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喜劇 夫婦善哉

製作=松竹(大船撮影所) 
1968.01.15 
7巻 2,435m カラー ワイド   89分
製作................ 猪股堯 夫婦善哉 
監督................ 土居通芳
脚本................ 土井行夫   森崎東
原作................ 織田作之助
撮影................ 平瀬静雄
音楽................ 小川寛興
美術................ 川島泰造
録音................ 服部満洲雄
照明................ 佐野武治
出演................ 藤山寛美 野川由美子 長門裕之
南田洋子  財津一郎  柳沢真一

リメイク
  1. 1955.09.13 夫婦善哉 東宝 豊田四郎
  2. 1963.10.12 新・夫婦善哉 東京映画 豊田四郎
  3. 1968.01.15 喜劇 夫婦善哉 松竹大船 土居通芳


    土居通芳監督の『喜劇・夫婦善哉』   略筋と感想    池田博明

 有名な織田作之助原作もののリメイク。タイトルは「喜劇・夫婦善哉」と出る。

 昭和七年生駒山・宝山寺の大晦日、大阪梅田の化粧品問屋のひとり息子・柳吉(藤山寛美)は芸者・蝶子(野川由美子)とお参りをしている。元日にお店へ顔を出したところ、両親から蝶子の手紙をつきつけられ、勘当されてしまう。蝶子は柳吉と所帯を構える。蝶子の実家には借金取りが来ていたが、母親が神様のいる床を叩いたのが許せないと難癖をつけて追い払ってしまう。亭主は揚げ物を売っているが金の無いものに貸し売りしてしまうほどのお人よしだ。
 レコードで安木節をかけながら踊りの練習をする蝶子。柄の悪いお客さんに喜んでもらうコツをつかんでいる。柳吉は塩コンブを炊くのを仕事にするほどの怠け者。たまに出かけてと遊びに行った先で長介(長門裕之)に会い、妹の筆子に養子を迎える算段をしていると聞く。柳吉は蝶子の通帳を持ち出して新地で遊んで来たので蝶子は怒り心頭に発する。夫婦善哉
 柳吉は蝶子に別れる芝居をして手切れ金を実家から出させようという提案をする。別れるふりをするだけというので一度は信じた蝶子だったが、いざ番頭(大泉晃)が来ると断ってしまう。計画をブチ壊してしまった蝶子に柳吉は呆れ顔。けれどお父はんの世話にならんかて立派にやっていける、関東炊きくらいできますやんかという蝶子の誘いに乗って、お店を始めてみることにした。つまりはオデン屋である。朝帰りのお客さん目当てに、朝ごはんもやったらどないだ、と蝶子ははりきって仕事を広げる。刑務所でも国でめでたいことあったら、許してもらえる、実家では妹・筆子の結婚がある、この際に許してもらえるのではないかと、オデン持って実家を訪ねてみるものの、養子(財津一郎)に会ったものの、玄関先で追い払われて惨めな思いをすることになった。決まりが悪い柳吉は朝帰り、前の晩に散在して借金取りと一緒に店に来る始末。蝶子に頭があがらない柳吉は「堪忍な、折檻、日延べしてえな」と情けない。
 実家の母親の具合が悪い。神さまの水などを飲んでいるが、あまり効くようにも思えない。母親は蝶子が芸者になったときの前借りを返却していないのが気になっている。「ウチのひと、ケッタイな病気移されまして、情けのうて」と口説く蝶子に、母親は、「うちの父ちゃんが病気になったときは、まじないしたってん、屋根瓦に付いているネコのウンコをミョウバンとせんじて、こっそり味噌汁にまぜて飲ませたんや」。早速、屋根瓦に登る蝶子、味噌汁を作って柳吉に食べさせる。「今日の味噌汁、ちょっと味が違いまへんか」といぶかる柳吉、とぼける蝶子。食べた直後に激しい腹痛を訴えて倒れる柳吉。いったいどうしたのか。蝶子が母親に伝えている。「店を売った金で抱え主への借金は返したものの、病院までは手が回らん。腎臓を片方取ってしまわにゃならんような手術を控えて金がどうにもならない」。母「晴れて夫婦になれるまで頑張りいや」。滋養に良いからと父親から卵を貰ったが、その父からどうも母親はガンらしいと聞いて愕然とする蝶子。その足で柳吉の実家に向う。妹さんに会いたいと話すが応対に出てきたのは養子(財津)、蝶子は病気の事情を話して援助を求めるが、養子は「お父はんの志に反することはできません。帰ってチョーダイ」とつれない返事。ええい、そんなら頼まんと啖呵を切って実家を出た。
  いよいよ手術。そのさなかに蝶子へ電話が来る。母親が危篤と言う知らせだ。けれども手術中で出る切っ掛けを失う。手術が終っても医者は患者が水を欲しがるが絶対に飲ませてはいけませんと指示。案の定、激しく水を欲しがる柳吉に心を鬼にして水を与えぬ蝶子、苦しむ柳吉のもとへ娘の久子と妹の筆子が尋ねて来る。なぜ病気のことを知ってるんや、さては蝶子、おまえ一人で実家に行ったな、オレの顔に泥を塗りやがってと怒る柳吉。筆子は実家には黙って出てきたんやと言い、病室の外で「ねえはん、御苦労はんだす。これは療養費の足しに」と金を差し出す。蝶子は筆子が「ねえはん」と呼んでくれたことに感激する。「ねえはんの苦労はよう分かります。にいさんのことよろしゅう」と言い置いて帰る筆子。蝶子へ再度の電話が来て、とうとう「母親が息を引き取った」。
 母親の位牌を前に死に目に会えなかったと詫びる蝶子。晴れて夫婦になれるまで死ぬ気で頑張りいなという母親の教えをかみ締める蝶子。
 夫婦ゼンザイを食べる二人。
 柳吉は相変わらずの放蕩三昧、伊豆の熱川温泉で娘の久子と会っていた。泊まっていけという柳吉に久子は学校があるからと帰宅する。病気の養生の具合を見に訪れた蝶子は女中が「お嬢さんと交替で見舞いにみえたんですな」という言葉に仰天する。それに、お座敷では芸者をあげての大宴会。いったい、どこからそんなお金が!芸者を追い返して柳吉を問い詰めると、筆子が出してくれたんだという。なんや、自分ひとりで頑張ってだんなを養生させていると思ったのに、この道楽ものは、「わての苦労も水の泡や。ええい、芸者をもどせ。わてが遊ぶんや。筆子はんの(援助の)お金を使いきったる!」と怒る蝶子。
 芸者仲間だった金八さん(南田洋子)と再会した蝶子、玉の輿に乗った金八(南田)から「世の中、薄情もんばかりじゃないで」と金を貸してもらえる。「地獄にホトケ」とはこのこっちゃ、水商売なら得意や、カフェ経営なんかどうでっしゃろと、お店を始める。馴染みのお客さんもできて店のほうはまずまず順調だったが、柳吉がホステスに手を出したり、そんなホステスをクビにしたついでに調べてみたら、ホステスみんなが客とできていて解雇、募集をやり直したり、なにかと忙しい。
 ちょうど女中さん募集の広告で応募したきた女を蝶子が面談中に娘の久子が尋ねてきた。柳吉を早く呼べという久子がもたらした情報は、「おじいちゃんが危篤や」。さあ、大変、生きているうちに是非、勘当を解くなり、蝶子を認めるなりしてもらわなければならない、あわてて枕元へ駆けつけた柳吉、周囲が静かにしろと止めるのもかまわず、「お父っつあん、許すゆうてえな」と頼むが父親の答えは「アホ」の一言。ここはオレのイエだ、なんと言っても血を分けたムスコだぞと主張するが、周囲の目は冷たい。気が気でない蝶子が電話をしてくる。そして駆けつけて来るという蝶子をオマエ来たらあかんでと押し留める柳吉。「わてに、一生、日蔭者で暮らせ、いうんか」と押しかけてきた蝶子は、別室にしめだされている柳吉と口論、なんとか父親に会わせてくれ、ダメなら筆子はんに会わせてくれと懇願する。その騒ぎの最中に、筆子が登場、「ここは商売人の店先です。お客でもない他人に騒がれたら迷惑です。帰ってください」。蝶子には筆子は自分を理解してくれているはずだと信じていた気持が一挙に崩壊していく言葉だった。そこへ、久子が「お父ちゃん死にはった」。
 ドタバタで雇ったかたちの女中が「山城屋から紋付とってきましてん」。葬式用の紋付である。蝶子は「わたしら夫婦やおへんか。ハンコもらわんかて、区役所に紙ペラ出さんかて、あたしら立派なメオトや」、堂々と葬式に出ますと主張、しかし、柳吉は「わての立場もわかってや」と蝶子を連れていかないのだ。
 置き去りにされた蝶子が女中を活動写真を見なさいと追い出した後で、自分の部屋にガスを引き込む。ちょうど店を訪れた新聞記者(柳沢真一)がガスの匂いに気付き、自殺未遂の蝶子を発見する。新聞には「日蔭者、自殺を図る」と出た。同情は蝶子に集まり、お店は以前に増して流行るものの、柳吉は「世の無情もの」と批難され、よりを戻すことができない状況になる。そのうち、蝶子の父親のもとには柳吉から満州の奉天に行くという手紙が来る。手紙には蝶子に惚れております、幸福になってほしいなどと書いてある。BGMに「亭主持つなら堅気を持てと」の音楽が流れている。
 ある日、お店に見慣れた古いカバンがある。ふと見ると柳吉がカウンターの中にいるではないか。なんだ、性懲りも無くまた舞い戻ってきたんや、怒る気になれず、いそいそと迎える蝶子だった。二人は大晦日、初詣のお参りに出かける。そして「久し振りにあのお店に行かな」と言うのだった。そのお店とは「夫婦ぜんざい」のお店である。

【評価】
 藤山寛美が放蕩三昧だが甲斐性なしの憎めない男を演じている。野川由美子は溌剌としっかりものの蝶子を演じている。セリフも物語りの密度も濃く、隠れた秀作といえよう。勘当されて父親に認めてもらえなくとも、夫婦に違いは無いと主張する強い女は、「女生きてます」シリーズの主人公に連なる姿である。豊田四郎監督の名作も是非見てみたい。
 織田作之助の原作と異なっている点はたくさんある。織田作の原作では、柳吉はどもりである。柳吉の妹や子供はほとんど登場しない。もっとも重大なちがいは柳吉の父親が危篤のとき、原作の蝶子は、柳吉から「お前は来ん方がええ」、葬式にも出たらいかんと言われて、「ガスのゴム管を引っぱり上げた」と自殺を図ることである。発見者は紋付を取りに来た柳吉である。したがって、原作では、映画の筆子が問屋に駆けつけた蝶子に言う残酷なセリフが無い。事件の後、蝶子の父・種吉のところに柳吉が送った言い訳がましい手紙も原作では蝶子に見せないことになっている。
 
  (池田博明記、2008年12月10日)

     豊田四郎監督の『夫婦善哉』   池田博明

 CSの日本映画専門チャンネルにて2009年1月15日放映。
 昭和三十年度芸術祭参加作品。東宝配給。原作に近い展開だが、セリフは八住利雄のオリジナルが多い。

 モノクロ/スタンダード/121分。
 製作・佐藤一郎、監督・豊田四郎、原作・織田作之助、脚色・八住利雄、撮影・三浦光雄、音楽・団伊玖磨、美術・伊藤熹朔、録音・藤好昌生、照明・石川緑郎、編集・岩下広一、スチール・吉崎松雄。
  出演は森繁久彌、淡島千景、小堀誠、司葉子、森川佳子、田村楽太、三好栄子、浪花千栄子 万代峰子、山茶花究、志賀廼家弁慶、田中春男、春江ふかみ、二条雅子、梶川武利、丘寵児 大村千吉、三條利喜江、上田吉二郎、吉田新、広瀬正一、谷晃、本間文子、出雲八枝子  
 ウェブの「日本映画劇場」を改変。
 【解題】 美術を担当した伊藤熹朔の手による法善寺横丁のオープンセットは今でも他の追随を許さない程、最高の出来栄えを誇示している。当初、このオープンセットの規模があまりにも大きくなり過ぎたため、撮影が延期になり、その間に主演の森繁久彌が出演したのが『警察日記』である。出演は本作で初めて豊田監督と組む事になった森繁久彌。突然、渋谷の料亭に呼ばれた森繁は先にもらっていた台本を声色で読み上げて役を獲得した。共演には、以降、森繁とは多くの作品で夫婦役を務める事になる『修禅寺物語』の淡島千景、まだ初々しい魅力溢れる『おえんさん』の司葉子が森繁の妹役・筆子を演じている。

 【あらすじ 茶色文字は池田の付記】  曽根崎新地では売れっ妓の芸者蝶子(淡島千景)は、安化粧問屋の息子、維康(これやす)柳吉(森繁久彌)と駈落ちした。柳吉の女房は十三になるみつ子を残したまま病気で二年越しに実家に戻ったままであった。中風で寝ついた柳吉の父親は、蝶子と彼との仲を知って勘当してしまったので、二人は早速生活に困った。蝶子は臨時雇であるヤトナ芸者で苦労する決心をした。そして生活を切り詰め、ヤトナの儲けを半分ぐらい貯金したが、ボンボン気質の抜けない柳吉は蝶子から小遣いをせびっては安カフェで遊び呆けていた。
 蝶子の実家では父親が店先でてんぷらを揚げて売っている。便所のにおいがきつい店先でてんぷらにも匂いがしみつくような気のする小店である。
 夏になる頃、妹の筆子(司葉子)が婿養子を迎えるという噂を聞いて、柳吉は家を飛び出して幾日も帰って来なかった。地蔵盆の夜、蝶子は柳吉を見つけ身を投げかけてなじった。柳吉は親父の家に入りびたっていたのは、廃嫡になる前に蝶子と別れるという一芝居打って、金だけ貰って後二人末永く暮すためだと云った。それは失敗に終ったが、妹から無心して来た三百円と蝶子の貯金とで飛田遊廓の中に「さろん 蝶柳」という関東煮屋を出した。ところが暫くして柳吉は賢臓結核となり、蝶子は病院代の要るままに店を売りに出した。筆子が柳吉を見舞いに来る。筆子は蝶子に「父もあなたに感謝しています」と伝えるが、後で考えるとそれは本当ではないようだ。蝶子の母親も病気で危篤であった。柳吉はやがて退院して有馬温泉へ出養生したが、その費用も蝶子がヤトナで稼いだのであった。柳吉は父からもその養子・京一からも相手にされず、再び金を借りて蝶子とカフェを経営することになった。
 やがて柳吉の父は死んだ。蝶子との仲も遂に許して貰えず、電話で葬式にも来るな、関係が無いからと言われた蝶子は絶望してガス管を部屋に引き込んで自殺を図った。いったん帰宅した柳吉が異変に気付いて医者を呼んだ。新聞には「狂乱のマダム 自殺を図る」と報道され、柳吉を非難する世間の声は高まり、維康の暖簾にも傷が付いた。葬儀では、柳吉は位牌も持たせてもらえなかった。みつ子と一緒に暮らそうとなどと提案しても寄宿舎に入ると断われれる始末。二十日余り経って、また店に舞い戻って来た柳吉は、別れたふりをして遺産の分け前をもらおうとしたのだと言い訳をする。けれども結局、何ももらえない柳吉であtった。二人はなにか食べにいこうやと、法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。夫婦善哉のいわれを語る柳吉、店を出てお稲荷さんにお参りをする二人、とも角、仲の良い二人なのであった。

 【「日本映画劇場」のコメント】 森繁久彌の代表作を挙げろと言われれば、筆者は間違いなく『夫婦善哉』を挙げる。原作者・織田作之助が描く大阪人情悲喜劇を八住利雄の脚色によって文芸映画の名作に仕上がった。豊田四郎監督の作り上げる大阪・難波という独特の雰囲気―当時のスタジオプロによる、撮影、照明、美術など全てが完璧な仕事をしているおかげで、いま観ても色褪せてない。特に法善寺を全てセットで組み、俯瞰から片寄せ合って歩く二人の主人公を捉えたエンディングが実に情緒的で印象に残る名シーンとなった。
 森繁演じる嫁さんをほったらかしてお妾さんの元に入り浸り、仕事もせずにぐうたら三昧の道楽者・柳吉は日本映画史上、最高のキャラクターだ。『夫婦善哉』というタイトルから夫婦の人情ものと思ったら大間違い。家庭をダメにした正にダメ男と、淡路千景演じる何故か甲斐甲斐しく世話をする女・蝶子の物語なのだ。飄々とした森繁の演技もさることながら、淡路の勝ち気でサバサバしつつ男に甘える女っぽさを併せ持った蝶子の演技が実にイイ。ボンボンだった森繁と違い、若い頃から世間の荒波に曝されていたんだろうなぁ…と、想像するに容易い蝶子…。彼女の強さと優しさがあって、森繁のダメっぷりが引き立ち、面白いのだ。柳吉は、ダメ男と言うものの、あまりの生き方下手には、呆れるよりも哀愁を感じさせる。そう…柳吉は、弱者なのだ。自分を引っ張ってくれる女に依存しなくては生きて行けない男なのだ。だから逃げ出すように家庭も財産も放って飛び出したのだろう。貴方と呼ばれお父さんと呼ばれる事が居心地悪かったに違いない。いつか、父親の店を継ぐ事への恐怖から逃げ出したに違いない。
 豊田監督の繊細な職人技が冴えるのは、食道楽の柳吉が美味そうに食す食べ物のシーンだ。庶民が親しんでいる食材を丁寧に捉える事で二人の関係や人間性がよく見える。今も難波にある洋食屋“せんば自由軒”が二人が仲直りするための重要な場所になっている。柳吉と喧嘩した後、一人でやってきた蝶子が柳吉の分までライスカレーを注文して待っているのだが柳吉は現れず、仕方なく二人前のライスカレーを食べる姿が哀愁を誘う。また映画の最初の方で、蝶子の帰りを待つ柳吉が小さな鍋で昆布を煮込んでいるシーンがある。2階の窓辺で蝶子の帰りを待つ柳吉の侘びしさが印象に残る。こうした小物や食べ物を使って、人間の心境を表現できる豊田監督の絶妙なさじ加減が本作を崇高な文芸作品にまで高めている。ラストで二人が食べる法善寺境内にある“夫婦善哉”のぜんざいにしても、食べ物を実に丁寧に描いており、それらがストーリーに自然と融合しているのだ。有名な二人がぜんざいを食べる法善寺のラストシーンは、戦後の日本人の心境を如実に表していたのではなかろうか?
 法善寺が芝居小屋が軒を連ねる難波の一角にひっそりと佇むお寺だけに、つましく生きる二人と酷似している。実家から勘当され遺産も貰えず、何もかも失った柳吉…柳吉の父親から最後まで本妻になることを認められず自殺未遂騒ぎまで起こしてしまった蝶子…肩を落として店を出た二人が、雪の散つく横丁を明日の希望も見えないまま片寄せ合って歩く姿に観客は自分事のように共感したのだろう。
 【名セリフ】  「おばはん、頼りにしてまっせ」 もう説明の必要の無い名台詞。法善寺横丁で、二人でぜんざいを食べるラストシーン…店を出た柳吉が蝶子に言うのだ。