スペインの孫2006(「青春小説」創作ノートは一時中断)

2005年末〜06年始

12月 06年1月 2月 3月 4月 5月 6月
年始年末はスペインへ旅行しました。ノートは中断して「スペインの孫2006」をお届けします。
12/22
前日から徹夜のままで、三宿を出発。成田からバルセロナに向かう。英国航空でロンドン乗り換え。孫に会いに行く。いつもはシーズンオフの超安売りチケットで行くのだが、今回はサラリーマンの次男夫婦と合流するので、年始年末のスケジュールとなった。この時期はエコノミーでもかなりの値段がするので、ビジネスとの差がなくなる。と思ったら、次男に手配したセントレア発のエコノミーよりも安いビジネスが見つかった。長い一日。時差の8時間が加わるし、こちらは前日から徹夜だから、非常に長い一日である。飛行機の中では、ここまで書いたぶんをプリントしたものを読み返していた。1章を見ただけだが、とくに出だしが最高の出来だ。思わず涙ぐんでしまった。ホテルの部屋で少しパソコンを打つ。いま書いている青春小説は、書き下ろしであるが、締め切りがある。そこでスペインでものんびりしているわけにはいかない。ひたすらパソコンのキーを打ち続けることになるだろう。

12/23
バルセロナでののどかな休日。今日は何もすることがない。次男が到着するのは明日なので、バルセロナでのんびりしている。ホテルのあるサンツ駅の周辺は工事中で、地下鉄の入口がなかなかわからない。何とかエレベーターを見つけて地下に降りる。3駅先の新市街地のデパートに行ってみたが、どこにでもあるような店。広い道の片側の歩道を進むと、ビルの中にアーケード街のあるところを発見。このあたりはビジネス街だが、大手町みたいな感じで、ビルの一階が商店になっている。ホテルに戻ったが部屋の掃除がすんでいないので、レストランの前のロビーでパソコンを打つ。このパソコンは大学が貸してくれたもの。いつもコンセントに差して使っていたので、バッテリーで動かすのは初めて。ちゃんと動いたが、どんどん電気が減っていく。ようやく掃除が終わり部屋に入る。バッテリーのインジケーターが黄色になっていた。ホテルの向かいのチープなレストランで昼食。部屋でパソコンを打ち、ホテルと同じ建物のスーパーで買ったビールとおつまみで夜食。日本は大雪で、セントレアも閉鎖されているとのこと。次男が出発するのは明日。無事に飛び立てることを祈る。今回の旅行は、次男夫婦といっしょに行くことが目的なので、とにかく次男が出発できるかどうかがポイント。こういうプライベートな生活のあいまにも、着々と仕事をしている。主人公はかたくなで暗い。でも、わたしはそういうキャラクターが好きだ。結局、自分を書いているのかとも思う。

12/24
地下鉄で3駅先のディアゴナル駅からカタルーニャ広場を通って市場まで歩き、カテドラルを経てカタルーニャ音楽堂まで。見学の予約をとってから市場に引き返し、露天の店でパエージャを食べる。それからカタルーニャ音楽堂の見学。長男は1998年に、バルセロナの国際コンクールで2位に入賞したことがある。その最終選考の会場がこの音楽堂だ。だから長男は、この音楽堂でピアノを弾いたことがある。ガウディーと並び称されるドミニク・イ・モンタネールが設計した奇抜にして華麗な音楽堂だ。以前にも前を通ったことはあったのだが、その時は改修中で中に入れなかった。今回は入れた。信じがたいほどに美しい音楽ホールだ。こんなところで息子が演奏したのかと思うと、遅まきながら感激する。最終選考に残るとわかっていれば見に行ったのだが、その当時のわたしは息子の力量を多少見くびっていた。残念。夕方、次男と嫁さんをバルセロナ空港まで迎えに行く。セントレア空港は前日まで雪に埋もれていたし、当日も高速道路が不通だったので、次男は急遽、電車に切り替えて、ぎりぎりで飛行機に間に合ったのだという。パリでの乗り換えもぎりぎりだったとのこと。とにかく、無事に到着してよかった。ホテルに荷物を置いて、カタルーニャ広場の近くまで行き、食事。本日はクリスマスイブ。バルセロナの夜も、なかなかに美しかった。

12/25
次男の嫁さんはバルセロナが初めてなので、まずは観光に伴わないといけない。サグラダ・ファミリアは、バルセロナ観光にははずせない。クリスマスは日本の昔の正月みたいに、店はほとんど閉まってしまうということで、心配していたのだが、サグラダ・ファミリアは午前中は開いていた。次に行ったカタルーニャ音楽堂は残念ながら閉まっていたが、海まで散歩し、ライトアップしたサグラダ・ファミリアも見られたので、充実した一日になった。深夜に少し仕事もできた。

12/26
ウェスカに向けて出発。バスで五時間半かかる。レイダというところまで高速道路。そこから一般道に降りる。そのレイダの手前あたりから、快晴だった空が一転して暗くなり、霧に包まれる。草の上には霜がおり、樹木には霧氷がついて、一面の純白の世界だ。バスの中に表示されている外気温はマイナス1度。日本なら、上空に寒気が入ると雪になるのだが、乾燥地帯のスペインでは、こういうことはよくあるらしい。雪ではなく、地を這うようにして発生した霧が、霧氷を作るのだ。隣に座ったおばさんが、ウェスカは寒いぞ、と言い残して、手前のバルバストロで降りていった。終点のウェスカ駅(国鉄の駅にバスターミナルが併設されている)に、長男が待っている。シビックのエアロデッキという日本では発売されていない車に乗っている。ふつうの車よりは荷物室は広いのだが、トランクは3つまでが限度で、4つめのトランクを座席に乗せると、全員は乗り込めない。わたしと妻はタクシーに乗って、息子の車のあとを追うことにになる。長男はウェスカの郊外のヌエノという村に住んでいる。新興住宅地があって、スペインでは珍しい一戸建ての住宅が並んでいる。長男も嫁さんもピアニストなので、都心のマンションには住めないのだ。不便だけれども、広々とした家に住んでいる。次男と嫁さんは初めてなので、まずは家の中を案内してもらう。あとはピザを食べながら歓談。孫はもうすぐ4歳になる女の子と、生まれて3カ月の女の子。自分の子供は男の子2人なので、女の子というのは、わたしにとっては何だかよくわからないものだが、孫に女の子が2人もできて、とても嬉しい。今年の2月にも訪ねたので、上の子とは親しいはずだが、次男夫婦も来たので、初めは少し恥じらっていた。下の子はもちろん初対面。とてもかわいい。

12/27
ウェスカの街へ行く。小さな街だが、かつて20年ほど、アラゴン国の首都だったという歴史のある場所だ。丘の周囲に城壁を張り巡らせた城砦都市で、いまでも一部の城壁が残っている。その周囲の周回道路が旧市街の境界線で、新しい街は平地に広がっている。豪華な食事をしたあと(2皿にデザートのついたディナーがファミレス並の値段である)、嫁さんの実家に出向いて挨拶。それからウェスカが初めての次男の嫁さんを旧市街地に案内。丘の上にカテドラルがある。他にも大きな教会がいくつもある。とくに実家の隣にあるサン・ソレンソ教会はこの街のシンボルになっている。ここで二人は結婚式を挙げた。その経緯は『ウェスカの結婚式』(河出書房新社)に書いた。まったく聞いてなかったのだが、この日の夜、長男は地元のテレビに生出演するということで、急に姿を消した。嫁さんの実家でテレビを見る。長男がいないと通訳がいないので、妻のカタコトのスペイン語に頼るしかない。嫁さんのお父さんが、ビデオのセットの仕方がよくわからないらしく、わたしにセットしろと手真似で頼んできたのだが、わたしもよくわからない。次男と嫁さんが何とか解決してくれた。長男は地元の児童合唱団のピアニストをしているので、指揮者の人と二人で、ニュースキャスターのインタビューに答えていた。長男の嫁さんはウェスカの音楽院の先生をしている。その音楽院の先生たちが、ボランティアで子供たちの指導をしている。長男はウェスカではなく、アラゴン州の首都のサラゴサにある高等音楽院の先生なので、いわばゲストである。テレビ出演が終わり、ヌエノの自宅に帰ってから、その子供たちのコーラスのビデオを見る。まだ3歳のわが孫も出演している。大きな子供たちに負けずに、しっかりとリズムをとって歌っている。

12/28
全員、疲れが出たので、ヌエノを一歩も出ずに、自宅で休憩。こちらはひたすら仕事。リビングルームでパソコンを抱いていると、目の前に3歳(もうすぐ4歳だが)の孫と、やっと3カ月になった赤ん坊の孫がいる。長男夫婦がいて、次男夫婦がいる。わが妻もいる。息子たちが幼児だった頃のことを想い出す。妻と二人で、家庭というものを築いてきた。それは遠い道程であったが、まさに思いがけないかたちで、スペインのピレネー山脈に近い山地の住宅地という、とんでもない遠いところまで来てしまった。それでも、二人の息子に、それぞれの伴侶がいて、孫も2人になった。サラリーマンの次男のスケジュールに合わせて、こうして数日間だけだが、家族が全員揃った。ありがたいことだと思う。長男の嫁さんの手作りのスペイン料理を満喫した。今日は仕事もたっぷりできた。

12/29
サラゴサへ行く。無料の高速道路を1時間ほど走ったところにある。長男はこの街にあるアラゴン州立高等音楽院というところで、教授をしている。週に3日、車で通勤している。公務員だから、ちゃんと給料を貰っている。二台の車でウェスカまで行ってから、次男夫婦と長男の長女の三人だけがバスでサラゴサに向かうことにした。サラゴサにはエル・ピラール寺院という巨大な教会がある。隕石なのか点から降ってきた石(ピラール)がご神体みたいに珍重されている。ゴヤの天井画もある。アラゴンの州都であり、アラゴンが国であった頃の古都であり、スペインで五番目の大都市でもある。繁華な商店街を散歩し、商業ビルで客寄せに開かれた三博士のイベントに長女を参加させ、夜の街を散歩して、最終に近いバスに次男夫婦とわが妻を乗せ、われわれは車でウェスカに向かったのだが、途中から大雪。ヌエノ村までは行けないということで、われわれは長男の嫁さんの実家に泊めてもらうことになった。パソコンはヌエノの長男の家に置いてあるので仕事ができない。2章までのプリントは持っていたが(女性たちが買い物をしている時にカフェなどで仕事をするつもりでいつも持ち歩いている)、これもチェックが終わっている。そのプリントの裏に、3章以後の展開をメモしたら、すらすらとアイデアが出てきて、エンディングまでの段取りがおよそわかった。

12/30
雪が融けたのでスーパーで買い物してからヌエノに戻る。昼食は近くのゴルフ場のクラブハウスのレストラン。長男の家は住宅地の南の端で、目の前にゴルフ場のグリーンが広がっている。周囲は一部がアーモンド畑になっている荒れ地。夏の乾季には砂漠のような状態になるのだが、ゴルフ場の緑があるのが救いになっている。クラブハウスは反対側なので車で行く。その後、長男は次男夫婦を車に乗せてハカまで出かけた。ハカはヌエノよりもさらに北にあるピレネーの麓の街で、アラゴンの首都が、ウェスカからサラゴサに遷る前の古都である。イスラムに席巻されていたアラゴンの王族が、ハカ、ウェスカ、サラゴサの順で盛り返してきた道筋である。いまはスキー場などのあるリゾート地である。息子たちが出かけている間に、こちらはひたすら仕事。年末までに3章を完了させたいというのが目標であったが、少し苦しい。しかし、何とか頑張りたい。夜中、妻が風邪でダウン。長男たちが二階の寝室に入ってから、朝寝坊の次男夫婦とワインを飲む。次男の中学時代の話など、初めて聞く話題に盛り上がる。次男は日本にいるけれども、離れた場所にいるので、こうして語り合う機会は貴重である。

12/31
大晦日。妻の母から、紅白歌合戦が終わったという電話が入る。こちらはまだ夕方。日本時間には間に合わなかったが、すごい勢いで原稿を打ち続けて、こちらの時間では年内に3章を完成させることができた。本日は長男の嫁さんの実家で、年越しをする。スペインではクリスマスの他に、1月6日が東方三博士の日で、この日の前夜に三博士のパレードがあり、三博士が真夜中にプレゼントをもってくることになっている。サンタクロースは脇役である。クリスマスも祝日で、ツリーを飾り、馬小屋でイエスが誕生したシーンのフィギュアを飾ったりして祝うのだが、スペインの子供たちにはサンタクロースは来ない。プレゼントは三博士の担当で、したがって1月6日の明け方までおあずけである。この両日に挟まれた1月1日は、年越しを祝いはするが、とくに改まった儀式はない。しかし、ヌエノの長男の家で、嫁さんの兄弟姉妹を呼んで、パーティーをすることになっているので、本日はその下ごしらえで、長男は忙しい。風邪ぎみのわが妻も手伝っていたが、またダウン。次男たちも風邪ぎみ。わたし一人、元気で、ひたすらワープロのキーを叩き続けている。さて、深夜の年越しは長男の嫁さんの実家に兄弟五人が集合するということで、われわれは同行する。嫁さんの父、ホアンさんと、奥さんのエンカルニータさん、それに男、女、男、女、女という五人の子供と、それぞれの配偶者。孫が総勢11人。ホアンさんの長男の奥さんのお母さんが今年は参加。それにわれわれ夫婦と、次男夫婦。これで全部で何人か。全員でフルコースの料理を食べ、カバ(シャンパンのようなカタルーニャの発泡酒)を飲み、新年の鐘に合わせて12粒のブドウを食べる。これがけっこう大変である。その後、全員で抱き合って喜ぶ。これがスペイン式の年越しである。その後、子供たちが劇をやる。クリスマスの劇である。わが孫がマリアさまを演じて、何やらセリフを言った。スペイン語だから何を言ったのかわからないが。スペインの子供たちはシエスタ(昼寝)をするので夜更かしである。次男の嫁さんはかわいい顔をしているので、子供たちに「赤ちゃんみたい」と言われて、いっしょに遊んでいる。

01/01
正月。今年はスペインで迎える正月である。スペインのアラゴン州のウェスカという街の郊外のヌエノという村にある長男の家に逗留している。今回の旅は次男夫婦がいっしょなので、家族全員で迎える正月になった。それだけではない。本日の新年最初の日は、ヌエノの長男の家に、前夜と同様のメンバーが全員集合(長男の嫁さんは五人兄弟の末っ子なので、両親と兄2人、姉2人、その配偶者に子供たちなど、大家族である)。子供はリビングルーム、大人は地下の大広間に別れて、日本式(?)のフルコース。イナリズシ、玉子巻き、海苔巻きがオードブル、ギョーザ、テンプラ、ヤキトリ、など。それにサーモンとブタなど、ボリュームのある料理も続く。長男の家は郊外の住宅地で、道路に駐車しやすいので、よくここに全員集まるのだという。こういう新年もあるのかと思う。本日も、長男たちが料理の準備をしている間、わたしはひたすら仕事をする。

01/02
ウェスカを出発する日だ。まずヌエノから長男と嫁さんが運転する2台の車に分乗してウェスカ駅へ。ここがバスのターミナルを兼ねている。嫁さんの両親も見送りに来てくれた。これはわたしたちにとっては何度も体験したことなのだが、次男の嫁さんは初めてなので、大感激。さて、バスが走り始めると、とりあえずほっとする。ウェスカでのすべてのスケジュールをこなしたという安堵感がある。ただの観光旅行ではない。長男の嫁さんの親族との親戚づきあいもあるし、それをわれわれの家族の全員(今回の次男夫婦が参加している)が対応できたということで、一種の義務を果たした充実感がある。しかしここから先も、次男夫婦がちゃんと四日市に帰るまでは、われわれは安心できない。まずはバルセロナに着くと、まだ時間があるので、ガウディーのマンションなどを見に行く。それから夕食。次男夫婦はよく食べるので、いっしょに食事をするのは楽しいが、彼らを満足させないといけないという義務感もある。わたしと妻だけなら、メシなど抜いてもどうということはないのだが。

01/03
バルセロナ出発の日だが、午前中は市場などへ行って最後の買い物。それから空港へ。何ごとも体験なのでタクシーではなくバスで空港へ向かう。以前は電車で行く手もあったのだが、鉄道の幹線が新幹線用に広軌の線路になったので、支線のバルセロナ空港駅へ行くのに必ず乗り換えないといけないくなった。その代わりに、国鉄がバスを出すようになった。とにかくバスで空港に到着。まず次男夫婦をチェックインさせ、ゲートに向けて送り出す。わたしと妻はセビリアに向かう。切符がとれなかったので、あと3日ほどは日本に帰れない。もう一度、ウェスカに引き返すことも考えたのだが、バスの旅は疲れる。空港まで次男を送ることは最初から決めていたので、空港からそのままセビリアに行くことにした。で、われわれのもチェックインを済ませると、この空港は国際線と国内線の境界がないので、同じ空港のタックスフリーの店が並んだゾーンに入る。カフェでビールを一杯飲んでから、次男たちが出発するフランクフルト行きのゲートまで行くと、次男がびっくりしていた。一度、スペイン式に抱き合って別れたあとで、もう一度、親が現れたので、びっくりしたと思う。われわれはセビリアへ。どこでもよかったのだが、スペインで3番目に大きなこの街には行ったことがなかった。スペインには何度か来ているのだが、いつも長男のところに行くだけだ。大昔、観光旅行で首都のマドリッドと古都トレドに行ったことはある。それと去年来たときに、長男夫婦といっしょにマジョルカに行った。スペインの他のところには行ったことがない。で、セビリアである。何ごとも体験と、バスで市内に向かう。迷いながらホテルを探す。小さなホテル。民家を改造しただけのような造りで、電話もテレビも冷蔵庫もない。しかしバスルームは広く、高い天井からシャンデリアが下がっている。深夜の街に出てタパス(おつまみ)だけで食事。老人二人だけになったのでこれで充分。帰りに道に迷った。

01/04
大聖堂。世界で3番目に大きな聖堂である。一番はもちろんローマのサン・ピエトロ寺院。2番はたぶんイギリスのウェストミンスターだと思う。だからこのセビリアの大聖堂は、スペイン最大であるだけでなく、パリのノートルダムやミラノのドーモよりも大きい。実際にその大きさを実感した。歩くだけで疲れる。さらに風見の塔にも上ったので、かなり疲れた。しかし妻がマカレナ寺院にあるマリア像を見たいというので、歩いていく。たぶん自宅から下北沢よりも遠い。ふだんはあまり歩かない妻だが、古い街並みが珍しいので文句を言わずについてくる。帰りはデパートなどにも寄った。そのデパートは、わたしの生涯で最も混雑したデパートであった。妻も同様の感想をもった。もちろん大阪の十日戎とか、通勤電車とかは別である。明日が三博士がプレゼントをもってくるクリスマスイブみたいな日なので、親が玩具を買いに来たのだと思うのだが、子供づれね多かったので、もしかしたら玩具売り場に三博士がいたのかもしれない。本日はちゃんとしたレストランで食事。少し量が多くて疲れた。昼食は中華料理を試してみたのだが、思いっきりまずかった。昔、フィレンツェで食べた中華料理がよかったので、そういうものを期待したのだが。

01/05
アルカサルと呼ばれる王宮。スペイン広場など。天井のない2階建てバスが止まっているので乗り込む。川を渡って新市街の方に行ったので面白かったが、何といってもセビリアの魅力は旧市街の迷路のような街並みだ。滞在しているホテルの近くにも、まさに迷路としか言いようのない街路があって、何度も迷った。三軒茶屋と三宿の間にも迷路のような道はあるのだが、セビリアには歴史の重みがある。昼はセラニートというセビリア名物を食べる。やや細長いパンに豚肉と野菜をはさんだものだが、その上にパンの大きさと同じ生ハムがべたっとはりついているところがすごい。夜は一昨日と同じタパスの店。老人にはほどよい量の食事と、ビール。この日は三博士の祝日の前夜で、クリスマスイブよりも盛り上がる。何しろスペインでは、プレゼントをもってくるのは三博士なのだ。大群衆が主要道路を歩行者天国状態にしている。三博士が飴をくばったようで、道路の表面がべたべたになっている。この日はウェスカでも三博士のイベントがある。これを見たいという思いもあったのだが、またウェスカに引き返すのも疲れるので、次男夫婦を空港に送ったついでに、セビリアまで来てしまった。思いがけない旅行だったが、この迷路のような街を充分に楽しめた。深夜、ホテルでかなりの量の原稿を書いた。三宿にいる時より仕事をしている感じだ。

01/06
バルセロナへ。この街は何度も訪れているので、なじみがある。いつもはタクシーかバスだが、電車でサンツ駅まで行ってみた。地下の駅からエスカレーターで上がると目の前にホテルの入口がある。駅のホテルに荷物を預けて身軽になってセビリアに向かったのだ。最後のバルセロナの夜、カタルーニャ広場に近くのレストランでカバを一本飲む。気持ちがいい。

01/07
本日はひたすら日本を目指す。タクシーで空港へ。英国航空のチェックインブースに並ぶ。前に怪しい外国人がたくさんいて、そのつど業務がストップする。結局、1時間以上かかった。買い物の時間がなくなった。ヒースロー空港の乗り換えは、来る時も体験しているので問題はない。ヒジネスの窓際の席がとれていたので、ほっとする。これで日本に帰れる。2週間に及ぶ旅であったが、長男の親族たちにわれわれの次男夫婦を紹介するという、念願が達成された。サラリーマンの次男を旅に伴うのは大変であったが、スケジュールどおりに動くことができた。新しい孫の顔も見ることができた。長女は日本人っぽい顔立ちに少しスペインが混じっている感じだが、次女の方はどう見てもスペイン人だ。で、とてもかわいい。2人の孫の成長が楽しみである。


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