「宇宙論」創作ノート3

2012年04月

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04/01/日
エイプリル・フールであるが、本日は孫2人のうちの長男の誕生日。4年前のプロ野球開幕戦を外野で見ている時に、生まれたという連絡が入った。スペインに3人娘がいるのだが、やはり男の子はいい。ということで、おばあちゃんがバースデーケーキを作って祝う。本来ならこの日は嫁さんの実家に移動する予定だったのだが、次男が発熱したのでどこへも行けなくなった。それで長男の方を楽しませるために、父親と祖父(わたし)が長男を連れて出かけることになった。新宿紀伊国屋でバースデープレゼントを買う。それから本人の要望で東京駅へ。彼は新幹線が好きなのだ。とくにハヤブサが好きなので、東北新幹線のホームに上がり、小一時間、出入りする新幹線をただぼうっと見ていた。それから八重洲地下街のプラレールの店に行く。夕食のあと、父親(わたしの次男)は明日からの仕事があるので四日市に帰る。息子は嬉しそう。孫は父親と別れることにもそれほどの寂しさはない。孫を連れて山手線に乗る。これで帰れると思ったら大崎止めだったので、湘南ライナーに乗り換えて恵比寿からタクシーに乗る。長い一日だった。孫と二人きりになったのは、生涯で初めてではないか。

04/02/月
大学学科会。学科全体が研究室を引っ越すことになっているので、いつもとは違う会議室。今年度最初の学科会で、新しいメンバーも加わり年度の予定などを議論。それから新しい研究室を見に行く。前任者のレイアウトがそのまま残っているが、壁があいているので机を移動して、壁の全体に書架を配置してもらうように管財部の人に頼んでおく。わたしの蔵書は前年度の研究費で購入したものなので、書架のごく一部を占めるにすぎないのだが、自宅の本を運ぶ予定。老後に備えて荷物を減らす一貫で、この大学を退職する時には蔵書はすべて寄付しようと思っていく。捨てるのも面倒なので処分をお任せするということになるだろう。ということで、自宅の本の整理が必要なのだが、まだまったく手をつけていない。『悪霊』が終わってからだ。自宅に帰ると次男の車がなくなっていたので、もう帰ったのかと思ったら、下の孫の熱が下がらないので嫁さんが医者につれていっていたのだ。ということで本日も孫2人がいる生活。早く楽になりたいが、熱のある下の孫も元気で、まあ、楽しい生活が続いている。明日は大嵐ということで、明日も孫との生活ということになる。大学は引っ越しなのだが、これは業者に任せておけばいいので、大嵐をついて大学に行く必要もないかと考えている。

04/03/火
大学の研究室の引っ越しだが、嵐が来るというので自宅に引きこもっている。わたしの蔵書はごくわずかなので、明日行けばいいだろう。パソコンを使えるように設定する必要がある。孫たち、まだいる。嵐をついて二子玉川に買い物に行った。静寂の中でひたすら仕事。《自分史》、ゴール寸前。

04/04/水
大学の研究室の引っ越し。昨日、荷物が運ばれたはずだが、夕方暴風雨になるというので確認に行けなかった。本日、昼過ぎに行ってみると、頼んだ本棚がまだ入っていないが荷物は運ばれていた。パソコンの接続をしているところに管財課の人が来て、本棚の確認。5本入れてくれるということで、とにかく管財課の人が確認してくれたのでいつか入るだろう。パソコンの接続を終えたが、ネットがつながらない。システムセンターに応援を求める。ランケーブルがついていないことが判明。わたしがランケーブルだと思ったのは光電話のコードだった。で、ランケーブルをもってきてもらい接続完了。電話もつながらなかったのだが、これは自分で修復できた。電話についていた説明書に、ケータイにかける時の0033を最初につける設定をしろと書いてあったので、そのとおりにやったら光電話がつながらなくなった。その解除の仕方がなかなかわからなかったが、説明書のうしろの方を探してようやく解除できた。これですべてが完了。手伝いに来てくれた学生と近所で軽く飲んで帰った。朝、孫たちが帰っていった。自宅に帰っても、静けさだけがあった。寂しいが、ほっと一息つける。とにかくこれで仕事に集中できる。

04/05/木
本日は休み。北沢川の桜が咲いている。今年は寒かったから、やっと咲いたという感じだ。一度、一人で散歩したあと、夕方、妻ともう一度散歩。桜の季節は、桜を見るしかない。

04/06/金
大学入学式。バスが混むことが予想されるので武藏境駅から歩く。武藏境の駅は客員教授として大学に通い始めた3年前からよく利用した。週に1回だったので、なるべく歩くようにしていたからだ。当時は下りのみ高架で、上りは平地に線路があり、駅の構内はとても複雑だった。上りも高架になっても、構内の複雑さはそのままで、往きの下り線でホームに降りると、南口に出るしかなかった。まだ上り線が平地だった頃は、南口から出たすぐ先に3階まで一気に昇るエスカレーターがあり、それで北口に回ることができた。上り線が高架になると、平地で北口に行くことができるようになったが、それでもいったん南口から出るという回り道が必要だった。先週、ついに駅構内の工事が完成し、ホームからエスカレーターで降りるとそのまま北口に出られるようになった。帰りも平地の改札口からエスカレーターでホームに行ける。ものすごく便利になった感じがするが、これが当たり前なのだ。
大学の研究室に行くと、頼んであった本棚が入っていた。感動した。当たり前のことなのだが、管財課の指示で、業者の人が本棚を組み立てて設置してくれたのだ。隣の研究室の工事を見ていたので、地震にそなえてドリルで壁に穴を開けて書架を固定する作業の大変さを実感していた。頼んでおいたことがそのとおりに実現されているというのは、夢のようなことだ。入学式は、去年はなかった。大震災の直後だったからだ。わたしが勤めている大学は仏教系なので、入学式も卒業式も仏式である。卒業生はともかく、新入生はびっくりするだろう。わたしの次男はキリスト教系の大学だったが、キリスト教には違和感がなかったはずだ。いまの若者にとっては、仏教の方がなじみがうすいと感じられるだろう。
入学式のあと、父母を相手に専任教員が挨拶する。創作を学んでも何の役にも立たないと思われるかもしれないが、自分を見つめ直すいい機会になるとともに、プレゼンテーション能力が鍛えられるので就職にも役立つといった話をした。大学には看護学部というのもあり、昨年は国家試験が百パーセント合格だったといった話を入学式で学長が話していた。資格があれば就職率も百パーセントだろう。そこにいくと文学部は、何の資格も得られない。それでも、世の中の職業の大部分は資格など必要ないのだし、セールスマンになるにしろ、事務職になるにしろ、仕事のあいまに創作にも打ち込んでいる人の人生は充実しているはずだといったことも話した。
研究室に本棚が入ったので、これで引っ越しの作業は完了したのだが、屑カゴがないことに気づいた。廊下に出てみると、引っ越していった人が「不要」のラベルを貼ってゴミとして置いていったものが山積みになっているので、その中を探すと適当な屑カゴがあったのでゲットした。昨夜、《自分史》が完成した。自宅に帰ってプリントする。数日で誤字脱字を訂正し、これでこの作業は完了となる。さて、次の仕事を何にするかは、その数日で考えることにする。

04/07/土
週末。『悪霊』の本物のゲラが届く。いままで見ていたのは控えのゲラ。今回のは校正者のチェックが入っている。これが届くまでに控えゲラを読み終えて、自分としての直しを終えておきたかったのだが、3章の始めくらいのところでストップしている。とりあえずいまの作業は、《超自分史》のプリントだ。一気に読んでいく。半分ほど読んだ。『悪霊』2200枚に比べて、《超自分史》は300枚。すぐに読める。ここまで読んだ限りはうまくいっている。細かい手直しは必要だが、流れとしては問題ない。あと1日あれば読み終えるだろう。手直しの入力に1日。それで完了だ。夕方、妻と桜を見に行く。バスに乗って砧公園まで行った。ここは広大な土地に桜の巨木が散在している。昔はゴルフ場だったところだ。土曜日なので人間も多いが、それ以上に土地が広いので、さほど混雑している感じはしない。いい散歩になった。

04/08/日
日曜日。《超自分史》のプリントチェック。全体の4分の3のところまで。あと1日で完了する。コーラスの練習。次の土曜日が本番のコンサートなので最後の練習。いい感じになっている。

04/09/月
大学。学科会。引っ越しをした新たな研究室には水道の蛇口がある。これは便利なので、自宅から歯磨きセットなどをもっていって配置した。が、ここで歯を磨いたりするのは、たぶん月曜日だけだ。火曜日は午前中だけ、木曜日は午後だけなので、研究室の滞在時間はほとんどない。この大学の専任の先生の中でも一番短いのではないかと思う。この部屋には電話台みたいなものがある。管財課の人に、これは要らないと言ったら、登録されている資材を勝手に捨ててはいけないと言われた。車がついているので動かせる。本棚の前に置いても動かせるのでじゃまにならないかとも思った。本日の学科会では、不要な備品の地下の倉庫で保管することができるという話だったが、まあ、置いておくことにした。明らかに電話台なので電話を置いてもいい。
明け方まで作業を続ける。《超自分史》のチェックを完了。あとは入力だけ。区切りがついたので入力は明日の作業にして、これから先の仕事を企画を立てる。すでに河出書房には小説の企画を3本送ってある。「カラマーゾフ」の準備のためには半年以上が必要なので、日本を舞台にした小説を一つ書いておきたい。エッセー、新書の類は、《超自分史》がほぼ手を離れる。次は宇宙論を書く予定だが、うまく行くかどうか、やってみないとわからない。まえがきと第一章を書いたところで、担当編集者に渡すつもりだが、その段階に到達できるかもわからない。いま世の中は原発に注目が集まっているので、いま宇宙論を出しても売れないだろうという判断も成り立つので、こちらとしても気持が固まっていない。で、書きたい本のリストを3つほど作って、別の版元に売り込んでもらうことにしている。そのレジメを書いた。

04/10/火
入力が終わった。とりあえず決定稿ができて完了ということになる。ただちに担当編集者にメールで送る。メールというものは本当に便利だ。昔は手書きの原稿を編集者に手渡していた。専用ワープロの頃はプリントして郵送していた。パソコンの時代になってメールに貼り付けるだけでよくなった。その結果、編集者と会うことが少なくなったのだが、それは効率がよいと解すべきか。妻と桜を見に行く。目黒川。すごい人だ。菅刈公園にも行く。近所のゼストで軽く飲む。三宿に引っ越した直後にこの店がオープンした。わたしもこの店も26年、三宿に存在したのだ。さて、『悪霊』のゲラ。控えのゲラが先に届いたので読んできたのだが、全体の半分を少し超えたところで、校正者のチェックが入った本ゲラが届いた。しかしこのまま控えのゲラで最後まで読んでしまいたい。校正者のチェックを見ると集中力がなくなるので、きれいなゲラで自分の直したいところを直し、あとで校正者のチェックとつきあわせをすればいいだろう。

04/11/水
『悪霊』の校正。第3部が終わった。これは4分の3のところまで来た。ここからエンディングまでは一気の流れだ。第3部は原典のある部分で、原典の流れを踏襲したために少しかったるい感じがする。ニコライ・フセドヴォロドヴィッチが登場するまでが長い。原典では主人公の登場を出し惜しみして引っぱりすぎている。わたしの作品では前史があるから、すでにニコライは充分に描かれているので、出し惜しみする必要はないのだが、それでもなかなかニコライが出てこないという原典の感じは残しておきたいので、できる限り出し惜しみをした。一人、また一人と人物が現れてだんだん話がこみいっていくという原典の感じはうまく再現できていると思う。第4部は決闘のシーンから始まる。原典でもよく書けているシーンだが、わたしの前史ではすでに二度の決闘が描かれているので、この3度目の決闘は可能な限りコンパクトに描いている。ここからエンディングに向かって流れているストーリーが、原典以上の密度をもって展開されているか。読み返すのが怖いような感じがする。エンディングに近づけくほどに密度が高まるような感じがないと成功とはいえない。

04/12/木
大学。今シーズンの最初の講義。3年と4年のゼミに、今年から大学院が加わった。大学院で教えるというのは初めての経験だが、少し専門的なことも加えてみたいと思う。日本文学の歴史的な展開を考えながら、改めてその方法論を分析し、そのことを創作に活かすといったことだ。古いことを研究しても仕方がないだろうという考え方もあるが、古典に学んで現代に活かすということもある。大学院だから、古典を大切にするというスタンスで臨みたい。大学院は夜の授業だ。早稲田の第二文学部で2コマ続けてやると夜の9時を過ぎた。妻に車で迎えに来てもらった。今回は夜は1コマだけなので、歩いて帰れる。早稲田から帰ると田園都市線がひどく混むので疲れた。井の頭線はすいているので楽だ。

04/13/金
ひたすら『悪霊』のゲラ。北朝鮮、人工衛星打ち上げに失敗。そもそも南に向かって衛星を打ち上げるというのは聞いたことがない。衛星は東に向かって打ち上げるものです。地球の自転を利用するため。できれば赤道のあたりで打ち上げた方がいい。だから日本では東大は大隅半島、宇宙開発事業団は種子島で打ち上げてきた。もともと北朝鮮は緯度が高すぎて打ち上げには不向きだ。昨日の祇園の自動車事故は単なる発作とは思えない。むしろ医者や家族に運転を止めるようにと言われたストレスで、気持が切れて暴走したのではないか。もちろんただの思いつきにすぎないのだが。

04/14/土
めじろ台男声合唱団の演奏会。作曲家中原健二作品コンサートという催しの一部として、3曲を歌った。本邦初演のオリジナル曲で、難しかったが、達成感があった。とにかくイベントが終わってほっとした。自宅に帰って『悪霊』のゲラを見ると、記憶のない赤字が入っている。昨夜の明け方の作業がまったく記憶にない。不安なのでもう一度見直す。

04/15/日
日曜日。北沢川緑道に散歩に行くと、葉桜の下で人々が宴会をしていた。葉桜の季節なのでいやに寒い。片づけていた冬のコートを引っぱりだした。『悪霊』最後の1章を残すだけとなった。

04/16/月
大学。今シーズンから1限の授業だ。電車がけっこう混んでいる。バスはもっと混んでいる。一台やりすごしい運転手の後ろの席に座ったけれども、立っている人がいっぱいいるのは落ち着かない。その満員状態が大学前まで続くのだ。明日も1限なので、武藏境から歩こうと思う。本日は最初の授業なので3限、4限の1年生の入門ゼミにも担任として参加。それから教授会、学科会、そして飲み会と続く。うーん、フルタイムで大学と付き合った。自分の仕事はできず。

04/17/火
大学。1限。今日はこれだけ。すぐに帰ってもいいのだが、午後に文藝家協会へ行くので、ぎりぎりまで研究室で仕事。「宇宙論」の出だしの部分を書く。それから文藝家協会へ。夜中に『悪霊』のゲラ。控えゲラのチェック完了。明日から、校正者のゲラとの突き合わせの作業に移る。突き合わせた結果、修正の必要なところもあるだろうが、とにかく一度は通読して、自分で直したいところは直しているので、突き合わせの作業だけで、比較的に短時間で作業が終わるのではないかと期待している。とにかく、ゲラの通読が終わったので、ゴールに向かった、さらに一段階先に進めたという気がしている。

04/18/水
自宅に文化放送の担当者来訪。5月5日のお昼前後の番組に出演することになっている。簡単な打ち合わせ。『男が泣ける歌』を紹介してくれるようで、ありがたいことである。『新釈悪霊』のゲラの突き合わせ、第二部が終わる。これで半分。

04/19/木
大学。木曜日は午後から。ただし夜間まで、3コマぶっとおし。3年、4年、大学院とゼミばかりが続く。ゼミは本来、学生にしゃべらせればいいのだが、シーズン始めなので、こちらが一人でしゃべることになる。来週あたりから、少ししゃべるのを減らそうと思う。夜中はゲラの突き合わせ。

04/20/金
国会図書館の協議。先月もやった気がしたのだが、今回は少数精鋭のワーキングチーム。なかなか先に進まないが少しずつ前進している感じはする。『新釈悪霊』第三部終わる。明日には完了するか。

04/21/土
『新釈悪霊』初校校正完了。エンディングとあとがきに大幅な訂正を入れた他は、大きな直しはなかった。2200枚の大作だが、原稿の段階で何度も読み返しているので、もはやまったく揺らぎがないといっていい。いくつかの間違いはあって、校正者に感謝するしかないが、書き手の揺らぎで校正に赤字を入れるといったことはまったくなかった。長い作業が終わった。ほぼ一年がかりの作業だった。再校が出るだろうが、もはや大きな問題は生じないだろう。何だか疲れがどっと出た感じがするが、そうもいっていられない。宇宙論はプロローグの段階で試行錯誤が続いている。『頼朝』の再校も出ている。当面は宇宙論をやりたいという気持があるのだが、作業のスケジュールがまだ決まっていない。小説も一つ頼まれている。まあ、『頼朝』の再校を見ながら先のことを考えるつもりだ。

04/22/日
日曜。ゲラが終わったので、当面、急ぎの仕事はない。『頼朝』のゲラは連休明けくらいということで、まあ、そろそろ始めないといけない。問題は宇宙論だ。「まえがき」の部分の悪しきスパイラルにはまりこんでいる。難しいことをわかりやすく言おうとして、深みにはまりこんでいる。もっと浅くすっきりと切り抜けないと先に進まない。新書の類はいつも「まえがき」で苦労する。

04/23/月
月曜日は1限。週の初めのこんな時間に来る学生がいるかと思ったが、かなりの人数がいる。聴き手は多い方が元気が出る。5限に学科の会議があるので、4時間ほどアキ時間があるが、先週の木曜日に作品を提出した学生がいるので読まないといけない。この時期に作品を出すというのは意欲がある学生だ。期待したい。

04/24/火
火曜日は1限だけ。午前10時半に今日の仕事が終わる。昼過ぎまで研究室にいて、夕方自宅に帰る。夜中は自分の仕事。のんびりと飲みながら宇宙について考える。いい仕事だなと思う。

04/25/水
水曜は大学には行かない。歯医者と床屋。あとは仕事。宇宙論についてずっと考えている。数式を使わずに宇宙について語ることは可能なのか。可能なのかと考えるよりも前に、書くつもりになっているのだが、それでいいのかというのは、つねに疑問だ。どこまで語れるかというのが問題になる。これは書いてみないとわからない。とにかく、プロローグと第一章だけを書いてみたい。

04/26/木
大学。木曜日は午後からの出講だが、夜間の大学院まで3コマあるので疲れる。去年も木曜は3コマだったのだが、2限、4限、5限で、昼休みのあと1コマぶんの休みがあった。今シーズンは朝は楽だが帰りが遅くなる。昨夜、短篇を書き始めた。どこまで書けるか行けるところまで行ってみようと思う。

04/27/金
妻の運転で衆議院第一議員会館へ。国会議員の勉強会に参加。国会議員と大手出版社の経営者が集まっている。みんなそれなりにがんばっている。日本の出版社は良心的で、文化についての敬意ももっている。これは世界に誇るべきことだ。そういうことを知らずに批判をするネット関連の人々もいるのだが、それは天につばするようなものだ。いま議論されている問題は、小説家にとっては大きな課題ではない。日本の出版社は作家を大切にしている。恐れているといったもいい。限られた先生方によって出版文化が支えられてきたという経緯があるからだろう。とりあえず必要な発言をして役目を果たし、自宅に戻る。少し仕事をしてから、大久保の「くろがね」へ。作品社の担当者にゲラを渡す。これでこの仕事も大きな山を越えた。まだ再校があるのだが、大きな問題はないと考えている。飛び入りで岳真也も参加して楽しく飲む。午前中の会議があったので長い1日だったが、今シーズンは1限の授業があるので、それほどの負担ではない。

04/28/土
土曜日だが大学でオリプロという行事があり早朝から参加。学生との飲み会があって最終電車で帰宅。井の頭線の最終電車は意外と早い。危ないところだった。

04/29/日
2日連続の飲み会で少し疲れた。月曜日は休日にかかわらず大学の授業がある。疲れをとるために1日のんびりとしている。

04/30/月
大学。本日は1年生の入門ゼミの当番ではないし学科会もないので、昼休みを研究室ですごしたあと、自宅へ。妻の誕生日なので三宿のいつも編集者と飲む店に行く。妻は酒を飲まないので三宿近辺の店を行くことはめったにないのだが、本日は祝日なので、仕事帰りの客がなく、貸し切り状態だった。4月が終わった。『悪霊』の校正が中心だった。大学の新年度がスタートした。研究室の引っ越しが無事に終わったが、自宅の荷物を運び込む作業は進んでいない。連休にがんばるしかない。



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