飛騨路狛犬旅・デジカメ速報版
9世紀の日本産狛犬発見か? と騒がれた、飛騨高山の賀茂神社、発見者の命名によるところの「幼稚園児狛犬」を見に、飛騨路へ向かった。
行くぞ! と決めたのが5日(日曜日の夜中)、6日(月曜日)の午後には高山のグリーンホテルを予約し、夜に出発。
翌・7日、松本側から入り、できたばかりの安房峠道路(トンネル)を通って高山へ西進。
長野側の神社数社を回ったけれど、狛犬はいなかった。灯籠のみ。
丹生川村に入り、国道158号線沿いの数社をチェックするも、面白そうなのはなし。
伊太祁曽神社(小野)、〃(瓜田)、日輪神社(大谷)と回るが、めぼしい狛犬は見つからず。昭和の類型的なものばかり。
丹生川神社の奥の狛犬は少し古そうだった。台座の中段だけが新しく、昭和38年と刻まれているが、狛犬のほうはもっとはるかに古い。隣にあった同じ程度に苔むした灯籠のほうには天保15年の銘が刻まれていた。
そこから少し南下したところの御崎神社の狛犬がこれ。↓

↑結構古そうで、その少し奥にあった灯籠は文化12年と安永年間のもの。
さて、いよいよ高山市内。お目当ての賀茂神社のはじめちゃんは目の前。

でも、到着するとたたずまいとしてはそんな古い狛犬がいそうには思えない。でも、入口にある説明板には確かに狛犬云々と書いてある。↓

文章がインチキ臭いし、非常に曖昧。ちょっと嫌な予感が……。
その嫌な予感は見事に的中した。
赤門社長の網頁を見る限り、はじめちゃんは社殿の軒先に置いてあるような感じがしていた。これは後から思うに僕の勝手な思い込みで、ちゃんと情報を整理していなかったほうが悪いのだが、いると思っていたその軒先には何もない。神殿前には、平凡な昭和期の狛犬が1対あるだけ。はじめちゃんは? えーーー? そんなーーー? いないのーー?
愕然呆然慄然唖然。

↑それらしきはじめちゃんはいない! がーん!!
どこかに幽閉されているのか? それとも誘拐されたか? 茫然自失のまま、暫くたたずんでいたが、しょうがない。諦めて帰る。でも、クルマまで戻ったところで、諦めきれずにもう一度戻り、本殿の正面の戸に1箇所だけあった穴から中を覗き込む。真っ暗だったが、薄ぼんやりと武者像のようなものなどが見える。その奥に、小さくぼんやり見えているようないないようなものがもしかしてはじめちゃんではないのか?
↑ストロボをたいてみてもこの程度しか見えない。全然分からない。
なんとか確認できないものかと神殿の周囲を回り、閉ざされた戸などに手を掛けてみるも無駄。
最後は穴からデジカメを突っ込んでストロボをたいてみた。罰当たりな行為なのだが、狛犬マニアというのはこのくらいはしてしまう。
でも、じたばたしたのはここまで。とうとう諦めた。
高山市中心部に入ると、ちょうど7日で我楽多市をやっていた。冷やかしてみたが、まさにがらくたばかり。しかもしょーもないものに結構な値段を付けている。
ビールを飲んで一休みしてから、また散策。市の観光課がテントを出していたので、賀茂神社のはじめちゃんはどうなったのかと訊いてみる。でも、そこにいた数人の職員全員が「賀茂神社? 聞いたことありませんなあ」との返事。駄目だこりゃ。
しかも係長クラス(?)風のおっさんなどは「狛犬なら、古川の狛犬博物館に行ってみましたか?」だって。狛犬博物館が古川から下呂に引っ越したのはもう5年くらい前のことなのに、知らないのだ。ごていねいに、「飛騨エコパスポート」には、古川の狛犬博物館が紹介されている。まだ残っているのだろうか?
宿泊した高山グリーンホテルはなんともはやのトホホホテルだった。
観光課のテントで購入したエコパスポートを見せると、フロントのおねえさん、えらく時間がかかってページをめくってはんこを押し、ジュース引換券をくれた。その引換券をもって物産館なる売店に行くと、愛想のない関西弁のおばちゃんがモロに不愉快そうな顔でジュースを取ってきて、目の前のカウンターにポンと置くと、こっちの顔も見ずにきびすを返して行ってしまった。金にならない客には用がないという態度があからさま。教育ちゃんとしなさいね>グリーンホテル。
売店にはドジョウ掬いやゴルフクラブを持ったタヌキの剥製が商品として売られている。こういうセンスが嫌だから割高なのを承知でシティホテルを選んでいるのに、がっくり。
宿泊料が高い割に、部屋は普通。晩飯はホテル内の居酒屋に行ったのだが、メニューが少なく、工夫もない。感心するサービスが何もない。もう行かないよだ。
翌日、気分を取り直して、赤門社長が報告していた神社巡り。ところが、慌てて出てきて、ちゃんと予習をしてこなかったものだから、どの神社にどんな狛犬がいたのかすっかり忘れている。大分前に、赤門社長が回って網頁にのせていた神社だけ○をつけてあったのだが、どれがどれかは思い出せない。
飛騨一ノ宮水無神社は、「ヨーゼフ狛犬」と命名していた大きな狼だった。ところがその狼狛犬は拝殿の奥の本殿前境内に置かれ、入れない。古い木の表示板に、ほとんど読みとれない文字で「本殿参拝希望のかたは社務所へお申し出ください」というようなことが書いてある。
社務所にいた宮司さんに「狛犬の写真を録りたいんですが開けてもらえませんか?」と正直に申し出て入れてもらう。
門の中にいた木彫りの狼のほうがこれ↓
↑水無神社の木彫りの狼。格子の隙間からようやく手を突っ込み、デジカメで撮影。
帰り際、宮司さんに狛犬(狼?)の由来を訊くが、まったく分かっていない。「狛犬ですませちゃっているからねえ。よく分かりません」だと。情けない。
赤門社長の網頁にのっていたはじめちゃん軍団はどこの神社だったっけ? ここだったかなあ……と、回るが、ここでもない、あ、ここでもない……。で、ようやく、跡津神社に到着。とても分かりにくい場所にある。確かここにははじめちゃんがいたはずなのだが……。紫陽花の咲く道を奥へと入っていくと、確かに神社はあったのだが、なんと工事中。ユンボがデーン。境内は瓦礫とゴロ石だらけ。入口からしてこれだもの。↓

↑工事中のまま放ったらかされていた跡津神社。
障害物を乗り越えて入っていくと、ようやくいたーーーー!
軒下にいましたよ、はじめちゃんが。へえーー、小さいなあ。

↑いい顔してるでしょ。これが跡津神社のはじめちゃん。しかし、これだけ小さいと盗難が心配。明和4(1767)年のもので、阿のほうが奥田伝三郎、吽のほうが熊崎米?右為?の銘。奉納者だろうが、熊崎というのはこの地方の奉納者名としてはダントツに多い。豪族だったのか?
少し気を取り直し、その先の西上田神社へ。ここも分かりにくい場所にある。
おおーー。凄い凄い。はじめちゃんカルテット。
どれも赤門社長の網頁で見てはいたけれど、やっぱり実物を見ると感動ひとしお。


↑左が、享保4(1719)年のはじめちゃん。この左隣には赤門社長が「くまはじめ」と名づけた風化しかけたはじめちゃんがいる。
右は隣の稲荷神社にいたキツネ。これもいい! 他に、併設の山神社という社に寛保3(1743)年のはじめちゃんがいた。
まあ、赤門社長が見つけておいてくれたおかげで出逢えたものばかり。これといった新発見がないまま、下呂温泉の狛犬博物館へ。
硝子越しにいろんな狛犬を撮影してきました。これが話題の円空狛犬。

↑硝子の写り込みが邪魔だけれど、やっぱりケースから出してくれとは言えなかった。ここの売店のおばちゃんも愛想がない。
狛犬博物館にいた小一時間、他に誰一人として客は来なかった。人気がない。
そんなわけで、準備不足がたたった飛騨路狛犬めぐりでした。賀茂神社の隠しコマンドは「上へ」だったか……独り言。
でもまあ、幼稚園狛犬がどんな時代のものか、今からではまず絶対に正確な考証は不可能でしょう。結局は浪漫に包まれたまま。弘仁年間ということはないと思います。やっぱり。それを実証するには、9世紀(平安時代!)からの記録が必要なわけで、他の神社から移されたものだとしても、その神社が平安時代からあった神社ではない限り、その前の神社もまたあるはずで、そうした記録をたどるのは無理だろうから。
たどれるとしても江戸期までじゃないのかなあ。とにかくあの看板の説明が全然なってないしねー。
それより、飛騨路にはまだ江戸初期くらいのはじめちゃんがごろごろしていそうな予感がしますね。それを見つけるのが楽しみ。大須社長、頑張ってね。(人任せ)
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