2000.07.20

日本古代史・事件解説

〜崇峻朝〜


事件の概要、人物の生没年等は基本的に『日本書紀』をベースにしていますが、他の説が有力な場合は、そちらを参考にしている場合があります。
人物によってはいくつかの名前(役職名等含む)があります。即位した人物は諡号を、それ以外については妥当とわたしが判断したものを採用しています。
参考にあげているのは関連の論考がある書籍です。本HPに取り上げられている書籍は、リンクを張ってあります。


崇峻天皇暗殺

崇峻天皇(すしゅんてんのう)は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)。欽明天皇の子で、穴穂部皇子の同母弟にあたる。

587年、用明天皇が病没したあと蘇我馬子が組織した物部守屋討伐軍の総大将となる。戦いに勝ったのち即位。が、5年後の592年、その馬子の命により東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に暗殺されてしまう。天皇暗殺は他に日本史上例がない。それを考えると、最初から短期のつなぎの政権として立てられたように見える。

そのせいだろうか。崇峻天皇というのは漢風諡号だが、本来の諡号(和風諡号)は「泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)」と、本名のまま。とことん陰の薄い天皇である。

関連する小説)『崇峻天皇暗殺事件』

 


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