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    第8章 新会社の設立に赤信号点滅

    1. 山中新大臣に交代

     このころ、丁度、通産大臣が安倍氏から、一癖も二癖もあることで知られる山中貞則氏に代わったばかりで、12月21日午後12時40分、国会内では、さっそく炭労の野呂委員長と総評の槙枝議長が山中大臣を訪ねた。新大臣に対する同鉱問題処理に関しての念押しが目的だった。

     席上、2点について申し入れを行っている。これには、三浦同鉱労組委員長や相沢道炭労委員長も同席していたが私は会見内容を通産省資源エネルギー庁石炭部の総括班長(課長補佐に相当)に電話取材して確認、この会談とあわせて夕張市の石炭公社計画の記事を翌22日付けの朝刊に掲載した。

     2点というのは、安倍前大臣が約束した83年4月をめどに新会社を発足させる準備を石炭協会に行わせるように行政指導すること、もう一つは、北炭・幌内炭鉱など経営が悪化している炭鉱に対する指導援助体制の確立だった。

     これに対して、山中大臣は、「夕張炭鉱の再開発についての考え方は前大臣と全く変わらない。今後とも努力する」と答え、関係者もこれでホッとした。

     山中大臣はなかなか政治家としては豪放磊落なタイプで、かなり大胆な発言をしては永田町を騒がせていたが、同鉱問題でも通産省のお役人達を驚かせるような大胆な提案をのちにすることになるのである。北海道の方から見れば慎重派だった安倍氏よりも頼もしい気さえした。

    2. 年末休戦

     この年(82年)も12月24日の第5回債権者集会を最後に、辛く長かった1年を締めくくろうとしていた。地元夕張市では、新年早々にも、中田鉄治市長が上京、石炭協会に対して、新会社の設立の要請活動を進めることを市議会の席上で確認、ひとまず、束の間の年末休戦に入ろうとしていた。

     私の方も事故発生以来、よくライバル紙の北海道新聞や日本経済新聞の朝刊に特種をすっぱ抜かれては、夕刊で切り返し、翌日の朝刊でまた抜き返すという繰り返しで、いい加減うんざりし、肉体的にも精神的にも疲れ切っていただけに、このまま、のんびりと新年を迎えれば最高だなとぼんやりと思いながら、毎年末恒例の新年用の原稿の書きだめに精を出していた。

     それでも、この時期は、経済部記者の特典といおうか、取材先の銀行や北海道電力、北海道ガス、地元百貨店、札幌商工会議所、証券取引所などから忘年会に呼ばれ、数ヵ所を連日消化していくのが慣例になっていた。だが、常に北炭夕張の取材のことは頭から離れず、そんなときでも夕張絡みのどんな小さな情報でも北海道経済界のトップから聞きだそうと虎視眈々としていたものだ。

    3. 新会社の継承負債

     北炭夕張炭鉱の五回目の債権者集会が12月24日、札幌地裁で開かれた。ここでの注目点は、新会社が設立されたあと、同鉱から新会社に継承される資産の担保価値を大沢管財人がゼロにしたいとして、債権者の了承を求めたことだ。理由は、もちろん新会社の継承負債の負担を出来るだけ軽くするためだ。  集会後、大沢管財人が裁判所1階の会議室で記者会見に応じた。席上、大沢氏は、「新会社の継承資産ゼロについて、担保権者がうんと言ってくれない」とこぼした。管財人が新会社構想をまとめたとき、坑内資産価値をゼロとしてはじめて収支がトントンになると試算していた。

     会議では、管財人は、立て坑を例に挙げて、「これは使われなければタダ同然なのだから、そう高いこと言わないでもらいたい」という論理で説得しようとしている。私は、結構、面白い会話が中で交わされているのだなと妙に感心させられたものだ。結局、担保価値をめぐっての議論は空回りするだけで結論が出ず、来年2月24日の次回に持ち越しとなった。

    4. 債権者は新会社の成功報酬期待?

     設備機材などの資産評価がゼロになれば、債権者が新会社に新たな現金出資や現物出資をしないで、株主になることが予想された。大沢氏は、「その場合は、新会社の成功報酬になる」との考え方を示した。

     私は、大沢氏に同じ三井資本の三井石炭鉱業が新会社の受け皿になることはないのか、率直に聞いてみた。これには、管財人は、「三井石炭のバックにある三井銀行(現さくら銀行)が200億円も踏み倒されてまで新会社を引き受けるとは考えられない」ときっぱりと否定した。

     このほかでは、老朽化した炭鉱住宅の解体で進展が見られたという。これは、夕張市が同鉱の閉山に伴う地元下請け業者の経営、同従業員の雇用支援の一環として計画された老朽廃屋の解体事業に関するものだった。

     今回の債権者会議では、結局、旧夕張、清水沢、平和の各炭鉱にあった老朽化した機械設備のスクラップの販売、また、炭鉱住宅の解体許可要請に対して、債権者側からは、異議が出なかった。これで、夕張市による1300万円の失業対策事業が翌年1月にも実施されるメドが立ったのである。

     北炭夕張炭鉱株式会社の債権は4つの鉱業財団に分けられていた。同鉱鉱業財団1号物件はかつて同社が開発していた旧夕張鉱分、2号物件は清水沢鉱、4号物件は平和鉱で、夕張新炭鉱分は7号に分類されていた。

    5. 新会社の設立検討前進見られず

     年が明けて、83年1月28日、北炭夕張炭鉱の兄弟炭鉱である北炭真谷地炭鉱(日産2200トン)で坑内火災が発生した。夕張炭鉱が坑内火災で、閉山に追い込まれただけに、私も、このニュースを聞いたときには、 大変なことになったと心配した。

     夕張支局から送稿されてきた原稿をみると、28日午前、同鉱の楓坑(日産700トン強)で、海面下123メートルの地点で自然発火が原因と見られる火災が発生した。幸い、事故当時作業中だった100人の坑内員も無事退避し、また、火災発生場所が採炭現場でなかったため被害は最小限にとどまり、注水による消化作業で鎮火、2月5日から8日ぶりに操業を再開することができた。

     さらに、これに追い撃ちをかけるように、2月1日には、北炭グループの空知炭砿(北海道・歌志内市)でも坑内ガス突出事故が起き、3人が死亡した。新年早々の相次ぐ炭鉱事故に、夕張新鉱問題で手が一杯だっただけに、もうこれ以上は対応できなくなると内心、ハラハラさせられたものだ。炭鉱事故はとくに取材が長引くことが多いからだ。

     話が前後したが、1月19日、北炭本社の松本総務部長に電話を入れてみた。当面の夕張の動向を探ってみたかったからだ。1月中は特に大きな動きはなさそうで、ただ、1月中に、閉山に伴う国からの交付金が25億円支払われるということだった。閉山によって新たに発生する退職金は51億円なので、不足金額は26億円。これは、労働省から賃金確保法に基づいて10億円弱、離職一時金4ー5億円が見込めるので、差し引き12億円程度の不足額については2月下旬に労組側と交渉するということだった。

     一方、肝心の新会社設立の検討の進み具合は、2月に入っても一向に進んでいなかった。2月2日、三浦委員長ら労組側は新会社による同鉱の再建を促進するため上京、通産省石炭部の弓削田同部長に要請行動を行った。同じ日、私は大沢管財人に短い電話取材を申し入れていた。

     大沢氏は、「新会社については昨年の閉山提案に沿って、検討を進めているところで、前進はしていないね」という。さらに、つづけて、「新会社は、債権(処理の問題)が残っているから、そっち待ちだよ」という。

     管財人によると、770億円を超す大口の更生担保権者、とりわけ、国の機関である新エネルギー総合開発機構(NEDO)が、新会社に債権を継承させないという管財人の要請を呑むかどうかにかかっているというのだ。管財人側も、何度か、NEDOに要請しているが、返事が返ってこない状況が続いていた。このため、管財人は、近く、NEDOの高瀬理事に直接会うということだった。

     「三井銀行もNEDOの出方待ちという感じだね」と管財人はいった。三浦委員長も石炭協会の検討の遅れに苛立ちを見せていた。2月8日、札幌通産局の内村俊一局長を訪ね、「4月には新会社を作って、再建の努力をするという大臣発言があるが、石炭協会の検討委員会の検討内容の中身が分からない」と内村局長に訴えた。

     三浦氏はヤマ元では1635人の労組員のうち、528人が再就職、残る1107人が失業手当ての給付を受けながら新会社による再開を待ち受けていることも明らかにした。とくに4月以降からは、給付額が低い炭鉱離職者手帳に切り替わるうえ、電気、ガス代の支払いも会社からの援助も打ち切られ、生活が急速に悪化する点を強調した。

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