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<浜岡原子力発電所>
(はまおかげんしりょくはつでんしょ)

<基本データ>
所在地
静岡県御前崎市佐倉5561
運転開始日
1976年3月
事業主体
中部電力

<原子炉設備の概要>
 
原子炉型式
営業運転開始
定格出力
備考
1号機
沸騰水型軽水炉(BWR)
1976.03.17
54万kw
2009.1.30運転終了
2号機
沸騰水型軽水炉(BWR)
1978.11.29
84万kw
2009.1.30運転終了
3号機
沸騰水型軽水炉(BWR)
1987.08.28
110万kw
 
4号機
沸騰水型軽水炉(BWR)
1993.09.03
113.7万kw
 
5号機
改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)
2005.01.18
138万kw
 
6号機
沸騰水型軽水炉(BWR)
未定
138万kw
計画中


<浜岡原発と来たるべき「東海地震」>
 日本の原子力発電所は過疎地に立地する例がほとんどだが、この「浜岡原発」は例外といってよいだろう。日本の大動脈、東海道新幹線・東名高速道にも近く、自動車工場などの産業も付近に立地する。
 この浜岡の地に原子力発電所の建設計画が持ち上がったのは1967(昭和42)年。ビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸の母港が近隣の焼津港だったこともあって当初は漁業関係者を中心に反対の声も大きかったが、まもなく漁協が建設を容認。1970年代に入ると着々と工事は進められ、1号機が運転を開始したのは、1976(昭和51)年3月であった。
 奇しくもその1976年に石橋克彦氏が「日本地震学会」と「地震予知連絡会」で「駿河湾地震説(いわゆる「東海地震説」)を発表。この学説は広く認められ、政府も1978年に「大規模地震対策特別措置法」を制定するなど対策に本腰を入れ始めた。一方で、浜岡原発はその予想震源域のど真ん中にあり、「来たるべき大地震」と「原発」とが奇妙にも併存することとなった。

<3.11後の浜岡原発>
 3.11の地震・津波により福島第一原発付近では甚大な被害が出たが、各メディアの世論調査を見ると、4月頃までは「危険があるかも知れないけれど日本には原発は必要」という消極的容認論が国民の声として大きかったように思う。その節目が変わったのは2011年5月6日の菅総理大臣が記者会見で「中部電力に浜岡原発の全面停止要請」のニュースが流れてからだと考える。マグニチュード8クラスの大地震が今後30年の間に87%の確率で起こると予測されていること、浜岡原発がその予想震源域のど真ん中にある事が国民に周知されることとなった。身に切迫した問題として「福島の事故は決して例外ではない」。そう知った国民の間に、原発の稼働に極めて慎重な意見が広がったのも、この菅氏の決断とそれを報道したメディアが大きく影響したように思う(あくまでも私見です)。


<地図で見る浜岡原発付近の変遷>
1957(昭和32)年2月発行の地形図より

まだ原発は影も形もない。現在原発建屋の建つ箇所を赤線で示した。海岸沿いは高さ10mから20mほどの「浜岡砂丘」が発達し、さらに標高60mほどの丘陵地があり、その内陸側に集落や農耕地がある。海と陸の幸に恵まれたいかにも人が住みやすそうな場所に見える。地図の上側で東西に延びるのは「静岡鉄道駿遠(すんえん)線」。軽便鉄道で線路の幅は762mmと新幹線の半分くらい。駿遠線は御前崎を頂点に三角形型に走り、駿河側の藤枝市と遠江側の袋井市の間64.6kmを結んでいた。地図上に示されたのは最後に開通した区間で1948(昭和23)年に開通。しかし1964(昭和39)年にはこの区間は廃止。鉄道が走ったのはたった13年間のことであった。
2012年現在の電子国土基本図より

砂丘に面した丘陵地の端部に原発建屋は造られ、海岸とは200mほどの距離がある。原発建屋より陸側の丘陵上部も削られ、原発に付随する施設が建てられた。この原発の特徴は、港湾設備が併設されていない事である。海上輸送された核燃料や大型物品等は、御前崎の港湾に積み上げられ、陸路この原発構内まで輸送される。他に目をひくのは、東西に延びる国道150号線。国道1号を大きく南側へ迂回する経路を取るが整備は進んでおり、この地図で示された区間も4車線化されていて大型車の通行も多い。廃止された鉄道の跡の一部は拡幅された上で道路に転用されている。

使用地形図・左:1/50000御前崎(1957年2月28日)地理調査所発行
右:国土地理院のページ「地図閲覧サービス」より


<交通>
●相良営業所まで:静岡駅より特急バス約1時間、または藤枝駅南口よりバス約1時間
●相良営業所から:「御前崎総合病院」または「浜岡営業所」行き「原子力発電所入口」下車(所要約20分)
●浜岡営業所まで:菊川駅よりバス約35分、または掛川駅よりバス55分
●浜岡営業所から:「相良営業所」または「桜ヶ池経由御前崎海洋センター」行き「原子力発電所入口」下車(所要約6分)
●御前崎海洋センターから:「桜ヶ池経由御前崎総合病院」行き「原子力発電所入口」下車(所要約20分)

◎「原子力発電所入口」バス停から浜岡原発のPR館である「浜岡原子力館」の正門までは徒歩約12分。

なんじ?君(しずてつジャストライン時刻表案内)へリンク


<浜岡原発PR館「浜岡原子力館」訪問記>
旅行日 2010.08.18

↑浜岡原発を訪れたのは3.11の半年ほど前だった。私が全国の原発巡りをはじめる、きっかけとなった。写真は原発のPR館に行く前に立ち寄った(というかこちらの方がメインだった)「御前崎灯台」。
↑バスに揺られて20分程。「原子力発電所入口」バス停で下車。木造・吹きさらしの待合室は前時代を思わせる。原発という巨大科学の最先端の足元にあるクラシカルさというアンバランスが妙に可笑しい。
↑浜岡原発へはバス通りと直交する道を下って行けばよいのだが、ちょっと寄り道して、1964(昭和39)年まで「静岡鉄道・駿遠線」の走っていた跡を歩いてみる。目を凝らせば走る列車が見えるかも(幻覚?)
↑バス停から真っ直ぐ行けは10分強でゆけるはずなのだが遠回りをしてしまったので30分程もかかってしまった。「浜岡原子力館」の看板が見えてきた。黄色い何やらは、このPR館のキャラクター「ユウユウ」。
↑これが「浜岡原子力館」。上方に2本のびる塔が印象的です。
↑まずは高い所へ昇りたがる私。海抜62メートルの展望台へ。1号機から5号機までがよく見渡せます。
中央制御室の模型。夏休みということで子供たちがたくさん、訳もわからず興じていました。
↑このPR館の目玉は「実物大の原子炉模型」。あまりに大きいので写真に納まりません。
↑浜岡原発の1〜4号機で採用されている「沸騰水型軽水炉」の模型。
↑コメントなし
↑売店にあった、「浜岡原子力館」のオリジナル・グッズで「ユウユウ」のメモ帳。
↑家に帰ってアメダスのページを見ると、今日の御前崎の最高気温は30.4度でした。ちなみにこの日の東京の最高気温は34.5度。



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