「月の西行」創作ノート2

2007年11月

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11/01
新しい月になった。本日は「クロワッサン・プレミアム」の取材。何だそれは。高齢者女性向けの雑誌らしい。プレミアムというのは知的にも経済的にも少しレベルが高いというくらいの意味か。何しろ取材のテーマがドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』だというのだからすごい。大審問官の話などした。ついでに近刊の紹介もしてくれるというので、今月下旬発売の『夫婦って何』の話もした。
さて、『月の西行』は動き始めた。少年時代から語り始めることにする。テンポよく具体的なイメージを展開しながら、同時に少年の生い立ちを提示しないといけない。両親がいないので難しいのだが、父方、母方の祖父はいる。しかも父方は俵藤太の末裔の武士、母方は今様の達人というのだから、武術と芸術がクロスオーバーしたところにいる。それが西行だ。従来の西行のイメージは芸術に傾いていた。本書では武術の方も展開する。頼朝に流鏑馬を教えた史実が残っているのだから、スーパーヒーローであったはずだ。忍者だったのかもしれない。しかし中心テーマはエロスの愛である。理念としての恋愛。最近はそういう小説は少なくなった。中学生の頃、山田風太郎の『外道忍法帖』を読んで衝撃を受けた。そのことを角川文庫の解説に書いたような気もするが、絶版になっているだろう。要するに、主人公の伽羅という女性に対するプラトニックな愛が描かれている。忍者小説なのに。そういう動きの中のプラトン的な愛を、やや文学的に描くというのが本書の狙いである。保元の乱と崇徳上皇の死までを描く。それからも西行の人生は続くのだが、それは続篇ということにして、あまり分厚くならない作品にしたい。

11/02
今月はかなりハードなスケジュールになっている。日曜に講演が入っているので週末も落ち着かない。本日は何もないので今日から週末と考えて仕事に集中したい。ふつうの人と違ってわたしは週末に集中して仕事をする。大学の先生を辞めたのでそんなに忙しくならないはずなのに、なぜか公用が減らない。とにかく集中力を高めて「西行」を進めたい。本日は金売り吉次のことを考えている。この人物は源義経の話に出てくるのだが、だとすれば西行とは同時代人で、年齢も同じくらいではないか。空海に対する橘逸勢、日蓮に対する成弁のように、脇役が必要だ。後半になると文覚が出てくるのだが、前半部に相棒がほしい。吉次をここで使えないかと考えている。

11/03
祝日。妻と三軒茶屋まで散歩。「西行」いろいろと迷うこともあるがとにかく進んでいる。主人公についての情報を早い段階で出す必要があるが、説明の羅列にならないように、ストーリーを動かさないといけない。しかもなるべく早くヒロインを出す必要があるが、そうなるとテンポが重要になる。急ぎすぎると密度がうすくなる。そのバランスの中で、この作品の文体が確立されると思う。いまは試行錯誤の連続だ。

11/04
日曜だが大阪で講演。大阪府主催のアクティヴ・シニアの集いの中で1時間の講演。いつも講演する時はだいたい90分が多いので、1時間は少し短いのだが、ボランティア活動に特化した集会だったので話を絞ることができた。会場が天満橋なので終わったあと少し散歩。小中と追手門学院、高校は大手前高校と、合計12年間、このあたりで生息していた。大阪城はわが庭のようなもの。いつも城の中を通って徒歩で学校に通っていた。大手門、または退手(からめて)門から城内に入って、反対側の玉造門から出る。いまその先の実家は人手に渡ってなくなってしまった。母は東京に引き取ったので、もう大阪とは縁がなくなってしまった。そのことが少し寂しいが、わたしの故郷であることは間違いない。ところで地下鉄で機会に切符をとられて200円損した。悔しい。東京でもそうだが、切符を買って乗る人が少ないので、一度外に出て乗り換えるシステムの説明がまったくない。有人改札の側の小さな緑色の機械を通さないといけないのだが、そんなこと、旅行者にはまったくわからないではないか。帰りの新幹線が満席で空気がわるかった。疲れたが夜中は仕事をする。「西行」の調子が出ているので切らしたくない。

11/05
昨日の日曜日に仕事をしたので月曜日という感じがしないのだが、ウィークデーが始まった。本日は伝記を書くことを約束している某有名作家への3回目のインタビュー。この話は昨年の春からスタートしたのだが、多忙な方なので時間の調整が難しかった。すでに前2回の取材をもとにして全体の半分くらいの原稿は書いてある。本日の取材で最後まで書けそうな気がしている。やってみてわからないことがあれば、また追加取材をしてもいいが、とりあえず本日の速記が届いた時点で、完成に向けて始動したい。ただし「西行」をすでにスタートしているので、速記は急ぐ必要はないと編集部には言っておいた。

11/06
文藝家協会理事会。報告すべきことがたくさんあって疲れた。これまで書いた出だしの部分、情報量が多すぎる。全部やりかえる。大変だが、ここを過ぎれば文体が確立されて楽になる。

11/07
妻の運転で三ヶ日に向かう。横浜の先で10キロほどの渋滞。その他は問題なく三ヶ日到着。暑い。天気がよかったので家が暖まっている。と思ったら夜になると急に冷え込んだ。ストーブに火を点ける。築25年の木造の家なので隙間風があるのだろう。とにかく三ヶ日に着いた。夏に短い滞在があっただけで、久しぶり。今月はハードなスケジュールだが、数日、隙間ができた。ここではのんびりしたい。周囲に緑があるのが嬉しい。

11/08
ここに来るといつも大工さんが来る。庭の管理などを任せているのだが、遊びに来るのだ。一度行きたいと思っていたランチの店があるというので妻の運転で気賀に行く。一階建ての八百屋の屋上にテントがあって、そこがランチスペースになっている。本日のランチはヒレカツ丼500円。他にもメニューはいろいろある。妻は600円のホーレンソーカレーを頼む。八百屋の二階だけあって野菜がたっぷり。全員にメロンとブドウのデザートがつく。昼にたっぷり食べたので、夜はおつまみと酒だけ。世田谷文学館の文芸コンクールの応募作を読まないといけない。下読みは評論家の菊田均さんで、最終選考の10編について短いコメントがついているのだが、どうも今年は低調のようだ。

11/09
志都呂のイオンに行く。ここは浜松最大のショッピングモールで、三ヶ日に行く度に一度は行く。妻が買い物をしている間、長い廊下を歩いていると適度な散歩になる。本日は目的があった。仕事場の電子レンジが壊れたのだ。時計表示が0になっているだけで、あらゆるボタンに反応がない。メーカーに電話すると、古い製品なので基盤がなく修理不能とのことであった。ということでまずジャスコの売り場に行く。シャープブランド(実はタイ製)のものが1万円、あやしい各国ブランド(実は中国製)のものが6千円。この差は大きい。韓国製のものはタイマーが安物のトースターに付いているようなゼンマイ式だ。しばらく考えてから、モールにある電器ショップに行ってみることにした。ジャスコは電器ショップと併設されていることが多いので、大量仕入れの超格安の製品しか置いていないから、種類が少ない。電器ショップはどうかとのぞいてみたのだが、オーブンやトースターの機能をもったレンジの品揃えは豊富だが、電子レンジの機能に限定されているのは、シャープのものしか置いていなかった。値段も同じ1万円だが、ジャスコにあったものと少しだけ違っている。レンジのパワーを切り替える機能がついている。同じ値段ならこちらだということで、タイ製のシャープを買うことにした。中国製のものに対しての偏見があるのかもしれないが。

11/10
西気賀駅の中にある八雲というレストランに行く。わたしとほぼ同世代の料理人の店で、この人は以前、仕事場のある別荘地にテニスコートの管理棟の中にあるレストランの担当者だった。ということで、26年にわたってこの人の料理を食べていることになる。ここも三ヶ日に行く度に一度は訪れるところだ。奥さんの実家が柿を作っているので、柿を送ってもらうように頼む。妻が大工さんに呼ばれてイモ掘りに行ったので、一人きりになる。途端に仕事がはかどりだした。孤独が創造意欲をもたらすのか。この仕事場には、浜名湖が一望できる書斎があって、義父母が来ている時は、そこで仕事をすることも多いのだが、ブロードバンドの回線をリビングルームに設置したので、書斎ではネットにつなげなくなった。ネットにつながなくても仕事はできるのだが、今回は義父母が来ていないのでリビングで仕事をしていたのだが、やはり閉じこもった方がいいようだ。今回は数日の滞在なので、のんびりと「西行」について考えたいと思っていたのだが、締切のある仕事もかかえている。世田谷文学館の仕事は完了。連載の仕事1件、雑文1件も終えて、必要な仕事は果たした。「西行」の出だしのところはまだ迷いがある。必要な情報を読者に提示することと、読者の興味をひきながらテンポよく話を運ぶこととは、実は両立が難しい。しかし方法はあるはずだ。長い作品のオープニングはいつも、その方法を発見するまで、出だしのところで立ち止まってしまうことになる。これがいつまで続くのかはわからないが、この三ヶ日滞在が気分転換になってくれればと期待していた。だが、いまのところ、まだ風は吹いてこない。「熱田津に船乗りせんと月待てば……」(額田女王)という状態である。

11/11
日曜日。だが本日は重要な用がある。引っ越したばかりの四日市の次男のマンションを見に行くのだ。次男は四日市勤務になって数年になる。以前はつくばの研究所にいたのだが、務めている会社の本拠は四日市にあるので、このまま長く四日市で生活することになりそうだ。つくばにいた時は、会社がマンションを借り上げて社宅として提供してくれたのだが、四日市は本拠なので広大な敷地に自前の社宅がある。これがかなり古びていたので、次男と嫁さんは自分で民間アパートを探してそこに住んでいた。企業のサラリーマンなので、ローンでマンションを買った方が、家賃を払い続けるよりはいいということで、今回、引っ越しをしたのだ。四日市から歩けるところで会社も近く、7階なので眺めがいいとのことであった。妻は引っ越し前に見に行ったのだが、わたしは初めてである。ということで四日市に行くことにしたのだが、妻の提案で、その手前の長島に寄ることにした。
ここには温泉と巨大なジェットコースターで有名なところだが、最近は広大なアウトレットを併設して人を集めているらしい。ということで、妻が買い物をしている間、テラスの椅子に座って生ビールを飲んでいると、突然、アイデアがひらめいた。西行に幼なじみの少女を配するというアイデアで、これで難問が解決された。風が吹いてきた。「潮もかないぬいまは漕ぎいでな」(額田女王)である。この長島というところは気に入った。三ヶ日から1時間くらいのところなので、また来ようと思う。
さて、長島から四日市までは目と鼻の先である。次男のマンションに到着。新築マンションなので気持がいい。四方が見渡せて、近鉄が走っているのが見える。爽やかな風が吹き抜けていく。夕日が西の山に沈むのが鮮やかに見えた。快適なところである。来年には孫が生まれることになっているが、間取りにも余裕がある。長男もスペインの快適な住宅地で生活しているので、これで子供たちの住環境は解決された。子供を育てるというのは大変なことだが、これで完全に手が離れたという気がする。まだ子供たちが孫を連れてきて相手をしないといけないという問題は残っているのだが、そういうのは一過性であり、やがて去っていく災難のようなものだ。さて、三ヶ日での短い滞在も終わり、明日は三宿に戻る。火曜日からはハードな日々が待っている。

11/12
月曜日。妻の運転で三宿に戻る。本日から夜型に切り替えて仕事に励む。

11/13
著作権情報センターの理事会のあと、矯正協会の対談。初台から中野へ。のんびりとバスに乗っていく。わたしは「二人きり恐怖症」なのでタクシーには乗らない。矯正協会が中野に移って数年になる。前は霞ヶ関のどこかで、法務会館で対談をした。矯正段階にある人の文筆のコンクール。この選考委員も長く務めているが、毎回、感動がある。矯正段階にある人は強いプレッシャーの中で生きている。だから文章に切れ味がある。長く学生の作文の添削指導をしてきたので、学生と、矯正段階にある人(犯罪者という意味だが)とを、思わず比べてしまった。今年はもう大学の先生を辞めているので、比べることはないが、改めて、文章の力強さに感動する。貴重な仕事をさせてもらっている。中野のサンプラザ内の和食の店で、選評をかねた対談をしてから、のんびりと会食。中野からバスで永福町へ行き、井の頭線で帰る。いま住んでいる三宿の土地を探すプロセスでいろいろな土地を見て回った。その中に永福町というのもあったので、もしかしたら永福町の住人になっていたかもしれない。その土地は、隣にヤクザが住んでいて、発砲事件を起こした。そこに決めなくてよかった。いまの三宿の家からは、二人の息子が歩いて高校に通った。芸術高校と駒場東邦。これは大きなメリットで、ここに住んでよかったと思う。そんなことを考えて自宅に帰ると、スペイン語の教室に通っている妻はまだ帰宅していない。とにかく、今週もスタートした。今週はハードなスケジュールがつまっている。明日はペンクラブの委員会があるのだが欠席通知を出してある。夜にメンデルスゾーン協会のサロンコンサートというのがある。それにそなえて体調を調えないといけない。

11/14
メンデルスゾーン協会のサロン例会。この協会の理事長になっているのだが、まだ判然としない。ただコンサートを続けるだけでは面白くない。音楽について語る会を開きたいという思いがあって、今年のコンサートに出演していただいたバイオリニストの桐山建志さんに、軽くワインを飲みながら音楽について語る小規模な会合というプランを語ると賛同を得たので、今回の例会を企画した。協会の会員の方と、会場の集&YOUのメンバーの方の合同の会であったが、ちょうどいいくらいの人数が集まって、充実した会になった。わたしのプランではワインを飲みながら楽しい雑談ができればというくらいのプランだったのだが、桐山さんはバイオリンに関してもメンデルスゾーンについても、語るべきテーマを用意されていて、バイオリンの実演とCDによって、多角的に音楽の深さと面白さについて語っていただけた。今回、この催しに参加された方は本当にラッキーだったと思うくらい、中身の濃い話が伺えたと思う。

11/15
世田谷文学館。妻に車で送ってもらう。青野聰さんと小説部門の選考。ほとんど意見が一致したので、選考はすぐに終わる。しばらく雑談して別れる。

11/16
中村くんと三宿で飲む。中村くんは早稲田の講義録を出してくれた編集者で、わたしのNPOの広報部長の谷口くんとともに、最も古いつきあいの編集者だ。この二人とは最近は仕事をしていないのだが、定期的に飲み会は続けている。仕事の絡まない飲み会は楽しい。

11/17
土曜日だが、仕事がある。日本点字図書館の「みんなの集い」。文藝家協会に感謝状をくれるというので受け取る。このイベントの目玉の講演を、浅田次郎にお願いしてあったので、控え室に行って挨拶。そのまま帰るのも失礼なので講演を聴く。面白かったし勉強になった。浅田さんは話術も巧みだが、独特の風貌が強い印象を残す。さて、賞状をもっているのでいったん自宅に戻り、ラフな服装に着替えて男声合唱団の練習。いつものように北野の公民館。本日は、定年後の再就職で府中をホームグランドにしている団員の提案で、府中で飲む。わたしとしては自宅が近くなるのだが、団員のほとんどはめじろ台の住人なので(わたしも昔めじろ台に住んでいた)反対側なのだが、これも友情である。フランス料理と中華料理がまざって出てくるボリューム豊かなコース料理で満腹になった。生ビールとボジョレーと焼酎を飲んだ。夜中、テレビでサッカーを見る。カタール対サウジ。どうでもいいような試合だがそうではない。カタールが勝つと日本は自力優勝ができない。昔、こういう状況でテレビを見たことを思い出した。フランスWカップの予選のカザフ対ウズベク戦だ。ウズベクが勝つと日本の自力2位がなくなる(2位になるとプレーオフに進出できる)という状況で、確か引き分けになったのだと思う。試合終了まで手に汗握るスリリングな試合だった。本日は試合は、後半になって、守勢一方だったカタールが1点をあげて、これでサウジは戦意を失うか(サウジは引き分けでも五輪出場が絶望となる)と思われたのだが、審判が味方だった。まずカタールに一発退場者が出て、守勢一方となる。疑惑の判定でPK。これで同点。同点のままだと最終戦カタールがベトナムに大差で勝ち、日本がサウジに引き分けた時に得失点差の争いとなる。しかし試合終了直前にサウジが1点を追加。その結果、カタールは脱落。日本対サウジの勝者が五輪出場というわかりやすい結果となった。これで得失点差を考えなくていいのですっきりする。

11/18
日曜日。今週はハードで土曜日も仕事があったので週末の休みは本日だけ。雑文の締切も近づいてきたので、やれるものから片付けていく。

11/19
大阪で講演。大阪は今月2回目。早稲田の校友会の催しで、総長とセットの講演。以前にも何回かやったことがある。今回は副総長だったが、大学が時代の変化に応じて新しい試みをしていることがよくわかった。今年の三月まで専任教員だったので、客観的に見るのも変なのだが、早稲田はよく頑張っていると思う。校友会なので老人がたくさんいて、挨拶をしているうちに、しかしこの人たちはまだ現役世代なのだと思う。杖をついた高齢者もいるのだが、多くの人々はまだ現役で働いている。ということは、わたしと同世代が少し年下の人々なので、老人などといっては失礼である。いつも自分が老人であることを忘れている。こういう集まりではコートをもっているとややこしいので、薄着で行き、東京駅まで妻に迎えに来て貰う。青色申告で妻に給料を払っているのでこれくらいのことは許されるだろう。

11/20
本日は公用なし。昨日の大阪への往復は、少し前に寝違えで首が痛かったこともあって疲れが出た。来年還暦だから仕方がない。

11/21
本日は宴会だけ。雑協・書協の創立50周年の宴会。帝国ホテルの広大な部屋にぎっしり人が埋まっていた。こんなに人がいては知り合いなど一人も見つからないのではと思っていたが、意外にいつものメンバーと会えた。著作権の仕事でよく会う人々と、必要な情報交換ができたので、有意義であった。しかしこの会に、作家で出席しているのはわたしだけではないか。雑協・書協ができて50年ということだが、わたしが芥川賞をもらってプロになってから30年だし、「Mの世界」で文壇デビューしたのはその12年前だから、42年前ということになる。50年と比べても大差はない。結局、50年前といえば、「3丁目の夕陽」で茶川さんが芥川賞を狙っている時期だ。昔といえば昔だが、ほんの少し前という気もする。

11/22
一昨日が締切のウェブ連載の仕事をメールで送ってから妻とともに出かける。友人との会食。気持ちよく飲んで、電車で帰る。真冬のように寒い。

11/23
勤労感謝の日。自分の勤労に感謝したい。まだ雑用がいくつか残っている。「西行」のオープニング、どうにもうまくいかない。テンポが出ていないのだ。また最初からやり直しにするか。

11/24
土曜日。作家というのは本来は毎日が日曜日のはずだが、今週はハードだったので週末の三連休はありがたい。細かい仕事がまだ残っているが着々と仕事をこなしている。「西行」も頭の中では構想がふくらんでいるので、出だしさえ突破できれば動いていきそうだ。西行については、「恋する西行」「闘う西行」「悟りに到る西行」という三つの流れがある。今回はこのうち、「恋する西行」に焦点を合わせる。むろん保元の乱が出てくるので闘う西行も出てくるし、最初から仏教の話も出てくるのだが、女性を四人ほど登場させて、西行のエロス(理想の美に対する愛)を追求したい。

11/25
日曜日。楽しみにしていた三連休だが、あっという間に終わってしまう。雑用がすべて片付いたので「西行」の冒頭からやり直す。少し削ってテンポを良くしたが、急ぎすぎてもいけないので少しは残した。テーマが西行なので格調が必要だ。あまりあわただしく展開すると通俗的になる。まあ、このあたりかという加減で先に進む。主人公が青墓から打田まで移動する。地図で確認する。グーグルの地図は小さいので見にくかったのだが、東京鉄道地図というは画面が大きい。鉄道の情報があるのは東京だけだが、その大きな画面サイズのまま、どこへでも移動できる。スペインの地図も楽しい。青墓の美濃国分寺の近く。そこから粉川の先の打田までは、中山道で草津まで、東海道で醍醐寺まで。そこから奈良を抜けて明日香から山を越えて吉野口、吉野へは入らず紀ノ川を下って打田へ。ここに西行の祖父の領地がある。弟もここにいるはずだ。こういうジオメトリーは大切である。

11/26
一日3件も仕事があるという恐怖の一日。文化庁の小委員会。必要に応じて何度も発言したが、これは慣れた作業。午後はジャスラックで打ち合わせ。往復1時間の散歩。夜はメンデ協会。機関誌について進行状況を聞き、あとは編集長に委任。その後は飲み会。これといってシビアな仕事はないが足を運ぶだけで体が疲れる。早めに寝る。

11/27
PHPの編集者と三宿で飲む。いつもの担当者の他に新顔の人が来て(前に2度会ったと言われたのだが、言われてみればそんな気もする)新たな仕事を頼まれた。来年のスケジュールはガチガチに埋まっているのだけれども、わたしがキリキリ働けば何とかなるかもしれない。しかし「西行」がスタートでつまずいているので、全体が押し気味になっていることは確かだが、深く考えない。40歳すぎのころに更年期障害でダウンした時、締切のある仕事は極力排除することにした。書き下ろしの仕事しかしないことにしたら気が軽くなった。書き下ろしの締切はただの目安にすぎないから、ずるずる遅れることは読み込み済み(とこちらは勝手に解釈している)だろう。いつもの担当者は『文蔵』の「プロを目指す文章術」の連載、あと3回になった。これはいま進行している唯一の連載で、ゴールが見えてきたので嬉しい。連載が終われば自動的に本になる。

11/28
中央公論で座談会。青春小説について。評論家の井口時男さん、作家の中沢けいさんと。二人とも旧知の人なので問題はない。三人とも大学の先生(わたしは3月でリタイアしたが)なので話のまとまりもいい。さて、明日は朝が早い。早めに寝ることにする。

11/29
群馬県図書館大会で講演。前橋。前橋は3度目だ。教え子の結婚式と、早稲田稲門会群馬支部の総会での講演。他に土屋文明記念館でも講演したが、その時は高崎まで車で迎えに来てもらった。新幹線は高崎を通っている。県庁所在地の前橋には、上越線さえ通っていない。上越線に新前橋という駅はあるが、ただの前橋駅は両毛線だ。そのことを最初の教え子の結婚式で認識したので、今回も前橋行きの往復の切符を用意してあり、迷うこともなかった。図書館の大会なので、著作権の話がメインだが、難しい話ばかりでは聴き手が疲れるだろうと思い、最初に雑談をしたら楽しい話になったのでつい時間をくってしまった。著作権の話は時間に追われながら話したがそれでも必要なことは話せたと思う。

11/30
書協で図書館との定期協議会。いつも思うことだが図書館側は人数が多い。図書館の種類がいろいろあるからだ。権利者側も何人かはいる。学術関係の人が多い。図書館におけるコピーの問題が議論されているのだが、小説をコピーすることに大きな問題はない。本一冊コピーされることはめったにない。コピー代の方が高くなるからだ。しかし学術書の場合は本の方が高くなるし、学術雑誌の一つの記事だけをコピーされると、雑誌が売れなくなる。すると雑誌そのものが出せなくなる。これは文化の衰退につながりかねない事態だが、大学での研究ということを考えると、コピーは必要になる。このあたりの調整が難しい。なお、企業内で学術雑誌等をコピーすると、ページごとに料金(50円以上)を払うシステムができている。企業の人が図書館へ行ってタダで(コピー代の実費は必要だが)コピーできるとシステムの抜け穴になる。これも重大な問題である。しかし小説家には関係がないし、午前中の会議で眠かったので、ぼやーっとしていた。
これで11月も終わりである。実に多忙な月であった。そのせいにはしたくないが「西行」は出だしでつまずいたままであったが、ここ数日、少し動くようになった。来月は忘年会のシーズンだが極力減らして、「西行」に集中したい。


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