本語の関係ですが、もし、自称中華民族の私が日本語と古代漢語は同系であると言う本を出しても、誰も(学者は)信じてくれないでしょう。しかしもしそんな本が出版されればある程度はセンセーショナルにはなりそうです。問題は、専門家でない者には、本に書かれていることが事実かどうかを調べるのが容易ではない事。それに比べれば著者が、自分の考えを本にして出すことは比較的容易であること。日本語とタミル語が同系であると主張するのはやさしい。なぜなら自分が日本語とタミル語が同系であると思った証拠を、並べればいいだけだからです。しかし日本語とタミル語が非同系であると主張することは何倍も難しい。なぜなら両者が非同系だと証明するには双方の祖語を突き止めて、ほら違ったじゃないか!とまで言わなければ、非同系を証明したことにならない。その点ですでに、何何語との同系論と言うのは学問上での公平さは失しています。タミル語にかぎらず、アルタイ語族、朝鮮語、アイヌ語、オーストロネシア語、レプチャ語など同系論は目白押しですが、どれも読むときは注意して読みましょう。



性の問題

辻本裕幸 (2003/01/17 23:07)

maniacさん、いろいろ、ご意見ありがとうございました。ジェンダーとセックスの違いは私もまだ良く分からない所でありまして。しかし言葉の世界に関しては、よほど悪質な言葉(女のくせに、とか女の腐ったとか)で無い限り、一見男女不平等なものでも文化習慣に任せるべきだと言うのが、私の意見です。人間とは元来不平等な下に、発生した生物であります。(と言うより、すべての生物界に平等は無いだろう)よって、人間の作り出した言葉、言語と言うものは男女の順に限らず、人間と人間以外の生物、大人と子供、内と外など範囲は異なりますが、みな不平等なものだと思います。ですから、平等にこだわり過ぎると、言葉の存在意義が無くなるのではないか?と言うのが私の考えです。たとえば、配偶者男を、主人と呼ぶいいかたで、私も悪質で改善した方がいい表現だと思う。なぜなら他の配偶者女には、自分は配偶者男に仕えているわけではないのに、主人と言う言葉があるために、苦しむ人がいるからです。しかし例えば、ヒストリーを彼の歴史(?)と解釈して、歴史は男より、女が作ったのだからハーストーリー彼女の歴史(?)にしよう等と言う考えには、納得いかない。ヒストリーがヒストリーと呼ばれることに傷つく人がいるとは思えないからだ。だから、言葉の性の問題の一部も、本当は誰もそんなこと、問題にしていないのに、故意に問題を大きくして、騒ぎを起こそうと言う人の意図が見え隠れしています。



佐藤和美さんに質問です。

ヒグチ (2003/01/17 12:34)

昨日、このホームページを見つけたものです。
佐藤和美さんに質問がありますので、回答をお願い致します。
数年前の記事(99/04/09)で日本語がインドのタミル語に由来するという
大野晋先生の研究を批判しておられましたが、
これは、大野先生の研究内容を自ら吟味された上での結論なのでしょうか。

>この人は日本語のルーツがインドのドラビダ語だと言っているようですが、
>言語学者からは無視されています。
>それはこの人のやっていることが「似ている単語を並べる」というレベルだからのようです。

金田一春彦先生を除く国語学者および言語学者に無視されたことは事実のようですが、
大野先生の研究では文法的および民俗学的な比較も行っていますので、
上記部分は事実に反していると思われます。
特に、タミル語に係り結びと同様のものを発見していることは
注目すべきではないでしょうか。

>日本語の「h」はXX語では「f」に対応する、ということが言えて初めて同じ系統と言えます。

また、上記のような記述がありましたが、
確か、大野先生は日本語の「h」とタミル語の「f」との対応および
単語中における複数の音素の対応を明らかにしていたと思います。
このことは、偶然による「h」と「f」の対応ではないことを示唆しています。
この他にも、古代インドの造船・航海技術を用いて、
日本列島まで来ることが可能であったという証拠も挙げており、
私は、大野先生の研究は非常に緻密で信頼に値すると考えております。
とは言うものの、私は、理系の研究者で、言語学は趣味で勉強している程度ですので、
私の考えに浅はかな点がありましたら御教示ください。



補足

zoー (2003/01/17 02:31)

もう少し、補足すると、最初の辻本さんの御質問は「友達」の「だち」は「音読み」か「訓読み」かという、いかにも語の起源を匂わせる質問ですが、本質的には「達」を「たち」と読むのは「音読み」か「訓読み」か、というのと変わらないと思います。



maniac.c.さん

zoー (2003/01/17 02:26)

早速のご説明ありがとうございました。

私がアジアの言葉に拘ったのは、やはり最初、英語かどうかは分かりませんが、西洋の言葉で「夢」が目標の意味に用いられ、それが近代になってからの接触で日本語、中国語などアジアの言葉にもたらされたからではないかと思ったからです。その意味で、英語の例はこの場合余り意味がありません。又『伊勢物語』の例では「まことならぬ夢語り」とのことで、まだ「夢」というのと近く、変化する可能性は持っているとはいっても、「目標」というのに遠いように感じるんですが。目下のところは私も、近代以降に用いられたという証拠はないのですが、それぞれの言語内で独自に形成されたという証拠も挙げられていないように思うのですが。ちなみに、英語では「夢」が「目標」の意味に用いられるのは、ごく最近、ということですか?「対極云々」は確かにどうとでも解釈できると思うので、コメントは省略します。

たち、については、結果的にその語に対する認識に相異はないようなんですが、「字音語」と「固有語」、「訓読み」「音読み」は基本的に異なった範疇の語ではないかと思います。その意味で「兎に角」は「固有語」であり、そのうち「兎」「角」は「音読み」であると思います。「達」も「固有語」であり、「音読み」であると思います。日本語で漢字を用いる際に「訓読み」はその意味を用いているもので、「音読み」は音を用いるもので、必ずしも、その「訓読み」「音読み」を用いる語彙の起源とは別に考えるべきものだと思います。

というのが私の意見ですが、一般的に国語、日本語研究ではどう分類されているんでしょうね。

「訓読み」=「固有語」
「音読み」=「字音語」

という原則からはずれたことも認められているんでしょうか。



Re: ロシア語の転写形

楡ノ家楠丸 (2003/01/17 02:09)

【ロシア語の外来語転写形の件についてです】
■まず、ロシア語の転写には、大まかに言って、慣用形と規範形があり、正確には言えませんが、ソ連時代のある年代で線が引けます。それ以前のものは、言語の専門家でない人々が、行き当たりばったりで転写したものもあり、たとえば、Isadora Duncan が、Айседора Дункан となったりします。
 ソ連時代のある時期からは、外来の文化は国家の管理下で輸入されるようになり、転写形も、学者らに整備された系統だったものになります。
 固有名詞のあるものは、Генри (Henry)のように、定着した慣用形がそのまま使われ、さほど広まってないものは規範形に改められたり、また、両者が混用されるものもあります。また、同じ姓でも、その人物が有名になった時期によって、転写形が異なることもあります。
■ドイツ系の姓、ドイツ語によるユダヤ系の姓で、-ei- [-ai-] を含むものは、例外的に、過去も現在も -ей- で転写します。長年その理由を調べているのですが、判然としません。ただし、語頭では Эй- と綴ります。語中でも、この -ей- は [-ej-] と発音します。(例)Норштейн [ノルシテイン] です。[-シチェイン] とはなりません。アイゼンハワー、エイゼンシュテインは、これに当たります。
■中世以前のラテン語・ギリシャ語の固有名詞は、中世ギリシャ語、すなわち、東ローマ帝国(ビザンチン)のギリシャ語の発音に従います。これは、ロシア正教が、ビザンチンから移入されたものだからです。ロシア人のファーストネームは、ほとんどこれにあたります。
 この場合には、ラテン語・ギリシャ語の 「斜格の曲用語尾を除いたもの」 を語幹とみなして、これに、それぞれの性に従って、ロシア語の変化語尾をつけます。男性はゼロ語尾です。したがって、Augustinus は、Августин となるのです。
 ただし、近世以降のギリシャ人の名前は、変化語尾までを1つの名詞としてあつかい、これをロシア語流に変化させます。
■西欧の h音は、ロシア語にないために、革命前は г で転写していたようです。これは、г の摩擦音化したもの(スペイン語の語中の g の音とたぶん同じです)が h の音に似ているからだと推測しています。ロシア語では、г が、まれに摩擦音化します。また、ロシア語の方言やウクライナ語では、г を、一貫して、この摩擦音で発音することも影響しているかもしれません。現在では、すべて х で転写します。西欧の固有名詞の h が г で転写されるか、х で転写されるかで、その語の入った時代がわかります。
■英語の [w] 音をどう転写するか、という問題も、同様です。古い時代には в [v] を使い、のちには у [u-] を使っています。また、もともと в を使っていたものが、у に改められているもの、両者が混用されるものもあります。
■これは、おまけですが、外来の固有名詞について、男子名が子音で終わっている場合は、男性名詞として変化させ、-а に終わる場合は女性名詞の変化を流用します。女性名詞が子音で終わる場合は不変化 (Маргарет Тэтчер すべての格で同形)、-а で終われば女性名詞の変化です。-е, -ё, -и, -о, -у, -ы, -э, -ю で終わる場合はすべて不変化です。-я は女性変化です。また、-ь に終わるものは、男性変化です。
■地名の場合は、語尾に従った性の変化をし、ロシア語の語尾に合わないものは不変化です。



RE: 友達(zo-さんへ)

Maniac C. (2003/01/17 00:47)

 おっしゃるとおり、漢字(古代漢語)の「達」には複数を表す意味はなく、「意味」という意味での「訓」(正訓or定訓)の関係は成り立ちません。「達」を日本語の用字で「タチ」と読ませるのは、「兎角」のような音仮名(当て字)ということになります。
 しかし、字音語(漢語)と対比した場合、「たち」は日本の固有語(和語)ですので、「訓」と言って良いのではないでしょうか。
 『万葉集』には、「神多智(かみたち)」と、ちゃんと1音1字の例もあります。
 「たち」は本来、神や人などについて尊敬の意を込める接尾語です。類義語「ども」は「伴」の転で、妻子・若者など、気安く対する相手につく。「ら」は自然物や物体について複数を表すが、人間についた場合は、親愛・卑下・軽蔑・嫌悪などの感情を示す、と『岩波古語辞典』にあります。
 「ども」が敬意を持って遇しない対象について使うところから、目下の者や使用人(多くは男)を親しんで呼ぶようになり、既に『伊勢物語』に「昔いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集まりて月を見て」という、所謂二重複数の用例が見えるようです。複数の人なのだけれども、敬意を持って遇する必要のない、親しい間柄(同輩もしくは目下)の仲間、程度の意味なのでしょうね。
 ついでに「子ども」も本来は複数ですが、その意味が薄れた例ですよね。「身ども」は謙譲・卑下を表す言い方です。



RE: お帰りなさい

Maniac C. (2003/01/17 00:45)

 ありがとう存じます。そう言っていただけると、何か、とても嬉しく存じます。
 さて、「夢」ですが、「実現不可能に思える考え」ということで、別に「幻影」と「目標」が、「現実ではないという意義範疇の中で対極に位置」するとは考えなくても良いのではないでしょうか。
 この意味で私が即座に思い浮かべたのは、zo-さんのご注文のアジアの言葉ではなく、英語です。1963.8.28.の『ワシントン大行進』の際にキング牧師が行ったスピーチの有名な一節、“I Have a Dream.”です。“I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slaveowners will be able to sit down together at table of the brotherhood. (私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷主の子孫たちとが、共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろう。)”当時はまだ黒人差別が残る公民権運動の真っ只中でした。後日キング牧師は反対派によって暗殺されてしまいますが、こういう「夢」が、「将来の希望」と同義に使われるようになったのだと思います。
 日本語では『伊勢物語』に次のような例が在ります。
「むかし、世心つける女、いかで心情あらむおとこにあひ得てしがなと思へど、言ひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢語りをす。子三人を呼びて、語りけり。二人の子は、情なくいらへて止みぬ。三郎なりける子なん、「よき御男ぞ出でこむ」とあはするに、この女、気色いとよし。……」



楡ノ家楠丸さんへ

Maniac C. (2003/01/17 00:42)

 えっ? 実際に「かのだん」という言葉が使われているんですか!? 不勉強でした。すみません。

 ロシア人の固有名詞に対する態度について。
 私はロシア語にはあまり詳しくないのですが、どういう法則でか、ロシア語独自の訛りみたいなものがありますよね?
 例えば、アイゼンハワーやアインシュタインがЭйзенхауэрやЭйнштэйнと、エイゼンハウエルやエインシュテインになったり、アウグスチヌスやエウリピデスがАвгустинやЕврипидと、アヴグスティンやエヴリピドになったり、ヘミングウェーやハックスリはХэмингуэйやХакслиと、ヘミングウェイやハクスリなのに、O.ヘンリーやハウプトマンがО.ГэнриやГауптманと、O.ゲンリやガウプトマンになったり、ワットはУаттとワットのままなのに、ワシントンはВашингтонと、ヴァシントンになったり。一体キリール文字への転写規則が有るのか無いのか、疑いたくなります。
 また、これはロシア語文法上、仕方の無いことかもしれませんが、本来は格変化の無い言語から借りた名詞も、ロシア語内の規則に従って格変化させる、という話も講談社の『はじめてのロシア語』で読みました。
 どこまでこだわるのかは、要するに、相手の言葉をどれだけ理解しているか・尊重しているか、文化・教養の程度によるのだと思います。この尺度で言うなら、ロシアやドイツは文化・教養の高い国であり、残念ながら日本や英仏は文化・教養の低い国である、ということになりますね。



「言葉の世界」伝言板9月分

佐藤和美 (2003/01/16 22:42)

 たいへ〜ん、遅くなりましたが、
「言葉の世界」伝言板9月分」を追加しました。



友達

zo- (2003/01/16 20:22)

ついでに、もうちょっとManiac C.さんにお伺いしたいのですが、「友達」の「達」についてです。

私も実は訓読みですという説明を聞いたことが以前あるような気がするんですが、よく分からなかったので。

確か「たち」は古代から大勢の人や複数を表す言葉だったと思いますが、漢字(古代漢語)の「達」には大勢の人や複数を表す意味は、たぶんなかったと思います。「意味」という意味での「訓」の関係は成り立たないのではないでしょうか?

むしろ『万葉集』の表記に使われる音仮名(二音仮名、音読みの一つ)のようなものではないでしょうか。借訓というのも思い浮かびましたが、これすらも例えば「なつかし」を「夏樫」と記すのは、その前に「夏」=「なつ」、「樫」=「かし」という段階があり、、「達」と異なります。音仮名で和語の「たち」を「達」と記し、その後、「友達」に限っては複数の意味がなくなったというのが、今思い浮かぶ変遷ですが、いかがでしょうか。



お帰りなさい

zo- (2003/01/16 19:50)

Maniac C.さん、お久しぶりです。
 「夢」のことなのですが、「洋の東西を問わず」というの、実は私もちょっと考えたんですが、中国語の場合、近代以前の文献で、「夢」を将来の目標の意味として用いた例を見たことがなかったので(勿論無いとは私も断言できませんが)、西洋語の影響かと思ったんですが、Maniac C.さんは何か、日本語、中国語、或いはアジアの言葉で夜見る「夢」の語を、将来の目標の意味に使った用例をご存知ですか?

ちなみに中国でも夢占いはたくさんあり、私も昔面白がって読んでいたんですが、私が読んだものは運勢や運命を占うもの(本当にフロイトの夢判断のように、或いはそれ以上にどうしてこれを夢に見るとこういうことが起こるとしているのか、理解できないものが多い)で、目標の設定と言う意味での「夢」とかなり差があり、個人的には結び付けにくいのではないかと思っています。

それから英語とラテン語に影響関係ないんでしょうか?例えばラテン語には夜みる夢と目標の夢の二義があり、英語には夜見る「夢」の意味しかなかったがラテン語の影響で目標の意味も生まれたとか。或いはその逆とか。「惑わし」ー「幻影」ー「夢」ー「目標」だとすると、「夢」をはさんで「幻影」と「目標」が、現実ではないという意義範疇の中で対極に位置してしまい、内部的な変化だけでは、「目標」の意味が発生しにくい気がするのですが。

いずれにしても、いつアジアの言葉で将来の目標を「夢」という言葉で表しはじめたか、非常に興味深い問題だと思います。西洋の言葉も興味深いですが、もしラテン語やギリシャ語で既にそういうことが行われているのなら、語彙としてはドイツ語、フランス語でたとえ違う起源のものが用いられていたとしても、文化的な影響から、その語彙の成立当初から将来の目標を「夢」で表していた可能性が高いと思うんですが。

 ちょっと「夢」の話とはずれるんですが、私は、世界で多くの文化で普遍的な共通項だと思われているものの中には、実は人間の自然発生的な普遍的な現象ではないものも多いのではないかと思っています。勿論そういうものもかなりあるんでしょうが、実は古代のインド当たりの価値観で、すごく大昔にそれがヨーロッパとアジアにそれぞれ伝播していているだけで、実は元は同じものということがあるんじゃないかと思っています。

私はまた来週から約1ヶ月、お邪魔できなくなっちゃいます。折角Maniac C.さんも帰ってこられたのに。



Re: ロシア人は外国の固有名詞にこだわる

楡ノ家楠丸 (2003/01/16 18:41)

ロシア人は、外国の固有名詞の発音にかなりこだわります。ロシア語で表しうるかぎり、原音に近い綴りを採用し、強弱アクセントを取る言語のアクセントは、(すでに慣用が定着している場合をのぞき)必ず、原音のアクセントを再現します。
 これは、ロシア人が固有名詞に思い入れを持っているというより、ラテン文字をキリール文字に転写せざるをえない事情から、こうなったのだと思います。
 逆に言うと、西欧人たちが、おたがいの固有名詞の発音に無頓着なのは、転写ということを、特に意識しなくても済んでしまうからだと思います。それでも、ドイツ人などは、他国の固有名詞の発音に、かなり、気を配っているようですが。



Re: かのだん

楡ノ家楠丸 (2003/01/16 18:28)

明治時代の生まれの落語家の、新作落語・随談・漫談を聴いていると、ときどき、彼男(かのだん)という言葉が出てきます。ふざけて使っているのではないようです。



RE: 五十歩百歩

Maniac C. (2003/01/16 18:04)

 もともとが寓話なので、「大して差が無い」ということさえ解れば、長さの単位として考えても、別に構わないとは思います。
 が、戦場という状況を考えると、長さの目安になるようなものは周りに無いでしょうし、巻尺を持っていて測るほど悠長な場面でもないでしょう。
 普通に歩数として考えた方が、「にげた」という臨場感があると私は考えます。
 なお、「歩」の長さは、時代や説によって異なり、『漢字海』によれば、(『孟子』の時代は春秋戦国時代ですが)周の時代の長さと考えると、6尺=6×18.0cm=108.0cmとなり、その後の秦の時代の長さと考えると、6尺=6×23.1cm=138.6cmとなります。



RE: 眼鏡をかけた人

Maniac C. (2003/01/16 18:02)

 「眼鏡をかけている人が鈴木さんです」と「眼鏡をかけた人が鈴木さんです」 の2つの文とも、日本語として、文法的に正しい文です。従って、「動詞完了形た+人が鈴木さんです」という形の文は成り立つことになります。
 金田一春彦氏によると、日本語の動詞は意味的に四種類に分類されるのですが、「眼鏡をかける」の「かける」は“状態を帯びる意味の動詞”、「会社を辞める」の「やめる」は“瞬間動作動詞”という分類に当たると思われます。
 前者には、「似る・聳える・才気走る・坊ちゃん坊ちゃんする」が例として挙げられ、「いつも『−ている』の形で使われ、ある状態にあることを表す」動詞である、とされています。更に、「眼鏡をかけてしまう人」なぞというような「−てしまう」の形が無く、「−た」の形で「属性所有の意味をもつ」とされています。加えて、この場合の「かける」は、無意志動詞に近い意味で、本人の意志で「かける」のを止めるわけにはいかない(近眼や老眼などの理由で、仕方なくかけている)、というところも「似る・坊ちゃん坊ちゃんする」と共通だと思われます。
 また、後者には「はじまる・終る・死ぬ・結婚する」が例として挙げられ、「『−ている』の形をもち、動作が完了したあとであることを表す」動詞である、とされています。更に、「会社を辞めてしまう人」なぞというような「−てしまう」の形をもち、これは「起ったら重大な結果になり、もとへは返らない」というような意味になり、「−た」の形で(瞬時の)「現象の生起を表す」とされています。加えて、この場合の「やめる」は、意志動詞で、本人の意志で「やめる」のを止めることができる点も、「かける」と異なります。



RE: 夢

Maniac C. (2003/01/16 18:01)

 英語‘dream’の意味の発達は、「惑わし」→「幻影」→「夢」です。
 ラテン系の‘reverie’という単語も有りますが、こちらは「どんちゃん騒ぎ」→「奇想」→「夢」で、‘rave’(狂乱→夢中)や‘rage’(狂暴→熱狂→熱情)とつながる単語です。
 洋の東西を問わず、寝ているときに見た夢は実現する、という俗信があり、夢占い・夢解きの物語はいくつもあります。旧約聖書の中でも、ヨセフの夢解きの話は有名です。
 従って、どこがルーツということもなく、自然発生的に、夢の属性として、「夜見る夢」→「実現する(したい)夢」「実現しない夢」という発展だと思います。



辻本裕幸さんへ2

Maniac C. (2003/01/16 18:00)

RE: 言葉の性について(12月25日(水)18時07分59秒)
>紳士には女は入らないんでしょうか?
→私も狐の悠さんと同意見で、入らないと思います。これが英語の‘gentleman’の訳語として使われる、という認識があり、歴史的に考えても「士」は中国の官吏であり、中国の官吏には女性は、なれなかったはずですから。
>中国語では男は他。女は女也と書き分けますが、それもだめですか?
→これは西洋語の翻訳用語として1920年ごろから書き分けるようになったものと聞いています。中性用に「它」という字もあったはずです。
>じゃあ、もちろん、英語では男も女もheでなきゃ、だめでしょうね。
>そんなことを言い出したら、ロシア語もフランス語もドイツ語もヒンディー語も、みんな、男性名詞、女性名詞は使えなくなってしまいますよ。みんな、中性名詞となってしまいます。(モスクワ(女性)もサンクトペテルブルク(男性)も使ってはいけない言葉になってしまいます。) →ここでは‘gender’(文法性)と‘sex’(自然性)が混同されています。
>私が紳士といったら、女も入ると解釈してくださいな。日本語と中国語は、性別がない言語なのです。
→お気持ちはわかりますが、強弁に過ぎると思います。
日本語・中国語ともに、自然性に基づいて、男だけを表す言葉、女だけを表す言葉があります。文法性に関してはおっしゃるとおりですが、自然性に関しては「性別がない言語」なのではありません。例えば、父&母・兄&姉・弟&妹・翁&媼・爺&婆・息子&娘などがわかりやすい例でしょうか。また、中国人は、西洋人と同じく肉食民族なので、西洋語と同様、家畜のオス・メスを異なる単語で呼び分けます。特&牸・羝&羖/羭・騭&[馬果]・麌&麀がそうです。特殊なところでは、鴛&鴦・麒&麟・鳳&凰・翡&翠などがあり、日本語にもシオカラトンボ&ムギワラトンボ・イザナキ&イザナミ・天照(女性)&月読(男性)などがあります。
>男五人、女六人の団体をわたしが、「彼らは」と言ったら、男も女も両方入ると解釈してください。
→これは西洋語でも、通性として、存在する用法です。例えば、英語で‘they’がそうですし、また別な例としては、普通‘cow’といえばメスウシですが、‘cows’と言うと、オスウシも含まれます。
>少年院は少女も、入れる(誰も入りたくはないでしょうが)。
→「少年」は「年が少(わか)い」の意味ですから、男子も女子も含まれます。実際、競技会では「少年男子の部」「少年女子の部」などと分けることがあります。「青年」「中年」「壮年」「熟年」全て女子も含まれます。(残念ながら男性を指す語として使われる場合が多いですが)
>少女りぼんは俺にも読める。
→でも、中心となる(対象と想定される)読者は、女性ですよね?
>俳優には、男優も女優も含まれるし、大学生には男子学生も女子学生も含まれる。
→どちらも、最初は男性専有のもので、女性が珍しい時代に、特に女性であることを表すために「女」の字が冠せられた、という歴史があります。その歴史的経緯によって“色”がついていることは否めないでしょう。これらが男性専有ではなくなって、「常識」となったのは、まだ日が浅いと言わざるを得ません。

RE: ともだちの、だち(1月 5日(日)00時30分40秒)
「たち」は訓読みです。



辻本裕幸さんへ1

Maniac C. (2003/01/16 17:57)

私も実名を明かさず、HNのまま失礼します。

RE: 地名について(12月25日(水)13時33分10秒)
>せめて、漢字の音読みと訓読みの区別さえできる民族だったらこういう事も少しは防げたはず。 →音読みと訓読みの違いがあるのは、もしかしたら、日本語だけなのでは?
韓国・朝鮮では、漢字は必ず音読みをし、固有語を当てる(つまり訓読みをする)ことはない、と聞いた覚えがあります。
>非漢語地名に、漢字を当てるのは、中国人、日本人問わず、いけないことだと思います。
→漢字しか表記手段が無いのなら仕方の無いことだと思いますが。日本でも、敗戦前までは、漢字・漢文が、公的には正式な表記法だったのですから。
>(サッポロ、ワッカナイ(北海道)アオモリ、ヨコハマ、ナゴヤ、オオサカ、ヒロシマ、(本州)タカマツ マツヤマ(四国)ナガサキ、カゴシマ(九州)コザ(沖縄)ハルピン、ウルムチ、フフホト、ラサ、(大陸)タカオ(台湾)、ソウル漢城(韓国))
→サッポロ・ワッカナイ(北海道)はアイヌ語起源ですよね? コザ(沖縄)は琉球語? ハルピン・ウルムチ・フフホト・ラサ(大陸)・タカオ(台湾)・ソウル漢城(韓国)は現地の民族語起源だとして、アオモリ・ヨコハマ・ナゴヤ・オオサカ・ヒロシマ・(本州)タカマツ・マツヤマ(四国)・ナガサキ・カゴシマ(九州)は和語(倭語)ではなかったのですか?? 不勉強なので知りませんでした。是非、語源を教えてください。
>そのなかでも、漢字の訓読みを地名に当てるのは最悪だ。原音が跡形もなく消し飛んでしまいますからね。
→漢字は表音文字ではないので、音だけではなく、意味までも表してしまうという、仮借の悪いところですよね。日本の地名に限って言えば、これは大宝律令以来の伝統なのですが。
>日本の北海道、仙台、東京、京都、高知、佐賀などの音読地名はなんとか、漢字圏でも使いまわせるでしょうが。基本の発音は同じですから、後は訛りの違いということになります。
→これも、音に限ってはそうかもしれませんが、意味までは伴っていないかもしれません。北海道・東京・京都は音読みで、且つ、意味も同じですから良いのですが、「仙台」は、元々は「川内」が語源ですから、字を改めた伊達政宗の込めた意味は中国にも伝わるでしょうが、地形の意味までは伝わらないでしょう(地形の意味としてはヴェトナムのハノイ[河内]と同じ)。その点では札幌と同工異曲です。残念ながら、高知・佐賀の語源は存じませんが、「紀伊」の語源は「木」ですし、「奈良」の語源は「(土地を)ならす」の語根の「なら」ですから、「平城」の方が意味的には近い。たとい音読地名でも、問題はあると思います。さらに「信濃」になると、もっと複雑です。もともとは音読地名ですが、当時の日本語には「n」という音は無かったので、母音を添えて「信」が「シナ」となっているし、同じく「ng」という音も無かったので、こっちは省いて「濃」は「ノ」になってしまっています(「相模」では「サガ」と母音を添えていますが)。表語文字である漢字の功罪といったところでしょうか。



帰ってきました。

Maniac C. (2003/01/16 17:54)

 1ヶ月ぶりにパソコンの前に帰ってきました。
皆様、また宜しくお願いいたします。
 帰宅してすぐこのサイトを確認したのですが、
既に12月20日(金)14時30分13秒以前の投稿は
消えてしまっていた後でしたので、以下で
見当違いのことを書いてしまったら「御免なさい」です。

 さて、今のタイムリーな流れと前後して古い話題を
蒸し返すことになるので誠に申し訳ありませんが、
この1ヶ月に書き込まれた記事の中で、私が書き加えたいことを
以下に書いていきます。連続投稿になりますが、お許しを!

高駒麗人KOMAさんへ
RE: 可哀相な固有名詞(12月25日(水)03時25分37秒)
>日本人や西洋人が聞いたらまず、少なくとも「チンムー」がゴルフのアオキ(青木)さんだとはわからないでしょう。
→以前、『明日天気になあれ』(千葉てつや作)という漫画で、
英米人は青木選手のことを「エイオウキー」と呼ぶ、という挿話がありました。
少なくとも英米人は(日本語としては正しい)「アオキ」と聞いても、ゴルフのMr Aokiとはわからないことになります。(つづり字を見れば別かもしれませんが)
西洋人は、日本人ほど現地音には拘泥していないと思います。ま、日本人も、苦情が無い限りは、かなり鷹揚な方だと思いますが。

RE: 「彼男」「男也」「男尓」「貴男」は何故ないか(12月26日(木)04時17分52秒)
>日本語で「彼」が男で「彼女」が女なのも変。
→これは西洋語の翻訳用に作られた語で、最初期には、男も女も全て「彼(あれ)」で通していました。明治初期には「彼の女」という句が作られ、「あのおんな」と読ませていました。それがいつの間にか「かのじょ」という変な読み方に替わりました。ですから、「彼男(かのだん)」という詞は存在しないのです。
>manが「人(男or女)」と「男」を兼ねるのは変で、husbandmanとでもすべきものです。
→古くは、manは「人・人間」の意味だけで、「男」は‘wer’(‘werewolf’「狼男」に残る)または‘wæp(n)man’(字義は「武器の人」)でした。‘wer’の対義語が‘wīf’(元々は「女性」の意味)で、‘wīfman’の対義語が ‘wæp(n)man’です。‘husband’は元々‘hūs(house)+bonda(holder) ’で「家長・戸主」の意味(‘housewife’は「主婦」)ですし、‘husbandmancは、かつて農耕が男子の主な職業だったので、「農夫」の意味として、実在する単語です。
>「教師」や「医者」まで、男性形と女性形を区別する欧州語は面倒です(英語とロシア語は欧州の言語です)。
→これも歴史的な背景に基づくもので、英語では‘teacher’(小・中学校教師)は、女性が多いので、男性教師が現在は存在しても、一般論として言うときには‘she’で受ける場合が多いようです。男性教師の場合は、古くは‘master’と言いました(今は、こちらも‘teacher’)。
>中国では欧州語の男性名詞を「陽名詞」yang mingci、女性名声を「陰名詞」yin mingciと呼び、必ずしも男女で分類する必要はないとわかります。
→でも、男は「陽」、女は「陰」に分類されますよね。ただ言い方が違うだけなのでは、と思ってしまいますが。
>中国の大連市は、パンフ等のガイドでは代名詞として
>[女也]や sheで表現されます。
→都市名を表す接尾辞に女性名詞が多い西洋語の模倣ではないでしょうか。
>「新世紀Evangelion」では、葛城ミサトと渚カヲルが、いずれもロボットであるEvaを「彼女」と呼んでいました。女のロボットということでしょう。
→瑣末なことですが、Evaはロボットではありません、人造人間です。初号機にも弐号機にも、シンジやアスカの、母親の魂みたいなものが乗り移っているので、「彼女」と呼んでいるのでしょう。



五十歩百歩

未菜実 (2003/01/15 11:26)

「五十歩百歩」の歩は長さの単位の歩(1.8m)と考える方がいいのでしょうか?



Re: 外国人の姓

楡ノ家楠丸 (2003/01/14 11:49)

■現在、容易に入手できるヨーロッパの family name の辞典には、以下のようなものがあります。

【英語圏】
"A Dictionary of Surnames" 1988 Oxford Univ. Press
Patrick Hanks & Flavia Hodges
▼収録数 約7万。英語圏の姓に、ロシアまで含めた欧州の姓を広く薄く採取して加えたものです。
▼大判のハードカバーと小型のペーパーバックがあります。ただし、ペーパーバックのほうには、肝心の索引がなく、実用的ではありません。
▼神保町の三省堂、日本橋の丸善、東京の八重洲ブックセンターあたりに在庫があるかもしれません。

【仏語圏】
"Dictionnare e´tymologique des noms de famille et pre´noms de France"
1993 Larousse  Albert Dauzat
▼見出し 約3万。収録数 不明。

"Dictionnaire e´tymologique des noms de famille"
1991 Perrin Marie-The´re`se Morlet
▼見出し 約4万。収録数 12万以上。

▼上記2点は、フランス本国内に限定した姓の辞典です。アルザス=ロレーヌの独語系、あるいは、オランダ語系、バスク語系など含みますが、アラブ系はいっさい採録していません。
▼いずれも、新宿のフランス図書ならば、在庫の可能性あります。

【独語圏】
"Familiennamen" 2000 Duden
Rosa u. Volker Kohlheim
▼収録数 約2万。ドイツ語圏の姓を集めたものです。
▼東京の八重洲ブックセンターに並んでいるはずです。



外国人の姓

トビー (2003/01/13 16:43)

欧米人の姓に関する語源を調べたいのですが、何か良い書籍などありますでしょうか?
宜しくお願い致します。



『民族の世界地図』批判

佐藤和美 (2003/01/13 16:25)

『民族の世界地図』批判 Ver.1.00」を追加しました。



眼鏡をかけた人

ムラサキ (2003/01/13 09:07)

学生から「眼鏡をかけている人が鈴木さんです」と「眼鏡をかけた人が鈴木さんです」 この2つの文章の中で正しいのどれですか?と質問されて、私は 「眼鏡をかけている人が鈴木さんです」の方が正しいと答えました。
しかし、今じっくり考えてみると両方ともあってるような気がします。「動詞完了形た+人が鈴木さんです」という形の文章は成り立つのでしょうか?
また「会社を辞め(た)人が鈴木さんです」の「た」とはどうちがいますか?



どぜう

未菜実 (2003/01/12 21:05)

「どじょう」は旧仮名遣いでは「どぢゃう」ですが、「どぜう」と書くことがあるのは、江戸時代、浅草の「駒形どぜう」の店主が字数が偶数になるのを嫌って「どぜう」にしたことに由来すると言うのを読んだことがあります。



調味料のサシスセソ

佐藤和美 (2003/01/12 16:53)

調味料のサシスセソってなに?

サ 砂糖
シ 塩
ス 酢
セ せうゆ→醤油
ソ 味噌

でもね、『大辞林』で「醤油」を調べると、

しょうゆ しやう―【醤油】

なんですよね。

ま、どぜう・泥鰌の例もあるからなぁ。

どじょう どぢやう【〈泥鰌〉・鰌】
〔「どぜう」と書くこともあるが、中世後期の文献に「土長」「ドヂヤウ」の表記が見られることから、歴史的仮名遣いは「どぢやう」とされる〕



「陰陽」の質問にあたって

nt (2003/01/12 00:02)

高駒麗人KOMAさんありがとうございます。
こんなに丁寧に回答していただき感激です。
お礼申し上げるのが遅くなり、申し訳ありません。
「陰陽」の読み方は漢音と呉音の伝来の歴史に関係があるとも考えてもいいんですよね?
大変参考になりました。
ありがとうございます!



「おんみゃう」 と「いんよう」

高駒麗人KOMA (2003/01/11 16:43)

ntさんへ
はじめまして
私は陰陽は「いんよう」と読みます。「おんみょう」「おんよう」は知りませんでした。英語では北京語音を採用してYin&Yangでしょう。おそらく「陰」yinは古代漢語で imかiemのようにmで終わっていたのでしょう。「音」「陰」は同音でしょうか。「おむ」(呉音?)と「いむ」(漢音?)の2種があって、鎌倉・室町時代頃に「おん」「いん」になったのでしょう。

「おんみょう」ommyouは「おむよう」omuyou(←おむやうomuyau)の訛りかと思われます。朝鮮語では「音」はeum(平唇ウ+m)ですが「陰」もそうでしょうか?すると陰陽は朝鮮語でeumyangウミャンになります。三位一体(さむゐいつたい>さんみいったい、朝鮮samwi-iltshe)と似ています。
日本語のインヨウではンはnではなく鼻にかかったイになって「イイヨウ」に近く、nで発音するとinyouはイニョウになります。このンは本来mですからイミョウがより正確でしょう。

http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b1%a2%cd%db+%a5%aa%a5%f3%a5%df%a5%e7%a5%a6&r=%2fSocial_Science%2fLinguistics_and_Human_Languages%2fPhonetics_and_Phonology%2f&y=y&hc=0&hs=0

http://member.nifty.ne.jp/gimon/renzyau.htm
このサイトで連声についての記述がありました。

促音や連聲の書き方について 沼本克明『日本漢字音の歴史』昭和61年、東京堂(國語學叢書10)には、「平安後期以後の漢字音の變化」として、十項目を擧げてゐる。
同じ「さんゐ」でも、「三位」は「サンミ」、「散位」は「サンニ」と讀む。これは「三」がm韻尾の「さむ」、「散」がn韻尾の「さん」と、元來の發音が異なるゆゑである。また「オンミョウ(陰陽)」も同樣にm韻尾を反映してゐる。しかし後世になると兩者の區別が消滅し、m韻尾の字が n韻尾のやうな連聲現象をおこしたものもあり、扱ひに苦慮するところである。

以上です。
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2001/11/1114/51.htm
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kodaisi/koma.htm



失礼します

nt (2003/01/11 01:09)

初めまして。九州の大学3年の者です。
ひとつ質問があるのです。
「陰陽」という言葉がありますが、皆さんは何とお読みになられますか?
インヨウ?オンヨウ?オンミョウ?
陰陽道の本や辞典などで調べると「陰陽五行」は「インヨウ」。
「陰陽師」は「オンミョウ」というパターンがほとんどでしたが、
その根拠が解りません。
「陰陽」の読み方には何か法則などがあるのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。お願いします。



なるほど。

SMS (2003/01/11 00:57)

zoさんありがとうございます。
英語のDREAMがルーツなんでしょうか。他の外国語との関係も知りたいところですね。
中国から漢字が入ってきたのを考えると、英語→中国語(漢字)→日本語という流れでしょうか。
「アメリカンドリーム」とかが実は和製英語で、本来はDREAMには「かなえる夢」の意味なんかない‥
とかいうパターンも考えてはいたんですが、逆みたいですね。

根拠、ないかなぁ‥。





zo- (2003/01/10 15:59)

中国語でも、夢を見るは「作夢」とか「夢見」で、将来の目標は「夢想」とか言ったりします。根拠は全くないんですが、日本語も中国語も欧米の言葉からの翻訳ではないでしょうか。





SMS (2003/01/09 00:41)

「夢」って二通りの使い方がありますよね?
睡眠中に見る夢と、将来の目標としてかなえる夢と。
「夢」が「寝目(いめ)」から変化したものである、ていうのを辞書で知ったんですが、
それだと基本的には前者の意味になります。
それがどうして後者の意味を持つようになったんでしょう?
日本語だけじゃなく英語でも、どっちの意味にしても「DREAM」になるんですよね?
何か関係があるんでしょうか‥。



注音符号

zo- (2003/01/08 22:40)

注音符号で台湾語を書くことはかなり古くからあります。確か、注音字母として作られたときは、「国語」では用いない幾つかの補助的な「字母」で方言を書くことも目的とされていたような気がしますが、記憶違いかもしれません。



ピンインと注音符号

辻本裕幸 (2003/01/08 21:26)

あの「漢字と日本人」の著者である、高嶋氏は著作で、注音符号のほうが、ピンインより、合理的だといっておられた。しかし私自身、果たしてそうかな?と疑心暗鬼でいっぱいです。北京語に関していえば、音素の分類は子音、介母音、主母音+韻尾の三ヶ所で分離すれば十分で、主母音と韻尾を分離する必要は、現状では必要ない。その点では注音符号は、合理的でしょう。しかし、何かの弾みで、鼻韻尾のnだけなくなったり、iがuになったり、うまく説明できませんが、主母音と韻尾をどうしても、分離して表示する事に迫られるような、音韻上の変化が北京語に出てくるやも知れません。そういう時、面倒くさくても一音素一音素、書いているピンインの方が、対処に早く当たれるでしょう。音韻は普変では有りませんからね。と言うわけで、一長一短有って、どちらが良いかは言えないというのが私の結論で、高嶋氏が言うように、ピンインが特別不合理だともちょっと言えなさそうです。
 また注音符号のおかげで、中国人の音韻の観念も分かる時がある。高句麗人さんの説明で子や思、是、日などが音声学上は閉音節ではないことは分かりました。しかし中国人の観念上では、やはりこれらの漢字は母音のない漢字だと捉えられているようです。zi,ci,si,zhi,chi,shi,riはそれぞれ注音符号では後ろに母音のない子音だけの符号で、書かれていますからね。
 結局、ピンインにしても注音符号にしても、その対象とできるのは、普通語(北京語)だけであって、ピンインで、広東語を書き表す事や、注音符号で、上海語を書き表したりする事はできませんね。では結局、一つの言語を書き表すには、一定のルールを設ければ良いだけであって、その点では、やはりピンインも注音符号も一長一短ありますね。
 私も注音符号を覚えたいです。



いろいろ

zoー (2003/01/08 07:18)

注音符号は発音記号で、文字ではありません。

それから台湾でもwade式はそんなに一般的ではありません。

台湾のコンピュータの中国語環境は繁体字(こう呼ぶと、昔は中国語センターの先生に注意されていました)で打ち込んでも、ボタン一つで簡体字に変換できるので便利ですよ。鍵盤にはアルファベットも注音符号も書いてありますし。注音符号を知らない人が、台湾のコンピュータで繁体字の文章を書きたいと思った場合も、ピンイン入力で簡体字の文章を作り、繁体字に変換するということもできます。もちろん幾つかの字には注意しないと行けないですが。



Re: Alphabet song

massangeana (2003/01/08 05:30)

こんな記事がありました。
 http://groups.google.com/groups?threadm=90otj7$21p$1%40nnrp1.deja.com
中国の「英文字母歌」では L M N で切れているとのこと。
P で終わっているのは G P V Z で韻を踏ませるためですが, 英国式では Z がゼッドで韻を
踏まないので, 無理して P を持ってくる必要がないのかもしれません。



金剛山 ロシア語名

koma高句麗人 (2003/01/08 03:08)

:楡ノ家楠丸さんへ
>『金剛山』 は、ロシア語で "Кымгансан"
ご教授ありがとうございます。この場合は(ロシア人には発音しづらくても)朝鮮語音を尊重しているということですね。

訂正:ノムヒョン(盧武鉉)氏が…ロシア語ではHOMYXEH(ノムヒェン)>HOMyXEH



漢字入力

koma高句麗人 (2003/01/08 02:45)

注音符号は今のところ、漢字音を覚える為の振りがな的な物で、カタカナにたとえると、昔、日本での漢文についていたフリガナのような段階です。
「我想吃巧克力派」は「我想吃chocolate pie」と書く方が分かり易いと想いますが、「吃」以下のchocolate pieを注音符号で書いてもよさそうなものですがそうはなっていません。もし中文の中でもSeoulを注音符号で書けば、現行の「漢城」のような旧称に執着する必要もなくなります。

台湾のWade式では「毛澤東」はMao Tsetung、「桂林」はKweilinですが、台湾人が英語の媒体に触れると、Mao ZedongやGuilinのようなピンインを覚えることになるでしょう。
「朱熔基」の英語名はピンインのZhu Rongjiが一般的で、Wade式のChu Jungchiでは、分かる人はほとんどいないでしょう。
中国の個人電脳では簡体中文はピンインや五筆等で、一方、繁体中文は注音で打つようですが、どのキーがどの記号か覚えない限り、面倒です。

上海語の「儂」nongは、携帯では打てないのでしょうか。中国製の中文Windowsに付属的についている日本語入力IMEでは打てる漢字は日常的な常用漢字だけです。中国人にとって漢字の日本語の音など基礎的な物以外はわからず、極端な話、ひらがな、カタカナだけ打って、難しい漢字は、中文用漢字で打てばいいという事でしょう。それではこの掲示板の場合文字化けします。

ノムヒョン(盧武鉉)氏が英語ではRoh Moohyun(ロムヒョン、北朝鮮發音)なのに、ロシア語ではHOMYXEH(ノムヒェン)になっていることについて「どっちが正しいんだ」と悩む人もいるでしょう。北京語ではLu Wuxuanですから気にすることはないともいえますが。
http://www2.theta.co.jp/kanji/list.php



Re: 金剛山のロシア語表記

楡ノ家楠丸 (2003/01/07 22:52)

『金剛山』 は、ロシア語で "Кымгансан" ([クムガヌサヌ]。アクセントは -сан にあります)です。
 ロシア語には、硬軟(口蓋化の有無)の対立のある子音とない子音とがあります。б, в, д, з, л, м, н, п, р, с, т, ф などは硬軟の対立があります。たとえば、да(da) は 「ダー」 ですが、дя(dja) は 「ヂャー」 です。硬子音と軟子音との対立は、日本語の 「拗音でない子音と拗音」 との対立に似ています。
 ところで、ロシア語の子音には、その子音の性格上、硬軟の対立を持たないものがあります。たとえば、ш, ж(sh, zh) はそり舌音ですので、口蓋化することはありえません。ですから、硬音(無口蓋化音)しか存在しません。いっぽう、ч, щ (ch', shsh') は口蓋化された子音ですので、軟音しか存在しません。ц(ts) も口蓋化しづらいので、本来のロシア語には硬音しか存在しません。
 残りの к, г (k, g) は、後続の母音によって、子音の硬軟が決定してしまうので、現実の音としては硬音と軟音とが存在しますが、к, г の硬軟は音韻的な対立を成しません。つまり、ка, ке, ки, ко, ку; га, ге, ги, го, гу しか存在しないのです。これ以外の綴りが現れるのは、間投詞、外来語のいずれかです。
 кы, гы という綴り・発音は、おもに、もとのソ連領内のトルコ系民族、シベリアの少数民族の固有名詞を転写する際に現れますが、ロシア語として頻用される固有名詞では、кы, гы は ки, ги にロシア化される傾向にあります。



台湾では

zo- (2003/01/07 19:37)

台湾の小学生は注音符号を使って勉強しますし、注音符号つきの子供向けの本もたくさんあります。私は日本でピンインで勉強してから言ったので、注音符号はコンピュータを使い始めたときに覚えただけですか。どうしてどちらがいいか、という話に進んでいくのか私には理解できませんが、コンピュータの入力には、例えば張などピンインだとzhangの5回に対して、注音符号は最高3回なので、私は気に入っています。どっちにしても慣れでしょうが。



ありがとうございました。

辻本裕幸 (2003/01/07 16:11)

ロスケさん、狐の悠さん、ありがとう。ABCの歌どうやって歌うかわからなくて、夜も眠れなかったのです。これで今晩から安心して眠れそう。いっつも、A〜kぐらいまで口ずさんで、詰まってしまい、気分が悪くなってしまいましたからね。でもこんなにいろんなパターンがあるなんて知りませんでした。
 zoさんへ
 すると、台湾ではあの注音記号を使って、漢字を覚えるのでしょうか?あのほうが独創性は有って良いかもしれません。ただ良くは分かりませんが、あの記号では例えば、anの発音は一文字で表しますよね?aとnを分けて表示できないことによって、不都合もあるでしょうし、あえて、aとnを分ける必然性が無いとしたら、合理的でも有るといえそうです。ですから大陸のピンイン字母と台湾のあの注音記号、どちらが良いかは、一概に言えないでしょうね。



Re:Alphabet song

狐の悠 (2003/01/07 14:18)

私が知っているものとWebで見つけたものを幾つか。
・日本語版
A B C D E F G / H I J K L M N / O P Q R S T U / V W X Y Z / ハッピーハッピー楽しいな / みんなで歌おうABC
#かなり古くから知ってるのがこれです。

A B C D E F G / H I J K L M N / O P Q R S T U / V W X Y Z / ハッピーハッピーたのしいな / ABCをうたいましょー
#後半の訳はこれ以外にもバリエーションがありそうです。

・英語版
A B C D E F G / H I J K LMNO P / Q R S and T U V / W X and Y and Z / Now I know my ABCs / Next time won't you sing with me.
#アルファベット部のバリエーションがいくつか。

A B C D E F G / H I J K LMNO P / Q R S T U V / W X Y and Z / Now I've sung the ABC's / Won't you come and sing with me
#ディズニー版がこの歌詞ですね。

A B C D E F G / H I J K LMNO P / Q R S and T U V / W X and Y and Z / I've just sung my ABC's / now it's your turn, follow me.
A B C D E F G / H I J K LMNO P / Q R S and T U V / W X and Y and Z / Happy happy all are we / Now we've learned our ABC's !
#2コーラスありました。これが日本語版の「ハッピー」の元でしょうか。

A B C D E F G / H I J K LMNO P / Q R S T U and V / W X Y Z
#これは後半が見つかりませんでした。

A B C D E F G / H I J K L M N / O P Q R S T U / V W and X Y Z / Now I know my ABC's / Won't you come and play with me?
#英語版でもLMNOがくっつかない例です。

A B C D E F G / H I J K L M N / O P Q R S T U / V W and X Y Z / Happy, happy, shall we be, / when we learn our ABC's.
#もう一つありました。英語圏でもくっつかない方が発音しやすいんでしょうか。

A B C D E F G / H I J K LMNO P / LMNO P Q R S T / U V W X Y Z / Now I've said my ABC's / Ha ha, ha ha, ha ha, sneeze!
#これはなんとLMNOPが2回……



サインについて補足

zoー (2003/01/07 03:13)

下の投稿のサイン云々は日本のパスポートのことです。



台湾では

zoー (2003/01/07 03:09)

ピンインはほとんど使われていません。というか、外国人向けの教科書に稀についているものもあるだけなので、現地の人の生活では全く使われていないと言った方がいいかもしれません。

個人的にはアルファベットは統一されたものが有った方がいろいろな意味で便利だと思います。ちなみにパスポートのサイン(英語名ではなくて)の欄は、漢字でもアルファベットでもよく、そこでは、アルファベットを使った場合、必ずしも英語名と全く同じ出なければならないということはないので、例えばGeorgeでもいいかもしれません。

ちなみに私は、名前や国籍や民族で自分のアイデンティティーを確認しようという気は全くないので、自己の主張よりも、便利さの方に賛成です。



RE: ABCの歌

ロスケ (2003/01/07 02:58)

こんな風ではなかったかと思います(私の知っている日本語版が標準とは限らない)。
英語版  ABCDEFG HIJKLMNOP QRS TUV WX YZ
日本語版 ABCDEFG HIJKLMN OPQRSTU WXYZ



ABCの歌

辻本裕幸 (2003/01/07 00:43)

どなたか、ABCのうたの、日本語版と英語版の違いを教示していただけないでしょうか?たしかkまでは同じのはずですが、そこから先の音の切り方が違うだったと記憶しています。



zoさんへ

辻本裕幸 (2003/01/06 23:59)

パスポートの名前といえば、韓国人も比較的自由につけられるようです。朴が、parkだったり、bakだったり。林がlimで李がleeなのに、柳はryou(スペルは怪しい。言いたい事は語頭がrである事)蘭はranだったり、lとrの区別もはっきりしていない。台湾人もパスポートの名前あんまりはっきり決まっていませんか?大陸のように、ピンイン字母のような公式のローマ字が定められていると、ここまで自由にはできないでしょうね。でもウムラウトuとかはどうするのか?日本人は公式のローマ字なんて無いのに、ほぼ一様にしか、方式が許されていないのは残念です。人によっては裕幸のろをrでなくてlの方にしてほしいと言う人もいるでしょうに。またある友人は両親がジョージハリスンの信奉者で譲治と名づけられたそうですが、彼にとってはパスポートにSakamoto Jojiと書かれるより、Sakamoto Georgeと書かれたいでしょうね。
 台湾では大陸のピンイン字母は全く使われていないのですか?



Re:メール漢字

狐の悠 (2003/01/06 14:34)

いっそ、PCから携帯電話に使いたい漢字を書いたメールを送って、それをCopy&Pasteするなり
辞書(或いはライブラリ)登録するなりすればいいのではないでしょうか。

で、漢字コードの取り扱いに興味がおありなら、どのように実装されているかくらいは調べてみては如何でしょうか。
最早、共通化なんて遠く及ばないところまで混乱し切っている現状を楽しんでいただけるかと。



メール漢字

辻本裕幸 (2003/01/06 12:06)

あと上海語のnong好!も出せると助かるのですが、それも出ません。訓読みわしと入れても出ません。携帯電話に入っている漢字はさらに文字数が少ないでしょうから、ちょっとでも、難しい漢字は出ないでしょうね。だって、携帯メールはもともと、超ムカツクーとかその程度のおしゃべりのためにある物ですからね。うーむ参った。
ところで、中国語辞典にはshenmeのmeの別読字として、末が載っているのですが、什末と書くのは良いでしょうか?
ニーハオは、恐らくもっとも日本で有名な中国語の一つなのですから、外来語として登録してほしいです。カタカナでニーハオといれたら、漢字で出てきても、良さそうな物ですが。
何といっても、やはり漢字圏は文字の電波記号を全て共通にしてですね、中国語ソフトで字を打ってもちゃんと、日本の方にも届くようにするべきです。現状では中国語で打ったら、文字ばけしちゃうでしょ?こんなんではまだ、あのフェニキア人の作った文字から始まった、ローマ字とかいう文字に勝てません。



KOMAさん

zoー (2003/01/06 01:02)

茶の発音はいろいろな方のご教示で、諸説あることが分かりましたが、ずっと気になっているところは言葉として「ちゃ」だから北方系というのは、余り根拠がないのではないのか、ということです。私は知識的についていくのが難しくなっていますが。

台湾の地名の英語名、日常英語圏でどれが使われているかということなら、ある程度決まっているのかもしれませんが、台湾はローマ字表記が決まっていないので、道路標示や政府関係でも末端のほうだと、全くばらばらで表記法も2つ3つではないようです。高雄の場合、他にどういう例があるか、知りませんが。パスポートの名前も勝手に個人で勝手につけていて、お父さんと子供の英語のfamily nameが違うということも珍しくありません(笑)。



追加「麼」について

高駒麗人KOMA (2003/01/06 00:24)

「什麼」、「怎麼」の 「麼」は「麻」と「幺」(「广」の中に「林」と「幺」)です。
「魔」や「摩」と間違えないように気を付けましょう。
大陸では「麼」と「郷」xiangが「幺」yaoとそっくりになっていますが、三つとも別の字です。
日本人が日本語用ワープロで中国語を打って「什幺」と書いて雑誌として載ったことがありますが。これは誤りです。



什麼?イ尓們 怎麼 了?

高駒麗人KOMA (2003/01/06 00:15)

訂正:高雄の英語名でKaohsiungの他にKaoshunもある。
しかし、北京語のaoは本来「au」です。「高」の音読みは昔の日本語ではカウkauでしょう。

「イ尓」ni3は流石に日本語のJISでは出ませんね。
「尓」音読み「ジ」「ニ」。訓読み:「なんじ」、「しかリ」、「のみ」
http://www2.theta.co.jp/kanji/list.phpハイパー漢字検索



キルギス等について

高駒麗人KOMA (2003/01/06 00:05)

poronupさんへ。白老のアイヌ民族博物館のサイト、ありがとうございます。
http://www.ainu-museum.or.jp/
pirkaの歌詞を教えてくださりありがとうございます。記憶がよみがえりました。
松茸さんへ
>現在のキルギス語でのキリル文字表記は"Кыргыз"
やはりそうでしたか。ロシア語では"Киргиз"ということでしょう。
http://www2.nsknet.or.jp/~yanyan/index.html(トルコ関係guestbook)
楡ノ家楠丸さんへ
>「キルギス」 のトルコ語表記:【ki{点なし}rgi{点なし}z(istan)】
やはりКЫРГЫЗは Kırgız でしたか。参考になります。

ロシア語ではКыはなくてКиにするという事でしょう。
すると朝鮮の金剛山は、キリル文字表記なら本来
Кымгансан の筈が、ロシア語では
Кимгансан になるのでしょうか?
朝鮮語では人名の金は「フ1」の下に「ロ」を書いた Kim(Ким)ですが、
「金属」、「金剛」の金は「ユ」の下に「ロ」を書いた Keum(Кым)です。
ロシア語ではこういう区別はしないということでしょうか。高雄の英語名でKauhsiungの他にKaushunもあるのと似ています。外国語の地名も発音しやすいように綴りを改められる事があるのでしょう。

辻本さんへ
怎麼zenme、甚麼(什麼)shenme、多麼duome、那麼name、我們womenは携帯電話の日本語漢字では出ませんか。
「怎」zen 音読み「シン」、訓読み「いかで」「なんぞ」、部首「心」
「麼」mo,me音読みは「マ」。部首は「麻」、「广」
「們」men 音読み「モン」。訓読み「たち」「ともがら」
友達「ともだち」の「達」は当て字かもしれません。

「茶」については、日中いずれも tiaのような発音がchaになったわけで、cha系列もt系列の訛りです。日本語のチャがどちらか悩むときりがなくなると思います。



Re: キルギスのトルコ語表記

楡ノ家楠丸 (2003/01/05 03:46)

「キルギス」 のトルコ語表記を見つけたので報告します。
 【ki{点なし}rgi{点なし}z(istan)】



辻本さん

zo- (2003/01/05 01:13)

任何は疑問代詞(どれ、なに、どこ)ではなく、不定代詞(どれでも、なんでも、どこでも、或いは、どれか、なにか、どこか、など)なので、疑問としての「どこ」「どれ」は表せません。場所を尋ねるなら「何地」「何許」、選択を求めるのなら「孰」が使えると思いますが、特に「何許」「孰」の場合、文言文に用いないと誤解されると思います。

事情であと一週間、コンピュータが使えるようになりました。



ともだちの、だち

辻本裕幸 (2003/01/05 00:30)

zoさんありがとうございました。どこ、どれのnali、nageは任和地方、任和一個を使うというのは、どうでしょう?
また質問で恐縮ですが、ともだちのだちは音読みでしょうか?訓読みでしょうか?いつもまよいます。



又、皆さんとお別れです。

zoー (2003/01/02 13:16)

又数日で、コンピュータの使えない環境になるので、その前に何か書込ませていただきます。

辻本さん
 昔、書院のワープロを使っていたときは、一休さんで懐かしい「そもさん」を入れると、什me生が出ていました。(ちなみに「そもさん」は本当は「zenーme生」らしいです。)ちなみに、コンピュータでは出ません。コンピュータだと「什」を出すときは「じゅうもつ」で「什物」と出ます。私も昔、日本語ワープロで中国語を書くとき二人称の「ni3」は非常に困り、結果的には造字しましたが、それまでは「汝」「爾」を使っていました。名前で代用するときに、注意しなければならないのは、日本語で「田中さんは学生ですか」と言った場合、「田中さん」は二人称の可能性も三人称の可能性もありますが、中国語で「陳先生是学生ma?」と言った場合、「陳先生」はほとんどの場合(原則的に)三人称で、二人称の場合は「陳先生、ni3是学生ma?」ということが多いという違いです。ですから話し掛けの言葉で、「ni3」を使わないって不可能なんですよね。この差異でコミュニケーションに誤解が生じたということは余り聞きませんが。

それから、三人称の女性は「他」ではだめですか?女偏、人偏はそんなに厳密に区別しているわけでもないような気もするんですが。

zen-meの替りに「如何」を使うのはどうでしょうか?

携帯電話は使わないのですが、日本語のコンピュータで中国語常用字を簡単に出すにはどうやったらいいかは私も教えていただきたいです。



eメールについて

辻本裕幸 (2003/01/02 00:45)

私の密かな楽しみとして、日本で携帯電話のメールを使って、中国語のEメールを送る事である。無論携帯に中国語機能は付いていないので、全部、日本語漢字を使って書きます。ニーハオのニーが出せません。これは、相手の名前を呼ぶ事か主語省略で解消していますが、(例>小王好!)何か、ほかに良い方法はないでしょうか?這個ははうと入れれば、出ますね。三人称が女性の場合はこれまた漢字がないので、該当人物の名前を呼ぶしか手がありません。zenme、甚me、那me、多meなどの、meはどうやったら出せるでしょうか?これはまだ解決方法さえ考え出せません。そして、一番現時点で困るのは、zenmeが出せない事です。何か良い方法はないでしょうか?とりあえず、これはお遊びでやっている事なので、ピンインは使わないで書きたいという、意地があるのです。語気助詞などは阿尼馬など、口偏が無い漢字で代用しています。我menのmenはそのまま、門を書いております。もっともせっかく、中国語で送っても、相手の中国人からは日本語で返事が来るのですが(日本語のどの漢字と中国語の漢字が同じか?と言う事が必ずしも、留学生は把握していませんから。日本語で書く方が早いのでしょう。)



明けましておめでとうございます。

辻本裕幸 (2003/01/01 13:04)

あけましておめでとうございます。今年もよいお年を。今年もまた言葉の世界でみなさんといろいろ、言葉を考えていきたいと思います。



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