05/02/木
本日は朝から散歩に出かける夕方まで入力作業に集中。17章から21章までを一気に完了。これで第三部が終わった。あと7章だ。プリントのチェックの方は22章が終わっただけ。あと6章。1日2章のペースで行けばこの連休中で作業が終了する。藤井くんがまた負けて1勝2敗の土俵際に。このところ隊長がよくないようで心配。しかし伊藤匠くんはどんどん強くなっていく。これから2強の時代に突入するのか。若手の藤本渚くんも頑張っている。小説家も若い人ががんばっている。ぼくは最後の作品で、燃え尽きてもいいと思っていたが、ゴール目前になってくると、次の作品も書きたくなっている。構想を練るのに3年くらいかけて、まだ生きていたら書く、というくらいのスタンスでやりたい。
05/03/金
4連休の初日。予定ではこの連休が終わったあとに浜松から帰ることにしていたのだが、妻の体調がよくなかったので前半の連休のあとで東京に戻った。浜松はいま浜松祭で海岸では凧揚げ。市内では山車が出る。それよりも町内会ごとに進軍ラッパとともに走り回るパフォーマンスが見所だ。何かのテレビ番組で、道行く若者に進軍ラッパを吹かせるという街頭インタビューをやっていたが、浜松の子どもは全員が進軍ラッパを吹ける。進軍ラッパというのは軍隊で使っていたバルブのないラッパでたぶんドミソしか吹けない。とにかく浜松祭のこのパフォーマンスでは子どもたちもラッパを吹く。浜松では花博10周年の催しもやっていて、どこも混んでいる。連休に東京にいるのもいいものだ。22章には維摩経のモデルとなったヴィマラキールティが登場する。プリントのチェックでここは大幅に書き込みをしたのでその部分の入力をすませた。プリントのチェックは25章の夢の場面まで進んだ。ジャータカの物語をここに詰め込んだ。大詰めの前の嵐の前の静けさ。ジャータカをどこに入れるか、いい場所が見つからず、最後まで来てしまって、草稿が完成してから入れる場所を考えた。短い章を入れるつもりだったが、結局、話を詰め込んで通常の長さの章になった。残り3章。いよいよ霊鷲山の頂上で観無量寿経が説かれる。九体の阿弥陀ブッダの化身が登場して、五逆の罪を犯したものも救われる。この話は一般の人は知らない。NHKの大河ドラマはどうするのか。藤原道長は九体の阿弥陀仏の手から伸びたヒモを掴んで死んでいくのだが……。道綱の屋敷の向かいの鴨川沿いにその寺があったのだが現在は残っていない。九体の阿弥陀仏があるのは浄瑠璃寺が有名だが、東京にも九品仏という駅名があるくらいで、そこに行くと九体の阿弥陀仏があるのだと思う。行ったことはないのだけれど。
05/04/土
プリントのチェック完了。並行して赤字入力も続けてきた。前の方の文章をコピーして挿入する作業が残っているので少し手間がかかるが、明日にはすべての作業が完了する。まあ、プリントして編集者に渡すまでは完了とはいえないのだが、少しほっとしている。
05/05/日
子どもの日。子どもとは無縁の日々を送っている。スペインにはまだ小学生の男の子がいるはずだが。さて、午前中に赤字入力完了。一気に結末になだれこんでいくエンディングがいい。鍛冶屋のチュンダのキャラクターが周囲で、ちらっと出てくる猟師もいい。可能な限りコンパクトに書いたのでスピード感がある。エンディングとはこうあるべきだという終わり方だ。アーナンダの視点で釈迦の入滅までを描いてから、時間を戻して主人公デーヴァのあしどりを描いていく。そこからはエピローグ的なスピード感のある展開になる。少し私的なトーンを加えてみた。これで終わった。担当編集者にメールを出して、来週の月曜にお渡しすることになった。まだ一週間あるので、画面で読み返して誤字をチェックしようと最初から読み始めたら、直すところがいろいろあった。まだ初校と再校で読み返すことになるのだが、誤字は可能な限りチェックしておきたい。第二稿のプリントにかなり赤字を入れたので、入力の時のタイプミスがかなりあるのではと思われる。平仮名キーボードで入力しているのでパーフェクトなブラインドタッチではないし、人名は短縮キーで登録しているので、とんでもない間違いもある。シュラヴァースティであるべきところがラージャグリハになっているところがあったりする。これは勘違いではなく、タイプミスだと思われる。これからの一週間も、緊張した作業が続くことになる。
05/06/月
連休の最後の日。こちらは毎日が日曜日ではあるが、浮世の義理でいつくかの団体と関わりをもっているので、世の中が休みだとこちらも少しのんびりできる。最初の予定では明日、浜松から東京に移動することにしていたのだが、雨になりそうなので、4連休の前に東京に戻ってきてよかったと思っている。パソコンの画面上で読み返しているが、誤字を発見する。初校でチェックしてもいいのだが、初校の赤字はなるべく少ない方がいい。4章まで読んだが、話の展開がスムーズだし、シッダルタが魅力的だ。主人公の怒りも読者に伝わるのではないかと思われる。いまのところ問題はない。来週の月曜に担当編集者に渡すので、週末にはプリントの作業にとりかかりたい。全体を4部に分けたので、前半の第2部の終わりまではしっかりチェックしたい。後半は大きな直しはないので、わずかなタイプミスは校正でチェックすればいいだろう。
05/07/火
一日中、雨が降ったり止んだり。本日はネット会議一件。朝からひたすら画面上で作品を読み返していた。かなり直しが入る。第一部完了。全体を四部に分けたのは効果的だ。ここでひとやすみという気分になる。シッダルタがビンビサーラ王と面会して、いよいよ六師外道のいねヴァーナラシーに向かうところで終わっている。そういう構成については何も考えなかった。オープニングから書き始めて、何となくきりのいいところで章を改め、それで章の長さの基準が出来たので、そのまま書き進むうちで27章になったが、法華経が28章であることから、ジャータカの章を最後に追加して28章となった。これは4で割り切れるので、四部に分けることを思いついたが、結果としては第一部で一つの物語が終わっている。まだ火曜日なので、第二部も一気に読んでいきたい。
05/08/水
第二部に入っている。六師外道が出てきた。この作品は二つの父殺しの物語が同時並行的に進行し、合間に哲学的な問答が入って展開する。それに先だってまだ少年のデーヴァダッタが、謎めいたシッダルタと出会い、愛憎が交錯した奇妙な関係を築いていく。そのゆうなストーリーが展開するところはテンポよく語られているのだが、六師外道が出てきて議論をするところは、どうかなと思っていた。だが読み返してみるとおもしろく書かれている。これをおもしろいと感じる人は少数派からもしれないが、哲学小説に期待をもっている人にはおもしろく読んでもらえるのではないかと思っている。
05/09/木
マハーヴィーラーのところまで読んだ。おもしろい。うまくいっている。文藝家協会理事会。とくに決めることもないので何となく雑談ムードになったが、女性の理事が増えたので活発な意見が出た。自宅に帰ると名人戦は終わっていて藤井くんの圧勝だったみたい。
05/10/金
第二部までのチェックを終える。気になっていた六師外道と、社会の初期の教えの箇所を修正できた。ここでタイムリミット。後半はストーリーが展開するので第2稿でも直しがほとんどなかったので大丈夫だと思う。明日プリントして、日曜日はのんびりすごす。月曜に担当編集者に渡す。それで完了。まだその先はあるのだが、一年余の作業の第一段階は終わった。少し休憩したい。
05/11/土
プリントしようとしたら何やらパソコンがややこしいことになった。一度、再起動してみたがワード立ち上がらなくなった。何度目かにやって、画面が最小サイズになってデスクトップの端っこに表示されていたのだ。どうしてこんなことになったのかわからない。初めての現象だが、いつも使っているサイズに戻して作業を開始できた。出だしのページがかすれていたのだが、3ページ目くらいからはふつうにプリントできていた。途中で黒インクのカートリッジを交換したが、前回の時のようなトラブルは生じなかった。これですべての作業が完了した。
05/12/日
すでにプリントが終わっているので、空白の一日。のんびりしようと思ったら文藝家協会から百周年事業の協会ニュースの抜粋の仕事が届いた。百周年なので協会ニュースの会員からの近況欄を抜粋して冊子にすることになっていて、そのセレクトを何人かでやることになっている。すでに百号までの作業は四月くらいに終わっていて、今回は百から二百号。不要なものに×を付ける作業。あまりにも個人的な内容は削除するのだが、有名な文豪の近況は歴史的な価値があるので残す。その文豪かどうかの判定が、若い人には任せられないので協会幹部がやることになっているのだが、こちらも研究者ではないので、終戦直後の文壇事情についてそれほど詳しいわけではないが、それでもけっこう文壇には興味をもっていたので、ある程度の見識はある。量が多いのでたいへんだが、いまはひまなのでよかった。
05/13/月
作品社の担当編集者木有さんと近所の藪蕎麦で会う。469ページあるプリントを渡す。52万字。よく書いたなと思う。75歳の老人がよくこんなものを書いたと思う。小説としての展開力、キャラクターの魅力、哲学の奥深さ。どれをとっても完成度の高い作品だが、こういう尺度は19世紀的で時代遅れなのかもしれない。まあ、老人だから、何をやっても許されるだろう。木さんと昔話をする。河出書房が最近ひっこした。ぼくが初めて河出書房を訪ねたのはいまから60年ほど前のことで、小川町だった。ぼくはまだ大阪の高校生だった。新幹線で東京駅から丸ノ内線で淡路町。河出書房の住所が小川町だったので、そこから歩いていったのだが、行ってみると駿河台の交差点の近くだった。いまぼくは御茶ノ水に住んでいるので散歩のコースだ。木さんはそのころから河出書房にいた人で、経営不振から本社を売りわたして向かいの倉庫に移り、それから曙橋の倉庫に移り、その広大な倉庫を売却して千駄ヶ谷の近くの最近まであった建物に移った。木さんはそこまでをすべて体験して作品社に移ったので、ぼくの思い出を共有している。ぼくより7つくらい年上なのかなと思う。よくいままで編集者をやっていたと思う。作品社ではずいぶんお世話になった。木さんもこれが最後の仕事と話しておられたが、ぼくも自分の最後の仕事だと思っている。作家は、担当編集者を伴奏者として、マラソンのような作業に挑む。要所に先回りして声をかけてくれる応援団みたないもので、時にはコーチとして厳しいことも言われる。こういうコーチみたいな人がいないと作家は仕事ができない。というわけで、とりあえず自分にとってのライフワークを担当編集者に渡すことができた。午後の藪蕎麦は人がいないだろうと思っていたのだが、けっこうお客さんが入ってい。NHKの朝ドラが明治大学が舞台なので、御茶ノ水が背景として描かれている。藪蕎麦の近くの甘味所の竹むらなどはいま長蛇の列ができている。とにかく、一つの仕事が終わった。いまはしずから、これからの余生のことを考えたいと思う。
05/14/火
大手町の読売新聞社に出向く。このビルは自宅から見えている。将門怩フあたりまで散歩することがあり徒歩圏ではあるが、汗をかきそうな天候なので往路は千代田線で行く。SARTRAS関係の打ち合わせ。すぐに終わったので帰りは徒歩。昨日の担当編集者との話し合いで、タイトルについて一考を求められたので考えている。「デーヴァ/神と呼ばれたブッダの仇敵」というのを考えた。一案にすぎない。担当編集者が作品を読み終えたころに提案しようと思っているが半月くらいはあるはずなので、もっとよい案がないか検討したい。
05/15/水
木場の深川ギャザリアに行く。浜松から帰って2週間たつ。時々車を動かすために遠くのスーパーへ行く。何も買わずモールのなかを散歩。一昨日、担当編集者に原稿を渡したので、すべての作業から解放された。昔、作品社と河出書房の仕事を並行させていたころは、一つの作品の仕上げのころには、次の作品の構想を練り始めて、作業が終わればただちに次の仕事にとりかかっていたのだが、今回はライフワークであり、絶筆とも考える作品なので、次の仕事はない。まあ、書きたいテーマがあれば書くつもりだが。作品社の担当編集者も今回のぼくの作品が最後の仕事だといっていたが、その一つ前の本をもらっていたので読み始めた。『連合の系譜』(互盛央)。4500枚。定価15000円。すごい本だ。哲学の本かと思っていたのだが、読んでみるとまず音楽史から入っている。バロックから古典派、ロマン派と移っていく間に、パラダイムの転換を推進した音楽家たちの間に、共通認識があり、彼らの共犯関係の「連合」によってパラダイムが変換されていくといった話だ。これは哲学にも科学にも言えることで、もちろん文学についても言えるだろう。文学の場合は、芥川賞と直木賞が、パラダイムを作ってきたように思う。明治のころは坪内逍遙の『小説神髄』があり、二葉亭四迷らの口語の文章化という試みがあった。樋口一葉の作品はすべて「文語」だし、森鴎外の『舞姫』は『漢文読み下し調』で書かれている。いまぼくが書いているこの文章は定式化された口語みたいなものだ。若い人たちのタメ口のやりとりではないし、ぼくが妻と会話する時の、60年の高校生の大阪弁といったものとも違う言語だ。とにかくこの4500枚の本は、せいぜい1300枚にすぎないぼくの今度の本を圧倒的に凌駕している。こころして読んでいきたい。
05/16/木
久し振りに床屋に行く。めったに散髪をしない。髪型などどうでもいいと思っている。散髪しないと長髪っぽくなる。作家だからそれでもいい。たまに床屋に行くと思いきり短くしてもらう。そうすると髪が伸びて頭を洗うのがめんどうになるまで、最低3ヶ月はもつ。長篇を書き絵終えたものの、まだ担当編集者の感想を聞いていないので、気持が中途半端だ。作品がリーダブルなものになっているかは、他人の目で見てもらうしかない。床屋からの帰りに本屋によって文庫本を買った。実は数年前から『三体』という作品が話題になっているのを知っていて、いつかは読みたいと思っていたら、文庫本が発売された。月に一冊しか出ていないので、全巻揃ったら読もうかと思っていた。だがまだ全巻は揃っていない。現在3冊出ていて、次の巻が6月に出るらしい。それが最終巻なのかも知らない。とにかく長い作品だ。1巻だけ買って読み始めて、うわっ、と思った。宇宙人との闘いを描いたSFだと思っていたのだが、いきなり文化大革命で紅衛兵の糺弾で理論物理学者が殺される場面から始まる。これがSFの伏線になっているのかとも思うのだが、よくこんなものが出版されたものだ。読むのを止めて、紅衛兵のことを考えた。ぼくは全共闘世代で、早稲田のバリケードの中にいた。当時の学生たちは皆、毛沢東語録という赤い表紙の本をもっていた。校舎の壁には「造叛有理」という毛沢東のスローガンが到るところに書かれていた。当時の学生はわけもわからずに毛沢東を支持していた。しかし少しあとで、老いた毛沢東は自分が独裁者であったころの夢が忘れられずに、田舎の中学生を集めて紅衛兵を組織し、欧米の思想にかぶれた北京大学の学生を田舎に拉致して農業に従事させた。東京の大学で学生運動をやっていたものたちは、もし中国にいたら、全員が田舎で強制労働をやらされていたことになる。日本の学生運動がいかに勘違いなことをやっていたのかと、いまにして思う。そこでぼくの思考はストップしている。仏教や日本の歴史をテーマにして小説を書くようになったからだ。これは一種の逃避であったかもしれない。文化大革命とは何であったかを改めて考えなければならないと思うようになった。老いた革命家によって喚起されたポピュリズムが瞬間的に沸騰したということではないか。戦前の日本もポピュリズムによって世界を相手にした戦争に突入していった。漱石の「こゝろ」の先生が自殺したのも、そういう風潮を先駆的に感じていたからではないかと思う。共産主義や社会主義という理念は、ファシズムと同様の熱狂を産み、恐怖の全体主義に移行していく。ポピュリズムは怖い。アメリカのトランプ人気は、ガス抜きみたいなものだと思う。トランプはカリスマになるためにはキャラクターがマンガ的だ。ロシアも北朝鮮も人民によって支えられている。情報が一元化された社会は洗脳された人々によるポピュリズムで動いていくことになる。宗教と国家権力が不可分な国も危うい。しかし理念のない国家は、無秩序な弱肉強食の世界に突入していく。パーティー券の収入で肥大化してきた自民党も危ういものをはらんでいた。パーティー券の規制だけですべてが解決するとは思えないが、たまには政権が交代するのもわるくない。そんなことを考えながら、『三体』を読み進んでいる。
05/17/金
今週は公用の会議がない。火曜に讀賣新聞に出向いたのはSARTRAS副理事長としての仕事だが定例の会議ではない。月曜に担当編集者と会った。これは自分の仕事。あとは週末まで何もない状態で、結局、『三体』を読み進んでいる。毎年、6月から7月にかけては、歴史時代作家協会賞の選考があって、十数冊の本を読むことになるのだが、これは義務として読んでいる。自分の興味で小説を読むのは実に久し振りだという気がする。作家になってから、同業者から送られてきた本を読むことはあっても、本屋で小説を買って読むということはあまりなかった。すぐには思い出せないほどだ。『三体』は分厚い文庫本で、全部で何巻あるのか知らないが、こんなふうにわくわくしながら読むのは実に久し振りだ。ドストエフスキーの4部作を書くときは、それぞれの作品を丹念に読んだ。しかしこれは学生時代に読んだ記憶が残っていて、再読にすぎない。同時代の作品を読むのは、いつ以来か。この作品もSFというものに興味があって読み始めた。自分でもSFを書きたいという気持が少しはあるのかもしれない。『少年空海アインシュタイン時空を超える』も一種のSFだが、もっと本格的なものを書きたいという思いはある。作品をいくつか読んで学びたいという気持があるとしたら、自分はまだ若いと自画自賛したくなる。
05/18/土
週末。昨日の夜中に近い時間にメールが入って、推薦文を一つ頼まれた。それで午前中に一つ書いてみたが、少し長くなったので、明日また検討したい。あとはひたすら『三体』を読む。分厚い文庫本の半分近いところまで読み進んできたが、まだ興味をもって先に進める。しかしこれはぼくに理論物理学や数学の知識があるからおもしろいと感じるのであって、けっしてリーダブルなものではない。SFのファンならば興味をもって読めるという種類のものだろう。カルト集団を描いているようだが、やがて宇宙人が出てくるのだろうと思う。そのあたりで興ざめするのではないかという予感がある。
05/19/日
推薦文を仕上げて送付。『三体』第一巻、読了。出だしの紅衛兵による理論物理学者の虐殺シーンは、雑誌連載時は冒頭だったのだが、単行本刊行時には少しあとに回想シーンとして挿入されたとのこと。やはり文化大革命すなわち毛沢東批判を冒頭に置くのはまずいと版元が判断したのか。確かに40年後の現在のシーンから始まって、冒頭部分を回想として挿入した方が現代の読者にはリーダブルだろうが、遠い日本国の学生運動で学生たちが赤い表紙の毛沢東語録をもっていたことを体験として知っているぼくのような世代の読者にとっては、連載時のままで翻訳した日本版の方がインパクトが強い。現代の物語の主人公は少しキャラが弱いように思う。虐殺される理論物理学者の娘が父の死をまのあたりにして世界に対して絶望する物語の方が、むしろリーダブルだ。この第一巻で、いちおうの謎解きは終わるのだが、さてその後、どうなるのか。第一巻しか買っていないので、明日、本屋に行こうと思う。第二部は上下二巻、6月発売の第三部も上下二巻ということなので、まだまだ楽しめる。
05/20/月
新宿のスポーツマッサージに行く。このところ足腰が弱ってきたので訴えると、腰のあたりを丹念にもんでくれた。少し元気になった。帰りに御茶ノ水駅前の丸善で『三体』の第二部を買った。第一部は文庫本にしているいやに分厚い本だった。今回は少しうすくなったが、上下二巻。どうやら第三部は、第一部と同等の分厚さで上下二巻ということらしい。ということは、サザエのうずまきのように、黄金比で増大しているのではと思われる。『デーヴァダッタ』のタイトルにつては、いろいろと考えていて、いま第二案を検討中。これで決まりそうだ。
05/21/火
メンデ協会理事会。雑談しただけ。組織そのものが老齢化している。
05/22/水
久々にディズニーランドに行く。初めてディズニーシーに行った時に、山の中からジェットコースターみたいなものが出てきたので、あれだけは乗らないようにしようと妻と話したのに、にわか雨が降ってきたので雨宿りに山の中に入ったら、地底探検というアトラクションがあったのでどうせ雨宿りだからと列に並んだら、エレベーターで地底深くに案内すると言われて、その地底の乗り物に乗せられたのだが、エレベーターは実は上昇していて、火山の頂上近くからジェットコースターになるというものだった。つまりあれだけは乗らないようにしようと言ったものに乗ってしまったのだった。で、前回、ディズニーランドに行った時は、コロナですいていて、どの乗り物も待たずに乗れた。アメリカの西部の汽車という設定の乗り物に乗ろうと思っていたら、「こちらです。待たずに乗れます」と係員に声をかけられて何やら乗り物に乗せられたのだが、気がつくとそれはビッグサンダーマウンテンというジェットコースターだった。で、本日は、怪しいものにはけっして乗らないようにした。カリブの海賊とジャングルクルーズと、スモールワールドと、汽車とバス。それだけで帰ってきた。いい運動になった。
05/23/木
SARTRAS分配委員会。昨日はメールがほとんど来なかったに、今日はいっぱいメールが来た。作家としての仕事はお休み状態だが、公用はいろいろあって、スケジュールが埋まっていく。まあ、まだ社会から必要とされているということだろう。
05/24/金
SARTRAS共通目的委員会。今回は補助金申請が年度の変わり目で、審査の議論はなかったのだが、金額の多いいくつかの事業について成果をプレゼンテーションしていただくこととなった。どの事業もたいへんわかりやすい事業で、今後の審査のための参考となった。会議の間に重そうな荷物が届いた。担当編集者から渡した原稿が戻ってきたので、不採用とか書き直しとか、新人だったころの悪夢が甦ったが、簡単な疑問に応えるだけで入稿とするとのこと。作業は数日で終わるだろう。これで1300枚の作品が世に出ることになった。自分にとって最後の長篇小説になるだろう。年内に発行できるようにゲラが出たら集中して作業に取り組みたい。
05/25/土
第一部をチェック。ほとんどが簡単なタイプミス。3回読んで赤字を入れたはずなのに、まだ大量にタイプミスがある。自分で書いたものなので、つい読んでしまって、校正のチェックが甘くなるのだろう。だからこそ編集者の目が必要なのだ。内容については第一部についてはまったく指摘がなかったので、概ね良好ということだろう。第二部まではかなり厳密なチェックをしたつもりでいたが、それでも大量のタイプミスがある。第三部、第四部はもってあるだろう。やはり3日くらいかかりそうだ。……と思っていたのだが、後半も同じくらいのタイプミスだった。糞掃衣が糞僧衣になっているところがいくつかあった。これはデータでチェックしないといけない。明日、赤字をすべて入力して担当編集者に送ればすべての作業が完了する。
05/26/日
朝からパソコンに向かってまず「糞掃衣」の「糞」の字で検索したら半分からいが「糞僧衣」になっていた。便所の雑巾を縫い合わせた衣という意味で、禁欲主義の象徴なのだが、ブッダの教団は寄進がたくさんあったので、僧団の比丘は鮮やかな黄色の僧衣を身につけていた。ただマハーカーシャパだけは糞掃衣を身につけていたという故事をそのまま踏襲したが、主人公のデーヴァが若者たちを集めて教団を分裂を謀り、若者たちに糞掃衣を着せるという展開があって、わりとこの言葉が頻出する。とにかくすべてをチェックした。データを開いたので、ついでに編集者の指示で見つかった修正の赤字をすべて入力した。これでデータは完全版になった。赤字を入れたプリントを宅急便で送り、担当編集者にメールでデータを添付して送った。これですべての作業が終わった。と思ったら、急に全身が虚脱した感じになって動きがとれなくなった。風邪なのか。柴胡桂枝湯という漢方薬を飲んで寝た。
05/27/月
全身の痛みと頭痛は続いている。今日の会議はリアルなもので、場所は神保町の書協なので歩いて行けるのだが、メールで欠席届を出す。こういう症状はいままで何度か経験していて、柴胡桂枝湯が効くことはわかっている。いまこうしてようやくパソコンが打てるようになった。といっても何もすることがないので、日記みたいなものを書くことにした。
05/28/火
一昨日の夜に急速に襲われた体調不良は何とか回復した。妻も回復した。二人の症状に差違があるので原因は異なるのかもしれない。ぼくの場合は、疲れが出たのだろう。ともあれすべての作業が終わって放心状態だが、まだ校正があるので、気持をひきしめないといけない。
05/29/水
妻の甥とつきあっている女性が来て、近くの店で昼食。二人ともチリのサンチャゴに住んでいる。チリの話などを聞く。話の途中でこちらは退席してSARTRAS役員会。これはリアルな会なので永田町まで出向く。1時間で終わる。体調は回復したが、まだ頭がぼうっとしている。昨日の夜、『三体U』の下巻を読み替えた。続いて『V』に行きたいところだが、文庫の発売が来月下旬だというのでしばらくは待つしかない。まあ、のんびりと日々をすごそうと思う。
05/30/木
同じ日に会議が重なってダブルヘッダーになることはあるが、一日に3件重なるのはめずらしい。しかも3件とも理事会だ。午前中の著作権情報センターの理事会はiPhoneでつなぐ。先日GoogleMeatの会議に参加した時もiPhoneだったが、慣れたZOOMでもiPhoneだと押しボタンの位置が違うので、手を挙げるボタンがどこにあるかとまどった。発言することはないのだが、議決があるので手を挙げないといけない。ここの理事会は紛糾することはない。すぐに終わった。午後からはSARTRASの会議。iPadでつなぐ。ものすごく紛糾したので、手を挙げて発言した。一回発言したので参加していた証拠となる。話が長びきそうだったのでこっそり途中退席。リモートの会議は抜けるのが簡単だ。日本点字図書館の理事会はいつもリアル会議。しかも毎回、議長をやらされる。考えてみると本日の出席者のなかではぼくがいちばん古株になった。さすがに3回目の会議となると疲れが出た。日曜日に疲れが出て体調をくずしてから、まだ酒を飲んでいない。飲みたくもないので重症だが、体調は回復しているので、明日の宴会は楽しみだ。
05/31/金
加藤郁乎賞授賞式。武蔵野大学に勤めていたころの同僚の楊昆鵬さんが受賞した。詩や俳句の賞だと思っていたのだが、楊さんは和漢聯句の研究者で、『詩歌交響』という論文集が対象となった。平安時代から皇族や貴族は和歌を詠むだけでなく、歌合わせなどで遊芸に興じ、さらに連歌という共同作業の文芸に発展していくのだが、さらにそこに即興の漢詩を折り込んだのが和漢聯句で、ぼくはそんな芸術があることをまったく知らなかった。和漢の先人たちの業績に通じた深い教養がないと不可能な「遊び」であり、日本人の「遊び」のいわば極みともいえるものがあったことに、楊さんと付き合うことで教えられた。その楊さんの本がこうして、伝統のある賞として評価されたことはまことに喜ばしい。今週の初めに体調を崩してしばらく酒を断っていたのだが、本日はお酒がおいしかった。