スイス・レマン湖付近の古城


コペ城

窓が端正に並び宮殿風

 スイスの国際都市・ジュネーブからレマン湖沿いの国道一号線を20分ほど走ると、コペの街に入る。人口約1500人。湖水の縁に広がる小さな街である。
 コペ城へは、街の中央通りを抜けて山の手に向かうとよい。明るいベージュ色の壁に幾つもの窓が端正に並んだ宮殿風の建物が目に入る。一見して、中世独特の戦闘的、かつ防衛的な城郭でないことがわかる。
 もともとは中世の城であったが、十八世紀の中ごろ、当時流行したシンメトリーの典型的な邸宅スタイルの城に改造されたので、今日のような外観になった。玄関脇の戸口から中庭に回ると、それが一層よくわかる。
 1784年、コペ城はフランスのルイ十六世の財務長官を大革命直前に務めたジャック・ネッケルの所有物であった。その後、ジャックの娘ジェルメーヌ・ド・スタール(1766〜1817年)が住んだことから、コペ城はスタール夫人の邸宅として、知られるようになった。
 スタール夫人は、ドイツ・ロマン主義の思想をフランスに紹介したフランス・ロマン主義の先駆者である。時はフランス革命期。才色兼備のこのスタール夫人には、「コリンナ」「ドイツ論」などの著作がある。その中の「コリンナ」は今春、日本語訳されて出版された。
 コリンナというのは小説の主人公で、古今の文学や美術に秀でた美人の即興詩人の名。
彼女が英国の貴族との恋の道行きがこの小説の主軸となっている。2人は、イタリア各地を旅し、さまざまな見聞を広める中で、英国の才媛も登場して、恋のさや当てが始まる。3人の人間関係を通して、ヨーロッパの複雑な国民性があぶり出されるというものだ。
 コリンナは読み方によっては、「紀行文」とも読めるし、「ヨーロッパ文明批評」とも読める。恋愛小説と読むのは通ではない。
 スタール夫人の言動がフランス皇帝ナポレオンの怒りに触れて、国外退去を命じられた。スイスに亡命したスタール夫人はここコペ城に移り住み、十九世紀のヨーロッパを代表する文化的リーダーたちが集うサロンを開いたのである。
 集まった人の中に、シャトーブリアン、バイロン、シェリー、スタンダールなどがいたのである。
 城内にあるリヨン産の絹のベッドのあるスタール夫人の寝室、花鳥模様の中国産の壁紙、装飾されたレカミ夫人の寝室や図書室などが公開されている。各部屋には、ルイ十六世様式の家具や調度品などが展示されている。再建された当時の優雅な雰囲気がそのまま残っている。

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