<倶利伽羅峠>
(くりからとうげ)富山県小矢部市、石川県河北郡津幡町

旅行日 '95/12

地図を見る(ここをクリック)

 「クリカラ」、いい響きです。越中(富山県)と加賀(石川県)の国境に位置する峠で標高は277mほど。 源平の世木曽義仲(きそのよしなか)が活躍した古戦場でもあります。
 芭蕉は大の義仲びいき。『奥の細道』の旅の5年後、元禄7年(1694)に旅先の大阪で客死した後は、近江・膳所(ぜぜ:滋賀県大津市)の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られ、現在も義仲の墓と隣り合わせに静かに眠っています。
 以下落語「源平盛衰記」から「倶利伽羅の合戦」の模様を、故林家三平師匠の名(迷?)調子でご紹介します
(勝手に使ってしまって、どーもすいませーん)



 木曽の山中で育った武勇絶倫の大将、木曽義仲(きそのよしなか)公。平家追討の命令を受けて、倶利伽羅峠の一戦に牛の角松明(たいまつ)をつけて、平家の陣中に放した。 これが火牛の術(かぎゅうのじゅつ)というやつで、おどろいたのなんの。なにしろ牛の角に松明で、平家のほうじゃバーベキューの親方が飛び込んできて、「ヘーケな顔はできませんよ〜 水をかけろ〜」と水をかけたが火は消えなかった。これは消えないのも道理。「焼けウシに水」というのは・・・はぁ・・・
(言葉に詰まる・・ 観客失笑・・)


 何のページだか分からなくなってしまった。さて曽良の日記によれば、芭蕉が倶利伽羅峠を越えたのは七月十五日(陽暦8月29日)のこと。
 十五日 快晴。高岡ヲ立、埴生(はにゅう)八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未の中刻(注:午後2時ごろ)、金沢ニ着。

 埴生(護国)八幡宮は木曽義仲が戦勝を祈願したところ、猿ヶ馬場は平氏の軍が本陣を構えたとされる場所で、芭蕉の句碑

 義仲の 寝覚の山か 月悲し

 が建ちます(ただしここで詠んだ句ではない)。
 倶利伽羅峠付近に建つのが不動寺。日本三不動尊のひとつだそうで、多くの参拝客で賑わいます。

左地図は国土地理院発行25000分の1地形図「石動」「倶利伽羅」を利用


 現在、旧北陸道の倶利伽羅峠越えは歴史国道として整備されています。越中側の石動(いするぎ)駅から加賀側の竹橋まで約10km、高低差250mほどのお手軽なハイキングコースです。詳しい地図をご覧になりたい方は以下のリンクページをどうぞ。
大きな地図を見る

 加賀(石川県)側の竹橋に鉄道の駅は無いのですが、北陸本線津幡駅まで町営のバスが日に5便(日・祝日・年末年始は3便)あります。(以下のページの町営バスの項を参照のこと)
津幡町産業経済課のページへリンク

 倶利伽羅峠だけ行きたいのなら、峠の1.5kmほど先に倶利伽羅駅へ下る道があるのでこの道を使うのも手です。




<ギャラリー>

猿ヶ馬場・火牛の像
旧北陸道・峠の茶屋
倶利伽羅山 不動寺



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