「宇宙論」創作ノート2

2012年03月

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03/01/木
大学。創作集の担当をしている。印刷屋さんと最終の打ち合わせ。ページ割を確認して、すべて責了でゲラを渡して、これで終わったと思ったら、いまごろゲラをもってきた先生がいた。紀要の担当の先生は来週も印刷屋さんと交渉が続くはずなのでそちらに回してもらうことにした。あとは部屋の片づけ。4月に研究室の引っ越しがある。荷造りは済んでいるのだが、机の中の文房具なども箱に入れてしまう。何もかも入れてしまうととっさに困る。箱のラベルに記入しようと思ったら、フェルトペンがもう箱の中に入っている。何とか探し出す。まだ3月は始まったばかりなので、今後も同じようなことがあるだろう。自宅に帰って「自分史」。毎日、一定のペースで前進している。

03/02/金
ホテルオークラ。旺文社の全国学芸サイエンスコンクールの表彰式。自分の体を運んでいくだけの仕事。表彰状を渡す。総理大臣賞とか、そういうのは内閣府の人が渡す。わたしが渡すのは小さな賞。それでも全国からの応募があって受賞したのだから、すごいこと。フランクフルトの日本人学校の生徒だったりする。航空運賃は旺文社もちだろう。オークラの平安の間で宴会。といってもお酒は出ない。ビールだけ。時々、水割りをもった女性が目の前をよぎっていく。頼めばもってきてもらえるようだが、こんなところで酔っぱらってもいけないので、ビール一杯にとどめる。冷たい雨。六本木一丁目のスペイン大使館の方に向かうエスカレーターは雨の日は止まっている。それでもこの駅があってありがたい。この駅ができるまでは、オークラは陸の孤島だった。

03/03/土
この週末はゆっくり休める。妻が実家に戻った。まあ、問題はない。コンビニがあれば生きていける。去年の震災の直後はコンビニから食料品が消えて困ったが、いまはそんなこともない。《自分史》は順調に進んでいるのだが、どこかで読み返して文体のチェックが必要だ。いまはまだ断片的に文章を書き進めている段階だ。このまま手探りで書いていって、全体の分量くらいのものを書き上げてから、整理をしていき、無駄を省き必要なものは書き足すというようなことで仕上げたい。大学が去年の震災直後に緊急用のメールとしてGメールのアドレスを設定した。ふだんは使わないのだが、たまにのぞいてみると学生がここにメールを送ってきていることがある。転送できるはずだと設定などをのぞいて、どうにか転送できるようにしたが、1時間近くかかった。先日、大学のメールを自宅に転送しようとして仕組みがわからず、念のために紙の書類のメニューをのぞいたら、「転送願い」という書類を見つけた。紙にプリントして手書きで書き込み、大学の管理者に届け出るという思いきりアナログな方法だった。そのせいでネット上でどんな手続きも可能だという信念が揺らいだ。さすがに今回はグーグルなので、転送サービスだけでなく、Gメールをアウトルック・エキスプレスで受け取る方法なども親切に解説してあった。

03/04/日
妻がいないので朝から仕事……のはずだが、将棋などを見てしまう。渡辺対久保などというビッグカード。先手の渡辺がじりじりと押して圧勝。もしかしたら将棋はフットボールと同じくらい面白いかもしれない。マラソンは知らない人がいきなり出てきて日本人一位になった。これはすごい。女子ゴルフは新人が開幕戦で優勝した。これもすごい。あんまり仕事ができなかったな。

03/05/月
文藝家協会理事会。冷たい雨が降っていたが、自宅を出る頃にはやんでいた。ありがたい。誰でもそうだろうが、傘は嫌いだ。夜中、なでしこジャパンのアメリカ戦を見る。引き分けでは得失点差で負けに等しいという状況。だがWカップの決勝でもPK戦で勝ったものの試合は同点にするのがやっとだった。とても勝てるとは思えなかった。それなのに勝った。沢穂希ぬきでも勝った。オリンピックのアジア予選でも、チーム状態最悪の中でも負けなかった粘りが、今回もアメリカの猛攻をしのいで、終了間際のコーナーキックからの得点で逃げ切った。またも宮間のコーナーキックだ。いい試合だったが、決勝はドイツ戦か。またすごい試合になりそうだ。ところで、本日の理事会、最後のウナギだった。理事会ではいつもウナギを出す。わたしはカロリーオーバーになるのでいつも辞退していたのだが、本日は最後のウナギだというのでありがたくいただいた。ウナギは嫌いではないのだが。なぜ最後のウナギになったかというと、次回から開始時間が早まるため。まあ、ウナギの稚魚が減少してウナギ自体が高騰していることもあるのだろうが。わたしは仕事場が浜名湖にあるので、安くいうまいウナギに慣れているので、東京のウナギは食べる気がしない。

03/06/火
本日は何ごともなし。とにかく仕事を進めている。

03/07/水
メンデルスゾーン協会理事会。まあ、飲み会みたいなものだった。妻は関西の実家から四日市の次男宅へ近鉄で向かったようだ。昨夜、阿倍野の時刻表をネットで調べろとメールが来た。誤解をしている。名古屋方面の近鉄は難波、または上本町から出る。名古屋行きは1時間に2本あるのだが、1本はノンストップ。しかし賢島行きが2本ある。伊勢中川というところで名古屋行きに乗り換えることができる。ただし上本町発が多い。難波からだと奈良行きか生駒行きにのって上本町まで移動しなければならない。昔、近畿大学で講演した時も、どこかで乗り換えた記憶がある。妻には、間違えて神戸行きに乗るなと伝えた。で、妻は無事に上本町から賢島行きに乗ったようだ。嫁さんが町田にある実家に車で移動するというので、子守で同乗することになった。孫2人と楽しいドライブだったようだ。夜中、女子サッカー、ドイツ戦。2点先制されたのによく追いついたがロスタイムに決勝点を入れられた。まあ、よくがんばった。

03/08/木
大学。教授会。1時から始まった終わったのが6時。何という長い会議。
作品社からメールが入った。控えゲラを送るとのこと。986ページ。
これまでのわたしの本の最大ページは、
1、『地に火を放つ者・双児のトマスによる第五の福音』689ページ。
2、『漂流記1972』617ページ。
3、『新釈白痴・書かれざる物語』567ページ。
だが本当の最大は上下2巻になったものだ。
1、『デイドリーム・ビリーバー上・下』356+357=713ページ。
2、『西行月に恋する・阿修羅の西行』287+307=594ページ。
いずれにしても986ページは最大の作品だ。
全国の図書館さん。大学図書館さん。買ってください。

03/09/金
午前は著作権情報センター理事会、午後は著作権と言論の自由委員会。場所は同じところ。初台のオペラシティー。ここを最初に訪ねた時は著作権白書の委員会だった。そのうち理事になったので年に何回も通う。ここは車で行くと早いのでいつも妻に送ってもらう。冷たい雨が降っている。昼休みに1時間半ほど時間があったので、喫茶店で仕事。かなり書けた。出かける前に、ゲラが届いた。986ページ。厚みがあるので、ゲラの封筒を立てて置ける。すごい本だ。

03/10/土
この週末は何もないと思っていたのに、明日の大学院入試の面接に出ないといけなくなった。で、本日はのんびりとすることにした。ゲラはあるのだが、これを読み始めると何もできなくなるので、《自分史》をある程度のところまで書いてから取り組みたい。ただ副題については考えないといけない。「悪霊たちの青春」ということで進めて来たのだが、少し甘いか。それでは誰も読まない。1000ページ近い作品だから、中身が重いということを示さないといけない。目次はいい感じになっている。主な登場人物。2ページにまたがってしまう。ページをめくったところで、人物のジャンルが変わるように配慮をしたい。それと人物の説明が一行になるように少し削ることにした。本日の作業はそれだけ。いつまでも寒い。何とかしてほしい。花粉が出てこないのはありがたいのだが。

03/11/日
日曜日だが大学。大学院入試の面接。役目を果たしたあと、研究室の最後の整理。別の館に引っ越す。自分の荷物は箱に入れてあるのだが、パソコンをどうするのか。いま頃になってマニュアルを見ると、配線をはずしてラベルを貼れと書いてある。デスクトップなのでキーボード、ディスプレイ、スピーカー、プリンターが配線でつながっている。これをはずして、あとで自分でつなぎ直すらしい。ランケーブルがどうなっているか、ラックをどかして確認すると壁の中から線が出ている。この線は置いていくしかない。とにかくパソコンでの作業は今日が最後になると決意して、必要な作業を終える。メールなどは自宅に転送されるようになっているので、もうこのパソコンに触る必要はないはずだが、卒業式にも来るのでまだ配線はつないだままにしておく。卒業式のあとで配線をはずし、それで作業は完了。部屋の鍵を管財課に返して、もうこの研究室は使えなくなる。さて、今日も半日つぶれた。《自分史》が中断しているので、今日から月内完成を目指してピッチを上げることにする。
今日は3月11日。東日本大震災から一年たった。一年前のこの日、わたしは文藝家協会協会で総務省の調査を担当している人の質問に答える約束をしていて、永田町の地下鉄からエスカレーターで地上に出る途中だった。エスカレーターが異様な音を立てて揺れた。故障かと思って地上まで駆け上がってみると、道を行く人々が道路にしゃがみこんでいた。それでも文藝家協会まで行って、すでに到着していた総務省関係の人と1時間話をした。余震が来たのに構わずにしゃべり続けていたので、地震が怖くない人と思われたようだが、その時は著作権について語ることに熱中していたので、地震がどうしたのという感じだった。終わってから協会のテレビで津波の映像を見た。電車がことごとくストップしていることも知った。だが永田町だから、三宿まで歩くのはそれほどの負担ではない。2時間くらい歩いたが、あっという間だった。帰ってすぐに仕事をした。『悪霊』の構想を練りながら『道鏡』のゲラを読んでいた。それで頭がいっぱいだった。3月の後半には大腸の手術が控えていたし、4月から大学の専任になることが決まっていて、気持の上でもそれだけでいっぱいだったので、震災や原発のことを考えるひまがなかった。スペインにいる長男から、すぐに逃げてこいとメールが来たのだが、自分の仕事のことしか考えていなかった。いまから振り返ると、福島原発はもっと大規模な爆発を起こす可能性があった。とくに休止中の4号炉が危なかったようだ。だが風向きによって汚染物質が拡散するという知識はあったので、外国の天気予報のサイトを注視していた。なぜか日本の気象庁は的確な情報を出さなかった。世界中の人々が騒いでいるのに、日本人だけは危機を感じていなかったのだ。結果的に、東京の汚染(柏などのホットスポットは除いて)は限定的なものだったが、それは偶然の僥倖というしかない。その後の、文化人たちの過剰反応に対しては、わたしは基本的に無関心だった。他人がどうあろうと、わたしは自分の仕事をするだけだ。近所の病院に入院している間にも、病室は何度も余震で揺れた。震災の直後に妻が関西の実家に行ったので、一人で一週間ほど生活したが、その間、コンビニから食料品が消えたのには困った。まあ、そんな記憶しかない。それからずっと、『悪霊』を書き続けてきた。ドストエフスキーが憑依していた。ドストエフスキーの霊は、地震には無関心だ。いま、ドストエフスキーの霊が抜けてしまったので、大変なことが起こったのだなと改めて感じている。亡くなった人よりも、津波に流されて生き残った人が大勢いるということに驚く。生きようという執念みたいなもので生き残った人が一人や二人ではない。第二次世界大戦の空襲とほぼ同じような体験をもった人々が何万人もいるということは、驚きだと思う。確かに、人が一人死ぬくらいの小説(たとえば『いちご同盟』のことを言っているのだが)など、つまらない話だ。だが、『新釈悪霊』はエゴイズムや無神論と、神、および神に憧れる魂が、精神的なバトルを展開する物語で、自然の一方的な脅威に打ち負かされるだけの津波よりも、はるかに奥が深い。986ページのゲラが、いま手元にある。これがあれば、地震に負けない。

03/12/月
文藝家協会評議員会。文化庁の著作権分科会の委員を引き継いでもらう永江朗さんに引き継ぎの打ち合わせ。その後、岳真也さんと近くの店で軽く飲む。今日もこれで半日がつぶれた。明日、明後日と休みなので、そこで仕事のピッチを上げたい。

03/13/火
本日は公用なし。《自分史》、少し行き詰まっていたところを打破した。もう半分を超えているのでゴールに向かって進んでいるはずだが、まだ着地のポイントが見つからない。ここから徐々に盛り上がって山場に入ることになるはずだ。

03/14/水
本日も公用なし。さあ、仕事だ、と思って起きたら、孫たちが大宮の鉄道博物館に行くという。仕方がない。同行することにした。渋谷に出て、湘南ライナーになる。この電車はグリーン車の2階に乗ると快適だ。ホームの機械でスイカにグリーン車情報を入力するのも面白いし、そのスイカを天井にあてるとランプが赤から緑になるというのも面白い。渋谷から大宮までは約30分。快適な旅だ。大宮に鉄道博物館ができたということは知っていたが、自分はそこに行くとは思っていなかった。電車に乗るのは好きだが、鉄道マニアではない。しかし孫について行ってみると、まあ、悪くないところだ。午後4時から食堂でビールが飲める。そこが微妙だが、ディズニーランドよりはましだ。帰りは駅ナカで買い物などをしていてグリーン車の手続きができなかったので、普通車に乗った。これは快適ではないが、とにかく30分で渋谷に着く。が、疲れたので恵比寿まで乗ってタクシーで帰った。少し疲れた。酒を飲んで寝よう。

03/15/木
ペンクラブ理事会。えらい長い会議だった。自宅に帰ると孫たちはもう食事を終えていたが、何だか喧騒が外の道路まで伝わってきた。ふだん老妻と静かな生活をしているので、いささか緊張する。

03/16/金
公用なし。孫たちの喧騒も、どこから出かけてくれたので静けさに包まれる。下北沢、銀座、東京駅などをめぐったようだ。若い嫁は元気だ。子どもたちも元気そのものだ。話を聞いているだけでこちらは疲れる。《自分史》、5章が終わる。全体は8章。折り返し点をすぎてゴールの方が近くなった。夜、勤めを終えた次男が四日市から三宿にやってくる。サラリーマンは大変だ。スペインの長男がのんびりと休暇を楽しんでいるのとはえらい違いだ。夜中、次男、嫁さんと、飲みながら話をする。わたしの妻は酒を飲まないので、こんなふうに夜中に人と話しながら飲むことはめったにない。

03/17/土
週末。冷たい雨。孫たちは横浜に出かけた。こちらはいつもの散歩。夜、女優の三田和代を招待。下の孫のお食い初めの時以来の孫との対面。子どもたちは元気で機嫌がいい。こちらはひたすら酒を飲む。早めに寝る。

03/18/日
日曜。コーラスの練習で八王子へ行く。今日はテノールが一人だったので声を張り上げて歌う。大きな声を出すと元気になる。軽く飲んで帰る。孫たちは寝ていたが、次男と嫁さんがまだ起きている。飲みながら少し雑談する。

03/19/月
大学の卒業式。この学校は母体が築地本願寺なので仏教式。先生の席が満員なので父母席に座る。終わってから研究室のパソコンの片づけ。配線をぬいてまとめる。これでいいのかよくわからないが、新しい研究室の部屋番号を貼り付ける。すべての作業を終え、鍵を管財課に返却する。これで四月初めの引っ越しまで大学には来ない。丸ノ内線で西新宿に出てルノワールで仕事。カラマゾフの資料を読んでいるうちに『悪霊』のあとがきのアイデアと、《自分史》の最終章のアイデアが出た。『悪霊』はわかるが《自分史》とどういう関連があるのか。頭が回転していたということだろう。ヒルトンで卒業パーティー。今年は卒論ゼミを担当していないのだが、2年、3年の時の演習を担当したので何人かは教え子がいる。早めに帰る。まだ孫たちが起きていた。下の孫がいやに昂奮してなかなか寝なかったが、面白かった。孫たちも明日帰るので平穏が訪れる。

03/20/火
祭日。春分の日。孫たちが帰っていった。寂しいが、少しほっとする。春の陽射しがやわらかい。風はまだ少し冷たい。仕事に集中したい。ところで、ペイトン・マニングの行き先が決まった。デンバー・ブロンコスだ。とりあえずアメリカン・カンファレンスなのでよかった。これでジャイアンツの弟イーライとのスーパーボウル対決の夢が持続することになる。ブロンコスは昨シーズン西地区の優勝チームだが、弱小地区で8勝8敗での優勝だった。ここにマニング兄が入れば優勝は間違いない。これまでのQBは新鋭のティーボウだった。はっきり言って、新鋭QBでも優勝できるくらい、チームの水準は高い。しかしティーボウはどうするのだろう。トレードで他のチームに行っても活躍するとは思えない。マニング兄はいま現在で最高のQBだが、昨シーズンは首の治療で全休だった。治療が成功しているかどうかは不明なので、ティーボーを残しておくという手もあるが、マニングは自分で走る選手ではないので、QBが不足しているチームに声をかけて、オフェンスラインとトレードすることをチームは考えるのではないか。いずれにしろ、アメリカン・カンファレンスがこれで面白くなった。

03/21/水
江中直紀さんを偲ぶ会。江中さんは早稲田の教授で、『早稲田文学』のある期間の責任者でもあった。わたしが大学の先生をするようになったのも江中さんから誘われたからであり、早稲田文学部にわたしを第1号とする専任扱いの客員教授というポストを創設したのも江中さんだった。わたしは結果として18年間、早稲田の先生をつとめたのだが、それはひとえに江中さんのおかげだった。それだけ付き合いが深かったのだが、親しい人だったかというと微妙な感じがする。江中さんは天才肌の人で、すべてを自分の価値観で対処する人だった。敵も多かった。頭の回転の早い人で、わたしはそういう人を認めていたし、意見が合わないことがあっても敵対することはなかった。それはわたしの人柄みたいなもので、だから江中さんとわたしとは、衝突したことは一度もない。しかし多くの人々とは衝突することが多かったようだ。わたしはそういう人が好きだ。敵の多い人はピュアな人だと信じるからだ。江中さんはピュアな人だった。わたしは自分の生涯の中で、江中さんと出会えてよかったと思っている。自分よりも頭の回転が早く知識が豊富で、その点では、あなたはすごいと心の底から思える数少ない人だった。でもたぶん、江中さんは孤独だったと思う。自分の頭のよさを隠すことができない人だった。わたしはどちらかといえばテキトーな人間だし、他人と競い合うことにこだわらない人間なので、距離を置いて付き合うようにしているのだが、江中さはとても真面目な人で、その点で人と衝突することもあったのだと思う。しかし今日、集まってすべての人々は、江中さんを愛していた。多少の衝突があっても、江中さんがピュアの人であったということは、誰もが認めていた。江中さんが早稲田文学の責任者だった時に、編集長をつとめていた重松清の司会で始まったこの会は、わたしが体験した同種の会の中でも、最も心温まるものだった。わたしは献杯の役をあてられたので、短めにスピーチしたのだが、必要なことは話せたと思う。あとから話した関係者のスピーチのことごとくが心温まるもので、江中直紀というたぐいまれな個性に対する尊敬と愛がこもっていた。江中さんはちょっと変な人だったけれど、誰からも愛されていたのだと思った。江中夫人とはわたし初対面だったけれど、伝説の女性で、詩人でもあり、わたし会う前から尊敬していた。初めて言葉を交わしたのだが、わたしの著作を読んでいただいていて、胸にしみるお言葉をいただいた。重松清の司会もよかった。このところ多忙な日々が続いていて、こういうイベントに参加できるかどうかもわからないほどスケジュールがタイトだったのだが、万難を排してこの日に備えた。出席し、多くの人々と語り合えたことは、心の奥にずっしりと伝わるような貴重な体験だった。江中さんは本当にすごい人だった。そのすごさを参加者の多くの人々が認めていたことが嬉しかった。

03/22/木
仕事場に移動。夜中、『悪霊』のゲラ、2章終わる。1章はまったく直すところがなかったが、2章になると直すところが出てきた。書き間違いとかそういうことではないが、『カラマーゾフ』の資料を読み込むうちに、関連をつけないといけない箇所が出てきた。たとえばニコライの愛称を、当初はコーリャとしていたのだが、トルストイの『幼年時代』が出てきたのでニコーレニカに変えていた。しかし『カラマーゾフ』との関連を考えると、ここはコーリャでないといけない。わたしの『新釈悪霊』はアリョーシャがコーリャを目撃する物語だが、『新釈カラマーゾフ』はコーリャがアリョーシャを目撃する物語になるはずだから。ただコーリャを多用するのはよくない。母親のワルワーラ夫人は息子のことをニコラスと呼んでいる。ここはそのままでいい。

03/23/金
仕事場での穏やかな日々。一日中、ずっと豪雨という天気予報だったが、午後になると小雨。風もそれほど強くない。だが散歩する気にもならずひたすら仕事。《自分史》の行き詰まっていたところを突破して、先に進んだ。夜中は『悪霊』のゲラ。しばらくはこのペースで進んでいきたい。

03/24/土
近くの動植物園へ。孫なしで老夫婦だけで行くのも一興。嵐のあとの快晴。だが風はまだ冷たい。しかし空気が澄んで気持ち良かった。《自分史》はゴールが見えてきたので、このあたりで最初から読み返して文体を調整する。文体に流れができていれば、完成は近い。

03/25/日
仕事場の庭にある小さな桜の若木に蔓が絡みついているのを撤去。疲れた。ここに来ると肉体労働をしなければならない。夕方、なじみのレストランへ。本日はそれだけ。仕事は前進している。

03/26/月
仕事場滞在は本日まで。ホームセンターに行って必要なものを買う。それだけ。わずか数日の滞在だったが、『悪霊』は第一部の校正が終わった。けっこう直しがあった。これで全体の約4分の1。来月には校正者のチェックが入った本物のゲラが来るはずだが、校正チェックはその部分に集中したいので、それまでに素読みを終えておきたい。《自分史》は文体のチェック。これはまだ第2章を終えただけ。それでも4分の1は終わった。出だしのところの文体は完成されている。あとは重複した箇所がないかをチェックする。大学の仕事などのあいまにやっているので、一気に書いたものと違い、論旨の流れがスムーズでない可能性がある。まあ、仕方がない。とにかく二ヵ月で一冊、本が書ければ順調だ。
ところで、デンバー・ブロンコスのQBティーボウは、ニューヨーク・ジェッツへの移籍が決まった。ジェッツにはサンチェスという平均レベルのQBがいる。ティーボーと競わせるということか。ティーボウはパスが下手だと言われていたが、プレーオフ第一戦ではちゃんとパスを投げていた。魅力はランで、イーグルスのビックよりもバランスがいい。ゴール前の短い距離に限って起用すると面白いかもしれない。ワイルドキャット要因としても使えるが、ランニングバックに起用して、ランニングバックがパスを投げるという奇襲もありだろう。ということで、来シーズンはジェッツが面白そうだ。
夕刻。金星と木星のちょうど中間に三日月が入って、何とも鮮やかな天体ショーが見られた。これはすごい。こんな眺めを楽しんでいる人が全国でどれくらいいるのか。わたしは昨日の月の位置を見て、こうなるのではないかと期待していたので、陽が沈むのを楽しみにしていた。だから見られたのだが、多くの人々はこの素晴らしい眺めに気づかないでいるのだろう。明日になれば月は移動するので、こんな眺めは見られない。妻が東京の友人にメールを送ったら、東京でも見えているという。天体というものはすごい。

03/27/火
仕事場から三宿に移動。数日の滞在だったが、郵便物がたまっている。先日、偲ぶ会があった江中直紀さんの遺稿集が届いている。ページをめくりながら、改めてすごい人だったと思う。

03/28/水
日本点字図書館評議員会と理事会。わたしは評議員と理事会と両方やっているので、両方に出る。なぜそういうことになっているのかはわからない。評議員会は半分は障害者で、障害者の立場からの発言があり、勉強になる。理事会は省庁の高官や民間の経営者のOBの集まりで、これは役所や経営者の見識が聞けるので勉強になる。勉強してどうするのかという問題はあるが、まあ、時間はとられるがいやがらずにつとめている。間にアキ時間が1時間ほどあるので、近くのルノワールで仕事をする。会議の合間に時間があくことが多いので、わたしは各地のルノワールの常連である。ルノワールはスタバなどに比べるとコーヒーの単価は高いが、セルフサービスではないし、あとで緑茶をもってきてくれる。椅子の配置にゆとりがあり、すいていることが多い。しかし不思議なのは店によってブレンドコーヒーの値段が違うことだ。ちなみに先日の大学の卒業パーティーの前に入った西新宿店は540円。本日の高田馬場店は510円。もう1つ不思議なのは、高田馬場店の隣にもう1つ高田馬場店があることだ。正確にいうと今日わたしが入ったのは「高田馬場ビッグボックス横店」で、すぐ隣にあるのは「高田馬場第一店」だ。「第一店」があるから「第二店」があるかといえば、そんなものはない。あるのは「高田馬場2丁目店」と「早稲田通り店」。つまり高田馬場にルノワールは4つある。新宿には13あるらしいが、わたしはそのうちの3店くらいしか行ったことがない。どうでもいいことだが、ルノワール神田淡路町店はいまだに謎だ。確かにルノワールなのだが、どうやら銀座ルノワールのチェーン店ではないようだ。銀座ルノワールのホームページに出ていない。でも神田淡路町に確かにルノワールは存在するし、店の雰囲気もルノワールそのものなのだ。

03/29/木
本日は休み。このところ散歩に出るひまがなかったので、いつもより遠くまで行った。北沢川緑道から世田代田駅、歩道橋で環七を超えて代田八幡から梅ヶ丘の近くまで行き、そこから若林まで。あとは烏山川緑道で三宿に戻る。車での移動だと感じられない道路の傾斜があって、地形というものを足で感じる。北沢川、烏山川という二筋の流れの間は丘陵地になっている。わたしの自宅はその丘陵地の先端に位置している。いいところだ。できればついの住処にしたいと思っていたが、この傾斜地が少し負担になってきた。

03/30/金
ついに月末になったかと思ったが、まだあと一日あるのだね。本日は国立国会図書館での協議会。何だか何事も前進しないというような会議になりつつある。まあ、いいや。春が来た、というような陽気だが、明日は嵐になるらしい。明け方、四日市の次男が深夜の高速を飛ばして到着。明日、友人の結婚式があるとのこと。東名を移動中の次男から時々ケータイに現在地のメールが入ったので、落ち着かなかった。

03/31/土
土曜日だが、本日は朝から孫たちがいる。今月の前半にも孫がいた日々があった。ほっとしたのもつかのまで、また孫と対面することになった。


以下は随時更新します

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