日本映画データベースを増補


黒木太郎の愛と冒険

製作=馬道プロ=ATG 
1977.09.17 
110分 白黒
製作 ................  西村隆平 馬道昭三         ATG 127号

▲2013年11月、オーディトリウム渋谷にて
  展示ポスター
企画 ................  多賀祥介
監督 ................  森崎東
助監督 ................  山下稔
脚本 ................  森崎東
原作 ................  野呂重雄
撮影 ................  村上雅彦
音楽 ................  佐藤勝
美術 ................  田口和雄
録音 ................  神蔵昇
照明 ................  北沢保夫
編集 ................  冨宅理一 大島ともよ
 
配役  
黒木太郎(文句さん) ................ 田中邦衛 ATG127号
菊川菊松 ................ 財津一郎
牧子 ................ 倍賞美津子
ゴメさん ................ 伴淳三郎
加津江 ................ 清川虹子
満江 ................ 沖山秀子
信太郎 ................ 小沢昭一
豊太郎 ................ 三国連太郎
君島女教師 ................ 緑魔子
吹雪 ................ 杉本美樹
吹雪の夫 ................ 岡本喜八
手配師A ................ 火野正平
手配師B ................ 殿山泰司
労務者 ................ 井川比佐志
伊藤銃一 ................ 伊藤裕一
太田勉 ................ 太田聖規
荒木公一 ................ 荒木健一
絵美 ................ 深沢綾
和美 ................ ひろみ
待合の女将 ................ 赤木春恵
赤田 ................ 麿赤児
エバ ................ 森みつる 『黒木太郎の愛と冒険』チラシPDF



       黒木太郎の愛と冒険  略筋  <野原藍『森崎東篇』映画書房より>
        (ピンク文字は池田の補記)

 俺は伊藤銃一(伊藤裕一)、定時制高校に行っている。勉(太田聖視)と公一(荒木健一)は中学時代からの親しい友達で、いっしょに八ミリ映画を撮ったりしている。勉の家族は、パーマ屋をやっている太っ腹のお袋さん(清川虹子)、通称大婆と、伯父さんでスタントマンの文句さん(田中邦衛)と元女優の奥さんの牧子さん(倍賞美津子)と子供の白百合ちゃんの五人暮らし。おれは大人のオモチャ屋で元刑事の菊松さん(財津一郎)とここに下宿している。バイト先で知り合ったゴメさん(伴淳三郎)が世話してくれた。ゴメさんは肝臓が悪くて入院中だけど、文句さんに雇われてバクチの負け金の取り立てえおやっている。
 俺は牧子さんにぞっこん惚れてるけど、ゴメさんが教えてくれた最高の恋は忍ぶ恋ってことで。それが屈折して、公一の恋人の絵見(深沢綾)と寝てしまった。もし女なら結婚したいぐらい公一は素敵なやつなのに。殴ってくれって言ったけど、男の仲直りはトルコで回せって菊松さんのすすめでトルコに行ったら、絵見がトルコ嬢になってて二人とも叩かれてしまった。勉は勉で、軽い気持ちで寝た女がバージンで、以後いつも違う女とデートしているみたいだ。
 ゴメさんが路上で死んだ。酒厳禁なのに酒を飲まずには集金できなかったからだ。文句さんと二人でゴメさんのお骨を持って、娘さんを訪ねたら、唖の夫婦(岡本喜八、杉本美樹)で床屋やってるけど、絵に描いたような貧乏暮らし。湿疹だらけの赤ん坊、茶碗に蚤は落ちてくる、なんと天井一面の蚤なのだ。お客が来るわけがない。菊松さんの話では、二階にオールドミスの教師(緑魔子)が猫三十匹を飼っていて、その蚤なんだそうだけど、居住権やら何やらで、警察も校長も手が出せない。なんでも彼女、昔生徒に強姦されてから意固地になっちゃんたんだそうだ。
 正義の味方文句さんは、すぐに俺を連れて引き返し、俺の肩車で窓から女先生の部屋に押し入った。俺はその後、ジープで一晩待たされたけど、文句さんの大声や猫が窓から降ってきたりした後シーンとなって。
 翌朝、女先生は猫をつめたダンボール箱二つ自分の車に乗せて出かけてったけど、すがすかしいいい顔をしてた。文句さんのセリフ「ほんとうの菩薩だ、あの人は」、強姦はもういっぺん強姦しなおすといいっていってたけど。
 俺の留守に親父(三国連太郎)が来たっていう。親父は元砲兵隊長でたった一人の生き残り、精神病院にいるはずだったんだけど・・・。
 思いがけないことに、呼び出しがかかって神楽坂の料亭に行ってみたら、憧れの牧子さんが酔っ払っていて、俺と浮気したいっていう。文句さんが、女先生をゴーカンしたこと猫を殺したことなビを告白して、彼女は白百合ちゃん連れて家出して来たんだそうだ。俺は必死になって否定した。{文句さんは何もやつてない、夢をみたんだ}それから、奥さん主演の映画撮れたら死んでもいいなんてことも口走つてしまつた。
 無性に親父に会いたくなって,親父を見かけたことのあるガード下の呑屋に行つてみたら、労務者たち(殿山泰司など)が賭けをしていた。元中隊長が、ほんとに切腹するかどうか……。そこへ労務者(井川比佐志)が駆けつけて急を知らせる。
 親父は戦死者の墓の前で死んでいた。血まみれの軍服と軍刃、『遺書』という本を残して。
 八ミリに出てもらったこともある勉の従妹の和美(鶴ひろみ)が家出した、中三なのに毎晩外泊するので父親が叱ったんだそうだ。公一が来て、絵見のいるトルコの女子寮にいるんじゃないかっていう。あそこはヤクザが仕切っているからって、文句さんと勉と俺、三人共スーツ着て武器持ってジープに乗った。
 なんとか武器は使わずに、ムリヤリ和美をつれ戻した。公一は絵見をしきりに見てたけど。和美を横須賀で芸者の置屋やってるチイ婆(沖山秀子)んとこに隠す手筈を整えたら、和美がゴネ出した。女子寮に戻りたい、売春やってなぜ悪いと。家出歴二十回の文句さんが、裏街道行くなら指つめろの論法でようやく説得、横須賀に着いたのは朝だった。
 俺たちの留守に文句さん、やっぽりヤクザにやられた。重態。「あたしのせい」って和美は泣き叫んでたけど。
 俺はみえないものに押されてる感覚で、パトカーで連行されようとしてるヤクザ二人に短刀一本で立ち向かづて行った。親父と昔歌った「砲兵の歌」を歌いながら。ゴメさんがいってたけビ、俺は坂木竜馬の生まれかわりなのだ!
翌年の春、俺は刑務所を出た。俺にとっての大学卒業だ。やっと本物の映画が撮れそうな気がする。

      岡本喜八   「黒木太郎の愛と冒険」出演日記

 昭和五十二年四月一日。金。晴。
 「こんちわァ監督、しばらくですゥ」
と、しぼらくぶりに田中邦衛さんから電話がかかってきた。
 「急にヘンなお願いスけどねェ、監督ちょこっと出てくれますかア…?」
 ちょこっとなら、多分飲み屋の客A、B、Cぐらいだろうし、監督の森崎トンさんとは横浜の昌平さんの学校で一、二度しか話したことはなかったが、まことに魅力的なジンブツだったし、黒木大郎役の邦さんには、私の手づくりの仕事<肉弾>にも<吶喊>にも真っ先に駈けつけて貰ってるし、それに、同じ手づくりの仕事と聞けば、ま、なにを置いても助っ人に駈けつけずばなるまい。
 「うん、出る出る…!」
 「そスか?ワリィなあ…!」
 「で、邦さん、一体どんな役よ? 俺一ぺん初老の無口な殺し屋ってえのやってみたかったんだけどさ」
 「ワリィけど床屋なんスよ、物凄ォくビンボーでさァ、おまけにオシでツンボの床屋…」
 「で…?」
 「なんしろ、二階に猫が二十匹ぐらい居てですね、うるせえってんで、怒鳴り込んでゴーカンするンスよ」
 「俺が? ゴーカン!?俺、もうツトマんねえよ!」
 「いや、俺がスょ…!」
といった調子だからよく判らない。ともあれシナリオを届けて貰うことにして電話を切ったのだが、よくは判らなくても、物凄ォくビンボーなってところだけは、妙に自信があった。
 昭和四十二年度作品だから、ざっと十年前になるか?
 <日本のいちぼん長い日>撮影中に見学に釆ていた元書記官長の迫水さんが、 「あんな貧弱で貧相な監督で、こんな映画撮れるのかね?」と、言ってたそうだからである。
 同四月二日。土。晴。
 製作係君が持って来てくれたシナリオを見て、仰天する。
 伴淳さんのムスメムコ(ムスメは杉本ミキさん)で、一家心中寸前なほどビンぼーの廃業中の床屋、これは、ま、良いし、年齢は四十歳、これも、ま、部分シラガ染めやら何やらで何とかなりそう、問題は、その床屋の耳とロが不自由で、不自由だけなら良いんだけれども、田中邦さん扮する太郎にお茶を出したら、その茶碗の中に天井からノミが落っこって、そのノミは人間のノミではなくて、二階に間借りしてる女教師が二十匹も飼ってる猫のノミなんです、スミマセン、なんてことを、手ぶり身ぶりで説明する、なんて芝居がちゃんとあったのである。
 パントマイムなんてものは、素人の私なんぞにはてんで難しい、困った、どうしよう? 何,ちょこっとだ?とやたら困っていたら、「このたびは、どうも…」とトンさんから電話があって、「パントマイムに期待してます」なんて言われちゃって、期待されてなきゃあまだ良かったんだけれども、期待されてちゃ大変だと、ますます困ったものである。
 でも、ま、引き受けた以上は仕方がない。下手は下手なりに一生懸命やろうとホゾを固め、一年ぶりに床屋へ行って髪を七三に分け(トンさんの狙い)。生まれて初めてポマードを買い、オフクロの形見のワタのはみ出した袖無しやら、助監督時代の破れたシャツやら汚れたズボン、森崎組御一同様への差し入れ用ウィスキー一本、ムスメから借りた手鏡等々をカバンに詰め込んだ。
 同四月四日。月。晴。
 昨日は、一日中屋根裏の仕事部屋にコモって、パントマイムの稽古に明け暮れた。本番でその通り動けるかどうか? はてさて?
 五時起床。顔も洗わずに出かける。目クソをくっつけたまんまの方が、一段と貧相に見えると思ったからだが、この目クソ、横須賀線のどっかで落っこちてしまった。 
 現場は、横須賀からクルマで三十分ばかりの、のどかな小さな漁村(三崎?)である。
 トンさんには、「同業者とは思わないで、ビシビシやって下さい」とだけ頼んでおいて、あとはただただ無我夢中の一日であった。
 試写では見ないで、やっぱりちゃんとお金を払って小屋で見ようと思っていたら、読売新聞の批評の中に“岡本喜八怪演”と出て、とたんに、やたらとコッパズカシくなり、見に行けなくなった。
 見たのは一午後、並木座の隅の柱の蔭でコッソリと、である。なるほど“怪演”以外のナニモノでもなかった、ようであった。 (映画監督)

    (野原藍『にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇』映画書房,1984年,pp.142-143)

     創造のための重い時間  田中邦衛
 
 森崎組の撮影のとき、そんな場面に、ニ、三度遭遇したと思う。
 あれはテレビ映画のときだったろう。連続テレビの何話目かに、森崎さんが釆た。撫然というのでもなぃ。ごく自然に、不愛想に、森崎さんは来る。スタッフのほとんどが、森崎さんとは初めての出会いだったと思う。現場で働くもの同士の、相手の腕を確かめ合う、ちょっとした緊張の時間が流れる。
 それから後、森崎組は、たびたび撮影が深夜に及ぶのである。
 真夜中、二時ごろ、監督は、 「向こうの壁をはずして欲しい」という。一瞬、助監督はためらぃ、遠慮がちにいう。「あの、監督、あの壁バックで、もうワン・カット残ってますね、それを先に撮っていただけますか。そうすれば、あと、壁ははずしっぱなしでいいですから」
 そういうとき、森崎さんは、わりと決然と、でも静かにいう「オレがはずしてくれって、いったろう、はずせよ」
 助監督の眼に、ちらっと困惑が流れ、彼は沈黙する。照明の若い衆の、なんとも生々しい吐息がもれる。そのため息が、あたりの空気を重くする。そんなときを、森崎さんはつくる。というか、創っていると森崎組にはそんな時間が、かならずやってくる。
 そして森崎さんは、ちょっと眼をふせめにし、静かにタバコを吸って壁がはずされるのを待つ。静かである。静かといっても、ハードスケジュールで、寝不足のスタッフは屈折して、こんな場合なんと声を出していいかわからないから沈黙するのである。こんなとき、森崎さんは、静かに決然としているが、孤独だろうと思う。孤影梢然……。
だが、か、だからこそできあがった作品は、そのシリーズ最高の出来の一つに、確実になる。ほんとうに確実にと、その度にぼくは思う。そして、なにかものを創るのには、そんな孤独で、重い時に耐えねばならぬのを、ぼくも照明の若い助手も、なんとなく納得するのである。
 茅ケ崎の森崎さんのお宅にお邪魔して、ニ、三度酒を飲んだことがある。といってもぼくは飲めないので、奥様の手料理をひたすら食べるのである。そして森崎さんは必ず「歌おう。ク二さんうたえ、下村うたえ! 太田もうたえ!」と命令する。「よし、オレ、うたうぞ!!」と、歌謡曲も、ロックも、フォークも、みんな一様に応援歌みたいにして、朗々と、いや、うめくようにうたうというか、まあ、ほえるのである。このとき、森崎さんが暗くうめいているのか、或は、ふっと歴史の波に身をまかせて、ほえているのか、ぼくにはわからない。暗いようでもあり、ずぶとくあかるいようでもある。
 その頃になると、下村優、太田聖視という、優秀で、とめどなくあつい師匠おもいの弟子たちも、沢田研二や、民謡を、師匠をおっぽっといて、勝手にうたい出す。
 そして、海からの風が、なんとも荘洋とした昏いに、ぼうぼうと鳴って和したりする。暗いようでもあり、あかるいようでもある。 (俳優)

       野原藍編『にっぽんの喜劇えいが 森崎東篇』(映画書房,1984年,p.176)
     
       『黒木太郎の愛と冒険』    池田博明記  2001年10月

黒木太郎の愛と冒険 昭和52年(1977年)公開のATG(アート・シアター・ギルド)映画。公開当時に見た時は、映画のスタントマン・黒木太郎(田中邦衛)が、暴力団の事務所に乗り込む際の画面に感心した記憶がある。映画のなかに、森崎さんの兄で終戦直後に割腹自殺した森崎湊の本『遺書』が出て来るので、当時の森崎映画のよき理解者、白井佳夫さんの「この映画は森崎さんのいわば8 1/2だが、失敗作」という評価が念頭から離れずに、見てしまった。ATGで公開した作品の中では、おそらくもっとも不入りで、かつ不評だった映画である。しかも白黒作品。

 BS2のミッドナイト映画劇場で、2001年8月21日にATGの『股旅』(市川昆監督)、そして22日に、この映画が放映されるはずだった。ところが、台風情報のため、一週間延期になったのだった。ようやく満を持して、私にとっては24年後に2回目を見ることができた。森崎湊 遺書

 2回目を見て、森崎さんがこの映画にこめた想いがやっと分かったような気がした。森崎さんの兄・湊が『遺書』に書き遺した、戦争を憤り、そして戦後にかけた呪詛の言葉はそのまま、現代に当てはまるのだ。“いまは戦争中”なのだった。

 出演しただけで、森崎ワールドをかもし出す役者たち。主役の田中邦衛。そして、太郎の妻・倍賞美津子、おおばあ・清川虹子、ちいばあ・沖山秀子、ネコ狂いの女教師・緑魔子。これら重量級の女優の存在が圧巻である。

 三人の若者は狂言まわしの役どころだが、ガン(伊藤裕一)は映画の語り手でもある。

 男たちも森崎映画の常連たちで、「大人のオモチャ」屋の財津一郎、飲んだくれて汚物を片付け横死する伴淳三郎、若者ガンの父でガダルカナル戦で生き残った砲兵隊長・三国連太郎、おおばあに惚れている小沢昭一、酒場の飲み仲間で割腹自殺を目撃してしまう井川比佐志、飲み仲間の火野正平、飲み仲間の殿山泰司。

 そして聾唖の貧乏夫婦の妻役を、当時東映のスケバン女優だった杉本美樹がノミにくいつかれた感じで汚く(!)演じている!気の弱そうな夫を演じているのは映画監督・岡本喜八。

 一枚の画面に映し出されるヒトや風景は、過剰なメッセージを持っていて、それを受け取る観客の精神こそが、映画の意味を作り出す。単調な精神で見れば、映画はひどく散漫なつまらない物語に見えてしまう。森崎映画の過剰なメッセージが、物語を内部から破壊してしまう。

 ちなみに、この映画でもっとも可笑しいのは財津一郎である。彼の芸は特別製である。この映画で彼の口癖は「ニワトリはハダシよ」。いったいこの言葉の意味はなんだろう? 彼の説明によると、「お手上げだ」ということだそうだが。なぜそんな意味になるのか、繰り返されるうちになんとなく納得できてしまうから、不思議だ。

 いまどきだったら、こんなに非商業主義な映画は作れません。

        藤田真男  SLOW TRAIN  日本映画遺産より 

           指定第29号 森崎東の御真影  一部を引用

 明治天皇の「御真影」と 大阪庶民からの手紙  (2004年4月30日記)

 ボロ家に住みながら女道楽をやめないグウタラ亭主・花沢徳衛が「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」と昭和天皇の終戦の詔勅をまねて女房に不平を言うと、内職しながら耐えがたきを耐え続けた女房の清川虹子も天皇の口グセをまねて「あっ、そう」と亭主を無視する。テレビからはNHKの「君が代」が流れ、夫婦の頭上には明治天皇・皇后の肖像写真、いわゆる御真影が飾られている(ビデオではトリミングされて、よく見えないのが残念)。
 これは森崎東監督のデビュー作『喜劇・女は度胸』(1969)の一場面だ。
 森崎映画に必ず便所が登場するのは有名だが、天皇の肖像も登場するということを僕に教えてくれたのは、映画仲間の医大生・大森一樹君(現・監督)だった。
 のちに『女生きてます・盛り場渡り鳥』(1972)の試写会のあとで森崎監督に初めて会い、天皇の肖像のことを確かめたところ、やはり大森君の言うとおりだった。森崎さんは「いやぁ、そこまで見てくれてますかぁ」とテレながらも感激していた。が、彼がなぜいつも天皇の肖像(ときには日の丸や君が代で代用)を、しかも便所と並列させるように画面に出すのか、その理由は聞かなかった。彼の思いが何となく理解できたのは、もう少しあとのことだった。
  
        (中略)

 森崎東督の松竹映画『野良犬』(1973)も、実質的な主役を演じたのは、志垣太郎だ。
 この映画は単に黒沢明の『野良犬』(1949)のリメイクだと思われているが、実はそんな映画ではない。志垣ら沖縄出身の少年たちが刑事・渡哲也から奪った拳銃で、ひとりずつ憎い日本人を殺していく。最後に残った志垣は誰を殺そうとしているのか。
 逮捕された少年が刑事に向かって言う。「俺たちがやりたかった一番憎い奴をやりにいった」と。
 続いて少年たちの仲間の少女の主観ショットとして、彼女がバスの窓から見た皇居と警視庁がカットバックされる。このシーンを見逃したら何も見なかったのも同じなのだが、公開当時、森崎監督の意図を正しく理解した日本人は、ほとんどいなかったようだ。
 『野良犬』は6人の沖縄の少年が天皇を裁こうとした物語だ。6人のうち1人は刑事に尋問されて沖縄人ではないと言うが、何者なのかは言わない。おそらく朝鮮人ではないか。
 舞台となった川崎には朝鮮人も多く、画面に北鮮系の看板も映る。この映画は確信犯として天皇暗殺を具体的にほのめかした唯一の日本映画だといって間違いないだろう。
 とはいえ『野良犬』も、沢田研二が原爆を手に皇居を睨んでいた長谷川和彦監督の『太陽と盗んだ男』('79)も、『風流夢譚』も、すべて作者たちの妄想にすぎない。
 妄想を現実と混同して、妄想の自由すら奪おうとする者がいるなら、戦時中の検閲官よりタチが悪い。

 ゴールディ・ホーン主演『ファール・プレイ』('78)の劇中歌劇『ミカド』は天皇が男女の恋を取り持つ他愛のないお伽話らしいが、日本ではいまだに上演されていないようだ。
 19世紀末にロンドンで初演された『ミカド』の舞台裏を描いたマイク・リー監督『トプシー・ターヴィー』('99)も未公開でBS放映のみ。アニメ・シリーズ『サウスパーク』の一編に『チンポコモン』(これが原題で、ポケモンにかけられたシャレ)というエピソードがあるが、天皇を風刺した内容のため日本では放送もビデオ化もされないだろう。
 おそらく、このアニメ『チンポコモン』を自由に見ることのできない国は、地球上で日本と北朝鮮ぐらいかもしれない。韓国には「日帝36年の朝鮮支配は南に軍隊を、北には天皇を残した」というジョークがあるそうだが、なかなかスルドイ指摘である。天皇制の是非はともかくとしても、「夷敵」の文化を寛大に受け入れられないうちは、日本は文明国にはなれないだろう。

 森崎湊著『遺書』('71・図書出版社)
 森崎東監督の兄・湊の16歳から20歳(1944年)までの日記をまとめた本。戦争末期、特攻要員となった森崎湊は敗戦の翌朝、割腹自殺をとげた。敗戦を認めず決戦を主張する将校たちを覚醒させるためだったという。「私は今でも憶えている……『東条英樹は出世主義者であり、落語家である。ありつが十四や十五の遊び盛りの少年を殺すのだ』という故人の憤激の声を。『皇居遙拝だけに熱心で、工員の怪我には全く無関心の経営者のいるような軍需工場なら、ストライキでつぶしてしまえ』という憤激の声を。(中略)森崎湊の誌は、敗れた祖国に殉ずる従容たる武人の死というより、むしろとりつくろった美しい言葉で日本中の青春を圧殺しつづけた者たちへの憤激の死ではなかったのか?」(森崎東の序文)。その憤激は『野良犬』の少年たちにも受け継がれたのだろう。森崎監督『黒木太郎の愛と冒険』('77)の主人公の父の元軍人・三国連太郎は、この『遺書』を残して割腹自殺する。


  『野良犬』のシナリオには比嘉少年が捕えられる場面に、セリフはいっさい書かれていない。また藤田真男が指摘している朱美の主観ショットの皇居と警視庁やカットバックも書かれていない。すべて撮影現場で撮られて、編集で挿入されたものである。天皇暗殺という妄想は、『黒木太郎の愛と冒険』での森崎湊の遺志と繋がる。現代に対する呪詛の念の根幹に天皇の影がある。
              (池田博明記、2008年10月31日)