デーヴァダッタ14

2024年2月

1月に戻る 3月に進む 月末
02/01/木
昨年の1月から始めたこのノートも14ということになった。構想は練っていたのだが、前作の仕上げや校正などがあって、実際に『デーヴァダッタ』を書き始めたのは4月になってからだが、このぶんでは1年以上かかることは間違いない。自分にとってのライフワークであり、最後の作品と考えている。デーヴァダッタはさまざまな経典で釈迦にとっての宿敵であると書かれているのだが、法華経(妙法蓮華経)では釈迦自身が自分の師であったと述べている。提婆達多がはっきりと描かれているのは観無量寿経で、アジャータシャトル王子がデーヴァダッタにそそのかされて父王を幽閉し殺害したということになっている。ぼくの作品でもアジャータシャトル王子の物語が山場になるはずだが、ここまで1000枚ほどの原稿を書いてきたのは、アジャータシャトル王子の物語が始まる直前までの、いわば長大な前置きでありプロローグだということになる。前置きはすべて終わった。いよいよここからアジャータシャトル王子の物語が始まっていく。並行して、デーヴァダッタがブッダの教団内で一種のクーデタを起こそうとするエピソードをつむいでいく。テンポ良く語る必要がある。同時に急ぎすぎてはいけない。ぼくの作品は最後の章はエピローグということで、簡単なメモ書きのようなものになることが多いのだが、この作品ではまだ最も大きな物語が残っていくので、悠然と話を進めていきたい。本日は年に一度の眼科検診。とくに問題なし。ありがたいことだ。いつもこの時期に眼科に行くのは花粉アレルギーの目薬をついでにもらうため。今年は暖冬で花粉の飛散がすでに始まっているようで、鼻の調子はよくないのだが目にはまだ症状が出ていない。ネット会議1件。1時間ほどで終わる。『デーヴァダッタ』は23章に入った。ここからアジャータシャトル王子の話が本格的に始まる。ここまでも生前の予言者の不吉な予言や、少年時代にデーヴァダッタが関わったことなど、伏線となる物語は要所で書いてきた。それらはすべて前置きであって、ここから物語が始まり、その物語が終結すれば、この作品もあとはエピローグだけとなるのだが、まだここから本1冊ぶんくらいのストーリーを展開しなければならないだろう。ゴールはまだ遠い。

02/02/金
新宿三丁目のマッサージ。野球選手やラグビー選手に出張サービスするスポーツマッサージの店で、ぼくは役者をやっている姉に教えてもらった。月に一度ほど通っている。都営新宿線で行くと、新宿三丁目の一つ手前に曙橋という駅がある。下りたことはない。だがどんな場所かはわかっている。都営新宿線が開通する前に、河出書房新社の本社があった。その少し前にこの会社は倒産の危機にあり、駿河台下(住所は小川町)にあった社屋を売却して本社を倉庫に移した。いまなら曙橋の駅前の一等地だ。そのころは丸ノ内線の四谷三丁目が最寄り駅で、JRの四谷からも歩いていけた。出版社は必ず倉庫をもっている。本というものはいまも昔も日本では委託販売だ。富山の置き薬と同じで、本屋さんに置かせてもらって、売れたら定価の80%を取次を通じて版元にもどす。売れなければ半年以内に本そのものを返本する。出版社は返本されたものを在庫として抱えることになる。それでも紀伊國屋などの大きな本屋の棚には半年過ぎても本が陳列され、売れれば本に挟んである注文票を版元に届ける。版元は倉庫の在庫から新たな本を本屋の店頭に戻す。ということで、版元は膨大な在庫を抱えるために倉庫をもっている。河出の場合は曙橋という都心に倉庫をもっていたことで、その敷地内に本社を移すことができた。「僕って何」の原稿は駿河台したの旧社屋に届けた記憶があるのだが、ぼくが芥川賞を貰ったころは曙橋に移っていた。それから何度か、その倉庫の敷地内に建てられたプレファブみたいな事務所に通った記憶がある。当時すでに都営新宿線の計画があったようで、すぐあとでその土地を売却し、倉庫は郊外に移し、本社は神宮外苑の狭い敷地のビルに引っ越した。だからぼくが曙橋に通ったのはわずかな期間なのだが、芥川賞受賞というぼくにとっても人生のエポックとなる時期だったので、そのプレファブ社屋の記憶はいまも鮮やかに残っている。

02/03/土
このページはぼくの作品ノートなのだけれど、このところFootballのことばかり書いている。スーパーボウルは再来週なので少し間があく。しばらくは頭の中からFootballを消したいと思う。ふだんテレビや新聞やネットなどからさまざまな情報が入ってくるが、後期高齢者になると明日、明後日はあるけれども、10年後のことはもはや考えても仕方がないと思われる。今朝の新聞には東京駅から有明ビッグサイトまでの新しい鉄道がひかれるという記事が出ていた。ビッグサイトのすぐ近くにぼくが勤務していた武蔵野大学の本部校舎がある。ぼくが教えていた文学部は武蔵境なのだが、学部長をつとめていたので、必要な交渉のために学院長を訪ねたり、大学院の入試があったり、何やかやで本部に行くことも多かった。行くのが大変で、御茶ノ水からJRで東京駅、京葉線で新木場、それからりんかい線と、2回乗り換えが必要だったが、この新線が開通すれば1回乗り換えですむ。といっても開通まで自分が生きているとは思えないし、リタイヤした身だからお台場に行くこともないだろうなどと考える。テレビを見ると能登の地震の問題が果てもなく続いている。1月1日の地震には驚いた。浜松の仕事場にいた。築40年以上の木造家屋なのでいやな音を立てて揺れ動いた。ただニュースを見てもとくに何かを考えるということはない。老人はもう自分のことしか考えなくなっている。自分は無事だ。能登に知り合いはいない。そこで思考が停止する。三菱重工本社爆破事件の関係者が、到るところに指名手配の写真が貼ってあるのに50年近く潜伏していて、最後に病院で死ぬ間際に本人であることを告白した、というニュースには、同世代の人間なのでいろいろと考えた。作家になったあと批評家の仲間と批評研究会というのを作って月に一度くらい会合を開いていたのだが、まだ事件から十年もたっていないころだったので、よく話題になった。要するに彼らは、アジアを犠牲にして経済的に繁栄している日本社会を全否定したいのだ、と左翼系の批評が話していたことが記憶に残っている。あの爆破事件では通行人も犠牲になったのだが、昼日中に大手町を歩いている人間は体制側の人間だから死んでもいいと彼らは考えるのだ、という話も記憶に残っている。ずっとあとになった文藝家協会で著作権の仕事を担当するようになり、役所に行く機会が増えた。虎ノ門にある文部省と文化庁が建替になり、建設中の仮の役所がこの三菱重工本社のあった三菱ビルということになり、ぼくも何度か訪れたことがある。昼日中に大手町を歩き、三菱ビルに入っていく時、自分も体制側の人間なのだ、だから殺されても仕方がないのだ、と考えたりもした。ぼくはこの事件の犯人たちをモデルにした『愛の行方』という作品を書いたことがあるので、彼らにシンパシーをもっている。だから50年近く潜伏していた人のことも、他人事とは思えない。そういう生き方もあるのだなと思うばかりで、彼のことを「犯人」だとは考えない。主義主張の表現がたまたま爆弾だったということでしかない。さまざまな場所で発生するパワハラや、議員や役人の汚職、それから言論もまた暴力性をもっていて、すべては等価だと考えている。彼らは爆弾を造り、ぼくは小説を書いている。熱意をもって何かに打ち込んでいるという点では同じなのだ。ただあの事件では何人もの人が死んだ。事件当時、ぼくは小さな広告プロダクションに勤務していて、自動車メーカーのPR誌を作っていた。そこの本社は八重洲にあった。東京駅をはさんで反対側だが、そんなところで仕事をしている人間はすべて体制側であり、爆弾で殺されても仕方がないということになる。実はその当日、ぼくは四日市にあるそのメーカーの営業マンのための研修センターに取材にいっていた。帰りに名古屋で新幹線に乗り換える時に、ホームで新聞の号外を見て事件を知った。その時にぼくが感じたのは、殺されなくてよかったということと、彼らには主張があるということだった。京アニ放火事件とどこが違うかと問われると、確かにあの犯人には主義主張がない。しかしこの社会から落ちこぼれた人間が、社会全体を呪って無差別殺人をするということも、何らかの表現だろうと思っている。そういえば秋葉原でも無差別殺人があった。ぼくはよく秋葉原を散歩する。主に上野マツサカヤに弁当に買いにいく時に通るのだが、あそこは確かに危ないところだと思う。なるべく湯島天神の丘の上から聖橋に向かって、秋葉原を避けるようにしているのだが、疲れている時など、先を登るのがいやで、神田明神の下のあたりを通ってしまうこともある。まあ、とにかくぼくは生きている。75歳の後期高齢者で数え年では77歳の喜寿だ。若いころは、自分が老人になるなど、思いもしなかった。ぼくの父親は66歳で亡くなったのだが、すでによぼよぼの老人だった。その父よりはるかに年上になってしまった。そう考えると、いまの自分は、夢の中を生きているような気がしてくる。さて、本日は散髪屋に行った。夢の中を生きている人間も、散髪をしないわけにはいかない。一昨日は眼科検診、昨日はマッサージ、今日は散髪と、体を触られるところに連日通っている。ぼくはそういうところが苦手なのだが、よく耐えたと思う。これで当分は人に会う仕事もない。ネット会議はあるけれども、これは画面の中の小さな世界で、夢みたいなものだ。いま書いて射る『デーヴァダッタ』の中心となるコンセプトは、トールボンマラータという影絵芝居だ。一切は空であり、われわれが見ている世界は「空」という白い幕に映し出された影絵芝居にすぎない。これが主人公の一人のシッダルタの言説で、もう一人の主人公のデーヴァダッタも、たえず幻影を見ているような気分になっている。そのような夢の世界の中で物語が展開する。当時のインドには影絵芝居があった。現代なら、テレビやパソコンの画面ということになる。そこには性欲や食欲を刺激する映像がつねに映っている。ZOOMの会議などというものも映る。それらはすべて幻影にすぎず、実態はどこにも存在しない。そう思いながら、ZOOMの会議に出席して発言したりしている。

02/04/日
一昨日の夜に妻が戻ってきたので、老夫婦2人の生活になっている。しばらく車を動かしていないのでドライブ。いつも行く深川ギャザリアまで行って中に入らずそのまま帰ってきた。『デーヴァダッタ』は主人公が若者たちを集めて教団に内部分裂を起こそうと画策する。これは伝説で語られることなのでそのまま踏襲する。いよいよ最後の物語が動き始める。これは観無量寿経の冒頭に記された物語なので、これはそのまま使うしかない。これからの一箇月はこの物語の中にひたっていたい。幸い2月は月の中ほどにSARTRASの役員会があるだけで、リアルに出向く仕事はこれだけ。あとはネット会議が5件ほどあるだけだ。物語の詳細なプロットについては何も考えていなかったのだが、ここ数日、ぼんやり考えているうちにまとまってきた。エピローグについても何も考えていないが、ちょっとしたプランはもっているので、何とかゴールにはたどりつけると思う。月面まで行って着地ポイントが見つからない、ということにならないように、そろそろエンディングに到る手順を考えてみたい。

02/05/月
雪が降っている。積もるほどではないようだが、激しく降っていて、いつも窓から見えている大手町のビル群が完全に視界から消えている。いま住んでいる高層住宅に引っ越してから10年になる。以前は世田谷の一戸建ての家に住んでいた。雪が降って前の道路に雪が積もると、雪かきをする必要があった。また屋根や壁にはりついた雪がドカンと音を立てて落下することがあった。当時いっしょに暮らしていた犬が、テラスにあった自分の犬舎が雪で壊滅したのを見て、雪を恐れるようになった。集合住宅に引っ越してよかったと思うのは、雪かきをしないくていいということだ。地下の駐車場を通っていくと、傘をささずにスーパーマーケットにも行けるし、千代田線の駅にも行ける。長く工事を続けていたJRの御茶ノ水駅は、工事中の入口が少し離れたところに開設されていたのだが、工事の大半が終わってもとの聖橋のそばに戻ったので、地下鉄の出口から細い道を渡るだけで改札口に行ける。幸いいまは会議がほとんどZOOMなので、電車に乗って出かける用事もない。さて『デーヴァダッタ』は最後の物語に入った。ビンビサーラが幽閉される直前のところに来ている。アジャータシャトル王子も主人公のデーヴァダッタも、悪人ではない。善人でもない。運命にあやつられて悲劇を起こしてしまう。これはオイディプス王でも同じことだし、イエスを裏切るユダも同様だ。今月中に草稿完了というところまで行けるか。まだエピローグについて何も考えていないのだが、エピローグに入るともはやアラスジだけの展開になるので一気にゴールが見えてくる。だがその前にスーパーボウルがあるな。

02/06/火
作品の核となるアジャータシャトル王子の物語が始まった。この物語が終われば作品もほぼ完了となる。ただそのあとのエンディングをどうするかまったく考えていなかった。ぼくの散歩コースは湯島天神おりかえし、上野マツサカヤおりかえし、小石川後楽園おりかえし、などがあるのだが、とくに思うところがないと体が自動的にそちらの方に行くという基本コースがある。日大理工学部の新校舎の横から歯学部の前を通って、明治大学の校舎の間のとちのき通りを進み、アテネフランセや美術学校の前から、水道橋駅が見えるところで左折し、崖下の猿楽町から錦華公園から、工事関係者の不正が取りざたされているお茶の水小学校前、駿河台下から自宅に戻る、というコースをたどる。この道を歩いている時に、突然、エンディングのアイデアがひらめいた。これはありがたい。これで作品は着地できそうな感じになってきた。さて、スーパーボウルは来週の月曜日。チーフスも49ナーズもすでにラスベガスに到着している。あとはケルシーの恋人のテイラー・スウィフトさんが、後楽園ドームの公演から個人所有のジェット機でラスベガスにうまく到着できるかが課題となっている。ぼくは8割方はチーフスを応援しているけれども、一昨年のドラフトで最下位指名だったQBパーディーも応援しているので、49ナーズが勝ってもいいとは思っている。先週の試合でチーフスは、後半は無得点だった。そこが少し心配なのだが、レイブンズのディフェンスは最強なので、まあ、仕方がないかなとは思っている。前半で10点リードしたので、無理なロングパスは投げず、時間を消費するためにランを多用した結果で、7点差のまま時間を消費しきったということで狙いどおりだったともいえる。ケルシー、パチェコ、ライスの3人はしっかり活躍したし、スキャントリングも最後のパスをキャッチして勝利を決定づけた。ラマ―・ジャクソンの攻撃を抑えきったディフェンスも充実していた。パッカーズやライオンズ相手に苦戦している49ナーズのようすを見ると、チーフス有利かなとは思うのだが、オフェンスにもディフェンスにも綺羅星のごとくスタープレーヤーがいる49ナーズは、QBが若いというだけのウィークポイントなので、パーディーの活躍しだいではスーパーボウル制覇の可能性もあると考えられる。どちらかといえばチーフスに勝ってほしいが、とにかく試合を楽しみたいと思う。

02/07/水
昨日からまた妻がいない。配水管清掃の作業が本日の午後に入っているのでやや緊張する。いつもは妻が担当しているので勝手がわからない。待つうちにまず事務室から連絡が入って在宅が確認されると、ほどなく作業員が現れた。台所のシンクの下に浄水器が隠れていて、年に一度はフィルターの交換をするのに、重い引き出しを撤去しなければならず、いつも妻と2人で苦労するのだが、作業員はいとも簡単にひょいと引き出しぬいて、配水管の連結部からパイプを突っ込んだ。そのパイプは廊下から引き込んだもので、地下のガレージにポンプ車が駐まっているのを日曜日に確認した。ポンプ車からの圧力で配水管を掃除するようだ。作業そのものは簡単で、あとは風呂場と洗面所でも作業をやってくれたようだ。それで終わり。とにかく作業が無事に終わったのでよかった。高層住宅なので年に一度はこの作業をやらないといけないようだ。『デーヴァダッタ』は順調に進んでいるのだが、章の変わり目まで少しページがあるので、主人公の息子のラーフラ(釈迦の息子なのだがぼくの作品ではデーヴァダッタの子)との対面をここにおりこむことにした。その出だしを設定したあと、寝酒をの飲もうとして準備したところで急にひらめくものがってノートに大量のメモを書いた。これできっちり章が終われそうだ。

02/08/木
昨日のメモを入力。午後はSARTRASの分配会議。紛糾。こちらとは関係のない問題なので、耳で聞きながら自分の仕事を進める。テレビは将棋チャンネルを出していて藤井クンのコンピュータ評価が80%くらいになっているのを確認。何となく集中力がなくて文章がゆるんでいたようで、あとで読み返した大幅に削除。すっきりした感じになった。これで24章が終わる。(いったい何章まであるんだ!)。30章くらいで終わりになるのではと考えている。1章が15ページ。400字だと45枚。30章だと1350枚になるか。まあ、本1冊に収まるぎりぎりのところで、5000円くらいの本になりそうだ。誰も買わないだろうが、書くことに意議がる。ぼくのライフワークになる作品だ。大長篇としては最後の作品になるだろう。将棋は藤井クンの圧勝。タイトル戦の連続制覇の数で大山永世名人を超えたらしい。SUPERBOWLまであと4日。もうあまり考えないようにしたいと思う。とはいえどうしても考えてしまう。4年前にも49ナーズ対チーフスの試合があった。あのときは後半の半ばくらいまでは10点くらいリードされていた。ショートパスばかりだったマホームズがようやくタイリーク・ヒルにロングパスを通して、そこからモメンタムが変わった。そのタイリーク・ヒルはいまはいない。レシーバーにビッグネームがいるとどうしても意識してしまう。2人がかりで守られるので投げにくいのだが、投げないと本人がカッカしてしまう。そのあたりがまずいというのでタイリーク・ヒルの放出となったのだろう。いまはボールが来ないからといって怒るようなレシーバーはいない。シーズン中は投げても投げてもドロップの連続だった。シーズン後半に到ってようやく新人レシーバーのライスが、短いパスならキャッチできるようになった。ケルシーは当然、2人がかりでマークされるのだが、ケルシーの場合は体力があるので2人にマークされてもキャッチできる。たまにロングパスをキャッチするスキャントリングにボールが通るかどうか。いちかばちかで1本くらい投げてみてもいいのでは。去年活躍した3人目のランニングバックのマッキノンが今年は怪我で出られない。パチェコに負担がかかる。何とか最後までがんばってほしい。3人目のレシーバーがいないので、タイトエンド2人か、タイトエンドみたいな体格のワトソンの起用で乗り切るしかない。今シーズンは若手のディフェンス陣が大活躍だった。新人の控えのセーフティーのコナーも使えるようになっている。49ナーズのQBのパーディーは2年目と若い。プレーオフに入ってからは時々走るようになったが、ラマ―・ジャクソンやジョシュ・アレンのような走るQBではないので、相手のランニングバックに集中できる。このランニングバックが脅威だ。マカフリーはまさにいま最高のランニングバックであり、レシーバーもできるし、時にパスを投げることもできる万能選手だ。レシーバーもサミュエルにアイユーク、タイトエンドのキトル、それにフルバックのユースチェックが曲者で、何をするかわからない。ふだんはランニングバックの前を走ってブロックで走路を確保する役目だが、時に自分で持って走ることもあり、レシーバーになることもある。この変則的な攻撃スタイルにチーフスのディフェンスが対応できるか。あとは2年目QBのパーディーが大活躍するのは不振なのか。やっぱりスキャントリングが1回くらいパスをキャッチしてくれないと、ケルシーが3人がかりで押さえられてしまう。というふうに考えだすとキリがないのでやめておこう。

02/09/金
SARTRAS共通目的委員会。冒頭数軒は議長の委員長が利益相反の立場なので、こちらが議長を代行。議長というものはけっこう疲れる。まあ、無事に終わった。アメリカの賭け率では49ナーズが数ポイント有利ということだが、ぼくの見立てではチーフスが少し有利かなと思っている。テーラー・スウィフトが後楽園ドームでも公演からラスベガスのスーパーボウル開始時間に間に合うかどうかの賭けも受け付けているそうだ。空港までの道路、空港そのものの混み具合、天候、風の影響など、さまざまな要素がからむ問題だが、アクシデントがなければ間に合うのではないか。テーラー・スウィフトという人をよく知らないのだが、Footballの中継で貴賓席みたいなところが映るので顔は知っているし、なかなかに情熱的な人のようだ。アメリカで1番人気のある歌手でグラミー賞でいくつもの記録をもっているとのこと。まあ、後楽園ドームで単独公演するくらいだから世界的な人気歌手なのだろう。彼女の応援のせいで、ケルシーは奇蹟的なキャッチを連続している。とてもとれそうもないボールを必死にとりにいって、キャッチしてしまうところは愛の力なのか。チーフスのファンとしてはありがたいことだ。アメリカでは大谷くんの人気で野球に押され気味だったFootballの人気が一気に盛り返したと伝えられる。ルールが難しいので関心のない人も多かったのが、テーラーさんの応援姿を見るために中継を見ているうちに、何となくおもしろさがわかってきたということか。4年後のオリンピックではフラッグ・フットボールが正式種目になるようで、オールスター戦にあたるプロボウルの前に行われたジュニア大会で日本のチームが優勝したらしい。漫才コンビのオードリーは帝京高校でフットボウルをやっていたらしい。ぼくの高校時代に、友人が好きだった女の子に告白したらタッチフットの恋人がいると言われた、という話が記憶に残っている。その時、タッチフットって何、と思ったのだが、タックルするかわりに選手にタッチすると、そこでゲームがストップするというルールだったようだ。そのタッチフットを改良したのがフラッグフットで、選手の腰に布をつけてあって、その布ひっき゜られたらそこでダウンということで、タッチしたかどうかの判定が微妙であったのを、布をつけることで判定を容易にしたということだろう。タックルがないので安全で、しかもルールはちゃんと憶えらるというもので、観るファンを増やすねらいだろう。観るファンといえば、コンピュータ判定のおかげで「観る将」といわれる観るだけの将棋ファンが急速に増加した。ぼくも観るだけのファンで、昔からテレビの将棋はよく観ていた。藤井クンのタイトル戦は全部見ている。スカパーの将棋チャンネルは王将戦を中継してくれるのでありがたい。アベマと同時に観ていると、ネットというものがかなりのタイムラグがあることがわかる。これはFootballの中継も同様だし、野球中継もテレビ放送とiPadでネットのラジオ中継を聞くとタイムラグがよくわかる。ネットの映像はもっと遅れる。そう考えると、王将戦はテレビで見たくなる。

02/10/土
昨夜遅くに妻が名古屋から帰ってきた。次男の嫁さんが体調をくずしていて、双方の母親が交替で手伝いに行っている。次男は勤め先が四日市で、仕事も忙しそうだ。半導体関係の仕事をしているので、いまはたいへんな時期なのだろうと思う。こちらはのんびりと小説を書いている。『続カラマーゾフ』を書いていた時、最後にアリョーシャはどうなるのだろうと、書いていて自分でもわからなかった。いま書いているデーヴァダッタも、これからさまよいの旅に出ることになる。そんなことよりスーパーボウルの2日前だ。年間のMVPが発表された。レイブンズのラマ―・ジャクソン。先週の試合で、チーフスのディフェンスに完全に封じ込められた惨めな姿を見ているだけに、受賞しても本人は嬉しくないだろう。レイブンズはラマ―・ジャクソンの周囲を固めるために補強を続けてきた。そろそろサラリーキャップがいっぱいになっているはずで、これでラマ―・ジャクソンのギャラがアップすれば、他の有力選手を放出することになる。チーフスがタイリーク・ヒルやスミスシェスターを放出したように。今シーズンのマホームズはボールを受けてくれるレシーバーがいなくて苦労をした。次のシーズンのレイブンズは戦力が下がるのではないか。同じことは49ナーズについてもいえる。すごいタレントを揃えている。QBのパーディーが一番安いギャラだろう。パーディーは今年で2年目だから、まだギャラの大幅アップはない。それでもタレント全員のギャラを上げると、どこかでサラリーキャップをオーバーしてしまう。来シーズン強くなりそうなのはテキサンズだ。QBワトソンをブラウンズに放出したかわりにドラフト権をいくつかもらって、今シーズンは新人王の攻撃も守備もテキサンズだった。他にも有力な新人がいて、全体のギャラは安いはずで、補強をして弱点をカバーすれば、来シーズンはチーフスの強敵になる。さて、あと2日。心を静かにしてその日を待ちたい。

02/11/日
ぼくが住んでいる共同住宅は千代田区の開発事業でできた経緯がある。廃校となった小学校と隣接した公園が中心となり、さらに隣接した土地を併せて再開発したもので、町内会のお神輿置き場があったり、地権者の四谷大塚の教室があったりするのだが、公園はそのまま残っている。その土地の面積を容積率に入れて高層住宅を建てたので、ぼくの住まいの真下に公園があって見下ろすと梅が咲いていたりする。その公園で建国記念の日の反対集会が開かれたらしく、散歩に出ようとすると、警視庁の機動隊が公園を取り囲んでいた。集会の参加者より機動隊の方が人数が多い感じのものものしい警戒だった。それで散歩しながら、建国記念の日について考えた。明治維新の時に、徳川家康を神君として信仰する徳川幕府を倒したため、新しい神さまが必要になって、日本書紀に書かれた神武天皇をもちだして、神武天皇がヤマトを征圧して初代天皇(天皇という称号は天武天皇からでその前はオオキミと呼んでいた)として即位したのが辛酉(かのととり)の旧暦元日だったと書かれていることから、これを新暦に直すと2月11日として紀元節を制定した。これが2月11日の根拠なのだが、辛酉という年は60年に一度(だから60年を還暦という)回ってくるのでいつの辛酉なのかはわからない。新暦は太陽の動きで春分、夏至、秋分、冬至を定め、冬至と春分の中間点を立春(前日が節分)と定めたもので、4年に1度、閏日を入れることで(さらに正確に言うと400年に一度は閏日を入れないことがある/最近では2000年は閏日がなかった)ほぼ正確に季節を表示することができる。旧暦というのは月の運行をもとにしていて、新月を1日として、30日の大の月と29日の小の月を交互にくりかえしていけば、月の運行とはズレがないのだが、これでは1年が11日ほど短くなるので、ほぼ3年に1度(正確に言うと19年に7度)、月を丸ごと閏月として挿入することになる。ということで、旧暦の1月1日を新暦に直そうとしても、年々11日ずつ早くなり、閏月が入ると翌年の正月は一箇月ほど遅れることになる。従って、辛酉の年の元日がつねに2月11日だということではない。ということで、この日付はかなりいいかげんなものだ。しかし明治政府が制定して、昭和23年まで祭日だったので、80年くらいは紀元節を祝っていたのだ。で、ぼくが20歳を過ぎたころにまた復活されたのだが、当時は学生運動が盛んだったから大反対運動が起こった。いまも反対する人がいるのはその名残だろう。で、ぼくの考えだが、2月11日がその日にあたるかどうかはわからないものの、昔、神武天皇がいてヤマトを征圧して初代天皇となったという事蹟は尊重していいと思う。日本書紀に書いてあるとはいえまだ神話の時代だ。神武天皇の母の玉依姫はワニザメだし、父のウガヤフキアエズの母の豊玉姫もワニザメなので、神武天皇は4分の3がワニザメということで、ほぼ人間ではないということになるのだが、神武天皇の曾祖父のニニギはどうやら単性生殖だ誕生したのだし、その祖母にあたるアマテラスは水のしずくから生まれたことになっている。要するに神武天皇は神話のなかに出てくる神さまなのだ。神話というものは大事にしたい。というのは神武天皇をまつった橿原神宮は現存するし、父のウガヤフキアエズをまつった鵜戸神宮も宮崎県に実在する。応神天皇をまつった八幡神社は日本国中到るところにある。だから神話というものはすべて捨ててしまっては、日本人の生活は成り立たない。従って建国記念の日に反対する人は、日本人であることを拒否したいのだろう。インバウンドの外国人観光客でも神社は大切にする。明治神宮は人気の観光スポットだし、ぼくの散歩コースの神田明神や湯島天神も、神さまのスポットだ。どちらも反体制で処刑された人をまつったものだが。などといったことを考えるのも、明日がスーパーボウルだということを忘れていたいからなのだが、そういうわけにもいかない。後楽園ドームでの公演を終えたテイラー・スウィフトさんは無事にロサンジェルスの空港にプライベートジェットで到着したらしい。まあ、会場はラスベガスなのだけれど、まだ時間の余裕はあるからゲーム開始には間に合うだろう。どちらが勝ってもいいと自分では考えてきたのだが、試合開始が近づいてくると、やはり自分はチーフスのファンだということを痛感する。そして49ナーズは華やかなメンバーを見ると、大差で負けそうな気もしてきた。何しろランニングバックのマカフリーがいる。ぼくはパンサーズにいたころからのファンで、とにかくマカフリーにボールを渡せば何とかしてくれる。昨シーズン、ドラフト最下位で指名されたQBパーディーが活躍できたのも、とりあえずマカフリーに渡すだけでいいという安心感があったからだ。さらにレシーバーのディーボ・サミュエルがいる。相手のタックルをかわすのがうまく、ショートパスをサミュエルに投げておけば何とかしてくれる。困った時はタイトエンドのキトルに投げればいい。3人とも警戒されていれば第二のレシーバーのアイユークがいる。そしてディフェンス陣にもビッグネームが並んでいる。弱点はQBパーディーが2年目、キッカーが新人ムーディーが新人で不安定だということくらいだ。逆にチーフスはディフェンスバックが無名の若者ばかり。QBのマホームズ、タイトエンドのケルシーしかいないといってもいい。それでもドルフィンズ、ビルズ、レイブンズという名だたるQBのいるチームを撃破してきたので何とかなるという思うのだが、むしろQBパーディーは何もせずにただマカフリーに手渡すか、サミュエルにショートパスを投げていれば勝てるのではないか。などと考えると心が痛むので、何も考えないようにしたい。自分の仕事『デーヴァダッタ』は、語るべき物語の最後の部分、ヴァイデーヒー夫人に釈迦が観阿弥陀経を説く場面に近づいてきた。これが終わるとあとはエピローグの断片をいくつか書くだけでいいが、鍛冶屋のチュンダというのを最後に出して話をしめくくることになる。これが数日前に散歩の途中で考えたことでうまくいくかどうかはやってみないとわからない。

02/12/月
朝8時に起きてテレビの前にスタンバイ。スーパーボウル。一年でいちばん気分が高揚する日。とはいえライフワークもゴールが見えている状況なのでいちおうテーブルの上にノートとボールペンを置いていつでもメモできる体勢にはなっているのだが、それどころではない。チーフスの攻撃が49ナーズのディフェンスにシャットアウトされる。まったく前に進めない。チーフスもディフェンスががんばってフィールドゴールの3点に抑えていたのだが、QBパーディーがラテラルパス(ラグビーのような後方へのパス)をレシーバーのジェニングスに通したと思ったら、ジェニングが反対側のサイドに遠投。ランニングバックのマカフリーがキャッチしてそのままタッチダウン。トリックプレーにはめられて10点差でハーフを迎えるかと思われたが、昨年も10点差負けを後半に逆転したのだが、イーグルスのディフェンスと違って49ナーズはまったく隙がない。この時点で負けを覚悟。しかし前半終了直前にバトカーのスーパーボウル新記録の長いキックが決まって7点差。後半もまったく前進できなかったのだが、パントを蹴ったボールが49ナーズの選手に触れるという相手のミスに助けられて、シーズン中、ひたすら落球だったスキャントリングにタッチダウンパスが通った。3点リードの終盤、先ほどパスでタッチダウンを決めたジェニングスが今度はパスキャッチで逆転タッチダウン。ジェニングはMVPかと思ったのだが、キッカーのムーディーの1点コンバージョンがブロックされて、4点差になるところが3点差。これのおかげてタイムアップ寸前にゴールが決まって延長戦に突入。コイントスに向けて49ナーズの攻撃で始まったのだが何とか3点で抑える。そして長いドライブの末に、時間切れ寸前にタッチダウン。パスをキャッチしたのはこれもシーズン中ドロップの連続だったハードマンだった。ハードマンはビルズとの試合でも2度ファンブルして、カンファ決勝ではボールを回してもらえなかったのだが、最後の最後にヒーローになった。スーパーボウル史上、最長の試合時間。タイムアップ寸前の逆転劇。見ているだけで、今年一年はこれで終わりだというくらいに疲労困憊した。試合の途中経過などはほとんど忘れてしまった。これから半年ほど、何度もビデオを見て、細部を確認したいと思う。いいゲームだったし、接戦だったので、これで負けても仕方がないと何度も思ったのだが、勝ってみると、やっぱり勝ってよかったと思う。午後は自分の仕事に集中したい。

02/13/火
スーパーボウルの翌日。頭の中がぼーっとしている。昨日の試合の延長残り3秒の逆転タッチダウンがなぜおれほど簡単に決まったのか。昨夜、ビデオをスロー再生して判明した。昨年のイーグルス戦でも2度、同じことをやってタッチダウンに成功したワイドレシーバーのモーションという簡単なトリックだった。去年の場合、ゴール前で右端にいたトニーが中央に移動するかに見せて途中で元の位置に戻ったプレー。同じことは左に位置してスカイ・ムーアが同じように中央に移動すると見せて引き返す。今回は右端にいたハードマンが中央に向けて走り、すぐに元の位置に引き返した。今回は相手のディフェンスはハードマンの移動に惑わされずに動かなかったのでそのままハードマンをカバーできるはずだったのだが、そこからがトリック。ハードマンの左に位置していたケルシーがボールがマホームズに渡ると同時に真っ直ぐ前方に走り出したのだ。ハードマンをカバーするはずだったディフェンスはケルシーの動きにつられてケルシーのカバーに向かった。たぶんその内側の選手もケルシー対応で、いわゆるダブルカバーでケルシーを止めにかかった。その直前のプレーがケルシーがボールをもって5ヤードくらい前進したもので、ゴール前3ヤードの地点からの最終プレーなので、何としてもケルシーを止めるしかなかったのだ。残り数秒となって最後のプレーだということはわかっていた。こういう時は、一番頼りになるケルシーにボールをもたせる。誰もがそう思う状況で、リードコーチは、ドロップ癖があってカンファ決勝戦では使ってもらえなかったハードマンに賭けた。これは計算されたプレーで、ハードマンがゴールラインを超える前に、すでにケルシーはバンザイをしていた。自分にダブルカバーがついていることを確認して、作戦が成功したとわかったのだ。カバーする選手がいなかったので、ハードマンはふつうに真っ直ぐ投げられたパスを受け、そのまま2歩ほど前進するだけでよかった。ドロップ癖のあるハードマンに投げることはないだろうと、誰もが考え(ぼくもハードマンに投げるとは思わなかった)、リードコーチだけは、ハードマンを信頼していたのだ。これで来年は、ライス、スキャントリング、ハードマンと、レシーバー3人が使える目途が立った。ディフェンスの何人かがフリーエージェントになるはずだが、3年目までの新人が残っているので、来年も何とかなるだろう。49ナーズはQBパーディー以外はビッグネームばかりなので来シーズンは戦力が落ちることになる。来シーズンはライオンズに加えて、テキサンズ、チャージャーズあたりが台頭してくるだろう。

02/14/水
SARTRASの役員会。理事会(ZOOM)の前日に事務所でリアルな打ち合わせをする。明日の理事会の予行演習のようなものだが、渡された台本を見ると、理事長に代わってこちらが議事進行を担当する議題があるようだ。共通目的委員会でもやって議題なので問題はない。4月の陽気というテレビの報道で、アンダーシャツを脱ぎ、コートもなく外出したら、少し寒かった。周囲の通行人を見るとコートを着ている人もいて、テレビの天気予報を見ない人なのかもしれないが、体が厚着に慣れているので、温度が高くても体はまだ冬だと思っているようだ。スーパーボウルから2日目。まだ頭の中に余韻がある。チーフスはレギュラーシーズンで6敗した。負けた相手はライオンズ、ブロンコス、イーグルス、パッカーズ、ビルズ、レイダーズ。強いチームには勝てないし、ブロンコスやレイダーズなど、弱いチームにも負けている。とにかくレシーバーの落球が32チーム中、ダントツで多かった。このポロリの落球が、プレーオフに入ってからなくなった。新人ライスはシーズン初戦からそれなりに活躍し、シーズン後半には動きがよくなって何とかエースレシーバー的な働きをしていたのだが、短いパス専門のスロットレシーバーなので、ロングパスを受けるレシーバーがいなかった。去年はそこそこ活躍してスキャントリングが落球しまくり、去年のスーパーボウルで活躍したトニーとスカイ・ムーアは初歩的なミスが多くしかも怪我でリタイアしてしまった。今シーズンはジェッツに移籍したものの活躍の機会がなかったハードマンを呼び戻したものの、まともにキャッチができなくなっていた。しかもプレーオフのビルズ戦で2度もファンブルという重大ミスが重なって、レイブンズ戦では使ってもらえなかった。スキャントリングはレイブンズ戦の最後に試合を決めるキャッチをし、一昨日も貴重なタッチダウン。そしてまったく役に立たなかったハードマンが、最後の最後に逆転のキャッチをした。スキャントリングもハードマンも、最後に間にあった。もう少し前から活躍してくれたら安心していられたのだが。しかし勝利に貢献したのはやはりディフェンスだ。ディフェンスライン内側のクリス・ジョーンズや、ラインバックのスニードは、ギャラの大幅アップを要求するだろう。マホームズとは長期契約をしているので大幅アップは避けられるかもしれないが、ケルシーも大金持ちのテイラー・スウィフトとつきあうために少しはギャラのアップを要求するだろう。今シーズンのディフェンスのレベルを維持するのは難しい。優勝したのでドラフト順もビリになる。トレードの見返りにドラフト順を1つ2つ貰えないかと思う。新人をきたえてシーズン後半にチームが整うのを待つしかないだろう。相手のパントリターンのファンブルに対応したコーナーバックのワトソンは去年の新人だった。ランニングバックのパチェコも2年目。比較的若い選手が多いので、2人か3人、ベテランが抜けても、安いギャラで頑張る若者たちに期待するしかないだろう。3連覇をしたチームはいない。2連覇も奇蹟に近い。しかしマホームズがいれば、何とかするのではないか。今夜もビデオを見ながら寝酒を飲む。

02/15/木
『デーヴァダッタ』では釈迦が霊鷲山で観無量寿経を説き始めた。この作品の最大の山場であり、最後の山場でもある。これが終わるとあとはエピローグということになる。去年の4月に冒頭の一行を書き始めてから10ヵ月ほどで草稿の作業が終わりそうだ。2月末の草稿完成のあと、パソコンの画面で読み返し、次にプリントしたものを読んで赤字を入れ、赤字をパソコンに入力すれば完成ということになる。4月末完成のスケジュールが見えてきた。ドラフト会議のころだなとすぐにFootballのことを考えてしまう。観無量寿経も大事だ、これは実際の漢文経典を見ながら、内容を脚色しながら書き写すだけだ。スーパーボウルに関して、延長戦のルールについて、出場している選手がよくわかっていなかったのではという疑問が出ている。そのことによって実際に大きな問題が生じたわけではないが、知らなかったという発言が選手の間から出ているので、そういうものかと思ってしまう。少し前までは、延長戦は最初からサドンデスで、点が入ったらその時点で終了ということになっていた。これではコイントスに勝って攻撃を選択すれば、ゴールの3点が入った時点で終了ということで、コイントスで勝負が決まってしまうことになる。そこで数年前にルール改正があって、コイントスで勝って攻撃を選択したチームが3点とっても、相手チームにも攻撃のチャンスが与えられることになった。ただ3点ではなく攻撃チームがタッチダウンをとればそこでゲームが終わりということだった。これではやはりコイントスに負けたチームにはチャンスが与えられないことになる。そこで2年前に、プレーオフに限ってはコイントスに勝ったチームがタッチダウンをとってもゲーム終了にならば相手チームに攻撃のチャンスが与えられることになった。どうもこのことを79ナーズの選手は理解していなかったようで、タッチダウンを取れば勝ちだと単純に考えていたようだ。実際にはタッチダウンをとれなかったので、選手がぬか喜びするというシーンも見られなかったのだが、もしもタッチダウンをとっていれば79ナーズの選手が大喜びして、それでは勝ちではないと知らされてガックリするということはなかったのでよかったのだが、もう一つ、問題点が指摘されている。タッチダウンをとれば勝ちということなら、コイントスに勝てば迷わず攻撃を選ぶのだが、そうでないのなら、防御を選ぶ方にもメリットがあるのではという考えが成り立つ。攻撃側は自陣25ヤードから攻撃を開始するのだが、そこで10ヤード前進できない場合、パントを蹴る。するとパントが短かったり、パントリターンされると、相手チームは自陣25ヤードよりももっと前から攻撃を開始でき、少し進めばゴールキックで3点とれることになる。最初の攻撃チームが3点とっても相手チームには攻撃権が与えられ、タッチダウンで逆転負けになるのだが、最初に防御だったチームは、相手チームをパントに追い込めば、3点とるだけで勝ってしまう。コイントスで勝っても防御を選んだ方がいいのではないかということになる。実際に解説者のコメントでは、コンピュータの勝敗予想の数字が、防御側の方が少し高かったということだ。49ナーズはヘッドコーチも選手もそのことを考えていなかったようだ。ただ49ナーズは第4クォーターの最後の2分でチーフスに3点とられて同点にされた。つまり最後の2分間はディフェンスがフィールドに出ていたので疲れがたまっている。ディフェンスを休ませるために攻撃を選択したというのがヘッドコーチのコメントだった。だから結局のところ、今回はルール変更の熟知度は試合の結果に影響をもたらさなかったということだが、とにかくルール変更によって何が起こるかは充分に検討しておいた方がいいということは言えるだろう。

02/16/金
ディフェンス・コーディネーターのスパグニューロの残留が決まったようだ。どこかにヘッドコーチとして引き抜かれるのではないかと誰もが思っていた。Footballの日本将棋に似た戦略ゲームであり、将棋の駒どうしの連携が大事だ。作戦をさずけるだけでなく、その作戦に対応して個々の選手が動けなければならない。さらに相手のある競技だから、相手の動きに応じて臨機応変に自分で作戦変更して動く必要がある。要するに、選手全員がコーディネーターの意図を知って、全員が一つの生き物のようになって機能を発揮しないといけない。こういうことを選手に叩き込むのがコーディネーターの仕事だ。先日のスーパーボウルではチーフスのディフェンスは最後まで組織的に機能していた。49ナーズは個人の気力と頑張りに頼るところがあって、前半戦はパワーとスピードで圧倒していたが、4クォーター後半に到ると疲労のために動きが鈍くなった。そこでマホームズに走られると、チームとして機能できなくなった。これはコーチやコーディネーターの戦略伝達が充分でなかったというしかない。とにかくスパグニューロの才能は傑出しているので、残留が決まったよかったと思う。あとはクリス・ジョーンズとスニードなどを引き留めることができるかだが、全員を残留させることは難しい。ドラフトやトレードで若い選手を入れて、鍛えていくしかない。『デーヴァダッタ』は「終章」に入ったかと思ったが、もう一つ、章を加えてから終章に入ることにする。この最後の章は視点が変わるのだが、主人公がいなくなってからの教団の推移を簡単に述べておく必要がある。とにかくもうすべての物語は語り終えたので、あとはゴールに向かって必要なエピソードを短く重ねていくだけだ。

02/17/土
週末。昨夜、妻が帰宅したので日常が戻ってきた。次男の嫁さんの体調がよくないので時々妻が手伝いに行く。けっこう疲れて帰ってくる。こちらは毎日、のんびりと一人暮らしを楽しんでいた。スーパーボウルの余韻はまだまだ残っているが、自分の仕事もゴールに向かって動いている。ライフワークであり、これで絶筆になるかもしれない大作だ。すべてのプロットを書き終えたので、もはやエピローグモードになっている。終幕に向かって筆を急ぎすぎないように、じっくりと対話と描写を書き込んできた。だがもうエピローグに入ったので、ここからは簡潔にメモふうに書いていけばいい。一つ気になるのはジャータカ(前生譚)のエピソードを入れるつもりだったのに、どこにも入らなかったことだ。ストーリーのかわりめに短い章を挿入してもいいだろう。全体が26章と終章という構成になるのだが、終章を含めて二十八章になると法華経と同じになる。そんな遊び心が出てきたのはゴールが見えてきた余裕か。書きっぱなしでその後がどうなったのか書かれていない人物が何人かいる。釈迦の養母のプラジャーパティーは高齢なので死んだと書くだけでいいが妻のヤショーダラは登場させたい。シュラヴァースティの祇園精舎に話を移すので、娼婦のマリハムを最後に出しておきたい。主人公のデーヴァダッタはすでに教団から去り、側近のアーナンダの視点になっている。主人公のいないところで主人公の思い出を語るというのもおもしろい趣向ではないだろうか。

02/18/日
ぼくは作家になる前は勤労者だった。大学を出てから芥川賞を貰うまで、4年しか労働をしたことがない。人生の後半、大学の教員をするようになって、非常勤11年、常勤14年、合計25年も労働をしたけれども、これは作家として招かれたもので、無名の労働者ではない。その4年のうちの3年間、自動車メーカーの販売店向け機関誌の編集をしていたので、乗用車についてはそれなりの知識がある。学生時代、車には関心がなく、自分が車に乗るようになるとも思わなかったが、仕事をするようになってやむなく免許を取り、自分が販売促進の記事を書いているうちにその車を買ってしまった。当時は深刻な大気汚染が問題とされ、排ガス規制が強化されていた。各メーカーが窒素酸化物や硫黄酸化物を除去する装置の開発を進めた。それと中東戦争があって石油が高騰し、いかに燃費をよくするかの競争もあった。軽自動車の排ガス規制装置の開発が遅れていたため、1200tくらいの車がよく売れていたように思う。それから半世紀近くたっても、自動車エンジンの原理はまったく変わらない。カーナビなどの付加装置は便利なものが開発されているけれども、エンジンは変わらない。ただ温暖化が問題になって、電気自動車の開発が急務になり、実際に電気自動車も走っているのだが、その中間的な存在としてハイブリッド車というものがある。ガソリンエンジンと電気モーターを併設しているのだ。これは無駄なようにも思えるのだが、発進や低速で電気モーターを使い、スピードが出ればガソリンエンジンに切り替え、減速の時のエンジンブレーキでバッテリーを充電するというもので、最初の本体価格が高いことを別にすれば、燃費はかなりよくなる。電気自動車との大きな違いは、充電しなくていいということだ。積んであるバッテリーの充電はガソリンエンジンの回転でできるので、走っているうちにバッテリーは充電され、次回の発進の時のエネルギーが蓄えられる。最大のメリットは、わずかしかない充電スポットを捜したり、時間をかけて充電する必要がなく、ふつうの車と同じようにガソリンスタンドで給油すればいいだけだ。給油は5分もあれば完了するし、スタンドはどこにでもある。一時は電気自動車がよく売れ、このまますべての車が電気自動車になるかと思われてきたのだが、最近は売れ行きがにぶって、ハイブリット車の方が伸びているらしい。とくにアメリカのような広大な土地では、その全体に充電スポットを設置することは不可能で、従来のガソリンスタンドで対応できるハイブリッド車がこのまま伸びていくようだ。いずれふつうの車は製造禁止になるだろうが、ハイブリッド車は残っていく。エンジンと電気モーターを積むというのは無駄には違いないのだが、現実的な対応としては、この折衷案というのはなかなかのものなのだ。電子書籍がいくら普及しても紙の本はなくならない。マイナンバーカードがいくら普及しても、たとえば保険証は必要だろう。マイナンバーカードは電子装置のチップが埋め込まれているので、表面が傷ついたり、磁気を帯びたものに触れたりすると、誤作動を起こすらしい。マイナカードをつねにもっていると、傷をつけるおそれはつねにある。お尻のポケットに入れないでくださいなどと言われても、上着を着ない夏はどうすればいいのか。ぼくはクレジットカードや交通カードが入ったカードケースをお尻のポケットに入れているけれども、そこにマイナカードを入れるのは不安だ。そんなことをとりとめもなく考えている。

02/19/月
釈迦はクシナーガラに行く前にヴァイシャーリーのマンゴー園に赴く。通り道だから仕方がない。これまでアームラパーリーのマンゴー園については短い言及はあったが、描写として描いたことはなかった。竹林精舎、祇園精舎に続く教団の第三の拠点なので、ここも描きたいとは思っていたが機会がなかった。最後にアームラパーリーが出てくる。何かセリフが必要だとずっと考えていたのだが、今朝、まだベッドにいるうちにひらめきがあった。ここは最高にいい場面になる。妻の運転で深川ギャザリアへ行く。靴を買った。散歩用の靴。買い物をすると疲れる。店員と会話をしないといけない。

02/20/火
アームラパーリーのマンゴー園の場面が終わった。かなり盛り上がった。もはやエンディングに向かうエピローグの段階になっているのだが、ここでこんなに盛り上がることになるとは思っていないかった。絶世の美女だと伝えられる娼婦のアームラパーリーは、ぜひとも登場させたかったのだが、話の成り行きで出番を設定することができなかった。しかしラージャグリハからクシナーガラに向かう釈迦の最後の旅では、必ずヴァイシャーリーを通る。最後にアームラパーリーを出せてよかったし、諸行無常の話もここで出せてよかった。まるですごい切り札を最後までとっておいた感じで、鉄棒の着地で最大の大技が出たような感じになった。もう次の場面はクシナーガラだ。最後に鍛冶屋のチュンダが登場する。ここに仕掛があるのだが、うまくいくかどうかはやってみないとわからない。ところでこのノートは、メモ帳で書いてファイル送信ソフトで毎日送っているのだが、ファイルはアルファベット順に並んでいる。いま書いて射る今月のノートは「deva14」というファイル名だが、これを送ろうとする度に、すぐ下に「dog01」というファイルがある。これはもう20年以上前の「犬との別れ」という本を書いた時のノートだ。「dog」という文字を見る度に犬のことを思い出す。犬はぼくの親友だった。次男と中学受験の勉強をしているころに飼いだした。しばらくは息子二人がいたのだが、長男がスペインに行き、次男は企業に入って独身寮に入ったあとは、ぼくと犬の二人きりの生活になった。もちろん妻はいるのだが、妻が寝てしまったあとの深夜の仕事のおり、犬はつねにぼくの足もとで眠っていて、時々むっくりと起き上がって、ぼくの顔を見て慰めてくれるのだった。彼はただおやつのビーフジャーキーを求めているだけなのだが、こちらは深夜の作業でも一人きりではないのだと励まされる気がした。昨日から妻はまた名古屋に行ったので、ぼくは一人きりだが、犬のことを考えると、自分は一人きりではなかったと安心できる。

02/21/水
クシナガラに到着した。この釈迦入滅の地はクシナーガラともクシーナガラとも表記されるのだが、サンスクリットの表記を見れば、長音符つきでも大文字でもないので、クシナガラと表記することにした。ここに到るまでに何カ所かクシーナガラと書いたので、検索してみたら、「形容詞+しながら」という表記がすべてチェックされいた。こういうのを確認せずに一括変換してしまうとヘンなことになる。昔、キリスト教の入門書みたいなものを書いていたとき、「アダムとイブ」と英語圏ではいっている「イブ」は聖書では「エヴァ」と表記されているので、しばらく「エヴァ」と書いて話を進めたのだが、途中で誰もが知っている「イブ」にした方がいいと思い、「エヴァ→イブ」の一括変換をしたところ、「たとえば」がすべて「たといぶ」に変換されてしまったことがある。さて、いよいよ釈迦は入滅する。だがこのあと、別の終章が続く。これが一種の仕掛だ。少し長い終章になりそうだ。

02/22/木
27章が予定より長くなった。というか、とくに予定などなかったのだが、書いているうちに長くなってしまった。書くことがそれだけ多かったということか。この章の始めのころは短くなりそうな気がして、終章の直前の章だから少し短くてもいいかと考えていたのだが。この作品は1章が15ページ45枚という見当で進めてきた。最初の章がそれくらいでキリのいいところにさしかかったので、それを一つの目安としていた。全体が1200枚の作品になる。書き始めの時は800枚くらいかと思っていたが、長くなってしまった。最後の作品だから、つめこめるものはすべてつめこんだという感じになった。これでいいと思う。27章が長くなったのもアームラパーリーが出てきて、言葉と物語を誉め称えたからだ。そんなことをしゃべらせるつもりはなかったのだが、最後の最後に自画自賛というか、物語はいいものだと高級娼婦に語らせて、自分自身にご苦労さんと声をかける感じになった。で、27章が長すぎるので、クシナガラに着いたところからは終章に組み入れることにした。すると章の途中で視点が変わることになるが、それもいいだろう。クシナガラで話が終わったところから、最後にもう一度、デーヴァダッタの一人旅の話になる。これは物語の余韻みたいなものだ。少しトーンを変えて、淡々と語っていきたい。昨日から急に寒くなった。この集合住宅はリビングには床暖房の設備があるのだが、いまは一人なのでエアコンだけでしのいでいる。自分のパソコンがあるスペースは、リビングの隣室で、仕切り開けてあるので、机の上にあるエアコンを回しておけばそのうち部屋全体が温まる。火曜日からまた一人で暮らしているので、これで充分だ。今月中に草稿完成を目標に掲げている。終章が終わってもまだ完成ではない。ジャータカの話が入っていないので、途中に「夢の章」というのを挿入することにしている。それは全体の物語の流れからは外れたエピソードなので、15ページ45枚にこだわらず短めのものにしたいと思っている。ジャータカの物語を2つ入れ、その間に短い物語を入れていく。この短い物語はある程度は数がほしい。ただジャータカ(前生譚)の話はただの説話が多く、登場人物(あるいは動物)が釈迦と提婆達多だというのはこじつけみたいで、ヘンなものを入れると違和感があるので、吟味して選択したい。これに3日かかるとして、すると週末には終章を完了したいと思っている。

02/23/金
祝日だがSARTRASの三者会議。主にもう一人の副理事長の出張調査の報告。諸外国の教育目的補償金の状況を視察してきてもらって、かなり詳細な情報がわかってきた。一言でいうと、どの国もたいへんだが、われわれも高水準の透明性と公正性を求めるよくがんばっているという結論になるのではないか。自分の仕事はいよいよ大詰め。釈迦に最後の食を提供する鍛冶屋のチュンダが登場する。これで終幕。明日にはいちおう完了するだろう。まだ挿入する夢の章ができてないのだけれど。

02/24/土
午前中にエンディングの部分を書き終えた。まだ完成ではない。途中に「夢の章」を挿入することにしているので、一章ぶんの文章を書かないといけない。それでも全体の流れが行きつく先の、最後の文章が書けたので、いわば体操競技の着地がぴたっと決まった感じがする。小説は、オープニング、中身、エンディングで決まる。オープニングは去年の4月1日に、そろそろと書き始めた。それから10ヵ月の間、何度も冒頭部分を読み返したが、修正する必要を感じなかった。いまはもうこれしかないというくらいのオープニングだと思っている。オープニングというのは何もない白紙の状態で読者に提示するものだから、ある程度の説明が必要だ。短篇なら、いきなり動きのある場面から入って、途中から少しずつ説明していくこともできるのだが、長篇の場合は安定したオープニングが必要だ。といいながら、『善鸞』ではいきなり善鸞が父親に会いに行くところから話を始めた。いきなり主人公を出すというのがふつうのやり方かもしれないが、今回は大長篇だと、舞台が日本ではないので、まずカピラヴァストゥという街の描写から始め、次に王と王妃の会話で状況を説明した。それから隣国から嫁いできたヤショーダラと従者のデーヴァダッタが出てきて、それからデーヴァダッタが森の中にいるシッダルタに会いに行くという展開になる。このあたりからずっとデーヴァダッタの視点となり、この人物が主人公ではあるのだが、これをワトソン、シッダルタがホームズ、と考えることも可能で、主人公を描きながらも、本当の主人公はシッダルタだというふうにとらえることもできる。エンディングは、姿をくらましていたデーヴァダッタが、臨終のシッダルタと対面するところで終わる。いい終わり方だと思うし、これしかないという終わり方だ。ということで、これでオープニングとエンディングは完成した。挿入する「夢の章」は釈迦の前生譚の「ジャータカ」のエピソードをいくつか、主人公の夢として描くことになる。「ジャータカ」のエピソードの半分くらいは、釈迦と提婆達多の物語だ。提婆達多を描く場合、観無量寿経、妙法蓮華経は欠かせない。それと初期仏教の「ジャータカ」は言及する必要があると考えていながら、ここまで入れることができなかったので、一章まるごとジャータカの夢、というのを挿入することにした。独立した章なので前後の脈絡はなくてもいい。次から次へと夢を見るということで、ジャータカのなかから4つくらいの物語を入れようと思う。他の章よりも短めになってもいい。全体の流れとは異なる異物のような章だから、あまり長いと読者が疲れるだろうと思われる。ただ一つや二つのエピソードでは、ジャータカの迫力が伝わらないので、4つくらいがいいかなと考えてみる。やってみないとわからないが、ノートに少し書いてみた。明日は入力しながらこれでいいか確認したい。

02/25/日
昨日書いたメモを入力しようとして、ふと気になったことがある。「心の中」とか、「夢の中」という表現の「中」というが気になって、というのは釈迦は「中道」などということを言って、「中」に特別の意味をもたせているので、それ以外のところで不用意にこの字を使いたくないと思い、途中から「心のなか」「夢のなか」と書くようにした。前半では「中」を使っているので、統一するために、「中」を「なか」に一括変換すればいいかと考えたのだが、「中道」のほかに、「中央」とか「中心」とか熟語もあるので一括ではうまくいかないので、最初から一つ一つチェックしだしたら、それだけの作業で2時間くらいかかってしまった。それから入力開始。どうでもいい亀と猿の話も入れることにした。亀の妻が病気で、猿の肝がほしいというので、亀の夫が猿を探しにいく話。入れてみると、ハードな話のなかにのんびりしたエピソードがあっていい感じになった。この章の終わりをどうするか。夜中にまたひらめいてメモを書いた。

02/26/月
ついに完成。挿入する章は短くていいと思ったけど、ちょうどいいくらいの長さになった。クラスマックスの直前に入る章なので、少しタメをつくるためにこういうのがあってもいいと思う。この章が完成して、全体が完成したのだが、2日前のエンディングの部分を書き終えた時の達成感には及ばない。エンディングがうまく決まった時は、感銘があったが、本日は淡々と事務的に作業が終了したといった感じ。それでも気持がほっとしていて、気分転換に上野公園まで散歩。快晴で気持がいい。不忍池のほとりに河津桜が満開だった。完成といっても草稿ができただけで、明日からは画面上でチェックしていく作業がある。昨日、「中」を「なか」にかえるだけで2時間かかった。どうなるのかな。この作品では、主要な言葉にすべてサンスクリットのルビをつけた。「瞑想」→「サマーディ」という感じ。この語から「三昧」という感じができたのだが、こういう漢訳はなるべく使わないようにした。「地獄」に「ナラカ」ここでは「奈落」は使わない。「布施」「寄進」に「ダンナ」。「檀那」も「旦那」も使わない。ただ「仏陀」は最初から「ブッダ」とカタカナで表記した。こういう約束事があって、一つ一つの用語をチェックしていかないといけないので、たいへんな作業になる。

02/27/火
昨日で第一草稿が完成した。本日からはチェックに入る。冒頭部分はこれまで何度も読み返したので問題はないのだが、それでもじっくり読むと修正が入る。感じの使い方としては、なるべく開いていきたいと思っている。語句にサンスクリットのルビをふることが多いので、平仮名のルビはつけたくない。「仕える」を読めない人はいないと思うけれども、「つかえる」に変更した。こういうチェックを続けていくことになる。全体が28章なので、1日2章だと半月で作業が終わる。昨日は午前中に完了したので上野公園まで散歩したのだが、今日も天気がいいので上野へ。昨日は不忍池を2周したのだが今日は一周にして、湯島天神の女坂を昇った。昨日、今日の強風で、女坂の梅はほぼ散っていた。もともと花が少なかったのかもしれない。基金を集めて梅を植え替える計画があるらしい。

02/28/水
チェック2日目。3章に入ってつまずいた。釈迦の生地ルンビニー園での宴。ここでデーヴァダッタのシッダルタへの憎悪が高まっていく。そこのところが少し甘い。そこで作業がストップした。妻がようやく帰ってきた。よかった。

02/29/木
うるう年なので本日が月末。オリンピックのある年はうるう年と決まっているのだが、東京オリンピックは1年遅れだった。ぼくがいつも薬を買う福太郎という店は9のつく日は10%引きなので、うるう年はありがたい。うるう年のこの日に生まれた人は年をとらないといわれているが、実際には誕生日の前日に年をとる。だから4月1日生まれの人は3月31日に年をとるので、早生まれになる。どうでもいいことばかり書いてしまった。3日前に草稿が完成して、本日は修正の作業の3日目。まだ3章でつまずいているが、かなりよくなりつつある。ここを過ぎると大きな問題点はないものと期待したい。


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