善鸞07

2022年07月

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07/01/土
『善鸞』というタイトルのノートが7つ目になった。まだ1章しか出来ていない。この間、『少年空海アインシュタイン時空を超える』と『天海』の校正があって、そちらに集中していた。というか、資料を読み込む作業を続けていたので、原稿が進まなかった。善鸞の妻について何も資料がないのでイメージがわからなかった。資料がない場合は捏造するしかない。実際に小説を書く場合は、すべてフィクションなのだが、生まれも名前もわからないと、勝手に人物像を捏造することにためらいがある。そこを通過して一つの挿話として書き切ることができた。これで次に進める。本日も猛暑。7月になっても異様な暑さが続く。作品社のアンソロジー解説のゲラが届いたのですぐに対応。15枚の原稿だがけっこう編集者の指摘が入っている。すべてに対応して郵便で送る。郵便ポストまで散歩。といっても徒歩1分くらいのところ。『善鸞』の第二章。いきなり二十年くらい時間をスッ飛ばすことにする。東国からの門弟に善鸞が対応する。この章は東国の状勢を少しずつ明らかにしていく。唯円を登場させることも考えている。ただ歎異抄に善鸞は登場しないので、あまり深入りしたくない。このあたりはもう少し考えてみたい。ロシアとウクライナの戦争はまだ続いている。円安と物価高も続いている。ぼくの頭の中には善鸞や日蓮や忍性が生きた鎌倉中期の状況がつまっていて、いまの時代についてはどうでもよいという気分だが、『少年空海』を書いた時に宇宙について考えたので、引き続きいまも宇宙のことが気にかかっている。世の中の人々は宇宙のことなど考えもしないだろう。ぼくにとっては最大のテーマだといっていい。なぜ宇宙はいまわれわれが把握したような状態になっているのか。「人間原理」という考え方があって、この宇宙のいまの状態は、偶然が重なって出来たにしてはよく出来過ぎている。人間が生きやすいようにという何らかの配慮が働いているように見える……、というのが人間原理で、物理学者にはユダヤ教やキリスト教を信じる人が多いので、こういう考え方をしてしまうのだろう。宗教にとらわれない日本人の発想としては、マルチバースというのが受け容れやすい。要するに宇宙はバブルのように無限に発生していて、その状況は極めて多用で、さまざまな可能性をはらんでいる。そういう無限の可能性の一つとしてわれわれの宇宙があるので、この宇宙が人間のために出来ているというのは、単なる偶然にすぎないというものだ。まあ、そう考えていけば、疑問の一つが抹消される。いずれにしても宇宙の年齢からすれば、地球の生成から消滅までは一瞬にすぎず、人類の創生から消滅まではもっと短い一瞬にすぎず、ぼくの誕生から死まではさらに短い一瞬にすぎないので、考えても仕方がないということだろう。しかしこの考えでいくと、人が何のために生きているのかというのがわからなくなる。まあ、人生に意味などないのだ。それでも今日を楽しく生きられればいい。明日も楽しく生きるために明日のことを考え、一年後のことを考え、百まで生きるとすれば二十数年後のことを考え、6人いる孫のことなどもたまには考えて、何とか死ぬまで生きていくということだろう。ロシアのことは考えても仕方がないのだが、どこかで国境線を新たに設定して停戦ということにはならないだろう。それだとロシアの侵出を容認することになるし、中国の侵出も容認することになる。ナチスドイツの侵出を許したためにとんでもないことになったという反省を欧米の人々はもっているはずだ。円安はどうしようもない。労働力が安いというのはメリットなので、産業が発達して経済が上向きになり、どこかで円安は止まる。その前に日銀、および国家が破綻する可能性もあって、預金封鎖ということが起こるかもしれない。ぼくの母は預金封鎖に備えて、田舎の親戚の人々にお金を預かってもらっていたらしい。そんな話を聞いたことがある。小さな町工場を経営していた父は出征したまま帰って来ず、町工場は戦災で消滅していたのだが、父が帰還すれば再び工場を作るために資金が必要だと考えて、貯金を分散しておいたというのだ。預金封鎖になっても、サラリーマンの初任給くらいのお金は引き出せたので、10人の知り合いがいれば、10倍引き出せる。田舎の人は農業なので、貯金を引き出す必要はない。まあ、そんな事態にならないことを願っている。あとは9月が近づいてきたらFootballのことも考えないといけない。

07/02/土
週末は世の中が休みなのでメールも来ない。来週も週の前半は会議がないので自分の仕事に集中できる。第二章に入った。ここでは門弟たちとの問答が中心になる。親鸞の原理はごくシンプルなもので、論理の体系があるわけではない。従って細かいところを衝いていけば矛盾だらけということになる。そこのところを衝いたのが『歎異抄』という作品で、唯円という人物が世の声を代弁して親鸞に問いかけ、親鸞が一つ一つに答えていくということになっているが、親鸞は論理で答えるのではなく、不可思議とか、無義の義とか、パラドックスに誘い込むような答え方をする。そこがおもしろいともいえるし、もどかしてところでもある。善鸞もそこのところをわかっていて、自分なりに試行錯誤していくというのが、ぼくがこれから書こうとしている作品の骨子で、親鸞をゾシマ、善鸞をアリョーシャとして展開できればと思っている。本日も猛暑。いつまで続くのか。

07/03/日
日曜。猛暑。何事もなし。二章の冒頭。いきなり二十年の年月が経過したことにして話を進めようとしたのだが、どうもうまく行かない。そこで田植歌や和讃を親鸞が口ずさむことにした。これで先に進めそうだ。歴時協会賞の候補作届く。文庫新人賞の一部は後送とのことだが、とりあえず本賞の候補から読み始める。

07/04/月
8日間続いた猛暑がようやく収まった。といっても30度は超えていて、しかもすごい湿度。とりあえず最短コースの散歩。金曜日まで会議はないので、自分の仕事に集中できる。「まほろば賞」の候補作が掲載された『文芸思潮』届く。順番からすると「日大文芸賞」「まほろば賞」「歴時協会賞」で、日大文芸賞はすでに読んで点数もつけてある。来週月曜が選考なので前日にもう一度読み返そうかと思っている。次は「まほろば賞」だが、歴時賞の読みかけの作品があるのでこちらを先に読み、もう一冊くらい読んでから「まほろば賞」を読みたい。同人誌の作品とはいえ純文学ふうの作品が多いので、スピードを上げて読むわけにはいかない。歴時賞の方は娯楽作品なので楽しみながら読めればと思っている。

07/05/火
『善鸞』は毎日少しずつ進んでいる。歴時協会賞、まほろば賞、少しずつ読んでいる。猛暑ほどではないが30度前後の日が続く。体調はまずまず。病気にかからず仕事ができることを感謝している。神仏に感謝しているわけではないが、この宇宙が存在し、自分がこの世に生まれて、仕事ができていることを何ものかに感謝したいと思う。いま『善鸞』を書いているので、その何ものかを阿弥陀仏と考えてもいいのだが、少し前に『少年空海アインシュタイン時空を超える』を書いたので、宇宙草創のビッグバンやハイパーインフレーションやマルチバースのことを考えていて、とにかく詳細はわからないながら、この宇宙に銀河があり、太陽と惑星があり、地球があって自分がここにいるということは、奇蹟のごときものだと考えられる。神でもなく、仏でもない、自然は成るべくしていまのように成ったのだと思われる。その必然のごとき偶然に感謝したい。

07/06/水
次に一度の近所の開業医へ行く。このところ血圧が低く安定している。体重も最大値から3キロほど下がっている。これくらいがいい感じだと自分では思っている。

07/07/木
深川ギャザリアへ行く。100円ショップとスーパーで買い物。2週間に一度このショッピングセンターに行くのは車を動かすため。浜松の仕事場にいる時は、車でないとどこへも行けない。逆に東京にいるとさ車で行くところがない。住んでいる集合住宅の敷地内にスーパーもコンビニもあるし、レストランもある。歩いていける鉄道の駅が数え方によっては8路線ほどある。しかし車というものはしばらく動かさないと不調になる。ということで、深川ギャザリアに行くことにしている。ここはスーパーだけでなく、専門店もたくさん入っていて、ガチャポンのコーナーからペットショップまであるので、意味不明のガシャポンを眺めたり、数十万円もする小犬や子猫を見て、茫然と時を過ごすのによい場所だ。久し振りにFootballの話題。ブラウンズのメイフィールドがブラウンズにトレードされることが決まった。よかった。メイフィールドは5年ほど前のドラ1のQBで、前シーズン全敗のブラウンズに勝ち星をもたらした救世主だ。一昨年のシーズンはプレーオフに出場してスティーラーズに勝ち、チーフスに惜敗した。しかし昨シーズンのマホームズは肩の故障で万全ではなかった。そこにテキサンズからワトソンをトレードするという話が持ち上がって、マホームズの存在が宙にういてしまった。ブラウンズには同じ年にドラ2だったダーノルドがいる。ダーノルドも怪我と病気で実力を発揮できないでいる。どちらが先発になるのかいまはわからないが、とにかくトレード先が決まってよかった。

07/08/金
SARTRASの共通目的委員会。いよいよ重大な局面になってきた。問題は山積しているのだが、この共通目的で世の中のさまざまなところによりよき支援ができれば、SARTRASの存在意義が見えてくる。10時から始まって予定の12時を少し過ぎたくらいで会議が終わった。ほっとして、テレビを点けると、テロリズムのニュース。60年ほど前の社会党浅沼稲次郎さんの襲撃事件を思い出した。ぼくは『愛の行方』という爆弾テロの話を書いているし、『続カラマーゾフの兄弟』では皇帝暗殺の話も書いた。書いている時はテロリストがぼく自身に憑依した感じになっているので、ぼくにとってテロリストは身近な存在ではあるが、今回のテロ事件は思想犯とは考えられない。では何なのか。元自衛隊員ということらしいが、生きて逮捕されたので、どんな話をするかが注目される。拘置所内で自決しないように監視してほしい。

07/09/土
事件現場の西大寺駅は線路がたくさんある不思議な駅だ。大阪から奈良に向かう路線と、京都から橿原神宮に向かう路線が、不思議な角度で交叉していて、しかも広大な車庫があって線路が複雑に絡み合っている。それはともかく、駅前に大勢の人々が押し寄せてきて花を差し出して死者を悼んでいる。そんなに人気というか人望があったのか。彼らは週刊文春とか読まないのか。奇しくも文春の今週号には森友学園の設計図の写真が掲載されていて、そこに校長室と同じくらいの名誉校長室が描かれている。これって動かぬ証拠みたいなものではないか。アベノミクスもアベノマスクも痛恨の失敗事業ではないか。それでも死ねばすべて許され悲劇の英雄になってしまうのだろうか。愚か者は死んでも愚か者で、こういう時にこそ死人に鞭打つべきではないか。文春の次の号を期待したい。

07/10/日
参議院選挙。住んでいる集合住宅地の敷地の道路一本向かい側に、同じ時期の再開発で建造された保育園と高齢者施設がある。その保育園が投票所になっている。地方区と比例区。残念ながらいずれも当選せず。しかし選挙とはそういうものだ。投票することに威儀がる。

07/11/月
雑文2件仕上げて送る。それから新宿に向かう。日大文芸賞の選考。選考委員の交替があって今年はぼくの他は女性3人ということになった。選考のあとで懇親会がある。去年はノンアルコールだったが今年は酒が飲めるのでたくさん飲んだ。女性たちはまったち飲まないのだが、事務局のおじさんたちと話が弾んだ。

07/12/火
文藝家協会の評議員会と常務理事会。今日も暑い。豪雨という天気予報だったが、雨が降る前に地下鉄永田町駅に到達できた。ここで雨が降っていなければ、新御茶ノ水から自宅までは傘をささずに帰れる。

07/13/水
本日は公用はない。日大文芸賞の選評を書く。宇都宮の後援会の新幹線の切符が届く。もう十年以上この時期に宇都宮に行く。つねに猛暑という印象がある。

07/14/木
SARTRAS分配委員会。問題山積で事務局は忙しそうだ。それでも少しずつ前向きの提案があってわずかずつでも改善そうな空気が出てきた。歴時協会賞。新人賞を読み始めているが今回はレベルが高い感じがする。

07/15/金
新宿のマッサージ。右の背中が固まっていたとのこと。まあ、こういう仕事をしていれば職業病のごときものだ。

07/16/土
本日は何もない。明日はまほろば賞の選考会。今回は横並びの印象。他の委員のご意見を伺いたい。朝から世界陸上をやっている。陸上競技はけっこうおもしろい。Footballの新人選手がハードルに出ているので注目したい。

07/17/日
まほろば賞選考。年に一度、下丸子にある公共施設の会議室に赴く。主催者の『文芸思潮』編集長の五十嵐勉さんの近所ということで、ずっと以前からここで選考会が開かれる。メンバーも十年近く代わっていない。選考は無事に終わる。その後、飲み会。昨年はノンアルだった。今年は去年より患者が増えているのに制限はない。大丈夫かと思いながら、こちらは4回目の接種を終えているので安心して飲む。

07/18/月
スペイン在住の長男が4人の孫のうちの下の2人を連れて来日するという話はずいぶん前に聞かされていた。その時はずっと先のことだと思っていたのだが、とうとうその日が来てしまった。やや多忙だとはいえ慣れ親しんだ生活をしていたぼくの日常が掻き乱されることになる。まあ、息子に会えるのは喜ばしいことだが、言葉の通じない孫とのコミュニケーションがどうなるか心配でもある。かつては一戸建ての家に住んでいたので来客が来ても宿泊できたが、家を畳んで夫婦2人だけの集合住宅の暮らしになったので来客があると宿泊所を算段しないといけない。コロナの直前に一家全員6人で来た時は、湯島天神の近くの外国人向けの長期滞在宿舎を手配した。今回は長男が自分で探してエキストラベッドが入る部屋を予約してあった。ただ中東周りの飛行機に遅れが出ているようで到着は深夜になりそうだ。ということで、妻とともに宿泊所に向かう。入口で指定された数字コードを入力するとドアが開く。ホテルではないので受付の人間はいない。エレベーターで予約した階に向かう。そこで別の数字コードを入力して部屋に入るところだが、掃除のおじさんがちょうど作業を終えるところで、ドアが開いていた。不安なのでおじさんがいなくなってから、妻を部屋に残してドアを閉め、番号を入力して解錠されるか確認。こういうキーの打ち込みはドキドキする。画面にタッチする方式だと老人の指では反応しないことがあるのだが、ここは押しボタンなので問題はなかった。ダブルベッドがあるだけの簡易な宿泊所だが、一つの階に一部屋というコンパクトな建物で、まあふつうのビジネスホテルより安価なのだろう。掃除のおじさんは中国人だったし、どうやらオーナーも中国人のようだ。室内の設備を確認した。エアコンは効いているし、テレビは自宅の古いテレビより鮮明な画像が映る。ただ狭いのでスーツケースを置く場所に苦労するだろう。BR> ここまで書いて、東京駅に迎えに行った。カタール空港でのトランジットの時点で2時間の遅延があったが、入国手続きがスムーズに行って、高速道路もすいていたようで、思ったより早くバスの降車場に到着した。スペインには孫が4人いるのだが、下の二人、中学生の女子と、小学生の男子が長男とともに来日した。中学生女子は背は低いのだがもう大人の女性の体型になっている。スペイン式にハグしたのだが、少しドキドキした。さてこの3人が狭い部屋で同居することになるが、まあ寝るだけで、食事はわれわれのところに来ることになるだろう。自宅に帰ると11時を過ぎていた。妻はすでに疲れきっている。実際のところ、宿泊所の点検に行ったのと、東京駅まで迎えに行っただけで、他には夜食のおにぎりを用意しただけなのだが、朝からずっとiPadで飛行機の航跡を見つめていた。世界地図の上に孫たちを乗せた便の現在地が飛行機の形で表示されているもので、じっと見ているとそこに孫たちの姿が見えるようで緊張する。ヒマラヤの上空にさしかかった時は、大丈夫かとぼくも心配になった。実際にかなり揺れたようで、全員、朝食の機内食は食べなかったようだ。妻の用意したおにぎりが役に立った。こちらも何となく疲れきっていて、いつもより多めの寝酒を飲んだ。

07/19/火
昨夜は多めの寝酒を飲んだので朝10時まで熟睡していた。孫たちが朝食を食べに来たようだが気がつかなかった。彼らはその後、どこかに出かけたようだ。われわれは明日は彼らと行動をともにする予定なので、ふだんどおりの生活で体力を温存する。まほろば賞の選評を送る。孫たちが夕食のために到着。次男のところの孫が2人揃うとうるさくてしようがないが、スペインの孫たちは日本に慣れていないせいかおとなしい。男子は父親にべったりと甘えている。どうやらふだんは大学生の長女に甘えているらしい。長女がいないので仕方なく父親に甘えているようだ。まだ時差ボケで眠そうだ。食後はすぐに宿泊施設に帰っていく。早く寝て時差に慣れればいいのだが。

08/20/水
本日は孫たちとともに有明へ。有明といえばぼくが勤務し、定年まで学部長を務めていたM大学の本部がある。ぼくがいたころにはなかった新しい校舎が二棟完成していて、どんどん増殖していくM大学のありかたが具体化している感じがした。さてぼくが勤務していたころにはなかった新しいショッピングモールができている。そこで長男が買い物をするのにつきあったあと、夕食に寿司を食べ、それからショッピングモールに隣接した四季劇場で「ライオンキング」を見る。3年ほど前に日本の孫といっしょに大井町にあった四季劇場で同じ演目を観たのだが、今回は日本語を理解できない孫2名がいるので、どうなるかとは思ったものの、ミュージカルだから楽しめるだろうということで事前に予約をとっていた。3年前に観たはずだが、細かい内容は忘れていた。改めて見てよく出来た作品だと思った。主役だけでなくバックスの人々も含めて歌唱のレベルが高く、振り付けも斬新で、このあたりはアメリカからスタッフを招いているのだろう。孫たちも楽しめたと思う。孫と一日を過ごして、まあ、おじいさんとしての義務を果たせたと思う。

07/21/木
SARTRAS理事会。何やらけっこう紛糾したけれども前向きに進んでいる。孫たちは美容院に行ったとのこと。妻の通っているところはかなり遠い場所にあるので一日仕事になる。おかげでネット会議と自分の仕事に集中できた。

07/22/金
本日は上野動物園。朝方の雨で出足が鈍ったようで、園内はすいていたが、パンダ舎の前には列ができていた。妻がスマホで抽選をヒットさせていたので入ることができたが、30分以上並んで、熟睡で身動きしないパンダを1分だけ眺めるだけのものだった。だが別のところに父親がいたようで、わたしと妻は椅子で休んでいたのだが、孫たちは見に行った。父親は笹を食べるなど、ちゃんと営業していたとのこと。ホッキョクグマもアザラシも姿を見せなかった。何年か前に真夏の旭山動物園に家族全員(夫婦3組と孫6人)で見に行った時は、ホッキョクグマもアザラシも営業をしていた。動物園の熱意の差が感じられた。雨のあとは真夏の日差しが照りつけていて、2回休憩した。生ビールがあって救われた。とくに2度目の休憩所は緑に囲まれていて、猿山なんかも見えていて、よいところだった。疫病到来の前は老人向けの年間パスポートをもっていて、何度か散歩に行っていた。いまは入園者の人数制限をやっているようだが、早く正常に戻ってほしい。

07/23/土
長男と孫2人はスカイツリー方面に出かけたので静かな一日。夕食には全員集合。妻はけっこう疲れたようだが、こちらは仕事に集中できた。歴時協会賞。最後に残った文庫新人賞の3冊を読み始める。

07/24/日
長男と孫は新宿タカシマヤ方面に行ったとのこと。またもや静かな一日。当分はこの状態が続くようで、ライオンキングと上野動物園でジイサンの義務は終わったようだ。ただし本日の夜になって、名古屋の孫1名が到着した。彼はぼくたちのところに宿泊するので、妻の仕事部屋で寝ることになる。もう一人の孫は六年生で、受験勉強があるので、浜松の仕事場に合流することになっている。『善鸞』は第二章の半分くらいのところまで来た。ここから東国へ赴く理由が提示され、作品のテーマが見えてくることになる。

07/25/月
長男は孫3名をつれてお台場方面に向かった。名古屋の孫は中学三年生で交通に詳しいので安心だ。こちには『善鸞』に取り組む。理屈っぽい会話が続く。おもしろくないなあと自分でも思ってしまう。このところ歴史時代作家協会賞の候補作を読んでいる。とくに文庫新人賞は文庫書き下ろしなので、おもしろさで勝負するしかない。皆文章がリーダブルで伏線の張り方が上手だ。あわてて自作の『天海』のオープニングを読み返したりする。大丈夫、こちらの方がおもしろく、しかもスケールの大きさを感じさせる、と自画自賛して安心する。『善鸞』はテーマが重いのでリーダブルに語るというわけにはいかない。まほろば賞の選考をしていると、同人誌の作家はリーダブルな文体とは真逆の文章を書くので妙に感心したり安心したりするのだが、エンターテインメントはひたすらリーダブルであることを求めるので、易きにつくというか、文体が軽すぎて迫力を欠くという気がしないでもない。

07/26/火
長男たちは本日もお台場方面。昼過ぎまで雨だったが、雨をついて出ていった。こちらは『善鸞』を最初から読み返す。書くスピードが遅いので、全体の流れが時々見えなくなる。すると話が理屈っぽくなるし、説明の重複が目立つようになる。文体の流れと密度を確認するためにこの段階では何度も読み返すことが必要だ。まだ文体が確立されていない。二章が終われば、文体はある程度、固まっていくはずだ。

07/27/水
長男は孫たちを残して秋葉原のスタジオへ。貸しピアノのスタジオで練習。スペインに帰ると仕事があるらしい。世田谷区の三宿に住んでいたころはグランドピアノを2台もっていた。ブリュッセルに留学していた時は音楽院の学生向けのグランドピアノ付のアパートを借りていたのだが、結婚して貸屋に移った時に自宅にあったヤマハを送ってやった。嫁さんもピアノを弾くので韓国製のピアノも購入したとのことだった。スペインに引っ越した時は3台所有していて、さらにわれわれがいまの集合住宅に引っ越す時にスタンウェイを処分しようとしたら遅れと言われて、処分して得られる金額+輸送代の膨大な損失にかかわらず送ってやった。長男は家を2軒もっているので合計4台のピアノは分散して配置されているのだろうと思う。浜松の仕事場には長男が最初に使い始めたアップライトのピアノがいまも置いてある。調律していないのでいまではガタガタになっている。まあ、長男の教育費はかなりかかったはずだが、それでちゃんと生活できているようだからよかった。子どもが生き甲斐をもって前向きに生きているということが何よりも大事だ。というようなことを考えるのは、ぼくも妻もいまはやや疲れ気味になっているせいだろう。名古屋の孫が本日、名古屋に帰った。

07/28/木
妻の運転、長男、孫2人とともに浜松の仕事場へ。夕刻、名古屋の次男の嫁さんと孫2人到着。

07/29/金
四日市の次男が電車で来るのを東海道線鷲津の駅まで迎えに行く。長男の運転。スペインでは毎日運転しているのだが右ハンドルに慣れていないのでいきなりワイパーを動かしたり誤作動が甚だしい。鷲津駅についても電源が切れない。運転席から離れようとすると警報音がなる。こちらはふだん運転していないので的確な指示ができない。ギアをパーキングに入れていないからだと判明。帰りは次男が運転するだろう。で、こちらは入れ違いに次男が到着した電車に乗り込む。探したが次男の姿は見当たらず。停車時間が短いのでそのまま次男の顔を見ずに浜松へ。浜松まではスイカで乗車して、浜松駅で緑の窓口に出向いて老人割引でヒカリの指定席を購入する。10分後のヒカリに乗れた。やれやれ。孫たちの喧騒から離れて一人旅。車内のWi-FiにiPadをつなぐ。地図を表示して現在地が刻々と変わるのを楽しむ。幼稚園のころディズニーのダンボを見た。赤ん坊のダンボを届けるコウノトリが地図を開くと、サーカス団を乗せた汽車が地図の線路の上を移動している。それを見た時、いつか自分の移動状況が見られる地図を見たいと念願していたが、いまは簡単に見られる。地図に飽きるとアベマで将棋を見たりもする。さて、明日は宇都宮で講演。一人で早朝に起きないといけないので早めに寝る。

07/30/土
宇都宮での講演。もう十年以上も前からやっている。この2年は疫病蔓延のため休止になっていたので久し振りではあるが、駅まで迎えに来てくれる人の顔も同じで、手順も以前と変わらない。講演のあと担当者といっしょに弁当を食べていたのだが、それは中止になって、サンドイッチをもらってすぐに駅へ。早く帰れたので午後の時間を仕事にあてることができた。当初の計画では宇都宮からそのまま浜松に移動することも考えていたのだが、四日市の次男が休暇をとって参加できたので、ぼくも孫の相手はお休みさせていただくことになった。ということで、この週末はのんびり一人で過ごすことになる。少し気が緩んだようで仕事はあまり進まず。

07/31/日
猛暑。集合住宅の敷地内にあるコンビニに出向いただけ。長い7月が終わった。日大文芸賞、まほろば賞、歴時作家協会賞の選考のうち2つが終わった。歴時賞は来週だが、候補作は読み終えている。スペインの長男が孫2人を連れて帰ってきたので毎日騒乱状態になっているが、きっちりとスケジュールをこなして、逗留もあとわずかとなった。8月になれぱ世の中もお盆休みになり少しはのんびりできるだろう。『善鸞』はまだ出だしの試行錯誤が続いている。これからの見透しも立っていないのだが、東国に旅立ってしまえば動きが出てくるだろう。今月は『天海』の単行本が出た。初めて戦国末期に取り組んだ作品で、うまくまとまったと自負している。今年もあと5月になった。『善鸞』の年内完成を目指して何とか前に進んでいきたい。


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